第126話、忠魂碑

文字数 7,961文字

 孔明が荊州を立つときに出した七月十日(づけ)の返簡の飛脚は、やがて劉備の手にとどいた。


「おう、水陸二手にわかれ、即刻、蜀へ急ぐべしとある。――待ち遠しや、孔明、張飛のここにいたるは何日(いつ)

 涪城(ふじょう)に籠って、劉備は、行く雲にも、啼き渡る鳥にも、空ばかり仰いでいた。


「皇叔。この頃、寄手のていをうかがってみますと、蜀兵も、この涪城を出ぬお味方に攻めあぐね、みな長陣に倦み飽いて、惰気(だき)満々のていたらくです。――これへ孔明の援軍が来れば、たちまち敵も士気をふるい陣容を正しましょう。むなしく援軍の到着を待つのみでなく、彼の(きょ)(みだ)れを衝いて、一勝を制しておくことは、大いに成都(せいと)の入城を早めることになろうと存じますが」

 これは、ある日、黄忠が劉備に呈した言であった。

 思慮ふかい劉備も、


「一理ある」

 と、意をうごかされた。

 偵察(ものみ)の者も、黄忠のことばを裏書きしている。果断をとって、ついに涪城の軍は、百日の籠居を破って出た。

 もちろん、夜陰奇襲したのである。案のじょう野陣の寄手はさんざんに混乱して逃げくずれた。面白いほどな大快勝だ。途中、莫大な兵糧や兵器を鹵獲(ろかく)しつつ、ついに雒城(らくじょう)の下まで追いつめて行った。

 潰走(かいそう)した蜀兵はみな城中にかくれて、ひたと四門をとじてしまった。蜀の名将張任(ちょうじん)の命はよく行われているらしい。

 この城の南は二条の山道。北は涪水の大江に接している。劉備はみずから西門を攻めた。黄忠、魏延の二軍は、東の門へ攻めかかる。

 けれど、陥ちない。びくともしない。まる四日間というもの、声も()れ、四肢も離ればなれになるばかり、東西両門へ力攻したが、さしたる損害も与え得なかった。

 蜀の張任は、

「もうよかろう」

 と、呉蘭、雷同の二将軍へいった。二将軍もよかろうという。

 すなわち、ここまでは、本心の戦をなしていたのではない。要するに誘引の計を以てひき出し、さらに、劉備軍の疲労困憊(こんぱい)を待っていたのである。

 南山の間道から、蜀兵はぞくぞく山地に入り、遠く野へ降りて迂回していた。また、北門は江へ舟を出して、夜中に対岸へあがり、これも、劉備の退路を断つべく、(ばい)をふくんで待機する。

