第128話、張飛と馬超
文字数 8,717文字
ともあれ、
夏侯淵は、その治安の任を、姜叙に託すとともに、
と、楊阜を敬って、車に乗せ、
やがて、車が許都へつくと、曹操はその忠義をたたえ、
と、いった。
楊阜は、かたく辞して、
と、恩爵をうけなかったが、かさねて曹操から、
と、いうことばに、楊阜もついに
さて、馬超とその部下、馬岱、龐徳などは、流れ流れて漢中にたどりつき、この国の
張魯に年頃のむすめがある。張魯の思うには、
これを、一族の大将
これで縁談は止んでしまった。
ところが、それを馬超が小耳にはさんで、
と、泣訴した。
ところへ蜀の太守劉璋の密使として、
黄権がいうには、
そしてさらに黄権は、もし漢中の兵をもって、劉備を退治してくれるなら、蜀の二十州を
楊松は、尽力を約して、張魯の法城へのぼった。そしてこの懸案を再度議していると、折から見えた馬超が、
と、断言した。
馬超が
日は没しても戦雲赤く、日は出でても戦塵に
劉備軍と、蜀軍と。
いまや成都は
ここが
劉備は今、その本陣にあって、耳を
「綿竹関第一の勇将
劉備は、伸び上がって待ち受けていた。
魏延が、捕虜の李厳をひいて来た。劉備は魏延の功を称するとともに、李厳の縄を解いて敬った。
李厳は、恩に感じて、随身の誓いを入れ、同時に暇を乞うて、綿竹関へひとたびかえった。
綿竹関の大将
費観は伴われて、城を出た。かくて綿竹関も、ついに劉備の入城をゆるした。
この前後のことである。地理的にみて、ほとんど、遠い異境の英雄とのみ思われていた
しかも、
葭萌関は
と、連日、猛攻撃をつづけていたのだった。
しかし、すでにその先手も中軍も、関内へ到着して、この日、城頭には、新たな
馬超の勢は、猛攻の手をゆるめず、いよいよ急激に関門へ迫っていた。
すると、関上から一
魏延と聞いて、漢中の馬岱は、
魏延の声に振り向きながら、
と、答えて、馬岱は、
魏延が身を沈めた。
そのまに、馬岱は、腰の半弓をはずして、
矢は、魏延の右の腕にあたった。魏延はあやうく鞍輪をつかんで落馬をまぬかれたが、鮮血はあぶみを染めて
これを
すると関上から、改めて、さらに一人の猛将が駆け下りてきた。――自ら大声に名乗るを聞けば、
という。
聞くや、馬岱は、
と、大剣を鳴らして迫った。
すると張飛は、
馬岱はもう斬りかけていた。
しかし、一丈八尺の
と張飛は、ほとんどからかい半分に呶鳴りながら追おうとした。
すると、関門の上から、張飛を呼びとめる人がある。戻ってみると、主君劉備だった。劉備はいう。
劉備が賞めちぎっているのを聞くと、張飛は
馬超は、関門の下へ来て、
と呼ばわっていた。
張飛は、矢倉の上から、
と、どうしても許さなかった。
翌日も馬超の軍は、これへ来て前日のように、城門へ
と、ついに劉備のゆるしを得、そこを八文字に開くやいな、丈八の矛を横たえて繰りだし、
と、立ちはだかった。
馬超は、哄笑した。
ここに両雄の凄まじい決戦が行われだした。その烈しさは、見る者の
百合余り戦っては、馬を換えてまた出会い、五、六十合火をふらしては、水を求めてまた戦闘した。
このあいだ両軍の陣は遠くに退いて、ただ
時間にすると、中天の
そろそろ陽が
「
そこで、双方同時に、
時をおいて、ふたたび張飛が、関門を出ようとすると、劉備が、
と関中に止めて放さなかった。
万一、張飛が負けて、馬超に討たれでもしてはと、きょうの合戦を見てから、にわかに、心配になったからである。
ところが寄手は、夜に入っても退かず、明々の
ついに、劉備の命に
馬超は、もろくも逃げだした。もとより
と、追いかけ、追いかけ、つい深入りしてしまった。
急に、馬をとめたと思うと、馬超は振り向いて、矢を放った。張飛は身をかがめたまま、馬の鼻を突進させてゆく。
弓を捨てると、馬超は、
うしろの声だった。
劉備が追ってきたのである。劉備は、馬超へ向って云った。
終日の戦に、さすが疲れていた馬超は、それを聞くと、
と、劉備に一礼を投げ、きれいに陣を退き去った。
その夜、軍師孔明が、ここに着いた。
と案じて来たものであろう。つぶさにその日の状況を聞きとると、やがて劉備の前に出て忠言した。
孔明はまず、その愚を止めた。劉備ももとより同じ気持だった。しかし、敵の英傑を助けるには、その人を、味方に招く以外に方法はない。さもなければ、味方の禍いであり、あらゆる手段を以てしても、これを除く工夫をしないわけにゆかない。
孔明はいう。そして、疑う劉備にむかい、その理由ある
こう冒頭して――
劉備は孔明の遠謀に、今さらながら
「――交渉数回、もともとそれに野望のある張魯ですし、楊松へもいろいろ好条件をつけてやりましたから、私と漢中との、秘密外交はまとまっているのです。で、漢中の方針は、急角度に一変し、ここへ攻めてきている馬超に対して、即時引き揚げよと、張魯から幾たびも早馬が来ておるはずです」
劉備は容易にゆるさない。しかし次の日となると、はからずもここへ、ひとりの適当な人物が、天の配剤かのごとく、劉備を訪ねて来た。
その人は、
孔明は
と、いって、劉備にゆるしを求め、かつ、書簡を仰いだ。
劉備の一書を持って、李恢はやがて、関外へ出て行った。
馬超は、その本陣で、彼の訪問をうけると開口一番に、
といった。
李恢は悪びれもせず、
李恢は劉備の書簡を渡し、
馬超は、がばと、身をくずして、李恢のまえに
馬超は弱い。決して強いばかりの人間ではなかった。理に弱い。情にも弱い。
この英気ある青年の良心的な降伏に対して、間の悪いような思いをさせる劉備でもない。
ほとんど、
青年馬超の感激はいうまでもなかった。恩を謝して、堂を降るとき、
心からそういった。
そこへ腹心の
馬超はそれを劉備に献じた。
こうして、
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