第85話、徐庶

文字数 9,902文字

 徐庶(じょしょ)の生い立ちを物語って、程昱のはなしは、まことにつまびらかであった。曹操は、それの終るのを待ちかねていたように、すぐ畳みかけて質問した。


「では、単福というのは、徐庶の仮名(けみょう)であったか」


「そうです、穎上の徐庶といえば、知る人も多いでしょうが、単福では、知る者もありますまい」


「聞けば聞くほど、ゆかしいもの。よほどな人物に違いない。曹仁、李典が敗れて帰ってきたのはむしろ道理である。……ああ」


 と、曹操は嘆声を発して、

「惜しい哉、惜しい哉、そういう人物を今日まで知らず、劉備の帷幕に抱えられてしまったことは。かならずや、後に大功を立てるであろう」


「丞相。そのご嘆声はまだ早いかと存ぜられます」


「なぜか」


「徐庶が劉備に随身したのは、ごく最近のことと思われますから」

「それにしても、すでに軍師の任をうけたとあれば」


「かれが、劉備のために大功をあらわさぬうちに、その(こころ)を一転させることは、できなくはありません」


「ほ。その理由(わけ)は?」


「徐庶は、幼少のとき、早く父をうしない、ひとりの老母しかおりません。その老母は、彼の弟徐康(じょこう)の家におりましたが、その弟も、近ごろ夭折(わかじに)したので、朝夕親しく老母に孝養する者がいないわけです。――ところが徐庶その人は、幼少より親孝行で評判だったくらいですから、彼の胸中は、今、旦暮(たんぼ)、老母を想うの情がいっぱいだろうと推察されます」

「なるほど――」


「故にいま、人をつかわして、ねんごろに老母をこれへ呼びよせ、丞相より親しくおさとしあって、老母をして子の徐庶を迎えさせるようになすったら、孝子徐庶は、夜を日についで都へ駈けて参るでしょう」

「むむ。いかにも、おもしろい考えだ。さっそく、老母へ書簡をつかわしてみよう」


 日を経て、徐庶の母は、都へ迎えとられて来た。使者の鄭重、府門の案内、下へも置かない扱いである。

 けれど、見たところ、それは平凡な田舎の一老婆でしかない。まことに質朴そのものの姿である。幾人もの子を生んだ小柄な体は、腰が曲がりかけているため、よけい小さく見える。人に馴れない山鳩のような眼をして、おどおどと、貴賓閣に上がり、あまりに豪壮絢爛(ごうそうけんらん)な四壁の中におかれて、すこし頭痛でも覚えてきたように迷惑顔をしていた。

 やがてのこと、曹操は群臣を従えて、これへ現れたが、老母を見ると、まるでわが母を拝するようにねぎらって、

「ときに、おっ母さん、あなたの子、徐元直(じょげんちょく)はいま、単福と変名して、新野の劉備玄徳に仕えておるそうですな。どうしてあんな一定の領地も持たない漂泊(ひょうはく)の賊党などに組しておるのですか。――可惜(あたら)、天下の奇才を抱きながら」


 と、ことばもわざと俗に噛みくだいて、やんわりと問いかけた。

 老母は、答を知らない。相かわらず、山鳩のような小さい眼を、しょぼしょぼさせて、曹操の顔を仰いでいるだけだった。

 無理もない――

 曹操は、充分に察しながら、なおもやさしく、こういった。

「のう、そうではないか、徐庶ほどな人物が、何を好んで、劉備などに仕えたものか。まさか、おっ母さんの同意ではあるまいが。――しかも劉備は、やがて征伐される運命にある逆臣ですぞ」


「…………」


「もし、あなたまでが同意で奉公に出したなら、それは掌中の珠をわざわざ泥のうちへ落したようなものだ」


「…………」


「どうじゃな、おっ母さん。あんたから徐庶へ手紙を一通書かれたら? ……。わしは深くあなたの子の天質を惜しんでおる。もしあなたが我が子をこれへ招きよせて、よき大将にしたいというなら、この曹操から、天子へ奏聞(そうもん)いたして、かならず栄職を授け、またこの都の内に、宏壮な庭園や美しい邸宅に、多くの召使いをつけて住まわせるが……」

