第139話、魏呉の協力

文字数 7,140文字


 魏の勢力が、全面的に後退したあとは、当然、劉備の蜀軍が、この地方を風靡(ふうび)した。

 上庸(じょうよう)も陥ち、金城(きんじょう)(くだ)った。

 申耽(しんたん)、申儀などという旧漢中の豪将たちも、

「いまは誰のために戦わん」といって、みな蜀軍の麾下(きか)へ、降人(こうじん)となって出た。

 劉備は、布告を発して、よく軍民の一致を得、政治、軍事、経済の三面にわたって、画期的な基礎をきずいた。

 こうして彼の領有は、一躍、四川(しせん)漢川(かんせん)の広大な地域を見るにいたり、いまや蜀というものは、江南の呉、北方の魏に対しても、断然、端倪(たんげい)すべからざる一大強国を成した。

 時を観ていた孔明は、折々、諸大将と意見を交わして、



「いまや東西両川(りょうせん)の民は、ことごとく君の徳になつき、ひそかにわが皇叔(こうしゅく)が、名実ともに王位に即かれて、内は民を定め、外には騒乱の賊を(しず)め給わんことを、心から(ねが)っておる」


 と、即位進言のこころを()らすと、人々も異議なく、

「そうなくてはならない。ぜひ折を見て、(りょう)軍師から皇叔へおすすめを仰ぎたい」

 と、同意を表した。

 孔明は、諸臣の代表として、法正を伴い、ある時、改まって、劉備に(えっ)した。そして、


「君にもはや、御齢(おんよわい)五十をすぎ給い、威は四海に(ふる)い、徳は四民にあまねく、東除西討、いまや両川の地に君臨されて、名実ともに兼備(かねそな)わる。これは単なる人力のみの功績ではありません。天の理法、天の意というものも、思わねばなりません。よろしく君にはこの時に、天に応じて王位にお即きあるべきです」


 というと、劉備は、さもさも驚いたように、その面を左右に振った。


「何をいうぞ、軍師。予は漢室の一族にはちがいないが、なお許都には、皇帝がおわす。いついかなる所にあっても、身は臣下の分を忘れたことはない。もし王位を僭称し、曹操の(おご)りに(なら)うような真似をしたら、何をもって、国賊を討つ名分となすぞ」


「いやいや、帝位を(とな)え給うには非ず。漢中王に()かるる分には、何のさしつかえがありましょう。いま宇内(うだい)二分して、呉は南に覇をとなえ、魏は北に雄飛し、また君のご威徳によって、西蜀漢中の分野ここに定まるとはいえ、なお前途の大統一を思う同気の(ともがら)は、我が君が、あまりに世間の(そし)りを気にかけて、いわゆる謙譲の美徳のみを唯一の道としておいでになると、ついには君の大器を疑い、三軍の心、ために変ずるの憂いがないとはいえません。天ゆるし、地もすすめる時は、隆々の盛運に乗って、君ご自身、さらに雲階(うんかい)を昇って栄位に進み、歓びを、帷幕(いばく)や三軍の将士に(わか)つこそ、また国を(さかん)にする大策たること疑いもありません。ねがわくは皇叔一個のご潔癖にのみとらわれず、御心を大にして、天地の欲するままに順応せられんことを」

 と、極力すすめた。

 劉備はなお容易に(がえん)じなかった。いかに臣下や両川の民がそれを望んでも、あきらかに天子から勅命がない以上は、自称し僭称するものである。そういうことは自分は嫌いだといって、飽くまでしりぞけた。

 けれど孔明以下、法正も張飛も趙雲もたびたび、進言して、劉備の積極性をうながしたため、ついに彼もそれを許容することになり、ここに文官の

譙周(しょうしゅう)(ひょう)を作った。そして使いは、許都の天子のもとへ、その表を呈し、劉備が漢中王に即くことを正式に奏した。

 建安二十四年の秋七月。

 沔陽(べんよう)(陝西省・漢中の西方)に式殿と九重の壇をきずいて、五色の幡旗(ばんき)をつらね、群臣参列のうえ、即位の典は挙げられた。

 同時に、嫡子劉禅(りゅうぜん)の王太子たるべき旨も宣せられた。

 許靖(きょせい)をその太傅(たいふ)とし、法正は尚書令(しょうしょれい)に任ぜられた。

 軍師孔明は、依然、すべての兵務を総督し、その下に、関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲の五将をもって、五虎大将軍となす旨が発布され、また魏延は、漢中の太守に封ぜられた。


「なに、むかし(むしろ)を織っていた凡下(ぼんげ)が、ついに漢中王の名を冒したというか。憎むべき劉備の不遜(ふそん)、あくまで、この曹操と互角に対峙(たいじ)せん心よな」


