第66話、張飛の知略

文字数 10,968文字

 その頃、北海(山東省・寿光県)の太守孔融(こうゆう)は、将軍に任命されて、都に逗留(とうりゅう)していたが、河北の大軍が、黎陽(れいよう)まで進出してきたと聞いて、すぐさま相府に馳けつけ、曹操に謁して、こう直言した。
袁紹(えんしょう)とは決して軽々しく戦えません。多少は彼の条件を容れても、ここはじっとご自重あって対策を他日に期して和睦(わぼく)をお求めあることが万全であろうと考えられますが」
「貴公はそう思うか」

「勢いのあるものへ、あえて当って砕けるのは愚の骨頂です」


「旺勢は避けて、弱体を衝く。――当然な兵法だな。――だがまた、装備を誇る驕慢な大軍は、軽捷(けいしょう)寡兵(かへい)をもって奇襲するに絶好な好餌(こうじ)でもあるが?」
 曹操はそうつぶやいて、是とも非とも答えずにいたが、再び口を開いて、
「ともあれ、諸人の意見に問おう。きょうの軍議には、御身もぜひ列席してくれい」

 と、いった。

 その日の評議にのぞんで、曹操は満堂の諸将にむかい、

「和睦か、()た、決戦か」


 忌憚(きたん)なき意見をもとめた。

 荀彧(じゅんいく)が、まず云った。


袁紹(えんしょう)は、名門の族で、旧勢力の代表者です。時代の進運をよろこばず、旧時代の夢を固持している輩のみが、彼を支持して、時運の逆行に焦心(あせ)っているのであります。かくの如き無用な閥族の代表者は、よろしく一戦のもとに、打ち破るべきでありましょう」

 孔融(こうゆう)は、彼の言が終るのを待って、


「否!」
 と、起ち上がった。
「河北は、沃土ひろく、民性は勤勉です。見かけ以上、国の内容は強力と思わねばなりますまい。のみならず、袁紹一族には、富資(ふし)精英の子弟も多く、麾下には審配(しんぱい)逢紀(ほうき)などのよく兵を用うるあり、田豊、許攸(きょゆう)の智謀、顔良、文醜(ぶんしゅう)らの勇など、当るべからざる者もあります。また沮授(そじゅ)郭図(かくと)、高覧、張郃(ちょうごう)于瓊(うけい)などという家臣も、みな天下に知られた名士である。どうして、彼の陣容を軽々と評価されようか」
 荀彧(じゅんいく)は、孔融の演舌がすむと、やおら答えて、
「貴殿は、一を知って二を知りたまわず、敵を軽んずるのと、敵の虚を知るのとは、わけがちがう。そもそも袁紹は国土にめぐまれて富強第一といわれているが、国主たる彼自身は、旧弊型の人物で、事大主義で、新人や新思想を容れる度量はなく、ゆえに、国内の法は決して統治されていない。その臣下にしても、田豊は剛毅ではあるが、上を犯す癖あり、審配はいたずらに強がるのみで遠計なく、逢紀は、人を知って機を逸す類の人物だし、そのほか顔良、文醜などに至っては、匹夫の勇にすぎず、ただ一戦にして生捕ることも易かろう。――なお、見のがし難いことは、それらの碌々(ろくろく)たる小人輩が、たがいに権を争い、(ちょう)(ねた)みあって、ひたすら功を急いでいることである。――十万の大軍、何するものぞ。彼より来るこそ、お味方の幸いである。いま一挙に、それを討たないで、和議など求めて行ったら、いよいよ彼らの驕慢をつのらせ、悔いを百年にのこすであろう」

 両者の説を黙然と聞いていた曹操は、しずかに口を開いて、断を下した。


「予は戦う! 議事は終りとする。はや出陣の準備につけ!」

 その夜の許都は、真赤だった。

 前後両営の官軍二十万、馬はいななき、鉄甲は鏘々(そうそう)と鳴り、夜が明けてもなお陸続とたえぬ兵馬が黎陽(れいよう)をさしてたって行った。


 曹操はその大軍を自身統率して、黎陽へ出陣すべく、早朝に武装のまま参内して、宮門からすぐ馬に乗ったが、その際、部下の劉岱(りゅうたい)王忠(おうちゅう)のふたりに、五万の兵を分け与えて、
其方(そち)どもは、徐州へ向って、劉備玄徳にあたれ」

