第100話、連環の計

文字数 14,659文字

 闞沢は、自若として、少しもさわがないばかりか、かえって、声を放って笑った。


「あははは。小心なる丞相かな。この首を所望なら、いつでも献上しようものを、さりとは、仰山(ぎょうさん)至極。音に聞く魏の曹操とは、かかる小人物とは思わなかった」


「だまれ。かような児戯にひとしい謀計をたずさえて、予をたばからんとなすゆえ、汝のそッ首を刎ねて、わが軍威を振い示さんは、総帥の任だというのに、汝こそ、何がおかしいか」


「いや、それを(わら)うのではない。余りといえば黄蓋(こうがい)が、曹操などという人物を買いかぶっているのを愍笑(びんしょう)したまでだ」


「無駄だ。巧言を止めろ。われも幼少から兵書を読み、孫子(そんし)呉子(ごし)神髄(しんずい)を書に(さぐ)っている。別人ならば知らぬこと、この曹操がいかで汝や黄蓋ごとき者の企てに乗ろうぞ」


「いよいよおかしい。いや笑止千万だ。それほど、蛍雪(けいせつ)の苦を学びの窓に積み、弱冠より兵書に親しんできたという者が、何故、この闞沢のたずさえて来た書簡に対し、一見、真か嘘か、その実相すらつかみ得ないのか。世の中にこれほどばかばかしい自慢はあるまい」


「我への降参が、本心からのものならば、かならず味方に来る時の日限を明約していなければならん。然るに書中にはその日時には何も触れておらぬ。これ、本心にない虚構の言たる証拠であろう」


「これは、異な説を聞くものだ。みだりに兵書を読めばとて、書に読まれて、書の活用を知らぬものは、むしろ無学より始末がわるい。そんな凡眼で、この大軍をうごかし、呉の周瑜(しゅうゆ)に当るときは、たちまち、敵の好餌――撃砕されるにきまっている」


「何、敗れるにきまっていると」


「然り、小学の兵書に慢じ、新しき兵理を(きわ)めず、わずか、一書簡の虚実も、一使の言の信不信も、これを観る眼すらない大将が、何で、呉の新鋭に勝てようか」


「…………」


 曹操は(くち)をむすんで、何か考えこむような眼で、じっと、闞沢(かんたく)を見直していた。

 闞沢は、自身の頸を叩いて、


「いざ、斬るなら、早く斬れ」

 と、迫った。

 曹操は、顔を横に振って、

「いや、しばしその生命は預けておこう。この曹操がかならず敗戦するだろうということについて、もう少し論じてみたい。もし理に当るところがあれば、予も論じてみる」


「折角だが、あなたは賢人を遇する礼儀も知らない。何をいったところで無益であろう」


「では、前言をしばらく詫びる。まず高論を示されい」


「古言にもある。主ニ(ソム)イテ盗ミヲナス(イズク)ンゾ期スベケンヤ――と。黄蓋いま、深恨断腸(しんこんだんちょう)、三代の呉をそむいて麾下(きか)に降らんとするにあたり――もし日限を約して急に支障を来し、来会の日をたがえたなら、丞相の心はたちまち疑心暗鬼(ぎしんあんき)にとらわれ、遂に、一心合体の成らぬのみか、黄蓋は拠るに陣なく、帰るに国なく、自滅の外なきに至ります。故にわざと日時を明示せず、好機を計って参らんというこそ、事の本心を証するもの、またよく兵の機謀にかなうもの、これをかえって疑いの種となす丞相の不明を、(あわ)れまずにいられません」

「むむ、その言はいい」


 曹操は、大きくうなずいた。


「まことに、一時の不明、先ほどからの無礼は許せ」


 彼はにわかに、こう謝して、賓客の礼を与え、座に(しょう)じて、あらためて闞沢の使いをねぎらい、酒宴をもうけて、さらに意見を求めた。

 ところへ、侍臣の一名が、外から来て、そっと曹操の(たもと)の下へ、何やら書状らしいものを渡して退がった。


(ははあ……。さては呉へまぎれ込んでいる蔡和(さいか)蔡仲(さいちゅう)から、何かさっそく密謀が来たな)

 と感づいたが、闞沢(かんたく)は何げない態をつくろって、しきりと杯をあげ、かつ弁じていた。

 酒のあいだに曹操は、蔡和、蔡仲からの諜報を、ちらと卓の陰で読んでいたが、すぐに(たもと)に秘めて、さり気なくいった。

「さて闞沢(かんたく)。――今はご辺に対して予は一点の疑いも抱いておらん。この上は、ふたたび呉へかえって、予が承諾した旨を黄蓋(こうがい)へ伝え、充分、諜しあわせて、わが陣地へ来てくれい。抜かりはあるまいが、くれぐれも周瑜にさとられぬように」


