第50話、孫策と太史慈

文字数 10,602文字

 孫策が、第一の敵として、狙いをつけたのは叔父呉を苦しめた楊州の刺史劉繇(りゅうよう)である。

 劉繇は、揚子江岸の豪族であり、名家である。

 血は漢室のながれを汲み、兗州(えんしゅう)の刺史劉岱(りゅうたい)は、彼の兄にあたる者だし、太尉劉寵(りゅうちょう)は、伯父である。

 そして今、大江の流れに臨む寿春(じゅしゅん)(江西省・九江)にあって、その部下には、雄将が多かった。――それを正面の敵とする孫策の業もまた(かた)(かな)といわなければならない。

 牛渚(ぎゅうしょ)(安徽省)は揚子江に接して後ろには山岳を負い、長江の鉄門といわれる要害の地だった。

「――孫堅の子孫策が、南下して攻めて来る!」

 と、聞え渡ると、劉繇(りゅうよう)は評議をひらいて、さっそく牛渚の(とりで)へ、兵糧を送りつ、同時に、張英という大将に兵を授けて防備に当らせようとした。

 その折、評議の末席にいた太史慈(たいしじ)は、進んで、

「どうか、自分を先鋒にやって下さい。不肖ながら必ず敵を撃破して見せます」
 と、希望したが、劉繇(りゅうよう)はじろりと、一(べん)したのみで、
「でしゃばるでない」

 と、一言のもとに退けた。

 太史慈は顔を赧らめて沈黙した。彼はまだ三十歳になったばかりの若年だし、劉繇に仕えてから年月も浅い新参でもあったりするので、「さし出がましい者」という眼で大勢に見られたのを恥じたような態であった。

 張英は、牛渚(ぎゅうしょ)の要塞にたてこもると、邸閣(ていかく)とよぶ所に兵糧を蓄えて、悠々と、孫策の軍勢を待ちかまえていた。

 それより前に、孫策は、兵船数十艘をととのえて、長江に()かみ出て、舳艫(じくろ)をつらねて溯江(そこう)して来た。

「オオ、牛渚だ」

「物々しい敵の備え」

「矢風にひるむな。――あの岸へ一せいに()せろ」

 孫策を始め、呂範、周瑜(しゅうゆ)などの将は、船楼のうえに上って、指揮しはじめた。

 陸地から飛んで来る矢は、まるで陽も(くら)くなるくらいだった。

 舷を()つ白浪。

 岸へせまる(とき)の声。

「つづけや、我に」


 とばかり早くも孫策は、(へさき)から陸地へ跳び降りて、むらがる敵のうちへ斬って入る。

「御曹司を討たすな」と、他の船からも、続々と、将兵が降りた。

 味方の死骸をこえて、一尺を占め、また死骸をふみこえて、十間の地を占め――そうして次第に全軍は上陸した。

 中でも、その日、目ざましい働きをしたのは孫策軍のうちの黄蓋(こうがい)だった。

 彼は、敵将張英を見つけて、

「ござんなれ」

 と、斬りかけた。

 張英も豪の者、

「なにを」

 と、(おめ)きあって、力戦したが、黄蓋にはかなわなかった。馬をめぐらして急に味方の中へ逃げこむと、総軍堤の切れたように敗走しだした。

 ところが。

 牛渚の要塞へと逃げて来ると、城門の内部や兵糧庫のあたりから、いちめんの黒煙があがっていた。

「や、や、何事だ」


 張英が、うろたえていると、要塞の内から、味方の兵が、

「裏切者だっ」

「裏切者が火を放った」と、口々にさけびながら煙と共に吐き出されてきた。

 火焔はもう城壁の高さを越えていた。

 張英は、逃げまどう兵をひいて、ぜひなく山岳のほうへ走った。

 指揮官を失った要塞はあっけなく落ちた。



「いったい何者が裏切りしたのか。いつの間に、孫策の手が味方の内へまわっていたのだろうか?」

 山深く逃げこんだ張英は、兵をまとめて一息つくと共に、何か、魔に襲われたような疑いにつつまれて、敗戦の原因を考えこんでいた。


 孫策の軍は、大勝を博したが、その日の大勝は、孫策にとっても、思いがけない奇捷(きしょう)であった。


「いったい城中よりの火の手をあげて、われに内応したのは何者か」
 と、いぶかっていると、搦手(からめて)の山道からおよそ三百人ほどの手下を従えて、鉦鼓(しょうこ)をうち鳴らし、旗をかかげ、

