第133話、合淝の戦い

文字数 11,275文字

 司馬懿(しばい)仲達(ちゅうたつ)は、中軍の主簿(しゅぼ)を勤め、この漢中攻略のときも、曹操のそばにあって、従軍していた。

 戦後経営の施政などにはもっぱら参与して、その才能と圭角をぽつぽつ現わし始めていたが、一日、曹操にこう進言した。

()の漢中進出は、西蜀を震駭(しんがい)させ、劉備をおそれ惑わせているようです。彼の性は、遅にして鈍重、もし丞相がこの時に、疾風迅雷(しっぷうじんらい)のごとく蜀に入り給えば、劉備の緒業(しょぎょう)は、瓦を崩すが如く砕け去るにちがいありません」


 重臣の劉曄(りゅうよう)も、


「仲達の意見は、まったくわれわれの考えを代表しています。年月を経ては、文治に孔明あり、武門に関羽、張飛、趙雲、黄忠、馬超などの五()あり、以前とちがって、錚々(そうそう)たる勇将を揃えているので、もうめったに劉備を破ることは難しくなると思います。討つなら、今のうちでしょう」

 と、しきりに云った。

 これが以前の曹操だったら、一議に及ばぬことであろうが、赤壁の頃から、すでに彼も老齢に入る(きざ)しが見えていた。この時も、


(ろう)を得て、またすぐ何か、蜀を望まん。わが軍の人馬も疲れている。まあ、もうすこし休息させる必要もあろう」

 と、急に動く気色もなかった。



 一方、蜀の実情は、魏軍の目ざましい進出に対して、たしかに深刻な脅威をうけ、流言蜚語(ひご)(さかん)に、今にも曹操が、蜀境を突破してくるようなことを流布(るふ)していた。

 何分にも、更生の蜀は、劉備によって、新秩序が立てられてから、まだ日も浅いので、劉備自身、多大の危惧(きぐ)を感ぜずにいられなかった。

 その対策について、相議する時、孔明は明確に、方針を説いた。

「魏が膨脹(ぼうちょう)を欲するのは、たとえば伸びる生物の意欲みたいなものですから、その意欲をほかへ向けかえて、ほかへ伸展し、ほかへその精気をそそがしめれば、即ち当分のうちは、蜀は無事を保ち得ましょう。そのあいだに国防を充実することです」
 と、前提してから、
「それには今、能弁な士を呉へ使いに立てて、先に約した荊州三郡を、確実に呉へ返し、かつ、時局の険悪と、利害を説き、孫権をして、合淝(がっぴ)の城(安徽省(あんきしょう)・合肥)を攻めさせるのです。――ここは魏にとって重要な境なので、さきに曹操が張遼を入れて守らせてあるほどですから、魏はたちまち、そこに神経をあつめ、必然、蜀よりはまず南方へ伸びて行こうとするに違いありません」

「計は甚だ遠大だが、さて、そんな外交的手腕を、誰が任じてゆくか」


 劉備が、座中を見まわした時、ふと一人の者と眼を見あわせた。その者はすぐ起って、


「私が行きましょう」


 と、神妙にいった。諸人が、誰かと見ると、それは伊籍(いせき)であった。


「伊籍ならば」

 と、孔明もうなずいたし、満座もみな彼に(しょく)した。即ち劉備の書簡をのせて、伊籍は遠く長江を下った。

 呉へ着く前、伊籍は、荊州へ上陸して、ひそかに関羽に会った。もちろん劉備の内意と孔明の遠謀を語って打合せをすましておくためである。

 呉では、この交渉をうけて、諸論区々(まちまち)にわかれた。ある者は、過日の関羽の無礼をなお憤っていて、

「断じて受けるな」といい、ある者は、

「それを(こば)んだら、荊州全体の領有まで、呉から棄権したこととなろう。三郡だけでも受取っておくべきだ」と主張する者も多い。

 また、使者の伊籍が説くには、

「――それと共に、呉が合淝をお攻めになれば、曹操は漢中にいたたまれず、急遽、都へ引揚げましょう。劉備は、直ちに、漢中を取ります。そして関羽を召し返して、漢中に入れ、荊州全土は、そっくり呉へ返上申す考えである」

