第103話、曹操の敗走

文字数 9,896文字

 八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。

 溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって(たお)れた者、また陸上でも、馬に踏まれ、槍に追われ、何しろ、山をなすばかりな死傷をおいて三江の要塞から潰乱(かいらん)した。

 けれど、犠牲者は当然呉のほうにも多かった。


「救えっ。救うてくれっ」

 と、まだ乱戦中、波間に声がするので、呉将の韓当(かんとう)が、熊手で引上げてみると、こよいの大殊勲者、黄蓋だった。

 肩に矢をうけている。

 韓当は、(やじり)を掘り出し、旗を裂いて瘡口(きずぐち)をつつみ、早速、後方に送った。

 甘寧(かんねい)呂蒙(りょもう)太史慈(たいしじ)などは、()くに、要塞の中心部へ突入して、十数ヵ所に火を放っていた。

 このほか、呉の凌統(りょうとう)董襲(とうしゅう)潘璋(はんしょう)なども、縦横無尽に威力をふるい廻った。

 誰か、その中の一人は、蔡仲を斬りころし、その首を槍のさきに刺して駈けあるいていた。

 こんな有様なので、魏軍はその一隊として、戦いらしい戦いを示さなかった。逃げる兵の上を踏みつけて逃げまろんだ。敵に追いつかれて樹の上まで逃げあがっている兵もある。それが見るみるうちに、バリバリと、樹林もろともに焼き払われてしまう。

「丞相、丞相。戦袍(せんぽう)のお袖に火がついていますぞ」

 後から駈けてくる張遼(ちょうりょう)が馬の上から注意した。先へ鞭打って落ちて行く曹操は、あわてて自分の袖をはたいた。

 駈けても駈けても(ほのお)の林だ。山も焼け水も煮え立っている。それに絶えず灰が雨の如く降ってくるので、悍馬(かんば)はなおさら暴れ狂う。


「ここはどの辺だ」


 息をあえぎながら曹操は振向く。

 張遼がそれに答えた。


「この辺もまだ烏林(うりん)です」


「まだ烏林か」


「林のつづく限り平地です。さしずめ敵勢も迅速に追いついて来ましょう。休んでいる間はありません」


 総勢わずか二十数騎、曹操はかえりみて、暗澹(あんたん)とならずにいられなかった。

 たのむは、馬の健脚だった。さらに鞭打って、後も見ずに飛ぶ。

 すると、林道の一方から、火光の中に旗を打振り、

「曹賊っ。逃げるなかれ」

 と呼ばわる者がある。呉の呂蒙が兵とこそ見えた。


「あとは、それがしが殿軍(しんがり)します。ただ急いで落ち給え」

 と、張遼が踏みとどまる。

 しかしまた、一里も行くと、一簇(ひとむれ)の軍勢が奔突(ほんとつ)して、

「呉の凌統(りょうとう)これにあり。曹賊、馬を下りて降参せよ」

 と、いう声がした。

 曹操は、(きも)を冷やして、横ざまに林の中へ駈けこんだ。

 ところが、そこにも、一手の兵馬が潜んでいたので、彼は、しまったと叫びながら、あわてて馬をかえそうとすると、

「丞相丞相。もう恐れ給うことはありません。ご麾下(きか)徐晃(じょこう)です。徐晃これにお待ちしていました」
 と、さけぶ。

「おうっ、徐晃か」


 曹操は、大息をついて、ほっとした顔をしたが、


「張遼が苦戦であろう。扶けて来い」

 と、いった。

 徐晃は、一隊をひいて、駈け戻って行ったが、間もなく、敵の呂蒙(りょもう)凌統(りょうとう)の兵を蹴ちらして、重囲の中から張遼を助け出して帰ってきた。

 そこで曹操主従はまた一団になって、東北へ東北へとさして落ちのびた。

 すると、一(ぴょう)の軍馬が、山に拠って控えていた。

「敵か」と、徐晃、張遼などが、ふたたび苦戦を覚悟して物見させると、それはもと、袁紹(えんしょう)の部下で、後、曹操に降り、久しく北国の一地方に屈踞(くっきょ)していた馬延(ばえん)張顗(ちょうぎ)のふたりだった。

 ふたりは、早速、曹操に会いにきた。そしていうには、

「実は、われわれ両名にて、北国の兵千余を集め、烏林のご陣へお手伝いに参らんものと、これまで来たところ、昨夜来の猛風と満天の火光に、行軍を止め、これに差し控えて万一に備えていたわけです」

