第91話、新野炎上、劉備の逃走

文字数 8,309文字

 曹操はなおその総軍司令部を宛城(えんじょう)において、情勢を大観していたが、曹仁、曹洪を大将とする先鋒の第一軍十万の兵は、許褚(きょちょ)の精兵三千を加えて、その日すでに、新野の郊外まで殺到していた。

 一応、そこで兵馬を休ませたのが、(ひる)の頃であった。

 案内者を呼びつけて、

「これから新野まで何里か」

 と、訊くと、

「三十余里です」と、いう。

「土地の名は」

 と、いえば、

鵲尾坡(じゃくびは)――」と、答えた。

 そのうちに、偵察に行った数十騎が、引返してきていうには、

「これからやや少し先へ行くと、山に拠り、峰に沿って陣を取っている敵があります。われわれの影を見るや、一方の山では、青い旗を打ち振り、一方の峰では、紅の旗をもってそれに答え、呼応の形を示す有様、何やら充分、備えている態がうかがわれます。どうもその兵力のほどは察しきれませんが……」

 許褚(きょちょ)は、その報を、受けるやいな、自身、当って見ると称して、手勢三千を率いて、深々と前進してみた。

 鬱蒼(うっそう)とした峰々、岩々(がんがん)たる山やその尾根、地形は複雑で、容易に敵の態を見とどけることができない。しかし、たちまち一つの峰で、颯々(さっさつ)と、紅の旗がうごいた。

「あ。あれだな」

 凝視していると、また、後ろの山の肩で、しきりに青い旗を打ち振っているのが見える。何やら信号でも交わしている様子である。許褚は迷った。

 山気は(しん)として、鳴りをしずめている敵の陣容の深さを想わせる。――これはうかつにかかるべきでないと考えたので、許褚は、味方の者に、

「決して手出しするな」

 と、かたく戒め、ひとり馬を引返して、曹仁に告げ、指令を仰いだ。

 曹仁は一笑に付して、

「きょうの進撃は、このたびの序戦ゆえ、誰も大事を取るであろうが、それにしても、常の貴公らしくもない二の足ではないか。兵に虚実あり、実と見せて虚、虚と見せて実。いま聞く紅旗青旗のことなども、見よがしに、敵の打ち振るのは、すなわち、我をして疑わしめんがためにちがいない。何のためらうことがあろう」

 と、いった。

 許褚は、ふたたび鵲尾坡(じゃくびは)から取って返し、兵に下知して、進軍をつづけたが、一人の敵も出てこない。

「今に。……やがて?」

 と、一歩一歩、敵の伏兵を警戒しながら、緊張をつづけて進んだが、防ぎに出る敵も支えに立つ敵も現れなかった。

 こうなると、張合いのないよりは一層、無気味な気抜けに襲われた。陽はいつか西山に沈み、山ふところは暗く、東の峰の一方が夕月にほの明るかった。

「やっ? ……あの音は」


 三千余騎の跫音(あしおと)がはたと止まったのである。耳を澄まして人々はその明るい天の一方を仰いだ。

 月は見えないが水のように空は澄みきっていた。突兀(とっこつ)(そび)えている山の絶頂に、ひとりの敵が立って大擂(だいらい)を吹いている。……ぼ――うっ……ぼうううっ……と何を呼ぶのか、大擂の音は長い尾をひいて、陰々と四山にこだましてゆく。

「はてな?」


 怪しんでなおよく見ると、峰の頂上に、やや平らな所があり、そこに一群の旌旗(せいき)を立て、傘蓋(さんがい)を開いて対座している人影がある。ようやく月ののぼるに従って、その姿はいよいよ明らかに見ることができた。一方は大将劉備、一方は軍師孔明、相対して、月を賞し、酒を酌んでいるのであった。

「やあ、憎ッくき敵の応対かな。おのれひと揉みに」


 許褚(きょちょ)は愚弄されたと感じてひどく怒った。彼の激しい下知に励まされて、兵は狼群の吠えかかるが如く、山の絶壁へ取りすがったが、たちまちその上へ、巨岩大木の雨が幕を切って落すようになだれてきた。