「おーい。()を放つな。おれ達は孫将軍のお味方だ。敵の劉繇(りゅうよう)の手下と間違えられては困る」

 呶鳴りながら降りてくる一群の兵があった。

 やがてその中から、大将らしい者が二人。

「孫将軍に会わせてくれ」と、先へ進んできた。

 孫策は、近づけて、その二人を見るに、ひとりは、(うるし)を塗ったような黒面に、太くして偉なる鼻ばしらを備え、(ひげ)は黄にして、鋭い犬歯一本、大きな唇をかんでいるという――見るからに猛気にみなぎっている(おとこ)だった。

 また、もうひとりのほうは、(まなこ)(ほが)らかに、眉濃く、背丈すぐれ、四肢()びやかな大丈夫で、両名とも、孫策の前につくねんと立ち、


「やあ、お初に」

「あなたが孫将軍で」


 と、礼儀もよくわきまえない野人むきだしな挨拶の仕振りである。


「君たちは、一体、誰かね」


 孫策が、訊ねると、大鼻の黒面漢が、先に答えた。


「おれたち二人は、九江の潯陽湖(じんようこ)に住んでいる湖賊の頭で、自分は蒋欽(しょうきん)といい、ここにいるのは弟分の周泰(しゅうたい)という奴です」

「ホ、湖賊?」


「湖に船をうかべて住み、出ては揚子江を往来する旅泊の船を襲い、河と湖水を股にかけて稼いできたんでさ」


「わしは良民の味方で、良民を苦しめる賊はすなわち我が敵だ。白昼公然と、わが前に現れたは何の意か」


「いや、実あ今度お前さんがこの地方へ来ると聞いて、弟分の周泰(しゅうたい)と相談したんでさ。――いつまで俺たちも湖賊でもあるまいとね。それと、孫堅将軍の子ならきっと(ひと)かどの者だろう。征伐されちゃあたまらない。それよりいッそ足を洗って、真人間に返ろうじゃねえかというわけで」
「ふム」
 孫策は、苦笑した。
「――それにしても、手ぶらで兵隊の中へ加えておくんなせえといってでるのも智慧がなさ過ぎる。何か(ひと)手柄たててそれを土産に家臣に加えてくれといえば待遇もいいだろう。――よかろう。やろうというわけで、一昨日(おととい)の晩から、牛渚(ぎゅうしょ)(とりで)の裏山へ嶮岨(けんそ)をよじて(もぐ)りこみ、きょうの戦で、城内の兵があらかた出たお留守へ飛びこみ、中から火をつけてきた次第なんで……。へい。どんなもんでしょうか御大将。ひとつ、あっしどもを、旗下に加えて使っておくんなさいませんか」
「はっははは」

 孫策は、手をたたいて、傍らにいる周瑜(しゅうゆ)や謀士の二張をかえりみながら、


「愉快な奴どもではないか。――しかし、あまり愉快すぎるところもあるから、貴公らの仲間に入れて、すこし武士らしく仕込んでやるがいい」

 と、いった。

 随身を許されて、二人は、喜色をたたえながら、いかめしい顔を並べている諸将へ向って、

「へい、どうかまあ、これからひとつ、ご昵懇(じっこん)におねがい申します」


 と、仁義を切るようなお辞儀をした。

 一同もふき出した。けれど、当人は大真面目である。のみならず敵の兵糧倉からは兵糧を奪い取ってくるし、附近の小賊や、無頼漢(なまけもの)などを呼び集めてきたので、孫策の軍は、たちまち四千以上の兵力になった。

