第128話、張飛と馬超

文字数 8,717文字

 彗星(すいせい)のごとく現われて彗星のようにかき()せた馬超は、そも、どこへ落ちて行ったろうか。

 ともあれ、隴西(ろうせい)の州郡は、ほっとしてもとの治安をとりもどした。

 夏侯淵は、その治安の任を、姜叙に託すとともに、


「君はこのたびの乱に当ってよく中央の威権を保った勲功第一の人だ」


 と、楊阜を敬って、車に乗せ、()いて都へ上洛させた。

 やがて、車が許都へつくと、曹操はその忠義をたたえ、


「以後、関内侯(かんだいこう)に封ぜん」

 と、いった。

 楊阜は、かたく辞して、

「冀城に主を失い、歴城に一族を鬼と化し、なお馬超は生きている今、何の面目あって、身ひとつに栄爵を飾れましょう。恥かしい極みであります」


 と、恩爵をうけなかったが、かさねて曹操から、


「ご辺の進退、その謙譲(けんじょう)西土(せいど)の人々、みな美談となす。もしその忠節を顕わさなければ、曹操は暗愚なりといわれよう。栄爵はひとりご辺を耀(かがや)かすものではなく、万人の忠義善行の心を振い磨く励みとなすものであることをよく察せよ」

 と、いうことばに、楊阜もついに(いな)みがたく、恩を拝して、一躍、関内侯の大身になった。



 さて、馬超とその部下、馬岱、龐徳などは、流れ流れて漢中にたどりつき、この国の五斗米教(ごとべいきょう)の宗門大将軍張魯(ちょうろ)のところへ、身をよせた。

 張魯に年頃のむすめがある。張魯の思うには、


「馬超は世にならびなき英傑といってよい。年も若いし、彼女(あれ)を馬超にめあわせて、張家の婿とするときは、漢中の基業はまさに確固なものとなろう。そして、将来の対蜀政策にも強味を加えることはいうをまたない」


 これを、一族の大将楊柏(ようはく)に相談すると、楊柏は、


「さあ、どうでしょうか?」
 と、すこぶる難色ある顔つきだ。

「いけないかね」


「考えものでしょうな」


「どうして」


「馬超は、勇はあっても、才略のない人ですからね。それに馬超その人の性行をみるに、親を殺された曹操に対する復讐心にのみ、とらわれているようで、そのような人物が果たして漢中の事を真に考えてくれるものでしょうか」

 これで縁談は止んでしまった。

 ところが、それを馬超が小耳にはさんで、楊柏(ようはく)に恨みをふくんだ。要らざることをいって水をさすやつだ――というわけである。楊柏は彼に殺されるかもしれないと思って恐れだした。で、兄の楊松を訪ねて、


「助けて下さい。何とか考えて下さい」

 と、泣訴した。

 ところへ蜀の太守劉璋の密使として、黄権(こうけん)がこの国へ来た。ちょうどその日楊松は黄権と密談する約束だったので、弟を邸に待たせておいて、彼の客館を訪問した。

 黄権がいうには、

「先頃から正式に使いをもって、たびたび張魯将軍へ(たす)けをおねがいしてあるが、容易に蜀を援けんとはおっしゃらない。今もし劉備のために蜀が敗れたら、必然、そのあとは漢中の危機となることは、両国唇歯(しんし)の関係にある地勢歴史の上から見てもあきらかなことですのに」

 そしてさらに黄権は、もし漢中の兵をもって、劉備を退治してくれるなら、蜀の二十州を()けて、漢中の領土へ附属せしめる用意がこちらにはあると、外交的な熱意と弁を尽した。


