第19話、霊帝崩御

文字数 5,391文字

 時は、中平(ちゅうへい)六年の夏だった。

 洛陽宮(らくようきゅう)のうちに、霊帝(れいてい)は重い(やまい)にかかられた。

 帝は病の(あつ)きを知られたか、


何進(かしん)をよべ」


 と、病褥(びょうじょく)から仰せ出された。

 大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を屠殺(とさつ)して業としている者であったが、彼の妹が、洛陽にも稀な美人であったので、貴人の娘となって宮廷に入り、帝の(たね)をやどして弁皇子(べんおうじ)を生んだ。そして皇后となってからは何后(かこう)といわれている。

 そのため兄の何進も、一躍要職につき、権を握る身となったのである。

 何進は、病帝をなぐさめて、


「ご安心なさいまし。たとえ如何なることがあっても、何進がおります。また、皇子がいらっしゃいます」

 しかし、帝の気色は、(なぐさ)まないようであった。

 帝には、なお、複雑な憂悶(ゆうもん)があったのである。何后のほかに、王美人という寵姫があって、その腹にも皇子の(きょう)が生れた。

 何后は、それを知って、大いに嫉妬し、ひそかに鴆毒(ちんどく)を盛って、王美人を殺してしまった。そして、()さぬ仲の皇子協を、霊帝の母親にあたる(とう)太后の手へあずけてしまったのである。

 ところが、董太后は、預けられた協皇子が可愛くてたまらなかった。帝もまた、何后の生んだ(べん)よりも、協に不愍(ふびん)を感じて偏愛されていた。

 で、十常侍(じょうじ)蹇碩(けんせき)などが、時々そっと帝の病褥へ来てささやいた。

「もし、協皇子を、皇太子に立てたいという思し召ならば、まず何后の兄何進から先に誅罰(ちゅうばつ)なさらなければなりません。何進を殺すことが、後患(こうかん)をたつ所以(ゆえん)です」


「……ウム」

 帝は蒼白い顔でうなずかれた。

 自己の病は篤い。いつとも知れない命数。

 帝は決意すると急がれた。

 にわかに、何進の邸へ向って、


「急ぎ、参内せよ」

 と、勅令があった。

 何進は、変に思った。

「はてな。きのう参内したばかりなのに?」


 急に帝の病状でも変ったのかと考えて、家臣に探らせてみるとそうでもない。のみならず、十常侍の蹇碩(けんせき)らが、なにか(はか)っている経緯(いきさつ)がうすうす分ったので、


小癪(こしゃく)な輩。そんな()に乗る何進ではない」


 と、参内しないかわりに、廟堂の諸大臣を私館へ招いて、


「こういう事実がある。実に怪しからぬ陰謀だ。天下みな、十常侍の輩を恨んで、機あらば、彼らの肉を(くら)わんとまで怨嗟(えんさ)している。おれもこの機会に、宦官(かんがん)どもをみな殺しにしようと思うが、諸公のご意見はどうだ」

 と、会議の席にはかった。

「…………」

 誰も皆、黙ってしまった。ただびっくりした眼ばかりであった。すると、座隅の一席からひとりの男が起立して、

「至極けっこうでしょう。しかし十常侍とその一味の勢力というものは、宮中においては、想像のほかと承ります。将軍、威あり実力ありといえども、うっかり手を焼くと、ご自身、滅族(めつぞく)(わざわ)いを求めることになりはしませんか」

 と忠言を吐いた。

 見るとそれは、典軍(てんぐん)の校尉曹操(そうそう)であった。何進の眼から見ればまことに微々たる一将校でしかない。何進は苦い顔して、

「だまれっ。貴様のような若輩の一武人に、朝廷の内事が分ってたまるものか、ひかえろ」


 と、一言に叱りつけた。

 ために、座中白け渡って見えた時、折も折、霊帝がたった今崩御(ほうぎょ)されたという報らせが入った。

 何進は、その報らせを手にすると、会議の席へ戻ってきて、諸大臣以下一同に向い、


「ただ今、重大なる報らせがあったが、まだ公の発表ではないから、そのつもりで聞いて欲しい」
 と、前提し、厳粛なる口調で、次のように述べた。

「天子、ご不例(ふれい)久しきにわたっておったが、今日ついに、嘉徳殿(かとくでん)において、崩御あそばされた」


 何進がそういい終っても、ややしばらくの間、会議の席は(せき)として、声を発する者もなかった。

 諸大臣の面上には、はっとしたような色が流れた。予期していたことながら、

 ――どうなることか?

