第74話、関羽、張飛と再会する

文字数 8,313文字

 関羽と二夫人を乗せた車は、河北へ向かって移動していた。途中、なんどか山賊などが襲ってきたが、関羽が青龍偃月刀の一振りですべてなぎ払った。

 日をかさねて、関羽たちは、滑州(かっしゅう)(河南省・黄河の河港)の市城へはいり、河南の岸から船で黄河を渡り、河北に着いた。

 船が北の岸につくと、また車を陸地に揚げ、(れん)を垂れて二夫人をかくし、ふたたび蕭々(しょうしょう)の風と渺々(びょうびょう)の草原をぬう旅はつづいてゆく。

 そうした幾日目かである。

 彼方からひとりの騎馬の旅客が近づいてきた。見れば何と、汝南で別れたきりの孫乾(そんけん)ではあった。

 互いに奇遇を祝して、まず関羽からたずねた。

「かねての約束、どこかでお迎えがあろうと、ここへ参るまでも案じていたが、さてかく手間どったのはどうしたわけだ」
「実は、袁紹(えんしょう)帷幕(いばく)にいろいろ内紛が起って、そのために、汝南の劉辟(りゅうへき)龔都(きょうと)のむねをおびて河北へ使いしたてまえの計画が、みな喰いちがってしまったのです。――さもなければ、袁紹を説き伏せて劉皇叔(りゅうこうしゅく)を汝南に派遣するように仕向け、てまえは途中にご一行を待って、ご対面のことを計るつもりでしたが」
「では、劉皇叔には、ともあれご無事に、いまも袁紹の許においで遊ばすか」
「いや、いや。つい二、三日ほど前、てまえが行って、ひそかに(しめ)しあわせ、河北を脱出あそばして汝南へさして落ちて行かれた」

「して、その後のご安否は」


「まだ知れぬが、――一方、貴殿とのお約束もあり、二夫人のお身の上も心がかりなので、とりあえず、てまえはこの道をいそいできた次第です。――将軍もお車も、このまま何も知らずに河北へ行かれたら、みずから檻の中へはいってゆくようなもの。危険は目前にあります。すぐ道をかえて、汝南へ向けておいそぎ下さい」
「よくぞ知らせてくれた。しからば劉皇叔だにおつつがなくのがれ遊ばせば、汝南において、ご対面がかなうわけだな」
「そうです。劉備様にも、どれほどお待ちかわかりません。何しろ、河北の陣中におられるうちには、たえず周囲の白眼視をうけ、袁紹(えんしょう)には、二度まで斬られようとしたことさえおありだった由ですから」
 と、なお劉備のきょうまでの隠忍艱苦(いんにんかんく)のかずかずを物語ると、(れん)の裡で聞いていた二夫人もすすり泣き、関羽も思わず落涙した。
「そうだ。心せねばならん。汝南はもう近いが、何事も、もう一歩という手まえで、心もゆるみ、思わぬ(さまた)げも起るものだ。――孫乾(そんけん)、道の案内に先へ立ち給え」

 関羽は、自分を戒めるとともに、扈従(こじゅう)の人々へも、おしえたのである。


「心得申した」


 急に、道をかえて、汝南の空をのぞんで急いだ。



 雨が降って濡れたので、その晩、泊めてもらった民家の炉で、人々は衣類を火にかざし合った。

 ここの(あるじ)は、郭常(かくじょう)という人の良さそうな人物だった。羊を(ほふ)って(あぶ)り肉にしたり、酒を温めて、一同をなぐさめたりしてくれた。

 田舎家ながら後堂もある。

 二夫人はそこにやすんだ。

 衣服も乾いたので、関羽、孫乾は、屋外へ出て、馬に(まぐさ)を飼ったり、扈従(こじゅう)の歩卒たちにも、酒をわけてやったりしていた。

 ――と。この家の塀の外から、狐のような疑い深い眼をした若者が、しきりに覗いていたが、やがて無遠慮に入ってきて、

「なんだい、今夜の厄介者は」
 と、大声で云い放っていた。

「しっ……。高貴なお客人にたいして、なんたる云いぐさだ。ばか」


 主の郭常(かくじょう)はたしなめていたが、あとでその若者のいない折、炉辺を囲みながら、涙をながして、関羽と孫乾に愚痴をこぼした。
「さきほどのがさつ者は、実は、(せがれ)でございますが、あのとおり明け暮れ狩猟(かり)ばかりして、少しも農耕や学問はいたしません。どうも手におえない困り者で」