 と、命じた。

 そして自分のうしろに捧げている旗手の手から、丞相旗を取って、

「これを中軍に捧げ、徐州へはこの曹操が向っておるように敵へ見せかけて戦うがよい」

 と策を授け、またその旗をもふたりへ預けた。

 勇躍して、ふたりの将は、徐州へ向ったが、後で、程昱(ていいく)がすぐ(いさ)めた。

「劉備の相手として、劉岱(りゅうたい)、王忠のふたりでは、智力ともに不足です。誰かしかるべき大将をもう一名、後から参加させてはどうですか」

 すると曹操は、聞くまでもないこととうなずいて、


「その不足はよく分っておる。だからわが丞相旗を与えて、予自身が打ち向ったように見せかけて戦えと教えたのだ。劉備は、予の実力をよくわきまえておる。曹操自身が来たと思えば、決して、陣を按じて進んで来まい。そのあいだに、予は袁紹の兵をやぶり、黎陽(れいよう)から勝ちに乗って徐州へ迂回し、手ずから劉備の襟がみをつかんで都への土産として凱旋するつもりだ」
 と、豪笑した。
「なるほど、それも……」

 と、程昱は二言もなく彼の智謀に伏した。

 こんどの決戦は、黎陽のほうこそ重点である。黎陽さえ潰滅すれば、徐州は従って掌のうちにある。

 それを、徐州へ重点をおいて、良い大将や兵力を向ければ、敵は、徐州へ多くの援護を送るにちがいない。

 そうなると、徐州も落ちず、黎陽もやぶれずという二()両逸(りょういつ)の愚戦に終らないかぎりもない。


「丞相に対しては、めったに献言はできない。自分の浅慮を語るようなものだ」


 程昱はひとり戒めた。

 黎陽(れいよう)(河南省・浚県附近)――そこの対陣は思いのほか長期になった。

 敵の袁紹(えんしょう)と、八十余里を隔てたまま、互いに守るのみで、八月から十月までどっちからも積極的に出なかった。

「はて、なぜだろう?」


 万一、彼に大規模な計略でもあるのではないかと、曹操もうごかず、ひそかに細作(さいさく)を放って、内情をさぐってみると、そうでもない実情がわかった。

 敵の一大将、逢紀(ほうき)はここへ来てから病んでいた。そのため審配がもっぱら司令にあたっていたが、日頃からその審配と不和な沮授(そじゅ)は、事ごとに彼の命を用いないらしいのである。

「ははあ、それで袁紹も、持ちまえの優柔不断を発揮して、ここまで出てきながら戦いを挑まないのであったか。この分ではいずれ内変が起るやも知れん」

 彼は、そう見通しをつけたので、一軍をひいて、許都へ帰ってしまった。

 ――といっても、もちろん後には、臧覇(ぞうは)李典(りてん)于禁(うきん)などの諸大将もあらかた留め、曹仁を総大将として、青州徐州の境から官渡(かんと)の難所にいたるまでの尨大(ぼうだい)な陣地戦は、そのまま一兵の手もゆるめはしなかった。ただ機を見るに敏な彼は、

「予自身、ここにいても、大した益はない」


 と戦の見こしをつけた結果である。それと、徐州のほうの戦況も気にかかっていたにはちがいない。


 許都に帰ると、曹操はさっそく府にあらわれて、諸官の部員から徐州の戦況を聞きとった。

 一名の部員はいう。

「戦況は八月以来、なんの変化もないようであります。すなわち丞相(じょうしょう)のお旨にしたがい、発向の折、親しく賜わった丞相旗をうちたて、曹丞相みずから征してこの軍にありと敵に見せかけ、徐州を隔つこと百里の前に陣をとりて、あえて、軽々しく動くことを(いまし)め、まだ一回の攻撃もしておりません」

 曹操はそう聞くと、いかにも呆れ返ったように、

「さてさて鈍物という者は仕方がないものだ。機に応じ変に臨んで処することを知らん。下手に戦うなといえば、十年でも動かずにいる気であろうか。曹操自身、軍にあるものなら、百里も敵と隔てたまま、八月以来の長日月を、無為にすごしているわけはないと、かえって敵が怪しむであろう」
 彼は、歯がゆく思ったか、急に軍使を派して、
「すみやかに徐州へ攻めかかって、敵の虚実(きょじつ)を計れ」

