第103話、曹操の敗走
文字数 9,896文字
八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。
溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって
けれど、犠牲者は当然呉のほうにも多かった。
と、まだ乱戦中、波間に声がするので、呉将の
肩に矢をうけている。
韓当は、
このほか、呉の
誰か、その中の一人は、蔡仲を斬りころし、その首を槍のさきに刺して駈けあるいていた。
こんな有様なので、魏軍はその一隊として、戦いらしい戦いを示さなかった。逃げる兵の上を踏みつけて逃げまろんだ。敵に追いつかれて樹の上まで逃げあがっている兵もある。それが見るみるうちに、バリバリと、樹林もろともに焼き払われてしまう。
後から駈けてくる
駈けても駈けても
息をあえぎながら曹操は振向く。
張遼がそれに答えた。
総勢わずか二十数騎、曹操はかえりみて、
たのむは、馬の健脚だった。さらに鞭打って、後も見ずに飛ぶ。
すると、林道の一方から、火光の中に旗を打振り、
と呼ばわる者がある。呉の呂蒙が兵とこそ見えた。
と、張遼が踏みとどまる。
しかしまた、一里も行くと、
と、いう声がした。
曹操は、
ところが、そこにも、一手の兵馬が潜んでいたので、彼は、しまったと叫びながら、あわてて馬をかえそうとすると、
曹操は、大息をついて、ほっとした顔をしたが、
と、いった。
徐晃は、一隊をひいて、駈け戻って行ったが、間もなく、敵の
そこで曹操主従はまた一団になって、東北へ東北へとさして落ちのびた。
すると、一
「敵か」と、徐晃、張遼などが、ふたたび苦戦を覚悟して物見させると、それはもと、
ふたりは、早速、曹操に会いにきた。そしていうには、
曹操は大いに力を得て、馬延、張顗に道を開かせ、そのうち五百騎を後陣として、ここからは少し安らかな思いで逃げ落ちた。
そして十里ほど行くと、味方の倍もある一軍が、真っ黒に立ちふさがり、ひとりの大将が、馬を乗り出して何かいっている。――馬延は、自分に較べて、それも多分味方ではないかと思い、
と、先へ近づいて訊いた。
すると、
云いも終らぬうち、馬躍らせて近寄りざま、馬延を一刀のもとに斬り落した。
後ろにいた張顗は、驚いて、
と、槍をひねって、突きかかったが、それも甘寧の敵ではなかった。
眼の前で、張顗、馬延の討死を見た曹操は、甘寧の勇にふるえあがって、さしかかって来た
幸いに、彼を探している残軍に出会ったので、
と、馬も止めずに命じながら、鞭も折れよと、駈けつづけた。
夜はすでに、五更の頃おいであった。振りかえると、赤壁の火光もようやく遠く薄れている。曹操はややほっとした面持で、駈け遅れて来る部下を待ちながら、
と、左右へたずねた。
もと
「――烏林の西。
と曹操は、馬上から、しきりに附近の山容や地形を見まわしていた。
――突然、曹操が声を放って笑い出したので、前後の大将たちは奇異な顔を見合わせて彼にたずねた。
「丞相。何をお笑いになるのですか」――と。
曹操は、答えていう。
敗軍の将は兵を語らずというが――曹操は馬上から四林四山を指さして、なお、幕将連に兵法の実際講義を一席弁じていた。
ところが、その講義の終るか終らないうちに、たちまち左右の森林から一隊の軍馬が突出して来た。そして前後の道を囲むかと見えるうちに、
という声が聞えたので、曹操は驚きのあまり、危うく馬から転げ落ちそうになった。
敗走、また敗走、ここでも曹操の残軍は、さんざんに痛めつけられ、ただ張遼、徐晃などの善戦によって、彼はからくも、虎口をまぬがれた。
無情な天ではある。雨までが、敗軍の将士を
雨は、
「――集落があるぞ」
ようやく、夜が白みかけた頃、一同は貧しげな山村にたどりついていた。
浅ましや、丞相曹操からして、ここへ来るとすぐいった。
彼の部下は、そこらの農家へ争って入りこんで行った。おそらく掠奪を始めたのだろう。やがて
けれど、火を
「すわ。敵だっ」と、またまた、逃げるに急となったからである。
「敵ではないっ。敵ではないっ」と、その敵はやがて追いかけて来た。何ぞ知らん、味方の大将の李典、
焼け跡から焼けのこった宝玉を拾うように、曹操は歓ぶのだった。やがて共々、馬を揃えて、道をいそぐ。――陽は高くなって、夜来の大雨もはれ、皮肉にも
「さればです」と、幕将のひとりがいう。
「――一方は、
と、すぐその道をとって急いだ。
下知をくだすや否、彼は馬を降りた。そして、先に集落から掠奪して来た食糧を一ヵ所に集め、柴を積んで
「ああ、やっとこれで、すこし人心地がついた」と、将士はゆうべからの濡れ鼠な肌着や
不審に思った諸将は、
「どうなさったのです」と問いかけると、
乾いた笑い声が終らぬうちに、たちまち、
中に、声あって、
あなやと思うまに、丈八の
「張飛だっ」
名を聞いただけでも、諸将は
