第124話、落鳳坡
文字数 4,296文字
蜀に入る前は、蜀は弱しと聞いていた。国に人物なしという評も信じていた。ところが、案外である。士卒は強く、人材は多い。
真の国力は、その国に事が起ってみないと分らない。
龐統はふとそんなことを感じながら、客の永年にあらためて礼をほどこし、また法正をも誘って、
と、いうと、法正は、
と、友に訊く。
永年はきっぱりと、
と、いう。
三名は連れ立って、早速、涪城へ上った。劉備に会うと、永年はたちまち胸をひらいて云った。
劉備は驚いた。龐統もさすがにすぐ覚った。
敬って、彼を
「堤防に心せよ」
と警報した。
こういう注意があったため、魏延の陣地でも、黄忠のほうでも、連絡を密にして、昼夜巡見を怠らずにいた。
そのため、
とかくするうち一夜、雨風が烈しく吹きすさんだ。
と、五千の鋤鍬部隊は、墨のような夜をひそかに出て、涪江の堤に接近し、無二無三堤を
ところが、思いもよらず、うしろのほうから、突如として伏兵が起った。暗さは暗し、敵の行動も人数もわからずで、鋤鍬部隊の五千は、同士討ちを起すやら、方角をちがえて後戻りしてくるやら、大混乱の中に、この夜の大将であった冷苞も見失ってしまった。
冷苞は、逃げ走る途中、魏延に待たれて、またまた彼の手に生捕られてしまったのだった。
蜀の呉蘭、雷同の二将は、それと知って、彼を奪り返すべく、
で、冷苞は、翌る日ふたたび捕虜として、涪城へ送られた。
劉備は、彼の不信を責めて、
云い渡すと、すぐ将士に渡して城外で、首を刎ねさせた。
魏延、黄忠へは、賞状を送り、
と、あつく礼遇した。
この前後、荊州から馬良が使いに来た。馬良は、荊州の留守をまもる孔明の命をうけ、その書簡を肌深く秘めて
劉備は、孔明の書簡をひらくと、読み入った。
側に人のいるのも忘れて、劉備は繰り返し繰り返し、孔明の書簡に心をとられている。
その真情の濃さ。遠く離れているせいもあろうが、何たる君臣の仲の美しさか。
龐統は胸のうちでため息をおぼえた。ふしぎなため息ではある。彼自身でさえ、自分のうちにこんな性格があったろうかと怪しまれるような気持が抑えきれなかった。それは
龐統は気のない返辞をした。
龐統はしばらく答えない。
彼は彼自身と胸のなかで闘っていた。抑えようもなく心の底にむらむら起ってくるふしぎな
ここまでいうと、龐統はもう
龐統は、こう取っていた。いつになく彼は舌にねばりをもって、なお劉備へいった。
励まされて、劉備は、次の日
以前、張松から彼に贈った西蜀四十一州図をひろげて、劉備はそれと睨みあっていた。
法正がまた一本の絵図を携えてきて、
「
仔細に見くらべると、まさにその通りであった。
劉備は、信念を得て、
龐統もその策を了承した。
ところが陣払いして立つ朝、彼の馬が妙に狂って、右の前脚を折った。そのため不吉にも彼は落馬の憂き目をみた。
龐統が落馬したのを見て、劉備は馬から降りて、彼を
龐統は腰をなでて起きあがりながら、
と、首を傾けた。
劉備はふと眉を曇らせた。出陣に臨んでこんなことのあるのは決して吉兆ではない。自身の乗用していた素直な白馬の手綱をひいて、
と、彼に贈った。
君恩のありがたさに、龐統もこの時ばかりは眼のうちに涙をためていた。拝謝して、白馬に乗換え、ここで劉備と別れて道を北へとった。
蜀軍随一の名将
張任は各将軍と手筈をさだめ、自身は何か思うところあるか、屈強な射手三千人を選りすぐって、山道の嶮岨に伏せ、
「見えました。確かに」
やがて、
「ご推察にたがわず、これへ向ってくる敵軍の大将らしき者は、まさしく鮮やかな月毛の白馬に乗っています。今しも、その大将の指揮の下に、敵全軍は、炎熱をおかして、えいやえいやとこれへ
聞くと、張任は、
膝を打って歓んだ。
と、三千の射手に命じた。
射手は、心得たりと、
――時は、夏の末。
草も木も猛暑に
そのうちに、ふと前方を仰ぐと、両側の絶壁は迫り合って、樹木の枝は
陽かげに入って、龐統は、ほっと肌に汗の冷えをおぼえながら、
と、途中で捕虜にした敵の兵にたずねた。
降参の兵は、言下に、
「
龐統は、なぜか、さっと面色を変えて、急に馬をとめた。
よく周りを見てみると、兵を伏せるにふさわしい地形である。
彼は馬を向け直した。そしてにわかに全軍へ向って、
と、鞭をさしあげて振った。
その鞭こそ、彼自身、死を呼ぶ合図となってしまった。
突然、峰谷も崩るるばかり矢の轟きがこだました。
身をかくす
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