第130話、荊州のあれこれ

文字数 7,382文字

 千里の上流から、江を下って、漢中、西蜀あたりの情報はかなり迅く、呉へも聞えてくる。

「劉備はすでに成都を占領した」

「着々治安を正し、蜀中に新政を布告したという」

「もとの太守劉璋は、後方へ送られて、荊州の公安へ移ってきたというではないか」

 呉の諸臣は、政堂に会するたび、おたがいの早耳を交換していた。

 一日、呉主孫権は、衆臣の中でこういった。

「蜀の国を取れば、かならず荊州は呉へ返す。――これは劉備が、かねがね呉に向って、口癖にいっていた約束である。然るに、今、蜀四十一州を取りながら、まだ何らの誠意も示してこない。予の忍耐にもかぎりがある。いっそのこと、大軍をさしむけて、荊州をこっちへ収めてしまおうと考えるが、皆の所存はどうか」

 すると、宿将張昭(ちょうしょう)が、


「まだ、まだ」

 と、独り(こうべ)を振っていた。

 孫権がみとめて、

「昭老はこのことに不同意であるか」

 と、問いかけた。

 彼は、うなずいた。

「蜀、魏、呉の三国のうちで、いま最も恵まれている国は呉です。呉の位置です。国は安寧で、民は富を積み、兵は充分に英気を養っていられるところです。求めて大軍を起すにあたりますまい」


「しかし、このままにしておいたらいつの日になったら、荊州が呉にかえるのだ」


「蜀に人を送ってみればどうですか」


「それで返すと思うか」


「やらないよりかはましかと」


「誰を送る」


諸葛瑾(しょかつきん)でよろしいかと、彼を蜀へ使いに立て、もし荊州を還さなければ、孔明の兄たる瑾をはじめ妻子一族は残らず斬罪に処されます――と彼にいわせてごらんなさい」


「なるほど。……孔明は情に悶え、劉備は義理に悩もう。しかし瑾は、この孫権に仕えてからまだ一ぺんの落度すらない誠実な家臣。なんでその妻子を獄に下せようか」


「いや。君のお旨を、よく申し聞かせ、(はかりごと)のためなりと、得心(とくしん)の上で、仮の獄舎(ひとや)へ移しておくなら、なんのさまたげもないでしょう」


「効果があると思うか」


「こういうことは、やり続けることが肝心です。少なくとも、蜀は対応せねばなりませんし、状況が変わったときに効果が発揮するかも知れません」


 次の日、諸葛瑾は、君命をうけて、呉宮の内へ召されていた。



 蜀の劉備は、一日、やや狼狽(ろうばい)の色を、眉にたたえながら、孔明を呼んで云った。


「先生の兄上(かけい)が、蜀へ来たそうではないか」


「昨夜、客館に着いたそうです」


「まだ会わんのか」


「兄にせよ、呉の国使として参ったもの。孔明も蜀一国の臣。私用で会うわけにはまいりません」


「何しに見えたのであろう」


「もとより荊州の問題でしょう」


 孔明は、座へ寄って、劉備の耳もとへ、何かささやいた。


「……そういうお気持で」


「む、む。わかった」


 劉備はいささか眉をひらいた。

 その晩、孔明はふいに、客舎にある兄を訪ねた。孔明に会うと、諸葛瑾(しょかつきん)は、声を放って、大いに()いた。


「兄上。いったい、どうなすったのです」


「聞いてくれ、(りょう)。わしの妻子一族がみな呉で投獄された」


「荊州を還さぬという問題をとらえてですか」


「そうじゃ。亮……察してくれよ」


「お気づかいには及びません。荊州さえ還せばみな獄から解かれましょう。兄上の妻子にまでご災難の及んでゆくのを、なんで孔明が坐視しておりましょう。主君へ申しあげて、きっと荊州は呉へ還します」


