第108話、太史慈死す
文字数 4,383文字
ほどなく劉備は、荊州へ引揚げた。
中漢九郡のうち、すでに四郡は彼の手に収められた。ここに劉備の地盤はまだ狭小ながら初めて一礎石を据えたものといっていい。
彼について行かずに、身を転じて、劉備の勢力に附属して来る者も多かった。
劉備は、北岸の要地、油江口を公安と改めて、一城を築き、ここに軍需品や金銀を貯えて、北面魏をうかがい、南面呉にそなえた。劉備を慕って、たちまち、
一方。
呉の主力は、呉侯孫権の直属として、赤壁の大勝後は、その余勢をもって、
ここの守りには魏の
赤壁に
それもそのはず張遼の副将にはなお李典、楽進という魏でも有名な猛将が城兵を督していたのである。寄手は連攻連襲をこころみたが、不落の合淝に当り疲れて城外五十里を遠巻きにし、
「そのうちに食糧がなくなるだろう」と空だのみに
ところへ、
孫権が、馬を下りて、陣門に出迎えたので、
「粛公は大へんな敬いをうけたものだ」と、諸兵みな驚いた。
営中に入ると、孫権は、魯粛に向って、意識的にいった。
魯粛は、首を振った。
孫権は、眼をみはって、
二人は手を打って、快笑した。
けれど魯粛はその後で、せっかく上機嫌な呉侯に、ちといやな報告もしなければならなかった。
それは、
話しているところへ、今、合淝の城中から一書が来ましたと、一人の大将が、うやうやしく、呉侯の前に書簡をおいて行った。ひらいてみると、張遼からの決戦状であった。
呉の大軍は
文辞は無礼を極め、甚だしく呉侯を
と、翌早朝に陣門をひらいて、
城からも、張遼をまん中に、李典、楽進など主なる武者は、総出となって押しよせて来た。
と、一
呉の太史慈といえばその名はかくれないものだった。呉祖孫堅以来仕えてきた譜代の大将であり、しかも武勇はまだ少しも老いを見せていない。
魏の張遼とはけだし好敵手といってよかろう。双方、長槍を交えて烈戦八十余合に及んだが、勝負は容易につかなかった。
この間隙に、楽進、李典のふたりは、大音をあげて、
と下知して、自分たちもまっしぐらに
孫権の身は、今や危うかった。電光一撃、李典の槍が迫った時である。
と、敢然横合いからぶつかって行った者がある。これなん呉の
それと見て、楽進が、
と、間近から、鉄弓を射た。矢は宋謙の胸板を射抜く。どうっと、宋謙が落ちる。とたんに、砂煙を後に、孫権は逃げ走っていた。
孫権は逃げる途中、なお幾度か危機にさらされたが、
しかし、この日の敗戦が彼の心に大きな痛手を与えたことは争えない。帰陣の後、涙をながして、
と、
長史
と、諫めた。
孫権も、理に服して、
孫権は、たちまち心をうごかして、
と、たずねた。
太史慈は答えて、
太史慈は自信にみちていった。
孫権がこれを以て、昨日の敗辱をそそぐには好機おくべからざるものと乗り気になったことはいうまでもない。
馬飼というのは、いわゆる馬廻り役の小者である。張遼の馬飼と、太史慈の部下戈定とは、その晩、城中の人なき暗がりでささやき合っていた。
ふたりは人の跫音に、あわてて左右にわかれてしまった。
守将の
多少、不平の気を帯びた副将や部将たちは、暗に、彼の小心を
「敵はきのうの大敗で、すでに遠く陣地を
張遼は、答えた。
すると果たしてその夜の深更に至って、妙に城中がざわめき出したと思うと、
と、いう声が聞え出した。
張遼には、狼狽はなかった。すぐ寝所から出て城中を見廻った。もうもうと何か煙っている。諸所にぼうと赤い火光も見える。
楽進がそこへ駈けつけて来た。眼色を変えて、次にいった。
「いやいや、わしは最初から眼を
楽進が去ると間もなく、李典が二人の男を縛って連れてきた。城中攪乱を
二つの首は、無造作に斬って捨てられた。――とも知らず、かねてその二人としめし合わせのあった寄手の一軍と、その首将
とばかり、城門へ殺到した。
とっさに、この事あるをさとった張遼は、城兵を用いて、わざと、
「謀叛人があるぞ」
「裏切者だぞ」と、諸方で連呼させながら、西の一門を、故意に内から開かせた。
太史慈は、急ぎに引返したが、矢で射立てられ、重傷を負った。
李典、楽進の
しかも、重傷を負った太史慈は、間もなく亡くなった。死に臨んで太史慈は、
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