 と、厳しく催促した。

 日ならずして曹操の軍使は、徐州攻略軍の陣中に着いた。寄手の二大将、劉岱(りゅうたい)王忠(おうちゅう)のふたりは、

「何事のお使いにや?」と、出迎えた。

 軍使は、曹操の指令をつたえ、

「丞相のおことばには、其許(そこもと)たちへは、生きた兵をあずけてあるに、何故、藁人形(わらにんぎょう)の如き真似しておるかと、きついご不興である。一刻もご猶予はあるべからず」と、ありのままを伝えた。

 劉岱(りゅうたい)は、聞くと、その場で、

「いかさま、長い月日、ただ丞相の大旗をたてて、こうしているのもあまり無策と思おう。王忠殿、貴殿まず一押しして、敵がどう変じてくるか、一戦試みられい」

 と、いった。

 王忠は、首を横に振って、

「こは意外な仰せではある。都を出る時、曹丞相には、親しく貴公へ向って、策をさずけ賜うたのではないか。貴公こそ先に戦って、敵の実力を計るべきだのに」
「いやいや、自分は寄手の総大将という重任をうけたまわっておる者、(あに)、軽々しく陣頭にすすみ得ようか。――其許まず先鋒に立ちたまえ」
「異なおことば(かな)。ご辺と、それがしとは、官爵の高下もないに、何で、それがしを下風に視られるか」

「いや、何も、下風に見くだすわけではないが」


「今の口ぶりはこの王忠を、部下といわないばかりではないか」


 ふたりが争いだしたので軍使は眉をひそめながら、

「まあ待ちたまえ。まだ一戦もせぬうちに、味方のなかで確執を起すなど是非によらず、どちらも(みにく)しと人にいわれよう。――それよりは拙者がいま、(くじ)を作るから、鬮を引いて、先鋒と後詰めの任をきめられては如何か」

「なるほど、それも一案」

 と、王忠も劉岱と同意したので、異存なくばと、念を押したうえ、軍使は二本の鬮をこしらえて二人に引かせた。

 劉岱(りゅうたい)の鬮には、

 後

 と、書いてあった。

 王忠が「先」を引いたのである。そこで否応(いやおう)なく、王忠は一軍を率いて、徐州城へ攻めかかった。

 劉備は徐州城の内にあって、かくと知ると、すぐ防禦を見まわった上、陳登に対策をたずねた。

 陳登はその前から、動きのない寄手の丞相旗には不審を抱いていた。これは曹操の詭計(きけい)ではないかと疑っていた。

「まずひと当り当ってみれば、敵の実力がわかります。策はその上でいいでしょう」
 と、答えた。

「然り、それがしが参って、彼の虚勢か実体かを試み申さん」


 と、列座の中から進み出た者がある。その大声だけでもすぐそれとわかる張飛であった。

 張飛が進んで、城外の敵に当らんと望んで出ると、劉備は、むしろ歓ばない色を顔に示して、

「いつもながらさわがしき男である。待て、待て」


「それがしの武勇では、危ないと仰せられるのでござるか」


 張飛が不平を洩らすと、


「いや、汝の性質は、至って軽忽で、さわがしいばかりであって、そのため事を仕損じ易いから、わしはその点を危惧(きぐ)しているのだ」

と、劉備は飾らずいった。

 張飛は、なお面ふくらませて、

「もし、曹操に出会ったら、()()みじんに敗れて帰るだろうと、それを心配なさるのでござろう。笑止笑止。曹操が出てきたら、むしろもっけの幸い、引ッつかんで、これへ持ちくるまでのこと」
「それだからそちはさわがしい男というのだ。曹操は、その心底には、漢室にとって、怖るべき逆意を抱いているが、名分の上では、常に勅令を号することを忘れるな。――故に、今、彼に敵対すれば、曹操は得たりとして、われを朝敵と呼ぶであろう」
「この期になっても、まだそんな名分にくよくよしておられるのですか。では、彼が攻め()せてきても手をこまねいて、自滅を待っているつもりですか」
「そういうわけではないが、まともにぶつかっては勝ち目はあるまい」
「はてさて、弱気なおことば、将たる者がご自身味方の気を減らしたもうことやある」
「彼を知り、己を知るは、将たる者の備え、決して、いたずらに憂いているのではない。いま城中にある兵糧は、よく幾月を支え得ようか。またその兵糧を喰う大部分の軍兵は、元来、曹操から預ってきた者どもで、みな許都へ帰りたがっておるであろう。かかる弱体をもって、曹操に当らんなど、思いもよらぬことである。ただ千に一つのたのみは、袁紹の来援であるが、これとても……」

