第71話、関羽と赤兎馬

文字数 9,077文字

 徐州地方に対する曹操の一事業はすみ、次の日、かれの中軍は早くも凱旋の途についた。

 関羽は、主君の二夫人を車に奉じ、特に、前から自分の部下であった士卒二十余人と共に、車をまもって、寸時も離れることなく、――

 やがて許都(きょと)へのぼった。

 許都へ来ては、諸将は各自の営寨(えいさい)にわかれ帰って、平常の服務につき、関羽は、洛内(らくない)に一館をもらって、二夫人をそこへ住まわせた。

 一館の第宅(ていたく)を、内外両院にわけて、深院には夫人たちを奉じ、外院には士卒と自分などが住まい、両門のわきには、日夜二十余人の士卒を交代で立たせた。

 そして関羽も、時々、無事閑日の身を、そこの門番小屋の中において、書物など読みながら、手不足な番兵の代りなど勤めている日もあった。


 帰洛(きらく)して、ひとまず軍務もかたづくと、こんどは、山積している内外の政務が、彼の裁断を待っている。

 曹操は政治にたいしても、人いちばいの情熱をもって当った。許都を中心とする新文化はいちじるしく勃興(ぼっこう)している。自己の指導ひとつで、庶民生活の様態があらたまってきたり、産業、農事の改革から、目にみえて、一般の福利が増進されてきたりするのを見ると、

「政治こそ、人間の仕事のうちで、最高な理想を行いうる大事業だ」


 と信じて、年とるほど、政治に抱く興味と情熱はふかくなっていた。

 この頃――

 ようやくそのほうも一段落して、身に小閑を得ると、彼はふと思い出して、

「そうだ――時に例の関羽は、都へきてから、なにして暮しておるか」

 と侍臣にたずねた。

 それに答えて近衆(きんじゅ)が、

「相府へはもちろんのこと、街へも出た様子はありません。二夫人の御寮を護って、番犬のように、門側の小屋に起居し、時々院の外を通る者が、のぞいて見るとよく読書している姿を見うけるそうで」と、彼の近況を語ると、曹操は打ちうなずいて心から同情を寄せるように、

「さもあらん、さもあらん。――英雄の心情、悶々(もんもん)たるものがあろう」

 と、独りつぶやいていた。

 その同情のあらわれた数日の後、曹操は急に関羽を参内(さんだい)の車に誘った。

 そして朝廷に伴って、天子にまみえさせた。もとより陪臣(ばいしん)なので、殿上にはのぼれない。階下に立って拝謁(はいえつ)したにとどまるが、帝も関羽の名は()くご存じであるし、わけて御心のうちにある劉皇叔(りゅうこうしゅく)の義弟と聞かれて、特に御目をそそがれ、