「おお……そうしてくれるか」


 諸葛瑾(しょかつきん)は、涙を喜色にかえて、弟に謝し、次の日ひそかに劉備へ会った。そして、


「これは、呉侯からのご書簡ですが」


 と、孫権からの一書を呈すると、劉備はそれを披見(ひけん)して、たちまち色を()した。

 諸葛瑾は、はっとした。側にいた孔明も、眼をみはった。劉備の手にその書簡は引き裂かれ、その眸は、天の一方を見て、(ひと)(ごと)にこう叫んだ。


「無礼なり孫権。――もとより荊州はいつか呉へ還さんとは思っていたが、汝、いたずらに小策を(ろう)し、わが夫人(つま)(あざむ)いて、呉へ呼び返すなど、劉備の面目を無視し、夫婦の情を(しいた)げ、いつかはこの恨みをと、骨髄に刻んでいた劉備の心を知らないかっ。――むかし一荊州にありし時だに、汝ごときは物の数としていたわれでない。いわんや今、蜀四十一州を(あわ)せて、精兵数十万、肥馬無数、糧草は山野に蓄えて、国人(くにびと)みな時にあたるの覚悟をもつ。汝、いかに狡智(こうち)(ろう)すとも、力をもって荊州を取ることを得んや」

 胸中の憤怒を一時に吐いたような劉備の激色に、ふたりは打たれたように一瞬沈黙していたが、そのうちに孔明が卒然(そつぜん)(おもて)をおおって()きかなしんだ。


「もし兄上(かけい)をはじめ、妻子一族まで、呉侯のために(ちゅう)せられたら、孔明はどんな面をして、独り世に生き残っておられましょう……哀しいかな、この(きずな)。ああ苦し、この事の処置」


 仰いでは、涙をのみ、伏しては肩を打ちふるわせた。

 劉備は、なお怒気忿々(ふんぷん)と、色を収めなかったが、次第に感情を抑制して、孔明の心も不愍(ふびん)と察しやるかのように、


「そう嘆かれては、予の胸もつらい。さりとて荊州は還し難し、軍師の悲嘆は黙し難し。……そうだ、ではこうしてつかわす。荊州のうち長沙(ちょうさ)零陵(れいりょう)、桂陽の三郡だけを呉へ還してくれる。それなら呉の面目も立ち、(きん)の妻子も助けられよう」


「かたじけのう存じます」
 と孔明は拝謝し、また感激して、
「では、その(おもむき)を、ご書簡にしるして、兄上へおさずけ下さい。――兄上はそれをたずさえて荊州へ赴き、関羽と談合の上、移譲の手続きを運びましょうから」

 と、いった。

 劉備はすぐ書簡を書いて、(きん)へ渡したが、


「予の義弟(おとうと)の関羽は、心性率直、情熱は烈火に()、われすらなお(おそ)るるほどの男だから、衝突しないように、よく気をつけて語るがいいぞ」


 と注意してやった。

 諸葛瑾は、成都を去って、山覊舟行(さんきしゅうこう)数十日、荊州へ着くや、すぐ城を訪れて関羽に対面した。



 関羽のそばには、養子の関平が侍立(じりつ)していた。

 諸葛瑾は、劉備の書簡を示して、さて、


「このたび荊州の内、三郡だけを呉へお還し給わることになりましたから、早速、そのお手配をねがいたい」

 と、いった。

 関羽は、うんともすんもいわない。瑾を()めつけているのだ。瑾がかさねて、

「もし将軍がおきき入れなく、三郡すらお還し下さらぬときは、瑾の妻子は立ちどころに誅せられ、私も呉へ帰る面目はありません。どうか、苦衷を察してください」

 と、泣訴した。

 関羽は、剣の(つか)を叩いて、

「ならんっ。断じて還さん。それはみな呉の計略というもの。ふたたび無用な口を開くと、この剣が答えるぞ」


 と、大喝した。

 関平は父をなだめた。


「このお方は、孔明軍師の兄上(かけい)です。およしください」

「知っておる。孔明の兄でもなければ、生かして帰すところじゃない」


 と、関羽はなお恐ろしい形相をおさめないのである。

 諸葛瑾は、とりつくしまもなく、ここを去って再び蜀へもどり、劉備へ訴えようとしたが、その劉備は折から病中とあって典医が面会を許さず、弟の孔明に会おうとすれば、その孔明は郡県の巡察に出張して、しばらくは成都に帰るまいという。

