第31話、曹操の大敗

文字数 7,502文字

 寄手の北上軍のほうでも、ここ二、三日、何となく敵方の動静に、不審を抱いていた。

 折から、情報が入ったので、

「すわや」と色めき、

「一挙に()れ」とばかり、国々の諸侯は、われがちに軍をうごかし、汜水関へは、孫堅軍が先の雪辱をとげて一番に馳け入り、虎牢関の方面では、公孫瓉(こうそんさん)の軍勢に打ちまじって、玄徳、関羽、張飛の義兄弟が第一番に踏みのぼり、関頭に立った。

「おお、焼けている!」

「洛陽は火の海だ」


 渺茫(びょうぼう)三百余里が間、地をおおうものはただ黒煙(くろけむり)だった。天を(こが)すものは炎の柱だった。

 ――これがこの世の天地か。

 一瞬、その悽愴(せいそう)さに打たれたが、いずれも入城の先頭をいそいで、十八ヵ国の兵は急潮のごとく馳け、前後して洛中へ溢れ入った。

 孫堅は、馬をとばして、まず先に市中の巡回を開始し、惨たる灰燼に、そぞろ涙を催したが、熱風の(うち)から声を励まして、

「火を消せ。消火につとめろ、財物を私するな、逃げおくれた老幼は保護してやれ、宮門の焼け(あと)へ歩哨を配置せい!」

 と、将兵に下知(げち)して、少しも怠るところがなかった。

 諸侯の軍勢も、各地を選んで陣を動かしたが、曹操(そうそう)は早速、袁紹に会って忠告した。


「何も下知が出ないようだが、この機をはずさず、長安へ落ちて行った董卓を追撃すべきではないか。なんで、悠々閑々と、無人の焼け跡に、腰をすえておられるか」


「いや、月余の連戦で、兵馬はつかれている。すでに洛陽を占領したのだから、ここで二、三日の休養はしてもよかろう」

「焦土を奪って、なんの誇るところがあろう。かかる間にも、兵は(おご)り、気は()してくる。(ゆる)まぬうちに、疾く追撃にかかり給え」


「君は予を奉じた者ではないか。追討ちにかかる時には、軍令をもって沙汰する。いたずらに私言をもてあそんでは困る」


 袁紹は、横を向いてしまった。


「ちぇッ……」


 持ち前の気性が、むらむらと曹操の胸へこみあげてきた。一喝、彼の横顔へ、


豎子(じゅし)、共に語るに足らん!」
 と(ののし)ると、たちまち、わが陣地へ帰って来て、
「進軍っ。――董卓を追いまくるのだっ」

 と、叫んだ。

 彼の手勢としては、夏侯淵(かこうえん)、曹仁、曹洪(そうこう)などの幕下をはじめとして一万余騎がある。西方長安へさして落ちのびて行った敵は、財宝の車輛荷駄や婦女子の足手まといをつれ、昏迷狼狽の雪崩(なだ)れを打って、列伍もなさず、戦意を喪失しているにちがいない。

