第146話、弔い
文字数 4,865文字
時はすこしさかのぼるが――
成都にある劉備は、これより以前に、
呉氏は、貞賢で顔色も
兄は
弟は
その頃――
荊州方面から蜀へ来た者のはなしに、
「この頃、呉の孫権が関羽を抱きこもうとして、関羽のむすめを呉侯の
と、面白おかしく伝えた。
孔明の耳へ、噂が入ったのは、だいぶ後だったので、孔明が、荊州に変が起こることを感じて、
と、劉備へ注意した頃には、すでに荊州から戦況をもたらす早馬が日夜蜀へ入ってきた。けれど、それは皆、勝ち戦の報ばかりだったので、劉備が歓んでいると、
と、劉備はたずねた。
許靖は早口に告げた。
劉備は唖然とした。
孔明は悔しげに顔をゆがめた。
ところへ馬良や伊籍が来て、またおのおのの口から、荊州陥落の悲報を伝えた。さらに、その日の
廖化の到着によって、事態はいよいよ明瞭になった。劉備の悲痛な色は、この時から憤りに変った。
なぜならば、
彼は、三軍に令し、自ら出陣せんといって、
「変あり。すぐ来り会せよ」
と、早馬をやった。
孔明は、彼の
やがて張飛も駈けつけ、蜀中の兵馬も、続々と成都に入り、ここ両三日、三峡の密雲も風をはらみ、何となく物々しかった折も折、国中を悲嘆の底へつきおとすような大悲報は、遂に、最後の早馬によって、蜀宮の門に報じられた。
(一夜、関羽軍は、麦城を出て、蜀へ走らんとし、途中、
それを聞くと、かねて期していたことながら、劉備は愕然と叫びを発した。
と、
一方の、呉でも、変はあった。
荊州占領の後、幾ばくもなくして呂蒙が病で世を去ったのだ。
呉侯は、呂蒙の死に、
と、いいつけた。
呂覇は呂蒙の子である。やがて張昭に連れられて荊州へ来た。孫権は可憐な遺子をながめて、
と、なぐさめた。その折、張昭が訊ねた。
孫権は色を失った。孫権とてそれを考えていないではないが、張昭が心の底から将来の禍いを恐れているのを見ると、彼も改めて深刻にその必然を思わずにいられなかった。
張昭はさらに云った。
「そして呉は盛んに、天下に向って、関羽を亡ぼしたものは魏であると、彼の功をたたえる如く吹聴する。――さすれば劉備の怨みは当然、魏の曹操へ向けられて、呉は第三者の立場に立って、その先を処してゆかれます」
こういう国際的な対策に微妙な計を
と、遠い以前の事どもを追想しかたがた、孫権の態度も神妙なりと
すると、その席で、
と、諸人の中から呶鳴った者がある。
人々の眼はその顔を求めた。
曹操はおぞ毛を震った。仲達の言は、真に呉の意中を看破したものだとうなずいた。
関羽の首はそのまま呉へ返そうかとまで評議したが、
と、それも仲達の意見だった。
やがて呉使が引き揚げると、曹操は
と、贈位の沙汰まであった。
呉は、禍いを魏へうつし、魏は禍いを転じて、蜀へ恩を売った。
三国間の戦いは、ただその
劉備は、関羽の死を聞いた後、ろくに食もとらず、臣下にも会わなかった。――が、孔明だけは、帳内に入り、まるで婦人のように悲嘆してのみいる劉備を仰いで叱るが如く
この日、漢中王の名をもって、蜀中に
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