 すると、闞沢は、首を振って断った。


「いや、その使いには、ほかにしかるべき人物をやって下さい、てまえはこれに留まりましょう」


「なぜか」


「二度と、呉へ帰らんなどとは、期してもおりません」


「だが、ご辺ならば、往来の勝手も知る、もしほかの者をやったら、黄蓋も惑うだろう」


 再三、曹操に乞われて、闞沢(かんたく)は初めて承知した。――なお曹操が自分の肚をさぐるためにそういったのではないかということを闞沢は警戒していたのである。

 ――が、今は曹操も、充分、彼の言を信じて来たもののようだった。闞沢は仕すましたりと思ったが、色にも見せず、他日、再会を約して、ふたたび帰る小舟に乗った。その折も曹操から莫大な金銀を贈られたが、

「黄金のために、こんな冒険はできませんよ」


 と、手も触れず、一笑して、小舟を漕ぎ去った。

 呉の陣所へもどると、彼はさっそく黄蓋と密談していた。黄蓋は事の成りそうな形勢に、いたく歓んだが、なお熟慮して、


「初めに疑っていた曹操が、後にどうして急に深く信じたのだろう?」

 と、(ただ)した。

 闞沢は、それに答えて、

「おそらく、てまえの弁舌だけでは、なお曹操を信じ切らせるには至らなかったでしょうが、折も折、蔡和(さいか)蔡仲(さいちゅう)の諜報が、そっと彼の手に渡されたのです。――てまえの言を信じない彼も腹心の者の密報には、すぐ信を抱いたものと見えます。しかもその密諜による呉軍内の情報と、てまえの語ったところとが、符節を合わせた如く一致していましたろうから、疑う余地もないとされたに違いありません」
「むむ……なるほど。ではご苦労だが足ついでに、甘寧(かんねい)の部隊へ行って、甘寧のもとにおる蔡和(さいか)蔡仲(さいちゅう)の様子をひとつ見ておいてくれんか」

 闞沢は、心得て、甘寧の部隊を訪ねて行った。

 唐突な訪れに、甘寧は、彼のすがたをじろじろ見て、


「なにしに見えたか」

 と、訊ねた。

 闞沢が、いま本陣で、気にくわぬことがあったから、無聊(ぶりょう)をなぐさめに来たというと、甘寧は信じないような顔して、

「ふーム……?」

 と、薄ら笑いをもらした。

 そこへ偶然、蔡和、蔡仲のふたりが入ってきた。甘寧が、闞沢へ眼くばせしたので、闞沢も甘寧のこころを覚った。

 ――で、わざと不興げに、

「近ごろは、事ごとに、愉快な日は一日もない。周都督の才智は、われわれだって充分に尊敬しているが、それに(おご)って、人をみな(ちり)(あくた)のように見るのは実によくない」

 と、独り鬱憤をつぶやきだすと、甘寧もうまく相槌を打って、


「また何かあったのか、どうも軍の中枢(ちゅうすう)で、そう毎日紛争があっちゃ困るな」


「ただ議論の争いならいいが、周都督ときては、口汚なく、衆人稠坐(ちゅうざ)の中で、人を辱めるから怪しからん。……不愉快だ。実に、我慢がならぬ」


 と、唇を噛んで(いきどお)りをもらしかけたが、ふと一方にたたずんでいる蔡和、蔡仲のふたりを、じろと眼の隅から見て、急に口をつぐみ、


「……甘寧。ちょっと、顔をかしてくれないか」


 と、彼の耳へささやき、わざと隣室へ伴って行った。

 蔡和(さいか)蔡仲(さいちゅう)は、黙って、眼と眼を見合わせていた。


 その後も、闞沢(かんたく)と甘寧は、たびたび人のない所で密会していた。

 或る夕、囲いの中で、また二人がひそひそささやいていた。かねて注目していた蔡和と蔡仲は、陣幕(とばり)の外に耳を寄せて、じっと、聞きすましていたが、さっと、夕風に陣幕の一端が払われたので、蔡和の半身がちらと、中の二人に見つけられたようだった。

「あっ、誰かいる」

「しまった」と、いう声が聞えた。

 ――と思うと、甘寧と闞沢は、大股に、しかも血相変えて、蔡和、蔡仲のそばへ寄ってきた。

「聞いたろう! われわれの密談を」

 闞沢がつめ寄ると、甘寧はまた一方で、剣を地に投げて、


「われわれの大事は未然に破れた。すでに人の耳に立ち聞きされたからには、もう一刻もここには留まり難い」
 と、足ずりしながら慨嘆した。蔡和、蔡仲の兄弟は、何か、うなずき合っていたが、急にあたりを見廻して、
「ご両所、決して決して絶望なさる必要はありませぬ。何を隠そう、われわれ兄弟こそ、実は、曹丞相の密命をうけ、(いつわ)って呉に降伏して来た者。――今こそ実を打ち明けるが、本心からの降人ではない」