「たのもしき武人である。しかるべき官位を与えたがよい」

 と、勅せられた。

 曹操のはからいで、即座に、偏将軍(へんしょうぐん)に任じられた。関羽は終始黙々と、勅恩(ちょくおん)を謝して退がってきた。

 まもなく曹操は、また、関羽のために、勅任の披露宴(ひろうえん)をかねて、祝賀の一夕を催し、諸大将や百官をよんで馳走した。

 席上、関羽は、上賓の座にすえられ、

「関羽将軍のために」

 と、曹操が、音頭をとって乾杯したが、その晩も、関羽は黙々と飲んでいるだけで、うれしいのか迷惑なのか分らない顔していた。

 宴が終ると、曹操はわざわざ近臣数名に、

「関羽将軍をお送りしてゆけ」


 と、いいつけ、綾羅(りょうら)百匹、錦繍(きんしゅう)五十匹、金銀の器物、珠玉の什宝(じゅうほう)など、馬につけて贈らせた。

 だが、関羽の眼には、珠玉も金銀も、瓦のようなものらしい。そのひとつすら身には持たず、すべて二夫人の内院へ運ばせて、


「曹操がこんなものをよこしました」

 と、みな献じてしまった。

 曹操は、後に、それと聞いて、

「いよいよゆかしい(おとこ)だ」
 と、かえって尊敬をいだいた。同時に、彼が関羽に対する士愛と敬愛は、異常なほど高まるばかりだった。


 或る日、ぶらりと、関羽のすがたが相府に見えた。

 二夫人の内院が、建築も古いせいか、雨漏りして困るので修築してもらいたいと、役人へ頼みにきたのである。

「かしこまりました。さっそく丞相に伺って、ご修理しましょう」

 役人から満足な返事を聞いて、馬に乗ってゆたりゆたり帰りかけてゆく彼のすがたを、ちらと曹操が見かけて、声をかけた。

「なぜそのような馬に乗っているのだ」
 関羽の乗る馬は痩せほそろえ、みすぼらしかった。
「いや、何せ此方のからだが、かくの如く、長大なので、たいがいな馬では痩せおとろえてしまうのです」

「なるほど、凡馬では、乗りつぶされてしまうわけか」


 曹操は急に、侍臣をどこかへ走らせて、一頭の馬を、そこへ曳かせた。

 見ると、全身の毛は、炎のように赤く、眼は、二つの鑾鈴(らんれい)をはめこんだようだった。

「――関羽将軍、君はこの馬に見おぼえはないかね」


「うウーム……これは」


 関羽は眼を奪われて、恍惚としていたが、やがて膝を打って、


「呂布が乗っていた赤兎馬(せきとば)ではありませんか」


「そうだ。せっかく分捕った駿壮(しゅんそう)だが、くせ馬なので、誰ものりこなす者がない。――君の馬には向かんかね?」


「えっ、これを下さるか」


 関羽は再拝して、喜色をみなぎらした。彼がこんなに歓ぶのを見たのは曹操も初めてなので、


「珠玉も金銀を贈っても、かつてうれしそうな顔ひとつしない君が、どうして、一匹の畜生をえて、そんなに歓喜するのかね」


 と、たずねた。

 すると関羽は、


「こういう千里の駿足が手にあれば、一朝、故主劉備のお行方が知れた場合、一日のあいだに飛んで行けますからそれを独り祝福しているのです」

 と、言下に答えた。

 悠々(ゆうゆう)、赤兎馬にまたがって家路へ帰ってゆく関羽を――曹操はあと見送って、

「しまった……」


 と、唇を噛みしめていた。

 どんな憂いも長く顔にとどめていない彼も、その日は終日ふさいでいた。







 劉備玄徳は、毎日、無為(むい)な日に苦しんでいた。

 ここ河北の首府、冀州城(きしゅうじょう)のうちに身をよせてから、賓客(ひんきゃく)の礼遇をうけて、なに不自由もなさそうだが、心は日夜楽しまない容子に見える。

 なんといっても居候の境遇である。それに、万里音信の(すべ)も絶え、敗亡の孤を袁紹(えんしょう)に託してからは、

「わが妻や子はどうなったか。ふたりの義弟はどこへ落ちたのか……」

 思い悩むと、春日の長閑(のどか)な無事も悶々(もんもん)とただ長い日に思われて、身も世もないここちがする。


「上は、国へ奉じることもできず、下は、一家を保つこともできず、ただこの身ばかり安泰にある恥かしさよ……」

 ひとり面をおおって、燈下に惨心を噛む夜もあった。

 水は(ぬる)み、春園の桃李(とうり)紅唇(こうしん)をほころばせてくる。

 ――ああ、桃の咲くのを見れば、傷心はまたうずく。桃園の義盟が思い出される。

「関羽関羽、まだこの世にあるか? 張飛はいずこにあるか?」


 天空無心(てんくうむしん)

 仰ぐと、一()の春の雲がふんわりと遊んでいる。

 劉備は、仰視していた。

 ――と、いつのまにか、うしろへ来て、彼の肩をたたいた者がある。袁紹であった。


「ご退屈であろう。こう春暖を催してくると」


「おおこれは」


其許(そこもと)にちとご相談があるが、忌憚(きたん)ない意見を聞かしてもらえるかの」


「なんですか」


「実は、愛児の病も()え、山野の雪も解けはじめたから、多年の宿志たる上洛(じょうらく)の兵を催して、一挙に曹操を(たいら)げようと思い立った。――ところが、臣下の田豊(でんほう)が、()(いさ)めていうには、今は攻めるよりも守る時期である。もっぱら国防に力をそそぎ、兵馬を調練し、農産を内にすすめて、坐りながらに待てば許都の曹操はここ二、三年のうちにかならず破綻(はたん)をおこして自壊する。その時を待って一挙に決するが利じゃ――と申すのだが」
「なるほど、安全な考えです。けれど田豊は学者ですから、どうしても机上の論になるのでしょう。私ならそうしません」

