第56話、陳珪、再び暗躍す
文字数 11,565文字
兵を退いて都の許昌に帰ってくると、曹操のところへ、徐州の
使者は、
陳登は、使いの口上をのべた。
曹操はよろこんで、
と、すぐ刑吏に命じて、韓胤の首を斬れといった。
刑吏は、
その晩、曹操は、
と、使いの陳登を私邸に招待して、宴をひらいた。
酒宴のうちに、曹操は、
陳登は、曹操にささやいた。
果たして、曹操の腹にも二重の考えが、ひそんでいたのである。陳登が、口を切ったので、彼もまた、本心をもらした。
と曹操と陳登は、
曹操は、その後、朝廷に奏し、陳登を
その頃。
袁術は、呂布の仕方に対して、すさまじく怒った。
即座に、二十余万の大軍は動員され、七隊に分れて、徐州へ迫った。
呂布の前衛は、木の葉の如く蹴ちらされ、怒濤の如く一隊は
呂布は事態の悪化に、あわて出して、にわかに重臣を呼びあつめた。
「然り! 然り!」と、誰か手を打って、陳宮の説を支持する者があった。
陳宮は、なお激語をつづけて、
呂布は、たちどころにその気になった。すぐ使いをやって陳珪父子を城中に呼びつけ、罪を責めて、首を斬ろうとした。
すると、陳大夫は、からからと高笑いして、
と、なおも笑いこけた。
呂布は、くわっと、眼をいからせて、
陳大夫は澄ましたものである。
呂布はせきこんで、
陳大夫のさわやかな弁に呂布は酔えるが如く聞き入っていたが、
と、負け惜しみをいって、陳父子の罪は、そのまま不問に附してしまった。
そのかわり陳珪、陳登のふたりは謀略を施して、敵の中から内応を起させる手段をとるべし――と任務の責めを負わされて、一時、帰宅をゆるされた。
一方、袁術のほうでは。
婚約を破棄した呂布に対し、報復の大兵を送るに当って、三軍を
彼はすっかり帝王になりすましてから群臣に告げ、号を
袁術は聞いているうちにもう甚だしく顔いろを損じて、皆までいわせず、
閻象はふるえ上がって、後のことばも出なくなった。
袁術は、臣下の中から、二度とこんなことをいわせないために、
と、布令させた。
そこで彼は、すでに告発した大軍の後から、さらに、督軍親衛軍の二軍団を催して、自身、徐州攻略におもむいた。
その出陣にあたって、
「兵糧の奉行にあたれ」と、任命したところ、何のゆえか、金尚がその命令にグズグズいったというかどで、彼は、たちまち親衛兵を向け、金尚を
「これ見よ」とばかり首を刎ねて、血祭りとした。
督軍、親衛の二軍団がうしろにひかえると、前線二十万の兵も、
「いよいよ、合戦は本腰」と、気をひきしめた。
七手にわかれた七将は、徐州へ向って、七つの路から攻め進み、行く行く郡県の民家を焼き、田畑をあらし、財を
第一将軍
第二将軍
第三
第四
第五
第六軍たる
第七軍の
――この陣容を見ては、事実呂布がふるえあがったのも、あながち無理ではない。
呂布は、陳大夫が、やがて「内応の計」の効果をあげてくるのを心待ちにしていたが、陳父子はあれきり城へ顔も出さない。
と、侍臣をやって、彼の私邸をうかがわせてみると、陳大夫は
短気な呂布、しかも今は、陳大夫の方策ひとつにたのみきっていた彼。
何で穏やかに済もう。すぐ召捕ッてこいという呶鳴った。
捕吏が馳け向った後でも、呂布はひとり
――ちょうど
陳大夫の邸では、門を閉じて、老父の陳大夫を中心に、息子の陳登も加わって、家族たちは
「オヤ、何だろう」
門のこわれる音、屋鳴り、召使いのわめき声。つづいてそこへどかどかと捕吏や武士など大勢、土足のままはいって来た。
否応もない。陳大夫父子は、その場から
待ちかまえていた呂布は、父子が面前に引きすえられると、くわっと睨めつけ、
と、直ちに、武士に命じて、その白髪首を打ち落せ――と
陳大夫は相かわらず、にやにや手応えのない笑い方をしていたが、それでも、少し身をうごかして両手をあげ、
と、
呂布はなおさら烈火の如くになって、殿閣の
呂布が、自身の剣へ手をかけると、陳大夫は、天を仰ぐように、
と、いったが、呂布も多少気味が悪くなった。
