第125話、老将厳顔

文字数 7,369文字

 蜀の張任は、白馬の主を、劉備とばかり思いこんでいたので、絶壁の上から遠く龐統の死を見とどけると、


「敵の総帥は射止めたぞ。すでに首将を失った荊州の残兵ども一兵ものこさず蹴ちらして谷を埋めよ」

 と、歓喜して号令した。

 山もゆるがす勝鬨(かちどき)をあげながら蜀兵はうろたえ惑う龐統軍へ(おめ)きかかった。荊州の兵は、釜中(ふちゅう)の魚みたいにただ逃げ争って蜀兵の殺戮(さつりく)にたいし、手向う意志も失っていた。山を()じ、谷へのぞんで逃げ出した兵も、(ましら)のように敏捷な蜀兵に追われ、その戈や槍から遁れることはできなかった。

 このとき、魏延は龐統の中軍に先んじて、すでに遥かな前方へ進んでいたが、

「後続部隊に戦闘が起った――」

 という伝令を受取って、

「さては、先鋒と主隊との連絡を断とうとする敵の作戦だろう」


 と考え、進路を後へ引っ返してきた。

 ところが、途中、(そび)え立つ岩山の横をくり抜いた洞門のてまえまで来ると、張任の一手が上から岩石や矢をいちどに注ぎ落した。

「だめだ。伏兵がいる」

「人馬の死骸と岩石のために、洞門の口も(ふさ)がってしまい、所詮、あとへ戻ることもできません」

 前隊の者が押し返してきてのことばに、魏延もいまは進退きわまってしまった。


「よし、この上は、単独で雒城(らくじょう)まで押し通り、南路から越えてゆかれた皇叔の本軍と連絡をとろう」


 ふたたび考え直すと、魏延は馬をめぐらして、さらに予定の前進をつづけた。

 ようやく、雒山(らくざん)の背をこえ、西方の麓をのぞんで降りてゆくと、真下に雒城の西曲輪(にしくるわ)が見え、蛾眉門(がびもん)斜月門(しゃげつもん)、鉄鬼門、蕀冠門(らかんもん)などが、さらに次の山をうしろにして鋭い()屋根(やね)の線を宙天にならべていた。

 当然、それらの門々は、敵を見るや、警鼓戦鉦(けいこせんしょう)をうち鳴らし、煙のごとく軍兵を吐き出して、

「みなごろしにせよ」

 と、魏延をかこんだ。

 指揮するものは呉蘭、雷同、音に聞えた蜀の大将である。中軍をあとに残して、頭部だけで敵地に入った魏延はもとより討死を覚悟した。ただ、

「死出のみやげ」

 と、当るにまかせて血闘奮力の限りを尽した。

 ときに突然、背面の山から、またまた、金鼓を鳴らし、喊声(かんせい)をあげて、この大血河へ、さらに、剣槍の怒濤を加えてきたものがある。

「うれしや、劉皇叔か」
 と思えば、何ぞはからん、張任の軍隊だった。
「全滅、ぜひなし」

 魏延も、いまは観念した。

 ところへ、南路の山道から、

 劉備の先鋒である黄忠が駆けつけて来た。それに続いて劉備の中軍も来た。ために、双方の戦力は伯仲して、いよいよ激戦の相をあらわしたが、劉備は、龐統が見えないのを怪しんで、