 一(かい)の大石や、一箇の木材で、幾十か知れない人馬が傷つけられた。

 許褚も、これはたまらないと、あわてて兵を退いた。そして、ほかの攻め口を尋ねた。

 彼方の峰、こなたの山、大擂(だいらい)の音や金鼓のひびきが答え合って聞えるのである。


背後(うしろ)を断たれては」

 と、許褚はいたずらに、敵の所在を考え迷った。

 そのうちに曹仁、曹洪などの本軍もこれへ来た。曹仁は叱咤して、

「児戯に類する敵の作戦だ。麻酔(ますい)にかけられてはならん。前進ただ前進あるのみ」


 と、(しゃ)()二、猛進をつづけ、ついに新野の街まで押し入ってしまった。


「どうだ、この街の(てい)は。これで敵の手のうちは見えたろう」

 曹仁は、自分の達見を誇った。城下にも街にも敵影は見あたらない。のみならず百姓も商家もすべての家はガラ空きである。老幼男女はもとより嬰児(あかご)の声一つしない死の街だった。


「いかさま、百計尽きて、劉備と孔明は将士や領民を引きつれて、いち早く逃げのびてしまったものと思われる。――さてさて逃げ足のきれいさよ」

 と曹洪や許褚も笑った。

「追いかけて、殲滅戦(せんめつせん)にかかろう」という者もあったが、人馬もつかれているし、宵の兵糧もまだつかっていない。こよいは一宿して、早暁、追撃にかかっても遅くはあるまいと、

「やすめ」の令を、全軍につたえた。

 その頃から風がつのりだして、暗黒の街中は沙塵(さじん)がひどく舞った。曹仁、曹洪らの首脳は城に入って、帷幕(いばく)のうちで酒など酌んでいた。

 すると、番の軍卒が、

「火事、火事」

 と、外で騒ぎ立ててきた。部将たちが、杯をおいて、あわてかけるのを、曹仁は押し止めて、


「兵卒どもが、飯を(かし)ぐ間に、あやまって火を出したのだろう。帷幕(いばく)であわてなどすると、すぐ全軍に影響する。さわぐに及ばん」

 と、余裕を示していた。

 ところが、外の騒ぎは、いつまでもやまない。西、北、南の三門はすでにことごとく火の海だという。追々、炎の音、人馬の跫音など、ただならぬものが身近に迫ってきた。

「あっ、敵だっ」

「敵の火攻めだっ」

 部将のさけびに曹洪、曹仁も(きも)を冷やして、すわとばかり出て見たときは、もう遅かった。

 城中はもうもうと黒煙につつまれている。馬よ、(よろい)よ、(ほこ)よ、とうろたえ廻る間にも、煙は眼をふさぎ鼻をつく。

 さらに、火は風をよび、風は火をよび、四方八面、炎と化したかと思うと、城頭にそびえている三層の殿楼やそれにつらなる高閣など、一度に轟然(ごうぜん)と自爆して、宙天には火の柱を噴き、大地へは火の(すだれ)を降らした。

 わあっと、声をあげて、西門へ逃げれば西門も火。南門へ走れば南門も火。こはたまらじと、北門へなだれを打ってゆけば、そこも大地まで燃えさかっている。

「東の門には、火がないぞ」

 誰いうとなく(わめ)きあって、幾万という人馬がわれ勝ちに一方へ押し流れてきた。互いに手脚を踏み折られ、頭上からは火の雨を浴び、焼け死ぬ者、幾千人か知れなかった。

 曹仁、曹洪らは、辛くも火中を脱したが、道に待っていた趙雲にはばまれて、さんざんに打ちのめされ、あわてて後へ戻ると、劉封(りゅうほう)糜芳(びほう)が一軍をひきいて、前を立ちふさいだ。

「これは?」
 と仰天して、白河のあたりまで逃げ去り、ほっと一息つきながら、馬にも水を飼い、将士も争って、河の水を口へすくいかけていたが、――かねて上流に埋伏していた関羽の一隊は、その時、遠く兵馬のいななきを耳にして、
「今だ!」

 と、孔明の計を奉じて、土嚢(どのう)(せき)を一斉にきった。さながら洪水のような濁浪は、闇夜(あんや)の底を吠えて、曹軍数万の兵を雑魚(ざこ)のように呑み消した。

 渦まく水、山のような怒濤(どとう)、そして岸うつ飛沫(しぶき)。この夜、白河(はくが)の底に、溺れ死んだ人馬の数はどれ程か、その大量なこと、はかり知るべくもない。

 (せき)を切り、流した水なので、水勢は一時的ではあった。しかしなお、余勢の激流は滔々(とうとう)と岸を洗っている。

 僥倖(ぎょうこう)にも、曹仁(そうじん)曹洪(そうこう)の二大将は、この大難から辛くもまぬかれて、博陵(はくりょう)渡口(わたし)まで逃げてきたが、たちまち一(ぴょう)の軍馬が道を遮断して呼ばわった。