 と、いった。

 甘寧と闞沢は穴のあく程、兄弟の顔を見つめて、

「えっ、それは……真実(ほんと)なのか」


「何でかような大事を嘘いつわりにいえましょう」


「ああ! ……それを聞いて安堵(あんど)いたした。貴公らの投降が、曹丞相の深遠な謀計の一役をもつものとは、夢にも知らなかった。思えばそれもこれも、ひとつの機運。魏いよいよ興り、呉ここに亡ぶ自然のめぐり合わせだろう」

 もちろん、先頃から、甘寧と闞沢が、人なき所でたびたび密談していたことは――周都督に対する反感に堪忍の緒を切って――いかにしたら呉の陣を脱走できるか、どうしたら周都督に仕返しできるか、またいッそのこと、不平の徒を狩り集めて、暴動を起さんかなどという不穏な相談ばかりしていたのであった。わざと、蔡兄弟に、怪しませるようにである。

 蔡和、蔡仲の兄弟は、それが巧妙な謀計とは、露ほども気づかなかった。自分たちがすでに謀計中の主役的使命をおび、この敵地の中に活躍しているがために、かえって相手の謀計に乗せられているとは思いもつかなかった。

 裏をもって(はか)れば、またその裏をもって謀る。兵法の幻妙はこの極まりない変通のうちにある。神変妙通のはたらきも眼光もないものが、下手に術をほどこすと、かえって、敵に絶好な謀計の機会を提供してしまう結果となる。

 その晩、四人は同座して、深更まで酒を酌んでいた。一方は一方を謀りおわせたと思いこんでいる。

 が、共に打ち解け、胸襟をひらきあい、共に、これで曹丞相という名主のもとに大功を成すことができると歓びあって――。

「では、早速、丞相へ宛てて、一書を送っておこう」


 と、蔡仲、蔡和は、その場で、このことを報告する文を認め、闞沢もまた、べつに書簡をととのえてひそかに部下の一名に持たせ、江北の魏軍へひそかに送り届けた。

 闞沢の書簡には、


――わが党の士、甘寧もまた(つと)に丞相をしたい、周都督にふくむの意あり、黄蓋を謀主とし、近く兵糧軍需の資を、船に移して、江を渡って貴軍に投ぜんとす。――不日、青龍の牙旗をひるがえした船を見たまわば、即ち、われら降参の船なりとご覧ぜられ、水寨(すいさい)(いしゆみ)を乱射するを止めたまわんことを。

 と、いう内容が秘められてあった。

 しかし、やがてそれを受取った日、さすがに曹操は、鵜呑(うの)みにそれを信じなかった。むしろ疑惑の眼をもって、一字一句をくり返しくり返しながめていた。

 いまの世の孫子呉子は我をおいてはなし――とひそかに自負している曹操である。一片の書簡を見るにも実に緻密(ちみつ)冷静だった。蔡和(さいか)蔡仲(さいちゅう)はもとより、自分の息をかけて呉へ密偵に入れておいたものであるが、疑いないその二人から来た書面に対してすら慎重な検討を怠らず、群臣をあつめて、内容の是非を評議にかけた。

「……蔡兄弟からも、さきに呉へ帰った闞沢(かんたく)からも、かように申し越してきたが、ちと、はなしが巧過(うます)ぎるきらいもある。さて、これへの対策は、どうしたものか」

 彼の諮問(しもん)に答えて、諸大将からもそれぞれ意見が出たが、その中で、例の蒋幹(しょうかん)がすすんで云った。


(おもて)(おか)して、もう一度おねがい申します。不肖、さきに御命をうけて、呉へ使いし、周瑜(しゅうゆ)を説いて降さんと、種々肝胆(かんたん)をくだきましたが、ことごとく、失敗に終り、なんの功もなく立ち帰り、内心、甚だ羞じておる次第でありますが――いまふたたび一命をなげうつ気で、呉へ渡り、蔡兄弟や闞沢の申し越しが、真実か否かを、たしかめて参るならば、いささか前の罪を償うことができるように存じられます。もしまた、今度も何の功も立てずに戻ったら、軍法のお示しを受けるとも決してお恨みには思いません」

 曹操はいずれにせよ、にわかに決定できない大事と、深く要心していたので、


「それも一策だ」

 と、蒋幹の乞いを容れた。

 蒋幹は、小舟に乗って、以前のごとく、飄々(ひょうひょう)たる一道士を装い、呉へ上陸(あが)った。

 そのとき呉の中軍には、彼より先に、ひとりの賓客が来て、都督周瑜と話しこんでいた。

 襄陽(じょうよう)の名士龐徳公(ほうとくこう)の甥で、龐統(ほうとう)という人物である。

 龐徳公といえば荊州で知らないものはない名望家であり、かの水鏡先生司馬徽(しばき)ですら、その門には師礼をとっていた。

 また、その司馬徽が、常に自分の門人や友人たちに、臥龍(がりゅう)鳳雛(ほうすう)ということをよくいっていたが、その臥龍とは、孔明をさし、鳳雛とは、龐徳公の甥の――龐統をさすものであることは、知る人ぞ知る、一部人士のあいだでは隠れもないことだった。

 それほどに、司馬徽が人物を見こんでいた者であるのに、

(臥龍は世に出たが、鳳雛はまだ出ないのは何故か?)

