第60話、陳宮の最後、呂布の最後
文字数 12,977文字
と、わざと云った。
呂布は、沈黙していた。
河水をわたる風は白く、
呂布は動かされた。それまで黙然と聞いていたが、やにわに手を振り上げ、
傍にいた陳宮は、意外な呂布の返辞に愕然として跳び上がり、
と、主君の口をふさぐように、突然、横あいから大音声で曹操へ云い返した。
言葉の終った刹那、陳宮の手に引きしぼられていた弓がぷんと
曹操は、くわっと
そして左右の二十騎に向って、即時、総攻撃にうつれと
陳宮は、弓を投げつけて、ほとんど
呂布も躍起となって、云い争い、果ては剣に手をかけて、陳宮を成敗せんと息巻いた。
敵の目からも見ゆる櫓のうえである。主従の喧嘩は醜態だ。高順や張遼たちは、見るに見かねて、二人を押しへだて、
呂布もようやく悪酔いのさめたようにほっと大息を肩でついて、
と、云い直した。
呂布には、ほとほと愛想もつきたらしい陳宮であったが、かりそめにも主君である。その主君から頭を下げて機嫌をとられると、彼はまた、忠諫の良臣となって粉骨砕身せずにはいられない気持になった。
陳宮も辞を低うして答えた。
呂布は、たちまち、戦意を
山野に出れば、寒気はことに烈しかろうと想像されるので、将士はみな
呂布も奥へはいって、妻の
厳氏は、良人の容子を怪しみながら、
呂布は、城を出て戦う決意を語って、
と、あわただしく、身に物の具をまといだした。
すると厳氏は、
色を失った
そして、なお、
妻が真剣に泣いて訴えはじめたので、呂布は途方に暮れた顔をしていた。
綿々と、恨みつらみを並べた。
呂布は、着かけていた毛皮の
急に、そういって、
と妻と共に、娘たちのいる部屋へ入って行った。
明日になっても呂布は立つ気色もない。二日も過ぎ、三日も過ぎた。
陳宮は、彼の室を出ると
と、力なく云った。
それからというもの、呂布は日夜酒宴に溺れて、家庭にあれば厳氏や娘に守られて、しかも酒がさめれば
曹操は憂いていた。
戦はすでに冬期に入って、兵馬の凍死するのも数知れなかった。糧草は尽きんとしているし、雪は山野を埋め、今さら、軍を退いて遠く帰ることすら困難であった。
との注進であった。
曹操は、折も折と、
と、すぐかたわらの大将史渙にいって、万一に備えさせた。
史渙の隊は、雪を冒して、犬山へ向った。――曹操の心は、いよいよ
すると、
さらにまた、
と、一策を提出した。
それは
この計画は成功した。
人夫二万に兵を督して、目的どおり二つの河をひとつにあつめた。折ふしまた、暖日の雨がつづいたので、孤城はたちまち濁流にひたされ、敵はみな高い所へ這いのぼって、刻々と
二尺、四尺、七尺――と夜の明けるたび水嵩は増していた。城中いたるところ
「どうしたものだろう?」
城中の兵は、生きた空もなく、次第に居どころを狭められた。しかし呂布は、うろたえ騒ぐ大将たちに、わざと
彼はなお、
ところが、或る時。
ふと、
ひどく感じたとみえて、たちまち禁酒してしまった。それはよいが同時に城中の将士に対しても、飲酒を厳禁し、
――
という法令を出した。
するとここに城中の大将の一人
侯成は聞きつけて馬飼の者どもを追いかけ、
「よかった、よかった」と、ほかの大将たちも、賀しあって、侯成に、
「祝うべし、祝うべし」と、
折ふし城中の山から、
「きょうは大いに飲もう」と、なった。
そこで侯成は酒五
、
と、品々をそこにならべて拝伏した。
すると呂布は、
と、
一つの酒瓶が他の酒瓶に当ったので、瓶は腹を破って、一
呂布は左右の武士に向って、侯成を斬れと罵った。
仰天した侍臣の一名が、ほかの大将たちを呼んできた。諸人は
「助けたまえ」
と、侯成のために命乞いをしたが、呂布は容易に顔色をおさめなかった。
「この際、侯成のごとき得難い大将を
と諸大将はなお、口を極めて、命乞いをした。
呂布もとうとう我を折って、
と、直ちに、二人の武士へ、鞭を与えた。
二名の武士は、
「一つ……」
「二つ……」
「三つ!」
「四つ!」
と、掛声をかけながら鞭を下し始めた。
たちまち、侯成の衣は破れ、肌が
「三十!」
「三十一!」
諸大将は、面をそむけた。
侯成は歯ぎしり噛んで、じっとこらえていたが、りゅうりゅうと鳴る杖、掛声が、
「七十五っ」
「七十六っ」
と、数えられてきた頃、ウームと一声うめいて、
呂布はそれを見ると、ぷいと閣の奥へかくれ去った。
諸大将は、武士に眼くばせを与えて、鞭の数をとばして読ませた。
やがて、侯成が気がついて、己の身を見まわすと、一室のうちに寝かされて、幕僚の者に看護されていた。――彼は、
魏続が聞くと、侯成は、枕頭を見まわして、
侯成は、天井を見ていたが、不意に、むっくりと起き上がって、
と侯成は唇をかんで、ひそかに身支度を替え、夜の更けるのを待っていた。
四更の頃、彼は闇にまぎれて、
と、帳を払って出ると、
「城中より
と、侍者はいう。
