第78話、袁紹の死

文字数 8,038文字

 袁紹(えんしょう)はわずか八百騎ほどの味方に守られて、辛くも黎陽(れいよう)まで逃げのびてきたが、味方の聯絡はズタズタに断ち切られてしまい、これから西すべきか東すべきか、その方途にさえ迷ってしまった。

 黎山の(ふもと)に寝た夜の明け方ごろである。

 ふと眼をさますと。

 老幼男女の悲泣哀号(ひきゅうあいごう)の声が天地にみちて聞えた。

 耳をすましていると、その声は親を討たれた子や、兄を失った弟や、良人を亡くした妻などが、こもごもに、肉親の名を呼びさがす叫びであった。

逢紀(ほうき)義渠(ぎきょ)の二大将が、諸所のお味方をあつめて、ただ今、ここに着きました」

 旗下の報らせに、袁紹は、

「さては、あの叫びは、敗残のわが兵を見て、その中に身寄りの者がありやなしやと、案じる者どもの声だったか……」

 と、思いあわせた。

 しかし逢紀、義渠の二将が追いついてくれたので、彼は蘇生の思いをし、冀州(きしゅう)の領へ帰って行ったが、その途々にも、人民たちが、

「もし田豊(でんほう)(いさ)めをお用いになっていたら、こんな(みじ)めは見まいものを」

 と、集落を通っても、町を通っても、沿道に人のあるところ、必ず人民の哀号と恨みが聞えた。

 それもその筈で、こんどの官渡の大戦で、袁紹の冀北軍は七十五万と称せられていたのに、いま逢紀、義渠などが附随しているとはいえ、顧みれば敗残の将士はいくばくもなく、寥々(りょうりょう)の破旗悲風に鳴り、民の怨嗟(えんさ)と哀号の(まと)になった。

「田豊。……ああそうだった。実に、田豊の諫めを耳に入れなかったのが、わが過ちであった。なんの面目をもって彼に会おうか」


 袁紹がしきりと()いわびるのを聞いて、田豊と仲のよくない逢紀は、冀北城に近づくと、やがて彼が袁紹に重用されようかと(おそ)れて、こう讒言(ざんげん)した。


「城中からお迎えのため着いた人々のはなしを聞くと、獄中の田豊は、お味方の大敗を聞いて、手を打って笑い、それ見たことかと、誇りちらしているそうです」

 またしても袁紹は、こんな讒言の舌にうごかされて、内心ふたたび田豊を憎悪し、帰城次第に、斬刑に処してしまおうと心に誓っていた。

 冀州城内の獄中に監せられていた田豊は、官渡の大敗を聞いて沈吟(ちんぎん)、食もとらなかった。

 彼に心服している典獄の奉行が、ひそかに獄窓を訪れてなぐさめた。

「今度という今度こそ、袁大将軍にも、あなたのご忠諫(ちゅうかん)がよく分ったでしょう。ご帰国のうえは、きっとあなたに謝して、以後、重用遊ばすでしょう」

 すると田豊は顔を振って、

(いな)とよ君。それは常識の解釈というもの。よく忠臣の言を入れ、奸臣(かんしん)(ざん)をみやぶるほどなご主君なら、こんな大敗は求めない。おそらく田豊の死は近きにあろう」

「まさか、そんなことは……」と、典獄もいっていたが、果たして、袁紹が帰国すると即日、一使がきて、

獄人(ごくじん)に剣を(たも)う」と、自刃を迫った。

 典獄は、田豊の先見に驚きもし、また深く悲しんで、別れの酒肴(さけさかな)を、彼に供えた。

 田豊は自若(じじゃく)として獄を出、(むしろ)に坐って一杯の酒を酌み、

「およそ士たるものが、この天地に生れて、仕える主を過つことは、それ自体すでに自己の不明というほかはない。この期に至って、なんの女々(めめ)しい繰言(くりごと)を吐かんや」

 と、剣を受けて、みずから自分の首に加えて伏した。黒血大地をさらに(くろ)うし、冀州の空、星は妖しく赤かった。田豊死すとつたえ聞いて、人知れず涙をながした者も多かった。