「なに、そう見限ったものでもないですよ。狩猟も武のひとつ、儒学や家事の手伝いも、いまに励みだそうし」


 ふたりが、慰めてやると、


「いえいえ狩猟(かり)だけなら、まだようございますが、村のあぶれ者とばくちはするし、酒、女、何でも止めどのない奴ですから。……時には、わが子ながら、あいそが尽きることも、一度や二度ではございません」

 その晩、みな寝しずまってから、一つの事件が起った。

 五、六人の悪党が忍びこんで、(うまや)の赤兎馬を盗みだそうとしたところ、悍気(かんき)のつよい馬なので、なかの一人が跳ねとばされたらしく、その物音に、みな眼をさまして大騒ぎとなったのだった。

 しかも、孫乾や、車の扈従(こじゅう)たちが包囲して捕まえてみると、その中のひとりは宵にちらと見たこの家ののら息子だった。数珠(じゅず)つなぎに縛りあげて、

「斬ってしまえ」


 と、孫乾が息まいているとき、主の郭常(かくじょう)は、関羽のところに慟哭(どうこく)しながら転げこんできた。


「お慈悲です。あんな出来損(できそこな)いではございますが、てまえの老妻には、あれがいなくては、生きがいもないくらい、可愛がっている奴でございます。どうぞお慈悲をもって、あれの一命だけは」

 と、何遍も(むしろ)(ひたい)をすりつけて詫びた。

 関羽の一言で、泥棒たちは、放された。

 郭常夫婦はわが子の恩人と、あくる朝も、首をならべて百拝した。


「こんな良い親をもちながら、勿体ないことを知らぬ息子だ。これへ呼んでくるがいい、置き土産にそれがしが訓戒を加えてやろう」


 関羽のことばに、老夫婦はよろこんで連れに行ったが、のら息子は、家の中にいなかった。召使いのことばによると、早暁また悪友五、六人と組んで何処へともなく、出かけてしまったということであった。



 翌日の道は、山岳にはいった。

 ひとつの峠へきた時である。百人ばかりの手下をつれた山賊の大将が、馬上から、

「おれは黄巾の残党、大方(だいほう)裴元紹(はいげんしょう)というものだ。この山中を無事に越えたいと思うなら、その馬をくれてゆけ」
 と、道のまん中をふさいで名乗った。
「山賊か」
 関羽は、長く伸びた顎髭をなでながら言った。
「あんた、何者だ」
 あまりに堂々とした振る舞いに、裴元紹(はいげんしょう)は疑問を感じた。
「おれは関羽雲長」
 すると、裴元紹(はいげんしょう)は、はっとした容子で、
「あっ、さては」

 驚いて馬から跳び下りたと思うと、裴元紹は、ふいに後ろの手下の中から、ひとりの若者を引きずりだして、その(もとどり)をつかむやいな、大地へねじ伏せた。

 関羽には、何をするのか、彼の意志がわからなかった。

「関羽将軍、この青二才にお見覚えありませんか、麓に住む郭常のせがれで……」

「おお、あの、のら息子か」


「実は、てまえの山寨(さんさい)へきて、きょう峠へかかる旅客は天下無双の名馬、赤兎馬というのにまたがっている。金も持っている。女もつれている。そう告げにきて、儲けの分け前を求めました。……こういっては、賊のくせに、口ぎれいなことをと、おわらいでしょうが、金銀や女などに、そう目をくれる自分ではありません。しかし天下の名駿と聞いては見のがせない気がしました。関羽将軍とは思いもよらなかったために……」

「それで読めた。その息子は、昨夜から此方の馬を狙っていたのだ。だが、力が足らないので、そちの山寨へケシかけに行ったものと見える」


(ふて)え奴」


 と、裴元紹は、のど首を締めつけて、いきなり短剣でその首を掻き落そうとした。


「あ。待て、待て、その息子を、殺してはならん」


「なぜですか。せっかく、こいつの首を献じて、お詫びを申そうとするのに」


「放してやってくれい。その、のら息子には、老いたる両親がある。またその両親には二夫人以下われわれどもが、一夜の恩をこうむっておれば……」


「ああ、あなた様は、やはり噂に聞いていた通りの関羽将軍でした」


 そういうと、裴元紹は、のら息子の襟がみをつかんで、道ばたへほうり出した、のら息子は、生命からがら、谷底へ逃げこんだ。

 関羽は、山賊の将たる彼が、いちいち自分に推服の声をもらしているので、どうして自分を知っているかと問いただした。

 裴元紹は、答えて、


「ここから二十里ほど先の臥牛山(がぎゅうざん)(河南省・開封附近)に、関西の周倉(しゅうそう)という人物が棲んでいます。左右の手によく千斤をあぐ――という豪傑ですが、この者が、将軍をお慕いしていることは、ひと通りではありません」