 曹操は大いに力を得て、馬延、張顗に道を開かせ、そのうち五百騎を後陣として、ここからは少し安らかな思いで逃げ落ちた。

 そして十里ほど行くと、味方の倍もある一軍が、真っ黒に立ちふさがり、ひとりの大将が、馬を乗り出して何かいっている。――馬延は、自分に較べて、それも多分味方ではないかと思い、

「何者か」

 と、先へ近づいて訊いた。

 すると、彼方(あなた)の者は、大音をあげて、

「われこそは呉に彼ありともいわれた甘寧(かんねい)である。こころよく我が(やいば)をうけよ」


 云いも終らぬうち、馬躍らせて近寄りざま、馬延を一刀のもとに斬り落した。

 後ろにいた張顗は、驚いて、


「さては呉の大将か」

 と、槍をひねって、突きかかったが、それも甘寧の敵ではなかった。

 眼の前で、張顗、馬延の討死を見た曹操は、甘寧の勇にふるえあがって、さしかかって来た南夷陵(なんいりょう)の道を避け、急に、西へ曲がって逃げ走った。

 幸いに、彼を探している残軍に出会ったので、

「あとから来る敵を防げ」

 と、馬も止めずに命じながら、鞭も折れよと、駈けつづけた。

 夜はすでに、五更の頃おいであった。振りかえると、赤壁の火光もようやく遠く薄れている。曹操はややほっとした面持で、駈け遅れて来る部下を待ちながら、

「ここは、何処か」

 と、左右へたずねた。

 もと荊州(けいしゅう)(さむらい)だった一将が答えていう。

「――烏林の西。宜都(ぎと)の北のほうです」

「宜都の北とな。ああそんな方角へ来ていたか」


 と曹操は、馬上から、しきりに附近の山容や地形を見まわしていた。山川(さんせん)峨々(がが)として樹林深く、道はひどくけわしかった。


「あはははは。あははは」

 ――突然、曹操が声を放って笑い出したので、前後の大将たちは奇異な顔を見合わせて彼にたずねた。

「丞相。何をお笑いになるのですか」――と。

 曹操は、答えていう。


「いや、べつだんな事でもない。今このあたりの地相を見て、ひとえに周瑜(しゅうゆ)浅才(せんさい)や、孔明の未熟が分ったから、ついおかしくなったのだ。もしこの曹操が周瑜か孔明だったら、まずこの地形に伏兵をおいて、落ち行く敵に殲滅(せんめつ)を加えるところだ。――思うに赤壁の一戦は、彼らの怪我勝ちというもので、こんな地の利を遊ばせておくようでは、まだまだ周瑜も孔明も成っておらぬ」

 敗軍の将は兵を語らずというが――曹操は馬上から四林四山を指さして、なお、幕将連に兵法の実際講義を一席弁じていた。

 ところが、その講義の終るか終らないうちに、たちまち左右の森林から一隊の軍馬が突出して来た。そして前後の道を囲むかと見えるうちに、

「常山の子龍趙雲(ちょううん)これに待てりっ。曹操っ、待て」


 という声が聞えたので、曹操は驚きのあまり、危うく馬から転げ落ちそうになった。


 敗走、また敗走、ここでも曹操の残軍は、さんざんに痛めつけられ、ただ張遼、徐晃などの善戦によって、彼はからくも、虎口をまぬがれた。

「おう! 降ってきた」


 無情な天ではある。雨までが、敗軍の将士を(さいな)んで降りかかる。それも、車軸を流すばかりな大雨だった。

 雨は、(よろい)や具足をとおして、肌にしみ入る。時しも十一月の寒さではあるし、道はぬかり、夜はまだ明けず、曹操を始め幕下の者の疲労困憊(ひろうこんぱい)は、その極に達した。

「――集落があるぞ」

 ようやく、夜が白みかけた頃、一同は貧しげな山村にたどりついていた。

 浅ましや、丞相曹操からして、ここへ来るとすぐいった。

「火はないか。何ぞ、食物(しょくもつ)はないか」


 彼の部下は、そこらの農家へ争って入りこんで行った。おそらく掠奪を始めたのだろう。やがて漬物甕(つけものがめ)や、飯櫃(めしびつ)や、鶏や、干菜(ほしな)漿塩壺(しょうえんつぼ)など思い思いに抱えてきた。

