第60話、陳宮の最後、呂布の最後

文字数 12,977文字

 呂布(りょふ)は、(やぐら)に現れて、


「われを呼ぶは何者か」

 と、わざと云った。

 泗水(しすい)の流れを隔てて、曹操の声は水にこだまして聞えてきた。

「君を呼ぶ者は君の敵である許都(きょと)丞相(じょうしょう)曹操だ。――しかし、君と我と、本来なんの仇があろう。予はただご辺が袁術(えんじゅつ)と婚姻を結ぶと聞いて、攻め下ってきたまでである。なぜならば、袁術は皇帝を僭称(せんしょう)して、天下をみだす叛逆の賊である。かくれもない天下の敵である」

「…………」


 呂布は、沈黙していた。

 河水をわたる風は白く、蕭々(しょうしょう)と鳴るは蘆荻(ろてき)翩々(へんぺん)とはためくは両陣の旌旗(せいき)。――その間一すじの矢も飛ばなかった。


「予は信じる。君は正邪の見極めもつかないほど愚かな将軍ではないことを。――今もし(ほこ)を伏せて、この曹操に従うならば、予は予の命を賭しても、天子に奏して君の封土(ほうど)と名誉とを必ず確保しておみせしよう」

「…………」


「それに反し、この際、迷妄(めいもう)にとらわれて降らず、君の城郭もあえなく陥落する日となっては、もう何事も遅い、君の一族妻子も、一人として生くることは、不可能だろう。のみならず、百世の後まで、悪名を泗水に流すにきまっている。よくよく賢慮(けんりょ)し給え」

 呂布は動かされた。それまで黙然と聞いていたが、やにわに手を振り上げ、


「丞相丞相。しばらくの間、呂布に時刻の猶予(ゆうよ)をかし給え。城中の者とよく商議して、降使をつかわすことにするから」

 傍にいた陳宮は、意外な呂布の返辞に愕然として跳び上がり、


「な、なにをばかなことを仰っしゃるかっ」


 と、主君の口をふさぐように、突然、横あいから大音声で曹操へ云い返した。


「やよ曹賊(そうぞく)。汝は、若年の頃から口先で人をだます達人だが、この陳宮がおる以上、わが主君だけは(あざむ)かれんぞ。この寒風に面皮(めんぴ)をさらして、無用の舌の根をうごかさずと、早々退散しろ」

 言葉の終った刹那、陳宮の手に引きしぼられていた弓がぷんと弦鳴(つるな)りを放ち、矢は曹操の兜の眉庇(まびさし)にあたってはね折れた。

 曹操は、くわっと(まなじり)をあげて、

「陳宮ッ、忘るるな、誓って汝の首を、予の土足に踏んで、今の答えをなすぞ」

 そして左右の二十騎に向って、即時、総攻撃にうつれと峻烈(しゅんれつ)に命じた。

 (やぐら)の上から呂布はあわてて、


「待ちたまえ、曹丞相(そうじょうしょう)。今の放言は、陳宮の一存で、此方の心ではない。それがしは必ず商議の上、城を出て降るであろう」

 陳宮は、弓を投げつけて、ほとんど喧嘩面(けんかづら)になって云った。


「この()になって、なんたる弱音(よわね)をはき給うことか。曹操の人間はご存じであろうに。――今、彼の甘言にたばかられて、降伏したが最後、二度とこの首はつながりませんぞ」

「だまれっ、やかましいっ。汝一存を以てなにを吠ゆるか」


 呂布も躍起となって、云い争い、果ては剣に手をかけて、陳宮を成敗せんと息巻いた。

 敵の目からも見ゆる櫓のうえである。主従の喧嘩は醜態だ。高順や張遼たちは、見るに見かねて、二人を押しへだて、


「まあ、ご堪忍ください。陳宮も決して自分のために、(おもて)(おか)していっているわけではなし、みな忠義のほとばしりです。元来、忠諫(ちゅうかん)の士です。今、唯一つのお味方を失っては決していいことはありますまい」

