第56話、陳珪、再び暗躍す

文字数 11,565文字

 兵を退いて都の許昌に帰ってくると、曹操のところへ、徐州の呂布(りょふ)から使者が来て、一名の捕虜を護送してよこした。

 使者は、陳珪(ちんけい)老人の子息陳登(ちんとう)であり、囚人(めしゅうど)は、袁術の家臣、韓胤(かんいん)であった。


「すでにご存じでしょうが、この韓胤なる者は、袁術の旨をうけて、徐州へ来ていた婚姻の使者でありました。――呂布は、先頃、あなたからの恩命に接し、朝廷からは、平東将軍の綬を賜わったので、いたく感激され、その結果、袁術と婚をなす前約を破棄して、爾後(じご)、あなたと親善をかためてゆきたいという方針で――その(あかし)として、韓胤を縛りあげ、かくの如く、都へ差立てて来た次第でありまする」

 陳登は、使いの口上をのべた。

 曹操はよろこんで、


「双方の親善が結ばれれば、呂布にとっても幸福、予にとっても幸福である」


 と、すぐ刑吏に命じて、韓胤の首を斬れといった。

 刑吏は、(いち)にひき出して、特に往来の多い許都(きょと)の辻で、韓胤を死刑に処した。

 その晩、曹操は、


「遠路、ご苦労であった」


 と、使いの陳登を私邸に招待して、宴をひらいた。


 酒宴のうちに、曹操は、陳登(ちんとう)の人間を(はか)り、陳登は、曹操の心をさぐっていた。

 陳登は、曹操にささやいた。


呂布(りょふ)は元来、豺狼(さいろう)のような性質で、武勇こそ立ち(まさ)っていますが、真実の提携はできない人物です。――こういったら丞相(じょうしょう)は呂布の使いにきた私の心をお疑いになりましょうが、私の父陳珪(ちんけい)も、徐州城下に住んでいるため、やむなく呂布の客臣となっていますが、内実、愛想をつかしておるのです」

「いや、同感だ」


 果たして、曹操の腹にも二重の考えが、ひそんでいたのである。陳登が、口を切ったので、彼もまた、本心をもらした。


「君のいう通り、呂布の信じ難い人間だということは予も知っている。しかし、それさえ腹に承知して交際(つきあ)っているぶんには、彼が豺狼の如き(おとこ)であろうと、何であろうと、後に悔いるようなことは、予も招かぬつもりだ」

「そうです。その腹構えさえお持ちでしたら、安心ですが」


「幸い、君と知己になったからには、今後とも、予のために、蔭ながら尽力してもらいたい。……君の厳父陳大夫の名声は、予も(つと)に知っておる。帰国したらよろしく伝えてくれ」


「承知しました。他日、丞相がもし何かの非常手段でもおとりになろうという場合は、必ず、徐州にあって、われわれ父子(おやこ)、内応してお手伝いしましょう」


「たのむ。……今夜の宴は、計らずも有意義な一夜だった。今のことばを忘れないように」


 と曹操と陳登は、(さかずき)をあげて、誓いの眸を交わした。

 曹操は、その後、朝廷に奏し、陳登を広陵(こうりょう)の太守に任じ、父の陳珪にも老後の扶持(ふち)として禄二千石を給した。

 その頃。

 淮南(わいなん)袁術(えんじゅつ)のほうへは、早くも使臣の韓胤(かんいん)が、許都の辻で(くびき)られたという取沙汰がやかましく伝えられていた。

「言語道断!」


 袁術は、呂布の仕方に対して、すさまじく怒った。


「礼儀を尽したわが婚姻の使者を捕えて、曹操の刑吏にまかせたのみか、先の縁談は破棄し、この袁術に拭うべからざる恥辱をも与えた」


 即座に、二十余万の大軍は動員され、七隊に分れて、徐州へ迫った。

 呂布の前衛は、木の葉の如く蹴ちらされ、怒濤の如く一隊は小沛(しょうはい)に侵入し、そのほか、各処の先鋒戦で、徐州兵はことごとく潰滅(かいめつ)され、刻々、敗兵が城下に満ちた。

