第88話、敵討ち

文字数 7,335文字

 (こう)はみだれて雲にかくれ、柳桃(りゅうとう)は風に騒いで江岸の春を(くろ)うした。

 舳艫(じくろ)をそろえて、溯江(そこう)する兵帆何百艘、飛報は早くも、

「たいへん!」

 と、江夏に急を告げ、また急を告げてゆく。

 黄祖の驚きはひと通りではない。

 が、――先に勝った覚えがある。


「呉人の青二才ども、何するものぞ」


 蘇飛(そひ)を大将として、陳就(ちんじゅ)鄧龍(とうりゅう)を先鋒として、江上に迎撃すべく、兵船をおし出し、準備おさおさ怠りない。

 大江の波は立ち騒いだ。

 呉軍は、沔口(べんこう)の水面をおもむろに制圧し、市街の湾口へとつめてきた。

 守備軍は、小舟をあつめて、江岸一帯に、舟の(とりで)を作り、大小の弩弓(どきゅう)をかけつらね、一せいに射かけてきた。

 呉の船は、さんざん射立てられ、各船、進路を乱して逃げまどうと、水底には縦横に大索(おおなわ)を張りめぐらしてあることとて、櫓を奪われ、(かじ)を折り、

「大勢、ふたたび不利か」

 と、一時は、周瑜(しゅうゆ)をして、眉をくもらせたほどだった。

 時に、甘寧は、

「いで。これからだ」


 と、董襲(とうしゅう)にもうながし、かねてしめし合わせておいたとおり、決死、敵前に駆け上がるべく、合図の旗を檣頭(しょうとう)にかかげた。

 百余艘の早舟は、たちまち、江上に下ろされて、それに二十人、三十人と、死をものともせぬ兵が飛びのった。

 波間にとどろく金鼓(きんこ)喊声(かんせい)につれて、決死の早舟隊は、無二無三、陸へ迫ってゆく。

 或る者は、水中の張り綱を切りながし、或る者は、氷雨(ひさめ)と飛んでくる矢を払い、また、(みよし)に突っ立った弓手は、眼をふさいで、陸上の敵へ、射返して進んで行った。

「防げ」

「陸へ上げるな」

 敵の小舟も、揉みに揉む。

 そして、火を投げ、油をふりかけてくる。

 白波は、天に()え、血は大江を夕空の如く染めた。

 黄祖の先鋒の大将、陳就(ちんじゅ)は岸へとび上がって、

「残念、舟手の先陣は、破られたか。二陣、(くが)(さく)をかためろ」

 声をからして、左右の郎党に下知しているのを、呂蒙(りょもう)が見つけて、


「うごくなっ」

 と、近づいた。

 岸へとび上がるやいな、槍をふるって突きかけた。――陳就は、あわてて、

「やっ、呉の呂蒙(りょもう)か」
 と、剣をふるって、防ぎながら、

「気をつけろ。もう敵は上陸(あが)っているぞ」


 と、部下へ注意しながら逃げ惑った。

 こうまで早く、敵が陸地に迫っていようとは思っていなかったらしい。呂蒙は、


「おのれ、名を惜しまぬか」

 と、陳就を追って、うしろから大剣を抜いて、首をあげた。

 舟手の崩滅(ほうめつ)を救わんものと、大将の蘇飛(そひ)は、江岸まで馬をすすめてきた。――それと見た呉軍の将士は、

「われこそ」と、功にはやって、蘇飛(そひ)のまわりへむらがり寄ったが、()にとびつく夏の虫のように、彼のまわりに、死屍を積みかさねるばかりだった。

 すると、呉の一将に、潘璋(はんしょう)という剛の者があった。立ち騒ぐ敵味方のあいだを駆けぬけ、真っ直ぐに、蘇飛のそばへ近づいて行ったかと思うと、馬上のまま引っ組んで、さすがの蘇飛をも自由に働けず、とらえられた。


