第131話、宮中の冬

文字数 4,960文字

 魏の大軍が呉へ押襲(おしよ)せてくるとの飛報は、噂だけにとどまった。

 嘘でもなかったが、早耳の誤報だったのである。

 この冬を期して、曹操が宿望の呉国討伐を果たそうとしたのは事実で、すでに南下の大部隊を編制し、各部の諸大将の任命も内々決定していたのであるが、参軍の傅幹(ふかん)という者が、長文の上書をして、

 一、今はその時でない事

 一、漢中の張魯、蜀の劉備などの動向の重大性

 一、呉の新城秣陵(まつりょう)の堅固と長江戦の至難

 一、魏の内政拡充と臨戦態勢の整備

 等の項目にわたって諫言(かんげん)したので、曹操も思い直して出動を見あわせ、しばらくはなお、内政文治にもっぱら意をそそぐこととした。

 新たに、文部の制を設け、諸所に学校を建てて、教学振興を計った。

 彼がこうして少し、善政を()くと、すぐそれを誇大にたたえて、お太鼓をたたく連中もできてくる。

 宮中の侍郎(じろう)王粲(おうさん)和洽(かごう)杜襲(としゅう)などという軽薄輩で、

「曹丞相はもう魏王の位に即かるべきだ。魏王になられたところで、何のふしぎもない」

 と、運動をしはじめた。

 うわさを聞いて、荀攸(じゅんゆう)が固く止めた。さすがに曹操を(たす)けてきた賢臣である。お太鼓連をたしなめてこういった。

「さきに九錫(きゅうしゃく)の栄をうけて、魏公の金璽(きんじ)を持たれたのは、いわゆる人臣の位を極めたというもの。その上なお、魏王の位に進まれたら、俗にいう、天井を衝いて、人心の反映は、決して、曹丞相によい結果はもたらさないでしょう。あなた方にしても、それでは贔屓(ひいき)のひき倒しということになろう」

 これが人伝てに、曹操の耳へ入ったのである。もちろんその間に、為にする者の肚も入っているから、曹操は非常な不快を感じた。


「荀攸もまた、荀彧(じゅんいく)(なら)おうとするのか。ばかなやつだ」


 非常に立腹して、そう罵ったと聞えたから、それをまた、人伝てに耳にした筍攸は、いたく気に病んで、門を閉じて自ら謹慎したまま遂に、その冬、病死してしまった。


「五十八歳で世を去ったか。……彼も功臣のひとりだったが」


 死んでみると、曹操は、痛惜(つうせき)にたえないように呟いて、盛んな葬祭をとり行った。

 で、魏王に()く問題は、しばらく沙汰止みになっていたが、このことは、宮廷の諫議郎(かんぎろう)趙儼(ちょうげん)から、帝のお耳へも入っていた。そのことを知った曹操は「余計なことをいうな」と、趙儼(ちょうげん)をとらえて首をはねた。

「……趙儼が、市へひきだされて、斬られたそうです」

 朝臣が告げた。

 帝は、玉体を震わせ給うて、

「つい今朝までも、禁裡に仕えていたものが、夕べにはもう市で命を失うていたか。(ちん)(きさき)も、いつかは同じ運命に遭うであろう。曹操の増上慢が極まることを知らない限りは」


 幽宮の秘窓に、おふたりの涙は渇かなかった。事実曹操の威と、許都の強大が、(さかん)になればなるほど、朝廷の式微(しきび)は、反比例に衰えを増し、ここに献帝のおわすことすら魏の官民は忘れているようだった。


「こうして朝夕、針の(むしろ)にあえなく生きているよりは、わたくしの父伏完(ふっかん)に、ご決意のほどを、そっとお降しあれば、父はきっと、曹操を刺す謀をめぐらしましょう……。穆順(ぼくじゅん)なれば確かです。あれをおつかわし遊ばしませ」


 伏皇后は、ついに思いきって帝の御意をこう動かした。

 もとより献帝のご隠忍は年久しいことだったので、胸中の(うず)み火は、たちまち、理性の灰を除いてしまった。きびしい監視の眼をしのんで秘勅の一文をしたためられた。

 これを穆順(ぼくじゅん)という一朝臣にあずけて、そっと、伏皇后の父君にあたる伏完のやしきへ持たせてやったのである。忠節無二な穆順は、御詔書を、(もとどり)の中にかくして、この命がけの使いに、一夜禁門から出て行った。