 と、この先の政治的な変動やら一身の去就(きょしゅう)に、暗澹(あんたん)たる動揺がかくしきれなかった。

 しかも場合が場合である。

 何進が、十常侍をみな殺しにせんと息まいてこの席に計り、十常侍らは、何進を(はか)って、亡き者にしようと、暗躍しているという折も折であった。

 そも、何の(きざ)しか。

 人々が一瞬自失したかのように、暗澹たる危惧(きぐ)の底に沈んで、

 ――ああ、漢朝四百年の天下も今日から崩れ始める(きざ)しか。

 と、いうような予感に襲われたのも、決してむりではない。

 しばし、黙祷のうちに、人々は亡き霊帝をめぐる近年の宮廷の浅ましい限りの女人と権謀の争いやら、数々の悪政の頽廃を胸によびかえして、今さらのように、深い嘆息をもらし合った。


 霊帝は不幸なお方だった。

 何も知らなかった。十常侍たちの見せる「偽飾(ぎしょく)」ばかりを信じられて、世の中の「真実」というものは、何ひとつご存じなく死んでしまわれた。

 十常侍の一派にとっては、霊帝は即ち「盲帝(もうてい)」であった。傀儡(かいらい)にすぎなかった。玉座は彼らが暴政をふるい魔術をつかう恰好な壇上であり(とばり)であった。

 その悪政を数えたてればきりもないが、まず近年のことでは、黄巾の乱後、恩賞を与えた将軍や勲功者へ、裏からひそかに人をやって、

「公らの軍功を奏上して、公らはそれぞれ莫大な封禄の恩典にあずかりたるに、それを奏した十常侍に、なんの沙汰もせぬのは、非礼ではないか」

 などと賄賂(わいろ)のなぞをかけたりした。

 恐れて、すぐ(まいない)を送った者もあるが、皇甫嵩(こうほすう)と、朱雋(しゅしゅん)の二将軍などは、

「何をばかな」

 と、一蹴したので、十常侍たちはこもごもに、天子に(ざん)したので、帝はたちまち、朱雋、皇甫嵩のふたりの官職を剥いで、それに代るに、趙忠(ちょうちゅう)を車騎将軍に任命した。

 また、張譲(ちょうじょう)その他の内官十三人を列侯に封じ、司空張温(しくうちょううん)を大尉に昇せたりしたので、そういう機運に乗った者は、十常侍に媚びおもねって、さらに彼らの勢力を増長させた。

 たまたま、忠諫(ちゅうかん)をすすめ、真実をいう良臣は、みな獄に下されて、斬られたり毒殺されたりした。

 従って宮廷の(みだ)れは、あざむかず、民間に反映して、地方にふたたび黄巾賊の残党やら、新しい謀叛人(むほんにん)蜂起(ほうき)して、洛陽城下に天下の危機が聞えてきた。

 この動乱と風雲の再発に、人の運命も波浪にもてあそばれる如く転変をきわめたが、たまたま、幸いしたのは、劉備玄徳(りゅうびげんとく)であった。


 黄匪(こうひ)の乱がやんでからまた間もなく、近年各地に蜂起した賊では、漁陽(ぎょよう)(河北省)を騒がした張挙(ちょうきょ)張純(ちょうじゅん)の謀叛。長沙(ちょうさ)江夏(こうか)(湖北省・麻城県附近)あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだった。

「天下は泰平です。みな帝威に伏して、何事もありません」

 十常侍の輩は、口をあわせて、いつもそんなふうにしか、奏上していなかった。

 だが。

 長沙の乱へは、孫堅を向わせて、平定に努めていた。

 また劉焉(りゅうえん)を益州の(ぼく)に封じ、劉虞(りゅうぐ)を幽州に封じて、四川(しせん)や漁陽方面の賊を討伐させていた。

 そんな折、劉備達は、劉恢(りゅうかい)の推薦状を持って、劉虞(りゅうぐ)の元へ訪れた。

 劉虞(りゅうぐ)は喜び、

「よし。君らの一身はひきうけた」と、自分の軍隊に編入して、戦場へつれて行った。


 その後、四川、漁陽の乱も、一時の平定を見たので、劉虞は朝廷へ表をたてまつって、劉備の勲功あることを大いにたたえた。

 同時に、公孫瓚(こうそんさん)も、

「劉備なる者は、前々黄賊の大乱の折にも抜群の功労があったものです」と、上聞(じょうぶん)に達したので、朝廷でも捨ておかれず、(みことのり)を下して、彼を平原県(へいげんけん)(山東省・平原)の令に封じた。

 で、劉備は、即時、郎党を率いて任地の平原へさし下った。行ってみると、ここは地味豊饒(ほうじょう)銭粮(せんろう)の蓄えも官倉に満ちているので、

(天、我に兵馬を養わしむ)と、みな非常に元気づいた。そこで劉備以下、張飛や関羽たちも、ようやくここに(むく)いられて、前進一歩の地をしめ、大いに武を練り兵を講じ、駿馬に燕麦(えんばく)を飼って、平原の一角から時雲の去来をにらんでいた。