「よろしい。もういちど、張魯将軍の御前で評議してみましょう」


 楊松は、尽力を約して、張魯の法城へのぼった。そしてこの懸案を再度議していると、折から見えた馬超が、


「それがしに一軍をお貸しあれば、葭萌関(かぼうかん)を破って、一路蜀に入り、劉備を()って、今日の厚恩におむくいして見せん」

 と、断言した。

 馬超が()けば、成功疑いなしと思った。張魯はここに意を決して、一軍を彼にさずけ、楊柏を軍奉行(いくさぶぎょう)として、ついに援蜀政策を実行に移した。



 日は没しても戦雲赤く、日は出でても戦塵に(くら)かった。

 劉備軍と、蜀軍と。

 いまや成都は指呼(しこ)のあいだにある。綿竹関(めんちくかん)の一線を境として。

 ここが(おち)れば、蜀中はすでに劉備の(たなごころ)にあるもの。ここに敗れんか、劉備の軍は枯葉(こよう)と散って、空しく征地の鬼と化さねばならぬ。


「や。あれは?」


 劉備は今、その本陣にあって、耳を(ろう)せんばかりな鉦鼓(かねつづみ)を聞いた。しかし彼の眉は晴々とひらいた。そこへ麓から使者が馳せてきて大声に披露した。

「綿竹関第一の勇将李厳(りげん)を、お味方の魏延(ぎえん)(から)め捕りました」



「おお、その凱歌か」


 劉備は、伸び上がって待ち受けていた。

 魏延が、捕虜の李厳をひいて来た。劉備は魏延の功を称するとともに、李厳の縄を解いて敬った。

 李厳は、恩に感じて、随身の誓いを入れ、同時に暇を乞うて、綿竹関へひとたびかえった。

 綿竹関の大将費観(ひかん)と彼とは、莫逆(ばくぎゃく)の友である。すなわち李厳は、この友に、劉備の高徳を説いた。

「君がそれほど賞めるくらいなら、劉備はまさしく真の仁君(じんくん)かもしれない。もとよりお互いに生死を共に誓った仲だ。君のすすめにまかせて城をあけ渡そう」


 費観は伴われて、城を出た。かくて綿竹関も、ついに劉備の入城をゆるした。


 この前後のことである。地理的にみて、ほとんど、遠い異境の英雄とのみ思われていた西涼(せいりょう)の馬超という名が、忽然とこの蜀にまで聞えてきたのは。

 しかも、頻々(ひんぴん)、早馬の急報によれば、その馬超が、漢中の兵馬を率いて、葭萌関(かぼうかん)へ殺到しつつあるという。


「さては、成都の劉璋(りゅうしょう)が、窮する余りに、国を()いて漢中に附与し、張魯へ膝を屈した結果とみえる」


 劉備は孔明に対策をたずねた。孔明は、葭萌関(かぼうかん)に、張飛、魏延(ぎえん)を附し、後陣には、劉備を仰いだ。この編制を見ても、いかに彼が葭萌関(かぼうかん)の防ぎを重視したかがわかる。



 葭萌関は四川(しせん)陝西(せんせい)の省境にあたる嶮要(けんよう)で、もしこれへ劉備の援軍が入ったら、いよいよ破ることは難しいと察していたので、漢中軍をひきいた馬超は、

「劉備の新手が着かないうちに」

 と、連日、猛攻撃をつづけていたのだった。

 しかし、すでにその先手も中軍も、関内へ到着して、この日、城頭には、新たな旌旗(せいき)が目ざましく加わっていた。

「急変にあわてて、長途を駆けつけて来た劉備以下、何の怖るることがあろう」


 馬超の勢は、猛攻の手をゆるめず、いよいよ急激に関門へ迫っていた。

 すると、関上から一(ぴょう)の兵が、一人の大将を先にして、漢中軍の先鋒へ、決戦を挑んできた。


「知らぬか、劉備の麾下(きか)に魏延がおることを」


 魏延と聞いて、漢中の馬岱は、


「よき敵」
 と、駆け寄って、紅槍(こうそう)をひねって、それを迎え、戦うことしばし、敵の力量を察して、
「強敵。油断ならじ」
 と思ったのか、とっさ、馬をめぐらして、楯の蔭へ逃げこもうとした。
「待てッ」