 呂布は事態の悪化に、あわて出して、にわかに重臣を呼びあつめた。

「誰でもよい。今日は忌憚(きたん)なく意見を吐け。それがこの徐州城の危急を救う策ならば、何なりとおれは()こう」
 席上、陳宮がいった。
「今にして、お気がつかれたでしょう。かかる大事を招いたのは、まったく陳珪父子(おやこ)のなせる(わざ)です。――その証拠には、あなたは陳珪父子をご信用あって、許都への使いもお命じになりましたが、どうです。彼らは朝廷や曹操にばかり()びて、巧みに自身の爵禄(しゃくろく)と前途の安泰を計り、今日この禍いが迫っても、顔を見せないではありませんか」

「然り! 然り!」と、誰か手を打って、陳宮の説を支持する者があった。

 陳宮は、なお激語をつづけて、


「――ですから、陳珪父子の首を斬り、それを持って、袁術へ献じたら、袁術も怒りを解いて、兵を退くでしょう。悪因悪果、彼らに与えるものと、徐州を救う方法は、それしかありません」

 呂布は、たちどころにその気になった。すぐ使いをやって陳珪父子を城中に呼びつけ、罪を責めて、首を斬ろうとした。

 すると、陳大夫は、からからと高笑いして、


「病にも死なず、さりとて、花も咲かず、枯木の如く老衰したわしの首など、梅の()一つの値打ちもありません。伜の首も御用とあればさしあげましょう。……しかしまあ、あなたは何という臆病者だろう。アハハハハ、天に対して恥かしくはありませんか」

 と、なおも笑いこけた。


「なにを笑う」


 呂布は、くわっと、眼をいからせて、陳珪(ちんけい)父子を()めつけた。


「われを臆病者とは、云いも云ったり。さほど大言を吐くからには、汝に、敵を破る自信でもあるのか」


「なくてどうしましょう」


 陳大夫は澄ましたものである。

 呂布はせきこんで、


「あらば申してみよ。もし、確乎たる良策が立つなら、汝の死罪はゆるしてくれよう」


聞説(きくならく)淮南(わいなん)の大兵二十余万とかいっています。しかし、烏合(うごう)の衆でしょう。なぜならば、袁術はここにわかに、帝位につかんという野心から、急激にその軍容を膨脹(ぼうちょう)させました。ご覧なさい、第六軍の将たる韓暹(かんせん)は、以前、陝西(せんせい)山寨(さんさい)にいた追剥(おいはぎ)の頭目ではありませんか。また、第七軍を率いている楊奉は、叛賊李傕(りかく)の家来でしたが、李傕を離れて、曹操にも追われ、居る所なきまま袁術についている(ともがら)です」

「ウム。なるほど」


「それらの人間の素姓は、あなたもよくご存じのはずですのに、何を理由に、袁術の勢を怖れますか。――まず、利を以て、彼らを抱きこみ、内応の約をむすぶことです。そして寄手を攪乱(かくらん)せしめ、使いを派して、こちらは劉備玄徳(りゅうげんとく)と結託します。劉備は温良高潔の士、必ず今でも、あなたの苦境は見捨てますまい」