「其許ならどうするか」


「時は今なりと信じます。なぜならば、なるほど曹操の兵馬は強堅ですし、彼の用兵奇策は(あなど)りがたいものですが、ここようやく、彼も慢心をきざし、朝野の人々にうとまれ、わけて先頃、国舅(こっきゅう)董承(とうじょう)以下、数百人を白日の都下に斬ったことなど、民心も離反しているにちがいありません。ですが、時が経てば、離れた民心も曹操になびき、またさらに曹操の軍備も増強されるでしょう。儒者の論に耳をとられて、今を晏如(あんじょ)として過ごしていたら、悔いを百年にのこすでしょう」
 劉備の頭の中には、帝の血書のことがあった。もし、今、曹操を倒せる人物がいるとしたら、袁紹しかいなかった。
「……むむ、そうか。そういわれてみると、田豊はつねに学識ぶって、そのくせ自家の庫富(こふ)汲々(きゅうきゅう)と守っている(たち)だ。彼はもう今の位置に事足りて、ただ余生の無事安穏を祈っておるため、そんな保守的な論を()にもすすめるのかもしれん」

 ほかにも何か気に入らないことがあったのであろう。袁紹はその後、田豊を呼びつけて、彼の消極的な意見を痛罵(つうば)した。


「これは誰か、主君をそそのかした蔭の者があるにちがいない」


 田豊は直感したので、日頃の奉公はこことばかり、なお(おもて)を冒して反論を吐いた。――曹操の実力と信望は決して外からうかがえるような微弱ではない。うかつに軍を出したら大敗を喫するであろうというのである。
「汝は、河北の老職にありながら、わが河北の軍兵をさまで薄弱なものとあなどるか」

 袁紹は怒って田豊を斬ろうとまでしたが、劉備やそのほかの人々がおし止めたので、


「不吉なやつだ! 獄へ下せ」

 と、厳命してしまった。

 些細(ささい)な感情から、彼は大きな決心へ移っていた。まもなく河北四州へわたって檄文(げきぶん)は発しられ、告ぐるに曹操の悪罪十箇条をあげ、

「おのおの一族の兵馬弩弓(どきゅう)をすぐッて、白馬の戦場へ会せよ」
 と、令した。

 白馬(はくば)()とは、河北(かほく)河南(かなん)の国境にあたる平野をいう。

 四州の大兵は、続々、戦地へ赴いた。

 さすが富強の大国である。その装備軍装は、どこの所属の隊を見ても、物々しいばかりだった。

 こんどの出陣にあたっては、おのおの一族にむかって、

千載(せんざい)の一(ぐう)だぞ」と、功名手柄を励ましたが、ひとり沮授(そじゅ)の出陣だけは、ひとと違っていた。

 沮授は田豊と共に、軍部の枢要にある身だった。そして田豊とは日頃から仲がいい。その田豊が、主君に正論をすすめて獄に下ったのを見て、

「世の中は計りがたい」

 と、ひどく無常を感じ、一門の親類をよんで、出立の前夜、家財宝物など、のこらず遺物(かたみ)わけしてしまった。

 そしてその別辞に、

「こんどの会戦は、千に一つも勝ち目はあるまい。もし僥倖(ぎょうこう)にめぐまれてお味方が勝てば、それこそ一躍天下を動かそう。敗れたら実に惨たるものだ。いずれにせよ、沮授の生還は期し難いと思う」

 と述べ、出立した。

 白馬の国境には、少数ながら曹操の常備兵がいた。しかし袁紹の大軍が着いてはひとたまりもない。馬蹄にかけられてみな逃げ散ってしまった。

 先陣は、冀州(きしゅう)の猛将として名ある顔良(がんりょう)にも命じられていた。勢いに乗じて、顔良はもう黎陽(れいよう)(河南省・俊県附近)方面まで突っこんでいた。