 魏延の声に振り向きながら、


「これかっ」


 と、答えて、馬岱は、(くれない)の槍をさっと投げた。

 魏延が身を沈めた。

 そのまに、馬岱は、腰の半弓をはずして、(ちょう)とつがえ、一矢送った。

 矢は、魏延の右の腕にあたった。魏延はあやうく鞍輪をつかんで落馬をまぬかれたが、鮮血はあぶみを染めて(あけ)にした。

 これを(しお)に、魏延は、馬をかえして、葭萌関(かぼうかん)の内へ駆けこんでしまった。馬岱は、ひとたび崩れだした味方を立て直して、また、関門の下へ(うしお)の如く()せ返した。

 すると関上から、改めて、さらに一人の猛将が駆け下りてきた。――自ら大声に名乗るを聞けば、

「燕人張飛!」


 という。

 聞くや、馬岱は、


「長年、出会いたいと思っていた張飛とは汝か。願うてもない好敵。いざ」


 と、大剣を鳴らして迫った。

 すると張飛は、


「貴様は馬超か」
 と、訊いた。

「いや。俺は馬超の一族、馬岱というものだ」


「なに、馬岱。そんな者では相手にならん。馬超を出せ」


「だまれ。おれの手並を見てからものをいえ」


 馬岱はもう斬りかけていた。

 しかし、一丈八尺の大矛(おおほこ)は、すぐ馬岱の剣をたたき落してしまった。馬岱が恐れて逃げかけると、


「こらっ馬岱。その首を置いてゆけ」


 と張飛は、ほとんどからかい半分に呶鳴りながら追おうとした。

 すると、関門の上から、張飛を呼びとめる人がある。戻ってみると、主君劉備だった。劉備はいう。


「あまりに敵を軽んじてはいけない。きょうはここへ着いたばかり。兵馬も疲れておる。関門を閉じて、兵にも馬にも休息を与えよ」


 それから劉備は矢倉へのぼって、敵陣を瞰望(かんぼう)していた。すると、麓の近くに、静かなこと林のような一群の旌旗(せいき)が見える。やがて、その陣前に馬をおどらせて、悠々、戦気を養っているひとりの大将をながめるに、長槍を横たえて、威風ことにあたりを払ってみえる。

「ああ。馬超馬超。いま世上の人々が、馬超の英姿をたたえて、西涼の(きん)馬超というとか。――あれにみゆるは、まさにその者にちがいない。好い武者振りかな」


 劉備が賞めちぎっているのを聞くと、張飛は(きば)()んで、身をうずかせていた。


 馬超は、関門の下へ来て、


「張飛はどこへ隠れたか。わが姿を見て逃げ()じたか。蜂の巣の蜂よ。門をひらいて出てこぬか」


 と呼ばわっていた。

 張飛は、矢倉の上から、


「おのれ、その口を」
 と、全身を(こぶ)にし、腕を(やく)して、覗いていたが、傍らにある劉備が、
「きょうは出るな」

 と、どうしても許さなかった。

 翌日も馬超の軍は、これへ来て前日のように、城門へ(つば)をした。

「いまは行け」


 と、ついに劉備のゆるしを得、そこを八文字に開くやいな、丈八の矛を横たえて繰りだし、


「われこそ、燕人張飛なり。見知ったるか」

 と、立ちはだかった。

 馬超は、哄笑した。

「わが家は、世々、公侯の家柄だ。なんで汝のような田舎出の匹夫など知るものか」


「なにを」

 ここに両雄の凄まじい決戦が行われだした。その烈しさは、見る者の(きも)をちぢめさせた。まさに猛鷲(もうしゅう)と猛鷲とが、相搏(あいう)って、肉を()みあい、雲に叫び合うようだった。