 というのだった。

 だから、三郡を受取るには、条件付のようなものだった。結局、張昭や顧雍(こよう)などの意見も、みなそれに傾いたので、孫権もついに肚をきめて、伊籍からの交渉を全部容認し、ふたたび魯粛(ろしゅく)を荊州接収のため現地へ派遣した。



 荊州の領土貸借問題は、両国の国交上、多年にわたる(がん)であったが、ここにようやく、その全部とまではゆかないが、一部的解決を見ることができた。

 そこで、三郡の領土接収が無事にすむと、呉と蜀とは、初めて修交的な関係に入り、呉は、大軍を出して、陸口(りっこう)(漢口上流)附近に(たむろ)し、

「まず、魏の皖城(かんじょう)を取って、つづいて合淝(がっぴ)を攻めん」

 と、大体の作戦方針をそうきめた。

 しかし皖城の攻略は、決して楽でなかった。

 呉としては、呂蒙(りょもう)甘寧(かんねい)の二大将を先手とし、蒋欽(しょうきん)潘璋(はんしょう)の二軍を後陣に、しかも中軍には、孫権みずから、周泰、陳武(ちんぶ)徐盛(じょせい)董襲(とうしゅう)なんどの雄将と智能を網羅した優勢をもってそれに臨んだのであるが、それにしても皖城(かんじょう)ひとつ落すために払った犠牲はかなりなものであった。

 満城の血潮もまだ乾かぬ中で、孫権は、占領の日、(さかん)な宴をひらき、


「戦はこれからだ。しかし幸先(さいさき)はいい」

 と、士気を鼓舞していた。

 ところへ、余杭(よこう)の地から、遅れ馳せに、凌統(りょうとう)が着いて、中途から宴に加わった。

「残念なことをした。もう二日も早く着いていたら、この一戦に間に合ったものを」

 と、凌統が左右の人々に語っていると、


「いやいや、まだ先には、合淝(がっぴ)の城がある。合淝を攻めるときは、それがしの如く、一番乗りをし給え」

 と、上座のほうから慰め顔にいった者がある。

 見ると、甘寧であった。

 甘寧は、こんどの皖城陥落の際、一番乗りをしたので、きょう祝賀の宴に、呉侯孫権から錦の戦袍(ひたたれ)を拝領し、座中第一の面目をほどこして、いちばん酔いかがやいていたのである。

「……ふふん。甘寧か」


 凌統は、鼻さきで笑った。さっきから上機嫌な甘寧の容子(ようす)は、たれの眼にも武功自慢に見えた。――のみならず凌統は、彼と眸を見あわせたとたんに、亡父(ちち)のことを思い出していた。むかし甘寧に討たれて死んだ父のことがふと胸を(かす)めた。

 甘寧のほうでも、

(この青二才が)

 といわぬばかりな眼光で、にらみつけた。


「凌統。その手なんだ」


 凌統はハッとした。まったく時も場所がらも忘れて、剣にかけていた自分の手に、気がついたからだった。


「――あいや、私にはまだ武勲がないので、せめて座興に、剣の舞でも舞って、諸兄の労をお慰め申さんかと存じまして」


 いいながら彼はすぐ起って、剣舞をしはじめた。甘寧もさてはと、うしろの(ほこ)をとるや否、


「いや面白い。君が剣をもって舞うなら、それがしは戟をもって興を添えん」


 と、両々たがいに閃々たる光を交え、舞うと見せて、実は、心中の遺恨を(やいば)にふくんで、(すき)あらば父の仇を果たさん、隙あらば返り討ちに斬り捨てんと――虚実を尽くし合っていた。