「いかなる素姓の人か」


「もと黄巾の張宝(ちょうほう)に従っていましたが、いまは山林にかくれて、ただ将軍の威名を慕い、いつかは拝姿の日もあろうにと、常々、その周倉からてまえもお噂を聞かされていたのです」

「山林のなかにも、そんな人物がおるか。そちも周倉に昵懇(じっこん)なれば、邪を抑え、正をふるい、明らかな人道を大歩して生きたらどうだ」


 裴元紹は、つつしんで、改心をちかった。そして山中の道案内をつとめて、およそ十数里すすむと、かなたの地上、黒々と坐して拝跪(はいき)している一団の人間がある。

 近づいてみると、中にも一人の大将は、路傍にうずくまって、関羽、孫乾、車のわだちへ、拝礼を(ほどこ)していた。

 裴元紹は、馬をとどめて、


「関羽将軍、そこにお迎えしておるのが、関西の周倉です。どうかお声をかけてあげて下さい」

 と、彼の注意を求めた。

 関羽は馬を下り、つかつかと周倉のそばへ寄った。


「ご辺が周倉といわれるか。何故にそう卑下(ひげ)めさるか。まず地を立ち給え」

 と、(たす)け起した。

 周倉は立ったが、なお、自身をふかく恥じるもののように、

「諸州大乱の折、黄巾軍に属して、しばしば戦場でおすがたを見かけたことがありました。賊乱平定ののちも、前科のため、山林にかくれて、ついに盗賊の群れに生き、いまかくの如き境遇をもって、お目にかかることは、身を恨みとも思い、天にたいしては、天の(たまもの)と、有難く思います。将軍どうかこの馬骨を、お拾いください、お救い下さい」

「拾えとは? 救えとは?」


「将軍に仕えるなら、ご馬前の一走卒でも結構です。邪道を脱して、正道に生きかえりたいのでござる」

「ああ、ご辺は善性(ぜんしょう)の人のようだな」


「おねがいです。然るうえは、死すともいといません」


「が、大勢の手下は、どうするか」


「つねに皆、将軍の名を聞いて、てまえ同様お慕いしています。自分が従うてゆけば、共々、お手についてゆきたい希望にござりまする」


「待ちたまえ、ご簾中(れんちゅう)に伺ってみるから」


 関羽は静かに車のそばへ寄って、二夫人の意をたずねてみた。


(わらわ)たちは、女子のこと、将軍の胸ひとつで……」
 と、甘夫人はいった。
「はて、どうしたものか」
「改心しているか知らんが、山賊だろ。そいつらが道中何かやらかすかもしれん。なかには、二夫人によからぬ事を企む者もいるかもしれない。そんな連中を連れ歩くのはどうかと思うぞ」
 孫乾はいった。
「確かに」
 関羽は、周倉のまえに戻ってくると、気の毒そうに云い渡した。
「ここはひとまず、山寨へ帰って、またの時節を待ったがよかろう」
「至極な仰せ。ですが、身は緑林(りょくりん)におき、才は匹夫(ひっぷ)、押して申しかねますなれど、きょうの日は、てまえにとって、実に、千(ざい)の一(ぐう)といいましょうか、盲亀(もうき)浮木(ふぼく)というべきか、逸しがたい機会です」
 周倉は、()かんばかりにいった。真情をもって訴えれば、人をうごかせないこともあるまいと、縷々(るる)、心の底から吐いてすがった。
「……どうか、どうか、てまえを人間にして下さい。いま将軍を仰ぐこと、井の底から天日を仰ぐにも似ております。この一筋のご縁を切られたら、ふたたび明らかな人道に生きかえるときが、あるや否やおぼつかなく思われます。……もし大勢の手下どもを引き具してゆくことが、問題なれば、手下の者は、しばらく裴元紹(はいげんしょう)にあずけ、この身ひとつ、馬の口輪をとらせて、おつれ願いとう存じまする」