「追えや、追えや。敵はまだ遠くは去らぬぞ」


 と、曹操は急ぎに急いだ。


      ×     ×     ×

 一方――

 帝の車駕をはじめおびただしい洛陽落ちの人数は、途中、行路の難に悩みながら、熒陽(けいよう)まで来て、ひと息ついていた所へ、早くも、


「曹操の軍が追ってきた」

 との情報に、色を失って、帝をめぐる女子たちの車からは悲しげな嗚咽(おえつ)さえ洩れた。


「このままでは追いつかれるぞ」

「さわぐことはありません。相国(しょうこく)、ここの天嶮は、伏兵(ふくへい)をかくすに妙です」


 李儒は、熒陽城(けいようじょう)のうしろの山岳を指さした。彼はいつも董卓の智慧(ぶくろ)だった。彼の口が開くと、董卓はそれだけでも心が休まるふうに見えた。


 帝陵の丘をあばいて発掘した莫大な重宝を、先に長安へ輸送して任を果たし終った呂布軍も、一足あとから熒陽城に入り、李儒と合流した。


「相国は、たった今落ちのびて行かれたか」


「まだ、この城楼から見えるほどだ。オオ、あれへ行くのがそうだ。見給え」


 と、楼台に誘って、彼方の山岳を指さした。

 羊腸(ようちょう)たる山谷の道を、蟻のように辿(たど)ってゆく車駕や荷駄や大兵の列が見える。

 やがてそれは雲の裡にかくれ去った。

 呂布は、眼を辺りへ移して、


「この小城では守るに足らん。李儒、貴公はここで曹操の追手を防ぐ気か」


 と、たずねた。

 李儒は、頭を振って、


「いやこの城は、わざと敵に与えて敵の気を(おご)らせるためにあるのだ。殿軍の大兵は、みな後ろの山谷に伏兵として潜めてある。――貴殿もここにいては、呂布ありと敵が大事をとって、かえって誘うに困難だから、あの山中へひいて潜んでいてくれ」

 といった。

 李儒の謀計を聞いて、


「心得た」

 呂布も山へかくれた。

 かかる所へ、曹操は一万余の手勢をひいて、ひたむきに殺到した。

 またたく間に、熒陽城(けいようじょう)を突破し逃げる敵を追って、山谷へ入った。

 不案内な山道へ誘いこまれたのである。しかもなお、曹操は、


「この分なら、董卓や帝の車駕に追いつくのも、手間ひまはかからぬぞ、殿軍の木ッ端どもを蹴ちらして追えや追えや」

 と、いよいよ意気を()げていたのであった。

 なんぞ知らん。

 鹿を追うこと急にして、彼ほどな男も、足もとに気づかなかった。

 突如として。

 四方の谷間や断崖から、(とき)の声が起ったのだ。

「伏せ勢?」

 気のついた時は、すでに曹操ばかりでなく、彼の一万余兵は、まったく袋の中の鼠になっていた。

 道を求めんと、雪崩れ打てば、断崖の上から大石が落ちてきて道を埋め、渓流を渡って、避けんとすれば、彼方の沢や森林から雨のごとく矢が飛んできた。

 曹操の軍は、ここに大敗を遂げた。殲滅(せんめつ)的に打ちのめされた。


「あれも斃れたか。おお、あれも死んだか」


 曹操は、自分の目の前で、死んでゆく幕下の者を見ながら、なお戦っていた。

 時分はよしと思ったか、呂布は谷ふところの一方から、悠々、馬を乗り出して、彼へ呼びかけた。


「おうっ、驕慢児(きょうまんじ)曹操っ。野望の夢もいま醒めたろう。笑止や、主にそむいた亡恩の天罰、思い知るがいい」

 呂布は、死にもの狂いの曹操を雑兵の囲みにまかせて、自分は小高い所から眺めていた。

 曹操は、見つけて、


「おのれ、あれなるは、たしかに呂布、せめて一太刀」
 と、さえぎる雑兵を蹴ちらして、呂布の立っている高地へ近づこうとしたが、董卓(とうたく)直参(じきさん)李傕(りかく)が、横合いの沢から一群を率いてどっと馳けおり、
「曹操を生擒(いけど)れ」

「曹操を逃がすな」

「曹操こそ、乱賊の主魁(しゅかい)ぞ」


 と、口々に呼ばわって、伏兵の大軍が、彼ひとりを目標に渦まいた。

 八方の沢や崖から飛んでくる矢も、彼の前後をつつむ剣も(ほこ)も、みな彼一身に集まった。

 しかも曹操の身は今や、まったく危地に墜ちていた。うまうまと敵の策中にその生殺を捉われてしまった。

 ――君は戦国の奸雄(かんゆう)だ。

 と、予言されて、むしろ本望なりとかつてみずから祝した驕慢児(きょうまんじ)も、今は、絶体絶命とはなった。

 奇才縦横、その熱舌と気魄をもって、白面の一空拳よく十八ヵ国の諸侯をうごかし、ついに、董卓をして洛陽を捨てるのやむなきにまで――その鬼謀は実現を見たが――彼の夢はやはり白面青年の夢でしかなく、はかない現実の末路を()げてしまうのであろうか。

