第123話、魏延と黄忠
文字数 6,499文字
劉備、
とりわけ成都の混乱と、太守
と、痛嘆する一部の側臣を尻目にかけ、
「それ見たことか」
と、自分たちの先見を誇ってみたものの、いまは内輪もめしていられる場合でもない。
劉璋もいまは、迷夢からさめたように、
と、それらの人々に防ぎを一任するしかなかった。
涪城から劉備が放しておいた
「蜀の四将が、全軍五万を、二手にわけて、一は雒城をかため、一は雒山の連峰をうしろにして、強固な陣地を構築しております」
劉備はすぐ諸将に
すると、幕将のうちでもいちばんの老将
と、いった。
云い終るか終らぬうちに、それとはまるで声からしてちがう者が、
と、横からその役を買って出た。
誰かと見れば、
と、老黄忠も黙っていない。
詰め寄ると、魏延、
と、黄忠も階をおり、魏延も堂をおりて、すんでに、
叱られて、黄忠も魏延も、共に地へひざまずき、面目なげに、うつ向いてしまった。
――と、
もとより劉備も本心から怒ったのではない。むしろ幕下の大将がかくまで旺盛な戦意を抱いていることは彼としてよろこばしいほどであったから、
といいつけた。
で、龐統が二人へいうには、
黄忠、魏延は勇躍して進軍した。龐統はまた劉備にいった。
と、劉備もまた用意して、関羽の養子関平と、劉封の二将をつれ、その日ただちに雒県へ急いだ。
黄忠勢、魏延の勢、ほとんど一軍のように、やがて敵前に、先鋒の備えを立てた。
魏延は、物見の兵に訊ねた。
「整然と終っています。夕刻を過ぎてから、ふたたび兵糧を
魏延の眼中には早、敵はない。ただ味方の黄忠に先んじられて、味方の者に面目を欠くことのみいたくおそれた。
いや、黄忠を押しのけて、独り功名を誇ろうとする気ばかり
魏延の命令は、士卒たちの予想をこえて、ひどく急だったから、一同は大いにあわてた。
元来、
(黄忠は敵の
と約束してきたのであるが、ここに来てから魏延の思うらく、
と、考え、にわかに、陣払いの時刻を早め、道もかえて、黄忠の進むべき左の山へ進路をとった。
夜どおし山を踏み越えてゆくと未明に敵陣が見えた。
どっと、山を離れて、敵営へ迫った。
敵は八文字に営門をひらいて、堂々、彼の軍を迎え一斉に弓をはなった。
冷苞はその中から馬をすすめて魏延に決戦を挑む。望むところと魏延は大いに戦ったが、そのうちに後方から崩れだした。
魏延は冷苞を捨てて野の方、五、六里も逃げ退いた。
ところが、野末の森や山ぎわからむらむらと起ってきた一軍が、
「魏延魏延。どこへ行く気か」
「快く降参してしまえ」
と、口々に呼ばわりながら鼓を鳴らし
魏延は、狼狽して、また逃げ道をかえた。
「卑怯ッ」
誰か、追ってくる。
振り向いてみると、これなん蜀の猛将鄧賢だった。
鄧賢は、大槍を頭上に持って、
あわや、槍は飛んで、魏延の背を
そのとき一本の
鄧賢の戦友
するとたちまち、堂々の金鼓、颯々の旗、一彪の軍馬は、野を横ぎって、冷苞勢の横を打ってきた。
真先にあるは老将黄忠であった。弓を持っている。矢を放って、先に彼の危急を救ったのも、彼だった。
この奇襲に、冷苞の勝色は、たちまち変じて、敗色を呈し、算をみだして、
先に廻って、ここを占領していたのは、劉備の命をうけた関平の一軍だった。
冷苞は帰るに陣もなく、狼狽の極、馬をめぐらして
「かかったぞ。網の中に」
たちまち、熊手や投げ縄が、八方の
ここに彼を待って奇功を獲たのは、魏延であった。魏延の得意なことはいうまでもない。
実は、彼としては、軍法を犯してまで黄忠を抜駈けしたものの、序戦には大敗を喫し、多くの兵を損じたので、
と、独り焦躁していたところに敵の一大将を捕虜にしたのであるから、その満足感はなおさら大きかった。
蜀兵の捕虜は、このほかにもおびただしく劉備の後陣へ送られてきた。とまれ第一戦はまず味方の大勝に帰したわけであるから、劉備は将士に恩賞を
ときに、老黄忠は、劉備の前に出てこう訴えた。
劉備の使いに、魏延は直ちに、
それを見ると劉備は、この勇将を軍法に処す気になれなかった。その愛を内に秘めて彼はこう魏延を叱った。
魏延は、黄忠に向って、
と、ひざまずいて頓首した。
劉備はそれを見ながら、もう一言詫びよといった。魏延は抜駈けのことだと察したので、
黄忠はもう何もいえなくなった。劉備は老黄忠の年にめげなき働きを賞して、
と、約した。
劉備はまた捕虜の大将冷苞を説いて、
縄を解かれた上、ねんごろに陣外へ放されたので、冷苞は大よろこびで雒城へ飛んで行った。――魏延は見送って、
と、いまいましげに呟いたが、劉備は、
と、いった。
果たせるかな、冷苞は帰らない。雒城へ入ると、味方の劉璝や
と偽り、序戦は敗れたかたちだが、劉備の如き、何ものでもない。などと敗将の気焔はかえって旺盛なものだった。
「何よりは、もっと兵力を」
と、この三将から成都へ
ほどなく、劉璋の嫡子
だが
呉懿はここへ着くとこういう命令を出した。そこで五千の
奪取した二ヵ所の陣地に、黄忠と魏延の二軍を入れて、
折からまた、遠くへ行った
「呉の孫権が、漢中の
劉備は驚倒せんばかり顔いろを変えた。すぐ
すぐ孟達は呼ばれた。けれど彼はこう献策して、もう一人の大将を求めた。
ゆるされて、霍峻にも同様の命が下り、即日ふたりは
その出立を励まして、龐統が仮の
「変なお客が見えましたが」と、主人の意を伺いにきた。
「
無造作な
見ると、玄関を上がって、そこの床の上に、仰向けに寝ている男がある。浪人生活は自分も長年体験している龐統も、この不作法な壮士には、あきれ顔に、眼をみはった。
室へ導いて、上座を与え、酒食をすすめると、遠慮などはしない。実によく喰う。また痛飲する。
だが、天下の大事はなかなか云いださない。そのうちに、飲むだけ飲むと、ごろりと横になって寝てしまった。
法正は、その寝顔をのぞきこむと、手を打って、
と、いった。
その声に眼をさまして、永年はむくむくと起き出した。
そして顔を見合うと、
と、おたがいにまた、手をたたいて笑った。
龐統は、呆っ気にとられて、
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