 呉はここに、陸海軍とも大勝を博したので、勢いに乗って、水陸から敵の本城へ攻めよせた。

 さしも長い年月、ここに、

江夏(こうか)黄祖(こうそ)あり)

 と誇っていた地盤も、いまは(あと)かたもなく呉軍の蹂躙(じゅうりん)するところとなった。


 やがて、江夏城の上に、黒煙があがり、望閣楼殿(ぼうかくろうでん)すべて焔と化した頃、大将黄祖は、さんざん討ちくずされて、部下わずか二十騎ばかりに守られながら東門から駆けだして来た。

 すると、道の傍らから、鉄甲五、六騎ばかり、不意に黄祖の横へ喚きかかった。

 見ると、それは呉の宿将程普(ていふ)とその家臣たちであった。

 程普が、きょうの戦いに、深く期して、黄祖の首を狙っていたのは当然である。

 黄祖のために、むなしく遠征の途において敗死した孫堅以来、二代孫策、そしていま三代の孫権に仕えて、歴代、武勇に()けをとらない呉の宿将として――

「きょうこそは」
 と、晴れがましく、故主の復讐を祈念していたことであろう。

 程普は、逃げる黄祖めがけ、槍を突き立てた。

「敵将黄祖を討ちとったり!」
 と、その首を挙げた。

 江夏占領の後、程普は黄祖の首を孫権の前に献じた。

 孫権は、首を地になげうって、


「わが父、孫堅を殺した(かたき)(はこ)にいれて、本国へ送れ」

 と、ののしった。

 諸軍には、恩賞をわかち、彼も本国へひき揚げることになったが、その際、孫権は、

「甘寧の功は大きい。都尉(とい)(ほう)じてやろう」

 といい、また江夏の城へ兵をのこして、守備にあてようとはかった。

 すると、張昭が、

「それは、策を得たものではありません」
 と、再考をうながして、
「この小城一つ保守するため、兵をのこしておくと、後々まで、固執せねばならなくなります。しかも、新野、荊州側からは攻めやすく、こちら側からは補給も難しく、守りにくいです。――むしろ思い切りよく捨てて帰れば劉表(りゅうひょう)がかならず、兵を入れて、黄祖の仕返しを計ってきましょう。それをまた討って、敵の雪崩(なだ)れに乗じて、荊州まで攻め入れば、荊州に入るにも入りやすく、この辺の地勢や要害は味方の経験ずみですから二度でも三度でも、破るに難いことはありますまい」

 と、江夏を(おとり)として劉表を誘うという一計を案出して語った。


「至極、妙だ」


 孫権も、賛成して、占領地はすべて放棄するに決し、総軍、凱歌を兵船に盛って、きれいに呉の本国へ還ってしまった。

 凱旋の直後、孫権は父兄の墳墓へ詣って、こんどの勝軍(かちいくさ)を報告した。

 そして功臣と共に、その後で宴を張っていると、


「折入って、お願いがあります」
 と、甘寧が、彼の足もとに、ひざまずいた。
「改まって、何だ?」
 と、孫権が訊くと、

「てまえの寸功に恩賞を賜わるかわりとして、蘇飛の一命をお助けください。もし以前に、蘇飛(そひ)がてまえを助けてくれなかったら、今日、てまえの功はおろか一命もなかったところです」


