第125話、老将厳顔
文字数 7,369文字
蜀の張任は、白馬の主を、劉備とばかり思いこんでいたので、絶壁の上から遠く龐統の死を見とどけると、
と、歓喜して号令した。
山もゆるがす
このとき、魏延は龐統の中軍に先んじて、すでに遥かな前方へ進んでいたが、
「後続部隊に戦闘が起った――」
という伝令を受取って、
と考え、進路を後へ引っ返してきた。
ところが、途中、
「だめだ。伏兵がいる」
「人馬の死骸と岩石のために、洞門の口も
前隊の者が押し返してきてのことばに、魏延もいまは進退きわまってしまった。
ふたたび考え直すと、魏延は馬をめぐらして、さらに予定の前進をつづけた。
ようやく、
当然、それらの門々は、敵を見るや、
「みなごろしにせよ」
と、魏延をかこんだ。
指揮するものは呉蘭、雷同、音に聞えた蜀の大将である。中軍をあとに残して、頭部だけで敵地に入った魏延はもとより討死を覚悟した。ただ、
と、当るにまかせて血闘奮力の限りを尽した。
ときに突然、背面の山から、またまた、金鼓を鳴らし、
魏延も、いまは観念した。
ところへ、南路の山道から、
劉備の先鋒である黄忠が駆けつけて来た。それに続いて劉備の中軍も来た。ために、双方の戦力は伯仲して、いよいよ激戦の相をあらわしたが、劉備は、龐統が見えないのを怪しんで、
と、帰りには、街道の関門を突破して、引く潮のようにひきあげた。
関平、劉封などの留守隊は、涪城を出て、劉備を迎え入れた。時早くも、
「軍師龐統は、山中の落鳳坡とよぶ所にて、無惨な討死をとげた」という事実が、逃げかえってきた残兵の口から伝えられた。
劉備の悲嘆はいうまでもない。
馬を替えた事を思い起こし涙した。
魏延、劉封などは、
と、雪辱に
と、ただ堅きを守った。
そして
劉備の使いとして、関羽の養子関平が征地から帰ってきた。
さらに、劉備の書簡を出した。
孔明はそれを読んで泣いた。そしてすぐ主君の救援におもむくべく準備を令したが、案ぜられるのは、自分が出たあとの荊州の守りである。
孔明から説かれて、関羽は、
と、孔明は、劉備から預けられていた荊州総大将の
関羽は、拝受して、
と、感激していった。
孔明はよろこばない顔をした。関羽に、死を軽んずるような口ぶりがあったからである。一国を司どる者が、そのように一死を軽んずるようでは留守が案ぜられる。で彼は、関羽に、試問を呈してみた。
印綬の授受はすんだ。
関羽を輔佐する者としては文官に、
そして、孔明のひきいて行った荊州の精兵といえば、わずか一万に足らなかった。
張飛をその大将とし、
と、告げた。
二道に軍を分って立つ日、野宴を張って、
と、杯を挙げて、おたがいの前途を祝しあった。
別れにのぞんで、孔明は、張飛に忠言した。
張飛は拝謝して、勇躍、さきへ進んだ。
彼の率いた一万騎は、
やがて
蜀の名将
張飛は、城外十里へ寄せて、使いを立て、
と云い送った。
厳顔は、使いの耳と鼻を切って、城外へつまみ出した。張飛が
まっ先に馬をとばし、
けれど、城内は、城門を閉じ、防塁を堅固にして、一人も出て戦わなかった。のみならず、矢倉から首を出して、さんざんに張飛を悪罵したので、張飛は、
と日没まで猛攻をつづけた。
しかし、頑として、城は墜ちない。無二無三、城壁へとりついて、攀じ登ろうとした兵も、ひとり残らず、狙い撃ちの矢石にかかって、空壕の埋め草となるだけだった。
張飛は、そこに野営して、翌日も早天から攻めにかかった。すると矢倉の上に、老雄厳顔が初めて姿をあらわして、
と、からかった。
張飛の顔は
云った途端である。
厳顔の引きしぼった強弓の弦音が朝の大気をゆすぶって、ぴゅっと、一矢を送ってきた。張飛が、