 鉄壁と信じていた防禦線の一の(とりで)が、わずか半日のまに破られたと聞いて、劉繇(りゅうよう)は、
「一体味方の兵はなにをしていたのか」

 と愕然(がくぜん)とした。

 そこへ張英が、敗走の兵と共に、霊陵城(れいりょうじょう)へ逃げこんで来たから、彼の憤怒(ふんぬ)はなおさらであった。

「なんの顔容(かんばせ)あって、おめおめ生きて返ってきたか。手討ちにして、衆人の見せしめにせん」

 とまで息まいたが、諸臣のなだめに、張英はようやく一命を助けられた。

 動揺は甚だしい。

 そこでにわかに霊陵城の守りをかため直し、劉繇(りゅうよう)みずから陣中に加わって、神亭山の南に司令部をすすめた。

 孫策の兵四千余も、その前日、神亭の山の北がわへ移動していた。


「孫策はこの辺りの土地に不慣れです。まごついているうちに、一気呵成に高所を取り、孫策の軍を上から踏みつぶすべきです」


 軍議の席で太史慈は述べた。


「向こうもそれをわかっておろう。守りをかためて待ち構えているかもしれん、ならば慎重にあたるべきだ」

 劉繇は述べ、太史慈の策を採用しなかった。


 両軍じわりじわりと山の頂上を目指すかのように軍を進めた。

 土地勘の無い孫策軍は、土地の者に道案内を頼み慎重に進めた。


 いくつかある高台を、それぞれが占拠しながら、押し合いへし合い散発的に戦いが続いた。徐々にだが、土地勘と数でまさる劉繇(りゅうよう)軍が押しているように見えた。


 孫策は、山の中腹に後漢の光武帝の御霊廟(みたまや)があるときき、御霊廟(みたまや)を掃除して詣った。

 そのしばらく後である。

 太史慈の斥候の兵が孫策を見たという話を聞き、わずかな手勢をつれ太史慈は向かった。

 十数人の兵を率いる孫策らしい将を見つけ、


「そこにいるのは孫策か」
と、たずねた。
「なんだ。わしにようか」
 孫策は躊躇せず答えた。

「おッ。そちか孫策は」


「しかり! 汝は?」


東莱(とうらい)太史慈(たいしじ)とは我がことよ。孫策を討ち取るため、参ったり」


「ははは。物ずきな(おとこ)だ」


 孫策と太史慈は槍を手に前に出た。

 

 槍と槍、火をちらして戦う、見るものみな酔えるが如く、固唾(かたず)をのんでいた。

 勝負はなかなか果てしもない。無慮百余合も戦ったが、双方とも淋漓(りんり)たる汗と気息にもまれるばかりであった。

「えおうッ」

「うオーッ」


 声は、辺りの林に木魂(こだま)して、百獣もために潜むかと思われたが落つるは片々と散る木の葉ばかりで、孫策はいよいよ猛く、太史慈もますます精悍(せいかん)を加えるのである。

 どっちも若い体力の持主でもあった。この時、孫策二十一歳、太史慈三十歳。――実に巡り会ったような好敵手だった。


(孫策の人となりは、かねて聞いていたが、聞きしに勝る英武の質。うっかりすると、これはあぶない――)


 同じように。


(これは名禽(めいきん)だ。どうしてこんな男が、劉繇などに仕えているのだ?)


 思った。

 周辺に兵の集まる気配がした。


「援軍か」


 太史慈は槍をおろし背を向けた。


「待て、逃げるな」


「この太史慈を討ちたければ、追ってくるがいい」


 太史慈は背を向け走りながら挑発した。

 孫策は槍を手に走り出そうとした。


「お待ちを」


 駆けつけた程普が孫策の前に立ち、止めた。


「どけ」


 孫策は程普を押しのけて通ろうとした。


「山の中です。伏兵がいる可能性があります」


「うむ、しかし」


「お父上は、敵を深追いして亡くなられましたぞ」


「……わかった」


 孫策は槍をおろした。


 それから幾日か経つと、孫策の軍は、数にまさる劉繇の軍に神亭山の東の隅に追いやられていた。

 回りをぐるりと劉繇の兵に囲まれ逃げ場もない様子だった。

「はっはっはっ、これで孫策も終わりだ。このまま神亭山から蹴り倒してやろう」

 孫策の兵は千ほどに減っていた。


(それにしては――)