 彼の正直な嘆息に、帷幕(いばく)の人々も何となく意気があがらない態だった。――あまりに正直すぎる大将という者も困りものだ。こんな気の弱いご主君はほかにあるまい――と張飛も奥歯をかみながら黙ってしまう。

 ――と。次に、関羽が前へ出ていった。

「ご深慮はもっともです。けれど、坐して滅亡を待つべきでもありますまい。それがし城外へまかり向って、およそ寄手の兵気虚実をさぐる程度に、小当りに当ってみましょう。策は、その上で」

 と、陳登と同意見をのべた。穏当なりと認めたか、劉備は、


「行け」


 と、関羽にゆるした。

 関羽は、手勢三千を率して城外へ打って出た。折ふし、十月の空は灰いろに閉じて、鵞毛(がもう)のような雪が紛々(ふんぷん)と天地に舞っていた。

 城を離れた三千騎の兵馬は、雪を捲いて寄手王忠軍へ()ッかけていた。

 雪と馬、雪と戟、雪と兵、雪と旗、(まんじ)となって、早くも混戦になった。

「そこにあるは、王忠ではないか。なんで(たて)のかげばかり好むぞ」

 大青龍刀をひっさげながら、関羽は馬を乗りつけて、敵の中軍へ呼びかけた。

 王忠も躍りあわせて、

「匹夫っ、(くだ)るなら、今のうちだぞ。わが中軍には、曹丞相あり。あの御旗が目に見えぬか」

 といった。

 ふる雪に、牡丹(ぼたん)のような口を開いて、関羽はからからと大笑した。

「曹操がおるなれば、なによりも望む対手。これへ出せ」


 王忠は、(つば)して云い返した。


「かりにも、曹丞相ほどなお方が、汝ごとき下賤(げせん)蛮夫(ばんぷ)と、なんで戦いを交えようか。もう一度生れ直してこい」

「ほざいたな。王忠」


 関羽が馬を駆け寄せると、王忠も槍をひねって、突っかけてくる。関羽はよいほどにあしらって、わざと逃げだした。
「口ほどにもない奴」
 と、浅慮にも、王忠は図にのって関羽を追っかけた。
「口ほどもないか、あるか、鞍の半座を分けてつかわす。さあ、王忠、こっちへ来い」
 関羽は、青龍刀を左の手に持ち変えた。王忠は、あわてて馬の首をうしろへ向けた。が、早くも関羽の手は彼の(よろい)の上小帯をつかみ、
「じたばたするな」

 と、ばかり軽々(かるがる)小脇に引っ抱えて馳けだした。

 潰乱(かいらん)する王忠軍を蹴ちらして、馬百匹、武器二十駄を分捕って、関羽の手勢はあざやかに引揚げた。

 帰城すると、早速、関羽は王忠をしばりあげて、劉備の前に献じた。

 劉備は王忠に向って、

「汝、何者なれば、(いつわ)って、曹丞相の名を偽称したか」

 と、詰問した。

 王忠は答えて、

「詐りは、われらの私心ではない。丞相がわれらに命じて、御旗をさずけ、擬兵の計事(はかりごと)をさせられたのである」
 と、すぐに話した。

 そして、なお、

「不日、袁紹を破って、丞相がこれに来給えば、徐州ごときは、一日に踏みつぶしてしまわれるであろう」

 と豪語を放った。

 劉備はどう考えたか、王忠の縄を解いて、

「君の言は、まことに、神妙である。事の成行きから、丞相のお怒りをうけ、征を受けて、やむなくこの徐州を守るものの、劉備には曹操に敵対する意志はない。君もしばらく、当城にあって、四囲の変化を待ち給え」