「やあ、ちと面白すぎる。まるで炎と炎のようだ。俺が水を差してやろう」


 すわ、大事と見たので、呂蒙(りょもう)が楯を持って、ふたりの間へ飛びこんだ。そして巧みに、戟の舞と、(つるぎ)の舞を、あしらいつつ、舞い(めぐ)り舞い旋り、ようやく事なくその場を収めた。

 初めは、何気なく見えていたが途中から孫権も気づいて、酔も醒めんばかりな顔していた。しかし呂蒙の機転に、ふたりとも血を見ずに、座へもどったので、彼はほっとしながら、

「さてさて、鮮やかに舞ったな。ふたりとも優雅なものだ。杯を与える。揃って、わが前へ来い」


 と、さしまねき、両手の杯を、同時にふたりの手に授けて、


「いまや、呉は初めて、魏の敵地を踏んだところだ。呉の興亡を(にの)うている御身らには、毛頭私心などあるまいと思うが、わたくしの旧怨などは、互いに忘れてくれよ。いいか、ゆめ思うな」


 と、くれぐれ(さと)した。



 合淝(がっぴ)の城をあずかって以来、張遼(ちょうりょう)はここの守りを、夢寐(むび)にも怠った(ためし)はない。

 ここは、魏の境、国防の第一線と、身の重責を感じていたからである。

 ところが、呉軍十万の圧力のもとに、前衛の皖城(かんじょう)一支(ひとささ)えもなく(つい)えてしまった。洪水のような快足をもって、敵ははや、この合淝へ迫ると、急を告げる早馬は、(くし)の歯をひくようだった。

 また、漢中に出征中の曹操からも、変を聞いて、薛悌(せってい)という者を急派してきた。これは曹操の作戦指導を、(はこ)に封じて、もたらして来たものだった。

「丞相の作戦には、なんとあるか。はやくお開きを」


 同じ城にある副将の楽進と李典は、固唾(かたず)をのんで、張遼の開ける匣を見ていた。


「では聞き給え、読み聞かせよう。……呉ノ積極ニ出デ来レル所以(ユエン)ハ、要スルニ()ノ遠ク漢中ニ在ルノ虚ヲ(ウカガ)ウモノナリ。故ニ、呉ノ勢ミナ魏城ヲ軽ンズ。戦ワズシテタダ守ラバ、イヨイヨ彼等ヲ誇ラスノミ。マタ、出テ十万ノ寄手ト野戦ヲ構ウルハナオ拙ナリ。即チ、敵近ヅカバ、ソノ序戦ニ於テ、彼等ノ鋭気ヲ一撃シテ(クジ)キ、味方諸人ノ心ヲマズ安泰ニ固メ置キテ後、固ク城ヲ閉ジ、防備第一トシテ、必ズ出テ戦ウ(ナカ)レ。おわかりか。こういうご指令であるが」


「…………」


 李典は、日頃、張遼と仲がわるい。そのせいか、黙りこんだまま返辞もしない。

 一方の楽進は、すぐ云った。彼の意見は反対である。


「こんな小勢で、一撃食らわしても、さほど効果はあるまい。その後で守りに入ったところで、由来、守る戦で、勝てた戦はない」


 張遼はみなまで聞いていなかった。この際、議論は無用と肚はきまっていたからである。


「議論がやりたいなら、一人で議論してい給え。余人は知らず張遼には、私心をもって君の言をやめることはできない。――漢中からのご指揮どおり、我はまず城を出て、一戦に敵の出鼻をたたき、その後は、静かに籠城にかかるのみだ」

