第139話、魏呉の協力
文字数 7,140文字
魏の勢力が、全面的に後退したあとは、当然、劉備の蜀軍が、この地方を
「いまは誰のために戦わん」といって、みな蜀軍の
劉備は、布告を発して、よく軍民の一致を得、政治、軍事、経済の三面にわたって、画期的な基礎をきずいた。
こうして彼の領有は、一躍、
時を観ていた孔明は、折々、諸大将と意見を交わして、
と、即位進言のこころを
「そうなくてはならない。ぜひ折を見て、
と、同意を表した。
孔明は、諸臣の代表として、法正を伴い、ある時、改まって、劉備に
「君にもはや、
というと、劉備は、さもさも驚いたように、その面を左右に振った。
「何をいうぞ、軍師。予は漢室の一族にはちがいないが、なお許都には、皇帝がおわす。いついかなる所にあっても、身は臣下の分を忘れたことはない。もし王位を僭称し、曹操の
と、極力すすめた。
劉備はなお容易に
けれど孔明以下、法正も張飛も趙雲もたびたび、進言して、劉備の積極性をうながしたため、ついに彼もそれを許容することになり、ここに文官の
建安二十四年の秋七月。
同時に、嫡子
軍師孔明は、依然、すべての兵務を総督し、その下に、関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲の五将をもって、五虎大将軍となす旨が発布され、また魏延は、漢中の太守に封ぜられた。
魏王曹操が、大きく衝動をうけたことは、いうまでもない。
魏王は、
時に大議事堂に満つる群臣の中から起って、
と、いさめた者がある。
諸人が、
曹操はじろと見て、
仲達の考えは容れられた。使者には
さてここに、呉の孫権も、遠く魏蜀の大勢をながめ、呉の将来も、決して今日の安泰を、明日の安泰としていられないものを自覚していた。
ところへ、魏使が着いた。
孫権はまず
孫権はそれに従った。満寵を引いて、主賓の座を分ち、礼おわって、来意をたずねた。満寵はつつしんで使いの旨をのべ、
「魏と呉とはもとより何の仇もなく、ただ孔明の
と、魏王の書簡を孫権の座下に呈した。
使者の
彼は酔って客館にさがった。だが、呉宮の殿堂は、深更まで、緊張を呈していた。重臣はみな残って、孫権を中心に、
(魏の申し出にどう答えるか)と、その修交不可侵条約の求めにたいして、検討評議にかかったのである。
「もちろん魏の大望は、天下を統一して、魏一国となすにあるので、これは曹操の
これは顧雍の説だった。
そのほか有力な呉人の国際観も、たいがい同じ見解をもっている。
要するに、不和不戦、なるべく魏との正面衝突は避け、他をもって戦わせ、そのあいだにいよいよ国力を充実し、起つ機会を充分にうかがうべし――という意見である。
孫権は
魏の船が出ると、すぐ後から瑾の乗っている船が出た。その船は荊州へ着いた。
孔明の兄とは知っているが、呉の使者として来たと聞くと、関羽は出迎えもせず、悠然、これを待って対面し、
と、応対まことに武骨だった。
瑾は不快とも思わない。むしろ武弁で正直な関羽の人柄に敬慕をおぼえながら話した。
聞くと、関羽は、毛ぶかい顔をゆがめて、さも
と、
瑾がかさねて、
と、吐き出すように云った。
瑾は
孫権は、荊州攻略の大兵をうごかさんとして、その建業城の大閣に、群臣の参集を求めた。
参謀の
然りとする者、否とする者、議場は喧騒した。隠忍久しき呉も、いまや自信満々である。諸将の面上には、かつてのこの国には見られなかった
歩隲はかさねて云った。
「反対に、魏の兵馬を、呉の用に供せしめてこそ、上策と申すべきに、さる深慮もめぐらさず、ただひしめいて手ずから荊州を奪らんとするなど、一州を奪るにもどれほどな兵力と軍需を消耗するものか、国力の
すると、主戦的な人々は、声をそろえて、
「そんな巧いわけにゆくものか。犠牲なくして、国運の進展なし。また、国防なし」
と、あちこちで呶号した。
歩隲は、衆口を
と、万丈の気を吐いた。
孫権は、歩隲の策を
呉の外交官と引見した曹操は、すぐ条約の文書に調印を与えた。
曹操の肚では、何よりも劉備と孫権との提携をおそれていたのである。いまその蜀呉
呉から提示していた条件というのは、もちろん魏の即時荊州進攻の実行にある。曹操は、調印直後、
蜀はこの間に、もっぱら内治と対外的な防禦に専念し、漢中王劉備は、成都に宮室を造営し、百官の職制を立て、成都から
もとよりこういう治民経世の策はその一切が孔明の頭脳から出ていたといってよい。孔明はかかる忙しい中に、荊州からの急使をうけたのである。即ち、魏の曹仁が、突如、堺を
漢中王の驚愕をなだめて、彼は常とかわりなく、沈着にその事を処置した。
司馬
関羽に会うと、彼は、漢中王の王旨であるといって、
と、伝えた。
関羽は、自分を信頼してくれる劉備の依然として
費詩はまた言を重ねて、
と、いった。
関羽は例の
「関羽将軍には、ご不満らしいが、五虎大将軍の職制は、要するに、
関羽は急に費詩の前に拝伏して
――然り、然り、もし貴殿のあきらかな忠言を聞くのでなかったら、自分はここにおいて、君臣の道のうえに、ついに取返しのつかぬ過誤を
即ち、彼は卒然と、自分の小心を恥じて、その印綬をうけ、
と、はるか成都のほうへ向って詫びた。
荊州城の内外には、一夜のうちに彼の
彼の将士は、万雷のような拍手をもってそれに答え、出陣に歓呼した。
先陣は
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