第107話、魏延

文字数 5,735文字

 このところ髀肉(ひにく)(たん)にたえないのは張飛であった。常に錦甲(きんこう)を身に飾って、劉備や孔明のそばに立ち、お行儀のよい並び大名としているには適しない彼であった。


「趙雲すら桂陽城を奪って、すでに一功を立てたのに、先輩たるそれがしに、欠伸(あくび)をさせておく法はありますまい」

 と、変に孔明へからんで、次の武陵城攻略には、ぜひ自分を――と暗に望んだ。


「しかし、もしご辺に、不覚があった場合は」


 孔明が、わざと危ぶむが如く、念を押すと、


「軍法にかけて、この首を、今後の見せしめに献じよう」


 張飛は、憤然、誓紙を書いて示した。


「ならば行け」
 と、劉備は彼に兵三千をさずけた。張飛は勇躍して、武陵へ馳せ向った。
「大漢の皇叔劉備の名と仁義は、もうこの辺まで聞えています。また張飛は、天下の虎将。――その軍に向って抗戦は無意味でしょう」

 こういって、太守金旋(きんせん)をいさめたのは、城将のひとり鞏志(きょうし)という者だった。


「裏切者。さては敵に内通の心を抱いているな」


 金旋は怒って、鞏志の首を斬ろうとした。

 人々が止めるので、その一命だけは助けてやったが、彼自身は即座に戦備をととのえて、城外二十里の外に防禦の陣を()いた。

 張飛の戦法はほとんど暴力一方の驀進(ばくしん)だったが、金旋はそれに蹴ちらされて、さんざんに敗走した。

 城の近くまで逃げたところで、張飛に追いつかれ、背中から真っ二つに斬り下げられた。

 それを楼門の上から見ていた。鞏志(きょうし)は、すぐに降伏した。

 張飛は、軍令を掲げて、諸民を安んじ、また鞏志(きょうし)に書簡を持たせて、桂陽にいる劉備のもとへ、その報告にやった。

 劉備は、鞏志(きょうし)を、武陵の太守に任じ、ここに三郡一(かつ)の軍事もひとまず完遂したので、荊州に留守をしている関羽のところへもその由を報らせて、歓びをわけてやった。

 すると、関羽からすぐ、返書がきて、

(張飛も趙雲も、おのおの一かどの働きをして実にうらやましく思います。せめて関羽にも、長沙(ちょうさ)を攻略せよとの恩命があらば、どんなに武人として本望か知れませんが……)

 などと、独り留守城にいる無聊(ぶりょう)を綿々と訴えてきた。

 劉備はすぐ、張飛を荊州へ返して、関羽と交代させた。そして三千の兵を貸して、

「これで長沙へ行け」


 と、関羽の希望にこたえた。

 関羽は、即日、長沙へ向うべく準備していると、孔明が、


「関羽将軍には注意するまでもないと思うが、戦うにはまず敵の実質を知ることが肝要です。長沙の太守韓玄(かんげん)は取るにも足らん人物だが、桂陽、武陵と違い、久しく彼を(たす)け、よく長沙を今日まで経営して来た良将がひとりおる。その人はもう年六十に近く、髪も(ひげ)も真っ白になっているだろう。しかし、戦場に立てば、よく大刀を使い、鉄弓を引き、万夫不当の勇がある。すなわち湖南の領袖(りょうしゅう)黄忠(こうちゅう)という――。ゆえに決して軽々しくは戦えない。もしご辺がそれに向うなれば、さらに、三千騎をわが君に仰いで、大兵を以て当るべきだろう」

 と告げた。

 しかし、同じく三千騎で城を落とした張飛、趙雲に張り合ったのか、関羽は孔明の忠告も、耳に聞いただけで、加勢も仰がず、三千騎を連れ、その夜のうちに立ってしまった。

 孔明は、その後で、劉備へ対して、こう注意した。

「関羽の心裡には、まだ赤壁以来の感傷が残っています。悪くすると黄忠のために討死するやも知れません。それに小勢すぎます。わが君自ら後詰(ごづめ)して、ひそかに力を添えてやる必要がありましょう」