 朝臣のうちにも、曹操のまわし者たるいわゆる「()る目()ぐ鼻」はたくさんいる。

 すぐ密告して、曹操の耳へこう伝えた者がある。

「何かそそくさした様子で、穆順が内裏(だいり)を出て、伏完の宅へ使いに行ったようです」

 勘のよい曹操には、すぐ何かぴんと響くものがあったに違いない。彼は、わずかな武士をつれて、自身、内裏の門にたたずみ、穆順がもどって来るのを待っていた。

 もう深更だった。

 穆順は何も知らずに、帰ってきた。門の衛士には、出るとき賄賂をやってある。あたりに人影はない。すたすたと内裏の門へさしかかった。

「待て待て」

 ふいに物蔭から呼び止める声がした。ふと横を見れば、曹操が立っているのだ。穆順はゾッとして毛孔(けあな)をよだてた。


「何処へ参った」


「は。……はい」


「はいではない。返辞を求めるのだ。今頃、何処へ使いに出たか」


「実はその、お(きさき)さまが、夕刻からにわかにご腹痛をお催しあそばしたので、てまえに医師をつれてこいとの仰せに、医師を求めに参りました」


「うそをつけ」


「いえ。ほ、ほんとです」


「宮中にも典医はおる。なにしに(いち)へ医を捜しにゆく要があろう。ほかの医者だろう、汝が、求めに行ったのは」


 闇のほうへさしまねいて、武士達を呼び、「こいつの体を(あらた)めろ」と、曹操は命じた。

 武士達は、穆順の衣服を()いで、足の先まで調べたが、一物も出ないので、(とが)めるかどもなく、遂に、彼を放した。

 虎の口をのがれたように、穆順は衣服を着直すとすぐ走りかけた。

 すると、頭にかぶっていた帽子が、夜風に落ちた。

 あわてて拾いかけると、

「こらっ、待て」


 曹操は、自分でその帽子を取って、仔細に(あらた)めた。

 帽子の中からも、何も出なかった。汚い物を捨てるように、


「行け」

 と、投げ返してやると、穆順は、両手に受けて、真蒼になった顔の上に、それをかぶった。


「いやいや、まだ行くな」


 曹操は、三度呼びとめた。そして今度は、穆順がかぶり直した帽子を引きちぎって、その下の(もとどり)を、髪の根まで掻きわけた。


「果たして!」


 曹操は舌を鳴らした。一通の紙片があらわれたのだ。細字で綿密に書いてある。伏完の筆蹟で、むすめの伏皇后にあてたものであった。

 ――こよい(ひそ)かな内詔を拝して涙にくれた。何事も時節であるから、もうしばらく時を待つがよい。自分には期するところがある。遠き(おもんぱか)りを以て、蜀の劉備と語らい、漢中の張魯を(いざな)い、魏へ侵略の(ほこ)を向けしむれば、曹操はかならず国外へ出て、兵事政策もすべて一方へ傾く。その虚を計って、内に密々同志を結び、一挙に大義を唱えて大事をなすならば、きっと成功を見るは疑いもない。帝のご宸襟(しんきん)もそのときには安んじ奉ることができよう。それまではかならず人に色を気どられ給うな。

 文意はあらまし右のようなものだった。怒りの極度というものはかえって氷塊の如く冷やかである。曹操は一笑をたたえて、伏完の返簡を袖に納めると、

「そいつを拷問(ごうもん)にかけろ」

 と、命じて、府へ立ち帰った。

 夜明け頃、獄吏が、階下にひざまずいて、

「穆順を拷問にかけて、夜どおし責めましたが、一言も吐きません」

 と、吟味に疲れた(てい)で云った。

 一方、伏完の宅を襲った兵達は、帝の内詔を発見して持ってきた。曹操は冷然と、武将に命をさずけた。

「伏完以下、彼の三族を召し捕って、獄につなげ。縁故の者は一名も余すな」


 さらに、御林(ぎょりん)将軍の郗慮(ちりょ)に命じては、内裏へ入って、皇后の璽綬(じじゅ)を奪いあげ、罪をあきらかにせよといった。


 伏皇后も含め、伏完の一門から穆順の一族縁類の端まで、総計二百何十人という男女老幼を、この日たった半日のまに残らず捕えて、宮衙門(きゅうがもん)の街辻で、首斬ってしまった。