その顔いろの隙へ、陳大夫の舌鋒はするどく切りこむように云った。
もちろん、街道の交通は止まっている。野にも集落にも兵が満ちていた。
――けれど
白い羊を引いて。
そして、
「なんだろ、あの
咎めるには、あまりに平和なすがたである。戦場のなかを歩いていながら少しも危険を意識していない。そういうものにはつい警戒の眼を怠る。
陳大夫は、山にかかると、時折、岩に腰かけた。この山には、清水がない。羊の乳を
時は、真夏である。
満山、
「おやじ。どこへ行く」
中軍の門ではさすがに咎められた。陳大夫は、羊を指さしていった。
「村の者か、おまえは」
「なに、徐州から来たと」
陳珪と聞いて、門衛の部将は驚いた。
より驚いたのは、取次からそれを聞いた大将の
と、陳大夫は、韓暹の家来に羊を渡し、世間ばなしなどし始めた。何の用事で来たかわからない。
そのうち日が暮れると、
と、陳大夫は望んだ。
松下に
韓暹が、そう口を切ると、老人は初めて態度を正した。
陳大夫は次に、呂布の書簡を取出して、
と、
と、本心を吐いた。
ここまでくれば、もう掌上の小鳥。陳大夫は心にほくそ笑みながら、
韓暹は、小声のうちにも、息をはずませた。ここ生涯の浮沈とばかり、心中波立っている容子が明らかであった。
陳大夫も、声をひそめて、
と、韓暹は月を見た。夜は更けて松のしずくが梢に白い。陣中、誰のすさびか
短い夏の夜は明ける。
いつのまに帰ったか、陳大夫のすがたは朝になるともう見えなかった。陽が高くなると、きょうも酷熱である。その中を、袁術の本営から伝騎の令は八方へ飛んだ。
七路の七軍は一斉にうごきだした。雲は低く、おどろおどろ遠雷が鳴りはためいている。
徐州城は近づいた。
一
ぽつ! ぽつ! と大つぶの雨と共に、雷鳴もいよいよ烈しい。戦は開始された。
七路に迫る寄手は
夜になったが、戦況はわからない。そのうちにどうしたのか、寄手の陣形は乱脈に陥り、流言、同士討ち、退却、督戦、また混乱、まったく収まりがつかなくなってしまった。
「裏切りが起った」
夜が明けて、初めて知れた。第一軍
――と知った呂布は、
と、勢いを得て、敵の中央に備え立てている
楊奉、韓暹の手勢は、その左右から扶けた。袁術の大軍二十万も
呂布は、無人の境を行くごとく、袁術いずこにありやと、馳けまわっていたが、突然、山上から声があった。
「匹夫呂布、自ら死地をさがしに来たるかっ」
馬をすすめて、中軍の前備えを一気に蹴やぶり、峰ふところへ躍り入ると、
「呂布だぞ」
「近づけるな」
と、袁術の将星、
それを見た梁紀は背を見せ逃げようとした。
逃ぐるを追って、梁紀の背へ迫ってゆくと、同時に、四
袁術も、山を降りて、味方のうしろから督戦に努め、
と、小気味よげに、指揮をつづけていた。
ところへ、昨夜、内部から裏切って、前線の味方を
――もう一息!
と、いうところで、呂布を討ちもらしたばかりか、形勢は逆転して、呂布と裏切者のために、袁術は追いまくられ、峰越えに高原の道二里あまりを、命からがら逃げのびてきた。
すると、またも。
高原の彼方に、一
と、名乗りかけた。
袁術は、仰天して、逃げ争う大将旗下のなかに包まれたまま、馬に鞭打った。
関羽は、追いかけながら、さえぎる者をばたばた斬り伏せ、袁術の背へ迫るや、
と、横なぐりに、払ったが、わずかに、馬のたてがみへ、袁術が首をちぢめたため、刃はその兜にしか触れなかった。
しかし、自称皇帝の増長の
こうして袁術はさんざんな敗北を喫し、紀霊を殿軍にのこして、辛くも、生命をたもって
それに反して、呂布は、ぞんぶんに残敵の
と、呂布はその席で、こう演舌して、一斉に、
関羽は次の日、手勢をひきいて予州へ帰って行った。
呂布はすっかり陳大夫を信用して、何事も彼に
と、今日もたずねた。
陳珪は、答えた。
で、韓暹を
老人の子息
皆まで聞かず、陳大夫は、若い息子のことばを打消して、そっとささやいた。
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