 関羽は、彼の誠意にうごかされて、


「では、ついてくるがよい」
 といった。

 周倉はなおのこと、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)して、

「ああ、有難い!」

 と、天日へさけんだほどだった。

 だが、裴元紹は、周倉が行くなら自分にも扈従(こじゅう)をゆるされたいと、彼につづいて、関羽に訴えた。

 周倉は、彼をさとして、

「すまないが、おぬしが手下を預かってくれなければ、みなちりぢりに里へおりて、どんな悪行をかさねるかもしれない。他日かならず誘うから、しばらく山に留まっていてくれ」

 やむなく裴元紹は手下をまとめて、山寨へひきあげた。

 周倉は本望をとげて、山また山の道を、身を粉にして先に立ち、車を推しすすめて行った。

 ほどなく、目的の汝南に近い境まで来た。

 その日、一行はふと、彼方の嶮しい山の中腹に、一つの古城を見出した。白雲はその望楼や石門をゆるやかにめぐっていた。


「はて、あの古城には、煙がたちのぼっている。何者が立て籠っているのであろうか」

 関羽と孫乾(そんけん)が、小手をかざしている間に、周倉は気転よくどこかへ走って行って、土地の者を引っ張ってきた。

 その者は猟夫(りょうし)らしい。人々に問われてこう話した。


「三月ほど前のことでした。名を張飛とかいう恐ろしげな大将が四、五十騎ほどの手下を連れてきて、にわかにあの古城へ攻めかけ、以前からそこを巣にして威を振るっていた千余のあぶれ者や賊将をことごとく退治してしまいました。そしていつの間にか(ほり)を深くし、防柵を結び、近郷から兵糧や馬をかりあつめ人数もおいおいと殖やしてきて、今では、三千人以上もあれに立て籠っているそうで……何にしても土地の役人や旅の者でも、(ふる)い怖れて、あの麓へ近づく者はありません。旦那方も、道はすこし遠廻りになりますが、こっちの峰の南を廻って、汝南へお出でになったほうがご無事でございましょうよ」

 さりげない態を装って聞いていたが、関羽は心のうちで飛び立つほど歓んでいた。

 猟夫(りょうし)を帰すと、すぐ孫乾をかえりみて、

「聞いたか、いまの話を。まぎれもない義弟(おとうと)の張飛だ。徐州没落ののち、おのおの離散して半年あまり、計らずもここで巡り会おうとは。――孫乾、貴公すぐに、あの古城へはせ参って、仔細を告げ、張飛に会って、二夫人の御車をむかえに出よと伝えてくれい」

 と、いった。

 孫乾も勇み立って、「心得て(そうろ)う」とばかり直ちに馬をとばして行った。

 飛馬は見るまに渓谷(けいこく)へ駈けおりて、また彼方の山裾をめぐり、ほどなく目的の古城の下に近づいた。

 その(かみ)、いかなる王侯が居を構えていたものか、規模広大な山城であるが、山嶂(さんしょう)塁壁(るいへき)望楼(ぼうろう)はすべて風化し、わずかに麓門(ろくもん)や一道の石階(せっかい)などが、修理されてあるかに見える。刺を通じると、番卒から部将に、部将から張飛にと、孫乾の来訪が伝えられた。

「孫乾が来るわけはない。偽者(にせもの)だろう」


 張飛の大声が中門に聞えた。孫乾は思わず、


「俺だよ、俺だよ」


 と、麓門の側でどなった。


「あれ、なんだおぬしか。どうしてやって来た」


 彼の元気は相変らずすばらしい。高い石段の上から手をあげて呼び迎える。やがて通されたのは山腹の一閣で、張飛はここに構えて王者を気取っているようである。


「絶景だな。うまい所を占領したものじゃないか。これで一万の兵馬と三年の糧食があれば一州を手に入れることは易々たるものだ」


 孫乾がいうと、張飛は、呵々(かか)と笑って、


「住んでからまだ三月にしかならないが、もう三千の兵は集まっている。一州はおろか、十州、二十州も伐り従えて故主劉備のお行方が知れたら、そっくり献上しようと考えておるところだ。おぬしも俺の片腕になって手伝え」


「いや、手伝うも手伝わんもない。実は、今日これへ参ったのも、その皇叔の二夫人を護って、汝南へ赴く途中の関羽どののことばによって拙者が先触(さきぶ)れにきた次第である。――すぐ古城を出て二夫人の車を迎えに出られたい」

「なに、関羽が来ているとの?」


許都(きょと)を立って、これより汝南の劉辟(りゅうへき)のもとへ行くご予定だ。そこには、河北の袁紹(えんしょう)にしばらく身をよせていたご主君も、先に落ちのびていられるはずだから……」