 なにか、変だ。

 太史慈は違和感を感じていた。

 孫策の兵はほとんど戦わず、ただ山の中を逃げ回っているように見えた。その結果徐々に追い詰められ、東の隅に固まっていた。


(まるで、無策ではないか)


 槍で、打ち合った孫策の印象とはかけ離れていた。

 その時、早馬が陣中に駆け込んできた。


「申し上げます。霊陵(れいりょう)城が、孫策の兵に奪われました」


「なに! 本城がとられただと!」 


 劉繇は声を荒げた。

 太史慈も、おどろいた。

 劉繇が孫策を追いかけている間に、孫策は兵を二つに分け、一方を曲阿方面から劉繇(りゅうよう)の本城、霊陵(れいりょう)城を攻めさせていた。

 なおかつ、盧江(ろこう)松滋(しょうじ)(安徽省・安慶)の人で、陳武(ちんぶ)(あざな)子烈(しれつ)というものがある。陳武と周瑜(しゅうゆ)とは同郷なので、かねて通じていたものが、(時こそ来れ!)とばかりに江を渡って、孫軍と合流し、共に劉繇の留守城を攻めたので、たちまちそこは陥落してしまったのであった。

(時間稼ぎをするために逃げ回っていたのか)

 太史慈は歯がみした。

 何にしても、かんじんな根拠地を失ったのであるから、劉繇は狼狽した。

「この上は、秣陵(まつりょう)(江蘇省・南京の南方鳳凰山(ほうおうざん))まで引上げ、総軍一手となって防ぐしかあるまい」

 といった。


霊陵(れいりょう)城はとられましたが、孫策は目の前にいます。一気に包み込んで首を取れば、まだ勝てます」


 太史慈が言うと、


「なにをいう、霊陵城の兵が引き返してくれば、今度はこちらが囲まれる番だ。ここは体制を整えるしかない」


 劉繇の決意は固く、自身は兵を引きつれ、秋風の如く(はし)り去り、太史慈にはしんがりを命じた。


 太史慈は孫策の追撃の兵を山中を駆け回りながら防いだ。味方が逃げるに十分な時間を稼いだと考えた太史慈は、薛礼(せつれい)城に逃げ込んだ。

 孫策の軍はそれを囲み落とそうとした。

 薛礼(せつれい)に孫策の兵が集まっていることを知った劉繇(りゅうよう)は、牛渚(ぎゅうしょ)が手薄になったと考え攻めた。

 牛渚(ぎゅうしょ)を守っていた黄蓋は、固く守りをかため劉繇の兵を防いだ。

 孫策は、薛礼攻めをやめ、直ちに、馬をかえして、牛渚を攻めていた劉繇の側面を衝いた。

 横を突かれ、劉繇(りゅうよう)の軍はあっけなく瓦解した。

 孫策が牛渚(ぎゅうしょ)に向かったおかげで、包囲を解かれた薛礼(せつれい)城に籠もっていた太史慈は、その隙を突いて、涇県(けいけん)に逃げ延びた。

 劉繇は、敗戦の上にまた敗北を重ねてしまい、全軍まったく支離滅裂となって、彼自身からして抗戦の気力を失ってしまったので、


「この上は、劉表へすがろう」
 と、命からがら逃げ落ちてしまったのである。


 孫策は軍を進め秣陵に籠もっていた張英を倒し、即日、法令を布いて、人民を安んじ、秣陵には、味方の一部をのこして、直ちに、涇県(けいけん)(安徽省・蕪湖の南方)へ攻め入った。


 この頃から、彼の勇名は、一時に高くなって、彼を呼ぶに、人々はみな、

 江東の孫郎(そんろう)

 と、(たた)えたり、また、

 小覇王(しょうはおう)

 と唱えて敬い畏れた。


 かくて、小覇王孫郎の名は、旭日のような勢いとなり、江東一帯の地は、その武威にあらまし慴伏(しょうふく)してしまったが、ここになお頑健な歯のように、根ぶかく歯肉たる旧領を守って、容易に抜きとれない一勢力が残っていた。

 太史慈(たいしじ)(あざな)子義(しぎ)

