第126話、忠魂碑
文字数 7,961文字
孔明が荊州を立つときに出した七月十日
これは、ある日、黄忠が劉備に呈した言であった。
思慮ふかい劉備も、
と、意をうごかされた。
もちろん、夜陰奇襲したのである。案のじょう野陣の寄手はさんざんに混乱して逃げくずれた。面白いほどな大快勝だ。途中、莫大な兵糧や兵器を
この城の南は二条の山道。北は涪水の大江に接している。劉備はみずから西門を攻めた。黄忠、魏延の二軍は、東の門へ攻めかかる。
けれど、陥ちない。びくともしない。まる四日間というもの、声も
蜀の張任は、
と、呉蘭、雷同の二将軍へいった。二将軍もよかろうという。
すなわち、ここまでは、本心の戦をなしていたのではない。要するに誘引の計を以てひき出し、さらに、劉備軍の疲労
南山の間道から、蜀兵はぞくぞく山地に入り、遠く野へ降りて迂回していた。また、北門は江へ舟を出して、夜中に対岸へあがり、これも、劉備の退路を断つべく、
張任は、こう勇断を下して、やがて一発の
時刻は
あたかも黄河の決潰に、人馬が濁流にながされるのを見るようだった。まったくひと支えもせず、八方へ逃げなだれた。
「それうて」
「すすめ」
と、その先には、山と江から迂回していた蜀兵が、手に
劉備は、悲痛な顔を、馬のたてがみに沈めながら、魂も身に添わず、無我夢中で逃げていた。
見まわせば、一騎とて自分のそばにはいなかった。
彼は、鞭打って、疲れた馬を、からくも山路へ追いあげた。
だが、うしろから蜀兵の声がいつまでも追ってくる。
谷や峰にも、蜀兵の声がする。
劉備は
しかし、たちまち、山上から駆け下ってくる一軍のあるを知って、きっと涙をはらい、静かに最期の心支度をととのえた。
「名ある敵の大将とみえるぞ。生捕れっ」
はや、殺到した軍馬の中からそういう声が、劉備の耳にも聞えた。
すると、聞きおぼえのある声で、
張飛は馬を飛び降りた。そして劉備の手をとって、この奇遇に涙した。
蜀兵は山のふもとまで迫っている。事態は急なり、仔細の物語はあとにせんと、張飛はたちまち全軍を配備し、蜀兵を反撃してさんざんに追い討ちした。
蜀将
と、全軍を収容して、見事に鳴りをしずめてしまった。後に、人々は云った。
(あの日の敗戦には、当然、劉皇叔もすでにお命はないはずであったのに、巴郡を越えて、山また山を伝い、
ともかく劉備は、無事
と、ななめならず歓んだ。
事実、厳顔が説いて、途中三十余ヵ城を
涪城はにわかに優勢になった。それを計らずに、それから数日の後、雒城を出てここへ強襲して来た蜀の呉蘭と雷同の二将軍は、その日の一戦に、張飛、黄忠、魏延などの策した巧妙なる捕捉作戦にまんまと陥って、ふたりとも捕虜となり、ついに劉備のまえで降伏をちかうというような情勢に逆転してきた。
雒城の内では、
「
と、いきりぬいた。
名将張任は、沈痛にいった。
筆をとって作戦図を書きながら、何事かささやいた。
翌日、張任は、一軍の先に馬を飛ばして城門から繰り出した。張飛が見かけて、
丈八の
叫びながら張任は逃げ
城北は、山すそから谷へ、また
その大将の声に、味方の誰かと怪しみながら戻ってみると、それは荊州を共に立って、途中、孔明とひとつになって別れた常山の
長江から
敵の雑兵を蹴ちらして後、趙雲が、そう語ると、
と、連れ立って、涪城へ帰った。
趙雲は、入城の手土産に、途中で生捕った蜀の呉懿をひっさげていた。
劉備がやさしく、
といった。
呉懿は、主君である劉璋と比べ、ああ、これでは、と、彼のただならぬ人品を仰いで、心から降参した。
孔明も、そこに来ていた。この降将に上賓の礼をあたえて、
などと質問した。
呉懿はいう。
孔明が、座談的に、まるで卓上の
と、あやしむような眼でその面を見まもった。
あくる日、呉懿を案内に、孔明は附近の地勢を視察にあるいた。
帰ってくると、魏延、黄忠をよんで、