「城内の守りは百姓だけでよい。一部の将士のほかは、みな城を出て、劉備の軍をこの際徹底的に殲滅(せんめつ)せよ」


 張任は、こう勇断を下して、やがて一発の烽火(のろし)をあいずに、銅鑼(どら)(つづみ)の震動、喊声(かんせい)の潮、一時に天地をうごかして、城門をひらいた。

 時刻は黄昏(たそがれ)であった。ここ数日のつかれに、劉備の軍馬は鳴りをひそめ、今しも夕方の炊煙をあげていたところ。当然、間に合わない。

 あたかも黄河の決潰に、人馬が濁流にながされるのを見るようだった。まったくひと支えもせず、八方へ逃げなだれた。

「それうて」

「すすめ」

 と、その先には、山と江から迂回していた蜀兵が、手に(つば)して、陣を展開していた。呉蘭、雷同の二将軍とその旗本は、ほとんど、血に飽くばかり勇をふるった。

「あな、あわれ。こんなことが、いったいなぜ昨日にも(さと)れなかったろう」


 劉備は、悲痛な顔を、馬のたてがみに沈めながら、魂も身に添わず、無我夢中で逃げていた。

 見まわせば、一騎とて自分のそばにはいなかった。

 啾々(しゅうしゅう)、秋の風に、星が白い。――幸いにも、夜だった。

 彼は、鞭打って、疲れた馬を、からくも山路へ追いあげた。

 だが、うしろから蜀兵の声がいつまでも追ってくる。

 谷や峰にも、蜀兵の声がする。


「天もわれを見離したか」


 劉備は()いた。

 しかし、たちまち、山上から駆け下ってくる一軍のあるを知って、きっと涙をはらい、静かに最期の心支度をととのえた。


「名ある敵の大将とみえるぞ。生捕れっ」


 はや、殺到した軍馬の中からそういう声が、劉備の耳にも聞えた。

 すると、聞きおぼえのある声で、


「待て待て。手荒にするな」
 と、将士を制しながら、劉備のそばへ馬乗り寄せてきた者がある。見れば、何事ぞ、それは張飛ではないか。

「おうっ、そちは」


「やあ、皇叔(こうしゅく)にておわすか」


 張飛は馬を飛び降りた。そして劉備の手をとって、この奇遇に涙した。

 蜀兵は山のふもとまで迫っている。事態は急なり、仔細の物語はあとにせんと、張飛はたちまち全軍を配備し、蜀兵を反撃してさんざんに追い討ちした。

 蜀将張任(ちょうじん)は、ふしぎな新手が忽然(こつぜん)とあらわれて、精勇溌剌(はつらつ)、当るべくもない勢いを以て城下まで追ってきたので、

濠橋(ほりばし)を引け、城門を閉じよ」


 と、全軍を収容して、見事に鳴りをしずめてしまった。後に、人々は云った。

(あの日の敗戦には、当然、劉皇叔もすでにお命はないはずであったのに、巴郡を越えて、山また山を伝い、厳顔(げんがん)を案内として雒城(らくじょう)へさして来た張将軍の援軍と日を約したように出会うて、九死一生の危難を救われ給うなどということはただの奇蹟や奇遇ではない。まったく、後に天子になられるほどな洪福(こうふく)を、生れながら身に持っておられたからだろう)――と。

 ともかく劉備は、無事涪城(ふじょう)にもどって、張飛から厳顔の功労を聞くと、金鎖(きんさ)(よろい)をぬいで、

「老将軍。これは当座の寸賞です。あなたのお力がなければ、とうてい、この義弟もかく早く、途中三十余ヵ城の要害を踏破して来ることはできなかったでしょう」

 と、ななめならず歓んだ。

 事実、厳顔が説いて、途中三十余ヵ城を無血招降(むけつしょうこう)してきたために、張飛の兵力は、これへ来るまでにその新しい味方を加えて数倍になっていた。

 涪城はにわかに優勢になった。それを計らずに、それから数日の後、雒城を出てここへ強襲して来た蜀の呉蘭と雷同の二将軍は、その日の一戦に、張飛、黄忠、魏延などの策した巧妙なる捕捉作戦にまんまと陥って、ふたりとも捕虜となり、ついに劉備のまえで降伏をちかうというような情勢に逆転してきた。

 雒城の内では、

腑甲斐(ふがい)なき二将軍かな」と、同僚の呉懿(ごい)劉璝(りゅうかい)たちが歯ぎしり噛んで、


「しかず、この上は、のるかそるかの一戦をこころみ、一方、成都に急を告げて、さらに大軍の増派を仰ごう」

 と、いきりぬいた。

 名将張任は、沈痛にいった。

「それもよいが、まず、こうしてみては」


 筆をとって作戦図を書きながら、何事かささやいた。

 翌日、張任は、一軍の先に馬を飛ばして城門から繰り出した。張飛が見かけて、


「張任とは汝よな」


 丈八の大矛(おおほこ)をふるい、初見参と呶鳴ってかかった。戦うこと十数合、


「あなや。あなや」


 叫びながら張任は逃げ(はし)る。

 城北は、山すそから谷へ、また涪水(ふすい)の岸へもつづき、地形はひどく複雑である。張飛はいつか張任を見失い、味方の小勢と共に遠方此方(おちこち)馳けあるいていたが、そのうちに四山旗と化し、囲まれていた。

「あの虎髯(とらひげ)を生捕れ」


 と、蜀兵の重囲は張飛の部下をみなごろしにしてしまった。ひとり辛くも、張飛は血の中を奔って涪水のほうへ逃げのびた。――卑怯卑怯と(ののし)りながら追っていた蜀将の呉懿(ごい)は、そのとき横合いから躍り馳けてきた大将に、槍をつけられ、戦い数合のうちに生捕られてしまった。
「おういっ、張飛。おれだ、おれだ」

