第69話、埋伏

文字数 6,841文字

 粛正の嵐、血の清掃もひとまず済んだ。腥風(せいふう)都下を払って、ほっとしたのは、曹操よりも、民衆であったろう。

 曹操は、何事もなかったような顔をしている。かれの胸には、もう昨日の苦味も酸味もない。明日への百計にふけるばかりだった。

荀彧(じゅんいく)。――まだ片づかんものが残っておるな。しかも大物だ」
西涼(せいりょう)馬騰(ばとう)と、徐州(じょしゅう)劉備(げんとく)でしょう」

「それだ。両名とも、董承(とうじょう)の義盟に連判し、予に対して、叛心歴々たるものども。何とかせねばなるまい」


「もとより捨ておかれません」


「まず、そちの賢策を聞こう」


「西涼の州兵は、猛気さかんです。軽々しくは当れません。劉備もまた徐州の要地をしめ、下邳(かひ)小沛(しょうはい)の城と掎角(きかく)の備えをもち、これも小勢力ながら、簡単に征伐はできないかと思われまする」
「そう難しく考えたら、いずれの敵にせよ、みな相当なものだから、どっちへも手は出まい」
「河北の袁紹(えんしょう)は憂いはありませんが、袁紹の国境軍は、過日来、官渡のあたりに、いよいよ増強されておるようです。丞相の大敵は、何といっても彼で、彼こそ今、丞相と天下を争うものでしょう」

「だから、その手足たる劉備を、先に徐州へ攻めようと思うのだが」


「しかし、今、この許都を手薄にはできません。それよりは、甘言をもって、まず西涼の馬騰を都へよびよせ、あざむいてこれを殺し、次に劉備へも、おもむろに交術を施して、その鋭気をそぎ、一面、流言の法を行って、彼と袁紹とのあいだを猜疑(さいぎ)せしめるを以て、万全の計とわたくしは考えます」
「ちと悠長すぎる。計りごと遅々なれば計りごと変ず。そのまに、また四囲の情勢が変ってこよう。――それに応じてまた中途から計りごとをかえたりするのは、下の下策ではないか」

 曹操はどこまでも、劉備をさきに討とうと望んでいるらしい。劉備に対しては、ひと頃、熱愛を傾けて交わっていただけに、反動的な感情がいまはこみあげている。国事に関する大策にでも、どうしても幾分かの感情をまじえないではいられないのは、曹操の特質であった。

 謀議の室を閉じて、ふたりがこう議しているところへ、ちょうど郭嘉(かくか)が入ってきた。郭嘉もまた曹操が信頼している帷幕(いばく)のひとりである。

「いいところへ来た。其方はどう思うか」

 郭嘉は即答した。


「それは一気に劉備を討伐してしまうに限ります。なぜなら、劉備はまだ徐州を治めても、歳月は浅く、徐州の守りをかためきれておりません。また袁紹は気勢ばかりあげているが、部下の田豊(でんほう)審配(しんぱい)許攸(きょゆう)などの良将もみな一致を欠き、加うるに、袁紹自身の優柔不断、なんで神速の兵をうごかせましょうや」
 その説は、自分の志望と合致したので、曹操はたちどころに決心して、軍監、参謀、各司令、糧食、輸送などの各司令を一堂によび集め、
「兵二十万をととのえ、五部隊にわかち、三道より徐州へ攻め下れ」

 と、軍令を発した。

 諸大将の兵馬はたちまち徐州へむかった。――早くもこのことは伝播(でんぱ)して徐州へ伝わってゆく。

 まっさきに、それを早耳に入れたものは孫乾(そんけん)であった。

 下邳(かひ)の城にある関羽のところへ急を告げ、その脚ですぐ劉備のほうへ馬を飛ばした。

 劉備は、小沛の城にいる。彼の驚愕もひと通りでない。

「血詔の秘事(ひじ)露顕(ろけん)して董国舅(とうこっきゅう)以下のあえないご最期。いずれはかくあろうかとも覚悟していたが……」
「袁紹へ、書簡をおしたためなさいまし。それを携えて、河北の救援を求めにまいりましょう。それしか方法はありません」