 けれど、火を()いて、それらの食物を胃ぶくろへ入れる間もなかった。なぜなら集落のうしろの山から火の手があがり、

「すわ。敵だっ」と、またまた、逃げるに急となったからである。

「敵ではないっ。敵ではないっ」と、その敵はやがて追いかけて来た。何ぞ知らん、味方の大将の李典、許褚(きょちょ)そのほか将士百人ばかり、山越えで逃げてきたものだった。

「やあ、許褚も無事か。李典もおったか」


 焼け跡から焼けのこった宝玉を拾うように、曹操は歓ぶのだった。やがて共々、馬を揃えて、道をいそぐ。――陽は高くなって、夜来の大雨もはれ、皮肉にも東南風(たつみかぜ)すらだんだんに()いでいた。ふと、馬をとめて、曹操は、眼の前にかかった二つの(わか)れ道を、後ろへたずねた。

「さればです」と、幕将のひとりがいう。

「――一方は、南夷陵(なんいりょう)の大道。一方は北夷陵(ほくいりょう)の山路です」

「いずれへ出たほうが、許都へ向うに近いのか」


「南夷陵です。途中、葫蘆谷(ころこく)をこえてゆくと、非常に距離がみじかくなります」
「さらば、南夷陵へ」

 と、すぐその道をとって急いだ。

 (ひる)すぎた頃、すでに同勢は葫蘆谷へかかった。肉体を酷使していた。馬も兵も飢えつかれて如何とも動けなくなってきた。――曹操自身も心身混沌(こんとん)たるものを覚える。

「やすめっ。――休もう」


 下知をくだすや否、彼は馬を降りた。そして、先に集落から掠奪して来た食糧を一ヵ所に集め、柴を積んで焚火(たきび)とし、士卒たちは、兜の鉢や銅鑼(どら)を鍋に利用して穀類を(かし)いだり鶏を焼いたりし始めた。

「ああ、やっとこれで、すこし人心地がついた」と、将士はゆうべからの濡れ鼠な肌着や戦袍(ひたたれ)を火に乾している。曹操もまた暖を取って後、林の下へ行って坐っていた。

 憮然(ぶぜん)たる面持で、彼は、天を凝視していた。

 不審に思った諸将は、

「どうなさったのです」と問いかけると、

「いや、もしわしならば、ここで休んでいる兵を、待ち伏せするのだがと思ってな。はははは」

 乾いた笑い声が終らぬうちに、たちまち、金鼓喊声(きんこかんせい)、四山にこだまし、あたりの樹林みな兵馬と化したかの如く、四方八面に敵のすがたが見えてきた。

 中に、声あって、

「曹操、よくぞ来た。燕人(えんじん)張飛これに待ったり。そこを去るな」

 あなやと思うまに、丈八の蛇矛(じゃぼこ)、黒鹿毛の逸足、流星のごとく此方へ飛んできた。

「張飛だっ」

 名を聞いただけでも、諸将は(きも)を冷やした。士卒たちは皆、(よろい)や下着を火に乾していたところなので、周章狼狽、赤裸のままで散乱するもある。

 許褚(きょちょ)は、

「丞相の危機。近づけては」

 と、あわてて、鞍もない馬へ飛び乗り、猛然、駈け寄ってきた張飛の前に立って戦い、ややしばし、喰い止めていた。

 その間に、

「すわこそ」と、張遼、徐晃など、からくも鎧を取って身にかぶり、曹操を先へ逃がしておいてから、馬を並べて、張飛へかかって行った。

 とはいえ、張飛のふりまわす一丈八尺の蛇矛には、当るべくもない。その敵を討つというよりは、彼の猛烈な突進を、少しの間でも防ぎ支えているのがやっとであった。

 曹操は、耳をふさぎ、眼をつぶって、数里の間は生ける心地もなくただ逃げ走った。やがてちりぢりに味方の将士も彼のあとを慕って追いついて来たが、どれを見ても、傷を負っていない者はない有様だった。

「また(わか)れ路へ出た。この二条の道は、どっちへ向ったがよいか」

 曹操の質問に、

「いずれも南郡(なんぐん)へ通じていますが、道幅の広い大道のほうは五十里以上も遠道になります」

 と、地理にくわしい者が答えた。

 曹操は聞くと、うなずいて、山の上へ部下を走らせた。部下は立ち帰ってきてから復命した。

「山路のほうをうかがってみますと、彼方の峠や谷間の諸所から、ほのかに、人煙がたち昇っております。必定、敵の伏兵がおるに違いございません」

「そうか」
 と、曹操は、眉根をきっと落着けて、
「しからば、山路を経て行こう。者ども、山越えしてすすめ」

 と、先手の兵へ下知した。

 諸大将は驚きかつ怪しんで、

「山路の(けん)(よう)して、みすみす伏兵が待つを知りながら、この疲れた兵と御身をひっさげて、山越えなさんとは、如何なるご意志によるものですか」と、馬を抑えて質した。