「曹軍の残兵ども、どこへ落ちてゆくつもりだ。燕人(えんじん)張飛がこれに待ち受けているのも知らずに」


 ここでもまた、潰滅をうけて、屍山血河を作った。曹仁の身もすでに危うかったが、許褚(きょちょ)が取って返し、張飛と槍を合わし、万死のうちから彼を救った。

 張飛は、大魚を逸したが、


「ああ愉快、久しぶりで胸がすいたぞ。これくらい叩きのめせば、まずよかろう」


 と、兵を収めて江岸をのぼり、かねてしめし合わせてある劉備や孔明と一手になった。

 そこには劉封(りゅうほう)糜芳(びほう)などが、船をそろえて待っていた。

 劉備以下の全軍が対岸へ渡り終ったころ、夜は白みかけていた。

 孔明は、命を下して、


「船をみな焼き捨てろ」

 と、いった。

 そして、無事、樊城(はんじょう)へ入った。

 この大敗北は、やがて宛城(えんじょう)にいる曹操の耳に達した。曹操は、すべてが孔明の指揮にあったという敗因を聞いて、

諸葛匹夫(しょかつひっぷ)、何者ぞ」

 と、怒髪(どはつ)をたてて罵った。

 すでに彼の大軍は彼の命を奉じて、新野(しんや)、白河、樊城(はんじょう)など、一挙に(ほふ)るべく大行動に移ろうとした時である。帷幕(いばく)にあった劉曄(りゅうよう)が切にいさめた。

丞相(じょうしょう)の威名と、仁慈は、河北においてこそ、あまねく知られておりますが、――この地方の民心はただ恐れることだけを知って、その仁愛も、丞相を(いただ)く福利も知りません。――故に劉備は、百姓を手なずけて、北軍を鬼の如く恐れさせ、老幼男女ことごとく民のすべてを引き連れて樊城へ移ってしまいました。――この際、お味方の大軍が、新野、樊城などを踏み荒し、その武威を示せば示すほど、民心はいよいよ丞相を恐れ、北軍を敬遠し、その徳になつくことはありません。――民なければ、いかに領土を奪っても、枯野に花を求めるようなものでしょう。……()かず、ここはぜひご堪忍あって、劉備に使いをやり、彼の降伏を(うなが)すべきではありますまいか。そして荊州(けいしゅう)のお手に入るのは目に見えています。すでに荊州の経略が成れば、呉の攻略も易々(いい)たるもの。天下統一のご覇業は、ここに(まった)きを見られまする。――何をか、一劉備の小悪戯(こいたずら)(かか)わって、可惜(あたら)、貴重な兵馬を損じ、民の離反を求める必要がございましょうか」
 劉曄(りゅうよう)の献言は大局的で、一時いきり立った曹操にも、大いにうなずかせるところがあった。しかし曹操は、

「劉備は降伏するだろうか」


「おそらくはしないでしょう。それはそれでいいのです。へたに降伏されたら、されたで扱いに困りますよ。関羽もいることですし、それよりも、劉備に争いを避ける機会を与えてやったということが大事なのです。劉備が降伏せねば、民心のうらみは劉備にかかりましょう。今は、荊州(けいしゅう)を手に入れることを優先すべきです」

「誰を、劉備のところへ使いにやるか」


 劉曄は一言のもとに、


「それは、徐庶(じょしょ)が適任です」


 と、いった。

 ばかをいえ――といわぬばかりに曹操は劉曄の顔をしり目に見て、


「あれを劉備のもとへやったら、再び帰ってくるものか」


 と、唇をむすんで、大きく鼻から息をした。


「いやいや、劉備と徐庶との交情は、天下周知のことですが、それ故に、もし徐庶がご信頼を裏切って、この使いから帰らなかったりなどしたら、天下の物笑いになります。それに、徐庶なら、こちらの目的を理解し、正確に伝えてくれるでしょう」