 その人だった。

 主柱たる劉繇(りゅうよう)が、どこともなく逃げ落ちてしまってからも、彼は、節を変えず、離散した兵をあつめ、涇県(けいけん)の城にたてこもり、依然として抗戦しつづけていた。

 きのうは九江に溯江(そこう)し、きょうは秣陵に下り、明ければまた、涇県へ兵をすすめて行く孫策は、文字どおり南船北馬の連戦であった。


「小城だが、北方は一帯の沼地だし、後ろは山を負っている。しかも城中の兵は、わずか二千と聞くが、この最後まで踏み止まっている兵なら、おそらく死を決している者どもにちがいない」

 孫策は、涇県に着いたが、決して味方の優勢を(まん)じなかった。

 むしろ(いまし)めて、


「みだりに近づくな」
 と、寄手の勢を遠巻きに配して、おもむろに城中の気はいを探っていた。
周瑜(しゅうゆ)
「はっ」

「君に問うが、君が下知するとしたら、この城をどうしておとすかね」


「至難です。多大な犠牲を払う覚悟でなければ」


「君も至難と思うか」


「ただ、わずかに考えられる一つの策は、死を惜しまぬ将一人に、これも決死の壮丁十人を募り、燃えやすい樹脂や油布(ゆふ)(にな)わせて、風の夜、城中へ忍び入り、諸所から火を放つことです」


「忍び入れるだろうか」


「大勢では見つかりましょう」


「でも、あの高い城壁を」


「登れぬことはありません」


「だが――誰をやるか」


陳武(ちんぶ)が適任でしょう。勇猛な男です」


「やってもらうしかないか。陳武を死地へやるのは惜しいが、ここで手間取っていれば、劉繇(りゅうよう)の残党が集まってかえって犠牲が増えかねない。――もう一つ惜しいのは、敵ながら太史慈(たいしじ)という人物である。あれは生擒(いけど)りにして、味方に加えたいと望んでおるのだが」

「それでは、こうしては如何です。――中に火光が見え出したら、同時に三方から息もつかず攻めよせ、北門の一方だけ、わざと手薄にしておきます。――太史慈はそこから討って出ましょう。――出たら彼一名を目がけて追いまくり、その行く先に、伏兵をかくしておくとすれば」

「名案だ」


 孫策は、手を打った。

 陳武の下に、十名の決死隊が募られた。もし任務をやりとげて、生きてかえったら、一躍百人の伍長にすすめ、莫大な恩賞もあろうというので、たくさんの志望者が名のりでた。

 その中から十名だけの壮丁を選んで、風の夜を待った。

 無月黒風の夜はやがて来た。

 油布、脂柴(あぶらしば)などを、壮丁の背に負わせて、陳武も身軽ないでたち、地を這い、草を分けて、敵の城壁下まで忍びよった。

 城壁は石垣ではない。高度な火で土を焼いた(せん)という一種の瓦を、厚さ一丈の余、高さ何十丈に積みかさねたものである。

 ――が、何年もの風雨に(さら)されているので、(かわら)と磚とのあいだには草が生え、土がくずれ、小鳥が巣をつくり、その壁面はかなり荒れている。

「おい一同。まず俺ひとりが先へ登って行って、綱を下ろすから、そこへかがみこんだまま、敵の歩哨を見張っておれ。――いいか、声を出すな、動いて敵に見つかるな」

 陳武は、そう戒めてから、ただ一人でよじ登って行った。――磚と磚のあいだに、短剣をさしこんで、それを足がかりとしては、一歩一歩、剣の梯子を作りながら踏み登って行くのであった。


「――火だっ」

「火災だっ」

「怪し火だ!」

 銭糧倉(せんりょうぐら)から、また、矢倉下から、書楼の床下から、同時にまた、馬糧舎からも、諸門の番人が、いちどに(わめ)き出した。

 城将の太史慈は、

「さわぐな。敵の計だ。――うろたえずに消せばよい」


 と、将軍台から叱咤して、消火の指揮をしていたが、城中はみだれ立った。

 ――びゅっッ!

 ――ぴゅるん!