 曹操は、苦笑を示して、

「我れ聞く。この華容道(かようどう)とは、近辺に隠れなき難所だということを。――それ故に、わざと、山越えを選ぶのだ」

「敵の火の手をご覧ありながら、しかもその嶮へ向われようとは、あまりな物好きではありませんか」


「そうでない。汝らも覚えておけ。兵書にいう。――虚ナル(トキ)ハ実トシ、実ナル則ハ虚トス、と。孔明は至って計の深いものであるから、思うに、峠や谷間へ、少しの兵をおいて煙をあげ、わざと物々しげな兵気を見せかけ、この曹操の選ぶ道を、大路の(すじ)へ誘いこみ、かえって、そこに伏兵をおいて我を討止めんとするものに相違ない。――見よ、あの煙の下には、真の殺気はみなぎっていない。かれが詐謀(さぼう)たること明瞭だ。それを避けて、人気なしなどと考えて大路を歩まば、たちまち、以前にもまさる四面の敵につつまれ、一人も生きるを得ぬことは必定である。あやうい(かな)あやうい哉、いざ()く、山道へかかれ」

 と、いって馬をすすめたので、諸人みな、

「さすがは丞相のご深慮」と、感服しないものはなかった。

 こうしている間にも、後から後から、残兵は追いつき、今は敗軍の主従一団となったので、

「はやく荊州へ行き着きたいものだ。荊州までたどり着けば、何とかなろう」

 と、あえぎあえぎ華容山麓から峰越えの道へ入った。

 けれど気はいくらあせっても、馬は疲れぬいているし、負傷者も捨てては行けず、一里登っては休み、二里登っては憩い、十里の山道をあえぐうち、もう先陣の歩みは、まったく遅々として停ってしまった。――折から山中の雲気は霏々(ひひ)として白い雪をさえまじえて来た。

 難路へかかったため、全軍、まったく進退を失い、雪は吹き積もるばかりなので、曹操は(いら)だって、馬上から叱った。


「どうしたのだ、先鋒の隊は」


 前隊の将士は、泣かんばかりな顔を揃えて、雪風(せっぷう)の中から答えた。

「ゆうべの大雨に、諸所、崖はくずれ、道は消え失せ、それに至るところ渓川(たにがわ)が生じてしまったものですから、馬も渡すことができません」

 曹操は、癇癪(かんしゃく)を起して、


「山に会うては道を(ひら)き、水に遭うては橋を()す。それも(いくさ)の一つである。それに(むか)って、戦い難いなどと、泣き面をする士卒があるかっ」

 そして、彼自身、下知にかかった。傷兵老兵はみな後陣へ引かせ、屈強な壮士ばかりを前に出して、附近の山林を()って橋を架け、柴や草を刈って、道を(ひら)き、また泥濘(でいねい)を埋めて行った。


「寒気に(ひる)むな。寒かったら汗の出るまで働け。生命が惜しくば怠るな。怠ける者は、斬るぞ」

 

 剣を抜いて、彼は、土工を督した。泥と戦い、渓流と格闘し、木材と組み合いながら、まるで田圃(たんぼ)の水牛みたいになって働く軍卒の中には、このとき飢餓(きが)と烈寒のため、(たお)れ死んだ者がどれほどあったか知れない程であった。

「あわれ、矢石(しせき)の中で、死ぬものならば、まだ死にがいがあるものを」と、天を恨み、また曹操の苛烈な命令に(わめ)く声が、全軍に聞えたが、曹操は耳にもかけず、かえって怒り猛って、