 すると、――老母は初めて(くち)をひらいた。何かいおうとするらしい容子に、曹操はすぐ唇をとじて、いたわるようにその面を見まもった。


「丞相さま。この(おうな)は、ごらんの通りな田舎者、世のことは、何もわきまえませぬが、ただ劉備玄徳というお方のうわさは、木を()山樵(やまがつ)でも、田に牛を追う爺でも、よう口にして申しておりまするが」


「ほ。……何というているか」


劉皇叔(りゅうこうしゅく)こそ、民のために生れ出て下された当世の英雄じゃ、まことの仁君じゃと」


「はははは」
 曹操はわざと高く笑って、
田野(でんや)黄童(こうどう)白叟(はくそう)が何を知ろうぞ。あれは沛郡(はいぐん)匹夫(ひっぷ)に生れ、若くして(くつ)を売り、(むしろ)を織り、たまたま、乱に乗じては無頼者(あぶれもの)をあつめて無名の旗をかざし、うわべは君子の如く装って内に悪逆を(たくら)不逞(ふてい)な人物。地方民をだましては、地方民を苦しめて歩く流賊の(たぐい)にすぎん」

「……はてのう。媼が聞いている世評とは、たいそう違いすぎまする。劉備玄徳さまこそ、漢の景帝が玄孫におわし、尭舜(ぎょうしゅん)の風を学び、禹湯(うとう)の徳を抱くお方。身を屈して貴をまねき、己を粗にして人を貴ぶ。……そうたたえぬものはありませぬがの」


「みな劉備の詐術(さじゅつ)というもの。彼ほど巧みな()君子はない。そんな者にあざむかれて、万代に悪名を残さんよりは、今もいうた通り、徐庶へ手紙を書いたがよかろう。のう老母、ひと筆書け」


「さあ? ……それは」


「何を迷う。わが子のため、また、そなた自身の老後のために。……筆、(すずり)もそこにある。ちょっと(したた)めたがいい」

「いえ。いえ」


 老母は、にわかにきつくかぶりを振った。


「わが子のためじゃ。――たといここに生命(いのち)を落そうと、母たるこの媼は、決して筆はとりませぬ」


「なに。嫌じゃと」


「いかに草家の媼とて、順逆の道ぐらいは知っておりまする。漢の逆臣とは、すなわち、丞相さま、あなた自身ではないか。――何でわが子を、盟主から去らせて、暗きに向わせられようか」


「うむ、婆! この曹操を逆臣というたな」


「云いました。たとい(やせ)浪人の母として、世を細々としのごうとも、お許のごとき悪逆の手先にわが子を仕えさすことはなりませぬ」


 きっぱりと云いきった。そして、さっきから目の前に押しつけられていた筆を取るやいな、やにわに庭へ投げ捨ててしまった。当然曹操が激怒して、このくそ婆を斬れと、呶号して突っ立つと、とたんに、老母の手はまた(すずり)をつかんで、はっしと、曹操にそれを投げつけた。


「斬れっ、婆の細首をねじ切って取り捨てろっ」


 曹操の呶号に、武士たちは、どっと寄って、老母の両手を高く(らっ)した。

 老母は自若(じじゃく)としてさわがない。曹操はいよいよ(ごう)を煮やして、自ら剣を握った。


「丞相、大人げないではありませんか」


 程昱(ていいく)は、間に立って、なだめた。

 彼はいう。


「ごらんなさい。この老母の自若たる態を。――老母が丞相をののしったのは、自分から死を求めている証拠です。丞相のお手にかかって殺されたら、子の徐庶は、母の敵と、いよいよ心を磨いて、劉備に仕えましょうし、丞相は、かよわき老母を殺せりと、世上の同情を失われましょう。――そこに老母は自分の一命を価値づけ、ここで死ぬこそ願いなれと、心のうちでホホ笑んでいるにちがいありません」

