第138話、鶏肋

文字数 6,721文字

 蜀の大軍は、すでに南鄭、閬中(ろうちゅう)、褒州の地方にまで浸透して来て、宣撫や治安にまで取りかかり、遺漏のない完勝ぶりを示していた。

 時に、陽平関の魏軍へ、またしても、味方の兵粮(ひょうろう)貯蔵地の危急がきこえた。曹操は、許褚(きょちょ)を呼んで、

「この際、彼処(かしこ)の兵粮まで、蜀兵に奪われたら一大事である、汝よく兵粮奉行の手勢と力を協せて、危地にある兵粮全部を、後方の安全な地点へ移してこい」

 といいつけた。

 千余騎は、許褚に引かれて、陽平関を出て行った。目的地につくと、兵粮奉行は歓喜して彼を迎え、

「このご来援がなかったら、おそらくあと二日か三日の間には、ここにある兵粮軍需品、すべて蜀の手へ奪られていたに違いありません」と、いった。

 嬉しさのあまりか、奉行はすこし許褚を歓迎しすぎた。許褚は宴に臨んで大酔してしまったのである。だが、気概は反対に凜々たるものがあり、奉行が、褒州の(さかい)にある敵について注意すると、

「安心しろ。万夫不当の許褚がついて行くのだ。今夜は月もよいから山道を歩くにいい。早々、馬匹車輛を押し出せ」

 と、促した。

 宵に出て、夜半(よなか)頃、この蜿蜒(えんえん)たる輜重(しちょう)の行軍は、褒州の難所へかかった。すると谷間から、一軍の蜀兵が、突貫して来た。

「敵は下の渓にいる。岩石を落してみなごろしにしろ」


 地の利をとって戦う気でいると、自分たちの頭の上から先に岩や石ころが落ちてきた。

 伏兵は、山の上下にいる。寸断された百足虫(むかで)のように、輜重車は、なだれくだって、谷間のふところへ出た。ここにも待っていた一隊の敵があった。許褚の影を見かけるや否、その敵将は、迅雷(じんらい)一電、

「許褚っ。さあ来いっ」


 大矛(おおほこ)をさしのべて、許褚の肩先を突いた。張飛であった。

 不覚にも許褚は、戦わないうちに、痛手をうけたのみか、どうと馬からころげ落ちた。

 張飛の二の(ほこ)が、飛龍のごとくそれへ向って、止めを刺そうとした時、張飛の鞍の腰へも、大きな石が一つあたった。馬ははねる。その間に許褚の部下たちが、切っ先をそろえて立ちふさがる。

 危うい中を、許褚は、手下の部将たちに助けられ、辛くも一命は拾い得たが、ために輜重の大部分は、張飛の手勢に奪われて、ほうほうの態で陽平関へ逃げもどって来た。

 時すでに陽平関は炎につつまれていた。敗れては退き、敗れては退き、各前線からなだれ来る味方は、関の内外に充満し、魏王曹操の所在も、味方にすら不明だった。

「すでに、北の門を出、斜谷(やこく)をさして、退却しておられる」

 と味方の一将に聞いて、許褚は事態の急に(おどろ)きながら、ひたすら主君を追い慕った。

 曹操は、その扈従(こじゅう)や旗本に守られて、陽平関を捨ててきたが、斜谷に近づくと、彼方の嶮は、天をおおうばかりな馬煙をあげている。

 彼は馬上にそれを見、

「やや、あれも孔明の伏兵か。もしそうであったら、我も生きる道はない」

 と、色を失った。

 ところがそれは、彼の次男曹彰(そうしょう)が、五万の味方をひきつれて、これへ駈けつけて来たものだった。曹彰は父とはべつに代州(たいしゅう)烏丸(うがん)(山西省・代県)の(えびす)の叛乱を治めに行っていたのであるが、漢水方面の大戦、刻々味方に不利と聞き、あえて父の命もまたず、夜を日についで加勢に向ってきたのだった。

「なに、北国の乱も平げた上、さらに、父の加勢にきたというか。ういやつ、ういやつ。勇気はそれだけでも百倍する。もう劉備に負けるものか」


 よほどうれしかったとみえ、曹操は馬上から手をさしのべてわが子の手を握り、しばらくその手を離さなかった。



 ここまでは敗走一路をたどってきた曹操も、わが子曹彰に行き会って、その新手五万の兵を見ると、俄然、鋭気を新たにして、急にこういう軍令を宣した。


「ここに斜谷(やこく)天嶮(てんけん)あり、ここに北夷(ほくい)を平げて、勇気凜絶(りんぜつ)の新手五万あり、加うるに、わが次男曹彰は、武力衆にすぐれ、この父の片腕というも、恥かしくない者である。こう三つの味方を得た以上は、盛りかえして、劉備をやぶることも、掌中の卵をつぶすようなものだ。いざ斜谷に()って、このあいだからの敗辱を一戦にそそごうではないか」

