第78話、袁紹の死
文字数 8,038文字
黎山の
ふと眼をさますと。
老幼男女の
耳をすましていると、その声は親を討たれた子や、兄を失った弟や、良人を亡くした妻などが、こもごもに、肉親の名を呼びさがす叫びであった。
「
旗下の報らせに、袁紹は、
と、思いあわせた。
しかし逢紀、義渠の二将が追いついてくれたので、彼は蘇生の思いをし、
と、集落を通っても、町を通っても、沿道に人のあるところ、必ず人民の哀号と恨みが聞えた。
それもその筈で、こんどの官渡の大戦で、袁紹の冀北軍は七十五万と称せられていたのに、いま逢紀、義渠などが附随しているとはいえ、顧みれば敗残の将士はいくばくもなく、
袁紹がしきりと
またしても袁紹は、こんな讒言の舌にうごかされて、内心ふたたび田豊を憎悪し、帰城次第に、斬刑に処してしまおうと心に誓っていた。
冀州城内の獄中に監せられていた田豊は、官渡の大敗を聞いて
彼に心服している典獄の奉行が、ひそかに獄窓を訪れてなぐさめた。
「今度という今度こそ、袁大将軍にも、あなたのご
すると田豊は顔を振って、
「まさか、そんなことは……」と、典獄もいっていたが、果たして、袁紹が帰国すると即日、一使がきて、
「
典獄は、田豊の先見に驚きもし、また深く悲しんで、別れの
田豊は
と、剣を受けて、みずから自分の首に加えて伏した。黒血大地をさらに
本国に帰ってからの袁紹は、冀州城内の殿閣にふかくこもって、
衰退が見えてくると、大国の悩みは深刻である。
外戦の
つねに劉夫人からよいことだけを聞かされているので、彼の意中にも、袁尚が第一に考えられていた。
だが、長男の
その二人をさしおいて、三男の袁尚を立てたら、どういうことになるだろうか?
袁紹はそこに迷いを持ったのであった。つねにそばにおいて可愛がっている袁尚だけに、悩むまでもない明白な問題なのに、彼は迷い苦しんだ。
重臣たちの意向をさぐると、
だが、自分から自分の望みをほのめかしたら、そういう連中も、一致して袁尚を支持してくれるかも知れぬ――と考えたらしく袁紹は或る日、四大将を
と、意見を問いながら暗に自分の望みを打ち明けてみた。
すると、誰よりも先に
と、面を
と、気まずい顔いろながらも、反省して、考え直しているふうであった。
すると、それから数日の間に。
ために冀州城下の内外は、それらの味方の旗で埋められたので、一時は気を落していた袁紹も大いに歓んで、
と、安心をとり戻していた。
一方、曹操の軍勢は、どう動いているかと、諸所の情報をあつめてみると、さすがに急な深入りもせず、大捷をおさめたのち、彼はひとまず黄河の線に全軍をあつめ、おもむろに装備を改めながら兵馬に休養をとらせているらしかった。
曹操も全軍を押し進め、戦書を交わして、堂々と出会った。
開戦第一の日。
袁紹は一人の
曹操は、
と、罵った。
袁紹は怒って、直ちに、
と、左右へ
三男の
曹操は、その弱冠なのに、眼をみはって、
と、うしろへ訊いた。
と、鎗をひねって、躍りでた者がある。
彼の鋭い鎗先に追われて、袁尚はたちまち逃げだした。のがさじと、史渙は追いまくる。すると袁尚はしり眼に振向いて、矢ごろをはかり、
矢は、史渙の左の目に立った。
どうっと、転び落ちる土煙とともに、袁紹以下、
我が子の武勇を
その装備においても、兵数の点でも、依然、河北軍は圧倒的な優位を保持していた。接戦第一日も、二日目も、さらにその以後も、河北軍は連戦連捷の勢いだった。
曹操は敗色日増しに加わる味方を見て、
とかたわらの大将にはかった。
程昱は、この時、十
曹操の軍は、にわかに退却を開始し、やがて黄河をうしろに、布陣を改めた。
そして部隊を十に分け、各自、緊密な聯絡をもって、迫りくる敵の大軍を待っていた。
袁紹はしきりに物見を放ちながら、三十万の大軍を徐々に進ませてきた。
――敵、
と聞いて、河北軍も、うかつには寄らなかったが、一夜、曹操の中軍前衛隊の