 本国に帰ってからの袁紹は、冀州城内の殿閣にふかくこもって、怏憂(おうゆう)煩憂(はんゆう)の日を送っていた。

 衰退が見えてくると、大国の悩みは深刻である。

 外戦の傷手(いたで)も大きいが、内政の(わずら)いはもっと深い。

「あなたがお丈夫なうちに、どうか世嗣(よつぎ)を定めてください。それを先に遊ばしておけば、河北の諸州も一体となって、きっとご方針が進めよくなりましょう」

 (りゅう)夫人はしきりにそれを説いた。――が、実は自分の生んだ子の三男袁尚(えんしょう)を、河北の世嗣に立てたいのであった。


「わしも疲れた。……心身ともにつかれたよ。近いうちに世嗣を決めよう」

 つねに劉夫人からよいことだけを聞かされているので、彼の意中にも、袁尚が第一に考えられていた。

 だが、長男の袁譚(えんたん)は、青州にいるし、次男の袁煕(えんき)は、幽州を守っている。

 その二人をさしおいて、三男の袁尚を立てたら、どういうことになるだろうか?

 袁紹はそこに迷いを持ったのであった。つねにそばにおいて可愛がっている袁尚だけに、悩むまでもない明白な問題なのに、彼は迷い苦しんだ。

 重臣たちの意向をさぐると、逢紀(ほうき)審配(しんぱい)のふたりは、袁尚(えんしょう)を擁立したがっているし、郭図(かくと)辛評(しんひょう)の二名は、正統派というか、嫡子(ちゃくし)袁譚(えんたん)を立てようとしているらしい。

 だが、自分から自分の望みをほのめかしたら、そういう連中も、一致して袁尚を支持してくれるかも知れぬ――と考えたらしく袁紹は或る日、四大将を翠眉廟(すいびびょう)の内に招いて、

「時に、わしもはや老齢だし、諸州に男子を分けて、それぞれ適する地方を守らせてあるが、宗家の世嗣としては、もっとも三男袁尚がその質と思うている。――で、近く袁尚を河北の新君主に立てようと考えておるが、そち達はどう思うな?」

 と、意見を問いながら暗に自分の望みを打ち明けてみた。

 すると、誰よりも先に郭図(かくと)が口をひらいて、


「これは思いもよらぬおことばです。(いにしえ)から兄をおいて弟を立て、宗家の安泰を得たためしはありますまい。これを行えば乱兆(らんちょう)たちまち河北の全土に起って、人民の安からぬ思いをするは火をみるよりもあきらかです。しかもいま一方には、曹操の()まざる侵略のあるものを。……どうか、家政を(みだ)し給わず、一意、国防にお心を傾け給わるよう、痛涙、ご諫言申しあげまする」

 と、面を(おか)していった。

 沮授(そじゅ)田豊(でんほう)などという忠良の臣を失って、そのことばが時折、悔いの底に思い出されていたところなので、袁紹もこんどは、

「左様か……。む、む」

 と、気まずい顔いろながらも、反省して、考え直しているふうであった。

 すると、それから数日の間に。

 并州(へいしゅう)にいる甥の高幹(こうかん)が、官渡の大敗と聞いて、軍勢五万をひきいて上ってきたところへ、長男の袁譚(えんたん)も、青州から五万余騎をととのえて駈けつけ、次男袁煕(えんき)もまた前後して、六万の大兵をひっさげ、城外に着いて、野営を()いた。

 ために冀州城下の内外は、それらの味方の旗で埋められたので、一時は気を落していた袁紹も大いに歓んで、

「やはり何かの場合には、気づよいものは子どもらや肉親である。かく、新手の兵馬がわれに備わるからには、長途を疲れてくる曹操の如きは何ものでもない」

 と、安心をとり戻していた。

 一方、曹操の軍勢は、どう動いているかと、諸所の情報をあつめてみると、さすがに急な深入りもせず、大捷をおさめたのち、彼はひとまず黄河の線に全軍をあつめ、おもむろに装備を改めながら兵馬に休養をとらせているらしかった。