 かくて、戦の様相は、ここにまたあらたまって、両軍とも整備と休養を新たにし、第二次の対戦となった。

 劉備は、諸将と共に、陣前に出て云った。


「おそらく曹操は、こんどの序戦に、わが子曹彰を自慢にして出すだろう。そのとき曹彰を迎えて、一撃に討ち、彼の気をくじくならば魏の雑兵何万をころすよりも、この戦局を一変し得るが……。たれが曹彰の首を完全に挙げられるだろうか」


「それがしこそ」


「いや、わたくしが」


 ひとしく進み出たのは、孟達と劉封(りゅうほう)だった。

 が――孟達は、劉封も望んで出たので、ちょっと、遠慮する容子を示した。劉封は、劉備の養子。曹彰は曹操の実子。――これは劉封としてはぜひとも買って出たい名誉の一戦であろうと斟酌(しんしゃく)したからである。

 しかし劉備は、将に対しても士に対しても、公平を期しているものの如く、劉封がわが家の養子だからといって特に彼ひとりを選ぶようなことはしなかった。


「では、二人に命じる。おのおの五千騎をひきいて、先鋒の左右にひかえ、曹彰が出てきたら思い思いに功名をせい。その働きによって恩賞するであろう」


「ありがとう存じます」


 若い二人は勇躍して、おのおの五千騎を擁して、先頭の左右両翼に陣していた。

 果たせるかな、やがて陣鼓堂々、斜谷に拠っている敵方の一軍が平野へ戦列をしいたかと思うと、ただ一騎、その陣列を離れて、


「劉備はいるか。魏王の次男曹彰とは我である。父に代って一戦せん。劉備、これへ出よ」


 と、大声あげて、さしまねいている若武者がある。遠目に見ても(まばゆ)いばかりな扮装(いでたち)は、いうまでもなく曹家の御曹司(おんぞうし)曹彰(そうしょう)にちがいはない。

 孟達は、左翼から出ようとしたが、まず養子の劉封にここは譲るべきだと思ってひかえていた。すると右陣の劉封は、父劉備の威をうしろに負って、これも華やかな鎧甲(がいこう)を誇りながら、たちまち馬を飛ばして出た。

 だが、曹彰の前に近づいて、十合とも戦わないうちに、その一騎討ちは、誰の眼にも、曹彰の勝利と分った。劉封の武芸は、とうてい、曹彰の相手ではなかったのである。

 孟達は、急に駈け出して、

封君(ほうくん)。その敵は、それがしが引きうけた。お退きあれ」

 と、入れ代って、自身、曹彰にぶつかった。

 劉封は、一言もいわず、うしろを見せて、逃げ走っていた。曹彰は、孟達の邪魔を、振りのけながら、


「逃げるのか劉封。養父の劉備を(わら)ってやるぞ。親の顔へ泥を塗ってもいいのか」


 と(はずかし)めながら追いかけた。

 ところが、彼のひきいる魏の手勢が、うしろのほうから崩れだした。驚いて引っ返すと、蜀の呉蘭(ごらん)、馬超などが、いつのまにか斜谷のふもとへ出て、退路を断とうとしているらしい。

 曹彰は、父に似て、兵機をみるに敏だった。すでに多少の損害をうけたが、その禍いのまだ致命とならない間に、さっと軍をまとめ、敵将呉蘭の陣中を突風のごとく蹴ちらして、首尾よく斜谷の本陣へ引揚げてしまった。しかもその途中、道をさえぎる敵将の呉蘭を、馬上のまま一(せん)に薙ぎ払い、悠々迫らず帰ってきた武者ぶりは、さすが(ひょう)の子は豹の子、父曹操の若い頃を(しの)ばせるほどのものがあった。



 劉封は面目を失った。養父(ちち)の劉備にあわせる顔もない気がした。しかし孟達に対しては、


「自分の負けが、よけいぶざまに見えたのは、彼が横から出しゃ張って、曹彰を追いのけたせいもある」

 と、変な(ねた)みを抱いた。

 以来、劉封と孟達とは、なんとなく打ち解けない仲になった。劉封は武勇に乏しいのみか器量においても劉備の養子というには多分に欠けているものがあった。

 しかし曹操のほうでも、序戦以後は、日ごとに士気が衰えて行った。一曹彰が一劉封に勝ったと一時は歓んでみても全面的には、刻々憂うべき戦況にあったのである。蜀の張飛、魏延(ぎえん)、馬超、黄忠、趙雲(ちょううん)などという名だたる将は、陣をつらねて、斜谷(やこく)の下まで迫っていた。