 と、頓首して、訴えた。

 孫権も考えた。――もし蘇飛がその(じん)をしていなかったら、今日の呉の大勝もなかったわけだと。


「では……汝に免じて」

 と、ついに蘇飛の一命はゆるすといった。

 それに従って、甘寧の手引きした呂蒙(りょもう)にも、この(かど)で恩賞があった。以後――横野中郎将(おうやちゅうろうしょう)ととなうべしという沙汰である。

 すると、歓宴の和気を破って、

「おのれッ、甘寧」


 と怒号しながら、剣を払って、席の一方から甘寧へ跳びかかってきた者がある。


「あっ、何をするかっ」


 叱咤しつつ、甘寧も仰天して、前なる卓を取るやいな、さっそく相手の剣を受けて、立ち向った。


「ひかえろっ! 凌統(りょうとう)っ」


 急場なので、左右に命じているいとまもない。孫権自身、狼藉者(ろうぜきもの)をうしろから抱きとめて叱りつけた。

 この乱暴者は、呉郡(ごぐん)余杭(よこう)の人で、凌統(りょうとう)(あざな)公績(こうせき)という青年だった。

 (さん)ぬる建安八年の戦いに、父の凌操(りょうそう)は、黄祖を攻めに行って、大功をたてたが、その頃まだ黄祖の手についていたこの甘寧のために、口惜しくも、彼の父は射殺されていた。

 そのとき凌統は、まだ十五歳の初陣(ういじん)だったが、いつかはその怨みをすすごうものと、以来悲胆をなだめ、血涙をのみ、日ごろ胸に誓っていたものである。

 彼の心事を聞いて、

「そちの狼藉を(とが)めまい。孝子の情に免じて、ここの無礼はゆるしおく。――しかし家中一藩、ひとつ(あるじ)をいただく者は、すべて兄弟も同様ではないか。甘寧がむかしそちの父を討ったのは、当時仕えていた主君に対して忠勤を尽したことにほかならない。今、黄祖は亡び、甘寧は、呉に服して、家中の端に加わる以上――なんで旧怨をさしはさむ理由があろう。そちの孝心は感じ入るが、私怨に執着(しゅうじゃく)するは、孝のみ知って、忠の大道を知らぬものだ。……この孫権に免じて、一切のうらみは忘れてくれい」

 主君からさとされると、凌統は剣をおいて、床にうっ伏し、


「わかりました。……けれど、お察し下さい。幼少から君のご恩を受けたことも忘れはしませんが……父を奪われた悲嘆の子の胸を。またその殺した人間を、眼の前に見ている胸中を」

 頭を叩き、(ひたい)から血をながして、凌統は慟哭(どうこく)してやまなかった。


「予にまかせろ」


 孫権は、諸将と共に、彼をなぐさめるに骨を折った。――凌統はことしまだ二十一の若年ながら、父に従って江夏へおもむいた初陣以来、その勇名は赫々(かっかく)たるものがある。その為人(ひととなり)を、孫権も()で惜しむのであった。

 後。

 凌統には、承烈都尉(じょうれつとい)の封を与え、甘寧には兵船百隻に、江兵五千人をあずけ、夏口(かこう)の守りに赴かせた。

 凌統の宿怨を、自然に忘れさせるためである。


 呉の国家は、日ましに勢いを加えてゆく。

 南方の天、隆昌の気がみなぎっていた。

 いま、呉の国力が、もっとも力を入れているのは、水軍の編制であった。

 造船術も、ここ急激に、進歩を示した。

 大船の建造は(さかん)だった。それをどんどん鄱陽湖(はようこ)にあつめ、周瑜が水軍大都督となって、猛演習をつづけている。

 孫権自身もまた、それに晏如(あんじょ)としてはいなかった。叔父の孫静(そんせい)に呉会を守らせて、鄱陽湖に近い柴桑郡(さいそうぐん)江西省(こうせいしょう)九江西南(きゅうこうせいなん))にまで営をすすめていた。