 云い捨てて馬を呼び、はや戦場へ馳せ向おうとした。

 すると、それまで黙然としていた――日頃は彼と不和な李典が、ぬっくと起って、


「そうだ、これは国家の大事、(あに)、わたくしの心にとらわれんや」


 と決然、張遼につづいて、城門から馳け出して行くのを見て、楽進もひとりで議論しているわけにもゆかず、続いて城外へ馬を出した。

 呉の大軍は、すでに逍遥津(しょうようしん)(安徽省・合肥附近)まで来ていた。先鋒の甘寧軍と、魏軍の楽進とのあいだに、小戦闘が行われたが、魏兵はたちまち潰走したので、呉侯孫権は、

「われに当る者あらんや」


 といよいよ勝ち(おご)って前進をつづけていた。

 そして、逍遥津の地を離れかけた頃、突然、右からは李典、左からの軍は張遼(ちょうりょう)の旗が現れ、ふた手が渦巻いて、孫権の中軍へ不意討ちして来た。

 先手の呂蒙(りょもう)や甘寧の軍は、あまりに敵を急追して、その快足にまかせたまま、中軍とへだたり過ぎている。

 後陣の凌統(りょうとう)は、まだ逍遥津の一水を、全部渡河しきっていないらしい。

 だが、はるかに、中軍の旗が、裂かれる如く、乱れ立ったのを見て、凌統は、

「すわ、何事か、凶事か?」

 と、部下をも置き捨て、単騎、これへ馳けつけて来た。

 見れば、孫権以下、中軍の旗本七百ばかりは、敵の奇襲に包囲されて、まったく殲滅(せんめつ)寸前の危機にあった。

 凌統は、声をあげて、乱軍のなかの孫権へ叫んだ。

「君っ、君っ、わが君。雑兵ごときを相手となし給わず、ひとまず小師橋(しょうしきょう)を渡って、お退きあれ」

 耳へとどいたか、孫権はふり向いて、


「おお、凌統か。案内せよ」


 と云いながら、こちらへ向って、一目散に馳けてきた。

 だが、二人して小師橋まで(のが)れてきたはいいが、すでに橋の南一丈ばかりは、敵の手に破壊されていた。


「やあ。しまった」

 馬は、水におどろいて、竿立ちになっていななく。

 うしろからは、張遼の兵、三千ほどが、ふたりの影を認めて、雨のごとく、()を射てくる。


凌統(りょうとう)。何としたものぞ」


 孫権は、馬と共に、鞍上で身を揉んだ。


「いや、おさわぎになるには当りません。てまえのするようにして、後から続いておいでなさい」


 凌統は、水ぎわから遠くへ、馬をかえして、改めて、勢いよく馳け出した。そして破壊された橋の水ぎわへ近づくや否、鞭も折れよと、馬のしりを打った。

 馬は高く跳び上がって、水面を飛びこえ、後方の橋の端へ立った。孫権も、その(わざ)にならって、難なくそこを飛び越した。

 河の上に、後陣の徐盛や董襲の船が見えた。凌統は、半分になっている橋の上から、


「主君をここへ置いてゆくから(しか)とお守りをたのむぞ」

 と、声をかけて、ふたたび前の所を飛び、岸へ上がったと思うと、敵の矢風へ向って、まっしぐらに馳け向ってゆく。

 遠く先へ出過ぎた甘寧と呂蒙もにわかに後へもどって、魏軍と接戦していたが、何分にも、虚を衝かれたため、その備えは、中軍や後陣と一致せず、各所で魏軍に包囲されたり、寸断されたりして、おびただしい戦死者を出してしまった。

 わけて、惨たる潰滅をうけたのは、凌統の隊だった。孫権の急場を救うために、まったく隊形を失い、主将を見失っている間に、魏の李典軍の包囲下に圧縮されて、これはほとんど一人の生存者もなかったほど、ひどい屍山(しざん)を築いてしまった。

 隊長の、凌統も、二度目に引返してきたときは、すでに部下の大半以上討たれていたので、その苦戦ぶりは言語に絶し、ついに全身数ヵ所の鑓瘡(やりきず)を負い、満身(あけ)にまみれて、よろよろと、小師橋附近までのがれて来た。