「死生自ら命ありだ。なんの怨むことやある。ふたたび()く者は立ちどころに斬るぞ」

 こうして、凄まじい努力とそれを励ます叱咤で、からくもようやく第一の難所は越えたが、残った士卒をかぞえてみるとわずか三百騎足らずとなり終っていた。

 ことに、その武器と得物(えもの)なども今は、携えている者すらなく、まるで土中から発掘された泥人形の武者や木偶(でく)の馬みたいになっていた。

「もうわずかだ。目的の荊州までは、難所もない」


 曹操は、鞭を指して、将士のつかれた心を彼方(あなた)へ向けさせ、


「あとは、ただ一息だ。はやく荊州へ行き着いて、大いに身を休めよう。頑張れ、もう一息」


 と、励ました。

 そして、峠を越え、約五、六里ばかり急いで来ると、彼方の林から、騎馬が一斉にあらわれた。

 曹操は慌てて後方に引き返そうとするが、背後の道にも敵兵の姿があった。

 前面、後方、隙間なく寄せてくる騎馬武者。そのまっ先に進んでくるのはまぎれもなし、青龍の偃月刀(えんげつとう)をひっさげ、駿足赤兎馬(せきとば)に踏みまたがって来る美髯(びぜん)将軍――関羽であった。



「最期だっ。もういかん!」

 一言、絶叫すると、曹操はもう観念してしまったように、茫然戦意も失っていた。

 彼ですらそうだから、従う将士もみな、

「関羽だ。関羽が()せて来る――」とばかりおののき震えて、今は殲滅されるばかりと、生きた空もない顔を揃えていたのは無理もない。――が、ひとり程昱(ていいく)は、


「いや何も、そう死を急ぐにはあたりません。どんな絶望の底にあろうと、最後の一瞬でも、一()の望みをつないで、必死を()してみるべきでしょう。――それがし、関羽が許都にありし頃、朝夕に、彼の心を見て、およそその人がらを知っている。彼は、仁侠の気に富み、(おご)る者には強く、弱き下の人々にはよく憐れむ。義のために身を捨て、ふかく恩を忘れず、その節義の士たることすでに天下に定評がある。――かつて劉備の二夫人に侍して、久しく許都にとどまっていた当時、丞相には、敵人ながら深く関羽の為人(ひととなり)()で給い、終始恩寵(おんちょう)をおかけ遊ばされたことは、人もみな知り、関羽自身も忘れてはおりますまい」

「…………」


 曹操は、ふと瞑目(めいもく)した。追憶はよみがえってくる。そうだ! ……と思い当ったように、その眸をくわっと見ひらいた時――すでに雪中の喊声(かんせい)は四囲に迫り、真先に躍って来る関羽の姿が大きくその眼に映った。


「おうっ……関羽将軍か」


 ふいに、曹操は、自身のほうからこう大きく呼びかけた。

 そして、われから馬をすすめ、関羽の前へ寄るや否、


「やれ、久しや、懐かしや。将軍、別れて以来、つつがなきか」

 と、いった。

 それまでの関羽は、さながら天魔の眷族(けんぞく)を率いる阿修羅王(あしゅらおう)のようだったが、はッと、偃月刀を後ろに引いて、馬の手綱を締めると、

「おう、丞相か」
 と、馬上に慇懃(いんぎん)、礼をして、
「――まことに、思いがけない所で会うものかな。本来、久闊(きゅうかつ)の情も()ぶべきなれど、主君劉備の命をうけて、今日、これにて丞相を待ちうけたる関羽は、私の関羽にあらず。――聞く、英雄の死は天地も()くと。――いざ、いざ、いさぎよくそれがしにお首を授けたまえ」

 と、改めていった。

 曹操は、歯を噛み合わせて、複雑な微笑をたたえながら云った。

「やよ、関羽。――英雄も時に悲敗を喫すれば惨たる姿じゃ。いま、われ戦いに敗れて、この山嶮、この雪中に、わずかな負傷(ておい)のみを率いて、まったく進退ここにきわまる。一死は惜しまねど、英雄の業、なおこれに思い止るは無念至極。――もしご辺にして記憶あらば、むかしの一言を思い起し、予の危難を見のがしてくれよ」
「あいや、おことば、ご卑怯に存ずる。いかにも、むかし許都に在りし日、丞相のご恩を厚くこうむりはしたものの、従って、白馬の戦いに、いささか献身の報恩をなし、丞相の危急を救うてそれに(むく)う。今日はさる私情にとらわれて、私に(ゆる)すことは相成らぬ」
「いや、いや。過去の事のみ語るようだが、将軍がその主劉備の行方をなお知らず、主君の二夫人に仕えて、敵中にそれを守護されていたことは、私の勤めではあるまい。奉公というものであろう。曹操が乏しき仁義をかけたのは、ご辺の奉公心に感動したからだった。誰かそれを私情といおうや。――将軍は春秋の書にも明るしと聞く。かの庾公(ゆこう)子濯(したく)を追った故事もご存じであろう。信義をもって重しとなす。この人生にもし信なく義もなく美というものもなかったら、実に人間とは浅ましいものではあるまいか」