 太史慈の体を、矢がかすめた。

 (うてな)に立っていられないほど風も強い闇夜である。

 諸所の火の手は防ぎきれない。一方を消しているまに、また一箇所から火があがる。その火はたちまち燃えひろがった。

 のみならず城の三方から、猛風に乗せて、(とき)の声、戦鼓のひびき、急激な攻め(がね)の音などがいちどに迫ってきたので、城兵は消火どころではなく、釜中(ふちゅう)の豆の如く沸いて狼狽しだした。

「北門をひらいて突出しろ」


 太史慈は将軍台から馳け下りながら、部将へ命令した。そして真っ先に、


「城外へ出て、一挙に、孫策と雌雄を決しよう! 敵は城を囲むため、三方へ全軍をわけて、幸いにも北方は手薄だぞ」

 と、猛風をついて、城の外へ馳けだした。

 火にはおわれ、太史慈には励まされたので、当然釜中の豆も溢れだした。

 ところが、手薄と見えた城北の敵は、なんぞ知らん、案外に大勢だった。

「それっ、太史慈が出たぞ」と合図しあうと、八方の闇から乱箭(らんせん)が注がれてきた。

 太史慈の兵は、敵の姿を見ないうちに、おびただしい損害をうけた。

 それにも(ひる)まず、

「かかれかかれ! 敵の中核を突破せよ!」


 と、太史慈はひとり奮戦したが、彼につづく将士は何人もなかった。

 その少い将士さえ斃れたか、逃げ散ったか、あたりを見廻せば、いつの間にか、彼は彼ひとりとなっていた。

「――やんぬる(かな)、もうこれまでだ」


 焔の城をふり向いて、彼は唇を噛んだ。この上は、故郷の黄県東莱(こうけんとうらい)へひそんで、再び時節を待とう。

 そう心に決めたか。

 なおやまない疾風と乱箭の闇を馳けて、江岸のほうへ急いだ。

 すると後ろから、

「太史慈をにがすな!」

「太史慈、待てっ」

 と、闇が()える。――声ある烈風が追ってくる。十里、二十里、奔っても奔っても追ってくる。

 この地方には沼、湖水、小さな水(たま)りなどが非常に多い。長江のながれが蕪湖(ぶこ)に入り、蕪湖の水がまた、曠野の無数の(くぼ)にわかれているのだった。

 その湖沼や野にはまた、蕭々たる蘆や(よし)が一面に生い茂っていた。――ために、彼は幾たびか道を見失った。

「――しまッた!」


 ついに、彼の馬は、沼の泥土へ脚を突っこんで、彼の体は、蘆のなかへほうり出されていた。

 すると、四方の蘆のあいだから、たちまち熊手が伸びた。

 分銅(ふんどう)だの(かぎ)のついた鎖だのが、彼の体へからみついた。

「無念っ」

 太史慈は、生擒(いけど)られた。

 高手小手に(いまし)められて、孫策の本陣へとひかれてゆく途中も、彼は何度も雲の迅い空を仰いで、

「残念だっ」

 と、(まなじり)に悲涙をたたえた。


 やがて彼は、孫策の本陣へ引かれて来た。

「万事休す」と観念した彼は、従容(しょうよう)と首の座について、瞑目(めいもく)していた。

 すると誰か、「やあ、しばらく」と、(とばり)をあげて現れた者が、友人でも迎えるように、馴々しくいった。

 太史慈が、半眼をみひらいて、その人を見れば余人ならぬ敵の総帥(そうすい)孫策(そんさく)であった。

 太史慈は毅然として、


「孫郎か、はやわが首を刎ね落し給え」

 と、いった。

 孫策は、つかつかと寄って、

「死は(やす)く、生は(かた)し、君はなんでそんなに死を急ぐのか」
「死を急ぐのではないが、かくなる上は、一刻も恥をうけていたくない」

「君に恥はないだろう」


「敗軍の将となっては、もうよけいな口はききたくない。貴殿もいらざる質問をせず、その剣を抜いて一(さつ)に僕の血けむりを見給え」


「いやいや。わしは、君の忠節はよく知っておるが、君の噴血をながめて快笑しようとは思わぬ。君は自分を敗軍の将と卑下(ひげ)しておらるるが、その敗因は君が招いたものではない。劉繇(りゅうよう)が暗愚なるためであった」