 陳大夫のさわやかな弁に呂布は酔えるが如く聞き入っていたが、


「いや、おれは決して、彼らを恐れてはいない。ただ大事をとって、諸臣の意見を徴してみたまでだ」

 と、負け惜しみをいって、陳父子の罪は、そのまま不問に附してしまった。

 そのかわり陳珪、陳登のふたりは謀略を施して、敵の中から内応を起させる手段をとるべし――と任務の責めを負わされて、一時、帰宅をゆるされた。

「伜。あぶない所だったな」


「父上も、思いきったことをおっしゃいましたな。今日ばかりは、どうなることかと、ひやひやしておりましたよ」


「わしも観念したな」


「ところで、韓暹や楊奉を寝返らせる、よいご思案があるんですか」


「いや、何もないよ」


「どうなさるので?」


「明日は明日の風が吹こう」


 陳大夫は、私邸(やしき)の寝所へはいると、また、老衰の病人に返ってしまった。


 一方、袁術のほうでは。

 婚約を破棄した呂布に対し、報復の大兵を送るに当って、三軍を(けみ)し、同時に、(これ見よ)といわぬばかりに、ここに、多年の野望を公然とうたって、皇帝の位につく旨を自らふれだした。

 小人(しょうじん)(たま)を抱いて罪あり、例の孫策が預けておいた伝国(でんこく)玉璽(ぎょくじ)があったため、とうとうこんな大それた人間が出てしまったのである。

「むかし、漢の高祖は、泗上(しじょう)の一亭長(ていちょう)から、身を興し、四百年の帝業を()てた。しかし、漢室の末、すでに天数尽き、天下は治まらない。わが家は、四世三公を経、百姓に帰服され、予が代にいたって、今や衆望沸き、力備わり、天応命順(てんおうめいじゅん)の理に促され、今日、九五(きゅうご)の位に即くこととなった。(なんじ)らもろもろの臣、(ちん)(たす)けて、政事に忠良なれ」

 彼はすっかり帝王になりすましてから群臣に告げ、号を仲氏(ちゅうし)と立て、台省官府(だいしょうかんぷ)の制を布き、龍鳳の(れん)にのって南北の郊を祭り、馮氏(ふうし)のむすめを皇后とし、後宮の美姫数百人にはみな綺羅錦繍(きらきんしゅう)(よそお)わせ、嫡子をたてて東宮と僭称(せんしょう)した。


 慢心した暴王に対しては、命がけで正論を吐いて諫める臣下もなかったが、ただひとり、主簿(しゅぼ)閻象(えんしょう)という者が折をうかがって云った。
「由来、天道に(そむ)いて、栄えた者はありません。むかし周公は、后稜(こうしょく)から文王におよぶまで、功を積み徳をかさねましたが、なお天下の一部をもち、(いん)紂王(ちゅうおう)にすら仕えていました。いかにご当家が累代盛んでも、周の盛代には及ぶべくもありません。また漢室の末が衰微しても、紂王のような悪逆もしておりません」

 袁術は聞いているうちにもう甚だしく顔いろを損じて、皆までいわせず、


「だから、どうだというのか」
 と、怖ろしい声を出した。
「……ですから」

 閻象はふるえ上がって、後のことばも出なくなった。


「だまれッ。学者ぶって、小賢(こざか)しいやつだ。――われに伝国の玉璽が授かったのは偶然ではない。いわゆる天道だ。もし、自分が帝位に()かなければかえって天道に反く。――貴さまの如き者は書物の紙魚(しみ)と共に日なたで欠伸(あくび)でもしておればよろしい。退れっ」