 百合余り戦っては、馬を換えてまた出会い、五、六十合火をふらしては、水を求めてまた戦闘した。

 このあいだ両軍の陣は遠くに退いて、ただ(かね)を鳴らし()を打ち、自己の代表者を励ますべく、折々わあっ、わあっ、と声海嘯(こえつなみ)を揺るがしているだけなのである。

 時間にすると、中天の()が西の空へ傾くまで、さらに勝負もつかず、馬超も張飛も、いよいよ精気と神力をふるっていた。

 そろそろ陽が(くら)くなりかけた。両軍のあいだに、使者の交換が行われ、

(かがり)()くあいだ、しばし軍を収めて、敵味方の二将軍にも、休息をねがい、さらに、精気をあらためて決戦しては如何」と、なった。

 そこで、双方同時に、退()き鉦をならす――馬超も張飛も、満面から湯気をたてて自陣へさがった。

 時をおいて、ふたたび張飛が、関門を出ようとすると、劉備が、

「夜に入った、(いくさ)明日(あした)にいたせ」

 と関中に止めて放さなかった。

 万一、張飛が負けて、馬超に討たれでもしてはと、きょうの合戦を見てから、にわかに、心配になったからである。

 ところが寄手は、夜に入っても退かず、明々の松明(たいまつ)をつらね、篝火(かがりび)を焚き、

「張飛、もう出てくる精はないのか」

「何をっ」


 ついに、劉備の命に(そむ)いて、無断、関門をひらき、馬超へ向っておどりかかった。

 馬超は、もろくも逃げだした。もとより詐術(さじゅつ)である。それとは張飛もさとっていたが、彼の性格として、


「きたないぞ、馬超。最前の広言はどこへ置き忘れた」


 と、追いかけ、追いかけ、つい深入りしてしまった。

 急に、馬をとめたと思うと、馬超は振り向いて、矢を放った。張飛は身をかがめたまま、馬の鼻を突進させてゆく。

 弓を捨てると、馬超は、(あかがね)づくりの八角棒を持って、張飛を待った。張飛の蛇矛(じゃぼこ)は、彼の猿臂(えんび)を加えて、二丈あまりも前へ伸びた。

「待て。張飛」


 うしろの声だった。

 劉備が追ってきたのである。劉備は、馬超へ向って云った。


「自分は天下へ向って、仁義を旗じるしとし、きょうまで、まだ一度もあざむいたことはない。――自分を信じて、きょうは退()き給え、それがしも退くであろう」


 終日の戦に、さすが疲れていた馬超は、それを聞くと、


「さらば」


 と、劉備に一礼を投げ、きれいに陣を退き去った。

 その夜、軍師孔明が、ここに着いた。


「戦況如何に」

 と案じて来たものであろう。つぶさにその日の状況を聞きとると、やがて劉備の前に出て忠言した。


「馬超と張飛と、このまま、幾たびも戦わせておいたら、かならず一方は討死するにきまっています。両方とも、稀世の英傑。これを殺すことは(おそ)れながらあなたのご徳望を(そこ)ねましょう」

 孔明はまず、その愚を止めた。劉備ももとより同じ気持だった。しかし、敵の英傑を助けるには、その人を、味方に招く以外に方法はない。さもなければ、味方の禍いであり、あらゆる手段を以てしても、これを除く工夫をしないわけにゆかない。


「――天恵です、それに一案があるのです。かならず馬超はお味方へ招いてみせます。私がにわかにこれへ来たのもそのためにほかならないのです」


 孔明はいう。そして、疑う劉備にむかい、その理由ある所以(ゆえん)を次のように説明した。


「このところ、馬超が、つねにも増して、強いわけは、今や彼の立場は、進んでも敵、退いても敵、進退両難に陥っているためで、いわゆる捨身(すてみ)奮迅(ふんじん)だからです」