 魏王曹操が、大きく衝動をうけたことは、いうまでもない。


「起てよ、わが百万の鉾刃(ぼうじん)。――何ぞ、蜀の傍若無人なる。彼をして無事に、漢中王の名を僭称させておいては、身禁門を擁護する曹操として、何の面目やある」


 魏王は、獅子吼(ししく)した。

 時に大議事堂に満つる群臣の中から起って、


「否とよ大王、一旦のお怒りに駆らるるは、上乗に非ず、すべからく蜀の内部に衰乱の(きざ)すを待って、大挙、軍を向け給え」

 と、いさめた者がある。

 諸人が、何人(なんぴと)かと見れば、司馬懿(しばい)(あざな)は仲達、近ごろ曹操の側臣中、彼ありと、ようやく認められてきた英才である。

 曹操はじろと見て、

「――うむ、それもよかろう。しかし仲達、蜀の衰亡を、ただ拱手(きょうしゅ)して待つわけでもあるまい。汝にいかなる計があっていうか」


「さればです。臣の察するに、呉の孫権は、先に妹を劉備に嫁し、のち取り返して、以後、絶縁のままになっているものの、その心中には、歯をくいしばるの恨みをのんでおりましょう。――いま魏王の御名をもって、使いを呉に立て、呉が荊州を攻むるならば、魏は呼応して、呉を(たす)け、また劉備の側面を突かん――と、利害をあきらかにおすすめあれば、孫権のうごくこと、百に一つも間違いはありません」

「呉を。……そうか、呉をしてまず、戦わせるか」


「荊州の危うきときは、漢川(かんせん)危殆(きたい)に瀕し、漢川を失えば蜀もまた窒息(ちっそく)のやむなきに至りましょう。いずれにせよ、長江波高き日は、劉備が一日も安らかに眠られない日です。彼は両川の兵をあげても、荊州の急を救わんとするでしょう。かかる状態を作っておいてから、わが魏の大軍がうごくにおいては、兵法の(ひじり)がいっているごとく、必勝を見て戦い、戦うや必ず勝つ、の図にあたりましょう」
「善言善言」

 仲達の考えは容れられた。使者には満寵(まんちょう)が選ばれた。彼はたびたび、呉へも行っているし、外交官として聞えがある。

 


 さてここに、呉の孫権も、遠く魏蜀の大勢をながめ、呉の将来も、決して今日の安泰を、明日の安泰としていられないものを自覚していた。

 ところへ、魏使が着いた。

 孫権はまず張昭(ちょうしょう)にたずねた。張昭は答えていう。


「おそらく修交を求めてきたのでしょう。ともあれ会ってごらんなさい」

 孫権はそれに従った。満寵を引いて、主賓の座を分ち、礼おわって、来意をたずねた。満寵はつつしんで使いの旨をのべ、


「魏と呉とはもとより何の仇もなく、ただ孔明の弄策(ろうさく)に災いされ、過去数年の戦いを見たものです。その結果、利を獲たものは、実に、呉でもなく魏でもなく、いまや蜀漢二(せん)の地を占めている劉備ではありますまいか。――魏王曹操も、非をさとり、貴国と長く唇歯(しんし)(よし)みを結んで、共に劉備を討たんという意思を抱いておられます。ねがわくは、相侵(あいおか)すなく、両国の修交共栄の基礎がここに定まりますように」

 と、魏王の書簡を孫権の座下に呈した。

 使者の満寵(まんちょう)は、やがて歓迎の宴に臨んだ。曹操の書簡を見てからの孫権は甚だ気色が(うるわ)しい。満寵はひそかに、(この外交は成功する)と、信じていた。

 彼は酔って客館にさがった。だが、呉宮の殿堂は、深更まで、緊張を呈していた。重臣はみな残って、孫権を中心に、

(魏の申し出にどう答えるか)と、その修交不可侵条約の求めにたいして、検討評議にかかったのである。

「もちろん魏の大望は、天下を統一して、魏一国となすにあるので、これは曹操の(いつわ)りにきまっておるが、さればといって、明らかに彼の申し出を(こば)み、魏の重圧を一方にひきうけて、蜀の立場を有利にさせ、呉の兵馬を消耗しては面白くない」


 これは顧雍の説だった。

 そのほか有力な呉人の国際観も、たいがい同じ見解をもっている。

 要するに、不和不戦、なるべく魏との正面衝突は避け、他をもって戦わせ、そのあいだにいよいよ国力を充実し、起つ機会を充分にうかがうべし――という意見である。

 諸葛瑾(しょかつきん)が、一策を唱えた。

「ひとまず使者の満寵はお帰しあって、呉よりも改めて、一使を魏に派遣されたらいかがです。そのあいだに別な使者を荊州へ送るのです。いま荊州の守りは、例の関羽ですが、これに我が君より書簡をつかわし、大勢を説いて、呉に協力させまする。もし関羽だに承知して、呉に(くみ)するなら、断然、魏を拒んで、曹操と一戦なすも、決して、呉は敗るるものではありません」
「もし関羽が断ったら?」

