第143話、荊州の切り崩し

文字数 6,673文字

 日を経て、呉の擬装船団は、潯陽江(じんようこう)(九江)の北岸へ漂いついた。(うるし)のような闇を風浪の(すさ)ぶ夜であったが、帆をやすめるいとまもなく、

「何者だっ、どこの船かっ」と、一隊の兵にすぐ発見され、すぐ船を出た七名の代表者は、そのまま彼らの屯営(とんえい)拉致(らっち)されて行った。

 番兵はみな関羽の麾下(きか)である。この象山(ぞうざん)には例の烽火(のろし)台があり、陸路荊州まで斜めに数百里のあいだ同じ備えが諸所の峰にあった。

 屯営はその烽火山の下にある。七人の代表者は厳重な調べをうけた。もちろんみな呉の武人であるが、ことば巧みに、

「てまえどもは年々、北の産物を積んでは南へ下江し、南の物資を求めては北へ(のぼ)り、ここの嘉魚(かぎょ)のように季節次第で河を上下している商人どもに相違ございません。実はいつものように、むこう岸の潯陽江(じんようこう)へ入って、明後日の(いち)へ商品を出すつもりでしたのが、あいにくとこの烈しい浪と、この風向きのために、どうしても彼方の岸へ寄せることができません。夜が明け次第に、風向きも変りましょうから、さっそく退散いたしまする。ひとつお慈悲をもって、夜明けまで、ここの岸辺にいることをお許し願いたいもので」

 こもごもに嘆願した上、船中から携えてきた南方の佳酒やら珍味を取り出して、まず番将へ賄賂(わいろ)すると、吟味もにわかに柔らいで、

「――ではまず大目に見ておくがここは烽火台もある要塞地帯じゃ、夜明け早々、潯陽のほうへ船を移せよ」と、ある。

「はいはい。それはもう……」

 と、七名はもみ手を揃えて、

「有難いおことばを、船の者にもよく云い聞かせて置きますれば」

 と、中の一人は岸へ戻った。

 するとやがてその男が、さらに十数名の船夫(ふなこ)を連れてきた。手に手に酒の壺や食物をさげ、船中一同の感激を()べ、さらにこれを献上したいと申し出た。

「よかろう。取っておいてやれ」

 番将は先に受けた酒を開けてすでにほろ酔い気分である。部下たちもたちまち酔いだした。船中から上がってきた面々は、蛮歌(ばんか)民謡(みんよう)などの隠し芸まで出して、彼らに興を添えた。

 そのうちに、番兵のひとりが、

「はてな?」と、耳をそばだてた。

「風?」

「いや、おかしいぞ」

 外へ飛び出して、烽火台の上を仰いだ。そこに、わっと声旋風(こえつむじ)が聞えたからである。

「――あっ。敵だっ」

 絶叫したとたんに、一陣の騎馬武者がもうここを取り巻いていた。別働隊は山の裏から這い上がって、すでに烽火台を占領していたのだった。

 夜が明けてみれば、昨夜の商船ばかりか、八十余艘の艨艟(もうどう)が江上を圧している。荊州の守備兵はみな呆然とした顔つきで生捕られた。


(おどろ)くな、恐れるな。おまえ達の生命は取りはしない。むしろ汝らは、今日以後、手柄次第では、将来の大きな出世を約束されているものだ」


 呂蒙は、上陸して捕虜を見ると、(ねんご)ろに(さと)した。そして金品を与え、実際に優遇を示して後、その中からさらに確実な降人と見られるものを選んで、


「次の烽火台を守っている番将を説け。もし説き伏せて功を挙げたら、取り立ててやる」

 と放した。

 この策は、次々に功を奏し、呂蒙の大軍は日々荊州へ近づいた。そして敵が非常に備えていた「つなぎ烽火」をほとんど効なきものとして、やがて荊州城下へなだれこんだ。

 呂蒙はその前に、莫大な恩賞を賭けて、降人の一群を城下へまぎれ込ませ、流言を放って敵を攪乱(こうらん)しに出た。

 またべつな降人の一隊は、荊州城の下へ来て、

「門を開けろ。一大事がある」

 と(わめ)き、城中の者が、味方と見て、そこを開けると、たちまち呉軍を招いてなだれ入り、八方へ放火して、ここも混乱のるつぼと化してしまった。

 荊州の本城は実に(もろ)()ちた。関羽は余りに後方を軽んじ過ぎた。戦場のみに充血して、内政と防禦の点には重大な手ぬかりをしていた嫌いがある。

 烽火台(のろしだい)の備えにたのみすぎていたこともその一つだが、とりわけまずいのは、国内を守る人物に人を得ていなかった点である。留守の大将潘濬(はんしゅん)も凡将であったし、公安の守将たる傅士仁(ふしじん)も軽薄な才人に過ぎない。