 袁術は、臣下の中から、二度とこんなことをいわせないために、


「以後、何者たりと、わが帝業に対して、論議(あげつら)いするやつは、即座に断罪だぞ」

 と、布令させた。

 そこで彼は、すでに告発した大軍の後から、さらに、督軍親衛軍の二軍団を催して、自身、徐州攻略におもむいた。

 その出陣にあたって、兗州(えんしゅう)刺史(しし)金尚(きんしょう)へ、

「兵糧の奉行にあたれ」と、任命したところ、何のゆえか、金尚がその命令にグズグズいったというかどで、彼は、たちまち親衛兵を向け、金尚を(から)めてくると、

「これ見よ」とばかり首を刎ねて、血祭りとした。

 督軍、親衛の二軍団がうしろにひかえると、前線二十万の兵も、

「いよいよ、合戦は本腰」と、気をひきしめた。

 七手にわかれた七将は、徐州へ向って、七つの路から攻め進み、行く行く郡県の民家を焼き、田畑をあらし、財を(かす)めていた。

 第一将軍張勲(ちょうくん)は、徐州大路へ。

 第二将軍橋蕤(きょうずい)は、小沛路(しょうはいじ)へ。

 第三陳紀(ちんき)は、沂都路(ぎとろ)へ。

 第四雷薄(らいはく)は、瑯琊(ろうや)へ。

 第五陳闌(ちんらん)の一軍は碣石(かっせき)へ。

 第六軍たる韓暹(かんせん)は、下郿(かひ)へ。

 第七軍の楊奉(ようほう)峻山(しゅんざん)へ。

 ――この陣容を見ては、事実呂布がふるえあがったのも、あながち無理ではない。

 呂布は、陳大夫が、やがて「内応の計」の効果をあげてくるのを心待ちにしていたが、陳父子はあれきり城へ顔も出さない。


「如何したのか!」

と、侍臣をやって、彼の私邸をうかがわせてみると、陳大夫は長閑(のどか)な病室で、ぽかんと、陽なたぼっこしながら、いかにも老いを養っているという暢気(のんき)さであるという。

 短気な呂布、しかも今は、陳大夫の方策ひとつにたのみきっていた彼。

 何で穏やかに済もう。すぐ召捕ッてこいという呶鳴った。

 捕吏が馳け向った後でも、呂布はひとり忿憤(ふんぷん)とつぶやきながら待ちかまえていた。

 ――ちょうど黄昏(たそがれ)どき。

 陳大夫の邸では、門を閉じて、老父の陳大夫を中心に、息子の陳登も加わって、家族たちは夕餉(ゆうげ)の卓をかこんでいた。

「オヤ、何だろう」

 門のこわれる音、屋鳴り、召使いのわめき声。つづいてそこへどかどかと捕吏や武士など大勢、土足のままはいって来た。

 否応もない。陳大夫父子は、その場から拉致(らっち)されて行った。

 待ちかまえていた呂布は、父子が面前に引きすえられると、くわっと睨めつけ、


「この老ぼれ。よくもわれをうまうまとあざむいたな。きょうこそは断罪だ」

 と、直ちに、武士に命じて、その白髪首を打ち落せ――と(たけ)った。

 陳大夫は相かわらず、にやにや手応えのない笑い方をしていたが、それでも、少し身をうごかして両手をあげ、

「ご短気、ご短気」


 と、(あお)ぐようにいった。

 呂布はなおさら烈火の如くになって、殿閣の(うつばり)も震動するかとばかり吼えた。


「おのれ、まだわれを揶揄(やゆ)するか。その素っ首の落ちかけているのも知らずに」


「待たしゃれ。落ちかけているとは、わしが首か。あなたのお首か」


「今、眼に見せてやる」


 呂布が、自身の剣へ手をかけると、陳大夫は、天を仰ぐように、


「ああ、ご運の末か。一代の名将も、こう眼が曇っては救われぬ。みすみすご自身の剣で、ご自身の首を刎ねようとなさるわ」


「何を、ばかな!」

 と、いったが、呂布も多少気味が悪くなった。

 その顔いろの隙へ、陳大夫の舌鋒はするどく切りこむように云った。

「この老ぼれの首を落したら、誰か、徐州の危急を救いましょうか。――ですからその剣をお抜きになれば、ご自身の命を自ら断つも同じではございませんか」
「汝の詭弁(きべん)は聞き飽いた。一時のがれの上手をいって、邸に帰れば、暢気(のんき)に寝ておるというではないか。――策を用いぬのは、われではなく汝という古狸だ」
「ゆえに、ご短気じゃというのでござる。陳大夫は早ひそかに、策に着手しています。即ち近日のうちに、敵の第六軍の将韓暹(かんせん)と、某所で密会する手筈にまでなっておるので」