 こう冒頭して――


「なぜ馬超が、そんな苦しい立場に陥っているかというに、実は、それもかくいう臣孔明が、手をまわして、そのたねを()いておいたものでした。元来、漢中の張魯(ちょうろ)という野心家は、どうかして漢寧王(かんねいおう)の称号を得たいと常々から(ねが)っておるので、その腹心の楊松へ私から密書をやっておきました。楊松はまた慾に目のない男ですから、多額な金品をあわせ賄賂(まかの)うてくれたことも申すまでもありません。――そこで私の書中には――わが主劉備が蜀を収めたら、天子に奏して、きっと張魯をして、漢寧王に封ずるように運動しよう。このことは確約してもよろしい。……しかしそのかわりに、馬超を葭萌関(かぼうかん)から呼び返し給え。そう申しつかわしたわけです」
「なるほど」

 劉備は孔明の遠謀に、今さらながら(おどろ)きの目をみはっていた。


「――交渉数回、もともとそれに野望のある張魯ですし、楊松へもいろいろ好条件をつけてやりましたから、私と漢中との、秘密外交はまとまっているのです。で、漢中の方針は、急角度に一変し、ここへ攻めてきている馬超に対して、即時引き揚げよと、張魯から幾たびも早馬が来ておるはずです」


「ほう。そうであったか」


「しかしです。――馬超が素直にそれを()くわけはありません。彼は国のない者です。この機会に自己の地盤なり兵力なりを持たなければ生涯の機を逸するものと深く思っているにちがいない。(かたがた)、諸州への外聞もある。――漢中の命令を耳にも入れず、かえっていよいよ急にここを攻めているものなのです」
「――む、む」
「張魯の心証は、俄然、馬超に対して悪化しました。弟の張衛(ちょうえい)もまた、楊松と親密なので、大いに馬超を讒言(ざんげん)し始め、馬超は漢中の兵を借りたのを奇貨として、蜀を攻め取り、後には漢中へ弓をひく料簡だろう――と、そんなことを云い()らし始めたのです」

「張魯のこころは?」


「同様に怒り立って、ついに張衛に兵を与えて国境に立たせ、たとえ馬超が帰るも、漢中に入るるなかれと命令し、かつ、使者をもって、馬超の陣へ臨ませ――汝、命にそむいて、ここを引き揚げぬからには、一ヵ月のあいだに三つの功を遂げよ。一、蜀を取る。二、劉璋(りゅうしょう)の首を刎ね、三、劉備以下荊州軍をことごとく蜀外に追い払え。――と申し渡したとか。以上は、馬超の身を包んでいる事情です。その窮地を私は救ってやろうと考えます。どうか私の三寸の舌におまかせ下さい」

「軍師みずから行って馬超を説かんといわれるのか」


「そうです。それくらいな誠意をこちらも示さねば……」


「危ない。万一、不慮の事が生じたら取り返しがつかぬ」


「いや、ご心配はありません。明日、朝の光を見たら、直ちに行って、馬超に面会を求めましょう」


「まあ、今夜一晩、考えてからにしよう」


 劉備は容易にゆるさない。しかし次の日となると、はからずもここへ、ひとりの適当な人物が、天の配剤かのごとく、劉備を訪ねて来た。



 その人は、李恢(りかい)(あざな)徳昂(とっこう)といい、蜀中の賢人といわれ、士民の尊敬も浅くないので、綿竹(めんちく)の城にある趙雲からわざわざ書簡をそえて紹介して来たものであった。

 李恢(りかい)は劉備にいった。

「孔明軍師がこちらへお出でになったでしょう」


「昨夜、関中に着いた」


「馬超を招き(くだ)さんがためではありませんか」


「どうしてわかる」


「俗に、傍目(おかめ)(もく)というではありませんか。第三者として傍観しておれば、孔明軍師がきょうまでのあいだに、漢中の張魯にたいして、どんな手だてを打っておるかは、楽屋から舞台を覗いているようによくわかるものです」

