第107話、魏延
文字数 5,735文字
このところ
と、変に孔明へからんで、次の武陵城攻略には、ぜひ自分を――と暗に望んだ。
孔明が、わざと危ぶむが如く、念を押すと、
張飛は、憤然、誓紙を書いて示した。
こういって、太守
金旋は怒って、鞏志の首を斬ろうとした。
人々が止めるので、その一命だけは助けてやったが、彼自身は即座に戦備をととのえて、城外二十里の外に防禦の陣を
張飛の戦法はほとんど暴力一方の
城の近くまで逃げたところで、張飛に追いつかれ、背中から真っ二つに斬り下げられた。
それを楼門の上から見ていた。
張飛は、軍令を掲げて、諸民を安んじ、また
劉備は、
すると、関羽からすぐ、返書がきて、
などと、独り留守城にいる
劉備はすぐ、張飛を荊州へ返して、関羽と交代させた。そして三千の兵を貸して、
と、関羽の希望にこたえた。
関羽は、即日、長沙へ向うべく準備していると、孔明が、
と告げた。
しかし、同じく三千騎で城を落とした張飛、趙雲に張り合ったのか、関羽は孔明の忠告も、耳に聞いただけで、加勢も仰がず、三千騎を連れ、その夜のうちに立ってしまった。
孔明は、その後で、劉備へ対して、こう注意した。
げにもと、劉備はうなずいて、すぐ関羽のあとから一軍を率いて、長沙へ急いだ。
彼が、目的地に着いた頃、すでに長沙の城市には、煙が揚っていた。
関羽の手勢は、短兵急に外門を破り、すでに城内で市街戦を起していた。
長沙の太守
すると、城中からひとりの老将が、奔馬にまたがり、大刀をひっさげて出現して来た。
ばらばらになっていた長沙の兵は、自然とその老将の元へ集まり始めた。
関羽は、ひと目見るとすぐ、
なるほど――と関羽も戦いに入ってから舌を巻いた。
彼の
この決戦は、実に堂々たる一騎打ちの演出であったとみえ、両軍とも、あまりの見事さに、
と、高矢倉から叫び出した。
たちまち耳を打つ退き鉦の音に黄忠は、ぱっと馬をかえした。そして急速度に城中へ駈けこむ兵にまじって、彼の馬もその影を没しかけた。
関羽は、追撃して、
と
その時、黄忠の乗っていた馬が足を折り、黄忠は投げ出された。
関羽は、黄忠の姿を見下ろしながらも、振りかぶった大青龍刀を、黄忠の頭に下さなかった。
と、関羽は引っ返してしまった。
黄忠は城壁の内へ駈けこんだ。
太守
と励まし、自分の乗馬の
夜が明けると、関羽はまた、手勢わずか五百ばかりだが、勇敢に城下へ迫って来た。
黄忠は、きょうも陣頭に姿をあらわし、関羽と激闘を交えたが、やがて昨日のように逃げ出した。そして橋の辺まで来ると、振りかえって弓の
橋を越えると、黄忠はまた、弓を引きしぼった。しかし今度も、弦は空鳴りしただけだった。
ところが、三度目には、ひょうッと矢うなりがして、まさしく一本の矢が飛んできた。そしてその矢は、関羽の兜の
そうさとったので、関羽は、なおさら舌をふるって、その日は兵を
一方の黄忠は、城中へもどるとすぐ、太守韓玄の前へ引っ立てられていた。
韓玄はもってのほかの立腹だ。声を励まして、黄忠を罵り辱めた。
黄忠は、涙をたれながら、早口に、その理由を、云い開こうとしたのである。
だが、耳をかす韓玄ではなかった。即刻、刑場へ曳き出して斬れとどなる。諸将が見かねて、哀訴嘆願をこころみたが、
と、いう始末。
長沙の名将黄将軍も、今は刑場の鬼と化すかと、刑にあたる武士や吏員までがかなしんでいたが、たちまち、その執行直前に、周囲の柵を蹴破って、躍りこんで来た壮士がある。
この人、生れは義陽。
もと荊州の劉表に仕え、一方の
しかし、日頃から韓玄は、彼の偉材を、かえって忌み嫌い、むしろ他国へ
「あれよ」と、人々のさわぐまに、彼は、黄忠の身を
と、関羽は一挙に長沙の城へ入って、城頭に勝旗をかかげ、城下一円に軍政の令を
魏延に尋ねると、
と、再三、関羽から使いを出したが、黄忠は病に托して出てこない。
かかるうちに劉備は、関羽の早馬をうけて、
劉備は、黄忠、魏延のことを、間もなく、出迎えの関羽から聞いた。
と、劉備は、直ちに駕を命じて、黄忠の閉ざせる門を訪れた。その礼に感じて、ついに黄忠も、私邸の門をひらいて降参し、同時に、旧主韓玄の
劉備は、即日、法三章を掲げて、広く新領土の民へ布告した。
一、不忠不孝の者斬る
一、盗む者斬る
一、
また、功ある者を賞し、罪ある者を罰して、
関羽がひとりの壮士を携えて出頭したのは、そうした繁忙の中であった。
関羽のことばに、劉備は、おおと膝を打って、
と、まず
「不義士っ。
勃然と叱った者がある。
あっと驚いて、その人を見ると、孔明だった。孔明はまた劉備へ向って直言した。
「魏延に賞を賜うなど以てのほかです。彼、もとより韓玄とは、何の仇あるに非ず。かえって、一日でもその
孔明は、兵を呼んで、即座に魏延を斬れと命じた。
劉備は、孔明の命をさえぎって、
と、兵たちを制し、孔明をなだめて、魏延のために、命乞いをすらしたのである。
「味方に功を寄せ、また降順をちかい、折角、わが麾下へひざまずいて来た者を、たちまち、罪をかぞえて斬りなどしたら、以後、劉備の陣門に降を乞う者はなくなるだろう。魏延はもと荊州の士、荊州の征旗を見て帰参したのは、決して不義ではない。韓玄に一日の禄をたのんだといえ、韓玄も実心をもって彼を召抱えたわけでもなく、魏延もそれに臣節を以て仕えたわけではなかろう。彼の心はもとから荊州へ復帰したい念願であったにちがいない。いかなる人間でも落度をかぞえれば罪の名を附すことができる。どうか一命は助けてとらすように」
劉備の弁護は、まるで骨肉をかばうようだった。孔明は、沈黙してしまったが、なおそれを
「私が魏延の相を観るに、これ
才の無いものであれば、さして気にするほどではなかったが、黄忠を救い、韓玄を討った、その手腕、その決断力、どれもすぐれた武将のなせるわざであった。それが、主である劉備玄徳に向かうことを孔明は畏れていた。
劉備にやさしく
劉備はまた、劉表の甥の
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