 そう見えた。

 彼もまた、そう覚悟した。

 ところへ、一方の血路を斬りひらいて、彼の臣、夏侯淵(かこうえん)は主を求めて馳けつけてきた。

 そしてここの態を見るや否や、

「主君を討たすな」
と、一角から入りみだれて猛兵を突っこみ、李傕(りかく)を追って、ようやく、曹操を救けだした。
「ぜひもありません。かくなる上は、お命こそ大事です。ひとまず麓の熒陽(けいよう)まで引き退がってください」

 夏侯淵は、わずか二千の残兵を擁して踏みとどまり、曹操に五百騎ほど守護の兵をつけて、

「早く、早く」と促した。

 (かえり)みれば、一万の兵は、打ちひしがれて、三千を出なかった。

 曹操は、麓へ走った。

 しかし、道々幾たびも、伏兵また伏兵の奇襲に脅やかされた。従う兵もさんざんに打ち減らされ、彼のまわりにはもう十騎余りの兵しか見えなかった。

 それも、馬は傷つき、身は深傷(ふかで)を負い、共に歩けぬ者さえ加えてである。

 みじめなる落武者の境遇を、曹操は死線のうちに味わっていた。

 人心地もなく、迷いあるいて、ただ麓へ麓へと、うつろに道を捜していたが、気がつくと、いつか陽も暮れて、寒鴉(かんがらす)の群れ啼く疎林(そりん)のあたりに、宵月の()はいが(ほの)かにさしかけている。

「ああ、故郷の山に似ている」

 ふと、曹操の胸には父母のすがたがうかんできた。大きな月のさしのぼるのを見ながら、


「親不孝ばかりした」


 驕慢児(きょうまんじ)の眼にも、真実の涙が光った。(もろ)い一個の人間に返った彼は、急に五体のつかれを思い、喉の(かつ)に責められた。


「清水が湧いている……」


 馬を降りて、彼は清水へ顔を寄せた。そして、がぶとひと口飲み干したと思うと、またすぐ近くの森林から執念ぶかい敵の(とき)の声が聞えた。


「……やっ?」

 ぎょッとして、馬の背へ飛び移るまに、もう残るわずかな郎党も矢に(たお)れたり、逃げる力もなく、草むらに、こときれてしまっている。

 追いかけて来たのは、熒陽城太守の徐栄の新手(あらて)であった。徐栄は、逃げる一騎を曹操と見て、


「しめたッ」

 ひきしぼった鉄弓の一矢を、ぶん! ――と放った。

 矢は、曹操の肩に立った。


「――しまったッ」


 曹操は叫びながら、馬のたてがみへうつ伏した。

 またも、徐栄の放った二つの矢が、びゅんと耳のわきをかすめてゆく。

 肩に突っ立った矢を抜いている(いとま)もなかったのである。

 その矢傷から流れ出る血しおに馬のたてがみも鞍も濡れひたった。馬は血を浴びてなお狂奔をつづけていた。

 すると、一叢(ひとむら)の木蔭に、ざわざわと人影がうごいた。


「あっ、曹操だっ」と、いう声がした。

 それは徐栄の兵だった。徒歩(かち)立ちで隠れていたのである。一人がいきなり槍をもって、曹操の馬の太腹を突いた。

 馬は高くいなないて、竿立ちに狂い、曹操は大地へはね落された。

 徒歩兵(かちへい)四、五人が、わっと寄って、

生擒(いけど)れっ」とばかり折り重なった。

 仰向けに仆れたまま、剣を抜き払って、曹操は二人を斬っただけで、力尽きてしまった。

 落馬した刹那に、馬の(ひづめ)肋骨(あばら)をしたたかに踏まれていたからだった。


 時に。

 曹操の従兄弟曹洪(そうこう)は、乱軍の中から落ちて一人この辺りをさまよっていたが、異なる馬の啼き声がしたので、


「や。……今のは曹操の愛馬の声ではないか」
 と、馳けつけてきて、月明りにすかしてみると、今しも曹操はわずかな雑兵輩(ぞうひょうばら)の自由になって、(いまし)められようとしている様子である。
「くそッ」