 沮授(そじゅ)は、危ぶんで、

「顔良の勇は用うべしですが、顔良の思慮は任ずべきでありません」

 と、袁紹に注意した。

 袁紹は、耳をかさない。


「こんな鮮やかに勝っている戦争をなんで変更せよというのか。あのとおり獅子奮迅(ししふんじん)のすがたを見せている勇将へ、退けなどといったら、全軍の戦意も萎えてしまう。そちは口を閉じて見物しておれ」


 曹軍十五万は、白馬の野をひかえた西方の山に沿うて布陣し、曹操自身、指揮にあたっていた。

 見わたすと、渺々(びょうびょう)の野に、顔良(がんりょう)の精兵十万余騎が凸形(とつがた)にかたまって、味方の右翼を突きくずし、野火が草を焼くように押しつめてくる。

宋憲(そうけん)宋憲。宋憲はいるか」

 曹操の呼ぶ声に、


「はっ、宋憲はこれに」
 宋憲は元は呂布の元にいた猛将である。

 曹操は由々(ゆゆ)しく命じた。

「いま敵の先鋒を見るに、冀州第一の名ある顔良がわが物顔に、ひとり戦場を暴れまわっておる。討ち取ってこい、すぐに」

 宋憲は欣然(きんぜん)と、武者ぶるいして、馬を飛ばして行ったが、敵の顔良に近づくと、問答にも及ばず、宋憲は、一(まつ)の赤い霧となってしまった。

 顔良の疾駆するところ、草木もみな(あけ)に伏した。

 曹軍数万騎、猛者(もさ)も多いが、ひとりとして当り得る者がない。


「見よ、見よ。すでに顔良一人のために、あのさまぞ。――だれか討ち取るものはいないか」

 曹操は、本陣の高所に立って声をしぼった。


「てまえに仰せつけ下さい。親友宋憲(そうけん)(あだ)、報いずにおきません」


「オオ、魏続(ぎぞく)か、行けっ」


 魏続は、長桿(ちょうかん)(ほこ)をとって、まっしぐらに駆けだし、敢然顔良へ馬首をぶつけて(いど)んだが、黄塵煙るところ、刀影わずか七、八合、顔良の一喝に人馬もろとも、斬り仆された。

 つづいて、名乗りかける者、取囲む者、ことごとく顔良の好餌(こうじ)となるばかりである。さすがの曹操も胆を冷やし、

「あわれ、敵ながら、すさまじき大将かな」

 と、舌打ちしておののいた。

 彼ひとりのため、右翼は潰滅(かいめつ)され、余波はもう中軍にまで及んできた。丞相旗をめぐる諸軍すべて翩翻(へんぽん)とただおののき恐れて見えたが、その時、

「オオ、徐晃(じょこう)が出た。――徐晃が出て行った」

 と、口々に期待して、どっと生気(せいき)をよみがえらせた。

 見れば、いま、中軍の一端から、霜毛馬(そうもうめ)にまたがって、白炎の如き一()をひっさげ、顔良目がけて喚きかかった勇士がある。これなん曹操の寵士(ちょうし)で、また許都随一の勇名ある弱冠の徐晃(じょこう)だった。

 両雄の刀斧(とうふ)は、烈々、火を降らして戦ったが、二十合、五十合、七十合、得物も砕けるかと見えながらなお、勝負はつかない。

 しかし、顔良の猛悍(もうかん)とねばりは、ついに弱冠徐晃を次第次第に疲らせて行った。いまは敵せずと思ったか、さしもの徐晃も、斧を敵へなげうって、乱軍のうちへ逃げこんでしまった。

 時すでに、薄暮に迫っていた。

 やむなく曹操は、一時、陣を十里ばかり退いて、その日の難はからくもまぬがれたが、魏続(ぎぞく)宋憲(そうけん)の二大将以下おびただしい損害と不名誉をもって、ひとりの顔良に名をなさしめたことは、何としても無念でならなかった。