 と、一部では、疑問に思われていた。

 きょう、呉の中軍に、ぶらりと来ていた客は、その龐統だった。龐統は、孔明より二つ年上に過ぎないから、その高名にくらべては、年も存外若かった。

「先生には近頃、つい、この近くの山にお住いだそうですな」

「荊州、襄陽の滅びて後、しばし山林に一庵をむすんでいます」


「呉にお力をかし賜わらんか、幕賓として、粗略にはしませんが」


「もとより曹軍は荊州の故国を蹂躙(じゅうりん)した敵。あなたからお頼みなくとも呉を助けずにおられません」


「百万のお味方と感謝します。――が、いかにせん味方は寡兵、どうしたら彼の大軍を撃破できましょうか」


「火計一策です」


「火攻め。先生もそうお考えになられますか」


「ただし渺々(びょうびょう)たる大江の上、一艘の船に火がかからば、残余の船はたちまち四方に散開する。――ゆえに、火攻めの計を用うるには、まずその前に方術(てだて)をめぐらし、曹軍の兵船をのこらず一つ所にあつめて、(くさり)をもってこれを封縛(ふうばく)せしめる必要がある」

「ははあ、そんな方術がありましょうか」


連環(れんかん)の計といいます」


「曹操とても、兵学に通じておるもの。いかでさような計略におちいろう。お考えは至妙なりといえど、おそらく鳥網(ちょうもう)精緻(せいち)にして一(ちょう)かからず、獲物のほうでその策には乗りますまい」


 ――こう話しているところへ、江北の蒋幹が、また訪ねてきたと、部下の者が取次いできたのだった。

 それを(しお)に、龐統(ほうとう)(いとま)をつげて帰った。

 周瑜(しゅうゆ)は、それを送って、ふたたび営中にもどると、天地を拝礼して、喜びながら、


「われにわが大事を成さしむるものは、いまわれを訪う者である」

 と、いった。

 やがて、蒋幹(しょうかん)は、案内されて、ここへ通ってきた。――この前のときと違って、出迎えもしてくれず、周瑜は、上座についたまま、傲然(ごうぜん)と自分を睥睨(へいげい)している様子に、内心、気味わるく思いながらも、

「やあ、いつぞやは……」

 と、さりげなく、親友ぶりを寄せて行った。

 すると周瑜は、きっと、眼にかど立てて、

「蒋幹。また貴公は、おれを(だま)そうと思ってきたな」


「えっ……騙そうとして? ……あははは、冗談じゃない。旧交の深い君に対してなんで僕がそんな悪辣(あくらつ)なことをやるもんか。……それどころではない。吾輩は、実は先日の好誼にむくいるため、ふたたび来て、君のために一大事を教えたいと思っておるのに」

「やめたがいい」


 周瑜は噛んで吐き出すように、


「――汝の肚の底は、見えすいている。この周瑜に、降参をすすめる気だろう」


「どうして君としたことが、今日はそんなに怒りッぽいのだ。激気大事を誤る。――まあ、昔がたりでもしながら、親しくまた一献酌み交わそう。そのうえでとっくり話したいこともある」


厚顔(こうがん)なる哉。これほどいっておるのにまだ分らんか。汝、――いかほど、弁をふるい、智をもてあそぶとも、なんでこの周瑜を変心させることができよう。海に(うしお)が枯れ、山に石が(ただ)れきる日が(きた)ろうとも断じて、曹操如きに降るこの方ではない。――先頃はつい、旧交の情にほだされ、思わず酒宴に心を(ゆる)うして、同じ寝床で夢を共にしたりなどしたが、不覚や、あとになって見れば、予の寝房から軍の機密が失われている。大事な書簡をぬすんで貴様は逃げ出したであろうが」

「なに、軍機の書簡を……冗談じゃない、戯れもほどほどにしてくれ。何でそんなものを吾輩が」


「やかましいっ」


 と、大喝をかぶせて、


「――そのため、折角、呉に内通していた張允(ちょういん)蔡瑁(さいぼう)のふたりを、まだ内応の計を起さぬうちに、曹操の手で成敗されてしまった。明らかに、それは汝が曹操へ密報した結果にちがいない。――それさえあるに、又候(またぞろ)、のめのめとこれへ来たのは、近頃、魏を脱陣して、この周瑜の麾下(きか)へ投降してきておる蔡和、蔡仲に対して、何か策を打とうという肚ぐみであろう。その手は喰わん」