「えっ。ほんとか」


「何で虚言を吐きましょう」


「しからば何で、私邸の門を閉じて、この戦乱のなかを、安閑と過しているのか」
「真の策士はいたずらに動かず――という言葉をご存じありませんか」
「知らぬわ。巧言をもって、われを(あざむ)き、他国へ逃げんとする支度であろう」
「大将軍たる者が、小人のような邪推をまわしてはいけません。それがしの妻子眷族(けんぞく)は、みな将軍の()の内にあります。それらの者を捨てて、この老人が身一つ長らえて何国(いずこ)へ逃げ行きましょうや」

「では、直ちに、韓暹(かんせん)に行き会い、初めに其方が申した通り、わが為に、最善の(はかり)ごとを施す気か、どうだ?」


「それがしはもとよりその気でいるのですが、肝腎(かんじん)なあなたはどうなんです」
「ウーム。……おれの考えか。おれもそれを(ねが)っているが、ただ悠長にだらだらと日を過しているのは嫌いだ。やるなら早くいたせ」
「それよりも、内心この陳大夫をお疑いなのでしょう。よろしい。しからばこうしましょう。せがれ陳登は質子(ちし)として、ご城中に止めておき、てまえ一人で行ってきます」

「しかし、敵地へ行くのには、部下がなければなるまい」


「つれてゆく部下には、ちと望みがございます」


「何十名いるか。また、部将には誰をつれて行きたいか」


「部将などいりません。供もただ一匹で結構です」


「一匹とは」


「お城の牧場から一頭の牝羊(めひつじ)をお下げ渡してください。韓暹(かんせん)の陣地は、下郿(かひ)の山中と聞く。――道々、木の実を糧とし、羊の乳をのんで病躯を力づけ、山中の陣を訪れて、きっと韓暹を説きつけてみせます。ですから、あなたのほうでも、おぬかりなく、劉備玄徳へ使いを立て、万端、お手配をしておかれますように」
 陳大夫はその日、一頭の羊をひいて、城の南門から、飄然(ひょうぜん)と出て行った。


 下郿(かひ)は徐州から東方の山地で、寄手(よせて)第六軍の大将韓暹(かんせん)は、ここから徐州へ通じる道を抑え、司令部を山中の嘯松寺(しょうしょうじ)において、総攻撃の日を待っている。

 もちろん、街道の交通は止まっている。野にも集落にも兵が満ちていた。

 ――けれど陳大夫(ちんたいふ)は平然と通って行った。

 白い羊を引いて。

 そして、疎髯(そぜん)を風になびかせながら行く。

「なんだろ、あの(おやじ)は」と、指さしても、(とが)める兵はなかった。

 咎めるには、あまりに平和なすがたである。戦場のなかを歩いていながら少しも危険を意識していない。そういうものにはつい警戒の眼を怠る。


「もうほど近いな」


 陳大夫は、山にかかると、時折、岩に腰かけた。この山には、清水がない。羊の乳を(うつわ)にしぼって、わずかに(かつ)()えをしのいだ。

 時は、真夏である。

 満山、(せみ)の声だった。岩間岩間に松が多い。やがて、嘯松寺の塔が仰がれた。

「おやじ。どこへ行く」

 中軍の門ではさすがに咎められた。陳大夫は、羊を指さしていった。

「韓将軍へ、献上に来たのです」


「村の者か、おまえは」


「いいや、徐州の者だよ」


「なに、徐州から来たと」


陳珪(ちんけい)という老爺が、羊をたずさえて訪ねてきたと、将軍に取次いでもらいたい」


 陳珪と聞いて、門衛の部将は驚いた。呂布(りょふ)の城下に住み、徐州の客将だ。しかも先頃、曹操(そうそう)の推薦で朝廷から老後の扶養として禄二千石をうけたという。なにしろ名のある老人だ。