 と、彼を美室に入れて、衣服や酒を与えた。

 王忠を奥に軟禁してしまうと、劉備はまた近臣を一閣に集めて、

「関羽よ。よくぞ王忠を生け捕ってくれた」

 と、関羽にいった。

「やはり家兄のお心はそこにありましたか。実は、王忠と出会った時、よほど一(げき)のもとに斬って捨てんかと思ったなれど、いやいや或いは家兄のご本心は、曹操と和せず戦わず――不戦不和――といったような微妙な方針を抱いておられるのではないかとふと考えつき、わざと手捕りにして持ち帰りました」
「そうだ。王忠、劉岱のごとき輩を殺したところで、われには何の益もなく、かえって曹操の怒りを(あお)るのみである。もし、生かしておけば、曹操がわれに対する感情もいくらか緩和されるかもしれん」

 そう聞くと、張飛はまた、前へ進み出て、劉備にいった。


「わかりました。そうご意中を承れば、こんどは、此方(こなた)が出向いて、必ず劉岱をひきずり参らん。どうか此方をおつかわし下さい」
「参るはよいが、王忠と劉岱とは、対手(あいて)がちがうぞ」

「どう違いますか」


「劉岱は、むかし兗州(えんしゅう)の刺史であった頃、虎牢関(ころうかん)の戦いで、董卓(とうたく)と戦い、董卓をさえ悩ましたほどの者である。決してかろんずる敵ではない。それさえわきまえておるならば行くがよい」


 どうも煮えきらない劉備の命令である。争気満々たる張飛には、それがもの足らなかった。
劉岱(りゅうたい)が虎牢関でよく戦ったことぐらいは、此方とても存じておる。さればとて、何程のことがあろう。即刻、馳せ向って、この張飛が、彼奴(きゃつ)をひッ掴んでこれへ持ちきたってご覧に入れます」
「そちの勇は疑わぬが、そちのさわがしい性情をわしは危ぶむのだ。必ず心して参れよ」

 劉備の訓戒に、張飛は、むっと腹をたてて、


「さわがしさわがしと、まるで耳の中の(あぶ)か、懐中の(かに)みたいに、この張飛をお叱りあるが、もし劉岱を殺して来たら、何とでもいうがいい。いくら兄貴でも主君でも、そう義弟をばかにするものじゃない」

 と、云いちらして、彼はぷんぷん怒りながら閣外へ出て行った。

 そして、三千の兵を(えっ)して、

「これから劉岱を生捕りに行くんだ。おれは関羽とちがって軍律は厳しいぞ」

 と、兵卒にまで当りちらした。

 張飛に引率されて行く兵は、敵よりも自分たちの大将に恐れをなした。――一方、寄手の劉岱も、張飛が攻めてきたと知って、ちぢみ上がったが、


「柵、塹壕(ざんごう)、陣門をかたく守って、決して味方から打って出るな」

 と、戒めた。

 短兵急に押しよせた張飛も、蓑虫(みのむし)のように出てこない敵には手の下しようもなく、毎日、防寨(ぼうさい)の下へ行っては、

木偶(でく)(ぼう)っ。――(くそ)ひり虫。――糞ひることも忘れたのだろ」

 と、士卒をけしかけて、悪口雑言をいわせたが、何といわれても、敵は防禦の中から首も出さなかった。

 張飛は、持ち前の短気から、(ごう)をにやしてきたとみえ、

「もうやめだやめだ。このうえは夜討ちだ。こよい二更の頃に、夜討ちをかけて、蛆虫どもを踏みつぶしてくれる。用意用意」
 と、声あららかに命じ、準備がととのうと、
「元気をつけておけ」

 と、昼のうちから士卒に酒を振舞い、彼自身も、したたか呑んだ。

「景気のいい大将」と、兵隊たちも、酒を呑んでいるうちは、張飛を礼讃(らいさん)していたが、そのうちに、何か気に喰わないことがあったのか、張飛は、咎もないひとりの士卒を、さんざんに打擲(ちょうちゃく)したあげく、