 呂布もようやく悪酔いのさめたようにほっと大息を肩でついて、


「いや、ゆるせ陳宮。今のは戯れだ。――それより何か良計があるなら惜しまず俺に教えてくれい」

 と、云い直した。

 呂布には、ほとほと愛想もつきたらしい陳宮であったが、かりそめにも主君である。その主君から頭を下げて機嫌をとられると、彼はまた、忠諫の良臣となって粉骨砕身せずにはいられない気持になった。

「良計はなきにしも非ずですが」


 陳宮も辞を低うして答えた。


「ただお用いあるか否かが問題です。ここに取るべき一策としては『掎角(きかく)(はかりごと)』しかありません。将軍は精兵を率いて、城外へ出られ、それがしは城に在って、相互に呼吸をあわせ、曹操をして、首端(しゅたん)の防ぎに苦しませるものであります」

「それを掎角の計というか」


「そうです。将軍が城外へ出られれば、必ず曹操はその首勢を、将軍へ向けましょう。すると、それがしは直ぐ城内からその尾端(びたん)を叩きます。また、曹操がお城のほうへ向かえば、将軍も転じて、彼の後方を(おびや)かし、かくして、掎角の陣形に敵を挟み、彼を(ほふ)るの計であります」

「ムム、なるほど、良計良計。孫子も裸足(はだし)だろう」


 呂布は、たちまち、戦意を(たか)めて、立ちどころに出城の用意と云いだした。

 山野に出れば、寒気はことに烈しかろうと想像されるので、将士はみな戦袍(せんぽう)の下に綿衣を厚く着こんだ。

 呂布も奥へはいって、妻の厳氏(げんし)に、肌着や毛皮の胴服など、氷雪をしのぐに足る身支度をととのえよといいつけた。

 厳氏は、良人の容子を怪しみながら、


「いったい、何処へお出ましですか」

 呂布は、城を出て戦う決意を語って、


「陳宮という男は、実に智謀の(ふくろ)のような人間だ。彼の授けた掎角の計をもってすれば、必勝は疑いない」

 と、あわただしく、身に物の具をまといだした。

 すると厳氏は、

「まあ、ここを他人の手に預けて、城外へ出ると仰せなさいますか」


 色を失った面持(おももち)で、急にさめざめと泣きだした。

 そして、なお、()口説(くど)いて、


「あなたは、後に残る妻子を、可哀そうともなんとも思いませんか。陳宮の考えだそうですが、陳宮の前身を思うてごらんなさい。あれは以前、曹操と主従の約をむすんでいたのを、途中から変心して、曹操を見捨てて(はし)った男ではありませんか。――ましてあなたは、その曹操ほども、陳宮を重く用いてはこなかったでしょう

「…………」


 妻が真剣に泣いて訴えはじめたので、呂布は途方に暮れた顔をしていた。


「……ですもの、陳宮が、どうして曹操以上に、あなたへ忠義を励みましょう。陳宮に城を預けたら、どんな変心を抱くかしれたものではありません。……そうなったら、(わたし)たち妻子は、またいつの日、あなたに会うことができましょう」

 綿々と、恨みつらみを並べた。

 呂布は、着かけていた毛皮の鎧下(よろいした)を脱ぎすてて、


「ばか、泣くな。戦の門出に、涙は不吉だ。明日にしよう、明日に」


 急に、そういって、


「娘は何をしているか」


 と妻と共に、娘たちのいる部屋へ入って行った。

 明日になっても呂布は立つ気色もない。二日も過ぎ、三日も過ぎた。


 陳宮がまた、顔を見せた。
「将軍。――一日も早く城を出て備えにおかかりなさらないと、曹操の大兵は、刻々と城の四囲に勢いを張るばかりですぞ」
「や、陳宮か、やはり今城の外に出るのは、まずい。きっと、計は曹操にみやぶられてしまう。おれは自重するときめた。城を出る方針は中止とする」

 陳宮は、彼の室を出ると慨然(がいぜん)と長大息して――


「……ああ、もはや何をかいわんやだ。われわれは遂に身を葬る天地もなくなるだろう」


 と、力なく云った。

 それからというもの、呂布は日夜酒宴に溺れて、家庭にあれば厳氏や娘に守られて、しかも酒がさめれば怏々(おうおう)としていた。


 その呂布を攻め、城を取囲んでいる曹操のほうにも、すでに安からぬ思いが濃かった。
「この城を囲んでからも六十余日になる。しかもなお、頑として、城は陥ちない。こうしている間に、もし後方に敵が起ったらわが全軍はこの大寒の曠野(こうや)に自滅するほかはない」