 より驚いたのは、取次からそれを聞いた大将の韓暹(かんせん)である。

「何はともあれ会ってみよう」
 と、堂に迎え、慇懃(いんぎん)にもてなした。
「これは、ほんの手土産で」

 と、陳大夫は、韓暹の家来に羊を渡し、世間ばなしなどし始めた。何の用事で来たかわからない。

 そのうち日が暮れると、

「今夜は月がよいらしい。室内はむし暑いから、ひとつあの松の木の下で、貴公と二人きりで、心のまま話したいものだが」

 と、陳大夫は望んだ。

 松下に(むしろ)をのべて、その夜韓暹と彼は、人を避けて語った。聴くものは、梢の月だけだった。

「老人は呂布の客将。いったい何の用で、敵のそれがしを、突然訪ねてこられたか」

 韓暹が、そう口を切ると、老人は初めて態度を正した。


「何をいわるるか。わしは呂布の臣ではない。朝廷の臣下である。徐州の地に住んでいるからよく人はそういうが、徐州も王土ではないか」
 それから老人は急に雄弁になりだした。諸州の英雄をあげ、時局を談じ、また風雲の帰するところを指して、
「尊公の如きは、実に惜しいものである」
 と、嘆いた。
「ご老体。何故、そのように此方のためにお嘆きあるか。願わくは教え給え」
「されば、それを告げんがために、わざわざ参ったことゆえ、申さずにはおられん。――思い給え、尊公はかつて、天子が長安から還幸の途次、御輦を護って、忠勤を励んだ清徳な国士ではなかったか。しかるに今日、偽帝袁術(えんじゅつ)をたすけ、不忠不義の名を求めんとしておる。――しかも偽帝の運命のごときは、尊公一代のうちにも滅亡崩壊するにきまっている。一年か二年の衣食のため、君は生涯の運命を売り、万世までの悪名を辞さない気でおられるのか。もしそうだとしたら、君のために嘆く者は、ひとりこの老人のみではあるまい」

 陳大夫は次に、呂布の書簡を取出して、


「以上、申しあげた儀は、それがしの一存のみでなく、呂布の意中でもあること。仔細はこの書面に――」

 と、披見(ひけん)を促した。

 韓暹(かんせん)は始終、沈湎(ちんめん)と聞いていたが、呂布の書簡をひらいて遂に肚を決めたらしく、

「いや、実を申せば、自分も常々、袁術の増長ぶりには、あいそも尽き、漢室に帰参したいものと考えていたものの、何せん、よい手蔓(てづる)もなかったので――」

 と、本心を吐いた。

 ここまでくれば、もう掌上の小鳥。陳大夫は心にほくそ笑みながら、

「第七軍の楊奉(ようほう)と尊公とは、常から深いお交わりであろうが。――楊将軍を誘って、共に合図をおとり召されては如何」

「合図をとれとは?」


 韓暹は、小声のうちにも、息をはずませた。ここ生涯の浮沈とばかり、心中波立っている容子が明らかであった。

 陳大夫も、声をひそめて、

「されば、徐州に迫る日を期して、ご(へん)と楊奉とで(しめ)しあわせ、後ろより火の手をあげて裏切りし給え。同時に、呂布も精鋭をひきいて、一揉みに駆けちらせば、袁術の首を見るは半日の間も待つまい」
「よし。誓って――」