「そのときは、直ちに魏の申し入れを容れ、相携えて荊州を攻め取るばかり」


「妙変、臨機、大いによろしい。けれど諸葛兄、それはほとんど、後者にきまっていよう。劉備の信任も篤く、忠誠無比といわれる関羽が、一片の書簡に変じて、呉に協力しようとは思われん」


「さよう。単なる外交では望みはありますまい。けれど彼は情にもろい豪傑です。私の計とは、婚姻政策です。関羽には一男一女がありますから、呉の世子にその娘を迎えたいがといったら、応じてくると考えますが」

 孫権は諸葛瑾(しょかつきん)の案にうなずいた。さしずめ、瑾を使者として、荊州へつかわそう。そして一方、魏の曹操にも、使いを立て、まず双方の機変を打診してみた上としても、呉が態度を定めるのは遅くもあるまい――ということに議をまとめて、次の日、満寵にはしかるべき礼物と答書を与えて、魏へ送り帰した。

 魏の船が出ると、すぐ後から瑾の乗っている船が出た。その船は荊州へ着いた。

 孔明の兄とは知っているが、呉の使者として来たと聞くと、関羽は出迎えもせず、悠然、これを待って対面し、

「何です。ご辺の用向きは」

 と、応対まことに武骨だった。

 瑾は不快とも思わない。むしろ武弁で正直な関羽の人柄に敬慕をおぼえながら話した。

「将軍のお娘御も、もう妙齢とうかがいましたが、主人孫権にも一男あり、呉の人はみな、好世子とたたえております。いかがでしょう、ご愛嬢を、呉の世子に嫁がせるお心はありませんか」


 聞くと、関羽は、毛ぶかい顔をゆがめて、さも(いや)しむように、(きん)の口もとをながめ、


「ないなあ、そんな気は」

 と、(にべ)なく、いった。

 瑾がかさねて、

「なぜですか」
 とたたみかけると、関羽は勃然と、(ひげ)の中から口を開き、
「なぜ、犬ころの子に、虎の娘をやらねばならぬ」

 と、吐き出すように云った。

 瑾は(くび)をすくめた。それ以上、口をあくと、関羽の剣がたちまち(さや)を脱して来そうな鬼気を感じたからであった。

 (きん)の使いは失敗に帰した。ほうほうの(てい)で呉へ帰り、ありのままを孫権に復命した。


「推参なる長髯獣(ちょうぜんじゅう)め。われに荊州(けいしゅう)()るの力なしと見くびったか」


 孫権は、荊州攻略の大兵をうごかさんとして、その建業城の大閣に、群臣の参集を求めた。

 参謀の歩隲(ほしつ)がその議場で反対をのべた。


「荊州進攻は、断じてご無用です。それは()の思うつぼで、わが呉の兵馬を、曹操のために用いられるも同様ではありませんか」


 然りとする者、否とする者、議場は喧騒した。隠忍久しき呉も、いまや自信満々である。諸将の面上には、かつてのこの国には見られなかった覇気(はき)闘志がみなぎっている。

 歩隲はかさねて云った。

「反対に、魏の兵馬を、呉の用に供せしめてこそ、上策と申すべきに、さる深慮もめぐらさず、ただひしめいて手ずから荊州を奪らんとするなど、一州を奪るにもどれほどな兵力と軍需を消耗するものか、国力の冗費(じょうひ)を思わぬものだ」


 すると、主戦的な人々は、声をそろえて、

「そんな巧いわけにゆくものか。犠牲なくして、国運の進展なし。また、国防なし」

 と、あちこちで呶号した。

 歩隲は、衆口を睥睨(へいげい)して、


「まず黙って聞き給え。いま曹操の弟曹仁は、襄陽(じょうよう)から樊川(はんせん)地方に陣取っている。これ、隙あらば荊州に入らんと、機をうかがっているものであるが、彼もさるもの、まず呉に戦わせ、その後、好餌を喰らわんと、(つば)をのんでひかえておる。――で、呉は今こそ、かねて懸案の対魏方策を一決して、彼の望みどおり同盟の好誼(よしみ)をむすび、その代りに、直ちに、曹仁の軍勢をもって荊州へ攻め入ることを条件とするならば、魏も否やをいう口実なく、われらの思い通りな形勢に導くことになろうではないか」

 と、万丈の気を吐いた。

 孫権は、歩隲の策を()れた。そう運べば、多年の宿志も一()して成るべしと、すぐさま呉の代表を送って、曹操に書簡を呈し、魏呉不可侵条約、ならびに軍事同盟の締結をいそいだ。