 その大将の声に、味方の誰かと怪しみながら戻ってみると、それは荊州を共に立って、途中、孔明とひとつになって別れた常山の趙雲(ちょううん)であった。


「おお、趙雲か、助かった」


 長江から峡水(きょうすい)に入り、舟行千里をさかのぼって、孔明の軍は、ようやく、涪水のほとりへ着いたのであった。

 敵の雑兵を蹴ちらして後、趙雲が、そう語ると、

「では、軍師には、もう涪城へ入ったのか」
 と訊ね、然りと聞くや、
「急ごう」

 と、連れ立って、涪城へ帰った。

 趙雲は、入城の手土産に、途中で生捕った蜀の呉懿をひっさげていた。

 劉備がやさしく、

「予に従わないか」


 といった。

 呉懿は、主君である劉璋と比べ、ああ、これでは、と、彼のただならぬ人品を仰いで、心から降参した。

 孔明も、そこに来ていた。この降将に上賓の礼をあたえて、

雒城(らくじょう)のうちの兵力は何ほどか。劉璋の嫡子劉循(りゅうじゅん)(たす)けておるという張任とはどんな人物か」

 などと質問した。

 呉懿はいう。

「劉璝はともかく、張任は智謀機略、衆をこえています。まず蜀中の名将でしょう。容易に、雒城は抜けますまい」


「ではまず、その張任を生捕ってから、雒城を攻めるのが順序ですな」


 孔明が、座談的に、まるで卓上の(わん)でも取るようなことをいったので、呉懿は、


(この人、大言癖(たいげんへき)があるのか、それとも気が変なのか)


 と、あやしむような眼でその面を見まもった。

 あくる日、呉懿を案内に、孔明は附近の地勢を視察にあるいた。

 帰ってくると、魏延、黄忠をよんで、


金雁橋(きんがんきょう)(ほとり)、五、六里のあいだは、(あし)(よし)がしげっているから、兵を伏せるによい。――戦の日、魏延は鉄槍(てっそう)部隊千人をあの左にかくして、敵がかかったら一斉に突き落せ。また黄忠は右にひそみ、総勢すべてに薙刀(なぎなた)を持たせて、ただ馬の足と人の足を薙ぎつけるがいい。張任は不利と見るとき、かならず東方の山地へ向って逃げるであろう」

 と、さながら盤のこまでもうごかすようにいって、さらに、張飛と趙雲へも、べつに策をさずけた。

 雒城の前に、金鼓が鳴った。城兵への挑戦である。

 望楼から兵機をながめていた張任は、寄手の後方に連絡がないのを見て、

「孔明兵法に(くら)し」


 と思った。

 (あた)うかぎり手近にひきよせておいて、大殲滅を計ったのである。寄手はひたと、濠へ近づき、城壁へたかりだした。


「よしっ。出ろ」


 八門をひらいて、城外へ出る。同時に、南北の山すそに埋伏(まいふく)しておいた城兵も、鵬翼(ほうよく)を作って、寄手を大きく抱えてきた。

 潰乱(かいらん)惨滅(さんめつ)、劉備軍は討たれ討たれ後へ退く。

「時は、今ぞ」


 張任は、ついに陣前へあらわれた。荊州兵を根絶する日、このときをおいて他日なしと、みずから指揮し、みずから戦い、金雁橋をこえること二里まで奮迅してきた。


「しまった」


 そのとき振り向くと、うしろに敵の一団が見える。しかも金雁橋はめちゃめちゃに破壊されている。


「油断すな。敵の趙雲がうしろにいるぞ」


 あわてて(かえ)ろうとすると、左右の蘆荻(ろてき)のしげみから、槍の穂が雨と突いてくる。なだれ打って、避け合おうとすれば、また一方から薙刀(なぎなた)の群れが、馬の脛を払い、人の足を斬る。


「残念、南へ退け」


 しかし、そこもすでに荊州の兵が占めていた。

 ぜひなく、涪水(ふすい)の支流に沿って、東方の山地へ逃げた。

 浅瀬をこえて、ようやく対岸の広野へわたる。――ところが、そこも怪しげなる一陣の兵がまんまんと旗を立てて一輛の四輪車を護っていた。

「や。あの車上に坐し、羽扇(うせん)をもって、わしを招いているのは誰だ?」


 張任が、部下へきくと、あれこそ新たに劉備の陣に加わったと聞く軍師の孔明でしょうと、誰かうしろで答えた。


「あははは。あれが孔明か」


 張任は肩をゆすって笑った。

 ――なぜならば、孔明の四輪車を囲んでいる兵は、みな弱そうな老兵であり、そのほかの兵もみなぶよぶよに肥えて、見るからに脆弱(ぜいじゃく)な士卒ばかりだったからである。

