第80話、河北の忠臣

文字数 9,922文字

 冬十月の風とともに、

「曹操来る。曹軍来る」の声は、西平のほうから枯野を掃いて聞えてきた。

 袁尚は愕いて、にわかに平原の囲みをとき、木の葉の如く鄴城へ退却しだした。

 袁譚(えんたん)は城を出て、その後備えを追撃した。そして殿軍(しんがり)の大将呂曠(りょこう)呂翔(りょしょう)のふたりをなだめて、味方に手懐(てなず)け、降人として、曹操の見参にいれた。

「君の武勇は父の名を恥かしめないものだ」

 と、曹操は袁譚(えんたん)を賞めておいた。

 その後また、曹操は、自分の娘を、袁譚(えんたん)(めあわ)せた。

 都の深窓に育って、まだ十五、六になったばかりの花嫁を妻にもって、袁譚はすっかり喜悦していた。

 郭図(かくと)はすこし将来を憂えた。ある時、袁譚に注意して、

「聞けば曹操は呂曠と呂翔のふたりさえ、列侯位階(れっこういかい)を与え、ひどく優待している由です。思うにこれは、河北の諸将を釣らんためでしょう。――またあなたへ自身の愛娘(まなむすめ)(めあわ)せたのも、深い下心あればこそで、その本心は、袁尚を亡ぼして後、冀北全州をわが物とせん遠計にちがいありません。ですから、呂曠、呂翔の二人には、あなたから密意を含ませておいて、いつでも変あれば、内応するように備えておかなければいけますまい」

「大いにそうだ。しかしいま、曹操は黎陽(れいよう)まで引揚げ、呂曠と呂翔もつれて行ってしまったが、何かよい工夫があるかの」


「二人を将軍に任じ、あなたから将軍の印を(きざ)んでお贈りになったらいいでしょう」

 将軍の金印は、ほどなく、黎陽にある呂曠(りょこう)呂翔(りょしょう)の兄弟の手に届いた。

 二人とも、すでに曹操に心服して、曹操を主と仰いでいたので、

「袁譚からこんな物を贈ってきましたが」

 と、彼へ披露してしまった。

 曹操は、あざ笑って、

「贈ってきたものなら、黙って受けておくがいい。袁譚の(はら)は、見えすいている。折がきたら、其方たちに内応させて、この曹操を害さんとする下準備なのだ。……あははは、浅慮者(あさはかもの)がやりそうなことだろう」

 この時から曹操も、心ひそかに、いずれ長くは生かしておけぬ者と、袁譚に対する殺意をかためていた。

 冬のうち戦いもなく過ぎた。

 しかし曹操はこの期間に、数万の人夫を動員して、淇水(きすい)の流れをひいて白溝(はっこう)へ通じる運河の開鑿(かいさく)を励ましていた。

 翌、建安九年の春。

 運河は開通し、おびただしい兵糧船は水に従って下ってきた。

 その船に便乗して都からきた許攸(きょゆう)が、曹操に会うといった。

「丞相には、袁譚、袁尚が今に(かみなり)にでもうたれて、自然に死ぬのを待っているのですか」
「ははは、皮肉を申すな、これからだ」

 袁尚は、いま鄴城(ぎょうじょう)にあった。

 彼の輔佐たる審配(しんはい)は、たえず曹軍の動静に心していたが、淇水と白溝をつなぐ運河の成るに及んで、

「曹操の野望は大きい。彼は近く冀州全土を併呑(へいどん)せんという大行動を起すにちがいない」

 と、察して、袁尚へ献言し、まず(げき)を武安の尹楷(いんかい)に送って、毛城(もうじょう)に兵を籠め、兵糧をよび寄せ、また沮授(そじゅ)の子の沮鵠(そこう)という者を大将として、邯鄲(かんたん)の野に大布陣をしいた。

