第19話、霊帝崩御
文字数 5,391文字
時は、
帝は病の
と、
大将軍何進は、すぐ参内した。何進はもと牛や豚を
そのため兄の何進も、一躍要職につき、権を握る身となったのである。
何進は、病帝をなぐさめて、
しかし、帝の気色は、
帝には、なお、複雑な
何后は、それを知って、大いに嫉妬し、ひそかに
ところが、董太后は、預けられた協皇子が可愛くてたまらなかった。帝もまた、何后の生んだ
で、十
「もし、協皇子を、皇太子に立てたいという思し召ならば、まず何后の兄何進から先に
帝は蒼白い顔でうなずかれた。
自己の病は篤い。いつとも知れない命数。
帝は決意すると急がれた。
にわかに、何進の邸へ向って、
と、勅令があった。
何進は、変に思った。
急に帝の病状でも変ったのかと考えて、家臣に探らせてみるとそうでもない。のみならず、十常侍の
と、参内しないかわりに、廟堂の諸大臣を私館へ招いて、
と、会議の席にはかった。
「…………」
誰も皆、黙ってしまった。ただびっくりした眼ばかりであった。すると、座隅の一席からひとりの男が起立して、
と忠言を吐いた。
見るとそれは、
と、一言に叱りつけた。
ために、座中白け渡って見えた時、折も折、霊帝がたった今
何進は、その報らせを手にすると、会議の席へ戻ってきて、諸大臣以下一同に向い、
何進がそういい終っても、ややしばらくの間、会議の席は
諸大臣の面上には、はっとしたような色が流れた。予期していたことながら、
――どうなることか?
と、この先の政治的な変動やら一身の
しかも場合が場合である。
何進が、十常侍をみな殺しにせんと息まいてこの席に計り、十常侍らは、何進を
そも、何の
人々が一瞬自失したかのように、暗澹たる
――ああ、漢朝四百年の天下も今日から崩れ始める
と、いうような予感に襲われたのも、決してむりではない。
しばし、黙祷のうちに、人々は亡き霊帝をめぐる近年の宮廷の浅ましい限りの女人と権謀の争いやら、数々の悪政の頽廃を胸によびかえして、今さらのように、深い嘆息をもらし合った。
霊帝は不幸なお方だった。
何も知らなかった。十常侍たちの見せる「
十常侍の一派にとっては、霊帝は即ち「
その悪政を数えたてればきりもないが、まず近年のことでは、黄巾の乱後、恩賞を与えた将軍や勲功者へ、裏からひそかに人をやって、
「公らの軍功を奏上して、公らはそれぞれ莫大な封禄の恩典にあずかりたるに、それを奏した十常侍に、なんの沙汰もせぬのは、非礼ではないか」
などと
恐れて、すぐ
「何をばかな」
と、一蹴したので、十常侍たちはこもごもに、天子に
また、
たまたま、
従って宮廷の
この動乱と風雲の再発に、人の運命も波浪にもてあそばれる如く転変をきわめたが、たまたま、幸いしたのは、
「天下は泰平です。みな帝威に伏して、何事もありません」
十常侍の輩は、口をあわせて、いつもそんなふうにしか、奏上していなかった。
だが。
長沙の乱へは、孫堅を向わせて、平定に努めていた。
また
そんな折、劉備達は、
「よし。君らの一身はひきうけた」と、自分の軍隊に編入して、戦場へつれて行った。
その後、四川、漁陽の乱も、一時の平定を見たので、劉虞は朝廷へ表をたてまつって、劉備の勲功あることを大いにたたえた。
同時に、
「劉備なる者は、前々黄賊の大乱の折にも抜群の功労があったものです」と、
で、劉備は、即時、郎党を率いて任地の平原へさし下った。行ってみると、ここは地味
(天、我に兵馬を養わしむ)と、みな非常に元気づいた。そこで劉備以下、張飛や関羽たちも、ようやくここに
――果たせるかな。
一雲去れば一風生じ、征野に賊を
と、室外にちらと影を見せた者があった。
何進はすぐ会議の席をはずし、外廊で何かひそひそ潘隠のささやきを聞いていた。
潘隠が告げていうには、
「十常侍の輩は例によって、帝の崩御と同時に、謀議をこらし、帝の死を隠しておいて、まずあなたを宮中に召し、後の禍いを除いてから
何進は聞いて、
ところへ案の定、宮中からお召しという使者が来邸して、
何進は、潘隠へ向って、
と呶鳴った。
すると、先に忠言して何進に一喝された典軍の校尉
と叫んだ。
何進も、今度は前のように、だまれとはいわなかった。大きくうなずいて、
と名乗って起った者がある。
人々の
これなん、漢の司徒
袁紹は、昂然とのべた。
何進はよろこんで、
と、号令した。
この一声に洛陽の王府は一転戦雲の天と修羅の地になったのである。
袁紹は、たちまち鉄甲に身を
その間に。
何進もまた、車騎将軍たる武装をし
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