 もう彼には、馬に鞭を加えて、そこを一跳びに越すような気力などがとうていなかったし、流れ入る血しおに、眼もかすんで、河も水も見えないような姿だった。

 河中の舟から孫権が、その姿を見つけた。孫権は舟べりを叩いて、

「あれ助けよ。凌統に違いない」

 と、声も()るるばかり叫んだ。

 ようやく一つの舟が、岸へ寄って、彼を拾ってきた。そのほか敗残の味方も、次々に河の北へ収容した。敵に追われて、舟を待ついとまもなく、無慙(むざん)に討たれる者や、河へ飛びこんで溺れ去ってゆく者を見ても、どうにもならないような状態だった。

「不覚、不覚。なんたるまずい戦をしたものか」

 孫権は、敗軍をまとめて、その損傷の莫大なのに、胆をすくめながら、無念そうにくり返してばかりいた。

 重傷の凌統は、全身の(きず)をつつんで、なお君前にいたが、


「思い合せれば、皖城(かんじょう)の勝ち(いくさ)が、すでに今日の敗因を(かも)していたものです。部下の端までが、あまりに勝ちに(おご)って、敵を甘く見くびり過ぎた結果でしょう。わけてこの際、君には、よいご教訓となったことと思われます。御身すなわち呉の万民の主たることを、くれぐれお心に、ご銘記あるようおねがいします。今日、お体だけでも無事だったのは、まったく天地神明のご加護というもの。むしろ歓ぶべきことと存じます」
 と、歯に(きぬ)着せずいった。

慚愧(ざんき)にたえない。一生の(いまし)めとする」


 孫権も涙を流してつぶやいた。

 しかし、大事はここに一頓挫をきたした。呉軍は、新手を加えて、再装備の必要に迫られ、ついに大江を下って、呉の濡須(じゅしゅ)まで引返してしまった。

 遼来々(りょうらいらい)。遼来々。

 呉の国では、幼い子どもまでが、魏の張遼(ちょうりょう)の名を覚えて、子が泣くと、母はそういって、泣く子をすかした。

 以ていかに、張遼の勇と、その智が、呉兵の胆にふかく刻みこまれたかがわかる。

 張遼は、みずから、

「これは、望外な奇捷(きしょう)だ」

 と、いっていた。

 すぐ急使を漢中に送り、ひとまず戦況を報告して、なお他日のために、大軍の増派を要請した。

「このまま、蜀へ進まんか。ひとたび還って、呉を討つがよいか」


 曹操も、この二大方向の去就(きょしゅう)に、迷っていた。

 いま漢中は()のうちに収めたものの、曹操が本来の意慾は、多年南方に向って(さかん)であったことはいうまでもない。

 いわんや、呉といえば、あの赤壁の恨みが勃然(ぼつぜん)とわいてくるにおいてはである。

「漢中の守りは、張郃(ちょうこう)夏侯淵(かこうえん)の両名で事足りなん。われは南下して、直ちに呉の濡須(じゅしゅ)にいたらん」


 曹操は決断した。壮図なお老いずである。江を下る百帆の兵船、陸を行く千車万騎、すでに江南を呑むの概を示して、大揚子江の流れに出で、呉都秣陵(まつりょう)の西方、濡須の(つつみ)へ迫った。

「来れ、遠路の兵馬」と、呉軍は待ち構えていた。彼が長途のつかれを討つべく。

 その先陣を希望して、われに、自分にと、争った者は、またしても、宿怨ある甘寧(かんねい)凌統(りょうとう)だった。

「ふたりで行け、凌統を第一陣に、甘寧を二陣として」


 孫権も、他の諸大将と、輪陣を作って、堂々、あとから押出した。

 濡須一帯は、戦場と化した。曹操の先鋒は、泣く子も黙る張遼(ちょうりょう)と見えた。功にはやった凌統は敵の見さかいもなくそれに当った。(いわ)に砕ける浪のように、ぶつかったほうの陣形が微塵(みじん)になって分離するのが、遠く、孫権の本陣からも見えた。