 すると翌朝、程昱(ていいく)が、彼に献言した。

「顔良を討つだろうと思える人は、まず関羽よりありません。こんな時こそ、関羽を陣へ召されてはどうです。日ごろ、恩をおかけ遊ばすのは、かかる時の役に立てようためではありませんか。もし関羽が顔良を討ったら、いよいよ恩をかけてご寵用なさればいいことです。もしまた顔良にも負けるくらいだったら、それこそ、思いきりがいいではありませんか」

「おお、いかにも」


 曹操は、すぐ使いを飛ばし関羽に直書(じきしょ)を送って、すぐ戦場へ馳せつけよ、と伝えた。

 歓んだのは関羽である。


「時こそ来れり」


 とすぐ武具に身をかため内院へすすみ、二夫人に仔細(しさい)を語って、しばしの別れを告げた。

 しばしの暇をと聞くだに、二夫人はもう涙をためて、

「身を大事にしてたもれ。また、戦場へ参ったら、皇叔のお行方にも、どうか心をかけて、何ぞの手がかりでも……」
 と、はや錦袖(きんしゅう)で面をつつんだ。
「ゆめ、お案じあそばすな。関羽のひそかに心がけるところも、実はそこにありまする。やがてきっとご対面をおさせ申しましょうほどに。――どうぞお嘆きなく。……では、おさらば」

 青龍の偃月刀(えんげつとう)を掻いよせて立つと、二夫人は外門のほとりまで送ってでた。関羽は赤兎馬(せきとば)に打ちまたがって、一路、白馬の野へ急いで行った。



 いま、曹操のまわりは、甲鎧燦爛(こうがいさんらん)たる諸将のすがたに埋められていた。

 なにか、布陣図のようなものを囲んで謀議に鳩首(きゅうしゅ)しているところだった。

「ただ今、関羽将軍が着陣されました」

 うしろのほうで、卒の一名が高く告げた。

「なに、関羽が見えたか」


 よほどうれしかったとみえる。曹操は諸将を打捨てて、自身、大股に迎えに出て行った。

 関羽はいま営外に着いて、赤兎馬をつないでいた。曹操の出迎えに恐縮して、


「召しのお使いをうけたので、すぐ拝領のこれに乗って、快足を試してきました」


 馬の鞍を叩きながら云った。

 曹操はここ数日の惨敗を、ことばも飾らず彼に告げて、


「ともかく、戦場を一望してくれ給え」


 自身、先に立って山へ登った。

「なるほど」


 関羽は、髯のうえに、腕をくんで、十方の野を見まわした。

 野に満ち満ちている両軍の精兵は、まるで蕎麦殻(そばがら)をきれいに置いて、大地に陣形図を描いたように見える。

 河北軍のほうは、(えき)算木(さんぎ)をおいたような(かたち)魚鱗(ぎょりん)の正攻陣を()いている。曹操の陣はずっと散らかって、鳥雲の陣をもって迎えていた。

 その一角と一角とが、いまや入り乱れて、()み合っていた。折々、喊声(かんせい)は天をふるわし、鎗刀の光は日にかがやいて白い。どよめく度に、白紅(はっこう)の旗や黄緑(こうりょく)(はい)は嵐のように揺れに揺れている。

 物見を連れたひとりの将が馳けあがってきた。そして、曹操の遠くにひざまずき、

「またも、敵の顔良が、陣頭へ働きに出ました。――あの通りです。顔良と聞くや、味方の士卒も怯気(おじけ)づいて、いかに励ましても崩れ立つばかりで」

 息をあえぎながら叫んだ。

 曹操はうめくように、

「さすがは強大国、いままで曹操が敵として見た諸国の軍とは、質も装備も段ちがいだ。(さかん)なるかな、河北の人馬は」

 と、驚嘆した。


「見ずや、関羽将軍」

 曹操は指さして、


「あのひらめく錦旛(きんばん)の下に、いま馬を休めて、静かに、わが陣を睨めまわしておる物々しい男こそ、つねにわが軍を悩ましぬく顔良である。なんと見るからに、万夫不当な猛将らしいではないか」
「では、あれを討てばよろしいので」
 関羽はこともなげにいった。
「討てるのか。すでに我が軍の二将が討たれてしまっている」
「やってみましょう」
 関羽は、士卒を走らせて、赤兎馬をそこへひかせ、青龍の偃月刀を大きく抱えて、たちまち山道を馳け降りて行った