退()け。涪城へ」

 と、帰りには、街道の関門を突破して、引く潮のようにひきあげた。

 関平、劉封などの留守隊は、涪城を出て、劉備を迎え入れた。時早くも、

「軍師龐統は、山中の落鳳坡とよぶ所にて、無惨な討死をとげた」という事実が、逃げかえってきた残兵の口から伝えられた。

 劉備の悲嘆はいうまでもない。


「わしと間違われたか」


 馬を替えた事を思い起こし涙した。

 夕星(ゆうずつ)白き下、祭の壇をきずいて、亡き龐統の魂魄(こんぱく)を招き、遠征の将士みなぬかずいて袖をぬらした。

 魏延、劉封などは、

「雒城をふみ(つぶ)さずには」


 と、雪辱に(はや)り立ったが、劉備は愁いを共に城門を閉じて、


「決して出るな」

 と、ただ堅きを守った。

 そして関平(かんぺい)を荊州へ急がせ、一刻もはやく蜀に来れ、と孔明にあてた書簡を持たせてやった。


 劉備の使いとして、関羽の養子関平が征地から帰ってきた。


「軍師龐統(ほうとう)は戦死し、わが君以下は、涪城に籠って、四面皆敵、いまは進退きわまっておられます」

 さらに、劉備の書簡を出した。

 孔明はそれを読んで泣いた。そしてすぐ主君の救援におもむくべく準備を令したが、案ぜられるのは、自分が出たあとの荊州の守りである。


「関羽、貴公と関平とで、あとの留守を固め、東は呉に備え、北は曹操を防ぎ、君公のご出征中を、寸地もゆずらず守っていてくれまいか。この大任は、蜀に入って戦う以上の大役である。貴公に(しょく)するほか他に人はない。むかし、桃園(とうえん)()を、ここに思い、この難役に当ってくれい」

 孔明から説かれて、関羽は、


「桃園の義を仰せられては一言の(いな)みもありません。安んじて、蜀へお急ぎください。あとはひきうけました」


「では」


 と、孔明は、劉備から預けられていた荊州総大将の印綬(いんじゅ)を彼に渡した。

 関羽は、拝受して、


「信をうけて、しばしなりと、一国の大事を(つかさ)どるうえは、たとい死んでも、惜しみはない」

 と、感激していった。

 孔明はよろこばない顔をした。関羽に、死を軽んずるような口ぶりがあったからである。一国を司どる者が、そのように一死を軽んずるようでは留守が案ぜられる。で彼は、関羽に、試問を呈してみた。


「貴公のことだ。万に一も過りはあるまいが、もし呉の孫権と、北の曹操とが、同時にこの荊州を攻めてきたときはどう防ぐか」


「もちろん兵を二分して、二手にわかれ、一を撃破し、また一を討ちます」


「危ない、危ない。そうではない」


「というと」
「北ハ曹操ヲ(フセ)ギ、東ハ孫権ト和ス。魏と呉、同時に戦ってはならぬ。お忘れあるな」

「なるほど……。肺腑(はいふ)に銘じて忘れぬようにいたします」


「たのむ」


 印綬の授受はすんだ。

 関羽を輔佐する者としては文官に、伊籍(いせき)糜竺(びじく)向朗(こうろう)、馬良などをとどめ、武将には、関平、周倉、廖化(りょうか)糜芳(びほう)などをあとに残して行った。

 そして、孔明のひきいて行った荊州の精兵といえば、わずか一万に足らなかった。

 張飛をその大将とし、峡水(きょうすい)の水路と、嶮山の陸路との、二手になってすすんだ。

「まず張飛は、巴郡(はぐん)をとおり、雒城(らくじょう)の西に出でよ。自分は趙雲を先手とし、船路をとって、やがて雒城の前にいたらん」

 と、告げた。

 二道に軍を分って立つ日、野宴を張って、

「どっちが先に雒城へ着くか、先陣を競おう。いずれも、健勝に」


 と、杯を挙げて、おたがいの前途を祝しあった。

 別れにのぞんで、孔明は、張飛に忠言した。


「蜀には、英武の質が多い。貴下のごとき豪傑は幾人もいる。加うるに地は剣山刀谷(けんざんとうこく)である。軽々しく進退してはならない。またよく部下を(いまし)め、かりそめにも(かす)め盗らず(しいた)げず、行くごとに民を憐れみ、老幼を()ずけ、ただ、徳を以て衆にのぞむがいい。なおまた、軍律はおごそかにするとも、みだりに私憤をなして士卒を鞭打つようなことはくれぐれ慎まねばならぬ。そして迅速に雒城(らくじょう)へ出で、めでたく第一の功を()ち取られよ」

 張飛は拝謝して、勇躍、さきへ進んだ。

 彼の率いた一万騎は、漢川(かんせん)を風靡した。しかし、よく軍令を守って、少しも略奪や殺戮(さつりく)の非道をしなかったので、行く先々の軍民は、彼の旗をのぞんでみな降参して来た。

