第76話、孫策の死
文字数 9,095文字
呉の国家は、ここ数年のあいだに実に目ざましい躍進をとげていた。
彼の臣、
孫策の「漢帝に
孫策の眼にも漢朝はあったけれど、その朝門にある曹操は眼中になかった。
孫策はひそかに大司馬の官位をのぞんでいたのである。けれど、容易にそれを許さないものは、朝廷でなくて、曹操だった。
甚だおもしろくない。
だが、並び立たざる両雄も、あいての実力は知っていた。
曹操は、獅子の児と噛みあう気はなかった。
しかし獅子の児に、乳を与え、
ただ手なずけるを上策と考えていた。――で、一族
呉郡の太守に、
取調べてみると、果たして、密書をたずさえていた。
しかも、驚くべき大事を、都へ密告しようとしたものだった。
(呉の
こういう内容である。
孫策は怒って、直ちに、
「何とかして、恩人の
と、ともに血をすすりあい、山野にかくれて、機をうかがっていた。
孫策はよく
その日も――
彼は、大勢の臣をつれて、
するとここに、
「今だぞ、復讐は」
「加護あれ。神仏」
と、かねて彼を狙っていた例の食客浪人は、
孫策の馬は、稀世の名馬で「五
彼の弓は、一頭の鹿を見事に射とめた。
振向いた時である。孫策の顔へ、ひゅっと、一本の
顔を
「恩人
孫策は、弓をあげて、一名の浪人者を打った。しかし、また一方から突いてきた槍に太股をふかく突かれた。五花馬の背からころげ落ちながらも、孫策はあいての槍を奪っていた。その槍で自分を突いた相手を即座に殺したが、同時に、
「うぬっ」と、うしろから、二名の浪人もまた所きらわず、彼の五体を突いていた。
うう――むッと、大きなうめきを発して、孫策が
何にしても、国中の大変とはなった。応急の手当を施して、すぐ孫策の身は、呉会の本城へ運び、ふかく外部へ秘した。
うわ言のように、当人はいいつづけていた。さすがに気丈であった。それにまだ肉体が若い。
いわれるまでもなく、名医華陀のところへは、早馬がとんでいた。すぐ呉会の城へのぼった。けれど華陀は眉をひそめた。
三日ばかりは、
けれども二十日も経つと、さすがに名医華陀の手をつくした医療の効はあらわれてきた。孫策は時折、うすら笑みすら枕頭の人々に見せた。
そんなおり、遠く河北の地から、
ほかならぬ袁紹の使いと聞いて、孫策は病中の身を押して対面した。
使者の陳震は、袁紹の書を呈してからさらに口上をもって、
と、軍事同盟の緊要を力説し、天下を二分して、長く両家の繁栄と泰平を計るべき絶好な時機は今であるといった。
孫策は大いに歓んだ。
後日返事を送るということで、陳震にはかえってもらった。
その後、孫策は、すぐに倒れ込んでしまった。
無理をして陳震との会見を行ったことがいけなかったのか、孫策の症状は急激に悪化した。
もう名医
夫人は、
張昭以下、譜代の重臣や大将たちが、ぞくぞくと集まった。
孫策は、
と求めて、唇の
そういって、細い手を、わずかにあげて、
群臣のあいだから、あわれにもまだ年若い人の低い声がした。
それは弟の孫権だった。
孫権は、泣きはらした眼をふせながら、兄孫策の枕頭へ寄って、
と、両手で顔をつつんで泣いた。
孫策は、いまにも絶えなんとする呼吸であったが、強いて微笑しながら、枕の上の顔を振った。
刻々と、彼の眉には、死の色が
そういうと、彼は、呉の
孫権は、おののく手に、印綬をうけながら、片膝を床について、
孫策は、なお眸をうごかした。泣き仆れていた妻の
云い終ったかと思うと、忽然、息がたえていた。
孫策、実に二十七歳であった。江東の小覇王が、こんなにはやく
けれど、孫策が臨終にもいったように、兄の長所には及ばないが、兄の持たないものを彼は持っていた。それは内治的な手腕、保守的な政治の才能は、むしろ孫権のほうが長じていたのである。
孫権、
呉は国中
葬儀委員長は、孫権の叔父
孫権は
張昭は、彼を見るたびに、そういって励ました。
孫策の母も、未亡人も、彼のすがたを見ると、涙を新たにして、故人の遺託をこまごま伝えた。
周瑜は、故人の霊壇に向って拝伏し、
そのあとで、彼は孫権の室に入って、ただ二人ぎりになっていた。
ちょうど田舎の豪農というような家構えだった。門の内には
その家の門をくぐれば、その家の主人の
門を通ってもとがめる者なく、内は広く、そして平和だった。あくまでこの地方の大百姓といった構えである。どこやらで牛が啼いている。振向くと村童が二、三人、納屋の横で水牛と寝ころんでいる。
近づいて、周瑜が問うと、村童たちは、彼の姿をじろじろと見まわしていたが、
「いるよ、あっちに」と、木の間の奥を指さした。
見るとなるほど、田舎びた母屋とはかけ離れて一棟の書堂が見える。周瑜は童子たちに、
と、愛想をいって、そこへ向う、
すると、立派な風采をした武人が供を連れて、
周瑜は気にもかけなかった。そのまま書堂の前まで来ると、ここには今、
周瑜がいんぎんに問うと、魯粛は豊かな眼をそそいで、
魯粛は非常におどろいた。巴丘の周瑜といえば知らぬ者はなかったのである。
と、書堂に
うわさにたがわぬ魯粛の人品に、内心すっかり感悦していた周瑜は、辞を低うしてこう説いた。
と、まえおきして、
と、快諾の旨を答えた。
周瑜はこおどりして、
と、直ちに馬を並べて、呉郡に帰り、魯粛をみちびいて、主君孫権にまみえさせた。
彼を迎えて、孫権がいかに心強く思ったかはいうまでもない。以来、
ある日は、ただ二人酒を飲んで、夜半まで燭をかかげて、国事を談じたりなどしていた。
若い孫権の眸はかがやく。
魯粛は答えていう。
孫権はじっと聞いていた。彼の
その後、数日の暇を乞うて、魯粛が田舎の母に会いに行く時、孫権は、彼の老母へといって、衣服や
魯粛はその恩に感じ、やがて帰府するとき、さらにひとりの人物を伴ってきて、孫権に推薦した。
この人は、漢人にはめずらしい二字姓をもっていたから、誰でもその家門を知っていた。
姓を
孫権に、身の上をたずねられて、その人は語った
孫権は非常になつかしそうな顔をした。
魯粛はかたわらから、
と、その
孫権は、彼を呉の
この
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