 千里の往来も空しい旅となって、瑾はぜひなく一応、呉へ帰って来た。呉主孫権は、それもこれもみな策士孔明のからくりにちがいないと、足ずりして怒ったが、

「さりとて、汝にも、汝の妻子にも罪があるわけではない」


 と、仮に獄中へつないでおいた瑾の家族はみな家へ帰した。

 孫権はまた、諸官吏を、荊州へ派して、


「すでに劉備が還すといった長沙、零陵、桂陽の三郡は、臣下の関羽が、なんと拒もうと、まさしく呉が接受すべきものである。強硬に交渉して、関羽の下の地方官吏を追い払い、汝らの手で郡の政庁を奪って代れ」

 と、厳命した。

 もちろん軍隊もついて行った。しかしほど経てからそれらの官吏はみな逃げ帰ってきた。反対に関羽の部下に追い払われてきたのだという。しかも軍隊などはほとんどひどい目に遭わされて、生きて帰ってきた兵は三分の一しかなかった。

「とても、尋常一様な手段では荊州は還りますまい。私にご一任賜るなら、遠く(のぼ)って、陸口(りっこう)(漢口の上流)の塞外(さいがい)、臨江亭に会宴をもうけ、一日、関羽を招いてよく談じ、もしきかなければ、即座に彼を刺し殺してしまいますが……いかがでしょう、お任せ下さいますか」

 これは魯粛(ろしゅく)の進言である。

 呉中一といっても二と下らない賢臣の言だ。反対者もあったが、孫権は然るべしと、その計を採用することに決し、


「いまをおいて、いつの日か荊州をわが手に取り還さん。はや行け」

 と、励ました。

 船に兵を積み、表には、親睦の使いととなえて、魯粛は、揚子江を遠く溯って行った。そして陸口城市の河港に近い風光明媚の地、臨江亭に盛大な会宴の準備をしながら、一面、呂蒙(りょもう)だの甘寧などの大将に、「もし関羽が見えたときは、かくかくにして」と、すべての計をととのえていた。

 臨江亭は湖北省にある。荊州はいうまでもなく湖南の対岸。――魯粛の使いは、舟行して江を渡った。しかもその使いは、ことさら華やかに装い、従者に麗しい日傘をかざさせて、いかにも悠暢(ゆうちょう)に、会宴の招待にゆく使いらしく櫓音も平和に漕いで行った。

 彼はやがて、荊州の江口から城下に入り、謹んで、書を関羽に呈した。書面の内容はもとより魯粛の名文をもって礼を尽し、蜜の如き交情をのべ、どうしても断れないように書いてあった。


「参る。よろしくいってくれ」


 簡単に承諾して、関羽は使いを返した。

 関平は驚いた。かつ危ぶんで、父に(いさ)めた。


魯粛(ろしゅく)は、呉でも、長者の風のある人物とは聞いていますが、時局がこんな場合、いかなる陥穽(かんせい)を構えているか知れたものではありません。千金の重き御身を、そう軽々(けいけい)にうごかし遊ばすのは、如何と思いますが」


「案じるな」


 関羽はあくまで簡単にいう。


「供は、周倉一名をつれて行く。そちは精兵五百人に快舟(はやぶね)二十艘をそろえ、こなたの岸に遠く控えておれ。――そしてもし父が彼方の岸で旗をあげて招くのを見たら、初めて船を飛ばして馳せつけて来い」


「かしこまりました」


 関平は、父の命に従うしかなかった。

 その日になると、関羽は、緑の戦袍(せんぽう)を着、盛冠花鬚(せいかんかびん)、一きわ装って小舟にのった。供の周倉は、面は(みずち)のごとく青く、唇は牙をあらわし、腕は千斤も吊るべしと思われる鉄色の肌をしている。その周倉が、桃園の義盟以来、関羽が常に離すことなき八十二斤の青龍刀を持って、主人のうしろに控えていた。