「それッ、包囲せよ」と、許褚の一隊を捕捉せんものと、引っ包んで、天地をゆるがした。
許褚は、かねて計のあることなので、戦っては逃げ、戦っては逃げ、ついに黄河の
と袁紹が、その本陣から前線の将士へ、伝騎を飛ばした時は、すでに彼らの司令本部も、中核からだいぶ位置を移して、前後の連絡はかなり
突如として、方二十里にわたる野や丘や水辺から、かねて曹操の配置しておいた十隊の兵が、
袁紹父子は、最後に至るまで総司令部と敵とのあいだに、分厚な味方があり、距離があることを信じていた。
――何ぞ知らん。彼の信じていた味方の陣形は、すでに間隙だらけであったのである。
またたく間に、味方ならぬ敵の
「右翼の第一隊、
「二隊の大将、
「第三を承るもの
「第四隊、
「第五にあるは、
「――左備え。第一隊
「二隊、
と、いうような声々が潮のように耳近く聞かれた。
「すわ。急変」と、総司令部はあわてだした。
どうしてこう敵が急迫してきたのか、三十万の味方が、いったいどこで戦っているのか。
袁紹は、三人の子息と共に、夢中で逃げだしていた。
うしろに続く
いや彼ら父子の身も、いくたびか包まれて、雑兵の熊手にかかるところだった。
馬を乗り捨て、また拾い乗ること四度、辛くも
次男の
夜もすがら、逃げに逃げて、百余里を走りつづけ――翌る日、友軍をかぞえてみると、何と一万にも足らなかった。
逃げては迫られ、止まればすぐ追われ、
しかも一万の残兵も、その三分の一は、
遅れがちの父の袁紹をふと振返って、三男の袁尚が、仰天しながら馬を寄せた。
ふたたび彼は大声で、先へ走ってゆく二人の兄を呼びとめた。
老齢な袁紹は、日夜、数百里を逃げつづけてきたため、心身疲労の
三人の子と、旗下の諸将は、彼の身を抱きおろして懸命に手当を加えた。
袁紹は、蒼白な面をあげ、唇の血を三男にふかせながら、
と、
すると、はるか先に、何も知らず駆けていた前隊が、急に、
強力な敵の潜行部隊が、早くも先へ迂回して、道を遮断し、これへ来るというのである。
まだ充分意識もつかない父を、ふたたび馬の背に乗せて、長男
袁譚の膝で、袁紹のかすかな声がした。いつか白い
草の上に、
云い終ると、かっと、黒血を吐いて、四肢を突張った。最後の躍動であった。
兄弟は号泣しながら、遺骸を馬の背に奉じて、なお本国へ急いだ。そして
次男の袁煕は幽州へ、嫡子袁譚は青州に、それぞれ守るところへ還り、甥の高幹も、
と約して、ひとまず
――かくて
「いまは稲の熟した時、田を荒らし、百姓の
曹操は
一転、兵馬をかえして、都へさして来る途中、たちまち相次いで来る早馬の使いがこう告げた。
「いま、
途中、しかも久しぶりに都へかえる凱旋の途中だったが――曹操はたちどころに方針を決し、
と、いった。
一部をとどめたほか、全軍すべて道をかえた。彼の用兵は、かくの如く、いつもとどこおることがない。
すでに、汝南を発していた劉備は、
と、備えるに
南の中核に劉備、
地平線の彼方から、真黒に野を捲いてきた大軍は、穣山を
夜明けとともに、
と、告げた。
劉備も、旗をすすめ、馬を立てて、彼を見た。
曹操は大声
劉備は、笑い、
と、かねて都にいた時、
その沈着な容子と、朗々たる
いつも、朝廷の軍たることを、真っ向に宣言してのぞむ曹操の戦いが、この日はじめて、位置をかえて彼に官軍の名を取られたような形になった。
彼が
と、吠えて、
迎えたのは趙雲。
勝負――つくべくも見えなかった。
関羽の一陣、横から攻めかかる。
張飛の手勢も、猛然、声をあわせて、側面を衝いた。
曹操の
その夜、劉備がよろこびを見せると、関羽は首を振って云った。
次の日、趙雲が進んで、挑戦してみたが、曹操の陣は、
――七日、十日と過ぎても、一向に戦意を示さなかった。
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