 曹操は憂いていた。

 戦はすでに冬期に入って、兵馬の凍死するのも数知れなかった。糧草は尽きんとしているし、雪は山野を埋め、今さら、軍を退いて遠く帰ることすら困難であった。

「どうしたものか?」


 焦躁(しょうそう)の気を眉にあつめて、不落の敵城を見つめたまま、独り沈思していると、吹雪(ふぶき)を衝いて、陣へたどり着いた早打ちがあった。


河内(かだい)張楊(ちょうよう)は、呂布と交誼(よしみ)があるので後詰(ごづめ)して、呂布を助けんと称し、兵をうごかしました。ところが手下の楊醜(ようしゅう)が、たちまち心変りして張楊を殺し、その軍を()ったところから大混乱となり、軍の眭固(けいこ)と申す者が、またまた、張楊の(あだ)といって、楊醜を討ち殺し、人数をひきいて、犬山(けんざん)方面まで動いて参りました」

 との注進であった。

 曹操は、折も折と、

「捨ておけまい。史渙(しかん)、そちの一部隊を、犬山にあてて、眭固(けいこ)を打ち取れ」

 と、すぐかたわらの大将史渙にいって、万一に備えさせた。

 史渙の隊は、雪を冒して、犬山へ向った。――曹操の心は、いよいよ晏如(あんじょ)たり得ない。冬は長い。実に冬は長いのである。明けても暮れても大陸の空は灰色に閉じて白いものを霏々(ひひ)と舞わせている。

「こう城攻めも長びいては、必ず心腹の患いが起きるだろう。曹操の武力を侮り、後方に小乱の蜂起するは目に見えている。しかも都の北には、西涼(せいりょう)の憂いがあるし、東には劉表(りゅうひょう)、西には張繍(ちょうしゅう)、おのおの、虎視眈々(こしたんたん)と、この曹操が脚を失って征途につかれるのをうかがっているところだ……」
 思いあまってか、諸大将をあつめた上で、曹操もとうとう弱音を吐いてしまった。
(いくさ)を帰そう! 残念だがぜひもない。……また、機を計って、遠征に来るとしよう!」

 すると、荀攸(じゅんゆう)が、


「丞相にも似あわぬおことばを聞くものである」
 と、声を励まして諫めた。
「いかさま、この長期にわたって、お味方の艱苦(かんく)たるや、言語に絶したものに相違ございませんが、城中の者の不安と苦しみもまた、これ以上のものに違いありません。今は、籠城の者と寄手の根くらべです。城中の兵は、退くに退けない立場にあるだけ、覚悟においては、寄手以上の強味をもっている。――ゆえに、寄手の将たる者は、夢々帰る都があるなどと自身も思ってはならないし、兵にも思わせてはならないのです。――しかるに、丞相おん自らそのように気を落して、いかで諸軍の心が振いましょうか」

 荀攸(じゅんゆう)は、心外なりとばかり、口を極めて、退くことの不利を説いた。

 さらにまた、郭嘉(かくか)が、

「この下邳(かひ)の陥ちないのは、泗水(しすい)沂水(ぎすい)の地の利あるゆえですが、その二水の流れを、味方に利用せば、敵はたちまち破れ去ること疑いもありません」

 と、一策を提出した。

 それは泗水河(しすいが)沂水河(ぎすいが)に堰を作って、両水をひとつに向け、下邳の孤城(こじょう)を水びたしにしてしまうことだった。

 この計画は成功した。

 人夫二万に兵を督して、目的どおり二つの河をひとつにあつめた。折ふしまた、暖日の雨がつづいたので、孤城はたちまち濁流にひたされ、敵はみな高い所へ這いのぼって、刻々と水嵩(みずかさ)を盛り上げてくる城壁の水勢に施す(すべ)もなく騒いでいる様子が、寄手の陣地からも眺められた。