侯成といえば、敵方でも一方の雄将と知っている。曹操はすぐ幕営に引かせて彼に会った。
侯成は脱出を決意した次第を話して、呂布の
曹操のよろこび方は甚だしかった。彼自身の立場こそ、実は進退きわまっていたところである。
窮すれば通ず。彼にとっては、天来の福音だった。で、曹操は特に、侯成をいたわって、いろいろと
侯成はなお告げた。
曹操は、限りなく
その文には、
今、明詔ヲ奉ジテ呂布ヲ征ス、モシ大軍ヲ
モシ城内ノ上ハ将校ヨリ庶民ニ至ル迄ノ者、呂布ガ首ヲ献ゼバ、重ク官賞ヲ加エン
朝焼けの雲は
呂布は愕いて、早暁から各所の攻め口を駆けまわり、自身、督戦に当ったり、戟をふるって、城壁に近づく敵を撃退していた。
ところへ、厩の者が、
「昨夜、赤兎馬が、
呂布は眉をひそめたが、
と、罵った。
前面の防ぎに、叱っているいとまもなかったのである。それほどこの日の攻撃は烈しかった。
敵は、次々と、
ようやく、陽も西に傾く頃、寄手は攻めあぐねて、やや遠く退いた。早朝から一滴の水ものまず、食物もとらず奮戦をつづけていた呂布は、
と、ほっと、一息つくと共に、綿のように疲れた体を、一室の
――と、彼の息をうかがって、音もなく床を這い寄って来た一人の将校がある。
呂布のもたれている
魏続が、奪った戟を後ろへほうるとそれを合図に、一方から
猛虎は、床に倒れながら、両脚で二人を蹴上げたが、とたんに魏続、宋憲の部下の兵が、どやどやと室に満ちて、吠える呂布へ折重なって、やがて鞠の如く、縛り上げてしまった。
「
「呂布を
「東門は開けり」と、寄手へ向って、かねての合図を送っていた。
それっ――と曹操の大軍は、いちどに東の関門から城中へなだれ入ったが、用心深い
と、疑って、容易に軍をうごかさなかった。
宋憲は、それと見て、
と、城壁から彼の陣へ、大きな戟を投げてきた。
見るとそれは呂布が多年戦場で用いていた
と、夏侯
城内はまだ
「呂将軍が捕われた」と伝わったので、城兵の狼狽は無理もなかった。
中にも。
高順、張遼の二将は、変を知るとすぐ、部隊をまとめて、西の門から脱出を試みたが、洪水の泥流深く、進退極まって、ことごとく
また。――南門にいた陳宮は、「南門を、死場所に」と、防戦に努めていたが、曹操
こうして、さしもの
曹操は、主閣
と、軍事裁判の法廷をひらいた。
まず第一に、呂布が引立てられて来た。呂布は
白門楼下の石畳の上にひきすえられると、彼は、階上の曹操を見上げて、
と、いった。
曹操は苦笑をたたえて、
すると、
呂布は、はったと王必を
と、
そしてまた、眼を階下に並居る諸将に向けた。そこには魏続や侯成や宋憲など、きのうまで自分を主君とあがめていた者が、曹操の下に甘んじて居並んでいる。――呂布は、眼をいからして、その人々の顔を睨めまわし、
侯成は、あざ笑って、
呂布は、黙然と、うなだれてしまった。
運命は皮肉を極む。時の経過に従って起るその皮肉な結果を、俳優自身も知らずに演じているのが、人生の舞台である。
陳宮と曹操のあいだなども、その一例といえよう。そもそも、陳宮の今日の運命は、そのむかし、彼が
当時、曹操は、まだ白面の一志士であって、
それが、今は。
かつての董卓をもしのぐ位置に登って
陳宮は、立ったまま、じっと曹操の面を、しばらく見つめていた。
(――もし、曹操を、そのむかし中牟の関門で助けなどしなかったら、今日の俺も、こんな運命にはなるまいに)と、その眼は、過去の悔みと恨みを、ありありと語っていた。
「坐らぬかっ」
縄尻を持った武士に腰を蹴られて、陳宮は折れるが如く身を崩した。
曹操は、階の上から、冷ややかに見て、
と、
曹操は、苦笑して、
と、訊ねた。
陳宮は、さすがに、さっと顔いろに、感情をうごかして、
そういわれると、陳宮はにわかにうつ向いて、さんさんと落涙した。
やがて、陳宮は、面をあげた。
曹操は、何とかして、陳宮を助けたいと思っていた。
――というよりは、殺すに忍びなかったのである。
云い捨てて、決然とそこから起ち上がった。そして、階下の一方にうずくまっている
その後ろ姿に、
と、曹操は、階上の廊に立ち上がって、しきりと涙をながしていた。諸人もみな伸び上がって、白門楼下の刑場を見まもった。
陳宮は、死の
と、あべこべに促した。
一閃の刑刀は下った。
曹操は、さっと酒の醒めたように、
曹操は、横を向いて、
と、小声で訊いた。
劉備は、
と、睨みつけた。
曹操の一令に、執行の役人たちは、縄を持って、呂布のそばへ寄った。呂布は暴れて、容易に彼らの手にかからなかったが、遂に、遮二無二抑えつけられたまま、その場で
と曹操を拝した。
曹操は、劉備の乞いをいれて、彼を助命したが、張遼は辱じて、自ら剣を
と、彼の剣を奪って止めたのは、関羽だった。
曹操は、平定の事終ると、陳宮の老母と妻子を探し求め、
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