と、あわてて、鞍もない馬へ飛び乗り、猛然、駈け寄ってきた張飛の前に立って戦い、ややしばし、喰い止めていた。
その間に、
「すわこそ」と、張遼、徐晃など、からくも鎧を取って身にかぶり、曹操を先へ逃がしておいてから、馬を並べて、張飛へかかって行った。
とはいえ、張飛のふりまわす一丈八尺の蛇矛には、当るべくもない。その敵を討つというよりは、彼の猛烈な突進を、少しの間でも防ぎ支えているのがやっとであった。
曹操は、耳をふさぎ、眼をつぶって、数里の間は生ける心地もなくただ逃げ走った。やがてちりぢりに味方の将士も彼のあとを慕って追いついて来たが、どれを見ても、傷を負っていない者はない有様だった。
曹操の質問に、
「いずれも
と、地理にくわしい者が答えた。
曹操は聞くと、うなずいて、山の上へ部下を走らせた。部下は立ち帰ってきてから復命した。
「山路のほうをうかがってみますと、彼方の峠や谷間の諸所から、ほのかに、人煙がたち昇っております。必定、敵の伏兵がおるに違いございません」
と、先手の兵へ下知した。
諸大将は驚きかつ怪しんで、
「山路の
曹操は、苦笑を示して、
「敵の火の手をご覧ありながら、しかもその嶮へ向われようとは、あまりな物好きではありませんか」
と、いって馬をすすめたので、諸人みな、
「さすがは丞相のご深慮」と、感服しないものはなかった。
こうしている間にも、後から後から、残兵は追いつき、今は敗軍の主従一団となったので、
「はやく荊州へ行き着きたいものだ。荊州までたどり着けば、何とかなろう」
と、あえぎあえぎ華容山麓から峰越えの道へ入った。
けれど気はいくらあせっても、馬は疲れぬいているし、負傷者も捨てては行けず、一里登っては休み、二里登っては憩い、十里の山道をあえぐうち、もう先陣の歩みは、まったく遅々として停ってしまった。――折から山中の雲気は
難路へかかったため、全軍、まったく進退を失い、雪は吹き積もるばかりなので、曹操は
前隊の将士は、泣かんばかりな顔を揃えて、
「ゆうべの大雨に、諸所、崖はくずれ、道は消え失せ、それに至るところ
曹操は、
そして、彼自身、下知にかかった。傷兵老兵はみな後陣へ引かせ、屈強な壮士ばかりを前に出して、附近の山林を
剣を抜いて、彼は、土工を督した。泥と戦い、渓流と格闘し、木材と組み合いながら、まるで
「あわれ、
こうして、凄まじい努力とそれを励ます叱咤で、からくもようやく第一の難所は越えたが、残った士卒をかぞえてみるとわずか三百騎足らずとなり終っていた。
ことに、その武器と
曹操は、鞭を指して、将士のつかれた心を
と、励ました。
そして、峠を越え、約五、六里ばかり急いで来ると、彼方の林から、騎馬が一斉にあらわれた。
曹操は慌てて後方に引き返そうとするが、背後の道にも敵兵の姿があった。
前面、後方、隙間なく寄せてくる騎馬武者。そのまっ先に進んでくるのはまぎれもなし、青龍の
一言、絶叫すると、曹操はもう観念してしまったように、茫然戦意も失っていた。
彼ですらそうだから、従う将士もみな、
「関羽だ。関羽が
曹操は、ふと
ふいに、曹操は、自身のほうからこう大きく呼びかけた。
そして、われから馬をすすめ、関羽の前へ寄るや否、
と、いった。
それまでの関羽は、さながら天魔の
と、改めていった。
曹操は、歯を噛み合わせて、複雑な微笑をたたえながら云った。
――ふと見れば、曹操のうしろには、敗残の姿も
ついに、関羽は情に負けた。
無言のまま、馬を取って返し、わざと味方の中へまじって、何か声高に命令していた。
曹操は、はっと我にかえって、
と、士卒と共に、あわただしくここの峠から駈け降って行った。
すでに曹操らの主従が、麓のほうへ逃げ去った頃になって関羽は、
と、ことさら遠い谷間から廻り道して追って行った。
すると、途中、一軍のみじめなる軍隊に行き会った。
見れば、曹操のあとを慕って行く
と、関羽は、敵のために涙を催し、
張遼と関羽とは、
こうして虎口の難をのがれた張遼は、やがて曹操に追いついて合体したが、両軍合わせても五百に足らず、しかも
と、相顧みて、しばし
この日、夕暮に至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏勢ではなく、
曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、うれし泣きに泣いて、
と、曹操が生きて帰ってくれたことだけでも、無上の歓喜として、今は敵に対して怨むことも知らなかった。
曹操もまた、
と、語りながら、共に南郡の城へ入って、赤壁以来、三日三夜の疲れをいやし、ようやく、生ける身心地をとり戻した。
戦塵の
と、
付添う人々は、怪しんで、彼に問うた。
「丞相、どうして、そんなにお
すると曹操は、かぶりを振りながら、
と、胸を打って、
それから、曹仁を近く呼んで、
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