 げにもと、劉備はうなずいて、すぐ関羽のあとから一軍を率いて、長沙へ急いだ。

 彼が、目的地に着いた頃、すでに長沙の城市には、煙が揚っていた。

 関羽の手勢は、短兵急に外門を破り、すでに城内で市街戦を起していた。

 長沙の太守韓玄(かんげん)股肱(ここう)の臣で、楊齢というものが、防戦の指揮をおこなっていたが、この日、関羽がその楊齢を一撃に屠ってしまったので、長沙の兵は潰乱(かいらん)してたちまち城地の第二門へ逃げこんでしまった。

 すると、城中からひとりの老将が、奔馬にまたがり、大刀をひっさげて出現して来た。

 ばらばらになっていた長沙の兵は、自然とその老将の元へ集まり始めた。

 関羽は、ひと目見るとすぐ、

(さては、孔明が自分にいった黄忠(こうちゅう)というのは、この老将だな)
 と感じたので、彼に呼びかけた。

「来る者は、黄忠ではないか」


「そうじゃ。汝は、関羽よな」


「然り。――その白髪首(しらがくび)を所望に参った」


猪口才(ちょこざい)であろう。まだ汝らのような駈出しの小僧に首を持って行かれるほど、長沙の黄忠は老いぼれてはおらぬ」


 なるほど――と関羽も戦いに入ってから舌を巻いた。

 彼の偃月(えんげつ)の青龍刀も、黄忠の大刀に逆らわれては、如何とも敵の体へ触れることができなかった。

 この決戦は、実に堂々たる一騎打ちの演出であったとみえ、両軍とも、あまりの見事さに、固唾(かたず)をのんで見とれてしまったといわれている。しかも、なお勝負のつく色も見えなかったが、城の上からそれを眺めていた太守韓玄(かんげん)は秘蔵の一臣を、ここで討たれては味方の大事と心配し出して、

退()(がね)を打て、黄忠を退()かせろ」

 と、高矢倉から叫び出した。

 たちまち耳を打つ退き鉦の音に黄忠は、ぱっと馬をかえした。そして急速度に城中へ駈けこむ兵にまじって、彼の馬もその影を没しかけた。

「好敵、待ち給え」


 関羽は、追撃して、執拗(しつよう)に敵へ喰い下がった。ぜひなく、黄忠もまた馬をめぐらして二、三十合斬りむすんだが、隙を見て、(ほり)の橋を渡り越えた。


「逃げるとは卑怯なり。名ある武将のする業か」

 と(はずかし)めながら、関羽の馬蹄は、なお橋を踏み鳴らして追いかけた。

 その時、黄忠の乗っていた馬が足を折り、黄忠は投げ出された。

 関羽は、黄忠の姿を見下ろしながらも、振りかぶった大青龍刀を、黄忠の頭に下さなかった。

「馬を変えて、またいずれ来られよ」

 と、関羽は引っ返してしまった。

 黄忠は城壁の内へ駈けこんだ。

 太守韓玄(かんげん)は、冷や汗をながしていたらしく、黄忠を見ると、すぐいった。


「きょうの不覚は、馬の不覚。汝の弓は、百度放って、百度あたる。明日は、関羽を橋のあたりまでおびき寄せ、手練の矢をもって、彼奴(きゃつ)を射止めて見せてくれ」


 と励まし、自分の乗馬の蘆毛(あしげ)を与えた。

 夜が明けると、関羽はまた、手勢わずか五百ばかりだが、勇敢に城下へ迫って来た。

 黄忠は、きょうも陣頭に姿をあらわし、関羽と激闘を交えたが、やがて昨日のように逃げ出した。そして橋の辺まで来ると、振りかえって弓の(つる)をぶんと鳴らした。関羽は身をすぼめたが、矢はこなかった。