 やがて巴郡(はぐん)(重慶)へ迫った。

 蜀の名将厳顔(げんがん)は、老いたりといえど、よく強弓をひき太刀を使い、また士操凛々(りんりん)たるものがあった。

 張飛は、城外十里へ寄せて、使いを立て、

厳顔(げんがん)匹夫(ひっぷ)。わが旗を見て、何ぞ城を出て(くだ)らざるや。もし遅きときは、城郭をふみ砕いて、満城を血にせん」


 と云い送った。


「笑止なり。放浪の痩狗(やせいぬ)

 厳顔は、使いの耳と鼻を切って、城外へつまみ出した。張飛が赫怒(かくど)したことはいうまでもない。


「みろ。きょうの中にも、巴城を瓦礫(がれき)と灰にしてみせるから」


 まっ先に馬をとばし、空壕(からぼり)の下に迫った。

 けれど、城内は、城門を閉じ、防塁を堅固にして、一人も出て戦わなかった。のみならず、矢倉から首を出して、さんざんに張飛を悪罵したので、張飛は、


「その舌の根を忘れるな」

 と日没まで猛攻をつづけた。

 しかし、頑として、城は墜ちない。無二無三、城壁へとりついて、攀じ登ろうとした兵も、ひとり残らず、狙い撃ちの矢石にかかって、空壕の埋め草となるだけだった。

 張飛は、そこに野営して、翌日も早天から攻めにかかった。すると矢倉の上に、老雄厳顔が初めて姿をあらわして、

「先頃、使いの口上で、満城を血にせんといったのは、さては、寄手の血漿(けっしょう)をもって(いろど)ることでありしか。いや見事見事。ご苦労ご苦労」

 と、からかった。

 張飛の顔は朱漆(しゅうるし)を塗ったように燃えた。その虎髯(とらひげ)の中から大きく口をあいて、

「よしっ。汝を生捕って、汝の肉を(くら)わずにはおかんぞ」

 云った途端である。

 厳顔の引きしぼった強弓の弦音が朝の大気をゆすぶって、ぴゅっと、一矢を送ってきた。張飛が、


「あっ」

 と、馬のたてがみへ、身を伏せたので、矢は彼の兜の脳天に、はね返った。

 幸いにも、鉢金は射抜けなかったが、じいんと烈しい金属的な衝撃が脳髄(のうずい)から鼻ばしらを通って、眼から火となって飛びだしたような気がした。

 さすがの張飛も、ふらふらと(めま)いを覚えて、


「きょうはいかん」
 と、匆々(そうそう)、後陣へかくれてしまった。

「なるほど、蜀には相当な者がいる」


 張飛が敵に感心したことはめずらしい。しかし、敵を尊敬することによって、彼も、ただ力ずくな攻城がいかに労して効の少ないものかを教えられた。

 城の一方にかなり高い丘陵がある。ここに登って彼は城内をうかがった。城兵の部署隊伍は整然としていて甚だ立派だ。張飛は、声の大きな部下を選んで、ここからさまざまな悪口を城中へ放送させた。

 けれど、城の者は、一人も出てこないし、相手にもならない。

 誘いの兵を少しばかり近づかせて、偽って逃げる(てい)をなし、城兵が追ってきたら、たちまちこれを捕捉し、またそこの門から一気に突入しようなどという計画も行ってみたが、