 選りに選ってなぜこんな凡将を残して()ったかといえば、樊城(はんじょう)へ出陣の前、この二将に落度があった。関羽は軍紀振粛(しんしゅく)のため、その罪をいたく責めて、懲罰の代りに、出征軍のうちからはぶいてしまった。留守に廻されるということは、武門として軍罰を蒙るよりも不名誉とされていたからである。

 潘濬(はんしゅん)が真の人物なら、この不名誉はむしろ彼を発奮させたろうが、潘濬も傅士仁も内心それを恨みに抱いて、もう関羽の麾下では将来の出世はおぼつかないと、商機を測るような考えを起していた。そして内政も軍事も全く怠っていたところへ――つなぎ烽火(のろし)もなんの前触れもなく、いきなり攻めてきた呉の大軍であった。結果からみれば、実に当然な陥落だったともいえる。

 一、みだりに人を殺すもの

 一、みだりに物を盗むもの

 一、みだりに流言を放つもの

 以上。その一を犯す者も斬罪に処す。


 呉軍大都督呂蒙(りょもう)


 占領直後、まだ呉侯孫権も入城しないうちに、早くも町々にはこういう掲示が立ち、人民はみな帰服した。

 荊州城にあった関羽の一族は、呂蒙のさしずによって鄭重にほかのやしきへ移され、不安なく不自由なく呉軍に保護されているのを見て、荊州の人民は、

「ありがたいことだ」と、呂蒙の名を口から口へささやきつたえた。

 呂蒙は日々、五、六騎の供をつれて、みずから戦後の民情を視て歩いた。一日、途中でにわか雨にあったが、雨に濡れながらもなお巡視をつづけて来ると、彼方から一人の兵が、百姓のかぶる笠を持って、兜の上にかざしながら、一目散に馳けてくるのを見かけた。

「捕えろ。あの兵を捕えてこい」


 呂蒙は鞭をさし向けた。

 二頭の騎馬武者が雨中を馳けて、すぐその兵を引っ吊して来た。見るとその兵は呂蒙もよく顔を知っている同郷の男だった。

 ――が、呂蒙はその兵を(にら)まえて云った。

「自分は日頃から、同郷の者は殺さずという誓いを持っていたが、それは私事で公務の誓いではない。汝はこのにわか雨にあって百姓の笠を盗んだ。高札の表に掲げてある一条を犯した以上は、たとえ同郷の者たりとも法を(みだ)すわけにゆかん。首にして街へ()けるから観念するがよい」

 兵は仰天して、雨中に哀号しながら、呂蒙を伏し拝んで、

「命だけはお助け下さい。出来心でございます。何気なく、つい笠ぐらいと存じまして」

 と、悲しみ訴えたが呂蒙はただ顔を横に振るだけだった。


「いかん、断じていかん。出来心はわかっている、また、一個の笠に過ぎないことも分っておる。しかしゆるすことはできない。それが法の厳正というものだ」


 その兵の首と笠とが、獄門となって街に(さら)された。市人は噂をつたえ聞いて、

「何たる公平な大将だろう」

 と、その徳に感じ、呉の三軍はふるい恐れて、道に落ちている物も拾わなかった。

 江上に待っていた呉侯孫権は、諸将を()き従えて入城した。そして直ちに降参の将潘濬(はんしゅん)を見、その乞いを容れて呉軍に加え、また獄中にあった魏の虜将(りょしょう)于禁(うきん)をひき出して、その首枷(くびかせ)を解いた。


 呉は大きな宿望の一つをここに遂げた。荊州を版図(はんと)に加えることは実に劉表(りゅうひょう)が亡んで以来の積年の望みだった。孫権の満悦、呉軍全体の得意、思うべしである。

 陸口(りっこう)陸遜(りくそん)も、やがて祝賀をのべにこれへ来た。その折、列座の中で呂蒙は、


「荊州の中府はすでに占領したが、これで荊州の版図がわが()に帰したとはいえない。公安地方にはなお傅士仁(ふしじん)があり、南郡には糜芳(びほう)の一軍がうごかずにいる。貴兄にそれを討つ良計はないか」