 橋を越えると、黄忠はまた、弓を引きしぼった。しかし今度も、弦は空鳴りしただけだった。

 ところが、三度目には、ひょうッと矢うなりがして、まさしく一本の矢が飛んできた。そしてその矢は、関羽の兜の()を、ぷつんと、見事に射止めていた。

 関羽も(きも)を寒うした。黄忠の弓術は、いにしえの養由(ようゆう)が、百歩をへだてて柳の葉を射たという――それにも勝るものだと思った。

「さては、きのうのわが情けを、今日の矢で返したものか」


 そうさとったので、関羽は、なおさら舌をふるって、その日は兵を退()げてしまった。

 一方の黄忠は、城中へもどるとすぐ、太守韓玄の前へ引っ立てられていた。

 韓玄はもってのほかの立腹だ。声を励まして、黄忠を罵り辱めた。

「城主たるわしに眼がないと思っているのか。三日の間、わしは高櫓(たかやぐら)から合戦を見ていたのだぞ。然るに、きょうの戦は何事だ。射れば関羽を射止め得たのに、汝は、弓の(つる)ばかり鳴らして、射たと見せかけ、故意に助けたのではないか。言語道断。察するところ、敵と内通しているにちがいない。恩知らずめ。その弓は、やがて主へ向って引こうとするのだろう」

「ああ、ご主君!」


 黄忠は、涙をたれながら、早口に、その理由を、云い開こうとしたのである。

 だが、耳をかす韓玄ではなかった。即刻、刑場へ曳き出して斬れとどなる。諸将が見かねて、哀訴嘆願をこころみたが、

「うるさいっ。やかましい。(いさ)めるものは同罪だぞ」

 と、いう始末。

 長沙の名将黄将軍も、今は刑場の鬼と化すかと、刑にあたる武士や吏員までがかなしんでいたが、たちまち、その執行直前に、周囲の柵を蹴破って、躍りこんで来た壮士がある。

 この人、生れは義陽。魏延(ぎえん)(あざな)文長(ぶんちょう)という。

 もと荊州の劉表に仕え、一方の旗頭(はたがしら)に推されていたが、荊州没落の後、長沙に身を寄せていたものである。

 しかし、日頃から韓玄は、彼の偉材を、かえって忌み嫌い、むしろ他国へ()いやってしまいたいような扱いをしていたので、魏延(ぎえん)はひそかに、今日の機会を、待っていたものと思われる。

「あれよ」と、人々のさわぐまに、彼は、黄忠の身を(さら)って、刑場から脱してしまった。それからわずか半刻の後には、自分の部下を引き具して、城中の奥へ駈け入り、太守韓玄の首を斬って、関羽の陣門へ降っていた。

「さらば、()く」


 と、関羽は一挙に長沙の城へ入って、城頭に勝旗をかかげ、城下一円に軍政の令を()いた。


「黄忠は、どうしているか」


 魏延に尋ねると、


「それがしが韓玄を斬った後、黄忠は自分の邸へ向かいました」


「戦は()んだ。では、迎えをやろう」


 と、再三、関羽から使いを出したが、黄忠は病に托して出てこない。

 かかるうちに劉備は、関羽の早馬をうけて、


「さすがは」
 と、彼の功を賞しながら、孔明と馬をならべて、長沙の市門へ急いだ。

 劉備は、黄忠、魏延のことを、間もなく、出迎えの関羽から聞いた。


「――病に托して門を出ないのは、黄忠の旧主にたいする忠誠にほかならない。自分が行って迎えてこよう」


 と、劉備は、直ちに駕を命じて、黄忠の閉ざせる門を訪れた。その礼に感じて、ついに黄忠も、私邸の門をひらいて降参し、同時に、旧主韓玄の(かばね)を乞うて、城の東へ手あつく葬った。

