第114話、奔牛悍馬《ほんぎゅうかんば》

文字数 7,014文字

 曹操の本軍と、西涼の大兵とは、次の日、潼関(どうかん)の東方で、堂々対戦した。

 曹軍は、三軍団にわかれ、曹操はその中央にあった。

 彼が馬をすすめると、右翼の夏侯淵(かこうえん)、左翼の曹仁は、共に早鉦(はやがね)を打ち鼓を鳴らして、その威風にさらに気勢を加えた。


胡夷(えびす)の子、朝威を怖れず、どこへ()こうとするか。あらば出でよ、人間の道を説いてやろう」


 曹操の言が、風に送られて、彼方の陣へ届いたかと思うと、


「おう、馬騰の子、馬超(ばちょう)字は孟起(もうき)。親の(かたき)をいま見るうれしさ。曹操、そこをうごくなよ」


 とどろく答えとともに、陣鼓一声、白斑(しろまだら)悍馬(かんば)に乗って、身に銀甲を着た細腰青面(さいようせいめん)の弱冠な人が、さっと、野を斜めに駈けだして来た。

「若大将を討たすな」と案じてか、それにつづく左右の将には龐徳、馬岱。また八旗の旗本、鏘々(しょうしょう)とくつわを並べて駈け進んでくる。


「あれか。馬超とは」


 近づかぬうちから、曹操は内心一驚を喫した様子である。文化に遠い北辺の胡夷勢(えびすぜい)と侮っていたが、決して、彼は未開の夷蛮(いばん)ではない。


「やよ。馬超」


「おうっ。曹操か」


「汝は、国あって、国々のうえに、漢の天子あるを知らぬな」


「だまれ、天子あるは知るが、天子を(おか)して、事ごとに、朝廷をかさに着、暴威をふるう賊あることも知る」

「中央の兵馬は、即ち、朝廷の兵馬。求めて、乱賊の名を受けたいか」


「盗人猛々しいとは、その方のこと。(かみ)を犯すの罪。天人(とも)にゆるさざる所。あまつさえ、罪もなきわが父を害す。誰か、馬超の旗を不義の乱といおうぞ」

 いうことも、しっかりしている。これは口先でもいかんと思ったか、曹操は馬を退いて、


「あの(わっぱ)を生捕れ」

 と、左右の将にまかせた。

 于禁(うきん)張郃(ちょうこう)が、同時に、馬超へおどりかかった。馬超は、左右の雄敵を、あざやかにかわしながら、一転、馬の腹を高く覗かせて、うしろへ廻った敵の李通を槍で突き落した。

 そして、悠々、槍をあげて、

「おおういっ……」

 と一声さしまねくと、雲霞のようにじっとしていた西涼の大軍が、いちどに、野を掃いて押し()せてきた。

 その重厚な陣、ねばり強い戦闘力、到底、許都の軍勢の比ではない。

 たちまち駈け押されて、曹軍は散乱した。馬超、馬岱、龐徳は、

「この手に、曹操の(えり)がみを、引っつかんでみせる」

 と、乱軍をくぐり、敵の中軍へ割りこみ、血まなこになって、その姿を捜し求めた。

 そのとき、西涼の兵が、口々に、

(くれない)戦袍(ひたたれ)を着ているのが、敵の大将曹操だぞ」

 と、呼ばわり合っているのを聞いて、当の曹操は逃げはしりながら、

「これは目印になる」
 と、あわてて戦袍を脱ぎ捨てた。

 四方で声がする。曹操はいよいよ魂をとばして林を目指して駈けた。あわやというところで、誰か、追っ手の兵を蹴散らした者がいた。曹操はその間髪にからくも遠く逃げのびた。


「きょうの乱軍に、絶えず予の後ろを守って、よく馬超の追撃を喰い止めていたのは誰だ」

 曹操は、味方の内へ帰ると、すぐこう訊ねた。

 夏侯淵(かこうえん)が答えて


「曹洪です」


 というと、曹操はさもありなんという顔して、うれし気に、

「そうか。たぶん彼だろうとは思ったが……。先日の罪は、今日の功をもって(ゆる)しおくぞ」


 やがてその曹洪は夏侯淵に伴われて恩を謝しに出た。曹操は、今日の危急を思い出して、幾度か死を覚悟したことなど語りだし、


「自分も幾度となく、戦場にのぞみ、また惨敗をこうむったこともあるが、およそ今日のような烈しい戦いに出合ったことはない。馬超という者は敵ながら存外見上げたものだ。決して汝らも軽んじてはならぬ」

