第88話、敵討ち
文字数 7,335文字
「たいへん!」
と、江夏に急を告げ、また急を告げてゆく。
黄祖の驚きはひと通りではない。
が、――先に勝った覚えがある。
大江の波は立ち騒いだ。
呉軍は、
守備軍は、小舟をあつめて、江岸一帯に、舟の
呉の船は、さんざん射立てられ、各船、進路を乱して逃げまどうと、水底には縦横に
と、一時は、
時に、甘寧は、
と、
百余艘の早舟は、たちまち、江上に下ろされて、それに二十人、三十人と、死をものともせぬ兵が飛びのった。
波間にとどろく
或る者は、水中の張り綱を切りながし、或る者は、
「防げ」
「陸へ上げるな」
敵の小舟も、揉みに揉む。
そして、火を投げ、油をふりかけてくる。
白波は、天に
黄祖の先鋒の大将、
声をからして、左右の郎党に下知しているのを、
と、近づいた。
岸へとび上がるやいな、槍をふるって突きかけた。――陳就は、あわてて、
と、部下へ注意しながら逃げ惑った。
こうまで早く、敵が陸地に迫っていようとは思っていなかったらしい。呂蒙は、
と、陳就を追って、うしろから大剣を抜いて、首をあげた。
舟手の
「われこそ」と、功にはやって、
すると、呉の一将に、
呉はここに、陸海軍とも大勝を博したので、勢いに乗って、水陸から敵の本城へ攻めよせた。
さしも長い年月、ここに、
(
と誇っていた地盤も、いまは
やがて、江夏城の上に、黒煙があがり、
すると、道の傍らから、鉄甲五、六騎ばかり、不意に黄祖の横へ喚きかかった。
見ると、それは呉の宿将
程普が、きょうの戦いに、深く期して、黄祖の首を狙っていたのは当然である。
黄祖のために、むなしく遠征の途において敗死した孫堅以来、二代孫策、そしていま三代の孫権に仕えて、歴代、武勇に
程普は、逃げる黄祖めがけ、槍を突き立てた。
江夏占領の後、程普は黄祖の首を孫権の前に献じた。
孫権は、首を地になげうって、
と、ののしった。
諸軍には、恩賞をわかち、彼も本国へひき揚げることになったが、その際、孫権は、
といい、また江夏の城へ兵をのこして、守備にあてようとはかった。
すると、張昭が、
と、江夏を
凱旋の直後、孫権は父兄の墳墓へ詣って、こんどの
そして功臣と共に、その後で宴を張っていると、
と、頓首して、訴えた。
孫権も考えた。――もし蘇飛がその
と、ついに蘇飛の一命はゆるすといった。
それに従って、甘寧の手引きした
すると、歓宴の和気を破って、
と怒号しながら、剣を払って、席の一方から甘寧へ跳びかかってきた者がある。
叱咤しつつ、甘寧も仰天して、前なる卓を取るやいな、さっそく相手の剣を受けて、立ち向った。
急場なので、左右に命じているいとまもない。孫権自身、
この乱暴者は、
そのとき凌統は、まだ十五歳の
彼の心事を聞いて、
主君からさとされると、凌統は剣をおいて、床にうっ伏し、
頭を叩き、
孫権は、諸将と共に、彼をなぐさめるに骨を折った。――凌統はことしまだ二十一の若年ながら、父に従って江夏へおもむいた初陣以来、その勇名は
後。
凌統には、
凌統の宿怨を、自然に忘れさせるためである。
呉の国家は、日ましに勢いを加えてゆく。
南方の天、隆昌の気がみなぎっていた。
いま、呉の国力が、もっとも力を入れているのは、水軍の編制であった。
造船術も、ここ急激に、進歩を示した。
大船の建造は
孫権自身もまた、それに
その頃。
玄徳は
その日、玄徳は、
孔明が、すぐ明らかな判断を彼に与えた。
張飛、孔明などを具して、玄徳はやがて、
供の兵五百と張飛を、城外に待たせておき、玄徳は孔明とふたりきりで城へ登った。
そして、劉表の階下に、拝をすると、劉表は堂に迎えて、すぐ自分のほうから、
玄徳は、微笑して、
孔明はかたわらにあって、しきりと玄徳に眼くばせしたが、玄徳には、通じない。
とのみ云って、やがて、城下の旅館に退ってしまった。あとで、孔明が云った。
孔明は、そっと嘆じて、
そこへ、取次があった。
「荊州のご嫡子、
玄徳は驚いて出迎えた。
劉表の世子劉琦が、何事があって、訪ねてきたのやら? と。
堂に迎えて、来意を訊くと、劉琦は涙をうかべて告げた。
孔明は、冷然と、顔を横に振って答えた。
玄徳は新野へ帰った。
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