 二尺、四尺、七尺――と夜の明けるたび水嵩は増していた。城中いたるところ浸々(しんしん)と濁流が渦巻いて、(ふく)れあがった馬の(かばね)や兵の死骸が(あくた)と共に浮いては流されて行く。

「どうしたものだろう?」

 城中の兵は、生きた空もなく、次第に居どころを狭められた。しかし呂布は、うろたえ騒ぐ大将たちに、わざと傲語(ごうご)していった。


「驚くことはない。呂布には名馬赤兎がある。水を渡ることも平地の如しだ。ただ汝らは、みだりに立ち騒いで、溺れぬように要心すればよい。……なアに、そのうちには大雪風がやってきて、一夜のうちに曹操の陣を百尺の下に埋めてしまうだろう」

 彼はなお、(たの)みなきものを恃んで、日夜、暴酒に耽っていた。彼の心の一部にある極めて弱い性格が、酔って現実を忘れることを好むのであった。

 ところが、或る時。

 ふと、宿酔(ふつかよい)からさめて、呂布は鏡を手に取った。そして愕然(がくぜん)と、鏡の中に見た自分のすがたに嘆声をもらした。

「ああ……いつのまに俺はこんなに()けてしまったのだろう。髪の色まで灰色になった。眼のまわりも青黒い」
 彼は、身を(おのの)かして、鏡をなげうち、また、独りでこう(うめ)いた。
「こいつはいかん。まだおれはこう老いぼれる年齢ではない。酒の毒だ。暴酒が肉体をむしばむのだ。断然、酒はやめよう!」

 ひどく感じたとみえて、たちまち禁酒してしまった。それはよいが同時に城中の将士に対しても、飲酒を厳禁し、

 ――酒犯(しゅはん)の者は首を()ねん

 という法令を出した。

 するとここに城中の大将の一人侯成(こうせい)の馬が十五匹、一夜に紛失した事件が起った。調べてみると馬飼の士卒が結託して馬を盗みだし、城外に出て、敵へそれを献じ、敵の恩賞にあずかろうと小慾な企てをしていたということが分った。