 跳ぶ如く馳け寄って、一人を後ろから斬り伏せ、一人を()ぎつけた。驚いて、逃げるは追わず、すぐ曹操の身を抱き上げて、


「しっかりして下さい。曹洪です」


「あ、おまえか」


「お気がつきましたか。――さっさっ、私の肩につかまってお()ちなさい。今逃げた兵が、徐栄の軍を呼んでくるに違いありません」


「だ、だめだ……曹洪」


「なんですと?」


「残念ながら、矢傷を負い、馬に踏まれた胸も苦しい。この身は打捨てて行け。おまえだけ、早く落ちて行ってくれ」


「心弱いことを仰っしゃいますな。矢傷ぐらい、大したことはありません。いま、天下の大乱、この曹洪などはなくとも、曹操はなくてはなりません。一日でも、生きてゆくのは、あなたの天から()けている使命です」


 曹洪は、こう励まして、曹操の着ている鎧甲(よろいかぶと)を解いて身軽にさせ、小脇に抱いて、敵の捨てたらしい馬の背へしがみついた。

 果して。

 わあっ……と、徐栄の手勢が、後から追って来た。

 曹洪は、心も空に、片手に曹操を抱え、片手に手綱をとり、


「この身はともかく、曹操の一命こそ、大事の今。諸仏天(しょぶってん)加護ありたまえ」


 と、(いの)りながら無我夢中に逃げつづけた。



 林を抜け「やれ、麓へ出たか」と、思ってふと見ると、満々たる大河が行く手に横たわっているではないか。それと見た曹操は、苦しげに、曹洪をかえりみて、


「ああ、わが命数も極まったとみえる。曹洪、降ろしてくれ、いさぎよくおれはここで自害する。――敵のやって来ないうちに」

 と、死を急いだ。

 曹洪は、曹操を抱いて、馬から降りたが、決して抱いている手をゆるめなかった。

「なんです、自害するなんて、平常のあなたのご気性にも似あわぬことを!」
 と、叱咤して、

「前にはこの大河、うしろからは敵の追撃、今やわたし達の運命は、ここに終ったかの如く見えますが、(もの)(きわ)まれば通ず――という言葉もある。運を天にまかせて、この大河を越えましょう」


 河岸に立つと、白浪のしぶきは岸砂を洗い、流れは急で、飛鴻(ひこう)も近づかぬ水の(すがた)であった。

 身に着けている重い物は、すべて捨てて、曹洪は一剣を口にくわえ、傷負(ておい)の曹操をしっかと肩にかけると、ざんぶとばかり濁流の中へ泳ぎ出した。

 江に接していた低い雨雲がひらくと、天の一角が鮮明に(いろど)られてきた。いつか夜は白みかけていたのである。満々たる江水は虹に燃え立って、怪魚のように泳いでゆく二人の影を揉みに揉んでいた。

 流れは烈しいし、深傷(ふかで)を負っているので、曹洪の四肢は自由に水を切れなかった。見る見るうちに、下流へ下流へと押流されてゆく。

 しかし、ついに彼岸(ひがん)は、眼のまえに近づいた。


「もうひと息――」

 と、曹洪は、必死に泳いだ。

 対岸の緑草は、ついそこに見えながら、それへ寄りつくまでが容易でなかった。激浪がぶつかっては、渦となって波流を渦巻いているからだった。

 すると。

 その河畔からやや離れた丘に徐栄の一部隊が小陣地を布いていた。河筋を監視するために、二名の歩哨が立って、暁光の美観に見とれていたが――

「やっ? なんだろ」

 一人が指さした。

「怪魚か」

「いや、人間だっ」


 あわてて部将のところへ()らせに馳けた。

 部将もそれへ来て、

「曹操軍の落武者だ。射てしまえ」と、弩弓手(どきゅうしゅ)へ号令した。

 まさかそれが曹操とは気づかなかったので、緩慢(かんまん)にも弓組の列を布いて、射術を競わせたものだった。

 びゅっん――

 ぶうっん――

 弦は鳴り矢はうなって、彼方(かなた)の水ぎわへ、雨かとばかり飛沫を立てた。

 曹洪は、すでに岸へ這いついていたが、前後に飛んでくる敵の矢に、しばらく、死んだまねをしていた。

 その間に、「どう逃げようか」を、考えていた。

 ところがかえって、遥か河上から、一手の軍勢が、河に沿って下って来るのが見えた。朝雲の晴れ渡った下にひるがえる旗幟(きし)を望めば、それはまぎれもなく熒陽城の太守徐栄の精鋭だった。