 袁紹(えんしょう)は、捲土重来(けんどちょうらい)して、四州三十万の兵を催し、ふたたび倉亭(そうてい)(山東省陽谷県境)のあたりまで進出してきた。

 曹操も全軍を押し進め、戦書を交わして、堂々と出会った。

 開戦第一の日。

 袁紹は一人の(おい)と、三人の子をうしろに従え、陣前へ出て曹操へ呼びかけた。

 曹操は、颯爽(さっそう)と、鼓声に送られて、姿を示し、

「世に無用なる老夫。なお、曹操の(やいば)をわずらわさんとするか」

 と、罵った。

 袁紹は怒って、直ちに、


「世に害をなすあの賊子を討てッ」


 と、左右へ叱咤(しった)した。

 三男の袁尚(えんしょう)が、父の眼に、手柄を見せようものと、声に応じて、曹操へ討ってかかる。

 曹操は、その弱冠なのに、眼をみはって、


「あの青二才は、何者か」

 と、うしろへ訊いた。


「袁紹の子三男袁尚です。それがしが承らん」

 と、鎗をひねって、躍りでた者がある。徐晃(じょこう)の部下、史渙(しかん)だった。

 彼の鋭い鎗先に追われて、袁尚はたちまち逃げだした。のがさじと、史渙は追いまくる。すると袁尚はしり眼に振向いて、矢ごろをはかり、(ちょう)弓弦(ゆづる)を切って、一矢を放った。

 矢は、史渙の左の目に立った。

 どうっと、転び落ちる土煙とともに、袁紹以下、旗下(はたもと)達も、声をあわせて、御曹司(おんぞうし)袁尚の手柄をどっと賞めたたえた。


 我が子の武勇を()のあたり見て、袁紹も大いに意を強めた。

 その装備においても、兵数の点でも、依然、河北軍は圧倒的な優位を保持していた。接戦第一日も、二日目も、さらにその以後も、河北軍は連戦連捷の勢いだった。

 曹操は敗色日増しに加わる味方を見て、

程昱(ていいく)、何としたものだろう」

 とかたわらの大将にはかった。

 程昱は、この時、十(めん)埋伏(まいふく)の計をすすめたといわれている。

 曹操の軍は、にわかに退却を開始し、やがて黄河をうしろに、布陣を改めた。

 そして部隊を十に分け、各自、緊密な聯絡をもって、迫りくる敵の大軍を待っていた。

 袁紹はしきりに物見を放ちながら、三十万の大軍を徐々に進ませてきた。

 ――敵、背水(はいすい)の陣を()く!

 と聞いて、河北軍も、うかつには寄らなかったが、一夜、曹操の中軍前衛隊の許褚(きょちょ)が、闇に乗じて、河北軍を奇襲してきたので、

「それッ、包囲せよ」と、許褚の一隊を捕捉せんものと、引っ包んで、天地をゆるがした。

 許褚は、かねて計のあることなので、戦っては逃げ、戦っては逃げ、ついに黄河の(ほとり)まで、敵を誘い、敵の陣形をある程度まで変形させることに成功した。



「うしろは黄河だ。背水の敵は死物狂いになろう。深入りすな」

 と袁紹が、その本陣から前線の将士へ、伝騎を飛ばした時は、すでに彼らの司令本部も、中核からだいぶ位置を移して、前後の連絡はかなり変貌(へんぼう)していたのであった。

 突如として、方二十里にわたる野や丘や水辺から、かねて曹操の配置しておいた十隊の兵が、鯨波(ときのこえ)をあげて起った。

「大丈夫だ。なんの、さわぐことはない」

 袁紹父子は、最後に至るまで総司令部と敵とのあいだに、分厚な味方があり、距離があることを信じていた。

 ――何ぞ知らん。彼の信じていた味方の陣形は、すでに間隙だらけであったのである。

 またたく間に、味方ならぬ敵の喊声(かんせい)はここに近づいていた。しかも、十方の闇からである。

「右翼の第一隊、夏侯惇(かこうじゅん)

「二隊の大将、張遼(ちょうりょう)

「第三を承るもの李典(りてん)

「第四隊、楽進(がくしん)なり」

「第五にあるは、夏侯淵(かこうえん)

「――左備え。第一隊曹洪(そうこう)

「二隊、張郃(ちょうこう)、三、徐晃(じょこう)。四、于禁(うきん)。五、高覧(こうらん)


 と、いうような声々が潮のように耳近く聞かれた。

「すわ。急変」と、総司令部はあわてだした。

 どうしてこう敵が急迫してきたのか、三十万の味方が、いったいどこで戦っているのか。皆目(かいもく)、知れないし、考えている(いとま)などもとよりなかった。

 袁紹は、三人の子息と共に、夢中で逃げだしていた。

 うしろに続く旗下(はたもと)の将士も、途中敵の徐晃や于禁の兵に挟まれて、さんざん討死を遂げてしまった。

 いや彼ら父子の身も、いくたびか包まれて、雑兵の熊手にかかるところだった。

 馬を乗り捨て、また拾い乗ること四度、辛くも倉亭(そうてい)まで逃げ走ってきて、味方の残存部隊に合し、ほっとする間もなく、ここへも曹洪、夏侯惇の疾風隊が、電雷(でんらい)のごとく突撃してきた。