「いやはや、目前に見る孔明と、かねて耳に聞いていた孔明とは、大きなちがいである。用兵神変、孫子以来の人だなどと、取沙汰(とりざた)されておるが、あの陣容とあの兵気は何事か。(あくた)の山を踏むより易いぞ、蹴ちらせ、あの塵芥(ちりあくた)を」

 張任の一令に、なお背後にのこっていた数千の兵は、どっと(おめ)きかかって行った。

 四輪車は逃げだした。

 右往左往のていで。


「車上の凡夫待て」

 手づかみにして、生捕ることも易しと、張任は馬を打ってとびこみ、雑兵には目もくれず、あわや車蓋(しゃがい)のうえから巨腕をのばそうとしかけた。


「捕ったっ」


 それは足もとの声だった。何事ぞ、いきなり下から馬の脚をかついで引っくりかえした猛卒がいる。

 ずでんと、見事な落馬だった。たちまち、またひとりが跳びかかる。これも雑兵にしてはおどろくべき怪力の持ち主だった。

 それもそのはず、この二人は、雑兵の中にかくれていた魏延と張飛だった。


 山地へ谷間へ逃げこんだ蜀兵もあらまし討たれるか降伏した。

 その中には、つい前日成都から援軍に来たばかりの卓膺(たくよう)という大将などもまじっていた。

 張飛、黄忠、魏延などの諸隊も、功をあげて、ここに圧縮してきた。開いた花のつぼむように、総勢一軍となった後の陣容行軍はいかにも鮮やかだった。

「ああ、蜀の(あらた)まる日は来た」


 捕虜として檻送(かんそう)されてゆく途中、張任は天を仰いで長嘆していた。涪城について後、劉備が、


「蜀の諸将はみな降った。貴公ひとり降伏せぬ法もなかろう」


 というと張任は、


「不肖ながら、自ら蜀の忠臣をもって任ずるものである。(あに)、二君にまみえよう」


 と、昂然(こうぜん)と拒んだ。

 劉備はその人物を惜しんで、いろいろ説いたがどうしても、()かない。ただ声をはげまして、


()く首を打て」

 と、いうのみである。

 孔明は見るに見かねて、

「余りにくどく()いるは、真の忠臣を遇する礼でありません。大慈悲の心をもって疾く首を()ね、その忠節を完うさせておやりなさい」


 と、劉備にすすめた。

 すなわち、張任の首を斬り、その屍を収めて、金雁橋のかたわらに、一基の忠魂碑をたててやった。鴻雁(こうがん)群れて、暮夜(ぼや)、碑をめぐって啼いた。

 かくて雒城(らくじょう)は、本格的な包囲の中に置かれた。

 降参の大将、呉懿(ごい)、厳顔の(ともがら)が、陣前に出て、城中の者へ説いた。

「無益な籠城は、いたずらに城内の民を苦しめるばかりであろう。我らすら降ったものを、汝らの手で如何(いかん)とする気か。犬死すな」


 すると、矢倉の上に、残る一将の劉璝(りゅうかい)があらわれて、


「蜀の恩顧をわすれた人間どもが何をいうか」

 と、罵った。

 とたんに彼は、矢倉の窓から下へ蹴落されていた。何者かが後ろから背を突いたものとみえる。同時に、城門は内から開いた。

 たちまち、城頭に、劉備の旗がひるがえった。城中の者、ほとんど、降伏した。

 劉璋の嫡子劉循(りゅうじゅん)は、この急変におどろいて、北門の一方からわずかな兵と共に、取る物もとりあえず、一目散(いちもくさん)、成都の方へ逃げ出した。

「劉璝を矢倉から蹴落したものはたれか」


 占領後、劉備がただすと、

「――武陽の人、張翼、(あざな)伯恭(はっきょう)というものです」

 と、答えた。

 劉備は、(えつ)を与えて、張翼を重く賞した。



 雒城(らくじょう)の市街は、平静にかえった。避難した民も城下へぞくぞく帰ってきて、

「やれやれ、ありがたいお布令(ふれ)が出ている」

 と、高札を囲んで、新しい政道を謳歌した。

 孔明は、微行して、一巡城下の空気を視察してもどると、


「ご威徳はよく下まで行き渡ったようです。この上は、成都の攻略あるのみですが、功を急いで、足もとを浮かしてはなりません。まず雒城を中心として、附近の州郡にある敵性を()ずけ、悠々成都に迫るもおそくないでしょう」
 と、劉備へいった。
「いかにも」