「晩の門出に、軍旗の血祭りにそなえてくれる。あれに見える大木の上にくくり上げておけ」

 と、云いつけた。

 士卒は、泣き叫んで、()を合わせたがゆるさない。高手小手にいましめられて、大木のうえに、生き礫刑(はりつけ)とされてしまった。

 夕方になると、たくさんな鴉がその木に群れてきた。張飛に打ちたたかれて、肉もやぶれ皮も紫いろになっている士卒は、もう死骸に見えるのか、鴉はその顔にとまって、羽ばたきしたり、(くちばし)で眼を突ッついたり、五体も見えないほど真黒にたかってさわいだ。

「ひィっ……畜生っ」

 悲鳴をあげると、鴉はぱっと逃げた。ぐったり、首を垂れていると、また集まってくる。

「――助けてくれっ」

 士卒はさけび続けていた。

 すると、夕闇を這って、仲間のひとりが、木に登ってきた。何か、彼の耳もとにささやいてから、縄目を切ってくれた。

「畜生、この恨みをはらさずにおくものか」

 半死半生の目に会った士卒も、その友を助けた士卒も、抱き合って、恨めしげに張飛の陣地を振向き、闇にまぎれて何処ともなく脱走してしまった。

 陣営のうちで、張飛はまだ酒をのみつづけていた。

 そこへ士卒の一伍長が、あわただしく馳けこんできて、

「見張りの者の怠りから大失態を演じました。申しわけもございません」

 と、懲罰(ちょうばつ)に処した樹上の士卒が、いつの間にか逃走した由を、平蜘蛛(ひらぐも)のようになって慄えながら告げた。

「知っとる知っとる。将として、それくらいなこと、知らんでどうする。……あはははは、それでいいのだ」
 彼は、大杯をあげて、自ら祝すように飲み干し、幕営を出て、星を仰いだ。
「そろそろ二更の頃だな。――わが三千の兵は二分して各自の行動に移れ。――その一は、間道をしのび回り込め、その一は、止まって敵の前面へ向う」

 張飛の命令が伝わると、やがて夜靄(よもや)のなかに、まず二千の兵が先に、どこかへうごいて行った。

 それは、敵の防寨(ぼうさい)の背後へまわって忍ぶ潜兵らしかった。

「まだちと早い。もう一杯飲んでからでいい」


 張飛は、残る三分の一の兵をそこに止めて、なお一刻ほど、酒壺(しゅこ)を離さず、時おり、星の移行を測っていた。

 その宵。

 劉岱の防寨のほうでは、早くも、今夜敵の張飛が夜討ちをかけてくるということを知って、ひどく緊張していた。

「あわてるな。敵の脱走兵の訴えとて、めったに信じるとは危険だ。おれ自身、その兵を取調べてみよう。ここへ其奴(そやつ)を引ッ張ってこい」

 劉岱は、部下の動揺を戒めて、その夕方、密告に馳けこんできたという二人の敵の脱走兵を、自分の前に呼びだした。

 見ると、ひとりはただの士卒だが、もう一名のほうは、手足も傷だらけで、顔は、はれあがっている。

「こら、敵の脱走兵。貴様たちは、張飛から策をうけて、今夜、夜討ちをしかけるなどとあらぬことを密告に来、わが陣地を攪乱(かくらん)せんとたくらんできたにちがいあるまい。そんな甘手にのる劉岱ではないぞ」
「めっそうもないことを。……手前どもは鬼となっても、張飛のやつを、全滅の憂き目に会わせてくれねばと……死を賭して、ご陣地へ逃げこんで来た者でございます」
「いったい、なんで張飛に対し、そのように根ぶかい恨みを抱くのか」
「くわしいことは、先にご家来方まで、申しあげた通りで、そのほかに、仔細はございません」
「なんの咎もないのに打擲されたあげく、大樹の梢にしばりあげられたというが」
「へい。あまりといえば、むごい仕方ですから、その返報にと思いまして」

「……これ。誰かあの脱走兵の訴人を裸体(はだか)にしてみい」


 劉岱は傍らの者に命じた。

 言下に、訴人の兵は、真っ裸にされた。――見れば、顔や手足ばかりでなく、背にも(ひじ)にも、縄目のあとが(あざ)になっていた。そして全身、鼈甲(べっこう)の斑みたいにはれている。