「なるほど、それも一理だな」


 彼はすぐ幕下の群将のうちから、徐庶を呼びだして、おごそかに、軍の大命をさずけた。


 徐庶(じょしょ)は、命を奉じて、やがて樊城(はんじょう)へ使いした。


「なに、曹操の使いとして、徐庶が見えたと」


 劉備は、旧情を呼び起した。孔明と共に、堂へ迎え、


「かかる日に、ご辺と再会しようとは」

 と嘆じた。

 語りあえば、久濶(きゅうかつ)の情は尽きない。けれど今は敵味方である。徐庶はあらためていった。

「今日、それがしを向けて、あなたに和睦(わぼく)を乞わしめようとする曹操の本志は、和議にあらず、ただ民心の怨嗟(えんさ)転嫁(てんか)せんための奸計(かんけい)です。これに乗って、一時の安全をはかろうとすれば、おそらく悔いを百世に残しましょう。不幸、自分はあなたの敵たる陣営に飼われる身となり、今は老母も死してこの世にはありませんが、もしこの使いから帰らなければ、世人はそれがしの節操を疑い、かつ(あざけ)り笑うでしょう。――ぜひもない宿命、ただ今の一言を、呈したのみで立ち帰りまする」

 と、すぐ(いとま)を告げ、なお帰りがけにもくり返していった。


「逆境また逆境、さだめし今のお立場はご不安でしょう。しかし以前と事ちがい、唯今では、君側の人に、諸葛(しょかつ)先生が居られます。かならずあなたの抱く王覇(おうは)の大業を(たす)け、やがて今を昔に語る日があることを信じております。それがしは老母も死し、何一つ世のために計ることもできない境遇に置かれていますが、ただひとつ、あなたのご大成を陰ながら念じ、またそれを楽しみにしていましょう。……では、くれぐれもご健勝に」

 徐庶が帰って、曹操に返辞をするまでのあいだに、劉備は、ふたたび、城を捨て、ほかに安らかな地を求めなければならなかった。

 せっかく誘降(ゆうこう)の使いをやったのにそれを拒絶したという報告を聞けば、曹操はたちまち、


(民を戦禍に投じたものは劉備である)


 と、罪を相手になすって百万の軍にぞんぶんな蹂躙(じゅうりん)を命じ、颱風の如く攻めて来ることはもう決定的と見られたからである。


襄陽(じょうよう)に避けましょう。この城よりは、まだ襄陽のほうが、防ぐに足ります」


 孔明のすすめに、もちろん、劉備は異議もなかったが、


「自分を慕って、自分と共に、ここへ避難している無数の百姓たちをどうしよう」


 と、領民の処置を案じて、決しきれない容子だった。


「君をお慕い申し上げて、君の落ち行く先なら、何処までとついて来る可憐な百姓どもです。たとえ足手まといになろうと、引き具してお移りあるべきでございましょう」


 孔明のことばに、劉備も、


「ならば――」

 と、関羽に渡江の準備を命じた。

 関羽は、江頭に舟をそろえ、さて数万の百姓をあつめて、

「われらと共に、ゆかんとする者は江を渡れ。あとに残ろうと思う者は、去って旧地の田を耕すがいい」

 と、云い渡した。

 すると、百姓老幼、みな声をそろえて、共に()いて、

「これから先、たとえ山を(ひら)いて喰い、石を(うが)って水を汲むとも、劉皇叔(りゅうこうしゅく)さまに従って参りとうございます。ついに生命を失っても使君(しくん)(劉備のこと)をお恨みはいたしません」と、いった。

 そこで関羽は、糜竺(びじく)簡雍(かんよう)などと協力して、この膨大(ぼうだい)なる大家族を、次々に舟へ盛り上げては対岸へ渡した。

 かくて皆、北の岸へ渡りつくや、休むまもなく、劉備は襄陽(じょうよう)へ急いだ。

 襄陽の城には、先頃から幼国主劉琮(りゅうそう)、その母(さい)夫人以下が、(けい)州から移住している。劉備は、城門の下に馬を立て、

賢姪(けんてつ)劉琮(りゅうそう)、ここを開けたまえ、多くの百姓どもの生命(いのち)を救われよ」

 と、大音をあげた。

 すると、答えはなくて、たちまち多くの射手が矢倉の上に現われて矢を酬いた。

 劉備につき従う数万の百姓群の上に、その矢は雨の如く落ちてくる。悲鳴、慟哭(どうこく)、狂走、混乱、地獄のような悲しみに、地も空も(くら)くなるばかりだった。

 ところが、これを城中から見てあまりにもその無情なる処置に義憤を発した大将があった。姓は魏延(ぎえん)(あざな)文長(ぶんちょう)、突如味方のなかから激声をあげて、

劉備玄徳(りゅうびげんとく)は、仁人(じんじん)である。故主の墳墓の土も乾かぬうちに、曹操へ降を乞い、国を売るの賊、汝らこそ()しからん。――いで、魏延が城門をあけて、劉備を通し申さん」