 曹彰も、劉封には勝ったが、それ以後の合戦に出るたびごとに、蜀の猛将たちから目のかたきに追いまわされ、手も足も出せなかった。

 ここは都に遠い斜谷(陝西省漢中と西安との中間)の地。もしこれ以上の大敗を喫して、多くの将士を失うときは、本国まで帰ることすら甚だ覚つかないことになろう。――曹操も重なる味方の敗色につつまれて、心中悶々たるものがあった。

「兵を収めて、鄴都(ぎょうと)へ帰らんか、天下のもの笑いになるであろうし、止まって、この斜谷を死守せんか、日ごとに蜀軍は勢いを加え、ついにわが死地とならんもはかり難い……」


 こよいも彼は、関城(かんじょう)の一室に籠って、ひとり頬杖ついて考えこんでいた。

 ところへ、膳部の官人が、

「お食事を……」と、畏る畏る膳を供えてさがって行った。

 曹操は思案顔のまま喰べはじめた。温かい(ごう)(ふた)をとると、彼のすきな鶏のやわらか()が入っていた。

 ()らえども味わいを知らずであろう。彼は鶏の(あばら)をほぐしつつ口へ入れていた。

 すると、夏侯惇が、(とばり)を払って、うしろに立ち、

「こよいの用心布令(ぶれ)は、何と布令(ふれ)ましょうか」

 と、たずねた。

 これは毎夕定刻に、彼の指令を仰ぐことになっている。つまり夜中の警備方針である。曹操は何の気なしに、

鶏肋(けいろく)鶏肋」

 と、つぶやいた。

 鶏の骨をしゃぶっていたので、無意識に云い違えたものだろう。だが、夏侯惇は、曹操の言なので、何か含蓄(がんちく)のある命令にちがいないと呑みこんでしまい、

「はっ」
 と、そこを退がるや、城中の要所要所を巡って警固の大将たちへ、

「こよいの用心布令は鶏肋との仰せである。鶏肋鶏肋」


 と、布令廻った。

 諸将は怪しみ合った。鶏肋とはいったいなんのことか? 誰にも解けない。諸人は疑義まちまち、当惑するばかりだった。ときに行軍主簿の楊修(ようしゅう)だけは、部下をあつめて、

「都へ帰る用意をせい。荷駄行装をととのえて、お引揚げの命を待て」

 と、急にいいつけた。

 夏侯惇はおどろいた。自分が布令たことであるが、実は自分にも分っていないので、早速、楊修に向って訊いた。

「どういうわけで、貴公の隊ではにわかに引揚げの用意にかかられたか」
「されば、鶏肋というお布令を案じてのことでござる。それ鶏の(わきぼね)は、これを食らわんとするも肉なく、これを捨てんとするも捨て難き味あり、いま直面している戦は、あたかも肉なき鶏の肋を口にねぶるに似たりとの思し召かと拝察いたす。それにお気づきあるからには、わが魏王も益なき苦戦は捨てるに如かずと、はやご決心のついたものと存ずる」
「なるほど」

 夏侯惇は感服して、おそらく魏王の肺腑(はいふ)を見ぬいた言であろうと、ひそかにその旨をまた諸将へ告げた。



 その夜も曹操は、心中の煩乱(はんらん)に寝もやられず、深更、みずから、陣々の要害を見廻っていた。

夏侯惇(かこうじゅん)はいないか」


 彼はもってのほか愕いた顔している。馳けつけて来た夏侯惇のすがたを見るや否やこう訊ねた。


「諸将の部下どもは、なんでにわかに引揚げの支度をしておるのか。いったい誰が、軍旅の荷駄をまとめよなどと命令したか」


「主簿の楊修が、わが君の御心を察して、かくは一同、用意にかかりました」


「なに、楊修が。――楊修をこれへ呼べ」


 曹操はけわしい眉をしていた。楊修はやがてその前に平伏して、

「こよいの用心布令は鶏肋(けいろく)との仰せ出しなりと伺い、諸人お心の中を測りかねて難儀しておりましたゆえ、それがしがおことばのご意中を解いて、人々に引揚げの用意あってしかるべしと申しました」