「彼の戦法は、まるで児童の(いくさ)遊び、抱腹絶倒に(あたい)する」


 と、厳顔(げんがん)は、一笑のもとに、その足掻(あがき)を見ているだけで、張飛の策にはてんで乗ってこないのであった。



 百計も尽きたときに、苦悩の果てが一計を生む。人生、いつの場合も同じである。

 張飛は、一策を案出した。


「集まれ」


 七、八百の兵をならべて命じた。


「貴様たちはこれから鎌を持って山路を尋ね、馬糧(ばりょう)の草を()ってこい。なるべく巴城(はじょう)の裏山に面した所の奥深い山の草を刈って参れ」


 鎌をたずさえた草刈り部隊は、おのおの、城の裏山へ分け入った。

 次の日も、次の日も、草刈り隊はさかんに草を本隊へ運んだ。城中の厳顔は、これを知って、


「はて、張飛のやつ、何のつもりで、にわかに山の草を刈りだしたのか?」


 いかに城外から挑んでも、城を閉じて、相手にしなかったので、張飛もこの城へ手を下しようがなく、先頃から怏々(おうおう)として、作戦に窮していた(さま)はよくうかがわれたが、急に攻め口の活動も怠って、山路に兵を入れているのは、なんのためか、厳顔にも察しがつかなかった。

「鎌を持て。そして城の搦手(からめて)に集まれ」


 厳顔は、十名の物見を選んで、こういいつけた。

 密偵の者は、鎌を携えて夕方搦手門に集まった。厳顔が出てきて、こう密命をくだした。


「夜のうちに、裏山へ入りこみ、夜明けとなって、張飛の兵がやってきたら、巧みに、彼の草刈り隊にまぎれこみ、終日、草を刈って馬に積んだら、そのまま張飛の兵になりすまして、敵の本陣へついて行け。そして、彼らが何のために働いているか探り知ったら、早速、脱け出してその真相を城へ告げい。早く正しい報告を持って来た者へ順に恩賞を与えるであろう」

 草刈り兵になりすました厳顔の密偵たちは、心得て、おのおの夜のうちに山へかくれていた。

 翌日の夕方。

 例のとおり張飛の兵は、馬に草を積んでぞろぞろ本陣へ帰って行ったが、そのうちの組頭が、張飛の顔を見るといった。

「大将、決して労を惜しむわけではありませんが、雒城(らくじょう)へ通るには、何もあんな道なき所を()(ひら)かなくても、べつに、巴城(はじょう)の搦手の上から巴郡の西へ出る間道(かんどう)がありました。なぜあの隠し道をおすすみにならないのですか」

 すると、張飛は初めて知ったように、眼をみはって、

「何、何。そんな間道があったのか。馬鹿野郎っ。そのような道のあることを存じながら、なぜ今日まで黙っていたのだ」


 張飛の大喝は、獅子の()えるように、草刈り兵ばかりでなく、全軍を震えあがらせた。


「猶予はならん。すぐ進発の準備をしろ。ここの巴城などは打ち捨て、一路雒城へ通らんことこそ、おれの狙いだ。兵糧を()け、輜重(しちょう)を備えろ」


 にわかの軍令に、宵闇は一時大混雑を起した。

 二更、兵糧をつかう。

 三更、兵馬の隊伍成る。

 四更、月光を見ながら、(ばい)(ふく)み、馬は鈴を収め、降る露を浴びながら、粛々と山の隠し道へすすんで行く。

 厳顔の廻し者はかくと知るや、宵の間に、ここを脱出して、城中へ前後して走り帰った。

 一番に戻ってきた者も、二番に帰ってきた者の言葉も、次々の者のいう報告も、すべて一致していたので、

「さてこそ」
 と、厳顔は手を打っていった。

「あくまで、城方が出て戦わぬに気を悩まし、遂にここを避けて、間道より雒城へ押し通らん彼の所存とみゆる。――愚や、愚や張飛。それこそわが望むところ」


 厳顔もまた城中の勢をことごとく手分けして、勝手を知る間道の要所要所に、兵を伏せて待っていた。

 おそらくは、張飛の先陣、中軍が山を越える頃、輜重(しちょう)兵糧の車馬はなお遅れて遠く後陣にあろう。その頃、合図の鼓とともに、いちどに繰り出して、敵陣を寸断せよ。個々撃滅して、みなごろしにすべし――と厳顔は味方の武将につたえていた。