 と戒めた。

 敗軍をひきまとめた曹操は、河を隔てて岸一帯に逆茂木(さかもぎ)を結いまわし、高札を立てて、

「みだりに行動する者は斬る」と、軍令した。

 建安の秋十六年、その八月も暮れかけていたが、曹軍は、秋風の下に(せき)と陣して固く守ったまま、一戦も交えなかった。

胡夷(えびす)の兵め。また対岸で悪口を放っているな。いまいましい奴らだ」

 (ごう)を煮やした曹軍の諸将が、ある時、曹操をかこんで、

「いったい北夷(ほくい)の兵は、長槍の術に()け、また馬の良いのを持っているので、接戦となると、剽悍無比(ひょうかんむひ)ですが、弓、石火箭(いしびや)などの技術は、彼らのよくするところでありません。ひとつ、もっぱら(つよゆみ)をもって一戦仕掛けては如何でしょう」と、進言した。

 すると、曹操は苦りきって、

「戦うも、戦わぬも、みなその腹一つにあることで、何も敵の心にあるわけじゃない」
 と、云い、そしてまた、
「下知に(そむ)くものは、軍罰に処すぞ。ただ部署について、守りを固うし、一歩も陣外へ出てはならん」
 と、再度の布令を出した。

 曹操の肚をふかく察しない部将たちは、ささやき合って、首を傾げた。

「どうしたんだろう。いくら馬超に追いまくられて、お()りになったからといえ、今度に限って、ひどく消極戦法の一点張りじゃないか」

「そろそろ、お年齢(とし)のせいかも知れんよ、銅雀(どうじゃく)の大宴を境として、お(ぐし)にもすこし白いものが見えてきたしな。……花にも人間にも、盛衰はある、春秋は(こば)まれぬ」

 そのような陰口があることを曹操は気づいていた。

 曹操は諸将を集め、策を求めた。

 徐晃(じょこう)が進んで、忌憚(きたん)なく答えた。



「このまま、潼関の敵と睨みあいしていたら、一年たっても勝敗は決しますまい。それがしが考えるには、渭水(いすい)の上流下流は、さしもの敵も手薄でしょうから、一手は西の蒲浦(ほしん)を渡り、また丞相は河の北から大挙して越えられれば、敵は前後を顧みるにいとまなく、陣を乱して潰滅を早めるにちがいないと思いますが……」


「徐晃の説は大いに良い」


 曹操は賞めて、


「では今、汝に四千の兵を与えるから、朱霊(しゅれい)を大将とし、それを(たす)けて、先に河の西を渡り、対岸の谷間(たにあい)にひそんで予の合図を待て。――予も直ちに、渭水の北を渡って、呼応の機を計るであろう」


 と、即座に手筈をきめた。

 それから間もなく、西涼の陣営馬超の手もとへ、すぐ早耳迅眼(はやめ)の者が、

「曹操のほうでは、船筏(ふないかだ)を作ってしきりと渡河の準備をしています」という情報をもたらした。

 韓遂(かんすい)は手を打って、


「若将軍、敵は遂に、自ら絶好な機会を作ってきましたぞ。兵法にいう。――兵半バヲ(ワタ)ラバ撃ツベシ――と」


「うむ、ぬかるな、諸将」


 八方に間者を放って、曹軍が河を渡る地点を監視していた。

 とも知らず、曹操は、大軍を三分して、渭水(いすい)のながれに添い、まず一手を上流の北から渡して、その成功を見とどけ、

「まず、首尾はよさそうだ」


 と、水ぎわに床几をすえながら、刻々と報らせて来る戦況を聞いていた。

「上陸したお味方は、すでに対岸の要所要所、陣屋を組み、土塁を構築しにかかっています」

 すると、第二第三とつづいてくる伝令が云った。

「今、南の方から、敵ともお味方とも分らぬ一隊が、馬煙(うまけむり)をあげて、これへ来ます」

 第五番目の伝令は、

「ご油断はなりません。ご用意あれっ」と呶鳴って、

白銀(しろがね)(よろい)、白の戦袍(ひたたれ)を着た大将を先頭にし、約二千ばかりの敵が、どこを渡ってきたか、逆襲してきます。――いや、うしろのほうからです」と狼狽していう。

 その時、大軍は河を渡りつくして、曹操のまわりには、たった百余人しかいなかった。

「馬超ではないか」

 愕然(がくぜん)と、人々は騒ぎ立ったが、剛復(ごうふく)な曹操は、


「騒ぐな」

 と、のみで床几から起とうともしない。

 ところへ、許褚(きょちょ)が船を引返してきて、その(さま)を見るやいな、

丞相(じょうしょう)丞相。敵は早くも、味方の裏をかいて、背後に廻っていますっ。早くお船へお移り下さい」

 と、呼ばわった。

 曹操はなお、


「馬超が来たとて、何ほどのことがあろう。一戦を決するまで」

 と、自若としていたが、もうそのとき彼方の馬煙は辺り間近に、土砂を降らせて、馬超、龐徳(ほうとく)をはじめ、西涼の八旗など、猛然、百歩のところまで迫っていた。


「すわ。一大事」

 と、許褚(きょちょ)は躍り上がって、曹操のそばへ馳けつけ早く早くと(うなが)したが、事の急に、いきなり曹操の体を担いでしまった。

 そして岸辺まで、一気に馳け出したが、船は漂い出して(なぎさ)から一丈を離れていた。それを許褚は、曹操を担いだまま、

「おうっ」


 と叫んで、一()びに身を躍らせ、危うくも舟の中へ乗り移った。

 百余人の近侍、旗本たちは、ざぶざぶと水につかって、溺れるもあり、泳ぎだすもあり、そこらの小舟や(いかだ)へすがりつき、或いは見境なく、曹操の舟へしがみついて来るのもある。