 と、なおこまごまと、前後のいきさつを物語ると、張飛は何思ったか、にわかに城中の部下へ陣触れを命じ、自身も一丈八尺の蛇矛(じゃぼこ)をたずさえて、

「孫乾、あとから来いよ」


 と、急な疾風雲(はやてぐも)のように、山窟(さんくつ)の門から駆けだして行った。

 その様子がどうも、穏やかでないので、置き去りを喰った孫乾も、あわてて馬にとび乗った。


 ひろい沢を伝わって、千余の兵馬が此方へさして登ってくる、二夫人の車を停めていた扈従の人々は、

「あれあれ、張飛どのが、さっそく勢を率いて迎えにくる――」

 と、喜色をあらわしてどよめき合っていた。

 ところが、やがてそこへ駈け上ってきた張飛は、奔馬の上に蛇矛を横たえ、例の虎髯(とらひげ)をさかだてて、


「関羽はどこにいるか。関羽、関羽っ」


 と、吠えたてて、近寄りもできない血相だった。

 関羽は、声を聞いて、


「おう、張飛か。関羽はこれにおる。よくぞ無事であったな」


 と、何気なく進んでくると、張飛は、やにわに(ほこ)を突ッかけて、落雷が木を裂くように、


「いたかっ、人非人(にんぴにん)!」


 と、奮いかかってきた。

 関羽は驚いて、猛烈な彼の矛さきをかわしながら、


「何をするっ張飛。人非人とは何事だ」


「人非人でわからなければ、不義者といおう。何の面目あって、のめのめ俺に会いにきたか」


「怪しからぬことを。この関羽がいかなる不義を働いたか」


「だまれっ。曹操(そうそう)に仕えて、さんざ富貴をむさぼって、義を忘れ果てながら、許都の風向きが悪くなったか、これへ落ちてきてぬけぬけ俺をも(あざむ)こうとするのだろう。ひとたびは義兄弟(けいてい)の誓いはしたが、犬畜生にも劣るやつを、兄貴とは立てられない。さあ勝負をしろ、勝負を! 汝を成敗したら俺は生きているが、汝が生きているくらいなら俺はこの世にいたくないんだ。さあ来い関羽!」
「あははは、相変らず粗暴な男ではある、此方の口からいいわけはせぬ。二夫人の御簾(ぎょれん)を拝して、とくと、許都の事情をうけたまわるがよい」

「おのれ、笑ったな」


「笑わざるを得ない」


(ぬす)()小謡(こうた)というやつ。もう堪忍ならぬ」


 りゅうりゅうと(ほこ)をしごいて、ふたたび関羽に突きかかる様子に、車上の二夫人は思わず(れん)を払って、


「張飛、張飛。なんで忠義の人に、さは怒りたつぞ。ひかえよ」


 と、さけんだ。

 張飛は、振向いただけで、


「いやいやご夫人、驚きたもうな。この不義者を誅罰(ちゅうばつ)してから、それがしの古城へお迎えします。こんな二股膏薬(ふたまたこうやく)にだまされてはいけませんぞ」


 と、云い放った。

 甘夫人は悲しんで、出ない声をふりしぼり、張飛の誤解であることを早口になだめたが、落着いてほかのことばに耳をかしているような張飛ではない。


「関羽がどう云い飾ろうと、真の忠臣ならば、二君に仕える道理はない」


 と、きかないのである。

 ところへ、後からきた孫乾は、この態を見て、あれほど自分からも説明したのにと、腹を立てて、


「わからずやの虎髯(とらひげ)め。粗暴もいい加減にいたせ。関羽どのが一時、曹操に降ったのは、死にもまさる忍苦と遠謀があってのことだ。汝の如き短慮無策にはわかるまいが、謹んで矛をうしろにおき関羽将軍のことばを落着いて聞くがいい」


 と傍らから呶鳴った。


「うむむむ」


「そうですよ。あなたがいうように、関羽将軍は、富貴をむさぼってなどいません。曹操に忠誠心など抱いていないのです。私たちがこうやって無事に、ここにたどり着けたのも、関羽将軍の忠誠心があったおかげなのです」


 甘夫人はいった。


「そう、なのかい」


 張飛は関羽を見た。

「そういうことだ」


 関羽はうなずいた。

 孫乾も、甘夫人も糜夫人も、みなうなずいた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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