 孫乾は、劉備の一書をうけて、ふたたび馬の背に伏し、河北へむかって、夜を日についで急いでいた。

 孫乾は、冀州(きしゅう)へ着いた。

 まず袁家の重臣田豊を訪れて、彼の斡旋のもとに、次の日、大城へ導かれて、袁紹に謁見した。

 どうしたのか、袁紹はいたく憔悴(しょうすい)していて、衣冠もただしていない。

 田豊はおどろいて、


「どうなさいましたか?」

 と、怪しんで問うた。

 袁紹は、ことばにも力がなく、

「わしはよくよく子ども運がわるいとみえる。児女はたくさんあるがみな出来がよくない。ひとり第五男だけは、まだ幼いが、天性の光がみえ、末たのもしく思っていたところ、何たることじゃ。この頃また疥瘡(かいそう)を病んで、命もあやうい容態になってしもうた。……財宝万貨、なに一つ不足というものはないが、老いの寿命と子孫ばかりは、どうにもならぬものである」

 他国の使者が、佇立(ちょりつ)しているのも忘れて、袁紹は、ただ子の病を嘆いてばかりいた。

 田豊も、なぐさめかねて、

「それはどうも……」


 と、しばらく用件を云いだしかねていたが、やがて、一転の機を話中につかんで、


「時にいま絶好な便りを手にしました。それはこれにおる劉備玄徳の臣が、早馬で告げにきたことですが」
 と、袁紹の顔色をうかがいながら、
「――曹操はいま大軍を率いて、徐州へ向っているとあります。必定、都下は手薄とならざるを得ません。わが君、この時に起たれて、天機に応じ、虚をついて、一せいに都へ攻め入り給わば、必勝は火をみるよりも明らかであり、(かみ)は天子を扶け、下は万民の大幸と、謳歌されるでありましょう」
「……ほう」

 と、袁紹の返辞は、依然、生ぬるい。どこか呆気(ほうけ)面持(おももち)しか見えない。

 田豊は、なお説いて、

(ことわざ)にも、天の与うるを取らざれば、かえって天の咎めを受く、といいます。いかがです。天下はいま、進んでわが君の掌中にころげ込もうとしていますが」

「いや、それもよいが」


 袁紹は重たげに、頭を振ってそれに答えた。


「何となくいまは心がすすまん。わしの心が楽しまねば、自然戦っても利があるまい」

「どうしてですか」


「五男の病気が気がかりでの。……ゆうべも泣いてばかりいて、ひと晩中、よう睡りもせなんだ」

「お子さまのご病気は、医者と女にまかせておかれたらどうですか」


(たま)を失ってから悔いてもおよぶまい。そちはわが児が瀕死(ひんし)の日でも、狩猟(かり)の友が誘いにきたら共に家を出るか」


 田豊は、黙ってしまった。

 熱心に支持してくれた田豊の好意はふかく心に謝していたが、孫乾(そんけん)もつらつら袁紹の人物ときょうの容子をながめて、(――これ以上強いるのは無益)と、諦めてしまった。

 で、田豊の眼へ目顔で合図しながら、退出しようとすると、袁紹もすこし悪い気がしたとみえて、

「立ち帰ったら劉備玄徳へはよろしく伝えてくれい。そしてもし、曹操の大軍にささえ難く、徐州も捨てるのほかないような場合になったらいつでも我が冀州(きしゅう)へ頼って参られるがよいとな。……呉々(くれぐれ)、悪く思わないように」

 と、重ねていった。

 城門を退出してから、田豊は足ずりして、

「惜しい! 実に惜しい。小児の病気ぐらいに恋々として、遂に天機を見のがすとは」

 と、長嘆した。

 孫乾は、馬をひき、


「いやどうも、いろいろお世話になりました。いずれまた、そのうちに」
 と、半日の猶予もしていられない身、すぐ鞭を打って徐州へ引返した。


 小沛(しょうはい)の城は、いまや風前の燈火(ともしび)にも似ている。

 そこに在る劉備は、痛心を抱いて、対策に迫られている。

 孫乾(そんけん)は冀州から帰ってきたものの、その報告は何のたのみにもならないものである。彼は明らかに周章していた。

家兄(かけい)。そうふさいでいては、名智も策も出やしません。味方の士気にも影響する。同じ戦うなら、もっと陽気にやろうじゃありませんか」
「張飛、そちのことばは、もっともだが、いかんせんこの小城、敵は二十万と聞えている」
「二十万だろうが、百万だろうが、憂いとするには足りません。なぜならば、曹操は短気なので兵馬はみな許都からの長途を、休むひまなく馳け下ってきたにちがいありません。陣地に着いても四、五日ほどは、疲労しきっていて物の用に立ちますまい」
「――が、いずれ敵は、長陣を覚悟のうえで、十重二十重(とえはたえ)にこの城をとり巻こう」
「ですから、その用意の調わぬうち――また長途のつかれも()えぬうちに――それがしが部下の猛卒をひッさげて奇襲を行い、まず敵の出鼻に、大打撃を加え、しかるのち下邳城(かひじょう)の関羽と一縮一伸、呼応して敵に変化のいとまなからしめる時は、彼の大軍は、かえって、彼の弱点となり、やがて破綻(はたん)を来たすことは明らかではありませんか」
 張飛の言を聞いているとまったく陽気になってくる。彼は憂鬱を知らない男だし、劉備はあまりに石橋をたたいて渡る主義で、憂いが多すぎる。
豎子(じゅし)曹操。なにほどのことやあらんです。拙者におまかせなさい。いまの妙策はいけませんか」
「いや、感心した。そちという者は、武勇一点ばりで変哲もない男かと多年思っていたが、先ごろは、良計を用いて、劉岱(りゅうたい)を生捕ったし、いままた、兵法にかなった妙計をわしへ告げおる。――よかろう、汝の存分に、曹操の先鋒を討ち砕け」