「たかるな。舟が傾く」


 許褚は、それらの味方を、(さお)で払い退けながら、逃げ出したが、水勢は急で、見るまに下流へ押しながされて行く。

「のがすな」

「あれこそ、曹操」

 西涼の兵は、弓を揃えて、雨の如く乱箭を送った。許褚は、片手に馬の鞍を持ち、片手に鎧の袖をかざして、曹操の身をかばっていた。

 曹操ですら九死に一生を得たほどであるから、このほか、いたる所で、曹軍の損害はおびただしいものがあった。

 渭水(いすい)の流れがたちまち赤く変じたのでも分る。浮きつ沈みつ流れてくる人馬はほとんど()の兵であった。

 それでも、この損害は、まだ半分で済んでいたといってよい。なぜならば、曹軍の敗滅急なりと見て、ここに渭南(いなん)の県令丁斐(ていひ)という者が、南山(なんざん)の上から牧場の牛馬を解放して、一散に山から追い出したのである。奔牛悍馬(ほんぎゅうかんば)は、止まる所を知らず、西涼軍の中へ駈けこんで暴れまわった。

 いや、暴れただけなら、何も戦闘力を失うほどでもなかったろうが、根が北狄(ほくてき)の夷兵であるから、

「良い馬だ。もったいない」と、奪いあい、牛を見ては、なおさらのこと、

「あの肉はうまい」と、食慾をふるい起して、思いがけない利得に夢中になってしまったものだった。

 そのために西涼軍は、せっかくの戦を半ばにして、角笛(つのぶえ)吹いて退いてしまった。

 その頃、曹操は北岸へ上がって、一息ついているというので、魏の諸将もおいおい集まってきた。許褚(きょちょ)は満身に矢を負うこと、(みの)を着たようであったが、人々の介抱を拒んで、

「丞相はおつつがないか」

 と、そればかり口走っていた。

「貴体には何のご異状もない」と、人々は慰めて、ようやく彼を陣屋の中に寝かしつけた。

 曹操は、部下の見舞をうけながら、甚だしく快活に、終始きょうの危難を笑いばなしに語っていたが、

「そうそう、渭南の県令を呼んでくれ」
 と、丁斐を召し寄せ、
「今日、南山の(まき)を開いて、官の牛馬をみな追い出したのはおまえか」

 と、(ただ)した。

 丁斐は、当然、罪をこうむるものと思って、

「私です。ご処罰を仰ぎます」


「処分してやる」


 一通の文をしたため、丁斐に授けた。

「丁斐、披見してみろ」


 丁斐が(おそ)る畏る開いてみると、今日ヨリ汝ヲ典軍校尉ニ命ズ、という辞令であった。

 校尉丁斐は、感泣して、


「長くこの渭南に県令としておりましたので、いささか地理には精通しています。鈍智の一策をお用い賜わらば、光栄これに過ぎるものはありません」

 

 と、恩に感じるのあまり、自分の考えている一計略を進言した。



 一方、西涼の馬超は、


「きょうばかりは、残念だった」
 と、韓遂に向って、無念そうに語っていた。
「もう一歩で、曹操を、手捕りにできた所を、何という男か、曹操を担ぎながら、船へ跳び移ってしまった。今でも目に見える心地がするが、敵ながらあの男の働きは、凡夫(ぼんぷ)(わざ)でない」

 韓遂は何度もうなずいて、


「それは道理。あれは有名な魏の一将、許褚だからな」


「許褚というか」


「お味方に、八()の旗本ある如く、曹操もその旗本の精鋭中の精鋭を選び、これを虎衛軍(こえいぐん)と名づけて、常に親衛隊としている。その大将に二名の壮将を置き、ひとりは陳国(ちんこく)の人、典韋(てんい)と申し、よく(くろがね)の重さ八十斤もある(ほこ)を使って、勇猛四隣を震わせていたが、この人はすでに戦歿して今はいない。その残るひとりが譙国(しょうこく)の人、すなわち許褚」