 とき建安十九年十一月の冬、天もかなしむか、曇暗許都の昼を閉じ、枯葉の啾々(しゅうしゅう)と御林に()いて、幾日も幾日も衙門(がもん)の冷霜は解けなかった。


 曹操は、自身の娘を、()いて皇后(きさき)にすすめ参らせた。帝も拒むお力はなく、彼の言に従われて、ついに翌春の正月、晴れて曹操の一女は、宮中に入り、皇后の位に()いた。当然、それとともに曹操もまた、国舅(こっきゅう)という容易ならぬ身分を加えた。






急に、魏公が、あなたと夏侯惇(かこうじゅん)のおふたりに内々密議を(はか)りたいとのお旨である。すぐ府堂までお越しありたい。


 賈詡(かく)からこういう手紙が来た。使いをうけたのは、曹操の一族、曹仁である。


「なんだろう?」


 曹仁は、洛中の邸から、すぐ内府へ急いだ。

 ここの政庁の府でも、曹仁は魏公の一門に連なる身なので、肩で風を切るような態度で、どこの門も、大威張りで通った。

 すると、曹操のいる中堂の入口まで来ると、



「こらっ、待て」

 と、何者かに誰何(すいか)された。

 見ると、許褚(きょちょ)が、狛犬(こまいぬ)のように、剣をつかんで、番に立っている。(とが)めるのはもちろん彼である。

「なんだ、許褚」


「なんだではない。閣下には、どこへお通りあるつもりか」


「魏公にお目にかかりに来たのだ。わしの顔を知らぬ貴様でもあるまいに、なんで咎めるか」


「魏公はただ今、お昼寝中である。通ってはならん」


余人(よじん)なら知らぬこと、わしが通るに、なんでさしつかえがあろう。お昼寝中でもかまわん」


「いや、いかん」


「何だ。上官に対して。――おれは魏公の肉親だぞ」


「たとい、どれほど親しいお方であろうと、断じて、君のおゆるしを仰がぬうちは、ご身辺へ寄せることは相ならぬ。許褚、身は微賤なりとはいえ、君の内侍(ないじ)を承り、ご身辺の警固を仰せつけられて、ここに在るからには、その職権を以て、固く拒む。……魏公がお目ざめ遊ばしたら、内意を伺って、ご案内する。それまでは外でお控えなさい」

 どうしても通さない。頑として曹仁を入れなかった。

 やむなく、待っているうちに、ようやく曹操は昼寝から起きたとある。曹仁はやっと通されて、魏公に会うと、


「いや、きょうはひどい目にあった。許褚というやつは、実に頑固な男ですな」


 と、ありのまま話した。曹操は聞くと、


「それは、虎侯(ここう)(許褚)らしい。彼のような男がいればこそ、予も枕を高くして臥すことができる」

 と、かえって、彼の忠誠を大いに()めた。

 間もなく、夏侯惇も来た。賈詡(かく)も顔をだした。

「ほかでもないが」
 と、曹操は、三名を揃えてから、きょうの用向きを語りだした。

「近ごろ、よくよく考えると、どうも蜀をあのまま放っておくのは、将来の大患だと思う。何とか、いまの内に、劉備を蜀から切り離す方法はないだろうか」


 夏侯惇がすぐ答えた。


「それをなすには、まず問題は、漢中ということになるでしょう。漢中は西蜀の扉のようなものですから」


「大きにそうだが、漢中の状況はどうだ」


「いまならば、一()して打ち破れましょう。漢中には、どこといって、支持する国がほかにありませんから」

「では、西征の大旅団を、至急編制して、まず張魯(ちょうろ)を討つとするか」


「あそこを取れば蜀の兵は、()の口を封じられた糧倉の鼠みたいなもので、中で居喰いをつづけていても、その運命は知れたものです」


 それは賈詡の言だった。

 漢中は、まもなく、騒動した。就中(なかんずく)、張魯とその一門は、連日、軍議に追われた。

「――魏の大軍が、三手にわかれて来るとある。一手は夏侯惇、一手は曹仁、一手は夏侯淵と張郃(ちょうこう)。そして曹操は自身、その中軍にあるという」

「どうして防ぐか」

「まず、漢中第一の嶮要、陽平関(ようへいかん)を中心に、守るしかあるまい」

 張衛を大将に、楊昂(ようこう)楊任(ようじん)など、続々、漢中から前線へ発した。

 陽平関は、その左右の山脈に森林を擁し、長い裾野には、諸所に嶮岨(けんそ)もあり、一望雄大な戦場たるにふさわしかった。

 関をへだつこと十五里。すでに魏の西征軍の先鋒は、陣地を構築しはじめていた。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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