「どうしてそう……一体このわしを頭から疑われるのか」


「まだいうか。蔡和、蔡仲は、まったく呉に(くだ)って、かたく予に忠節を誓いおるもの。(あに)、汝らの(さまた)げに遭って、ふたたび魏の軍へかえろうか」


「そ、そんな」


「だまれ、だまれっ。本来は一刀両断に斬って捨てるところだが、旧交の(よし)みに、生命だけは助けてくれる。わが呉の軍勢が、曹操を撃破するのも、ここわずか両三日のあいだだ。そのあいだ、この辺につないでおくのも足手まとい。誰かある! こやつを西山(せいざん)の山小舎へでもほうりこんでおけ。曹操を破って後、鞭の百打を喰らわせて、江北へ追っ放してくれるから」

 と、蒋幹を睨みつけ、左右の武将に向って、虎のごとく云いつけた。

 武士たちは、言下に、

「おうっ」

 と、ばかり蒋幹を取り囲んで、有無をいわさず営外へ引っ立てて行った。そして、一頭の裸馬の背に掻き乗せ、厳しく前後を警固して西山の奥へ追い上げた。

 山中に一軒の小舎があった。おそらく物見小舎であろう。蒋幹をそこへほうり込むと、番の兵は、昼夜、四方に立って見張っていた。

 蒋幹は、日々煩悶(はんもん)して、寝食もよくとれなかったが、或る夜、番兵に隙があったので、ふらふらと小舎から脱け出した。

「どうしたものぞ」

 と、悄然、行き暮れていた。

 すると彼方の林の中にチラと燈火(ともしび)が見えた。近づいてみると、家があるらしい。林間の細道をなお進んでゆくと、朗々読書の声がする。

「はて? ……こんな山中に」


 柴の戸を排して、(いおり)の中をうかがってみるに、まだ三十前後の一処士、ただひとり浄几(じょうき)の前に、燈火をかかげ、剣をかたわらにかけて、兵書に眼をさらしている様子である。


「……あ。襄陽(じょうよう)鳳雛(ほうすう)龐統(ほうとう)らしいが」


 思わず呟いていると、気配に耳をすましながら庵の中から、


「誰だ」

 と、その人物が(とが)めた。

 蒋幹は、駈け寄るなり、廂下(しょうか)に拝をして、

「先日、群英(ぐんえい)の会で、よそながらお姿を拝していました。大人(たいじん)は鳳雛先生ではありませんか」


「や。そういわるるなら、貴公はあの折の蒋幹か」


「そうです」


「あれ以来、まだ、呉の陣中に、滞留しておられたか」


「いやいやそれどころではありません。一度帰ってまた来たために、周都督からとんだ嫌疑をかけられて」

 と、山小舎に監禁された始末を物語ると、龐統(ほうとう)は笑って、


「その程度でおすみなら万々僥倖(ぎょうこう)ではないか。拙者が周瑜(しゅうゆ)なら、決して、生かしてはおかない」


「えっ……」


「ははは。冗談だ。まあお上がりなさい」


 ――と、龐統は席を()けて()()った。

 だんだん話しこんでみると、龐統はなかなか大志を抱いている。その人物はかねて世上に定評のあるものだし、今、この境遇を見れば、呉から扶持されている様子もないので、蒋幹はそっと捜りを入れてみた。


「あなた程の才略をもちながら、どうしてこんな山中に身を屈しているんですか。ここは呉の勢力下ですのに、呉に仕えているご様子もなし……。おそらく、魏の曹丞相のような、士を愛する名君が知ったら、決して捨ててはおかないでしょうに」