 一方、袁尚自身は、あとに審配をのこして本軍の精鋭をひきい、急に平原の袁譚へ攻めかけた。

 袁譚から急援を乞うとの早打ちをうけると曹操は、許攸に向って、

「これからだと、いつか申したのは、こういう便りのくる日を待っていたのだ」

 と、会心の笑みをもらした。


「曹洪は、鄴城へ出よ」


 と、一軍を急派しておき、彼自身は毛城を攻めて、大将尹楷(いんかい)を討ち取った。


「降る者は助けん。いかなる敵であろうと、今日(こう)を乞うものは、昨日の罪は問わない」

 曹操一流の令は、敗走の兵に蘇生(そせい)の思いを与えて、ここでも大量な捕虜をえた。

 大河の軍勢は戦うごとに、一水また一水を加えて幅をひろげて行った。

 そして、邯鄲(かんたん)の敵とまみえて、大激戦は展開されたが、沮鵠(そこう)の大布陣も、ついに潰乱(かいらん)のほかはなかった。

「鄴城へ、鄴城へ」

 逆捲く大軍の奔流は、さきにここを囲んでいた味方の曹洪軍と合して、勢い、いやが上にもふるった。

 総がかりに、城壁を(あけ)に染め、焔を投げ、万鼓(ばんこ)(かん)、攻め立てること昼夜七日に及んだが、陥ちなかった。

 地の下を掘りすすんで、一門を突破しようとしたが、それも敵の知るところとなって、軍兵千八百、地底で生き埋めにされてしまった。

「ああ、審配は名将かな」

 と、攻めあぐみながらも曹操は敵の防戦ぶりに感嘆したほどだった。

 平時の名臣で、乱世の棟梁(とうりょう)でもある雄才とは、彼の如きをいうのかも知れない。彼はまた、前線遠く敗れて、帰路を遮断されていた袁尚とその軍隊を、怪我なく城中へ迎え入れようという難問題にぶつかって、その成功に苦心していた。

 その袁尚の軍隊はもう陽平(ようへい)という地点まで来て、通路のひらくのを待っていた。その通路は城内から切り開いてやらなければならなかった。

 主簿(しゅぼ)李孚(りふ)は、審配(しんはい)へ向って、こういう一案を呈した。

「この上、外にある味方の大兵が城内に入ると、たちまち兵糧が尽きます。けれども、城内には、何の役にも立たない百姓の老若男女が、何万とこもっています。それを外へ追いだして、曹操へ降らせ、そのあとからすぐ、城兵も奔出します。兵馬が出きったとたんに、城中の柴や(まき)を山と積んで、火の柱をあげ、陽平にある袁尚(えんしょう)様へ合図をなし、内外呼応して血路を開かれんには、難なくお迎えすることができましょう」
「そうだ、その一策しかない」

 審配は直ちに用意にかかった。そして準備がなると、城内数万の女子どもや老人を追い立て、城門を開いて一度に追いだした。

 白いぼろ()れ、白い旗など、手に手に持った百姓の老幼は、海嘯(つなみ)のように外へ溢れだした。

 そして、曹丞相、曹丞相と、(こう)をさけんで、彼の陣地へ雪崩(なだ)れこんできた。

 曹操は、後陣を開かせて、

「予の立つ大地には、一人の餓死もさせぬぞ」

 と、すべてを()れた。

 数ヵ所の大釜に(かゆ)が煮てあった。餓鬼振舞(がきぶるま)いにあった飢民の大群は、そばへ矢が飛んできても前方で激戦のわめきが起っても、大釜のまわりを離れなかった

 曹操は審配の(はかりごと)を観破していたので、数万の飢民が城門から押出されてくると、すぐ大兵を諸所に伏せて、飢民のあとをついて奔河(ほんが)の如く出てきた城兵を直ちに挟撃してこれに完全なる殲滅(せんめつ)を加えた。