 呉の外交官と引見した曹操は、すぐ条約の文書に調印を与えた。

 曹操の肚では、何よりも劉備と孫権との提携をおそれていたのである。いまその蜀呉合作(がっさく)を未然に打破して、蜀を孤立させただけでも、大いなる成功であるとなし、呉の附帯条件も、文句なしに容れたものと思われる。

 呉から提示していた条件というのは、もちろん魏の即時荊州進攻の実行にある。曹操は、調印直後、満寵(まんちょう)樊川軍(はんせんぐん)参謀に任じ、曹仁のいる前線拠地――樊城(はんじょう)へ派遣して、彼を(たす)けさせた。


 蜀はこの間に、もっぱら内治と対外的な防禦に専念し、漢中王劉備は、成都に宮室を造営し、百官の職制を立て、成都から白水(はくすい)(四川省広元県西北。蜀の北境)まで四百余里という道中の次々には駅舎を設け、官の糧倉を建て、商工業の振興と交通の便を促進するなど、着々その実をあげていた。

 もとよりこういう治民経世の策はその一切が孔明の頭脳から出ていたといってよい。孔明はかかる忙しい中に、荊州からの急使をうけたのである。即ち、魏の曹仁が、突如、堺を(おか)して、荊州へ行動を起してきた――と。


「関羽がおります。ご心配には及びますまい」


 漢中王の驚愕をなだめて、彼は常とかわりなく、沈着にその事を処置した。

 司馬費詩(ひし)は、孔明の旨をうけて、荊州へ急行した。

 関羽に会うと、彼は、漢中王の王旨であるといって、


「荊州の運命は、いまや将軍の一肩にある。よろしく州中の兵を起して、ただ守るにとどまらず、敵の樊城をも攻め奪られよ」

 と、伝えた。

 関羽は、自分を信頼してくれる劉備の依然として(あつ)い知遇に感泣した。けれど、その任の重大にしてかつ困難なことにも思い到らざるを得なかった。

 費詩はまた言を重ねて、

「ついてはこの(しお)に、閣下を、五()大将軍の一人に列せられました。ありがたく印綬(いんじゅ)をおうけ下さい」

 と、いった。

 関羽は例の朴訥(ぼくとつ)な気性からむっとした容子で、

「五虎大将軍とは何ですか」


「王制の下に、新たに加えられた名誉の職です。つまり蜀の最高軍政官とでも申しましょうか」


「誰と誰とがそれに任ぜられたのか」


「閣下のほかには張飛、馬超(ばちょう)趙雲(ちょううん)、黄忠の四将軍です」


「ははは。児戯(じぎ)にひとしい」
 と関羽は満心の不平を笑いにまぎらせて云った。

「馬超は亡命の客将。黄忠はすでに老朽の好々爺(こうこうや)。それらの人士と、われにも同列せよとのお旨であるか」


「関羽将軍には、ご不満らしいが、五虎大将軍の職制は、要するに、王佐(おうさ)藩屏(はんぺい)として、国家の必要上設けられたものであって、漢中王とあなたとの情義や信任の度をあらわしたものではありません。おそらくあなたは、むかし桃園に義をむすんだ劉備玄徳という人を思い出して、自分と黄忠などを同視するのかと、ふと淋しい気がしたのでしょうが、それは大いなる国家の職制とわたくしの交情とを、混同されたお考えとぞんじますが」


 関羽は急に費詩の前に拝伏して慚愧(ざんき)した。

 ――然り、然り、もし貴殿のあきらかな忠言を聞くのでなかったら、自分はここにおいて、君臣の道のうえに、ついに取返しのつかぬ過誤を(いだ)いてしまったであろう――と。

 即ち、彼は卒然と、自分の小心を恥じて、その印綬をうけ、涕涙(ているい)再拝して、

「小弟の愚かな放言をおゆるしください」

 と、はるか成都のほうへ向って詫びた。

 荊州城の内外には、一夜のうちに彼の麾下(きか)なる駿足が集まった。関羽の令が常に厳としてよく守られていることがわかる。関羽は将台に登って、今や樊川(はんせん)の曹仁が、駸々(しんしん)と堺に迫りつつある事態を告げ、出でてこれを迎撃し、さらに敵の牙城(がじょう)樊川を奪り、もって、蜀漢の前衛基地としてこの荊州を万代の(やす)きにおかねばならないと演説した。

 彼の将士は、万雷のような拍手をもってそれに答え、出陣に歓呼した。

 先陣は廖化(りょうか)。その副将には関平(かんぺい)。――参謀として馬良、伊籍(いせき)。――留守の大将には誰々をと、その場で、各隊の部将や所属も任命された。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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