 侯成は聞きつけて馬飼の者どもを追いかけ、不埓者(ふらちもの)をみなごろしにして、馬もすべて取返してきた。

「よかった、よかった」と、ほかの大将たちも、賀しあって、侯成に、

「祝うべし、祝うべし」と、(はや)した。

 折ふし城中の山から、(いのこ)を十数匹()ってきた者があるので、浮かれて法令のことなど忘れ、酒倉を開き、猪を料理させ、

「きょうは大いに飲もう」と、なった。

 そこで侯成は酒五(かめ)と、猪の肥えたのを一匹、部下にかつがせて、主君の前にやって来た。そして告げるに、降人の成敗と、愛馬を取返した事実をもってし、


「これも将軍の虎威(こい)によるところと、諸大将相賀して、折ふし猪を猟して、いささか祝宴をひらいております。どうかご主君にも、ご一笑下さいまし」


 と、品々をそこにならべて拝伏した。

 すると呂布は、勃然(ぼつぜん)と、怒を発して、

「なんだっ、これは」

 と、酒瓶(さけがめ)を蹴仆した。

 一つの酒瓶が他の酒瓶に当ったので、瓶は腹を破って、一(こく)の酒がそこに噴き出した。侯成は全身に酒を浴び、強烈な香気は、呂布の怒りをなお甚だしくさせた。

「おれ自身、酒を断ち、城中にも禁酒の法を出してあるのに、汝ら大将たる者が、歓びに事よせて、酒宴をひらくとは何事だ」

 呂布は左右の武士に向って、侯成を斬れと罵った。

 仰天した侍臣の一名が、ほかの大将たちを呼んできた。諸人は哀訴(あいそ)百拝して、

「助けたまえ」

 と、侯成のために命乞いをしたが、呂布は容易に顔色をおさめなかった。

「この際、侯成のごとき得難い大将を(くびき)るのは、敵に歓びを与え、味方の士気を損じるのみで、実に悲しいことです」

 と諸大将はなお、口を極めて、命乞いをした。

 呂布もとうとう我を折って、

「それ程まで、汝らが申すなら、命だけは助けてくれる」
 といったが、
「禁酒令を破った罪は不問に附すわけにはゆかん。百杖を打って、見せしめてくれん」

と、直ちに、二人の武士へ、鞭を与えた。

 二名の武士は、拝跪(はいき)したまま動かぬ侯成の背に向って、かわるがわるに、

「一つ……」

「二つ……」

「三つ!」

「四つ!」

 と、掛声をかけながら鞭を下し始めた。

 たちまち、侯成の衣は破れ、肌が(あら)われた。その肌もみるみるうちに血を噴いて、背なか一面、斑魚(はんぎょ)(うろこ)のようにそそけ立った。

「三十!」

「三十一!」

 諸大将は、面をそむけた。

 侯成は歯ぎしり噛んで、じっとこらえていたが、りゅうりゅうと鳴る杖、掛声が、

「七十五っ」

「七十六っ」

 と、数えられてきた頃、ウームと一声うめいて、悶絶(もんぜつ)してしまった。

 呂布はそれを見ると、ぷいと閣の奥へかくれ去った。

 諸大将は、武士に眼くばせを与えて、鞭の数をとばして読ませた。

 やがて、侯成が気がついて、己の身を見まわすと、一室のうちに寝かされて、幕僚の者に看護されていた。――彼は、潸然(さんぜん)となみだを流し、苦しげに顔をしかめた。

「痛いか。苦しいだろう」
 と、友の魏続(ぎぞく)が慰めると、
「おれも武人だ。苦痛で()くのではない」

「――では、なんで哭くのか」


 魏続が聞くと、侯成は、枕頭を見まわして、


「今、ここにいるのは、君と宋憲(そうけん)だけか」


「そうだ……。俺たちだけだ。なんでも安心して話し給え」


「……ではいうが呂将軍に恨みとするのは、われわれ武人は(あくた)のごとく軽んじ、妻妾の媚言(びげん)には他愛なく動かされることだ。このような状態では、遂に、われわれは犬死するほかあるまい――おれはそれを悲しむのだ」


「侯成! ……」
 と宋憲は寄り添って、
「まったくだ。実に、それがし達もそれを悲しむ。いっそのこと、城を出て、曹操の陣門に降ろうではないか」

「……でも、城壁の四方は滔々(とうとう)たる濁流だろう」


「いやまだ東の関門だけは、山の裾にかかっているので、道も水に(ひた)されていない」


「そうか……」


 侯成は、天井を見ていたが、不意に、むっくりと起き上がって、


「やろう! 決行しよう。……呂布が頼みにしているのは赤兎馬だ。彼はわれわれ大将よりも赤兎馬を重んじ、婦女子を愛している。――だから、おれは彼の(うまや)へ忍んで、赤兎馬を盗みだし、そのまま、城外へ脱出し、曹操の元へくだる。君たちは後に残って、折を見て、行動を起こしたまえ」

「心得た! できることなら呂布を生け捕って見せよう。……しかしその重態な体で、君は大丈夫か」


「なんの、これしきの傷手(いたで)


 と侯成は唇をかんで、ひそかに身支度を替え、夜の更けるのを待っていた。

 四更の頃、彼は闇にまぎれて、閣裡(かくり)厩舎(うまや)へ這い忍んで行った。遠くからうかがうと、折もよし、番の士卒はうずくまって居眠っている様子であった。

 曹操は、侍者に起されて、暁の寒い眠りをさました。夜はまだ明けたばかりの頃である。
「何か」

 と、帳を払って出ると、

「城中より侯成(こうせい)という大将が(こう)を乞うて出で、丞相に(えつ)を賜りたいと陣門にひかえております」

 と、侍者はいう。

 侯成といえば、敵方でも一方の雄将と知っている。曹操はすぐ幕営に引かせて彼に会った。

 侯成は脱出を決意した次第を話して、呂布の(うまや)から盗んできた赤兎馬を献じた。

「なに、赤兎馬を」


 曹操のよろこび方は甚だしかった。彼自身の立場こそ、実は進退きわまっていたところである。

 窮すれば通ず。彼にとっては、天来の福音だった。で、曹操は特に、侯成をいたわって、いろいろと(ただ)した。

 侯成はなお告げた。


「同僚の魏続(ぎぞく)宋憲(そうけん)のふたりも、城中にあって、内応する手筈になっております。丞相にしてお疑いなく一挙に攻め給うならば、二人は城中に白旗を掲げ、直ちに、東の門をひらいてお迎え申しましょう」