「ううム、そうか。――しからばこの婆をどう処分するか」


「大切に養っておくに限ります。――さすれば徐庶も、身は劉備に寄せていても、心は老母の所にあって、思うまま丞相に敵対はなりますまい」


「程昱、よいように計らえ」


「承知しました。老母の身は、私が大切に預かりましょう。……なお一策がありますが、それはまた後で」


 彼は自分の邸へ、徐庶の母をつれて帰った。


「むかし同門の頃、徐庶と私とは兄弟のようにしていたものです。偶然あなたを家に迎えて、何だか自分の母が還ってきたような気がします」


 程昱は、そういって朝夕の世話も実の母に仕えるようだった。

 けれど、徐庶の母は、贅美(ぜいび)をきらい、家族にも遠慮がちに見えるので、別に近くの閑静な一屋へ移して、安らかに住まわせた。

 そして折々に珍しい食物とか衣服など持たせてやるので、徐庶の母も、程昱(ていいく)の親切にほだされて、たびたび、礼の文など返してきた。

 程昱は、その手紙を丹念に保存して、老母の筆ぐせを手習いしていた。そしてひそかに主君曹操としめし合い、ついに巧妙なる老母の(にせ)手紙を作った。いうまでもなく、新野にある老母の子徐庶へ宛てて認めた文章である。

 単福(たんふく)――実は徐元直(じょげんちょく)はその後、新野にあって、質朴な一邸を構え、召使いなども至って少なく、閑居の日は、もっぱら読書などに親しんで暮していた。

 すると或る日の夕べ、門辺を叩く男がある。母の使いと、耳に聞えたので、徐庶は自身走り出て、

「母上に、何ぞ、お変りでもあったのか」

 と、訊ねると、使いの男は、

「お文にて候や」と、すぐ一通の手紙を出して徐庶の手にわたし、

「てまえは他家の下僕(しもべ)ですから、何事も存じません」と、立ち去ってしまった。

 自分の居間にもどるやいな、徐庶は燈火(ともしび)をかきたてて、母の文をひらいた。孝心のあつい彼は母の筆を見るともう母のすがたを見る心地がして、眼には涙が溜ってくる――

(しょ)よ、庶よ。つつがないか。わが身も無事ではいるが、弟の康は亡くなってしもうたし、孤独の侘しさといってはない。そこへまた、曹丞相の命で、わが身は許都へさし立てられた。子が逆臣に(くみ)したという(とが)で、母にも縲紲(るいせつ)の責めが降りかかった。が、幸いにも程昱の情けに扶けられ安楽にはしているが、どうぞ、そなたも一日も早く母の側に来てたもれ。母に顔を見せて下され――

 ここまで読むと徐庶は、潸然(さんぜん)流涕(りゅうてい)して燭も(めっ)すばかり独り泣いた。



 次の日の朝まだき。

 徐庶は小鳥の声とともに邸を出ていた。ゆうべは夜もすがら寝もやらずに明かしたらしい(まぶた)である。今朝、新野の城門を通った者では、彼が一番早かった。

「単福ではないか。いつにない早い出仕。何事が起ったのか」

 劉備は、彼をみて、その()えない顔色に、まず、憂いをともにした。

 徐庶は、面を沈めたまま、黙拝また黙拝して、ようやく眉をあげた。


「ご主君。あらためて、今日、お詫びしなければならないことがございます」


「どうしたのか」


「実は、単福と申す名は、故郷の難をのがれてきたときの仮名(かりな)です。まこと私は、潁上(えいじょう)の生れ徐庶(じょしょ)(あざな)元直(げんちょく)と申すものです。初め、荊州(けいしゅう)の劉表は当代の賢者なりと聞いて、仕官に赴きましたが、ともに道を論じても、実際の政治を見ても、無用の凡君なりと知りました。で、一書をのこして、同地を去り、悶々(もんもん)司馬徽(しばき)が山荘に行って、事の次第を語りましたところ、水鏡(すいきょう)先生には、拙者を叱って、――汝、眼をそなえながら、人を見るに何たる不明ぞや。いま新野に劉予州あり、行いて予州に仕えよ――とのおことばでした」
「水鏡先生の推薦でしたか」
「それで、拙者は、さっそく新野に行きましたが、なんの手づるとてない素浪人、折もあれば、拝姿の機会あるべしと、日々、戯歌(ぎか)をうたって、町をさまようておりました。そのうちに、念願が届いて、ついにわが君に随身の機縁を得、なお素姓も定かならぬそれがしを、深くお信じ下されて、軍師の(べん)を賜わるなど、過分なご恩は忘れんとしても忘れることはできません。――士は己を知る者の為に死す、以来、心ひそかに誓っていた心は、それ以外ありませんでした」
「…………」
「ところが。……これ、ご覧下さりませ」
 と、徐庶は母の文を取りだして、劉備に示しながら、
「かくの如く、昨夜、老母より手紙が参りました。愚痴には似たれど、この老母ほど、世に薄命なものはございません。良人には早く別れ、やさしき子には先立たれ、いまは拙者ひとりを、杖とも力ともしておるのでした。しかるに、この文面によれば、許都(きょと)(とら)われて、明け暮れ悲嘆にくれておるらしゅうございます。元来、自分は幼年から武芸が好きで、郷里におれば郷党と喧嘩ばかりし、罪を得ては流浪するなど、母親に心配ばかりかけてきました。――それ故つねに心のうちでは、不孝を詫びておりまする。母を思うといても立ってもいられないのです。……実に実に……申し上げにくい儀にはござりますが、どうぞ拙者に、しばらくのお暇をおつかわし下さい。許都へ行って母をなぐさめたいのです。母に老後の安心を与え、母の行く末を見終りましたら、かならず再び帰ってきます。――わが君さえ棄て給わずば、きっと帰参いたしますゆえ、それまでのお暇をいただきたいのでございまする」