 その頃。

 玄徳は新野(しんや)にあって、すでに孔明(こうめい)を迎え、彼も将来の計にたいして、準備おさおさ怠りない時であった。


「――はてな。一大事があるといって、荊州(けいしゅう)から、迎えの急使がみえた。行くがよいか。行かぬがよいか?」


 その日、玄徳は、劉表(りゅうひょう)の書面を手にすると、しきりに考えこんでいた。

 孔明が、すぐ明らかな判断を彼に与えた。


「お出向きなさい。――おそらく、呉に敗れた黄祖の(あだ)を討つためのご評議でしょう」


「劉表に対面した節は、どういう態度をとっていたがよいだろうか」


「それとなく、襄陽(じょうよう)の会や、檀渓(だんけい)の難のことをお話しあって、もし劉表が、呉の討手を君へお頼みあっても、かならずお引受けにならないことです」


 張飛、孔明などを具して、玄徳はやがて、荊州(けいしゅう)の城へおもむいた。

 供の兵五百と張飛を、城外に待たせておき、玄徳は孔明とふたりきりで城へ登った。

 そして、劉表の階下に、拝をすると、劉表は堂に迎えて、すぐ自分のほうから、


「先ごろは襄陽の会で、貴公に不慮の難儀をかけて申しわけない。蔡瑁(さいぼう)を斬罪に処して、お詫びを示そうとぞんじたが、当人も諸人も慚愧(ざんき)して嘆くので心ならずもゆるしておいた。どうかあのことは水にながして忘れてもらいたい」

 玄徳は、微笑して、


「なんの、あのことは、蔡将軍(さいしょうぐん)の仕業ではありません。おそらく末輩(まっぱい)の小人(ばら)がなした企みでしょう。私はもう忘れております」


「ときに、江夏の敗れ、黄祖の戦死を、お聞き及びか」


「ええ、聞いております」


「呉を討たねばならんと思うが……?」


「お国が南下の姿勢をとると、北方の曹操が、すぐ虚にのって、攻め入りましょう」


「さ。……そこが難しい。……自分も近ごろは、老齢に入って、しかも多病。いかんせん、この難局に当って、あれこれ苦慮すると、昏迷してしまう。……ご辺は、漢の宗族、劉家(りゅうけ)の同族。ひとつわしに代って、国事を治め、わしの亡いあとは、この荊州を継いでくれまいか」

「おひきうけできません。この大国、またこの難局、どうして菲才(ひさい)玄徳ごときに、任を負うて立てましょう」


 孔明はかたわらにあって、しきりと玄徳に眼くばせしたが、玄徳には、通じない。


「そんな気の弱いことを仰せられず、肉体のご健康につとめ、心をふるい起して、国治のため、さらに、良策をお立て遊ばすように」


 とのみ云って、やがて、城下の旅館に退ってしまった。あとで、孔明が云った。


「なぜお引受けにならなかったのですか」


「恩をうけた人の危ういのを見て、それを自分の歓びにはできない」


「――でも、国を奪うわけではありますまいに」


「譲られるにしても、恩人の不幸は不幸。自分にはあきらかな幸い。……玄徳には忍びきれぬ」


 孔明は、そっと嘆じて、


「なるほど、あなたは仁君でいらっしゃる」
 と、是非なげに呟いた。

 そこへ、取次があった。

「荊州のご嫡子、劉琦(りゅうき)さまが、お越し遊ばしました」

 玄徳は驚いて出迎えた。

 劉表の世子劉琦が、何事があって、訪ねてきたのやら? と。

 堂に迎えて、来意を訊くと、劉琦は涙をうかべて告げた。


「御身もよく知っておられるとおり、自分は荊州の世継ぎと生れてはいるが、継母(はは)蔡氏(さいし)には、劉琮(りゅうそう)があるので、つねにわしをころして琮を跡目(あとめ)に立てようとしている。……もう城にいては、わしはいつ害されるかわからない。どうか助けてください」

「お察し申しあげます。――けれど、ご世子、お内輪のことは、他人が容喙(ようかい)して、どうなるものでもありません。苦楽種々、人の家には誰にもあるもの。それを克服するのは、家の人たるものの務めではありませんか」