 肚をきめれば、大腹な劉備である。それに近ごろ張飛をすこし見直していたところなので、直ちに彼の策をゆるした。

 張飛は、手具脛(てぐすね)ひいて、

「いざ来い。眼にもの見せてくれん」

 と、用意おさおさ怠りなく、奇襲の機をうかがっていた。

 敵二十万の大軍は、まもなく近々と小沛の県界まで押してきた。


 夜。

家兄(かけい)。――お支度は」


「ととのうた。張飛、兵馬の用意はいいか」


「もとより抜かりはありません。孫乾も行きたがっていますが、彼には守りを頼みました。そう皆、城を空にして出かけてもいけませんから」
「あいにくと、夜襲には不向きな月夜だな……。敵に悟られるおそれはないか」
「闇夜をえらぶのが、夜襲の定法(じょうほう)になっています。ですから今宵のような月明りに、敵はひとしお安心していましょう」

「それも一理だ」


「ことに敵は、きょう着いたばかりですから、人馬みなくたくたになって眠りこんでいましょう。いざ、出かけましょう」


 初めの計画では、張飛一手で奇襲するはずだった。が、いかに奇策を行うにせよ、眼にあまる大軍なので、劉備も自身出向くことになり、兵を二手にわけて城を出た。

 張飛は、自分の計りごとが、用いられ、自分の思うまま戦えるので、愉快でならない。ひそかに必勝を信じ切っている。折から月明煌々(こうこう)の下、(ばい)をふくんで敵陣に近づいた。

「どうだ?」


 物見を放ってうかがわせると、

「ずいぶんと静かです」

 との答え。


「疲れ果てて皆眠っているのだろう。おれの神算(しんさん)は図にあたった!」


 それっと、合図の諸声(もろごえ)あげながら、一団になって、まっしぐらに敵中へ駈け入った。

 何処(いずこ)ぞ敵はどこにある? ――と見まわしたが、かがり火がたかれた敵の陣地があるだけで、草もねむり、木も眠り沈み、どこかにせせらぐ水音の聞えるばかりで、敵の一兵だに見当らない。

「はてな? こいつは、いぶかしい?」


 張飛も部下も、拍子ぬけしてうろたえた。すると林の木々や、四(たく)の山がいちどにどっと笑いだした。


「や、や? ……。さては、敵は地を変えているぞ」


 すでに遅し! 木も草もみな敵兵と化し鯨声(ときのこえ)は地をゆるがして、むらむらと十方をおおいつつんで叫んだ。

「張飛を生け捕れ」

「劉備をのがすなッ」――と。

 かくて、仕掛けた奇襲は、反対に受け身の不意討ちと化した。隊伍は紛裂(ふんれつ)し、士気はととのわず、思い思いの敵と駈けあわすうち、敵の東のほうからは張遼(ちょうりょう)の一陣、西のほうからは許褚(きょちょ)、南からは于禁(うきん)、北からは李典。また東南(たつみ)よりは徐晃(じょこう)の騎馬隊、西南よりは楽進(がくしん)弩弓隊(どきゅうたい)、東北よりは夏侯惇(かこうじゅん)の舞刀隊、西北(いぬい)よりは夏侯淵の飛槍隊など、八面鉄桶(てっとう)(かたち)をなしてその勢無慮(むりょ)十数万――その何十分の一にも足らない張飛、劉備の小勢をまったく包囲して、