 城頭では合図の(かがり)を、天も焦がすばかり赤々とあげていたが、城門を出た兵はたちまち(ほり)を埋める死骸となり、生けるものは、狼狽をきわめて城中へ溢れ返ってきた。

「今だぞ。続けや」

 曹操は、その図に乗って、逃げる城兵と一緒に、城門の内へはいってしまった。彼はその際、兜のいただきへ、矢をうけて一度は落馬したが、すぐとび乗って、物ともせず将士の先頭に立った。

 しかし、審配は毅然として、防禦の采配を(ふる)った。ために、外城の門は陥ちたが内城の壁門は依然として固く、さしもの曹操をして、

「まだかつて、自分もこんな難攻の城に当ったことがない」
 と嘆ぜしめた。
「手をかえよう」

 彼は、転機に(さと)い。――頭を壁にぶつけて押しくらするような愚をさけた。

 一夜、彼の兵はまったく方向を転じて、袁尚を攻めた。

 まず弁才の士をやって、袁尚の先鋒たる馬延(ばえん)張顗(ちょうぎ)のふたりを味方へ誘引した。二将が裏切ったので、袁尚はひとたまりもなく敗走した。

 濫口(らんこう)まで退去して、ここの要害に()ろうと布陣していると、四方から焼打ちをうけて、またも進退きわまってしまったので、袁尚はついに、降伏して出た。曹操は快くゆるして、

「明日、会おう」

 と、全軍の武装を解かせ、降人の主従を一ヵ所に止めさせておいたが、その晩、徐晃と張遼の二将を向けて、袁尚を殺害してしまおうとした。

 袁尚は、間一髪(かんいっぱつ)の危機を辛くものがれて、中山(ちゅうざん)(河北省保定)方面へ逃げ走った。その時印綬(いんじゅ)旗幟(はたじるし)まで捨てて行ったので、曹操の将士からよい物笑いにされた。

 一方を片づけると、大挙して、曹操はふたたび城攻めにかかった。こんどは内城の周囲四十里にわたって漳河(しょうが)の水を引き、城中を水攻めにした。

 さきに袁譚の使いとして、曹操のところに止まっていた辛毘(しんび)は、袁尚の捨てて行った衣服、印綬、旗幟などを、槍の先にあげて、

「城中の人々よ、無益な抗戦はやめて、はやく降伏し給え」

 と、陣前に立ってすすめた。

 審配は、それに答えて、城中へ人質としておいた辛毘の妻子一族四十人ほどを、櫓に引きだして首を斬り、一々それを投げ返して云った。

「汝、この国の恩を忘れたか」


 辛毘は悶絶して、兵に抱えられたまま、後陣へひき退がった。

 けれど彼は、その無念をはらすため、審配の甥にあたる審栄(しんえい)へ、矢文を送って、首尾よく内応の約をむすび、とうとう西門の一部を、審栄の手で中から開かせることに成功した。

 冀州の本城は、ここに破れた。滔々(とうとう)濁水(だくすい)をこえて、曹軍は内城にふみ入った。審配は最後まで善戦したが力尽き捕えられた。

 曹操は、彼に苦しめられたことの大きかっただけに、彼の人物を惜しんで、

「予に仕えぬか」

 と、いった。

 すると辛毘が、この者のために、自分の妻子一族四十何名が殺されている。ねがわくは、この者の首を自分に与えられたいと側からいった。

 審配は、聞くと、その二人に対して、毅然とこう答えた。

「生きては袁氏(えんし)の臣、死しては袁氏の鬼たらんこそ、自分の本望である。阿諛軽薄(あゆけいはく)の辛毘ごときと同視されるさえけがらわしい。すみやかに斬れッ」
 袁氏の廟地(びょうち)を拝して後、従容(しょうよう)と首を授けた。