「凌統が危ない。呂蒙(りょもう)呂蒙、馳せ行って、凌統を救い出せ」


「おうっ」


 と、呂蒙は一軍を率いて駈け出した。

 そのあとへ、甘寧が来て、


「案外、敵は堅固です。総勢約四十万、さすがにどの陣も、疲労を見せておりません。これに、長途の疲労あるものと、正面からかかっては、大きな誤算となりましょう。てまえに、屈強の兵百人をおさずけ下さい。今夜、曹操の本陣を脅かしてごらんに入れます」


「わずか百人で」


「仕損じたらお(わら)い下すってもかまいません」


「おもしろい」

 と孫権は彼の希望を容れた。特に直属の精鋭中から百人を選んで与えた。

 甘寧は夕方、その百勇士を自分の陣所に招いて、一列に円くなって坐り、酒十樽、羊の肉五十(きん)を供え、

「これは呉侯からの拝領物だから、存分に()ってくれ」

 と、まず自身、(しろがね)(わん)で一息にほして、順々にまわした。

 肉を喰い、酒をあおり、百名は遺憾なく近来の慾をみたした。そこで甘寧は、


「もっと飲め、もっと喰え。今夜この百人で、曹操の中軍へ斬込むのだ。あとに思い残りのないようにやれ」

 と告げた。

 一同は顔を見あわせた。酔った眼色も急にうろたえている。こんな百人ばかりの勢でどうして? ――といわんばかりな顔つきだ。

 甘寧は、さッと、剣を抜き、起って、慨然(がいぜん)と、叱咤(しった)した。

「呉の大将軍たる甘寧すら、国のためには、生命を惜しまぬのに、汝ら身を惜しんでわが命令にひるむかっ」


 違背する者は斬らんという前触れである。ここで死ぬよりはと、百勇士はことごとく、剣の下に坐り直して、

「ねがわくは将軍に従って死をともにしたいと思います」

 と、ぜひなく誓った。


「よし。ではめいめい、合印(あいじるし)として、これを兜の真向へ挿してゆけ」


 と、白い(あひる)の羽を一本ずつ手渡した。

 夜も二更を過ぎると、この一隊は(いかだ)にのって水路を迂回し、堤にそい、野をよぎり、忍びに忍んで、ついに曹操の本陣のうしろへ出た。


「それっ、銅鑼(どら)を打て、(とき)の声をあげろ」


 柵へ近づくや、立ちどころに哨兵(しょうへい)を斬り捨て、わっと一斉に、陣中へ入った。

 たちまち、諸所に火の手があがる。

 暗さは暗し、曹操の旗本は、右往左往、到る所で、同士討ちばかり演じた。

 甘寧は、思う存分、あばれ廻った。時分はよしと、百人を一ヵ所にあつめ、一兵も損ぜず、風のごとく引返してきた。

「将軍の胆は、さだめし曹操の魂を(ひし)いだであろう。痛快、痛快」


 孫権は、刀百(ふり)、絹千匹を贈って、彼を賞した。甘寧はそれをみな百人に()けた。

 魏に張遼あるも、呉に甘寧あり――と、呉の士気は、ために大いに振るった。



 昨夜の雪辱を期してであろう。夜が明けるとともに、張遼(ちょうりょう)は一軍を引いて、呉の陣へ驀然(ばくぜん)、攻勢に出てきた。


「きょうこそは、華々(はなばな)と」


 呉の凌統も、手に(つば)してそれをむかえた。甘寧が昨夜すばらしい奇功を立てて、君前のお覚えもめでたいことは、もう耳にしている。で、勃然、(彼如きに負けてなろうか)という日頃の面目も、今日の彼には、充分意中にある。漠々とけむる戦塵の真先に、張遼のすがた、その左右に、李典、楽進など、呉の兵を蹴ちらし蹴ちらし馳け進んできた。