 次男の袁煕(えんき)は、ここで深傷(ふかで)を負い、甥の高幹(こうかん)も、重傷を負った。

 夜もすがら、逃げに逃げて、百余里を走りつづけ――翌る日、友軍をかぞえてみると、何と一万にも足らなかった。

 逃げては迫られ、止まればすぐ追われ、敗走行(はいそうこう)の夜昼ほど、苦しいものはないだろう。

 しかも一万の残兵も、その三分の一は、深傷(ふかで)浅傷(あさで)を負い、続々、落伍してしまう。

「あっ? 父上、どうなされたのですか」


 遅れがちの父の袁紹をふと振返って、三男の袁尚が、仰天しながら馬を寄せた。


「兄さん! 大変だっ、待ってくれい」


 ふたたび彼は大声で、先へ走ってゆく二人の兄を呼びとめた。

 袁譚(えんたん)袁煕(えんき)の二子も、何事かとすぐ父のそばへ引返してきた。全軍も、混乱のまま、潰走を止めた。

 老齢な袁紹は、日夜、数百里を逃げつづけてきたため、心身疲労の(きょく)に達し、馬のたてがみへうつ伏したまま、いつか、口中から血を吐いていたのであった。

「父上っ」

 三人の子と、旗下の諸将は、彼の身を抱きおろして懸命に手当を加えた。

 袁紹は、蒼白な面をあげ、唇の血を三男にふかせながら、

「案じるな。……何の」

 と、()いて眸をみはった。

 すると、はるか先に、何も知らず駆けていた前隊が、急に、雪崩(なだれ)を打って、戻ってきた。

 強力な敵の潜行部隊が、早くも先へ迂回して、道を遮断し、これへ来るというのである。

 まだ充分意識もつかない父を、ふたたび馬の背に乗せて、長男袁譚(えんたん)が抱きかかえ、それから数十里を横道へ、逃げに逃げた。

「……だめだ。苦しい。……おろしてくれい」


 袁譚の膝で、袁紹のかすかな声がした。いつか白い黄昏(たそがれ)の月がある。兄弟と将士は、森の木陰に真黒に寄り合った。

 草の上に、戦袍(せんぽう)を敷き、袁紹は仰向けに寝かされた。――にぶい眸に、夕日が映っている。

「袁尚。袁譚、袁煕。わしの天命も、尽きたらしい。そちたち兄弟は、本国に還り、兵をととのえて、ふたたび、曹操と雌雄(しゆう)を決せよ。……ち、ちかって、父の怨みを散ぜよ。いいか、兄弟ども」

 云い終ると、かっと、黒血を吐いて、四肢を突張った。最後の躍動であった。

 兄弟は号泣しながら、遺骸を馬の背に奉じて、なお本国へ急いだ。そして冀州城(きしゅうじょう)へ入ると、袁紹は陣中に病んで還ったと触れ、三男袁尚(えんしょう)が、仮に執政(しっせい)となり、審配その他の重臣がそれを扶けた。

 次男の袁煕は幽州へ、嫡子袁譚は青州に、それぞれ守るところへ還り、甥の高幹も、

「かならず再起を」

 と約して、ひとまず并州(へいしゅう)へと引揚げた。

 ――かくて大捷(たいしょう)をえた曹操は、思いのまま冀州の領内へ進出してきたが、

「いまは稲の熟した時、田を荒らし、百姓の(わざ)をさまたげるのは、いかがなものでしょう。ことに味方も長途に疲れ、後方の聯絡、兵糧の補給は、いよいよ困難を加えますし、袁紹病むといえども、審配、逢紀などの名将もおること、これ以上の深入りは、多分に危険もともなうものと思慮せねばなりません」と、諸将みな(いさ)めた。

 曹操は釈然(しゃくぜん)と容れて、

「百姓は国の本だ。――この田もやがて自分のものだ。憐れまないで何としよう」

 一転、兵馬をかえして、都へさして来る途中、たちまち相次いで来る早馬の使いがこう告げた。

「いま、汝南(じょなん)にある劉備玄徳(りゅうげんとく)が、劉辟(りゅうへき)龔都(きょうと)などを語らって、数万の勢をあつめ、都の虚をうかがって、にわかに攻め上らんとするかの如く、動向、容易ならぬものが見えまする!」