「ああ、よいとも……」


 劉備は快く承諾した。彼ももらい泣きして、眼には涙をいっぱいたたえていた。

 劉備にもかつては母があった。世の母を思うとき、今は亡きわが母を憶わずにいられない。


「なんで御身の孝養を止めよう。母います日こそ尊い。くれぐれ恩愛の道にそむき給うな」


 終日、ふたりは尽きぬ名残を語り暮していた。

 夜に入っては、幕将すべてを集めて、彼のために餞行(せんこう)(えん)を盛んにした。餞行の宴――つまり送別会である。


 一杯また一杯、別れを惜しんで、宴は夜半に及んだ。

 けれど徐庶は、酔わない。

 時折、杯をわすれて、こう嘆じた。


「ひとりの母が、許都に囚われたと知ってからは、(あわ)にも粟の味わいなく、酒にも酒の香りはありません。金波玉液(きんぱぎょくえき)も喉にむなしです。人間、恩愛の情には、つくづく弱いものだと思いました」


「いや、無理もない。まだ主従の日も浅いのに、いまご辺と別れるにのぞんで、この劉備ですら、左右の手を失うような心地がする。龍肝(りゅうかん)鳳髄(ほうずい)も舌に甘からずです……」


 いつか、夜が白みかけた。

 諸大将も、惜別(せきべつ)のことばを繰返しながら、最後の別杯をあげて、各自、休息に退がった。

 まどろむほどの間もないが、(しょう)に寄って、劉備もひとり居眠っていると、孫乾(そんけん)がそっと訪ねて、


「わが君。どう考えても、徐庶を許都へやるのは、大きな不利です。あのような大才を、曹操の所へわざわざ送ってやるなど、愚の至りです。何とか彼をお引きとめになったら、如何ですか。今のうちなら、いかなる策も施せましょう」

 と、囁いた。

 劉備は、黙然としていた。

 孫乾は、なお語を強めて、

「それのみならず、徐庶は、味方の兵数、内状、すべてに精通していますから、その智を得て、曹操の大軍が()せてきたら、如何とも防ぎはつきますまい」


「…………」


()を転じて、福となすには、徐庶をこの地に引きとどめるのです。必然、曹操は、徐庶に見切りをつけて、その母を殺すでしょう。しかる時には、徐庶にとって、曹操は母の仇となりますから、いよいよ敵意を励まして、彼を打ち敗ることに、生涯を賭けるにちがいありません」
「だまれ」

 劉備は、胸を正した。


「いけない。そんな不仁なことは自分にはできない。――思うてもみよ。人にその母を殺させて、その子を、自分の利に用いるなど、君たるもののすることか。たとい、劉備が、この一事のため、亡ぶ日を招くとも、そんな不義なことは断じてできぬ」

 彼は、身支度して、早くも帳裡(ちょうり)から出て行った。馬をひけ、と侍臣へ命じる。小禽は朝晴を歌っていた。けれど劉備の面は決して今朝の空のようではない。

 関羽、張飛などが騎従した。劉備は城外まで、徐庶の出発を見送るつもりらしい。人々はその深情に感じもし、また徐庶の光栄をうらやみもした。

 郊外の長亭まで来た。徐庶は恐縮のあまり、


「もう、どうぞここで」
 と、送行を辞した。

「では、ここで別れの中食をとろう」


 と、一亭のうちで、また別杯を酌んだ。

 劉備は、しみじみと、


「御身と別になっては、もう御身から明らかな道を訊くこともできなくなった。けれど、誰に仕えても、道に変りはない。どうか新しい主君にまみえても、よく忠節を尽され、よく孝行をして、士道の本分を完うされるように」