「…………」

「惜しむらく、君は、英敏な資質をもちながら、良き主にめぐり会わなかったのだ。(うじ)の中にいては、(かいこ)(まゆ)を作れず糸も吐けまい」


「…………」

 太史慈が無言のままうつ向いていると、孫策は、膝を折って、彼の(いまし)めを解いてまた云った。


「どうだ。君はその命を、もっと意義ある戦と、自己の人生のために捧げないか。――云いかえれば、わが幕下となって、仕える気はないか」


 太史慈は、(いさぎよ)く、


「参った。降伏します。願わくはこの鈍材を、旗下において、なんらかの用途に役立ててください」


「君は、真に快男子だ。妙にもったいぶらず、その潔いところも気に入った」

 手を取って、彼は、太史慈を自分の帷幕(いばく)へ迎え入れ、酒宴をもうけた。孫策は、彼に向って、

「これから戦いの駈引きについてもいろいろ君の意見を訊くから、良計があったら、教えてもらいたい」
 といった。太史慈は、
「では、大した策でもありませんが、あなたの帷幕(いばく)の一員となった(しるし)に愚見を一つのべてみます」
「なんだ」
劉繇(りゅうよう)に付き従っていた将士は、その後、主とたのむ彼を見失って、四散流迷しております」
「うむ」
「時利あらずで、その中には、惜しむべき大将や兵卒らも入りまじっています。今、この太史慈を、三日間ほど、自由に放して下されば、私が行って、それらの残軍を説き伏せ、()を捨て、良を選び、必ず将来、あなたの楯となるような精兵三千をあつめて帰ります。――そしてあなたに忠誠を誓わせてご覧にいれます」
「よし。行ってくれ給え」
 孫策は、すぐ許したが、
「きょうから三日目の(うま)の刻(正午)までには、必ず帰って来てくれ」

 と、念を押して、一頭の駿馬を与え、夜のうちに、彼を陣中から放してやった。

 翌朝。

 帷幕の諸将は、太史慈のすがたが見えないので、怪しんで孫策にたずねると、ゆうべ彼の進言にまかせて、三日の間、放してやったとのことに、

「えっ。太史慈を?」と、諸将はみな、せっかく生捕った(おり)の虎を野へ放したように唖然とした。

「おそらく、太史慈の進言は、偽りでしょう。もう帰って来ないでしょう」

 そういう人々を笑いながら、孫策は、首を振った。

「なに、帰って来るさ。彼は信義の士だ。そう見たからこそ、わしは彼の生命を惜しんだので、もし信義もなく、帰って来ないような人間だったら、再び見ないでも惜しいことはない」

「さあ、どうでしょう」

 諸将はなお信じなかった。

 三日目になると、孫策は、陣外へ日時計をすえさせて、二人の兵に日影を見守らせていた。

(たつ)(こく)です」

 番兵は、一刻ごとに、孫策へ告げにきた。しばらくするとまた、

()の刻となりました」

 と、報らせてくる。

 日時計は、(しん)始皇帝(しこうてい)が、陣中で用いたのが始めだという。「宋史(そうし)」には何承天(かしょうてん)が「表候日影(ひょうこうにちえい)」をつかさどるとある。明代(みんだい)には晷影台(きえいだい)というのがある。日時計の進歩したものである。

 後漢時代のそれは、もちろん原始的なもので、垂直の棒を砂上に立て、その投影と、陰影の長さをもって、時刻を計算したものだった。

 砂地のかわりに、床を用いたり、また、壁へ映る日影を記録したりする方法などもあった。

(うま)の刻です!」

 陣幕のうちへ、(とき)の番の兵が大声で告げると、孫策は、諸将を呼んで、

「南のほうを見ろ」と、指さした。

 果たせるかな、太史慈は、三千の味方を誘って、時も違えず、彼方の野末(のずえ)から、一陣の草ぼこりを空にあげて帰って来た。

 孫策の烱眼(けいがん)と、太史慈の信義に感じて、先に疑っていた諸将も、思わず双手を打ちふり、歓呼して彼を迎えた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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