 時しも春。

 河南の草も()え、河北の山も淡青(うすあお)い。江風は(ぬる)く、関羽の髯をなぶり、赤兎馬の(たてがみ)をそよ吹いてゆく。

 久しく戦場に会わない赤兎馬は、きょうここに、呂布(りょふ)以来の()()を得、尾ぶるいしていなないた。

退()けや。関羽雲長の道をはばんで、むだな生命をすてるな」


 やおら、八十二斤という彼の青龍刀は鞍上から左右の敵兵を、()ぎはじめていた。

 赤兎馬のおかげか、いつもより軽がると振れているように関羽は感じた。

 圧倒的な優勢を誇っていた河北軍は、

「何が来たのか?」と、にわかに崩れ立つ味方を見て疑った。

「関羽。関羽とは何だ」

 知るも知らぬも、暴風の外にはいられなかった。

 関羽が通るところ、見るまに、累々(るいるい)の死屍が積みあげられてゆく。

 その姿を「演義三国志」の原書は、こう書いている。

 ――香象(こうぞう)の海をわたりて、波を()けるがごとく、大軍わかれて、当る者とてなき中を、薙ぎ払いてぞ通りける……。
 顔良は、それを眺めて、
「ややや、面妖(めんよう)な奴かな。劉備が義弟(おとうと)の関羽だと。――よしッ」

 関羽に馬を向けた。

 ――関羽も、近づいていた。

 赤兎馬の尾が高く躍った。

 一(せん)の赤電が、物を目がけて、雷撃してゆくような勢いだった。

「顔良は、(なんじ)かっ」

 それに対して、


「おっ、われこそは」


 と、だけで、次を云いつづける間はなかった。

 偃月(えんげつ)の青龍刀は、ぶうっん、顔良へ落ちてきた。

 その迅さと、異様な圧力の下から、身をかわすこともできなかった。

 顔良は、一刀も酬いず、偃月刀のただ一()に斬り下げられていたのである。

 ジャン! とすさまじい金属的な音がした。(よろい)ごと、肩口から真二つに斬れて、噴血(ふんけつ)一丈、宙へ虹を残して、空骸(むくろ)はばさと地にたたきつけられていた。

 関羽はその首を取って悠々馬の鞍に結びつけた。

 そして忽ち、敵味方のなかを馳けてどこかへ行ってしまったが、その間、まるで戦場に人間はいないようであった。

 河北勢は旗を捨て、()もとり落して潰乱(かいらん)を起していた。

 もちろん機を見るに敏な曹操が戦機を察してただちに、

「すわや、今だぞ」

 と、総がかりを下知し、金鼓鉄弦(きんこてつげん)地をふるって、攻勢に転じたからであった。

 張遼(ちょうりょう)許褚(きょちょ)なども、さんざんに働き、ここ数日来の敗戦を思うさま仕返しした。

 関羽はたちまち、以前の山へ帰ってきていた。顔良の首は、曹操の前にさし置かれてある。曹操はただもう舌を巻いて、

「関羽将軍の勇はまことに人勇ではない。神威(しんい)ともいうべきか」
 と、嘆賞してやまなかった。
「何の、それがし如きはまだいうに足りません。それがしの義弟に燕人(えんじん)張飛という者があります。これなどは大軍の中へはいって、大将軍の首を持ってくることまるで木に登って桃をとるよりたやすくいたします。顔良の首など、張飛に拾わせれば(ふくろ)の中の物を取りだすようなものでしょう」

 と、答えた。

 曹操は、(きも)を冷やした。そして左右の者へ、冗談半分にいった。


「貴様たちも覚えておけ。燕人張飛という名を、(おび)の端、(えり)の裏にも書いておけ。そういう超人的な猛者(もさ)に逢ったら、ゆめゆめ軽々しく戦うなよ」


 そういった。
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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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