「待て待て。それはおいて、ご辺はここへ何しに来たか」


「馬超を説かんとして来ました」


「ふうむ。……馬超を説いて、予の帷幕(いばく)に招いてくる自信があるか」


「あります。孔明軍師を除いては、おそらく、その使いをなすものは、私のほかにありますまい」


「しかし、ご辺はさきに、劉璋(りゅうしょう)(いさ)めた人と聞いておる。いままた、この劉備に言をなして、予のために働こうという。いったいご辺は、劉璋に忠ならんとするのか、劉備に仕えんとするのか」


良禽(りょうきん)は木を(えら)ぶ。そんなことは訊くだけ野暮ではありませんか。皇叔、あなたも蜀を喰いつぶしに来たのではないでしょう。蜀中に(じん)を施しにきたのではありませんか」


 孔明は衝立(ついたて)のかげに聞いていたが、このとき現れて、


李恢(りかい)、私に代って、馬超の陣へ行ってくれ。御身なら必ず使命を果たすだろう」

 と、いって、劉備にゆるしを求め、かつ、書簡を仰いだ。

 劉備の一書を持って、李恢はやがて、関外へ出て行った。

 馬超は、その本陣で、彼の訪問をうけると開口一番に、

「汝は、劉備に頼まれてきた説客であろう」

 といった。

 李恢は悪びれもせず、

「そうだ」
 と、うなずいた。

 李恢は劉備の書簡を渡し、

「馬超よ。いったいおぬしの父親は誰に殺されたのだ。――そもそも、西涼の兵馬をあげて、(とも)に天をいただかずと、神明に誓った当の仇敵は、魏の曹操ではなかったか」
「…………」
「その曹操のため、敗れて漢中に(はし)り、張魯のため、よい道具につかわれたあげく、一族の楊松などに(ざん)せられ、腹背に禍いをうけ、名もなき暴戦をして、可惜(あたら)、有為の身を意義もなく捨て果てようとは。……さてさて、呆れた愚者。(はじ)知らず。父の馬騰もあの世で()いているだろう」
「……ううむ」
「思え、泉下の父の無念を。……たとえ御身が劉備に勝ったところで、歓ぶものは誰だか知っておるか。それは曹操ではないか」
「では、どうすればいい。曹操に戦いを挑み敗れた。隴西(ろうせい)でもやぶれた。何もかもうまくいかん。どうすればいいのだ」

 馬超は、がばと、身をくずして、李恢のまえに()き崩れた。

 馬超は弱い。決して強いばかりの人間ではなかった。理に弱い。情にも弱い。

 李恢(りかい)はなお説いた。


「劉備玄徳は、仁義にあつく、徳は四海に及び、賢を(うやま)い、()をよく用いる。かならず大成する人だ。こういう公明な主をえらぶに、何でうしろ暗い(はばか)りをもつことがある。第一、劉備に力を添えて曹操を討つは、大きくは四民万象のため、一身には、父母の仇を報じる大孝ではないか」
 李恢(りかい)は馬超を、劉備の元へ連れてきた。

 この英気ある青年の良心的な降伏に対して、間の悪いような思いをさせる劉備でもない。


「ともに大事をなし、他日の曠世(こうせい)を楽しもうではありませんか」

 ほとんど、上賓(じょうひん)の礼をもって、彼を遇した。

 青年馬超の感激はいうまでもなかった。恩を謝して、堂を降るとき、


「いま初めて、雲霧を払って、真の盟主を仰いだここちがする」


 心からそういった。

 そこへ腹心の馬岱(ばたい)が、一箇の首級をもたらして来た。すなわち漢中軍の軍監楊柏(ようはく)の首だった。


「以て、それがしの心証としてごらんください」


 馬超はそれを劉備に献じた。

 こうして、葭萌関(かぼうかん)の守備も、いまは憂いも除かれたので、劉備は最初のとおり霍峻(かくしゅん)孟達(もうたつ)の二将にあとの守りをまかせて、その余の軍勢すべてをひきい、ふたたび綿竹の城へ帰った。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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