 と、繰返していった。

 徐庶はなみだを流して、

「おことば有難う存じます。才浅く、智乏しい身をもって、君の重恩をこうむりながら、不幸、半途でお別れのやむなきに至り、慚愧(ざんき)にたえません。母を養うねがいは切々にありますが、曹操にまみえて、どう臣節を保てましょうか、自信は持ち得ません」

「自分も、ご辺という者を失っては、何か、大きな気落ちを、どうしようもない。いっそ、現世の望みを断って、山林にでも隠れたい気がする」


「かいなきことを仰せられますな、それがし如き菲才(ひさい)を捨てて、より良き賢士をお招きあれば、ご武運はさらに赫々(かっかく)たるものです」


「ご辺に(まさ)る賢士など、おそらく当代には求められまい。絶対に、ないといえよう」


 劉備は沈痛な語気でいった。


襄陽(じょうよう)の街を西へへだつこと二十里、隆中(りゅうちゅう)という一村落があります。そこに一人の大賢人がいます」

「隆中に、賢人ありとは、かつてまだ聞いていなかった。それは真実(ほんと)のことか」


「その人は、極めて、名利に超越し、交わる人たちも、限られていますから、彼の賢を知るものは、ごく少数しかないわけです。――それに、君には、新野(しんや)の地にもまだ日浅く、周囲には荊州の武弁(ぶべん)、都県の俗吏しか近づいていませんから、ご存じないのは当然です」

「その人と、ご辺との縁故は」


「年来の道友です」


「経綸済世の才、ご辺みずから、その人と比しては?」


「拙者ごときの類ではありません。――それを今日の人物と比較することは困難で、古人に求めれば、周の太公望(たいこうぼう)、漢の張子房(ちょうしぼう)などなら、彼と比肩(ひけん)できるかもしれませぬ」


「ご辺と友人のあいだならば、願うてもないこと、旅途を一日のばして、劉備のために、その人を新野へ(ともの)うてはくれまいか」


「いけません」


 にべもなく、徐庶は、顔を横に振った。


「どうして、彼が、拙者の迎えぐらいで出て参るものですか。――君ご自身、彼の柴門(さいもん)をたたいて、親しくお召し遊ばさねばだめでしょう」


「ねがわくば、その人の名を聞こう。――徐庶、もっとつまびらかに語り給え」


「その人の生地は瑯琊(ろうや)陽都(ようと)山東省(さんとうしょう)・泰山南方)と聞き及んでおります。漢の司隷校尉(しれいこうい)諸葛豊(しょかつほう)後胤(こういん)で、父を諸葛珪(しょかつけい)といい、泰山の郡丞(ぐんじょう)を勤めていたそうですが、早世されたので、叔父の諸葛玄(しょかつげん)にしたがって、兄弟らみなこの地方に移住し、後、一弟と共に、隆中に草廬(そうろ)をむすび、時に耕し、時に書をひらき、好んで梁父(りょうほ)の詩をよく吟じます。家のあるところ、一つの岡をなしているので里人これを臥龍岡(がりゅうこう)とよび、またその人をさして臥龍先生とも称しています。――すなわち、諸葛亮(しょかつりょう)(あざな)孔明(こうめい)。まず当代の大才といっては、拙者の知る限りにおいて、彼をおいては、ほかに人はありません」

「……ああ。いま思い出した」


 劉備は肚の底から長息を吐いて、さらにこう訊ねた。


「それで思い当ることがある。いつか司馬徽(しばき)の山荘で、司馬徽のいうには、いま伏龍(ふくりゅう)鳳雛(ほうすう)、二人のうちその一人を得れば、天下を定めるに足らんと。――で、自分が幾度か、その名を訊ねてみたが、明かされなかった。――もしや、諸葛孔明(しょかつこうめい)とはその人ではあるまいか」