「なるほど」


「その力は、(たけ)る牛の尾を引いてひきもどしたという程だからな。――で世間のものは、彼を綽名(あだな)して、虎痴(こち)と、また、虎侯(ここう)ともいうそうだ。以後は、あの男を陣頭に見ても、一騎討ちはなさらないほうがよろしい」


 韓遂は、かたく馬超に忠告した。


 曹操の軍は、それから後しきりと河を越えて、西涼の背後を()こうとする態勢であった。
「この戦いが延引すると、曹操が今の陣地に塁壕(るいごう)を構築して、不落の堅城としてしまうことになる。そうなると容易に渭水(いすい)を抜くことはできなくなる」

 馬超も同感だった。


「いかにも、攻めるなら今のうちだが」


「軽兵を率いて、この韓遂が、曹操の中軍へ突撃しよう。あなたは、北岸を防いで、敵兵が河を越えてこないように、よくこの本陣を固めてくれ」


「よし。防ぐには、自分一手で足りる。御身ひとりでは心もとない。龐徳(ほうとく)をも連れて行かれるがよかろう」


 韓遂と龐徳とは、直ちに、西涼の壮兵千余騎を選んで深夜から暁にかけて、曹操の陣を奇襲した。

 けれど、この計画は、まんまと曹操の思うつぼに落ちたものであった。かねてこの事あるべしと、曹操は、渭南の県令から登用した校尉(こうい)丁斐(ていひ)の策を用いて、河畔の堤の蔭に沿うて仮陣屋を築かせ、擬兵(ぎへい)偽旗(ぎき)を植えならべて、実際の本陣は、すでにほかへ移していたのである。

 のみならず、附近一帯に、(ほり)をめぐらし、それへ棚をかけて、また上から土をかぶせ、(おと)(あな)を作っておいたのを、西涼勢はそうとも知らず、

「わあっ」

 と喊声(かんせい)をあげながら殺到したのだった。

 当然、大地は一時に陥没し、人馬の落ちた上へ、また人馬が落ち重なった。

 阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)、救けを呼ぶ声、さながら桶の泥鰌(どじょう)を見るようだった。

「しまった」

 龐徳(ほうとく)は、手足にからむ味方を踏みつぶして、ようやく(あな)から這い出して、坑口(あなぐち)から槍の雨を降らしている敵兵十人余りを一気に突き伏せ、


韓遂(かんすい)っ。韓遂っ」


 と、呼びながら、主将のすがたを捜していた。

 そのうちに、敵の曹仁の一家曹永(そうえい)というものに出合った。

 龐徳は、渡り合って、一刀のもとに、曹永を斬り伏せ、その馬を奪って、さらに、敵の中へ、猛走して行った。

 韓遂も、坑に墜ちて、すでに危なかったが、龐徳が一時敵を追いちらしてくれたので、その間に、土中から躍り出し、これも拾い馬に跳び乗って、辛くも死地をのがれることができた。

 何にしても、この奇襲は、大惨敗に終ってしまった。

 敗軍を収めてから、馬超が損害を調べてみると、千余騎のうち三分の一を失っていた。

 数としては、少なかったともいえるが、馬超の心をひどく(くじ)いたものは、かの旗本八旗のうちの程銀(ていぎん)張横(ちょうおう)のふたりが(あえ)ない死をとげたことだった。

 しかし壮気さかんな馬超は、


「こうなれば、なおさら、曹操が野陣しているうちに撃破してしまわねば、永久に味方の勝ち目はない」


 と、その日のうちに、第二次襲撃を企てて、今度は身みずから先手に進み、馬岱(ばたい)龐徳(ほうとく)をうしろに備えて、ふたたび魏の野陣を夜襲した。

 ところが、さすがに曹操は、百(れん)総帥(そうすい)だけあって、

「今夜、また来るぞ」

 と、それを予察していた。

 馬超の性格と、初度の敵の損害の少なかった点から観て、早くも、そう(さと)っていたから、馬超の第二次強襲も、なんの意味もなさなかった。

 六里の道を迂回して、西涼の夜襲隊が、曹操の中軍めがけて、不意に突喊(とっかん)してみたところ、そこは四方に立ち並ぶ旗や(のぼり)ばかりで、幕舎のうちには、一兵もいなかったのである。

「やや。空陣だ」

「さては」

 と、空を()ってうろたえた悍馬(かんば)や猛兵が、むなしく退き戻ろうとするとき、一発の轟音(ごうおん)を合図に、四面の伏勢(ふせぜい)がいちどに起って、

「馬超を生かして還すな」と、ひしめいた。

 西涼軍の一将成宜(せいぎ)はこのとき魏の夏侯淵に討たれ、そのほかの将士もおびただしく傷つけられた。馬超、龐徳、馬岱など、火花をちらして善戦したが、結局、敗退のほかなかった。

 かくて、西涼軍と中央軍とは、渭水を挟んで一勝一敗を繰り返し、勝敗は容易につかなかった。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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