 亡国の最後をかざる忠臣ほど、あわれにも悲壮なものはない。

 審配の忠烈な死は、いたく曹操の心を打った。

「せめて、故主の城址(しろあと)に、その(かばね)でも葬ってやろう」

 冀州の城北に、(つか)を建て、彼は手厚く(まつ)られた。

 建安九年の秋七月、さしもの強大な河北もここに亡んだ。冀州の本城には、曹操の軍馬が充満した。

 曹操の嫡子曹丕(そうひ)は、この時年十八で、父の戦に参加していたが、敵の本城が陥るとすぐ随身の兵をつれて城門の内へ入ろうとした。

 当然、落城の直後とて、そこは遮断されている。番の兵卒が、

「待てっ、どこへ行くか。――丞相のご命令だ。まだ何者でも、ここを通ってはならん」

 と、さえぎった。

 すると曹丕(そうひ)の随臣は、「御曹司(おんぞうし)のお顔を知らんか」と、あべこべに叱りとばした。

 城内はまだ余燼(よじん)濛々(もうもう)と煙っている。曹丕は万一、残兵でも飛びだしたらと、剣を払って、片手にひっさげながら、物珍しげに、諸所くまなく見て歩いていた。

 すると、後堂(こうどう)のほの暗い片隅に、一夫人がその娘らしい者を抱いてすくんでいた。紅の光が眼をかすめた。珠や金釵(きんさい)が泣きふるえているのである。

「――誰だっ?」

 曹丕は足を止めた。

 女は、かすかな声で、


(わらわ)は、袁紹(えんしょう)後室(こうしつ)(りゅう)夫人です。むすめは、次男の袁煕(えんき)の妻……」

 と、眸に、憐れを乞うように告げた。

 なお問うと、袁煕は遠くへ逃げたという。――曹丕はつと寄って、むすめの前髪をあげて見た。そして自分の錦袍(ひたたれ)の袖で、娘の容顔(かんばせ)をふいてやった。

「ああ! これは夜光の珠だ」
 曹丕は、剣を拾いとって、舞わんばかりに狂喜した。そして自分は曹操の嫡男であると二女に明かして、
「助けてやる! きっと一命は守ってやる! もう慄えなくともいい」

 と云いわたした。

 その時、父の曹操は、威武堂々、ここへ入城にかかっていた。すると、彼の郷里の旧友で、黄河の戦いから寝返りしてついていた例の許攸(きょゆう)が、いきなり前列へ躍りだして、

「いかに阿瞞(あまん)。もしこの許攸が、黄河で(はかりごと)を授けなかったら、いくら君でも、今日この入城はできなかっただろう」

 と、鼻高々、鞭をあげて、いいつけられもしないのに一()(そく)の指揮をした。

 曹操は笑って、

「そうだそうだ。君のいう通りである」

 と、彼の得意をなお(あお)った。

 城門からやがて府門へ通るとき、曹操は曹丕が勝手に入ったことを何かで知ったとみえ、番兵に詰問した。

「予の前に、ここを通過した者は誰だ! 何奴か!」


 番の将士は戦慄して、

世子(せいし)でいらせられます」

 と、ありのまま答えると、曹操は激色すさまじく、

「わが世子たりとも軍法をみだすにおいては、断乎(だんこ)免じ難い。荀攸(じゅんゆう)郭嘉(かくか)、其方どもはすぐ曹丕(そうひ)を召捕ってこい。斬らねばならん」

 郭嘉は諫めて、世子でなくて誰がよく城中を踏み鎮めましょうといった。曹操は救われたように、


「むむ、それも一理ある」


 と不問に付して馬をおり、階を鳴らして閣内へ通った。

 劉夫人は、彼の脚下に拝して、曹丕の温情を嬉し泣きしながら告げた。曹操はふと、娘の甄氏(しんし)を見て、その天麗の美質に(おどろ)きながら、

「なに。曹丕が、そんな優しい情を示したというか。それはおそらく、この娘が嫁に欲しいからだろう」

 父の丞相は、冀州陣の行賞として、曹丕に冀州陣の行賞として、甄氏を彼に賜わった。



 冀州攻略もひとまず片づくと、曹操は第一着手に、袁紹と袁家累代(るいだい)墳墓(ふんぼ)(まつ)った。

 その時、彼は亡家の墓に焚香(ふんこう)しながら、

「むかし洛陽で、共に快談をまじえた頃、袁紹は河北の富強に拠って、大いに南を(はか)らんといい、自分は徒手空拳(としゅくうけん)をもって、天下の新人を糾合(きゅうごう)し、時代の革新を策さんといい、大いに笑ったこともあったが、それも今は昔語りとなってしまった……」