「曹操が士を愛する大将であるということは、(つと)に聞いておるが……」


「なぜ、それでは、呉を去って、曹操のところへ行かないので?」


「でも、何分、危険だからな。――かりそめにも、呉にいた者とあれば、いかに士を愛する曹操でも、無条件には用いまい」

「そんなことはありません」


「どうして」


「かくいう蒋幹が、ご案内申してゆけば」


「何。貴公が」


「されば、私は、曹操の命をうけて、周瑜(しゅうゆ)に降伏をすすめに来たものです」


「ではやはり魏の廻し者か」


「廻し者ではありません。説客として参ったものです」


「同じことだ。……が偶然、わしが先にいった冗談はあたっていたな」


「ですから、ぎょっとしました」


「いや、それがしは何も、呉から禄も恩爵もうけている者ではない。安心なさるがいい」


「どうですか、ここを去って、魏へ(はし)りませんか」


勃々(ぼつぼつ)と、志は燃えるが」


「曹丞相へのおとりなしは、かならず蒋幹が保証します。曹操にも活眼(かつがん)ありです、何で先生を疑いましょう」


「では、行くか」


「ご決意がつけば、こよいにも」


「もとより早いがいい」


 二人は、完全に、一致した。その夜のうち、(いおり)を捨て、龐統(ほうとう)は彼と共に、呉を脱した。

 道は、蒋幹よりも、ここに住んでいる龐統のほうが詳しい。谷間づたいに、樵夫道(そまみち)をさがして、やがて大江の岸辺へ出た。


 舟を拾って、二人は江北へ急いだ。やがて魏軍の要塞に着いてからは、一切、蒋幹の斡旋に依った。

 有名なる襄陽(じょうよう)鳳雛(ほうすう)――龐統(ほうとう)来れり、と聞いて、曹操のよろこび方は一通りではなかった。

 まず、賓主の座をわけて、


「どうして急に、予の陣をお訪ね下されたか」


 と、曹操は下へも置かなかった。龐統も、この対面を衷心から歓んで見せながら、


「私をして、ここに到らしめたものは、私の意志というよりは、丞相が私を引きつけ給うたものです。よく士を敬い、賢言を用い、稀代の名将と、多年ご高名を慕うのみでしたが、今日、幹兄のお導きによって、拝顔の栄を得たことは、生涯忘れ得ない歓びです」


 曹操は、すっかり打ち解けて、蒋幹のてがらを賞し、酒宴に明けた翌る日、共に馬をひかせて、一丘へ登って行った。

 けだし曹操の心は、龐統の口から自己の布陣について、忌憚(きたん)なき批評を聞こうというところにあったらしい。

 だが、龐統は、

「――沿岸百里の陣、山にそい、林に拠り、大江をひかえてよく水利を生かし、陣々、相顧み相固め、出入自ら門あり、進退曲折の妙、(いにしえ)の孫子呉子が出てきても、これ以上の布陣はできますまい」
 と、激賞してばかりいるので、曹操はかえって物足らなく思い、

「どうか先生の含蓄(がんちく)をもって、不備な点は、遠慮なく指摘してもらいたい」


 と、いったが、龐統は、かぶりを振って、


「決して、美辞甘言を呈し、(いつわ)って()めるわけではありません。いかなる兵家の蘊奥(うんのう)を傾けても、この江岸一帯の陣容から欠点を捜し出すことはできないでしょう」

 曹操はことごとくよろこんで、さらに、彼を誘って、丘を降り、今度は諸所の水寨港門や大小の舟行など見せて歩いた。

 そして、江上に浮かぶ艨艟(もうどう)の戦艦二十四座の船陣を、誇らしげに指さして、

「どうですか、わが水上の城郭は」

 ああ――と龐統は感極まったもののごとく、思わず掌を打って、


「丞相がよく兵を用いられるということは、(つと)に隠れないことですが、水軍の配備にかけても、かくまでとは、夢想もしていませんでした。――(あわれ)むべし、周瑜は、江上の戦いこそ、われ以外に人なしと慢心していますから、ついに滅亡する日までは、あの驕慢な妄想は()めますまい」


 やがて立ち帰ると、曹操は営中の善美を()らして、ふたたび歓待の宴に彼をとらえた。そして夜もすがら孫呉の兵略を談じ、また古今の史に照らして諸家の陣法を評したりなど、興つきず夜の()くるも知らなかった。


「……ちょっと失礼します」


 龐統はその間に、ちょいちょい中座して室外に出ては、また帰って席につき、話しつづけていた。


「……ちと、お顔色がわるいようだが? どうかなされたか」

「何。大したことはありません」


「でも、どこやら(すぐ)れぬように見うけらるるが」


「舟旅の疲れです。それがしなど生来水に弱いので四、五日も江上をゆられてくると、いつも後で甚だしく疲労します。……いまも実はちと嘔吐(おうと)を催してきましたので」


「それはいかん、医者を呼ぶから()せたがいい」


「ご陣中には、名医がたくさんおられるでしょう」


「医者が多くいるだろうとは、どうしてお察しになったか」

「丞相の将兵は、大半以上、北国の産。大江の水土や船上の生活に馴れないものばかりでしょう。それをあのようになすっておいては、この龐統同様、奇病にかかって、身心ともにつかれ果て、いざ合戦の際にも、その全能力をふるい出すことができますまい」