 と、陸遜に問うた。

 すると(かたわ)らの人がたちまち立って、


「その儀なれば、弓を張り、矢をつがえるにも及びません」


 と、豪語した。誰かと見れば、会稽(かいけい)余姚(よよう)の人虞翻(ぐほん)である。孫権は、莞爾(かんじ)と見て、


「虞翻、いかなる計やある。遠慮なくいえ」

 と、いった。

 虞翻は一礼して、

「さればそれがしと傅士仁(ふしじん)とは、幼少からの友だちです。かならずそれがしの説く利害には彼も耳をかしましょう。故に、公安の無血占領は信じて疑いません」



「おもしろい。行って説いてみろ」

 孫権は彼に五百騎をさずけた。虞翻は自信にみちて公安へ赴いた。事実、彼は胸中にこの使いの成功を信じている。なぜならば傅士仁という人間をよく知っていたからである。

 しかし一方の傅士仁たるや、このところ戦々兢々(せんせんきょうきょう)たるものがあった。(ほり)を深め城門を閉じ、物見を放って鋭敏になっていた。

 ところへ友人の虞翻が五百騎ほど連れてくると聞いたが、なお疑心にとらわれて城中に鳴りをしずめていた。虞翻は近々と城門の下へ寄り、書簡を矢にはさんで城中へ射こんだ。


「何、矢文が落ちたと。……どれ、どう云ってきたか?」

 傅士仁はそれをひらいて、虞翻の文言を読み下した。幾たびもくり返して、(のみ)を見るように文字を見ていたが、彼の猜疑(さいぎ)もついに怪しむ辞句を見出せなかった。


「そうだ、たとえここを守り通しても、いずれ関羽が帰れば、戦前の罪を問われ、罪と(てがら)が棒引きになるぐらいが上の部だ。もし呉軍に囲まれて、関羽の来援が間に合わなかったら、完全にここで自滅だ。虞翻の説くところは心から俺を思ってくれることばに違いない」


 彼は駈け出して、卒に門をひらかせた。そして虞翻を迎え入れると、


「会いたかった」
 と、まず旧情を訴え、
「よろしく頼む」
 と、次に一切を(まか)した。
「自分が来たからには、諸事安心し給え」

 虞翻は彼を伴って、さっそく荊州へ帰った。孫権はもちろんこの結果を上機嫌でうけ容れた。虞翻には大賞を与え、また傅士仁に告げては、


「汝の心底を見たからには決して旧臣とわけへだてはせぬ。立ち帰った上は、よく部下を(さと)し、呉に以後の忠誠を誓わせろ。そして前の通り公安の守将たることをゆるす」

 と寛度を示した。

 恩を謝して傅士仁が退城しようとすると、呂蒙が呉侯の袖をひいた。

「あれをあのまま、お帰しになるつもりですか」


「今さら、殺すわけにもゆかんではないか」


「手ぶらで帰してしまうことこそ、折角の人間をころしているというものです。なぜ、彼にこういう使命を背負わせておやりにならないので……」


 呂蒙に何かささやかれると、孫権は急に侍臣を走らせて、傅士仁をよび戻した。

 そしてたちまち一問を発し、また命令した。


「南郡の糜芳(びほう)とは親交があるだろう。当然、きのうまでの味方だから」

「はっ……。交わりがありますが」


「では、友情をもって、糜芳を説くことは、汝の義務だともいえるな。もし彼を説いて、予の面前へつれてきたら、糜芳は厚く用い、汝にはさらに恩賞を加えるだろう。どうだ」


「さっそく南都へ赴きましょう」


 傅士仁は倉皇(そうこう)と帰ってゆく。孫権は呂蒙をかえりみてにやりと笑った。


「たいへんな難役を背負ってしまった」


 傅士仁は浮かない顔で、友の虞翻のところへ相談に行った。そして愚痴まじりに、


「どうも今になってみると、貴公のいうことをきいたのは、大きな過ちだったような気がする。呉侯の命に対して、――ご難題です。糜芳を説きつけるなんて無理です。ご免こうむりましょう、といったら、たちまち俺は二心ありと首にされ、公安の城はただ取りにされてしまうだろう。……といって、何しろ糜芳は、蜀のうちでも余人とちがい、劉備が微賤をもって旗上げした頃からの宿将だ。俺の舌三寸でおめおめ降るわけはないし」