 と述懐して涙を流した。

 勝者の手向けた一(きく)の涙は、またよく敵国の人心を収攬(しゅうらん)した。人民にはその年の年貢をゆるし、旧藩の文官や賢才は余さずこれを自己の陣営に用い、土木農田の復興に力をそそがせた。

 府堂の出入りは日ごと頻繁を加えた。一日(あるひ)許褚(きょちょ)は馬に乗って東門から入ろうとした。すると例の許攸(きょゆう)がそこに立っていて、

「おい、許褚。ばかに大きな面をして通るじゃないか。はばかりながらかくいう許攸がいなかったら、君らがこの城門を往来する日はなかったのだぜ。おれの姿を見たら礼儀ぐらいして通ったらどうだ」

 と、広言を吐いた。

 いつぞや曹操が入城する時も、同様な高慢を云いちらして、諸将が顰蹙(ひんしゅく)していたのを思い出して、許褚はぐっと持ち前の癇癪(かんしゃく)を面上にみなぎらせた。

匹夫(ひっぷ)っ。わきへ寄れ!」
「なに。おれを匹夫だと」
「小人の小功に誇るほど、小耳にうるさいものはない。往来の妨げなすと蹴ころすぞ」
「蹴ころしてみろ」
「造作もないことだ」

 まさかとたかをくくっていると、許褚はほんとに馬上から、許攸へむかって蹴りつけた。

 当たり所が悪かったのか、許褚の怪力の所為か、許攸は路上を転がり死んでしまった。

 許褚はすぐ府堂へ行って、この由を曹操へ訴えた。

 曹操は、聞くと、瞑目(めいもく)して、しばらく黙っていたが、

「彼は、(ぎょ)しがたい小人にはちがいないが、自分とは幼少からの朋友だ。しかもたしかに功はある者。それを私憤にまかせてみだりに殺したのは怪しからん」

 と、許褚を叱って、七日の間、謹慎すべしと命じた。

 許褚が退くと、入れ代りに、一名の高士が、礼篤く案内されてきた。河東武城(かとうぶじょう)の隠士、崔琰(さいえん)であった。

 先頃から家へ使いを派して、曹操は再三この人を迎えていたのである。なぜならば、冀州国中の民数戸籍を正すには、どうしても崔琰(さいえん)諮問(しもん)しなければ整理ができなかったからである。

 崔琰は乱雑な民簿をよく統計整理して、曹操の軍政経済の資に供えた。

 曹操は、彼を別駕従事(べつがじゅうじ)の官職に封じ、一面、袁紹の子息や冀州の残党が落ちのびて行った先の消息も怠らず探らせていた。

 その後、長男の袁譚(えんたん)は、甘陵(かんりょう)、安平、渤海(ぼっかい)河間(かかん)(河北省)などの諸地方を荒らして、追々、兵力をあつめ、三男袁尚(えんしょう)中山(ちゅうざん)(河北省・保定)にいたのを攻めて、これを奪った。