 と、韓暹は月を見た。夜は更けて松のしずくが梢に白い。陣中、誰のすさびか(しょう)を吹き鳴らしている者がある。兵も、暑いので眠られないとみえる。

 短い夏の夜は明ける。

 いつのまに帰ったか、陳大夫のすがたは朝になるともう見えなかった。陽が高くなると、きょうも酷熱である。その中を、袁術の本営から伝騎の令は八方へ飛んだ。

 七路の七軍は一斉にうごきだした。雲は低く、おどろおどろ遠雷が鳴りはためいている。

 徐州城は近づいた。

 一天晦瞑(てんかいめい)、墨をながしたような空に、青白い電光がひらめく度に、城壁の一角がぱっと明滅して見える。

 ぽつ! ぽつ! と大つぶの雨と共に、雷鳴もいよいよ烈しい。戦は開始された。

 七路に迫る寄手は喊声(かんせい)をあげてきた。呂布ももちろん、防ぎに出ていた。――驟雨(しゅうう)沛然(はいぜん)として天地を洗った。

 夜になったが、戦況はわからない。そのうちにどうしたのか、寄手の陣形は乱脈に陥り、流言、同士討ち、退却、督戦、また混乱、まったく収まりがつかなくなってしまった。

「裏切りが起った」

 夜が明けて、初めて知れた。第一軍張勲(ちょうくん)のうしろから、第七軍の楊奉(ようほう)、第六軍の韓暹が、火の手をあげて、味方へ討ってかかってきたのである。

 ――と知った呂布は、

「今だっ」

 と、勢いを得て、敵の中央に備え立てている紀霊(きれい)雷薄(らいはく)陳紀(ちんき)などの諸陣を突破して、またたくまに本営に迫った。

 楊奉、韓暹の手勢は、その左右から扶けた。袁術の大軍二十万も(こがらし)に吹き()らさるる木の葉にもひとしかった。

 呂布は、無人の境を行くごとく、袁術いずこにありやと、馳けまわっていたが、突然、山上から声があった。

「匹夫呂布、自ら死地をさがしに来たるかっ」


「――あっ?」
 と、驚いて見あげると、日月の旗、龍鳳(りゅうほう)(はん)黄羅(こうら)の傘を揺々(ようよう)と張らせ、左右には、金瓜(きんか)銀斧(ぎんふ)の近衛兵をしたがえた自称帝王の袁術(えんじゅつ)が、黄金のよろいに身をかためて、傲然(ごうぜん)と見おろしていた。
 雲間の龍を見て()える虎のように、呂布は、袁術のいる所を仰いでいった。
「おうっ、われ今そこへ行かん。対面して、返辞をしよう。うごくな袁術っ」

 馬をすすめて、中軍の前備えを一気に蹴やぶり、峰ふところへ躍り入ると、

「呂布だぞ」

「近づけるな」

 と、袁術の将星、梁紀(りょうき)楽就(がくしゅう)の二騎が、土砂まじりの山肌をすべるが如く馳け下ってきて、呂布を左右から挟んで打ってかかる。

「邪魔するな」


 呂布は、馬首を高く立て楽就の馬を横へ泳がせ、画桿(がかん)方天戟(ほうてんげき)をふりかぶったかと思うと、人馬もろとも、楽就は一抹の血けむりとなって後ろに倒れた。

 それを見た梁紀は背を見せ逃げようとした。

 逃ぐるを追って、梁紀の背へ迫ってゆくと、同時に、四(たく)の岩石が一度になだれ落ちてくるかのように、袁術の旗下(はたもと)や部下のおびただしい人馬が駆け寄せ、「呂布を討て」と、喚き合った。

「虎は(わな)にかかったぞ」


 袁術も、山を降りて、味方のうしろから督戦に努め、


「呂布の首も、今こそ、わが手の物」

 と、小気味よげに、指揮をつづけていた。

 ところへ、昨夜、内部から裏切って、前線の味方を攪乱(かくらん)した韓暹(かんせん)楊奉(ようほう)の二部隊が、突然、間道を縫って、谷あいの一方にあらわれ、袁術の中軍を側面から衝いた。そのため、

 ――もう一息!