「……でも。ほかのことなら、なんでも忍びもしようが、生命(いのち)が危ないのです。わしは、殺されたくはない」

「孔明。なにかよい思案はないだろうか。ご世子のために」


 孔明は、冷然と、顔を横に振って答えた。


「一家の内事、われわれの知ることではありません」


「…………」


「孔明、そういわず、ご世子には、何かと世話になっている」
「わかりました。使えるかどうかわかりませんがお教えしましょう。むかし、春秋の時代に(しん)献公(けんこう)の夫人には、二人の子がおりました。兄を申生(しんせい)といい、弟を重耳(ちょうじ)といました」
 劉琦は、全身を耳にして熱心に聞いていた。
「――ところが、やがて献公の第二夫人の驪姫(りき)にもひとりの子が生れた。驪姫はその子に国を継がせたく思い、つねに正室の子の申生や重耳を悪くいっていた。けれど献公が見るに、正室の子はいずれも秀才なので、驪姫(りき)讒言(ざんげん)しても、それを廃嫡(はいちゃく)する気にはなれずにいた……」
「その申生は、さながら、私のいまの境遇とよく似ております」
 劉琦(りゅうき)は涙を浮かべながらいった。
「――で、驪姫は、春あたたかな一日、献公を楼上に迎えて、簾のうちから春園の景をうかがわせ、自分はひそかに、(えり)(みつ)を塗って申生を園に誘いだしたものです。――すると、多くの蜂が当然、甘い蜜の香をかいで、驪姫の髪や襟元へむらがってきました。……あなやと、なにも知らない申生は驪姫の身をかばいながらその襟を打ったり背を払ったりしました。楼上から見ていた献公はそれを眺めて、怖しく(いきどお)りました。驪姫にたわむれたものと疑ったのです。――以来申生を憎むことふかく、年々に子を邪推するようになりました」
「ああ。……蔡夫人(さいふじん)もそんな風です。いつかしら、理由なく、私も父の劉表(りゅうひょう)にはうとんじられておりまする」
「一策が成功すると、驪姫の悪は勇気づいて、また一つの悪策をたくらみました。先后(せんこう)の祭のときです。驪姫はそっと供え物に、毒を秘めておいて、後、申生にいうには母上のお供え物を、そのまま厨房(ちゅうぼう)にさげてはもったいない。父君におすすめなさいと。申生は驪姫にいわるるまま父の献公へそれをすすめた。ところへ驪姫が入ってきて、外からきた食物を試みず召上がってはいけません――そういって一箇を犬へ投げ与えた。犬は立ちどころに血を吐いて死んだ。献公はうまうま驪姫の手にのって申生を殺してしまわれた」
「ああ、かわいそうに、そして弟の重耳(ちょうじ)のほうは、どうしましたか」
「次には、わが身へくる禍いと重耳は未然に知りましたから、他国へ走って、身をかくしました。そして十九年後、初めて世に出た(しん)の文公は――すなわちそのむかしの重耳であったのです。……今、荊州の東南、江夏の地は、呉のために黄祖が討たれてから後守る人もなく打捨ててあります。ご世子、あなたが、継母の禍いをのがれたいと思し召すなら、父君に乞うて、そこの守りへ望んで行くべきです。重耳が国を出て身の難をのがれたのと同じ結果を得られましょう」
「先生。ありがとう存じます。琦は、にわかになお、生きてゆかれる気がしてきました」
 彼は、幾度も拝謝して去って行った。
 間もなくまた、荊州から迎えの使いが来た。玄徳が登城してみると、劉表はこう相談を向けた。

「嫡男の琦が、なにを思い出したか、急に、江夏の守りにやってくれと申すのじゃ、どういうものであろうか」


「至極、結構ではありませんか、お膝もとを離れて、遠くへ行くことは、よいご修行にもなりましょうし、また、江夏は呉との境でもあり、重要な地ですから、どなたかご近親をひとり置かれることは、荊州全体の士気にもよいことと思われます」

「そうかなあ」


「総じて、東南の防ぎは、(きみ)と御嫡子とで、お計りください。不肖劉備は、北の防ぎに当りますから」


「……むむ。聞けば近ごろ、曹操も玄武池(げんぶち)に兵船を造って、舟手の教練に怠りないという噂じゃ。いずれ南征の野心であろう。切にご辺の精励をたのむぞ」


「どうか、ご安心下さい」


 玄徳は新野へ帰った。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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