 袁尚は中山から逃げて、幽州へ去った。ここに二男袁煕(えんき)がいたので、二弟合流して長兄を防ぐ一面、

亡父(ちち)の領地を()りかえさねば」

 と、弓矢を()いで、冀州の曹操を遠くうかがっていた。

 曹操は、それを知って、試みに袁譚(えんたん)を招いた。袁譚は気味悪がって、再三の招きにもかかわらず出向かずにいた。

 口実ができた。――曹操はすぐ断交の書を送って、大軍をさし向けた。袁譚は怖れて、たちまち中山も捨て平原も捨て、ついに劉表へ使いを送って、

「急を救い給われ」

 と、彼の義心を仰いだ。

 劉表は、使いを返してから、劉備にこれを計った。劉備は、袁兄弟がみな、日ならずして曹操に征伐される運命にある旨を予言して、

「どう転ぶかわからぬ人物です。関わらぬ方がよろしいでしょう」
 といった。


 荊州へ頼ろうとしたが、劉表から(てい)よく拒否された袁譚は、ぜひなく南皮(なんひ)(河北省南皮)へ落ちて行った。

 建安十年の正月。曹操の大軍は氷河雪原を越えて、ここに迫った。

 南皮城(なんひじょう)の八門をとざし、壁上に弩弓(どきゅう)を植え並べ、濠には逆茂木(さかもぎ)()って、城兵の守りはすこぶる堅かったが、()せては返し、襲せては返し、昼夜新手を変えて猛攻する曹軍の根気よさに、袁譚(えんたん)は夜も眠られず、心身ともに疲れてしまった。

 その上、大将彭安(ほうあん)が討たれたので、辛評(しんひょう)を使いとして、降伏を申し出た。

 曹操は、降使へいった。

「其方は、早くから予に仕えておる辛毘(しんび)の兄ではないか。予の陣中に留まって、弟と共に(いさお)しを立て、将来、大いに家名をあげたらどうだ」
「古語にいう。――(シュ)(タット)ケレバ臣栄エ、主憂ウル時ハ臣辱メラルと。弟には弟の主君あり、私には私の主君がありますから」
 辛評は空しく帰った。降をゆるすとも許さぬとも、曹操はそれに触れないのだ。いうまでもなく、曹操はすでに冀州(きしゅう)を奪ったので、袁譚を生かしておくことは好まないのである。

「和議は望めません。所詮、決戦のほかございますまい」


 ありのままを、辛評が告げると、袁譚は彼の使いに不満を示して、


「ああそうか。そちの弟は、すでに曹操の身内だからな。その兄を講和の使いにやったのはわしのあやまりだったよ」

 と、ひがみッぽく云った。


「こは、心外なおことばを!」

 一声、気を激して、恨めしげに叫ぶと、辛評は、地に仆れて昏絶(こんぜつ)したまま、息が絶えてしまった。

 袁譚はひどく後侮して、郭図(かくと)に善後策をはかった。郭図は強気で、

「なんの、彭安(ほうあん)が討たれても、なお名を惜しむ大将は数名います。それと南皮(なんひ)の百姓をすべて徴兵し、死物狂いとなって、防ぎ戦えば、敵は極寒の天地にさらされている遠征の窮兵、勝てぬということがあるものですか」

 と、励まして、大決戦の用意にかかった。

 突如、城の全兵力は、四方を開いて攻勢に出てきた。雪にうずもれた曹軍の陣所を猛襲したのである。そして民家を焼き、柵門を焼き立て、あらゆる手段で、曹軍を掻きみだした。

 飛雪を浴びて、駆けちがう万騎の(ひづめ)弩弓(どきゅう)のうなり、鉄箭(てっせん)のさけび、戛々(かつかつ)と鳴る(ほこ)鏘々(しょうしょう)火を降らしあう剣また剣、槍はくだけ、旗は裂け、人畜一つ(おめ)きの中に、屍は山をなし、血は雪を割って河となした。