 と、劉備も同じ気もちであったとみえ、すなわち隊を分って、各地方へ宣撫(せんぶ)におもむかせた。

 すなわち、厳顔、卓膺(たくよう)には張飛をつけて、巴西(はせい)から徳陽地方へ。

 また張翼、呉懿には、趙雲を添えて、定江(ていこう)から犍為(けんい)地方へやった。

 それらの諸隊が、地方宣撫の(こう)をあげている間に、孔明は、降参の一将を招いて、成都への攻進を工夫していた。

「この雒城から成都までのあいだに、どういう要害があるかね」


 降参の将がいう。

「まず、要害といっては、綿竹関(めんちくかん)が第一の所でしょう。そのほかは、往来を(あらた)める関所の程度で、取るに足りません」

 そこへ、法正が来た。法正も早くから内応して、劉備の帷幕(いばく)に参じている者なので、蜀の事情には精通している。


「いずれ後には、成都の人民はご政下につくものです。その民を驚かし、苛烈な戦禍におびえさせることは好ましくありません。まず、四方に仁政を示し、徐々恩徳をもって、民心を得ることを先とすべきでしょう。一方それがしから書簡をもって、よく成都の劉璋を説きます。劉璋も、民の離れるのをさとれば、自然に来て降るにちがいありません」

「貴下の言は大いによい」


 孔明は法正の考えを、非常に賞揚し、その方針によることにきめた。

 一方、成都のうちは、いまにも劉備が攻めてくるかと、人心は動揺してやまず、府城の内でも恟々(きょうきょう)と対策に沸騰(ふっとう)していた。

 太守劉璋を中心に、

「いかに、防ぐか」
 の問題が、きょうも軍議され、その席上で従事鄭度(ていど)は、熱弁をふるって演説した。
「国家の急なるときは、自然、防禦の力も数倍してくる。官民一致難に当るの決意をもてば、長途遠来の荊州軍など何の怖れるほどのことがあろう。いかにここまでは、彼の侵略が功を奏してきたにしても、占領下の蜀の民は、まだ心から劉備に服しているのではない。今、巴西(はせい)地方からすべての農民を追って、ことごとく、涪水以西の地方へ移してしまい、それらの村落には鶏一羽のこすことなく、米穀は焼きすて、田畑は刈り、水には毒を投じ、以て彼らがこれに何を求むるも、一飯の(かて)もないようにしておけば、おそらく彼らは百日のうちに飢餓困憊(きがこんぱい)をさまようしか道を知らないであろう。――そして成都、綿竹関(めんちくかん)の二関をかため、夜となく昼となく、奇策奇襲をもって、彼を苦しめぬけば、おそらくこの冬の到来とともに、劉備以下の大軍は絶滅を遂げるにちがいないと考える。いやそう信じる。諸公のお考え如何あるか」

 たれも黙っていた。すると、太守劉璋(りゅうしょう)が、


「むかしから、国王は、国をふせいで民を安んずるということは聞いておるが、まだ、民を流離させて敵を防ぐということは聞いたことがない。それはすでに敗戦の策だ。おもしろくない」

 と、いつもに似げない名言を吐いて、鄭度の策を否決した。

 するとそこへ、法正から正式の書簡が来た。書中には、大勢を説いて、いまのうちに劉備と講和する利を弁じ、また、そうして、家名の存続を保つことの賢明なことをすすめてあった。

「国を売って敵へ走った忘恩の徒が、何の面目あって、わしにこの醜墨(しゅうぼく)をみずから示すか」


 劉璋は怒って、法正の使いを斬ってしまった。

 直ちに、綿竹関(めんちくかん)の防禦へ、増軍を決行し、同時に、家臣董和(とうか)のすすめをいれて、漢中の張魯(ちょうろ)へ、急使を派遣した。背に腹はかえられぬと、ついに、危険なる思想的侵略主義の国へ泣訴(きゅうそ)して、その援助を乞うという苦しまぎれの下策に出たのであった。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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