と、馬のたてがみへ、身を伏せたので、矢は彼の兜の脳天に、はね返った。
幸いにも、鉢金は射抜けなかったが、じいんと烈しい金属的な衝撃が
さすがの張飛も、ふらふらと
張飛が敵に感心したことはめずらしい。しかし、敵を尊敬することによって、彼も、ただ力ずくな攻城がいかに労して効の少ないものかを教えられた。
城の一方にかなり高い丘陵がある。ここに登って彼は城内をうかがった。城兵の部署隊伍は整然としていて甚だ立派だ。張飛は、声の大きな部下を選んで、ここからさまざまな悪口を城中へ放送させた。
けれど、城の者は、一人も出てこないし、相手にもならない。
誘いの兵を少しばかり近づかせて、偽って逃げる
と、
百計も尽きたときに、苦悩の果てが一計を生む。人生、いつの場合も同じである。
張飛は、一策を案出した。
七、八百の兵をならべて命じた。
鎌をたずさえた草刈り部隊は、おのおの、城の裏山へ分け入った。
次の日も、次の日も、草刈り隊はさかんに草を本隊へ運んだ。城中の厳顔は、これを知って、
厳顔は、十名の物見を選んで、こういいつけた。
密偵の者は、鎌を携えて夕方搦手門に集まった。厳顔が出てきて、こう密命をくだした。
草刈り兵になりすました厳顔の密偵たちは、心得て、おのおの夜のうちに山へかくれていた。
翌日の夕方。
例のとおり張飛の兵は、馬に草を積んでぞろぞろ本陣へ帰って行ったが、そのうちの組頭が、張飛の顔を見るといった。
「大将、決して労を惜しむわけではありませんが、
すると、張飛は初めて知ったように、眼をみはって、
張飛の大喝は、獅子の
にわかの軍令に、宵闇は一時大混雑を起した。
二更、兵糧をつかう。
三更、兵馬の隊伍成る。
四更、月光を見ながら、
厳顔の廻し者はかくと知るや、宵の間に、ここを脱出して、城中へ前後して走り帰った。
一番に戻ってきた者も、二番に帰ってきた者の言葉も、次々の者のいう報告も、すべて一致していたので、
厳顔もまた城中の勢をことごとく手分けして、勝手を知る間道の要所要所に、兵を伏せて待っていた。
おそらくは、張飛の先陣、中軍が山を越える頃、
やがて、木々のしげる間を、黒々と敵の先鋒中軍は通って行った。まぎれもない張飛の姿も見えた。それをやりすごして、輜重部隊の影を見た頃、
と、厳顔は、合図の鼓を高らかに打たせた。
四面の伏兵は、
すると、おどろくべし。すでに先刻、中軍にあって先へ通って行ったはずの張飛が、その輜重隊から躍りでて、
と、大声にいった。
厳顔は仰天して、馬からころげ落ちそうになった。
振り向けば、
部下のてまえぜひなく彼は、敢然、馬をとばして、張飛の大矛へ、甲体を投げこんで行った。
と、自分の部隊の中へほうり投げた。
さすが、武芸のたしなみ深い老将なので、投げられても、
さきに中軍を率いて通った張飛らしいのは、部下の似ている者を偽装させた影武者だった。その先鋒も、またたちまち、取って返してきて城兵を蔽いつつんだ。
張飛の声を聞くと、城兵は争って
法三条を出して、
民ヲ
旧城文物ヲ破壊スナ
旧臣土民ヲ愛撫セヨ
と掲げたので、巴城の土民は、
(張飛という大将は、聞くと見るとは、大きなちがいだ)
と、みな彼になついた。
張飛は、厳顔をひかせて、庁上から彼を見た。
厳顔はひざまずかない。
張飛は、眼をいからして、
と、叱咤した。
あざ笑って、厳顔は、
と、冷やかに
張飛は、
みずから
張飛はふいに彼のうしろへ寄ってその縄を解いた。そして手を取って庁上へいざない、みずから膝を折って再拝した。
事実、彼を先鋒に立てて進むほどに、関は門を開き、城は道を
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