 と、困惑を訴えると、虞翻はその小心を笑って、彼の背を一つ打った。


「おいっ、しっかりせい。自己の浮沈の(わか)れ目じゃないか。いかに糜芳でも石仏ではあるまい。いや彼の一族は元来、湖北の豪商で大金持ちであった。たまたまその退屈な財産家が、劉備という風雲児の事業に興味をもち、そっと裏面から軍資金を貢いでやったのが(もと)で、いつか糜竺(びじく)糜芳(びほう)の兄弟とも、劉備の帷幕(いばく)に加わってしまった。――というのが彼の経歴ではないか。それをもって察すれば、糜芳の胸は、今とてかならず数字算用ははっきりと持っているに違いない。名も生命もいらんという人間では手におえぬが、利害の明瞭な人物ほど説きよいものだ。……まあ信念をもって、ひとつこう出て見たまえ」
「こう出てみろとは?」

「すなわち、こう出るのだ」


 有合う紙片のうえに、虞翻は何か筆を走らせる。傅士仁は首を寄せて黙読していたが、急に悟ったような顔をして、


「なるほど」
 と、ひどく感心したかと思うと、たちまち勇気づいた様子で、
「では、行ってくる」

 と、立ち去った。

 十騎ばかりを従えて、彼は南都へ立った。糜芳は城を出て、友を出迎え、まず関羽の消息を問い、荊州の落城を嘆じて、悲涙を押し拭う。

「いや……実はその、そのことで今日は、あなたへも相談に来たわけだが」

「相談とは、軍議について?」


「なに、それがしとて、忠義は知らぬわけではない、荊州が敗れては、もはや万事休すだ。いたずらに士卒を死なせ、百姓に苦しみをかけるよりはと深思して、実はすでに、呉へ降伏を誓った」


「えっ。降参したと」


「貴殿も旗を巻いて、それがしと共に、孫権に(えっ)し給え。呉侯はまだ若くて将来があるし、しかもなかなか名君らしい」


「傅士仁。人を見てものをいえ。この糜芳と漢中王との君臣の契りを何と見ているか」


「……だが」

「だまれ。多年、厚恩をうけた漢中王をこの()になって裏切るごとき自分ではない」


 ところへあわただしく、糜芳の臣が告げにきた。戦場の関羽から早馬打っての使者だとある。


「通せ」

 糜芳は云った。使者はそこへ来て、火急の事ゆえ、口上をもって述べますと断り、次のような関羽の要求を伝えた。


樊川(はんせん)地方の大洪水のため、戦況は有利にすすんだなれど、兵粮の欠乏は言語に絶しており、全軍疲弊の極に達しておる。ついては、南都公安の両地方から至急、粮米十万石を調達され、関羽の陣まで輸送していただきたい。もし(おこた)りあらば、成都に上申し、厳罰に処すべしとの令でござる」

 糜芳と傅士仁は顔見合わせた。まったく無理な注文である。粮米十万石も困難だし、荊州の陥ちた今、輸送方法もありはしない。


「どうしたものであろう」


 糜芳は(うで)(こまぬ)いて面を埋めてしまった。変心した傅士仁はもう相談あいてにならないし、関羽の命にそむけば、後々いかなる禍いになるか測り知れない。

「――ぎゃッ!」

 突然、血しぶきの下に、使者が倒れた。糜芳も驚いて跳び上がった。剣を抜いて、いきなり使者を斬ったのは傅士仁であった。その血刀を提げたまま、彼はさらに糜芳へ迫ってきた。

 糜芳は喪心したように、蒼白になって(わなな)いていたが、やがて、


「いったい貴公は、何故に、関羽の使者を斬り殺したのか……」


 傅士仁(ふしじん)も真っ青になっていう。


「貴殿には関羽の心が読めないのか。関羽はその不可能を知りながら無理難題をいいつけて、後に荊州の敗因をわれらの怠慢にありとする肚黒い考えでおるのだ。――糜芳(びほう)っ。さあ呉侯のもとへ行こう。いずくんぞ手を束ねて犬死せんやだ。さあ城を出よう!」


 彼は剣を収めて、糜芳の手を引っ張った。もちろんこれは虞翻(ぐほん)がさずけた策で、関羽の伝令も嘘だし、その使いも偽使者であることはいうまでもない。

 糜芳はなお迷っていた。多少の疑いをそれにも抱いたからである。ところがこの時、(とき)の声や鼓の音が地を震わすばかり聞えてきた――愕然、城壁の上に走り出て見ると、呉の大軍がはや城を囲んでいた。


「なぜ貴殿は、生きることを歓ばないのだ」


 と、傅士仁は、茫然自失している糜芳の腕を組んで、無理やりに城を出た。そして虞翻を介して呂蒙(りょもう)に会い、呂蒙はまた糜芳を伴って孫権にまみえた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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