 やがて、木々のしげる間を、黒々と敵の先鋒中軍は通って行った。まぎれもない張飛の姿も見えた。それをやりすごして、輜重部隊の影を見た頃、

「今ぞ」

 と、厳顔は、合図の鼓を高らかに打たせた。

 四面の伏兵は、喊声(かんせい)をあげながら、まず敵行軍を両断し、後尾の輜重(しちょう)隊を包囲した。

 すると、おどろくべし。すでに先刻、中軍にあって先へ通って行ったはずの張飛が、その輜重隊から躍りでて、

厳顔老匹夫(げんがんろうひっぷ)、よく来た」


 と、大声にいった。

 厳顔は仰天して、馬からころげ落ちそうになった。

 振り向けば、豹頭炬眼(ひょうとうきょがん)、その虎髯(とらひげ)も張飛にまちがいはない。


「おうっ、出会うたは、幸いである。張飛うごくな」


 部下のてまえぜひなく彼は、敢然、馬をとばして、張飛の大矛へ、甲体を投げこんで行った。


「年よりの冷や水」


 あざ笑いながら、張飛は、丈八の矛も用いず、片手をのばして、厳顔の上帯(うわおび)をつかみよせてしまった。そして、

「それっ、受取れ」


 と、自分の部隊の中へほうり投げた。

 さすが、武芸のたしなみ深い老将なので、投げられても、(みにく)く腰は打たなかった。よろめく足を踏み止めて、直ちに四囲の雑兵と戦った。けれどいかにせん老齢だ。力尽きて、高手小手に縛りあげられてしまった。

 さきに中軍を率いて通った張飛らしいのは、部下の似ている者を偽装させた影武者だった。その先鋒も、またたちまち、取って返してきて城兵を蔽いつつんだ。

「厳顔はすでにわが軍の捕虜(とりこ)となったぞ。降る者はゆるす。刃向うものは八ツ裂きにして(しし)(おおかみ)の餌にするぞ」


 張飛の声を聞くと、城兵は争って(よろい)(ほこ)を投げ捨て、その大半以上、降人になった。こうして張飛は、ついに巴城(はじょう)に入って、郡中を治めた。

 法三条を出して、

 民ヲ(オカ)スナ

 旧城文物ヲ破壊スナ

 旧臣土民ヲ愛撫セヨ

 と掲げたので、巴城の土民は、

(張飛という大将は、聞くと見るとは、大きなちがいだ)

 と、みな彼になついた。

 張飛は、厳顔をひかせて、庁上から彼を見た。

 厳顔はひざまずかない。

 張飛は、眼をいからして、

「汝、礼を知らぬか」

 と、叱咤した。

 あざ笑って、厳顔は、

「われ、敵にする礼を知らず」

 と、冷やかに(うそぶ)いた。

 張飛は、(きざはし)をとび降りた。そして佩剣(はいけん)に手をかけて、

「老匹夫、たわ言をやめろ。今のうちに、降参するといわぬと、もうその首が前に落ちるぞ」


「そうか。……首よ。わが多年の首よ。おさらばであるぞ。……張飛、猶予すな、いざ、斬れっ」


 みずから(うなじ)をのばした。

 張飛はふいに彼のうしろへ寄ってその縄を解いた。そして手を取って庁上へいざない、みずから膝を折って再拝した。

「厳顔。あなたは真の武将だ。人の節義を辱めるはわが節義に恥じる。さっきからの無礼はゆるしたまえ」


「君。節義を知るか」


「聞かずや厳顔。皇叔と関羽と比べれば、この張飛など、なにほどのものではない」
「君ですらかくの如し。関羽や劉備はどんな立派な人だろう」

「どうか、その人々と、ともに交わって、蜀の民を安んじてやって下さい」


「いいだろう。君に従おう」
 厳顔は張飛の恩に感じて、ついに降伏をちかい、成都に入る計を教えた。
「ここから雒城(らくじょう)までの間だけでも、途中の関門には、大小三十七ヵ所の城がある。力業(ちからわざ)で通ろうとしたら百万の兵をもって三年かかっても難しいであろう。しかし、この厳顔が先に立って、我すらかくの如し、(いわん)や汝らをや――と(さと)してゆけば、風をのぞんで帰順するでしょう」

 事実、彼を先鋒に立てて進むほどに、関は門を開き、城は道を()いて、血を見ずにすべての要害を通ることができた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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