 劉備は、即日、法三章を掲げて、広く新領土の民へ布告した。


一、不忠不孝の者斬る

一、盗む者斬る

一、(かん)する者斬る


 また、功ある者を賞し、罪ある者を罰して、(まつりごと)を明らかにした。

 関羽がひとりの壮士を携えて出頭したのは、そうした繁忙の中であった。


「だれだ、その者は」


 男は、叉手(さしゅ)の礼をしたまま、黙然と面をあげた。黒眉(こくび)(くち)大きく(はな)(ひい)で、容貌見るべきものがある。

「これはかねて、お耳に入れておいた魏延(ぎえん)です。善政の初めに、魏延の功にも、ご一言なりと下し給わらば有難うぞんじまする」


 関羽のことばに、劉備は、おおと膝を打って、


「黄忠を救い、真っ先に長沙の城門を開いた勇士魏延か。さすがに名ある武者の骨柄も見ゆる。賞せずにおこうや」

 と、まず(うやま)って、(きざはし)の上に請じようとすると、突如、


「不義士っ。(かい)を汚すなかれ!」


 勃然と叱った者がある。

 あっと驚いて、その人を見ると、孔明だった。孔明はまた劉備へ向って直言した。


「魏延に賞を賜うなど以てのほかです。彼、もとより韓玄とは、何の仇あるに非ず。かえって、一日でもその(ろく)()み、かりそめにも、主君とたのみ、仰いでいた人です。それを、一朝の変に際し、たちまち殺してご麾下(きか)に馳せ参ず。――これ味方にとっては大幸といえますが、天下の法を道に照らしては、(ゆる)し難き不忠不義です。君いまこの不仁の徒を見給い、これを斬って諸人に示すほどなご公明がなければ、新領土の民も服しますまい」


 孔明は、兵を呼んで、即座に魏延を斬れと命じた。

 劉備は、孔明の命をさえぎって、


「待て、待て」


 と、兵たちを制し、孔明をなだめて、魏延のために、命乞いをすらしたのである。


「味方に功を寄せ、また降順をちかい、折角、わが麾下へひざまずいて来た者を、たちまち、罪をかぞえて斬りなどしたら、以後、劉備の陣門に降を乞う者はなくなるだろう。魏延はもと荊州の士、荊州の征旗を見て帰参したのは、決して不義ではない。韓玄に一日の禄をたのんだといえ、韓玄も実心をもって彼を召抱えたわけでもなく、魏延もそれに臣節を以て仕えたわけではなかろう。彼の心はもとから荊州へ復帰したい念願であったにちがいない。いかなる人間でも落度をかぞえれば罪の名を附すことができる。どうか一命は助けてとらすように」


 劉備の弁護は、まるで骨肉をかばうようだった。孔明は、沈黙してしまったが、なおそれを(ゆる)すにしても、こう彼自身の信念を注意しておくことを忘れなかった。


「私が魏延の相を観るに、これ謀叛人(むほんにん)によくある相であります。ですから、いま小功を挙げて、これを味方にするも、後々、かならず叛くに違いありません。むしろ今、(ちゅう)を加えて、禍いの根を断ったほうがよろしいかと存じたのでありますが、わが君がそれほどまで、ご不愍(ふびん)をおかけ遊ばすものを、孔明とて、如何とも致し方はありません」


 才の無いものであれば、さして気にするほどではなかったが、黄忠を救い、韓玄を討った、その手腕、その決断力、どれもすぐれた武将のなせるわざであった。それが、主である劉備玄徳に向かうことを孔明は畏れていた。


「……魏延、聞いたか。かならず今日のことを忘れずに、異心を慎めよ」


 劉備にやさしく(さと)されて、魏延はただ感泣に()せていた。

 劉備はまた、劉表の甥の劉磐(りゅうはん)という者が、荊州滅亡の後、野に隠れていることを黄忠から耳にして、わざわざこれを捜し求め、すなわち長沙の太守として、少しも惜しむところがなかった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色