 と云い出した。

 蔡瑁(さいぼう)は仰天して、張允(ちょういん)に、

「裏切り者を討て」

 と命じた。

 時すでに、魏延は部下をひきいて、城門のほうへ殺到し、番兵を蹴ちらして、あわや吊橋(つりばし)をおろし、

劉皇叔(りゅうこうしゅく)! 劉皇叔! はやここより入り給え」

 と、叫んでいる様子に、張允、文聘(ぶんぺい)などが、争ってそれを(さまた)げていた。

 城外にいた張飛、関羽たちは、すぐさま馬を打って駆け入ろうとしたが、城中の空気、(かなえ)の沸く如く、ただ事とも思われないので、


「待て、しばし」
 と急に押し止め、
「孔明、孔明。ここの進退は、どうしたらいいか」

 と、訊ねた。

 孔明は、うしろから即答した。

「凶血が煙っています。おそらく同士打ちを起しているのでしょう。せめて、民、百姓だけでも受け入れて欲しかったのですが、こうなっては難しいでしょう。道をかえて江陵(こうりょう)(湖北省・沙市(さし)揚子江(ようすこう)岸)へ行きましょう」
「えっ、江陵へ?」

「江陵の城は、荊州第一の要害、銭糧(せんろう)(たくわ)えも多い土地です。ちと遠くではありますが……」


「おお、急ごう」


 劉備が引っ返して行くのを見ると、日頃、劉備を慕っていた城中の将士は、争って、蔡瑁(さいぼう)麾下(きか)から脱走した。折ふし城門の混乱に乗じて、彼のあとを追って行く者、引きも切らないほどだった。

 そうした劉備同情者のうちでも最も堂々たる名乗りをあげた魏延(ぎえん)は、張允(ちょういん)文聘(ぶんぺい)などに取囲まれて、部下の兵はほとんど討たれてしまい、ただ一騎となって、()(こく)から(ひつじ)の刻の頃まで、なお戦っていた。

 そして遂に、一方の血路を斬りひらき、満身血となって、城外へ逸走してきたが、すでに劉備は遠く去ってしまったので、やむなくひとり長沙(ちょうさ)へ落ちて、後、長沙の太守韓玄(かんげん)に身を寄せた。

 さて、劉備はまた、数万の百姓をつれて、江陵へ向って行ったが何分にも、病人はいるし、足弱な女も多く、幼を負い、老を扶け、おまけに家財をたずさえて、車駕(しゃが)担輿(たんよ)など雑然と続いて行く始末なので道はようやく一日に十里(支那里)も進めば関の山という状態であった。

 これには、孔明も困りはてて、遂に対策もないかのように、



「身をかくす一物もないこの平野で、もし敵につつまれたら、ほとんど一人として生きることはできますまい。もうご決断を仰がなければなりません」


 と、眉に悲壮なものをたたえて劉備にこう迫った。

 落ちて行く敗残の境遇である。軍自体の運命すら危ういのに、数万人の窮民をつれ歩いていたのでは、所詮、行動の取りようもない。


「背に腹はかえられません」


 孔明は(さと)すのであった。劉備の仁愛な心はよく分っているが、そのため、敵の殲滅(せんめつ)に会っては、なんの意味もないことになる。


「ここは一時、涙をのんでも、百姓、老幼の足手まといを振り捨て、一刻もはやく江陵へ行き着いて、処置をお急ぎなさらなければ、ついに曹軍の好餌となるしかありますまい」


 というのであった。

 が――劉備は依然として、


「自分を慕うこと、あたかも子が親を慕うようなあの領民を、なんで捨てて行かれようぞ。国は人をもって(もと)とすという。いま劉備は国を(うしな)ったが、その本はなお我にありといえる。――民と共に死ぬなら死ぬばかりである」

 と云ってきかなかった。

 このことばを孔明から伝え聞いて、将士も涙を流し、領民もみな()いた。

 さらばと、――孔明もついに心をきめて、領民たちに相互の扶助と協力の精神を徹底させ、一方、関羽と孫乾(そんけん)に、兵五百を分けて、

江夏(こうか)におられる嫡子劉琦君(りゅうきくん)のところへ急いで、つぶさに戦況を告げ、江陵の城へお出会いあるべしと、この書簡をとどけられよ」

 と、劉備のてがみを授けて、援軍の急派をうながした。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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