 凌統は、馬上、刀をひっさげて、疾風のように斜行し、

「来れるは、張遼か」


 と、斬りつけた。


「おれは、楽進だ」


 と楽進は、槍をひねって、直ちに応戦してきた。

 人違いか――と、舌打ちしたが、もうほかを顧みるいとまもない。楽進を相手に、五十余合も戦った。

 すると、彼方の張遼のうしろから、曹操の御曹司曹丕が、鉄弓を張って、ぶんと矢を放った。

 凌統を狙ったのだが、すこし()れて、その馬にあたった。

「しめたっ」

 と楽進は、槍を逆しまにして、地上へ向けた。凌統が勢いよく落馬していたからである。

 ところが、その時また、どこからか一本の矢がひょうッと飛んできた。楽進の兜に当たったので、楽進は、槍を投げて、鞍上(あんじょう)からもんどり打った。

 呉の将も倒れ、魏の将も傷ついたので、両軍同時にわっと混み合って、互いに味方を助けて退()いた。

「またしても、不覚をとりました。残念でなりません」


 孫権の前に出て、凌統が面目なげに詫びると、孫権は、


「兵家のつねだ」
 と慰めて、
「きょう汝を救った者は誰ぞと思うか」

 といった。

 凌統は、座の左右を見まわした。甘寧が黙ってひかえている。はっと思うと、孫権はかさねて、

「楽進の兜を射たものはそこにいる甘寧だ。日頃の友誼をさらに篤く思うだろう」

 といった。

 凌統は、甘寧の前に手をつかえた。以来ふたりは、旧怨をわすれ、生死の交わりをむすんだという。

 次の日、魏の軍は、前日に倍加した勢いで、水陸から、呉陣へ迫った。


「さては曹操も、焦躁(あせり)立って、総攻撃にかかって来たな」


 呉陣も、それに応ずる大軍を展列して、濡須(じゅしゅ)に兵船の(かき)を作った。

 この日、目ざましかったのは、徐盛、董襲(とうしゅう)などの呉軍だった。そのため、魏陣の一角――李典の兵は馳けくずされ、そのまま、曹操の中軍まで、すでに危険に陥るかとすら思われたが、たちまち、大風が吹き起って、白浪天を()ち、岸辺の砂礫(されき)は飛んで面を打ち、陽もまだ高いうちなのに、天地も(くら)くなってしまった。

 しかも董襲の兵船は、河の中で沈没し、そのほかの兵船も、帆を裂かれ、彼方此方の岸にぶつけられ、さんざんな目に遭ったところへ、新手の魏軍が、徐盛の兵を包囲して、その半ばを、殲滅してしまった。

「あれ、救え」

 と孫権の指揮をうけて、陳武が呉陣から馳け出して来ると、魏の一軍が、堤の蔭からつと起って、


「ひとりも余すな」

 と、漢中から従ってきた魏軍の中では新参の龐徳(ほうとく)が、小鉄環(しょうてっかん)を作って、みなごろしを計った。

 かくて、この荒天の下、呉の旗色は、急に悪くなって、今は、総敗軍のほかなきに至ったが、若い孫権は、

「何事かあらん」


 と、自身、中軍を引いて、濡須の岸へ、繰りだしてきた。ところがここには、張遼、徐晃の二手が待ちかまえていた。

 曹操は百戦練磨の人。孫権は体験少なく、ややもすれば、血気に(おちい)る。

 いまや、濡須(じゅしゅ)の流域をさかいとして、魏の四十万、呉の六十万、ひとりも戦わざるなく、全面的な大激戦を現出したが、この、天候が呉に利さなかったといえ、呉は主将孫権の軽忽(けいこつ)なうごきによって、その軸枢(じくすう)をまず見失い、彼自身もまた、まんまと張遼(ちょうりょう)徐晃(じょこう)の二軍に待たれて、その包囲鉄環のうちに(とら)われてしまった。