 龐統の言は、たしかに曹操の胸中の秘を射たものであった。

 病人の続出は、いま曹操の悩みであった。その対策、原因について軍中やかましい問題となっている。


「どうしたらよいでしょう。また、何かよい方法はありませんか。願わくはご教示ありたいが」


 曹操は初め、驚きもし、狼狽気味でもあったが、ついに打ち割ってこういった。

 龐統は、さもあらんと、うなずき顔に、


「布陣兵法の妙は、水も洩らさぬご配備ですが、惜しいかな、ただ一つ欠けていることがある。原因はそれです」


「布陣と病人の続出とに、何か関聯がありますか」


「あります。大いにあります。その一短を除きさえすればおそらく一兵たりとも病人はなくなるでしょう」


「謹んでお教えに従おう。多くの医者も、薬は投じてもその原因に至っては、ただ風土の異なるためというのみで、とんと分らない」


「北兵中国の兵は、みな水に馴れず、いま大江に船を浮かべ、久しく土を踏まず、風浪雨荒(ふうろううこう)のたびごとに、気を(わずら)い身を疲らす。ために食すすまず、血環(ちめぐ)ること()()って病となる。――これを治すには、兵をことごとく上げて土になずますに()くはありませんが、軍船一日も人を欠くべからずです。ゆえに、一策をほどこし、布陣をあらためるの要ありというものです。まず大小の船をのこらず風浪少なき湾口のうちに集結させ、船体の(おお)きさに準じて、これを縦横に組み、大艦三十列、中船五十列、小船はその便に応じ、船と船との首尾には、鉄の(くさり)をもって、固くこれをつなぎ、環をもって連ね、また太綱(ふとづな)をもって扶けなどして、交互に渡り橋を架けわたし、その上を自由に往来なせば、諸船の人々、馬をすら、平地を行くが如く意のままに歩けましょう。しかも大風搏浪(はくろう)荒日(こうじつ)でも、諸船の動揺は至って少なく、また軍務は平易に運び、兵気は軽快に働けますから、自然、病に臥すものはなくなりましょう」

「なるほど、先生の大説、思いあたることすくなくありません」


 と、曹操は、席を下って謝した。龐統は、さり気なく、


「いや、それも私だけの浅見かもしれません。よく原因を探究し、さらに賢考なされたがよろしいでしょう。お味方に病者の多いなどは、まず以て、呉のほうではさとらぬこと。少しも早く適当なご処置をとりおかれたら、かならず他日呉を打ち敗ることができましょう」


「そうだ、このことが敵へもれては……」

 と、曹操も、急を要すと思ったか、たちまち彼の言を容れて、次の日、自身中軍から埠頭(ふとう)へ出ると、諸将を呼んで、多くの鍛冶(かじ)をあつめ、連環(れんかん)(くさり)、大釘など、夜を日についで無数につくらせた。

 龐統は、悠々客となりながら、その様子をうかがって、内心ほくそ笑んでいたが、一日、曹操と打ち解けて、また軍事を談じたとき、あらためてこういった。

「多年の宿志を達して、いまこそ私は名君にめぐり会ったここちがしています。粉骨砕身(ふんこつさいしん)、この上にも不才を傾けて忠節を誓っております。ひそかに思うに、呉の諸将は、みな周瑜に心から服しているのは少ないかに考えられます。周都督をうらんで、機もあればと、(かえ)り忠をもくろむもの、主なる大将だけでも、五指に余ります。それがしが参って三寸不爛(ふらん)の舌をふるい、彼らを説かば、たちまち、旗を反して、丞相の下へ降って来ましょう。しかる後、周瑜を生け捕り、次いで劉備を平げることが急務です。――呉も呉ですが、劉備こそは(あなど)れない敵とお考えにはなりませんか」

 そのことばは、大いに曹操の肯綮(こうけい)にあたったらしい。彼は、龐統がそう云い出したのを幸いに、


「いちど呉へかえって、同志を語らい、ひそかに計をほどこして給わらぬか。もし成功なせば、貴下を三公に(ほう)ずるであろう」

 と、いった。

 ここが大事だ! と龐統(ほうとう)はひそかに警戒した。まんまと(いつわ)りおおせたと心をゆるしていると、案外、曹操はなお――間ぎわにいたるまで、こっちの肚を探ろうとしているかも知れない――と気づいたからである。

 で、彼は、曹操が、

(成功の上は、貴下を三公に封ずべし)というのを、言下に、顔を横に振って見せながら、

「思し召はありがとうございますが、私はかかる務めを、目前の利益や未来の栄達のためにするのではありません。ただ民の苦患(くげん)をすくわんがためです。どうか丞相が呉軍を破って、呉へ攻め入り給うとも、無辜(むこ)の民だけは殺さないようにお計らい下さい。そればかりが望みです」


 と、ことばに力をこめて云った。

 曹操も、その清廉(せいれん)を信じて、彼の憂いをなぐさめ顔にいった。


「呉の権力は討っても、呉の民は、すぐ翌日(あした)から曹操にとっても愛すべき民となるものだ。なんでみだりに殺戮(さつりく)するものか。そのことは安心するがいい」


「それは安心しました」

 龐統は心のうちで、彼もまったく自分の言にすっかり乗ったものと思ってもいいなと思った。しかしそのほくそ笑みをかくして、あくまでさあらぬ(てい)をまもり、


「では行ってきます」
周瑜(しゅうゆ)に気どられるなよ」

 と、幾たびも念を押しながら、曹操は自身で営門まで見送ってきた。龐統は別れを惜しむかの如く、幾たびも振り返りながら、やがて外陣の柵門をすぎ、江岸へ出て、そこにある小舟へ乗ろうとした。