 諄々(じゅんじゅん)と説かれるうちに、関羽はいつか(こうべ)を垂れて、眼の前の曹操を斬らんか、助けんか、悶々、情念と知性とに、迷いぬいている姿だった。

 ――ふと見れば、曹操のうしろには、敗残の姿も(いた)ましい彼の部下が、みな馬を降り、大地にひざまずき、涙を流して関羽のほうを伏し拝んでいた。

「あわれや、主従の情。……どうしてこの者どもを討つに忍びよう」

 ついに、関羽は情に負けた。

 無言のまま、馬を取って返し、わざと味方の中へまじって、何か声高に命令していた。

 曹操は、はっと我にかえって、


「さては、この間に逃げよとのことか」


 と、士卒と共に、あわただしくここの峠から駈け降って行った。

 すでに曹操らの主従が、麓のほうへ逃げ去った頃になって関羽は、

「それ、道を(ふさ)ぎ取れ」

 と、ことさら遠い谷間から廻り道して追って行った。

 すると、途中、一軍のみじめなる軍隊に行き会った。

 見れば、曹操のあとを慕って行く張遼(ちょうりょう)の一隊である。武器も持たず馬も少なく、負傷していない兵はまれだった。

「ああ惨たるかな」

 と、関羽は、敵のために涙を催し、長嘆(ちょうたん)(せい)、すべてを見遁(みのが)して通した。

 張遼と関羽とは、(ふる)くからの朋友である。実に、情の人関羽は、この悲境の友人を、捕捉(ほそく)して殺すには忍びなかったのである。――おそらく張遼もそれを知って、心のなかで関羽を伏し拝みながらこの死線を駈け抜けて行ったろうと思われる。

 こうして虎口の難をのがれた張遼は、やがて曹操に追いついて合体したが、両軍合わせても五百に足らず、しかも一条(ひとすじ)の軍旗すら持たなかったので、

「ああ。かくも、悲惨な敗北を見ようとは……」

 と、相顧みて、しばし凋然(ちゅうぜん)としてしまった。

 この日、夕暮に至って、また行く手の方に、猛気旺な一軍の来るのとぶつかったが、これは死地を設けていた伏勢ではなく、南郡(なんぐん)湖北省(こほくしょう)江陵(こうりょう))の城に留守していた曹一族の曹仁が、迎えに来たものであった。

 曹仁は、曹操の無事な姿を見ると、うれし泣きに泣いて、

「赤壁の敗戦を聞き、すぐにも駈けつけんかと思いましたが、南郡の城を空けては、後の守りも不安なので、ただご安泰のみを祈っていました」

 と、曹操が生きて帰ってくれたことだけでも、無上の歓喜として、今は敵に対して怨むことも知らなかった。

 曹操もまた、

「今度ばかりは、二度とこの世でそちに会うこともないかと思った」

 と、語りながら、共に南郡の城へ入って、赤壁以来、三日三夜の疲れをいやし、ようやく、生ける身心地をとり戻した。

 戦塵の(あか)を洗い、暖かい食物をとり、大睡(たいすい)一快をむさぼると曹操は忽然(こつぜん)、天を仰いで、

「……ああ。ああ」

 と、嗚咽(おえつ)せんばかり、涙を垂れて哭いた。

 付添う人々は、怪しんで、彼に問うた。

「丞相、どうして、そんなにお()きになるんです。たとえ赤壁に大敗なされても、この南郡に入るからには、人馬も武器も備わっているし、いつか再挙の日もありましょうに」

 すると曹操は、かぶりを振りながら、

「夢に故人を見たのだ。――遼東(りょうとう)の遠征に陣没した郭嘉(かくか)が、もし今日生きていたらと思い出したのだ。予も愚痴をいう年齢(とし)になったかと思うと、それも悲しい。諸将よ、笑ってくれ」

 と、胸を打って、


「哀しいかな郭嘉(かくか)。痛ましい哉、……ああ去って再びかえらず」


 それから、曹仁を近く呼んで、


「予に生命(いのち)のある限り、赤壁の恨みは必ず、敵国に報いずにはおかん、今は、しばらく都へ帰って、他日の再軍備にかかるしかない。汝はよく南郡を守っていてくれよ。やがて敵の襲撃に会ってもかならず守るを旨とし、城を出て戦ってはならんぞ」
 と、諭した。
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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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