 途中、しかも久しぶりに都へかえる凱旋の途中だったが――曹操はたちどころに方針を決し、

「曹洪は、黄河にのこれ。予は、これより直ちに、汝南へむかって、劉備の首を、この鞍に結いつけて都へ還ろう」

 と、いった。

 一部をとどめたほか、全軍すべて道をかえた。彼の用兵は、かくの如く、いつもとどこおることがない。

 すでに、汝南を発していた劉備は、

「よもや?」
 と、思っていた曹操の大軍が、あまりにも迅く、南下して来たばかりか、逆寄せの勢いで攻めてきたとの報に、
「はや、穣山(じょうざん)(河北省)の地の利を占めん」

 と、備えるに狼狽(ろうばい)したほどであった。

 劉辟(りゅうへき)龔都(きょうと)の兵をあわせ、布陣五十余里、先鋒は三段にわかれて備えを立てた。

 東南(たつみ)の陣、関羽(かんう)

 西南(ひつじさる)には張飛(ちょうひ)

 南の中核に劉備、脇備(わきぞな)えとして趙雲(ちょううん)の一隊が旗をひるがえしていた。

 地平線の彼方から、真黒に野を捲いてきた大軍は、穣山を()ること二、三里、一夜に陣を八卦(はっけ)(かたち)に備えていた。

 夜明けとともに、弦鳴鼓雷(げんめいこらい)、両軍は戦端を開始していたが、やがて中軍を割って、曹操自身すがたを現し、

「劉備に一言いわん」

 と、告げた。

 劉備も、旗をすすめ、馬を立てて、彼を見た。

 曹操は大声叱咤(しった)して云った。

「以前の恩義をわすれたか。唾棄(だき)すべき亡恩の徒め。どの面さげて曹操に矢を射るか」

 劉備は、笑い、


「君は、漢の丞相(じょうしょう)というが帝の御意でないことは明らかだ。故に、君がみずから恩を与えたというのは不当であろう。記憶せよ、劉備は漢室の宗親であることを」
「だまれ、予は、天子の勅をうけて、(そむ)くを討ち、(みだ)すを()らす。汝もまた、その類でなくて何だ」
「いつわりを吐き給うな。君ごとき覇道(はどう)奸雄(かんゆう)に、なんで天子が勅を降そう。まことの詔詞(みことのり)とは、ここにあるものだ」

 と、かねて都にいた時、董国舅(とうこっきゅう)へ賜わった密書の写しを取りだし、劉備は馬上のまま声高らかに読みあげた。

 その沈着な容子と、朗々たる音吐(おんと)に、一瞬敵味方とも耳をすましたが、終ると共に、劉備の兵が、わあっと正義の(いくさ)たる誇りを鯨波(ときのこえ)としてあげた。

 いつも、朝廷の軍たることを、真っ向に宣言してのぞむ曹操の戦いが、この日はじめて、位置をかえて彼に官軍の名を取られたような形になった。

 彼が憤怒(ふんぬ)したこというまでもない。鞍つぼを叩いて、

偽詔(ぎしょう)をもって、みだりに朝廷の御名を(かた)る不届き者、あの劉備めを引掴んで来いっ」

 (まなじり)を裂いて命じた。


「おうっ」

 と、吠えて、許褚(きょちょ)がすすむ。

 迎えたのは趙雲。

 (げき)、剣、馬蹄から立つ土けむりの中に、戛々(かつかつ)と火を発し、閃々(せんせん)とひらめき合う。

 勝負――つくべくも見えなかった。

 関羽の一陣、横から攻めかかる。

 張飛の手勢も、猛然、声をあわせて、側面を衝いた。

 曹操の八卦陣(はっけじん)は、三方からもみたてられて、ついに五、六十里も退却してしまった。

幸先(さいさき)はよいぞ」


 その夜、劉備がよろこびを見せると、関羽は首を振って云った。


「計の多い曹操のことです。まだまだ歓ぶところにはゆきません」


「そうか、彼の退却は、なにかあるのか」

「探りを入れてみればどうでしょう」


「うむ」

 次の日、趙雲が進んで、挑戦してみたが、曹操の陣は、(おし)の如く、鳴りをしずめたきり動かない。

 ――七日、十日と過ぎても、一向に戦意を示さなかった。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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