「一匹も余すな」と、ばかり押しつめてきた。

 さしもの張飛も(あぶみ)に無念を踏んで、


「南無三」


 右に突き、左をはらい、一生の勇をここにふるったがとうてい無理な戦いだった。

 味方は討たれ、或いは敵へ降参をさけんで、武器を捨て、彼自身も数箇所の手傷に、満身(あけ)にまみれてしまった。

 徐晃に追われ、楽進に斬ってかかられ、炎のような息をついてようやく一方に血路をひらき、つづく味方をかえりみると、何たる情けなさ、わずかに二十騎ほどもいなかった。

「者ども! もう止せ、馬鹿げた戦だ。死んでたまるか、こんな所で、――さあ、おれについて来い」

 遂に、帰路をも遮断されてしまい、むなしく彼は㟐蕩山(ぼうとうざん)方面へ落ちのびて行った。

 劉備もまた、いうまでもない運命に陥ちていた。

 大軍にうしろを巻かれ、夏侯惇、夏侯淵に挟撃(きょうげき)され、支離滅裂に討ち減らされて、わずか三、四十騎と共に、小沛(しょうはい)の城へさして逃げてくると、もう河をへだてた彼方に、火の手がまッ赤に空を焦がしていた。――根城のそこも、すでに曹操に占領されていたのである。


 劉備は道を変えて、夜の明けるまで馳けつづけた。すでに小沛の城は敵手に陥されてしまったので、
「このうえは徐州へ」

 と、急いだのである。

 ところがその徐州城へ近づいてみると、暁天にひるがえっている楼頭の旗はすべて曹操軍の旗だったので、

「――これは?」

 と、劉備はしばし行く道も失ったように、茫然自失していた。

 陽ののぼるにつれて、四顧に入る山河を見まわすと、濛々と、どこも彼処(かしこ)も煙がたちこめていた。そしてそこには必ず曹操の人馬がはびこっていた。

「ああ(あやま)った。――智者でさえ智に誇れば智に溺れるというものを、図にのった張飛の才策をうかと用いて」

 劉備は(ほぞ)を噛んだ――痛烈にいま悔いを眉ににじませている――が彼はすぐその非を知った。


「わしは将だ。彼は部下。将器たるわしの不才が招いた過ちだ」


 さしずめ劉備は、落ちてゆく道を求めなければならない。

 いかにしてこの危地を脱するか? ――またどこへさして落ちて行くか?

 当面の問題に、彼はすぐ頭を向けかえた。


「そうだ、ひとまず冀州(きしゅう)へ行って、袁紹(えんしょう)に計ろう」

 いつぞや使いした孫乾に言伝(ことづ)けして――もし曹操に敗れたら冀州へ来給え、悪いようにはせぬから――といっていたという袁紹の好意をふといま劉備は思い出していた。

 途中、ゆうべからつけまわしている楽進や夏侯惇の軍勢に、さんざん追いまわされて、彼も馬も、土にのめるばかりな苦しみにあえぎつつも、ようやく死地から脱れたのは、翌日、青州の地を踏んでからであった。

 それからも、野に臥し、山に()ね、野鼠の肉をくらい、草の根をかみ、あらゆる危険と辛酸に試されたあげく、やっと青州府の城下にたどりついた。

 城主袁譚(えんたん)は、袁紹の嫡男であったから、

「かねて父から聞いています。もうご心配には及ばぬ」

 と、旅舎を与えられ、一方、彼の手から駅伝の使いは飛んで、父の袁紹のところへ、


徐州、小沛は、はや陥落(かんらく)す。

劉備、妻子にもはなれ、身をもって、青州まで落ちまいる。いかが処置いたすべきや。


 と、さしずを仰いでいた。

「かねての約束、たごうべからず――」

 と袁紹はただちに一軍を迎えに差向けて、劉備の身を引取った。

 しかも、冀州城外三十里の地――平原というところまで、袁紹自身、車馬をつらねて出迎えにでていた。

 よほどな優遇である。

 やがて、城門にかかると、劉備は馬を降りて、

流亡(りゅうぼう)の敗将が、何の功によって、今日このような礼遇をいただくのでしょうか。あまりな過分です」


 と、地に拝伏して、それからは下馬して歩いた。

 城内に入ると、袁紹はあらためて、彼に対面し、過ぐる日、孫乾の使いをむなしく帰したことを、こう云いわけした。

「子煩悩とわらわれようが、子どもの病気はかなわんものでな。あの前後、わしも心身つかれ果てていたので、ついにお救いにも行けなかった。しかしここは河北数州の府、大船にのったお心で、幾年でもおいでになられるがよい」
「まことに面目もありませぬ。一族を亡ぼし、妻子をすて、恥もかえりみず、孤窮、門下に身を寄せてきたそれがし、過分なご好遇は却っていたみいります。ただ何分のご寛仁を……」

 劉備は肩身がせまい。ひたすら謙虚に、身を低く、頼むばかりであった。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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