と、さながら盤のこまでもうごかすようにいって、さらに、張飛と趙雲へも、べつに策をさずけた。
雒城の前に、金鼓が鳴った。城兵への挑戦である。
望楼から兵機をながめていた張任は、寄手の後方に連絡がないのを見て、
と思った。
八門をひらいて、城外へ出る。同時に、南北の山すそに
張任は、ついに陣前へあらわれた。荊州兵を根絶する日、このときをおいて他日なしと、みずから指揮し、みずから戦い、金雁橋をこえること二里まで奮迅してきた。
そのとき振り向くと、うしろに敵の一団が見える。しかも金雁橋はめちゃめちゃに破壊されている。
あわてて
しかし、そこもすでに荊州の兵が占めていた。
ぜひなく、
浅瀬をこえて、ようやく対岸の広野へわたる。――ところが、そこも怪しげなる一陣の兵がまんまんと旗を立てて一輛の四輪車を護っていた。
張任が、部下へきくと、あれこそ新たに劉備の陣に加わったと聞く軍師の孔明でしょうと、誰かうしろで答えた。
張任は肩をゆすって笑った。
――なぜならば、孔明の四輪車を囲んでいる兵は、みな弱そうな老兵であり、そのほかの兵もみなぶよぶよに肥えて、見るからに
張任の一令に、なお背後にのこっていた数千の兵は、どっと
四輪車は逃げだした。
右往左往のていで。
手づかみにして、生捕ることも易しと、張任は馬を打ってとびこみ、雑兵には目もくれず、あわや
「捕ったっ」
それは足もとの声だった。何事ぞ、いきなり下から馬の脚をかついで引っくりかえした猛卒がいる。
ずでんと、見事な落馬だった。たちまち、またひとりが跳びかかる。これも雑兵にしてはおどろくべき怪力の持ち主だった。
それもそのはず、この二人は、雑兵の中にかくれていた魏延と張飛だった。
山地へ谷間へ逃げこんだ蜀兵もあらまし討たれるか降伏した。
その中には、つい前日成都から援軍に来たばかりの
張飛、黄忠、魏延などの諸隊も、功をあげて、ここに圧縮してきた。開いた花のつぼむように、総勢一軍となった後の陣容行軍はいかにも鮮やかだった。
捕虜として
というと張任は、
と、
劉備はその人物を惜しんで、いろいろ説いたがどうしても、
と、いうのみである。
孔明は見るに見かねて、
と、劉備にすすめた。
すなわち、張任の首を斬り、その屍を収めて、金雁橋のかたわらに、一基の忠魂碑をたててやった。
かくて
降参の大将、
すると、矢倉の上に、残る一将の
と、罵った。
とたんに彼は、矢倉の窓から下へ蹴落されていた。何者かが後ろから背を突いたものとみえる。同時に、城門は内から開いた。
たちまち、城頭に、劉備の旗がひるがえった。城中の者、ほとんど、降伏した。
劉璋の嫡子
占領後、劉備がただすと、
「――武陽の人、張翼、
と、答えた。
劉備は、
「やれやれ、ありがたいお
と、高札を囲んで、新しい政道を謳歌した。
孔明は、微行して、一巡城下の空気を視察してもどると、
と、劉備も同じ気もちであったとみえ、すなわち隊を分って、各地方へ
すなわち、厳顔、
また張翼、呉懿には、趙雲を添えて、
それらの諸隊が、地方宣撫の
降参の将がいう。
「まず、要害といっては、
そこへ、法正が来た。法正も早くから内応して、劉備の
孔明は法正の考えを、非常に賞揚し、その方針によることにきめた。
一方、成都のうちは、いまにも劉備が攻めてくるかと、人心は動揺してやまず、府城の内でも
太守劉璋を中心に、
たれも黙っていた。すると、太守
と、いつもに似げない名言を吐いて、鄭度の策を否決した。
するとそこへ、法正から正式の書簡が来た。書中には、大勢を説いて、いまのうちに劉備と講和する利を弁じ、また、そうして、家名の存続を保つことの賢明なことをすすめてあった。
劉璋は怒って、法正の使いを斬ってしまった。
直ちに、
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