 と、いうところで、呂布を討ちもらしたばかりか、形勢は逆転して、呂布と裏切者のために、袁術は追いまくられ、峰越えに高原の道二里あまりを、命からがら逃げのびてきた。

 すると、またも。

 高原の彼方に、一()の雲かと見えたのが、近づくに従って、軍馬と化し、敵か味方かと怪しみ見ているいとまもなく、その中から馳けあらわれた一人の大将は漆艶(うるしつや)のように光る真っ黒な駿馬(しゅんめ)にうちまたがり、手に八十二斤の大青龍刀をひっさげ、袁術のまえに立ちふさがって、

「これは予州(よしゅう)の太守劉備玄徳(りゅうげんとく)が義弟の関羽(かんう)(あざな)雲長(うんちょう)なり、家兄劉備の仰せをうけて、呂布を扶けに馳けつけて参った。――それへ渡らせられるは、近ごろ自ら皇帝と僭称(せんしょう)して、天をおそれぬ増長慢の賊、袁術とはおぼえたり。いで、関羽が誅罰(ちゅうばつ)をうけよ」

 と、名乗りかけた。

 袁術は、仰天して、逃げ争う大将旗下のなかに包まれたまま、馬に鞭打った。

 関羽は、追いかけながら、さえぎる者をばたばた斬り伏せ、袁術の背へ迫るや、(ひじ)を伸ばして、青龍刀の一振り、

「その首、貰ッた」

 と、横なぐりに、払ったが、わずかに、馬のたてがみへ、袁術が首をちぢめたため、刃はその兜にしか触れなかった。

 しかし、自称皇帝の増長の(かんむり)は、ために、彼の頭を離れ、いびつになったまま素ッ飛んだ。

 こうして袁術はさんざんな敗北を喫し、紀霊を殿軍にのこして、辛くも、生命をたもって淮南(わいなん)へ帰った。

 それに反して、呂布は、ぞんぶんに残敵の剿滅(そうめつ)を行い、意気揚々、徐州へひきあげて、盛大なる凱旋祝賀会を催した。

「こんどの戦で、かくわれをして幸いせしめたものは、第一に陳珪(ちんけい)父子(ふし)の功労である。第二には、韓暹、楊奉の内応の功である。――それからまた、予州の劉備が、以前の(よし)みをわすれず、かつての旧怨もすてて、わが急使に対し、速やかに、愛臣関羽に手勢をつけて、救援に馳けつけてくれたことである。そのほか、わが将士の力戦をふかく感謝する」

 と、呂布はその席で、こう演舌して、一斉に、勝鬨(かちどき)をあわせ、また、杯をあげた。

 関羽は次の日、手勢をひきいて予州へ帰って行った。


 呂布はすっかり陳大夫を信用して、何事も彼に(はか)るようになった。

「時に、韓暹と楊奉のうち、一名は自分の左右に留めておこうと思うが、老人の考えはどうか」

 と、今日もたずねた。

 陳珪は、答えた。


「将軍の左右には、すでに人材が整うています。一羽の馴れない鶏を入れたために、鶏舎の群鶏(ぐんけい)がみな躁狂(そうきょう)して傷つく例もありますから、よほど考えものです。むしろ二人を山東へやって、山東の地盤を強固ならしめたら、一、二年の間に大いに効果があがるでしょう」
()にも」

 で、韓暹を沂都(ぎと)へ、楊奉を瑯琊(ろうや)へ役付けて、赴任させてしまった。

 老人の子息陳登(ちんとう)は、そのよしを聞いて、不平に思ったのか、或る時、ひそかに父の料簡をただした。

「生意気をいうようですが、すこし父上のお考えと私の計画とはちがっていたようですね。私は、あの二人を留め置いて、いざという時、われわれの牙として、大事に協力させようと思っていたのに」

 皆まで聞かず、陳大夫は、若い息子のことばを打消して、そっとささやいた。


「その手は巧くゆかんよ。なぜなら、いくら手なずけても、元来彼らは卑しい心性しかない。わしら父子に(くみ)すよりは、日のたつほど呂布に(へつら)い、呂布の走狗(そうく)となってゆくに違いない。さすれば却って、虎に翼を添えてやるようなものだ。呂布を殺す時の邪魔者になる……」
 それから陳大夫は門を閉じて、病室に籠った。呂布から呼び迎えに来ても、よほどのことでないと、めったに出てもゆかないようになった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色