「……なるほど、(いつわ)りでもないらしいが」

 と、疑いぶかい劉岱も、半分以上、信じ、敵の夜討ちに備え、配置した。

 すると、果たして。

 二更もすこし過ぎた頃、防寨の丸木櫓(まるきやぐら)にのぼっている不寝番(ねずのばん)が、

「夜襲だ」と、警板をたたいた。

 夜霜のうちから潮のような(とき)の声が聞えた。と思うと、陣門の前面に、敵が柴をつんで焼き立てる火光がぼっと空に映じた。矢うなりはもう劉岱の身辺にも落ちてきた。

「敵兵の密訴は嘘でもなかったのだ。それっ、一致して防戦にあたれ」

 劉岱は、自分も得物を取って、直ちに防ぎに走りだした。

 諸所へ火を放ち、矢束を射込み、鼓を鳴らし、(とき)の声をあげなどして、張飛の夜襲はまことに張飛らしく、派手に押しよせてきた。

 劉岱(りゅうたい)は、それを見て、

「彼奴、勇なりといえども、もとより智謀はない男、何ほどのことやあらん」

 とひと跳びの意気で、防戦にあたった。

 劉岱の指揮の下に、全塁の将卒がこぞって駈け向ったので、たちまち、夜襲の敵は撃退され、いかに張飛が、


「退くなっ」
 と、声をからしても、総くずれのやむなきに立到り、張飛も柴煙濛々(さいえんもうもう)たるなかを、逃げる味方と火に捲かれて、逃げまどっていた。
「こよいこそ、張飛の首はわが手のもの。寄手の奴ばらは一人も生かして返すな」

 劉岱は、最後の号令を発し、ついに、防寨の城戸(きど)をひらいて、どっと追いかけた。

 張飛はそれと見て、

「しめた。思うつぼに来たぞ」

 にわかに、馬を向け直し、まず劉岱を手捕りにせんと喚きかかった。

 それまで、逃げ足立っていた敵が、案に相違して、張飛と共に、俄然攻勢に転じてきたので、要心深い劉岱は、

「これは怪訝(いぶか)しい」


 とあわてて、味方の陣門へ引っ返そうとしたところ、時すでに遅かった。

 その夜、正面に来た寄手は、張飛の兵の三分の一にすぎず、三分の二の主隊は、防寨のうしろや側面の山にまわっていたものなので、それが機をみるや一斉になだれこんで来たため、すでに彼の防塁は、彼のものでなくなっていた。

「計られたか」

 と、うろたえている劉岱を見つけて、張飛は馬を駈け寄せてゆくなり引っ掴んで大地へほうりだし、


「さあ、持って帰れ」

 と、士卒にいいつけた。

 すると、防寨の中から、

「その縄尻は、私たちに持たせて下さい」


 と走り出てきた二名の兵卒がある。それは張飛の命に依ってわざと張飛の陣を脱走し、劉岱へこよいの夜襲を密告して、彼らの善処をいとまなくさせた殊勲の二人だった。

「ゆるす。引っ立てろ」


 張飛は、その二人に縄尻を持たせて、意気揚々ひきあげた。

 残余の敵兵も、あらかた降参したので、防寨は焼き払い、劉岱以下、多くの捕虜を徐州へ引きつれて帰った。

 この戦況を聞いて、劉備のよろこびかたは限りもない程だった。わが事のように、彼の巧者な手際(てぎわ)を褒めて、

「張飛という男は、生来、ものさわがしいばかりであったが、こんどは智謀を用いて、戦の功果をあげた。これでこそ、彼も一方の将たる器量をそなえてきたものといえよう」

 そういって彼自身、城外に出迎えた。張飛は大音をあげて、


家兄(かけい)、家兄。いつもあなたは、この張飛を、耳の中の(あぶ)か、懐中の蟹のごとく、ものさわがしき男よと口癖におっしゃるが、今日は如何?」

 と、得意満面でいう。

 劉備が打ち笑って、

「きょうの御身は、まことに稀代の大将に見える」
 というと、そばから関羽が、
「しかしそれも先に、家兄がふかく貴様をたしなめなかったら、こんなきれいな勝ちぶりはしまい。この劉岱の首などは、とうに引きちぎッてたずさえて来たであろう」
と、まぜかえした。

「いや、そうかも知れんて」


 張飛が、爆笑すると、劉備も笑った。関羽も哄笑(こうしょう)した。

 三人三笑のもとに、縄目のまま、引きすえられていた劉岱は、ひとりおかしくもない顔をしていた。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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