 曹操は小高い(おか)の上から心地よげに見ていた。

「今ぞ。孫権を(とりこ)にするのは」


 それは自分を励ました声と、許褚(きょちょ)は彼のそばを去るや否、馬をとばして、そこへ馳けつけ、叫喚(きょうかん)一声、血漿(けっしょう)けむる中へ躍り入った。

 呉兵の死屍はいやが上にも累々(るいるい)と積まれて行った。ために、濡須の流れも(くれない)になるかと怪しまれ、あまりの惨状に、主将孫権のすがたすら、どこにいるのか誰が誰なのか見分けもつかぬばかりだった。

 呉の一将周泰は、その中をよく奮戦して、一方に血路をひらき、河流の岸までのがれて来たが、顧みると、主君孫権はなお囲みから出ることができず、彼方にあって揉みつつまれている様子。

「周泰はここにいますっ。周泰はこれにありっ。早く此方へ来給え」


 呼ばわりつつ、周泰は敵の背後へまわって、その包囲を脅かし、一角の崩れを見ると、


「いざ、いざ、こうなっては、何事もあとに任せて」


 と、孫権と馬を並べ、ほとんど、わき目もふらず、敵の矢道を走り抜けた。

 そこへ折よく、呂蒙の一軍が、中軍の大敗を案じて引っ返して来た。周泰は、


「舟をっ。舟をっ」

 と水へ向って声を()らし、ともあれ孫権を、舟へ移した。

 けれど、あとの戦場は、なお土煙や血煙に、濛々としている。孫権は、悲痛な声してさけんだ。

徐盛(じょせい)はどうしたろう! 徐盛は……?」


「見て来ましょう」


 周泰は、ふたたび戻って、むらがる魏の人馬の中へ、没していった。孫権は、思わず、ああと、嘆賞(たんしょう)して、


「自分を救い出すため、血路をひらいては、またあとへ戻ること三度。さらにまた、徐盛を助けるために、敢然、死地へ入って行った。――天よ、わが忠勇の士に、加護をたれ給え」


 眉をふさいで、(いの)るが如く、しばしそこに待っていた。

 周泰は帰ってきた。しかも徐盛を(たす)けて。

 けれど二人とも、満身(あけ)にまみれ、そこの水際(みぎわ)まで来ると、「残念」といいながら、はや歩む力もなく坐ってしまった。

 呂蒙はその間に、射手百人の弓陣を布いて、追い迫ってくる敵を喰いとめ、さらに、その弓陣を、船上に移し、孫権の身を守りながら、徐々と下流へ退陣した。

 ここに悲壮な討死をとげたのは、呉の陳武だった。彼は龐徳(ほうとく)の勢につつまれて、退路を失い、次第に山間の狭隘(きょうあい)へ追いこまれた末、ついに龐徳と闘って首をとられた。それも(よろい)の袖を灌木の枝にからまれて、あなやという間に、最期の善戦も充分にせず、龐徳の一撃に討たれたのであった。

 曹操は、前夜、自己の中軍を攪乱(かくらん)された不愉快な思いを、きょうは万倍にもして取り返した。孫権がわずかな将士に守られて、濡須の下流へ落ちて行くと見るや、

「あれ見失うな」

 と、自身江岸に沿って、士卒を励まし、数千の射手に、絶好な(まと)を競わせたが、この日の風浪は、この時には孫権の僥倖(ぎょうこう)となって、矢はことごとく黒風白沫(こくふうはくまつ)にもてあそばれ、ついに彼の身にまでとどく一矢もなかった。

 その上、いよいよ広やかな河の合流点まで来ると、本流長江のほうから呉の兵船数百艘がさかのぼって来た。これなん一族の陸遜(りくそん)がひきいて来た十万の味方だった。

 孫権は初めて蘇生の思いをなした。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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