 するとさっきから岸の辺に待ちうけていたらしい男が、この時、つと柳の陰から走り出して、

曲者(くせもの)、待て」

 と、うしろから抱きついた。

 龐統は、ぎょっとして、両の脚を踏んばりながら腕を振りほどこうとしてみたが、その者は、怖ろしい剛力だった。いかに身をもがいてみても、組みつかれた腕は、びくともしないのであった。

「曹丞相の客として、これに迎えられ、いま帰らんとするものにたいして、曲者(くせもの)とは何事だ、狂人か、汝は!」


 叱りつけると、男は、満身から声をふりしぼって、


白々(しらじら)しい勿体顔(もったいがお)。その顔、その弁で、丞相はあざむき得たかも知れんが、拙者の眼はだまされぬぞ。――呉の黄蓋(こうがい)周瑜(しゅうゆ)がたくみに仕組んだ計画のもとに、先には苦肉の(はかりごと)をなして、闞沢(かんたく)を漁夫に(やつ)して送り、また蔡仲、蔡和(さいか)などに書面を送らせ、いままた、汝、呉のために来て、大胆不敵にも丞相にまみえ、連環の計をささやいたるは、後日の戦いに、わが北軍の兵船をことごとく焼き払わんという肚に相違ない。――何でこのまま、江南に放してよいものか。さあもう一度中軍へ戻れ」

 ああ、百年目。

 大事はここに破れたかと、龐統(ほうとう)はたましいを天外に飛ばしてしまった。

 彼は観念の眼を閉じた。

 万事休す――いたずらにもがく愚をやめて、龐統は相手の男へいった。

「いったい何者だ、おぬしは? 曹操の部下か」


「もとよりのこと」
 と男は、彼のからだを後ろから羽交(はが)い締めにしたまま、
「――この声を忘れたか。この俺を見わすれたか」
 と重ねて云った。

「何? 忘れたかとは」


徐庶(じょしょ)だよ、俺は」


「えっ、徐庶だと」


「水鏡先生の門人徐元直(じょげんちょく)。貴公とは、司馬徽(しばき)が門で、石韜(せきとう)崔州平(さいしゅうへい)諸葛亮(しょかつりょう)などの(ともがら)と、むかし度々お目にかかっている筈――」
「やあ、あの徐君か」
 と、龐統はいよいよ驚いて、彼の両手から、その体を解かれても、なお茫然立ちすくんで、相手のすがたを見まもりながら、
「徐庶徐庶。君ならば、この龐統の意中は知っているはずだ。わが計を憐れめ。もし貴公がここでものをいえば、この龐統の一命はともかく、呉の国八十一州の百姓庶民が、魏軍の馬蹄に蹂躙(じゅうりん)される憂き目におちるのだ――億兆の呉民のために、見のがしてくれ」

 と、哀願した。

 すると、徐庶は、

「それはそっちの云うことでしょう。魏軍の側に立っていえば、呉の民は救われるか知らぬが、あなたをここで見のがせば、味方八十三万の人馬はことごとく焼き殺される。殲滅的な憂き目に遭う。――(あに)、これも憐れと見ずにはおられまいが」

「ううむ。……ここで君に見つかったのは天運だ。いずれともするがいい。もともと、自分がこれへ来たのは、一命すらない覚悟のうえだ。いざ、心のままに、殺すとも、曹操の前へひいて行くともいたせ」


「ああさすがは龐統先生」


 と徐庶(じょしょ)は、その顔色も全身の構えも、平常の磊落(らいらく)な彼にかえって、


「もう、ご心配は無用」
 と、ほほえんだ。そして、
「実を申せば、以前、それがしは新野において、劉皇叔(りゅうこうしゅく)と主従のちぎりを結び、その折うけたご厚恩は今もって忘れ難く、身は曹操の陣へおいても、朝暮、胸に銘記いたしておる。――ただこれ一人の老母を曹操にとらわれたため、やむなくその麾下(きか)に留まっていたものの、今はその老母も相果ててこの世にはなく、もはや、曹操のためになにかをしてやるきもありません。また、もし、呉が破れるようなことがあれば、ご高恩のある劉皇叔(りゅうこうしゅく)の身も危うくなります。ですから、このことを誰にもいう気はありませんので、ご安心ください」
「それは、ありがたい」

 龐統は安堵した表情を見せた。


「ただ、一つお願いがあります」


「なにを」


「今は、龐統先生は、呉の元にいるようですが、もし、呉に重く用いられず、不満があれば、劉皇叔をおたずねください」

「劉皇叔に。それだけでいいのか」


「ええ、それだけです」


「わかった。留め置こう」


 龐統は舟へとび乗った。――かくて二人は、人知れず、水と陸とに、別れ去った。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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