 と、(はばか)りなくいった。

 自分の胸奥(きょうおう)を鏡にかけたように云いあてられて、曹操はひどく(おそ)れた。かつ不機嫌甚だしく、


「鶏肋とは、その意味で申したのではない。慮外者(りょがいもの)め」


 と、一喝したのみか、直ちに夏侯惇をかえりみて、軍律を(みだ)せる者、即座に首を打てと命じた。

 暁寒き陣門の柱に、楊修はすでに首となって()けられていた。昨夜の才人も、今朝は鳥の餌に供えられている。

「ああ、(はかな)い哉」

 さすが武骨の将たちも、慄然(りつぜん)とした。また楊修の才を(いた)んだ。


 かつて、こういう事があった。――鄴都(ぎょうと)後宮(こうきゅう)に一園を造らせ、多くの花木を移し植えて、常春(とこはる)の園ができあがった。……というので曹操は、一日その花園を見に出かけた。

 曹操は、善いとも悪いともいわなかった。ただ帰る折に、筆を求めて、門の額をかける横木へ「活」の一字を書いて去った。

(どういう思し召だろう)

 造庭師(にわし)も諸官の者も、ただ首を傾けて、曹操の意中を(おそ)れあうばかりだった。

 そこへ楊修が通りかかった。人々が彼に当惑を告げると、楊修は笑って、


「何でもない事ではありませんか。魏王のお胸は、花園にしては余りにひろすぎるからもっとちんまりと造り直せというご註文にちがいない――なぜかとお訊ねか。はははは。門の中に活という文字をかけば、即ち(ひろし)となるでしょう」

(なるほど)

 皆、感心してすぐ庭を造り直し、再度曹操の一遊を仰ぐと、曹操もこんどはひどく気に入ったらしく、


「たれが自分の心を酌んでこう直したのか」

 と、たずねた。――で、庭造りの役人が、

「楊修にて候」

 と答えると、曹操は急に黙って、喜ぶ色を(ひそ)めてしまった。

 なぜというに、楊修の才には、曹操もほとほと感心しながら、余りに、自分の意中をよく読み知るので、その感嘆もいつか妬みに似た忌避(きひ)となり、遂には彼の才能にうるさいような気持を抱くようになっていたからである。

 何にしても、才人才に亡ぶの(たとえ)にもれず、楊修の死は、楊修の才がなした禍いであったことに間違いはない。要するに、彼の才能は惜しむべきものであったが、もう少しそれを内に包んで、どこか一面は抜けている風があってもよかったのではあるまいか。


 楊修の言は、楊修が死んでから三日とたたないうちに、そのことばの理由ある所以(ゆえん)を現わし、魏の諸将をして、「鶏肋」の解釈をふたたび想い起させた。

 蜀軍は、その日も次の日も、斜谷の陥落もはや旦夕(たんせき)にありとみて、息もつかず攻めたてていたのである。

 ことに、最後の日は、両軍の接戦、惨烈を極めて、曹操自身も、乱軍の中に巻きこまれ、蜀の魏延と(やいば)(まじ)えているうちに、

「斜谷の城中から、裏切者が火の手をあげた」

 という混乱ぶりであった。

 だが、魏の陣中からあがった火の手は、裏切りがあってのことではなく、蜀の馬超が、斜谷の(けん)をよじ登って、ふいに搦手(からめて)から関内へ攻めこみ、後方攪乱(こうらん)の策に出た結果だった。

 しかし城を出て戦っていた魏軍の狼狽はひと通りでない。

「すわ、総くずれだ」と、後方の騒動に前軍も混乱して、まったく統一を失い、収拾もつかぬ有様に、曹操は剣を抜いて味方の上に擬し、

「誰であれ、みだりに陣地を捨て、背を見せて退()く者は、立ちどころに斬るぞ」

 と、督戦した。

 しかしその姿を見て、蜀の魏延、張飛などが、

「我こそ、彼の首を」と、(おめ)きかかるし、退こうとすれば、部下を督戦して叫んでいる自己の言を裏切るものだし、曹操もまた自縄自縛に陥ってしまうような苦戦だった。

 かくと見て、曹操のそばへ、馬をとばして助けにきたのは龐徳(ほうとく)だった。剛雄魏延を身にひきうけて、

「いざ、今のうちに、一方の血路をひらいて、早々落ちたまえ」

 と主の前に立ちふさがり、魏延の手勢、張飛の部下など、入れ代り立ち代り寄りたかって来る敵を、わき目もふらず防いだ。

 すでに斜谷の関城は、全面、焔につつまれ、山々の樹木まで焼けつづけている。

 魏軍は完敗した。今さらのごとく楊修のことばを思い出し、

(あのとき引揚げていたら――)と、思う者は少なくなかった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色