 また、小舟には、(くれない)の旗を一すじ立てていた。「関」の一大文字が書いてある。江風はゆるやかに、波は()いで、舟中の関羽は眠くなりそうな眼をしていた。

「……や、ひとりで来る」

「あれが関羽か?」

 対岸では、呉の人々が、(まぶ)しげに手をかざし合っていた。てッきり関羽は、大勢の兵をつれて来るだろう。――そう予期していたものらしい。もし大兵を連れてきたら、呂蒙(りょもう)甘寧(かんねい)の二軍でふくろ包みにしてしまおう。これが、魯粛の備えておいた、第一段の計であった。

 ところが案に相違して、関羽は常にもなく華やかに装い、供ひとりを従えてきたので、

「さらば、第二段の計で」

 と、はやくも眼くばせを交わし合っていた。

 会場臨江亭の庭後には、屈強な武士ばかり五十人を伏せて、ここへ関羽を迎えたのである。もちろん沿道の林間、園内随所の林泉の陰にも、雑兵は充満している。ひとたびここへ入ったからには、天魔鬼神でも生きて出ることはできないようになっている。とはいえもちろん客の視野には、一すじの素槍(すやり)の光だに、眼にふれないように隠してあった。

 亭は花や珍器に飾られ翠蔭(すいいん)しきりに美鳥が啼いていた。はるばる呉から舶載してきた南方の美味薫醸(くんじょう)は、どんな貴賓を饗するにも恥かしいものではなかった。

 魯粛(ろしゅく)は、拝伏して、関羽を上賓の席に(しょう)じ、さて、酒をすすめ、歌妓楽女(かぎがくじょ)をして、歓待させたが、話になると、眸を伏せた。関羽の眼をどうしても正視できなかった。

 しかし酒半酣(はんかん)の頃、ようやく、やや打ちくつろいだ態を仕向けて云った。

「将軍もよくご存じでしょう。むかし荊州の問題で、呉侯の命をうけ、たびたび劉皇叔の御許へ、交渉の使いにまいりましたが、いやはや、えらい目に遭いました。あればかりは忘れられませんよ」


「どうしてです」


「すっかり翻弄(ほんろう)されたようなものでしたからね」


「そんなことはないでしょう。わが主劉皇叔はかりそめにも信義には背かないお方です」


「けれどついに、今もって荊州はお返しして下さらないではありませんか」


「あはははは」


「笑いごとではありません。ために、呉侯からこの問題について使いを命じられたものはみな実に面目を欠いています。――やがて蜀四十一州を取ったら返すなどと(のたま)いながら、いま蜀をお手に入れても実行なさらず、わずかに荊州の内三郡だけを返すといわれたかと思えば、関羽将軍が(さまた)げて、故意にそれすらお返しなさらない」
「考えてもごらんなさい。わが皇叔以下、われわれ臣下は、かの烏林(うりん)の激戦に、みな命をなげうち矢石を(おか)して、血をもって奪った地ではないか。地下の白骨に対してもそうおいそれと他国へ譲れるものかどうか。――もし貴殿がわれらの立場としたらどうでしょう」
「待って下さい。……過去をいうならば、この当陽の戦に、将軍たちをはじめ皇叔一族も、惨澹たる敗北をとげ、帰るに国もなく、拠るに味方もなく、百計尽き果てたところを助けてあげたのは、どこの誰でしたろう、呉の恩ではなかったでしょうか」