 一時、曹軍はまったく潰乱(かいらん)に墜ちたが、曹洪、楽進などがよく戦って喰い止め、ついに大勢をもり返して、城兵をひた押しに濠ぎわまで追いつめた。

 曹洪は、雑兵には目もくれず、乱軍を疾駆して、ひたすら袁譚の姿をさがしていたが、とうとう目的の一騎を見つけ、名乗りかけて、馬上のまま、重ね打ちに斬り下げた。

「袁譚の首を挙げたぞ。曹洪、袁譚の首を打ったり」

 という声が、吹雪(ふぶき)のように駆けめぐると、城兵はわっと戦意を失って、城門の橋を逃げ争って駆けこんだ。

 その中に、郭図の姿があった。曹軍の楽進は、

「あれをこそ!」

 と、目をつけ、近々、追いかけて呼びとめたが、雪崩(なだ)れ打つ敵味方の兵にさえぎられて寄りつけないので、腰の鉄弓をといて、やにわに一矢をつがえ、人波の上からぴゅっと(つる)を切った。

 矢は、郭図の首すじをつらぬき、鞍の上からもんどり打って、五体は、濠の中へ落ち込んで行った。楽進は首を取って、槍先にかざし、

「郭図()し、袁譚(えんたん)亡し、城兵ども、何をあてに戦うか」

 と声かぎりに叫んだ。

 南皮一城もここに滅ぶと、やがて附近にある黒山(こくざん)の強盗張燕(ちょうえん)だとか、冀州の旧臣の焦触(しょうしょく)、張南などという(やから)も、それぞれ五千、一万と手下を連れて、続々、降伏を誓いに出てくる者が、毎日ひきもきらぬほどだった。

并州(へいしゅう)へ入って、高幹(こうかん)に止めを刺せ」

 と、曹操はそれに命令を下した。

 そして自身はなお幽州へ進攻して、袁煕(えんき)袁尚(えんしょう)のふたりを誅伐(ちゅうばつ)すべく準備に怠りなかったが、その間にまず袁譚の首を、城の北門に()けて、

「これを見て歎く者があれば、その三族を罰すであろう」と、郡県にあまねく布令(ふれ)た。

 ところが或る日、布冠(ぬのかんむり)をいただいて、黒い喪服を着た一処士が番の兵に捕まって、府堂へ引っ立てられてきた。

「丞相のお布令にもかかわらず、こやつは袁譚の首を拝し、獄門の下で慟哭(どうこく)しておりました」というのである。

 人品(じんぴん)の常ならぬのを見て、曹操は自身で(ただ)した。

「汝はどこの何者か」
「北海営陵(えいりょう)(山東省・濰県(いけん))の生れ王修、(あざな)叔治(しゅくち)という者です」
「郡県の高札を見ていないのか」
「見ております」

「しからば、自身のみならず、罪三族に及ぶことも承知だろうな」


「歓びを歓び、悲しみを悲しむ、これ人間の自然で、どうにもなりません」

「汝の前身、何していたか」


「青州の別駕(べつが)を務め、故袁紹の大恩をうけた者です」


「わが前で口をはばからぬ奴。小気味のいい云い方だ。しかしその大恩をうけた袁紹となぜ離れていたか」


「諫言をすすめて、主君に容れられず、政務に忠ならんとして、朋人に(ざん)せられ、職を退いて、野に流れ住むこと三年になるが、何とて、故主の恩を忘れ得ましょうや。いま国亡んで、嫡子の御首を市に見、()くまいとしても、哭かずにはいられません。――もしこの上、あの(こうべ)を私に賜わり、(あつ)く葬ることをお許し下さるなら、身の一命はおろか、三族を罪せられようとも、お恨みはつかまつりません」

 王修ははばかる色なくそういった。

 どんなに怒るかと思いのほか、曹操は堂中の諸士をかえりみて、褒め称えた。


「この河北には、どうして、かくも忠義な士が多いのか。思うに袁紹は、こういう真人(しんじん)を用いず、可惜(あたら)、野へ追いやって、ついに国を失ってしまったのだ」

 即ち、彼は王修の乞いを許し、その上、司金中郎将(しきんちゅうろうしょう)に封じて、上賓(じょうひん)の礼を与えた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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