第45話、献帝の受難
文字数 5,772文字
李傕の陣中には、
「神さまのお告げには」と、妖しげなご託宣を、李傕へ授けるのであった。
李傕は、おそろしく信用する。何をやるにもすぐ巫女を呼ぶ。そして神さまのお告げを聴く。
巫女の降す神は邪神とみえ、李傕は天道も人道も怖れない。いよいよ乱を好んで、
彼と同郷の産、
李傕は、嘲笑って、
と、反問した。
皇甫酈もニヤリとして、
と、答えた。
彼は、弁舌家なので、
李傕は、いきなり剣を抜いて、彼の顔に突きつけ、
すると、
と、楊奉は、皇甫酈を、外へ連れ出して放してやった。
皇甫酈は、まったく、帝のお頼みをうけて、和睦の勧告に来たのだったが、失敗に終ったのでそこから西涼へ落ちてしまった。
だが、
と、云いふらした。
ひそかに、帝に近づいていた賈詡も、暗に、世間の悪評を裏書きするようなことを、兵の間にささやいて、李傕の兵力を、内部から切りくずしていた。
「謀士賈詡さえ、ああ云うくらいだから、見込みはない」
脱走して、他国や郷土へ落ちてゆく兵がぼつぼつ増えだした。
そういう兵には、
と、云いふくめた。
一隊、一隊と、目に見えて、李傕の兵は、夜の明けるたび減って行った。
李傕は、
考えても、分からなかった。
「楽しまないのは、この宋果ばかりではない。おれの部下も、営内の兵は皆、あんなに元気がない。これというのも、われわれの大将が将士を愛する道を知らないからだ――悪いことはみな兵のせいにし、よいことがあれば、巫女の霊験と思っている」
「ううム。……まったく、ああいう大将の下にいたら、将士も情けないものだ。われわれは常に、十死に一生をひろい、草を喰い石に臥し修羅の中に生命をさらして働いている者だが……その働きはあの巫女にも及ばないのだから」
と、同僚の宋果は、一大決心を、楊奉の耳へささやいた。
その夜の二
ところが、時刻になっても、火の手はあがらない。物見を出してうかがわせると、事前に発覚して、宋果は、李傕に捕われて、もう首を刎ねられてしまったとある。
と、狼狽しているところへ、李傕の討手が、楊奉の陣へ殺到して来た。すべてが喰い違って、楊奉は度を失い、四更の頃まで抗戦したが、さんざんに打負かされて、彼はついに夜明けとともに、
李傕の方では、凱歌をあげたが、実はかえって大きな味方の一勢力を失ったのだ。――日をおうに従って、彼の兵力はいちじるしく衰弱を呈してきた。
一方、郭汜軍も、ようやく、戦い疲れていた。そこへ、
いやといえば、新手の張済軍に叩きのめされるおそれがあるので、
と、和解した。
質となっていた百官も解放され、帝もはじめて眉をひらいた。帝は張済の功を
張済のすすめに、帝も御心をうごかした。
帝には、洛陽の旧都を慕うこと切なるものがあった。春夏秋冬、洛陽の地には忘れがたい魅力があった。
弘農は、旧都に近い。
張済は長安に残り、荒廃した長安の立て直しを図った。
帝の護衛には李傕がついた。
折しも、秋の半ば、帝と皇后の
行けども行けども満目の曠野である。時しも秋の半ば、
旅の雨にあせた帝の御衣には
吹く風の身に沁みるまま帝は簾のうちから訊かれた。薄暮の野に、白い一水が
間もなく、その橋の上へ、御車がかかった。すると、一団の兵馬が、行手をふさぎ、
「車上の人間は何ものだ」と、咎めた。
侍中郎の
と、叱咤した。
すると、大将らしい者二人、はっと威に恐れて馬を降り、
「われわれどもは、
楊琦は、御車の簾をかかげて見せた。帝のお姿をちらと仰ぐと、橋を固めていた兵は、われを忘れて、万歳を唱えた。
御車が通ってしまった後から、郭汜が馳けつけて来た。そして、二人の大将を呼びつけるなり呶鳴りつけた。
「でも、橋を固めておれとのお指図はうけましたが、帝の玉体を奪い取れとはいいつかりませんでした」
と、二人の将を、立ちどころに
そして、声荒く、
と、
次の日、御車が
振向けば、郭汜の兵馬が、
前後を護る御林の兵も、きわめて僅かしかいないし、李傕もすでに、長安で暴れていたほどの面影はない。
「郭汜だ。どうしよう」
「おお! もうそこへ」
宮人たちは、逃げまどい、車の陰にひそみ、唯うろたえるのみだったが――時しもあれ一
意外。意外。
帝を護る人々にも、帝の御車を追いかけて来た郭汜にも、それはまったく意外な者の出現だった。
見れば――
その勢一千余騎。まっ黒に馳け向って来る軍の上には「
「あっ。楊奉?」
誰も、その旗には、目をみはったであろう。先頃、李傕に
楊奉の部下に、
栗色の
郭汜の手勢を
と、徐晃にいいつけた。
と、徐晃は、火焔の如き血の
御車を楯に隠れていた李傕とその部下は、戦う勇気もなくみな逃げ
楊奉は、やがて戟をおさめると、兵を整列させて、御車を遥拝させた。そして彼自身は、兜を手に持って、帝の
帝は、歓びのあまり御車を降りて、楊奉の手を取られた。
と、訊ねられた。
楊奉は、徐晃をさしまねいて、
と奏して、徐晃にも、光栄を
その夜。
帝の御車は、
夜明け方、そこを出発なさろうと準備していると、「敵だッ」と、思わぬ声が走った。
朝討ちを狙って来た昨日の敵の逆襲だった。しかも昨日に数倍する大軍で
楊奉におわれた
(ここはお互いに団結して、邪魔者の楊奉を除いてしまおうではないか。さもないと、二人とも、憂き目を見るにきまっている)と、にわかに、協力しだして、昨夜からひそかに
折から、幸いにも、帝の
「やるな、御車を」
「帝を渡せ」
と、郭汜、李傕の部下は、叱咤されながら、御車を追いかけて来た。
楊奉は、その敵が、雑多な雑軍なのを見て、
と、帝や
皇后には、珠の冠や胸飾りを、帝には座右の
宮人や武将たちも、衣をはぎ、金帯をはずし、生命にはかえられないと、持つ物をみな撒き捨てて奔った。
「やあ、珠が落ちてる」
「
「
追いかけて来た兵は皆、
と、李傕や郭汜が、馬で蹴ちらして
「すでに、李傕と郭汜の軍が先回りしているようです」
物見の兵が言った。
物見の兵に弘農への道を探らせたところ、すでに李傕と郭汜の兵が道を抑えていた。
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