 魯粛も呉の大才である。こう口を開いて、この会談の目的にふれてくると、その舌鋒(ぜっぽう)は、相手の急所をつかんで離さなかった。


「いや、恩着せがましく申しては、ご不快かも知れぬが、あの折、敗亡遁竄(とんざん)の果て、ご一身を容るる所もなき皇叔に、(あわ)れみをかけた御方は、天下わが主おひとりであった。後なお、莫大な国費と軍馬を()して、曹操を赤壁(せきへき)に破ったればこそ、皇叔にも、ふたたび時に遭うことができたというもの。――しかるに、蜀も取りながら、まだ荊州をお返しなきは、いわゆる飽くなき貪慾、凡下(ぼんげ)だに恥ずる所業といわれても仕方がありますまい。ましてや人の師表に立つ御方ではないか。将軍はどうお考えになりますか」
「…………」

 理の当然に、関羽も答えにつまって、(こうべ)を垂れていたが、なお、急所を押されると、苦しまぎれに、


家兄(かけい)の皇叔には、べつに正当なご意見があることでしょう。それがしの(あずか)り知ることではない」


 と、云いのがれた。

 魯粛はすかさず、なお語気に攻勢をとって、


「皇叔とあなたは、むかし桃園に義をむすんで、心もひとつぞ、生死も共にと、お誓い合った仲と承る。なんで、(あずか)り知らぬで世間が通しましょうぞ」

 と、たたみかけた。

 すると、関羽の側に立っていた周倉が、主人の旗色悪しとみたので、突然、

「天上地下、ただ徳ある者が、これを保ち、これを(まつり)するは当然、(あに)、荊州を領する者、汝の主孫権でなくてはならぬという法があろうかっ」

 家鳴(やな)りするような声でどなった。

 はっと、色を変じながら、関羽は席から突っ立った。そして周倉に持たせておいた偃月(えんげつ)の青龍刀を引ったくるように取ると、

「周倉、だまれっ。これは国家の重大事である。汝ごときが、みだりに舌をうごかすところではない!」

 と、叱りつけた。

 騒然と、亭中は色めき立った。関羽がやにわに巨腕を伸ばして、魯粛の(ひじ)をつかんで歩きだしたのみでなく、周倉が亭の欄まで走って、そこから江上へ向って、しきりに、赤い旗を振ったのを見たからである。

「さあ、来給え」

 関羽は、大酔したふうを装いながら、次第に大股を加え、


「すくなくも一国の大事を、軽々と酒間に談じるのは、よろしくない。かつは甚だしく久濶(きゅうかつ)の情をやぶり、せっかくの酒興を傷つける。ご返礼には、他日また、それがしが湖南に一会を設けてご招待するが、きょうはひとまずお別れとしよう。酔客のために、江岸の舟まで送って来給え」

 人々が、あれよと立ちさわぐ間に、もう亭を降り、園を抜け、門外へ出ていた。魯粛の体を、関羽は手に小児を提げて歩くようであった。

 魯粛は、酒もさめ果て、生きた空もない。耳のそばを、ぶんぶん風が鳴ったと思うと、たちまち、江岸の波打ちぎわが見えた。

 ここには呂蒙と甘寧(かんねい)とが、大兵を伏せて、関羽を討ち漏らさじと鉄桶の構えを備えていたのであるが、関羽の右手に、見る眼もくらむばかりな大反(おおぞり)偃月刀(えんげつとう)が持たれていることと、また片手に魯粛がつかまれているのを見て、

「待て」

迂濶(うかつ)に出るな」

 と、制し合っていた。

 そのまに、周倉が寄せた小舟へ、関羽はひらりと飛び乗ってしまった。そして初めて、魯粛を岸へ突っ放し、

「おさらば」

 と、一語、岸を離れてしまった。

 甘寧、呂蒙の兵が、弓をならべて、矢を江上へ射ったが、一舟は悠々帆を張って、順風を負いながら、対岸から出迎えにきた数十艘の快舟(はやぶね)のうちへ伍して去った。

 交渉、ここに破れ、国交の断絶は、すでに避け難い。

 魯粛のつぶさな書状を捧じて、早馬は呉の秣陵(まつりょう)へ急ぎに急ぐ。

 呉の国都には、これと同時に、べつな方面から、()の曹操が、三十万の大軍をもって、南下しつつあるという飛報が入っていた。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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