第151話、呉王
文字数 5,912文字
張飛の首を船底に隠して、蜀の上流から千里を一帆に逃げ降った
と、声を大にして告げた。
聞く者みな色を失った。孫権も寝耳に水であったから、即日、衆臣をあつめて、
彼の言は終っても、座中しばらく答える者がなかった。敵の決死的の意気の容易ならないものであることが誰にも戦慄をもって想像されたからである。
すると
と、云った。
人々は冷笑の
命をうけると、諸葛瑾はすぐ江船の奉行に帆支度をいいつけ、書簡を奉じて長江を
その頃、蜀帝劉備は、すでに大軍をすすめて、白帝城を大本営として、先陣は川口の辺りまで進出していた。
ところへ呉の使者として諸葛
と、会見をすすめたので、さらばと、瑾を面前に通した。瑾は、伏して云った。
劉備は目をふさいで、一語も発しない。諸葛瑾は、なお語をつづけて、
しかしなお、劉備は、無言を守りきっている。
ここで劉備は、くわっと眼をひらいて、瑾の能弁を手をもって制した。
と、威にうたれて、瑾は頭をさげた。
沓音があらく玉座に鳴った。面をあげてみると、もう劉備はそこにいなかった。
温厚仁慈、むしろ引っ込み思案のひとといわれている劉備が、かくまでの壮語を敵国の使者へ云い放ったためしはない。瑾も、ここまで努力してみたが、とたんに心中で、
と、見きりをつけずにいられなかった。そしてこの陣に、弟の孔明が参加していないことも、いかに劉備の決意が固いものであるかを証拠だてていると思った。
劉備に対するため、すでに江水また山野から、前線に出る兵馬は続々送られていた。そのあわただしい中を、中大夫
もちろんこれも呉の使節として赴いたものである。精馬強兵は北国の伝統であり、外交才能の優は南方人たる呉の得意とするところだ。いかなる変に臨んでも機に応じてまず側面の外交を試みる熱と粘りは怠らない。
大魏皇帝
近頃、閑暇に富んでいるとみえ、曹丕は、使者の
曹丕はくわっと眼をこらして彼を見くだしていた。大魏皇帝たる威厳を
やがて曹丕は、趙咨にむかって、あえてこういう言葉を弄した。
趙咨は額をたたいて答えた。
曹丕は内心舌を巻いて、
と、また訊ねた。
すると趙咨は腹をかかえて笑い出し、
と、いった。
ついに曹丕は三嘆してこの使者を賞めちぎった。
趙咨はすっかり男を上げた。たいへんな歓待をうけたばかりでなく、彼の与えた好印象と呉の国威とは深く曹丕の心をとらえたとみえて、外交的にも予想以上の成功を収めた。
すなわち、大魏皇帝は、使者の帰国に際して将来の援助を確約し、また呉侯孫権にたいしては、
(封じて呉王となす)
と、
皇帝みずから定められたので、魏の朝臣はどうすることもできなかったが、呉使が都を去るや否、疑義嘆声、こもごもに起って、
「あの小男めに一杯くわされたかたちだ」
となす者が多かった。
「とはいえ今、呉の
そこまでの深慮遠謀があってのことなら、何をかいわんやと、
外交の大成功と、孫権が呉王に封ぜられた吉報とは、早くも内報的に建業城へ伝えられていた。
やがて、魏の勅使
と、あわてて支度しかけた。
建業にも骨ッぽい臣はいる。孫権がいそいそ浮かれ気味の容子を見て、さっきからにがりきっていた
群臣を従えて、孫権は建業の門を出た。遠く出て迎えの礼を篤くするためである。
邢貞はあわてて車からとび降りて詫びた。
と、痛感したようであった。
しかし孫権はあらゆる礼遇と歓待とをもって使節に接した。そして大魏皇帝の名によって贈られた呉王の封爵も、
と、心からよろこんで受け、また即日、建業城中にこれを告げて、文武百官の拝賀をもうけた。
邢貞はまずよかったと心を安んじた。そして近く魏へ帰国する日となると、呉王は江南の善を尽し美を尽した別宴をひらき、席上、おびただしい土産ものを山と積んで、
と、披露した。
大魏の宮中にいて豪華に馴れている邢貞も、その土産物の莫大なのに思わず目をまろくしたほどだった。
珠玉、金銀、織物、陶器、
あとで宿老の張昭はつぶやく如く呉王を
孫権は軽く笑った。
張昭は急に顔を解いてうれしそうにうなずいた。呉三代の主君に仕えてきた宿老として、とかく幼稚に思われてならなかった孫権がいつのまにかかくの如き大腹中の人となってきたことが、涙のこぼれるほど有難かったに違いない。
並居るほかの臣下も皆、嘆服した。
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