「あれに見つかっては」と、曹洪は、気も顛動(てんどう)せんばかりにあわてた。矢ばしりの中も今は恐れていられなかった。剣を舞わして、矢を縦横に()ぎ払いながら馳け出した。

 曹操も、矢を払った。二人か一人か、それは遠目には分らないほど、相擁しながら馳けたのである。

 丘の上の隊も、河に沿って来た一群の軍勢も、曹操兄弟が矢風の中を(しの)いで馳け出した影を見ると、

「さては、名のある敵にちがいないぞ。逃がすな」

 と、たちまち砂塵をあげて、東西から追いちぢめ、そのうち一小隊は、早くも先へ馳け抜けて、二人の前をも立ちふさいでしまった。


 丘から射放つ矢は集まってくる。

 (とど)まるも死、進むも死だった。

 一難、また一難。死はあくまで曹操をとらえなければ止まないかに見えた。


「この上は、敵の屍を山と積み、曹家の最期として、人に笑われぬ死に方をして見せましょう。お覚悟ください」


 曹洪も、ついに決心した。

 そして曹操と共に、剣をふりかざして、敵の中へ斬りこんだ。

 敵は、さわいで、


「やあ、曹家といったぞ。さては曹操、曹洪と見えたり」

「思いがけない大将首、あれを()らずにあるべきや」


 餓狼(がろう)が餌を争うように二人を(おお)いつつんだ。

 すると。

 彼方の野末から、一陣の黄風をあげて、これへ馳けて来る十騎ほどの武士があった。

 ゆうべから主君曹操の行方をさがし歩いていた夏侯惇(かこうじゅん)夏侯淵(かこうえん)の二将の旗下(はたもと)たちだった。


「おうっ、ご主君これにか」

 十槍の穂先をそろえて、どっと横から突き崩して来た。


「いざ、()く」


 と曹兄弟に、馬をすすめ、夏侯惇はまっ先に、


「それっ」

 と敵兵を突き崩しながら逃げだした。

 矢は急霰(きゅうさん)のように追ったが、徐栄軍はついに追いきれなかった。曹操たちは、一叢(ひとむら)蒼林(そうりん)を見て、ほっと息をついた。見ると五百ばかりの兵馬がそこにいる。

「敵か、味方か?」

 物見させてみると、僥倖(ぎょうこう)にも、それは曹操の家臣、曹仁、李典、楽進たちであった。


「おお、ご無事でおいで遊ばしたか」


 と、楽進、曹仁らは、主君のすがたを迎えると、天地を拝して歓び合った。

 戦は、実に惨憺たる敗北だったが、その悲境の中に、彼らは、もっとも大きな歓びをあげていたのだった。

 曹操は、臣下の狂喜している様を見て、


「アア我誤てり。――かりそめにも、将たる者は、死を軽んずべきではない。もしゆうべから暁の間に、自害していたら、この部下たちをどんなに悲しませたろう」
 と、痛感した。

(戦にも、負けてみるがいい。敗れて初めて(さと)り得るものがある)


 負け惜しみでなくそう思った。

 一万の兵、余すところ、わずか五百騎、しかし、再起の希望は、決して失われていない。


「ひとまず、河内郡(かだいぐん)に落ちのびて、後図(こうと)を計るとしよう」


 曹操はいった。

 夏侯惇、曹仁たちも、


「それがよいでしょう」と答えた。


 兵馬に令してそこを()った。

 一竿(かん)の列伍は淋しく河内へ落ちて行った。山河は蕭々(しょうしょう)と敗将の胸へ悲歌を送った。生れながら気随気ままに育って、長じてもなお、人を人とも思わなかった曹操も、こんどという今度はいたく骨身に(こた)えたものがあるらしかった。

 道すがら、耿々(こうこう)の星を仰ぎ、


「乱世の奸雄だと、かつて人相見がおれにいった。おれは満足して起った。よろしい、天よ、百難をわれに与えよ、奸雄たらずとも、必ず天下の一雄になってみせる」


 彼はひとり呟いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色