「そうです。伏龍(ふくりゅう)、それがすなわち孔明のことです」


「では、鳳雛(ほうすう)とは、ご辺のことか」


「否! 否!」


 徐庶はあわてて、手を振っていった。


「鳳雛とは襄陽の龐統(ほうとう)(あざな)士元(しげん)という者のこと。わたしごときの綽名(あだな)ではありません」

「それではじめて、伏龍、鳳雛の疑いも晴れた。ああ知らなかった! 現在、自分も共に住むこの山河や市村の間に、そんな大賢人が隠れていようとは」


「では、かならず孔明の()をお訪ねあそばすように」

 徐庶は、最後の拝をして、許都へと去った。



 泊りを重ねて、徐庶が、都へ着いたときは、冬になっていた。――建安十二年の十一月だった。

 すぐ相府に出て、着京の由を届けると、曹操は、荀彧(じゅんいく)程昱(ていいく)のふたりをして、鄭重(ていちょう)に迎えさせ、翌日、曹操自身、彼を引いて対面した。

「ご辺が、徐庶元直(じょしょげんちょく)か。老母は息災であるから、まずその儀は安心したがよいぞ」


「ご恩をふかく謝します――」
 と徐庶はまず拝礼して、
「して、母はどこにおりましょうか。願わくは、一刻も早く、遠路より来た愚子に対面をおゆるし下さい」

 と、いった。

 曹操は、幾度もうなずいて見せたが、

「お身の老母は、つねに程昱に守らせて、朝夕、何不自由なくさせてあるが、今日はご辺がこれに参るとのことに、彼方の一堂に迎えてある。後刻ゆるりと会うもよし、またこれからは、長く側に仕えて、子たるの道をつくせ。予もまたそちの側に在って、日々、有義な教えを聞きたい」
「丞相の慈念(じねん)をこうむり、徐庶は愧感(きかん)にたえません」

「だが、ご辺のような、孝心に篤い、そして達見高明の士が、なんで身を屈して劉備などに仕えたのか」


「偶然なる一朝の縁でございましょう。放浪のうち、ふと新野で拾い上げられたに過ぎません」


 さりげなく、二、三の雑談を交わして後、やがて、徐庶は曹操のゆるしを得て、奥の一堂にいる老母のところへ会いに行った。


「あの内においでなされる」


 と、案内の者は、指さしてすぐ戻って行く。――徐庶は清らかな園の一方に見える一棟を見るよりもう胸がいっぱいになっていた。彼は、そこの堂下にぬかずいて、


「母上! 徐庶です。徐庶が参りました」

 と、声をかけた。

 すると、彼の老母は、さも意外そうに、わが子のすがたを見まもって訊ねた。

「おやっ? 元直ではないか。そなたは近頃、新野にあって、劉備玄徳さまに仕えておると聞き、よそながら歓んでいたものを。……なんでこれへ来やったか?」


「えっ。不審(いぶか)しいことを仰っしゃいます。母上よりのお手紙に接し、主君よりおいとまを乞うて夜を日についでこれへ駈けつけて参りましたものを」


「何をうろたえて。……この母の(はら)から生れ出ながら、年三十有余にもなって、まだこの母が、そのような文を子に書く母か否かわからぬか」


「でも、……このお手紙は」


 と、出発の前に、新野で受け取った書簡を出してみせると、老母は、もってのほか怒って、顔の色まで変じ、


「これ! 元直」


 と、身を正して叱った。


「そなたは、(いとけな)き頃から儒学をおさめ、長じては世上を流浪しやることも十数年、世上の艱苦(かんく)、人なかの辛苦も、みな生ける学びぞと、常にこの母は、身の孤独も思わず、ただただそなたの修業の積むことのみ、陰で楽しみにしていたに――、このような偽文(にせぶみ)を受け取って、その真偽も正さず、大切なご主君を捨てて来るとは何ごとか」
「あっ……では……それは母上のお筆ではありませんでしたか」
「孝に眼をあけているつもりでも、忠には盲目(めしい)。そちの修業は片目とみゆる。いま劉備さまは、帝室の(ちゅう)たり、英才すぐれておわすのみか、民みなお慕い申しあげておる。そのような君に召しつかわれ、そちの大幸、母も誉れぞと、ひそかに忠義を祈っていたものを……。いや、むしろこれでよかったのかもしれない。このような策に引っかかるような半端者は劉備さまのもとにいない方が、かえって良かったのかも知れないのう」

 母の悲しげな声に、徐庶は、慚愧(ざんき)に打たれて、自身の不覚を悔い、泣き伏したまま悩乱(のうらん)の面も上げず、うっ伏した。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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