第16話、張均の諫言
文字数 4,313文字
征賊の将は功なって、洛陽へ凱旋した。
洛陽の城府は、挙げて、遠征の兵馬を迎え、市は五彩旗に染まり、夜は万燈にいろどられ、城内城下、七日七夜というもの酒の泉と音楽の狂いと、酔どれの歌などで沸くばかりであった。
王城の府、洛陽は千万戸という。さすがに古い伝統の都だけに、物資は富み、文化は
けれど。
二十里の野外、そこに
そこに。
無口に
劉備たちの義軍であった。
義軍は、外城の門の一つに立って、門番の役を命じられている。
といえば、まだ体裁はよいが、正規の官軍でなし、官職のない将卒なので、征賊の将が洛陽に凱旋の日も、ここに停められて、内城から先へは入れないのであった。
「…………」
劉備も関羽も、この頃は、無口であった。
あわれな卒伍は、まだ洛陽の温かい菜の味も知らない。
張飛も黙然と、水ばなをすすっては、時折、ひどく虚無に
呼びかける人があった。
その日、劉備玄徳は、
振向いてみると、それは
「
劉備は、あいさつをした。
張均は、監軍の勅使として、
と、
郎中
と、かえって劉備の境遇を反問した。
劉備は、ありのままに、なにぶんにも自分には官職がないし、部下は私兵と見なされているので、凱旋の後も、外城より入るを許されず、また、忠誠の兵たちにも、この冬に向って、一枚の暖かい軍衣、一片の賞禄をもわけ与えることができないので、せめて外城の門衛に立っていても、霜をしのぐに足る暖衣と食糧とを恵まれんことを乞うために、きょう
劉備の面にも、
やがて張均はつよくいった。
郎中張均は、そう慰めて、劉備とわかれ、やがて参内して、帝に拝謁した。
めずらしく帝のお側には誰もいなかった。
帝は、玉座からいわれた。
張均は、階下に
十常侍ときくと、帝のお眸はすぐ横へ向いた。
御気色がわるい――
張均には分っていたが、ここを
「臣が多くを申しあげないでも、ご聡明な帝には、
「はい。たとえば、こんどの黄巾の乱でも、その賞罰には、十常侍らの私心が、いろいろ働いていると聞いています。
帝の御気色は、いよいよ曇って見えた。けれど、帝は何もいわれなかった。
十常侍というのは、十人の内官のことだった。民間の者は、彼らを
霊帝はその悪弊に気づかれていても、いかんともする
張均は、口を
遂には、玉座に迫って、帝の
と、問われた。
ここぞと、張均は、
十常侍の手のものは、すぐに、それを知らせた。十常侍は、「油断しておると、とんでもない忠義ぶった奴が現れる」と額を寄せ企みを重ねた。十常侍は、帝の調べが及ぶ前に、先回って勲功の再調査と追加の恩賞を発表した。その際、劉備の師である盧植の処罰に関しても見直された。
そうやって、ぬらりぬらりと、十常侍は権力の座にとどまり続けた。
それによって、劉備は、
もちろん、一官吏となったのであるから、多くの兵をつれてゆくことは許されないし、必要もないので五百余の兵は、それぞれに話を聞き、故郷への帰還を望むものはそれをかなえ、軍に残ることを望むものは、王城の軍府に託して、編入してもらい、劉備に付いていきたいと望むものの中から、ほんの二十人ばかりを従者として選び連れて行った。
張均は、自宅で持病の胃薬を飲んだところ、血を吐いて倒れそのまま亡くなった。薬師を買収した十常侍の仕業である。
冬の日のことであった。
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