 ――果たせるかな。

 一雲去れば一風生じ、征野に賊を(はら)い去れば、宮中の瑠璃殿裡(るりでんり)冠帯(かんたい)魔魅(まみ)金釵(きんさい)の百鬼は跳梁して、内外いよいよ多事の折から、一夜の黒風に霊帝は崩ぜられてしまった。

 紛乱(ふんらん)はいよいよ紛乱を見るであろう。漢室四百年の末期相(まっきそう)はようやくここに瓦崩(がほう)のひびきをたてたのである。――いかになりゆく世の末やらん、と霊帝崩御の由を知るとともに、人々みな色を失って、呆然、足もとの大地が九仞(きゅうじん)の底へめりこむような顔をしたのも、あながち、平常の心がけなき者とばかり(わら)えもしないことであった。


 霊帝崩御の知らせを受け、会議の席は、静まりかえり、咳声(しわぶき)をする者すらなかったが、そこへまた、あわただしく、

「将軍。お耳を」


 と、室外にちらと影を見せた者があった。

 何進(かしん)に通じている禁門の武官潘隠(はんいん)であった。

「オ、潘隠か。なんだ」


 何進はすぐ会議の席をはずし、外廊で何かひそひそ潘隠のささやきを聞いていた。

 潘隠が告げていうには、


「十常侍の輩は例によって、帝の崩御と同時に、謀議をこらし、帝の死を隠しておいて、まずあなたを宮中に召し、後の禍いを除いてから()を発し、協皇子を立てて御位を継がしめようという魂胆(こんたん)に密議は一決を見たようであります。――きっと今に、宮中から帝の名をもって、将軍に参内せよと、使いがやってくるにちがいありません」


 何進は聞いて、


(けだもの)めら、よしっ、それならそれで俺にも考えがある」


 憤怒(ふんど)して、会議の壇に戻り、潘隠の密報を諸大臣や、並いる文武官に公然とぶちまけて発表した。

 ところへ案の定、宮中からお召しという使者が来邸して、


「天子、今ご気息も危うし。枕頭(ちんとう)に公を召して、漢室の後事を託せんと(のたま)わる。いそぎ参内あるべし」
 と、うやうやしくいった。
「狸め」

 何進は、潘隠へ向って、


「こいつを血祭にしろ」
 と命じるや否や、再び、会衆の前に立って、
「もう俺の堪忍はやぶれた。断乎(だんこ)として俺は欲することをやるぞ!」

 と呶鳴った。

 すると、先に忠言して何進に一喝された典軍の校尉曹操(そうそう)が、ふたたび沈黙を破って、

「将軍。今日ついに断を下して計をなさんとするならば、まず、天子の位を正してしかる後に賊を討つことをなし給え」

 と叫んだ。

 何進も、今度は前のように、だまれとはいわなかった。大きくうなずいて、

「誰か我がために、新帝を正して、宮闕(きゅうけつ)の謀賊どもを討ち尽さん者やある」


 (らん)たる眼をして、衆席を見まわすと、時に、彼の声に応じて、


司隷校尉(しれいこうい)袁紹(えんしょう)ありっ!」

 と名乗って起った者がある。

 人々の(こうべ)は、一斉にそのほうへ振向いた。見ればその人は、貌相(ぼうそう)魁偉(かいい)胸ひろく双肩(そうけん)威風をたたえ、武芸抜群の勇将と見られた。

 これなん、漢の司徒袁安(えんあん)が孫、袁逢(えんほう)が子、袁紹(えんしょう)であった。袁紹(あざな)本初(ほんしょ)といい、汝南(じょなん)汝陽(じょよう)(河南省・淮河(わいが)上流の北岸)の名門で門下に多数の吏事武将を輩出し、彼も現在は漢室の司隷校尉の職にあった。

 袁紹は、昂然とのべた。

「願わくば自分に精兵五千を授け給え。直ちに禁門に入って、新帝を擁立(ようりつ)し奉り、多年禁廷に巣くう内官どもをことごとく誅滅(ちゅうめつ)して見せましょう」

 何進はよろこんで、


「行けっ」

 と、号令した。

 この一声に洛陽の王府は一転戦雲の天と修羅の地になったのである。

 袁紹は、たちまち鉄甲に身を(よろ)い、御林(ぎょりん)の近衛兵五千をひっさげて、内裏(だいり)まで押通った。王城の八門、市中の衛門のこらず閉じて戒厳令を布き、入るも出ずるも味方以外は断乎として一人も通すなと命じた。

 その間に。

 何進もまた、車騎将軍たる武装をし何顒(かぎょう)荀攸(じゅんゆう)鄭泰(ていたい)などの一族や大臣三十余名を(ともな)い、陸続と宮門に入り、霊帝の(ひつぎ)のまえに、彼が支持する弁太子(べんたいし)を立たせて、即座に、新帝ご即位を宣言し、自分の発声で、百官に万歳を唱えさせた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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