 曹操は、限りなく喜悦(きえつ)して、さらばとばかり、直ちに、檄文(げきぶん)を認めて、城中へ矢文を射させた。


 その文には、


今、明詔ヲ奉ジテ呂布ヲ征ス、モシ大軍ヲ抗拒(コウキョ)スル者アラバ満門(コトゴト)誅滅(チュウメツ)セン

モシ城内ノ上ハ将校ヨリ庶民ニ至ル迄ノ者、呂布ガ首ヲ献ゼバ、重ク官賞ヲ加エン


  大将軍(ダイショウグン)(ソウ)押字(カキハン)

 朝焼けの雲は紅々(あかあか)と城東の空にながれていた。同文の矢文が何十本となく射込まれたのを合図に、金鼓の響き、(とき)の声は、地を震わし、十数万の寄手は、いちどに城へ攻めかかった。

 呂布は愕いて、早暁から各所の攻め口を駆けまわり、自身、督戦に当ったり、戟をふるって、城壁に近づく敵を撃退していた。

 ところへ、厩の者が、

「昨夜、赤兎馬が、忽然(こつぜん)と姿を消しました」と、訴えてきた。

 呂布は眉をひそめたが、

「番人の怠っているすきに手綱を()って、搦手(からめて)の山へのぼって草でも食っているのだろう。早く探してつないでおけ」

 と、罵った。

 前面の防ぎに、叱っているいとまもなかったのである。それほどこの日の攻撃は烈しかった。

 敵は、次々と、(いかだ)を組んで、濁水を越え、打ち払っても打ち退けてもひるまずによじ登ってくる。(うま)の刻を過ぎる頃には、両軍の水つく屍に(へき)は泥血に染まり、濁水の(ほり)も埋まるばかりに見えた。

 ようやく、陽も西に傾く頃、寄手は攻めあぐねて、やや遠く退いた。早朝から一滴の水ものまず、食物もとらず奮戦をつづけていた呂布は、

「ああ。……まずこれまで」


 と、ほっと、一息つくと共に、綿のように疲れた体を、一室の(とう)に倚せて、居眠るともなく、うつらうつらとしていた。

 ――と、彼の息をうかがって、音もなく床を這い寄って来た一人の将校がある。魏続(ぎぞく)であった。

 呂布のもたれている(ほこ)の柄が榻の下に見える。――魏続は手をのばして榻の下からその柄を強く引っ張った。居眠っていた呂布は、不意に支えをはずされたので、

「――あっ」
 と、半身を前へのめらせた。
「しめたっ」

 魏続が、奪った戟を後ろへほうるとそれを合図に、一方から宋憲(そうけん)が躍りだして、呂布の背をつきとばした。


「何をするっ」

 猛虎は、床に倒れながら、両脚で二人を蹴上げたが、とたんに魏続、宋憲の部下の兵が、どやどやと室に満ちて、吠える呂布へ折重なって、やがて鞠の如く、縛り上げてしまった。


()ったっ」

「呂布を(から)めた!」

 諸声(もろごえ)あげて、反軍の将士が、そこでどよめきをあげた頃――城頭のやぐらでは、一味の者が、白旗を振って、

「東門は開けり」と、寄手へ向って、かねての合図を送っていた。

 それっ――と曹操の大軍は、いちどに東の関門から城中へなだれ入ったが、用心深い夏侯淵(かこうえん)は、

「もしや敵の詭計(きけい)ではないか」

 と、疑って、容易に軍をうごかさなかった。

 宋憲は、それと見て、


「ご疑念あるな」

 と、城壁から彼の陣へ、大きな戟を投げてきた。

 見るとそれは呂布が多年戦場で用いていた画桿(がかん)の大戟だった。

「城中の分裂、今はまぎれもなし」

 と、夏侯(じゅん)も、つづいて関内へ駸入し、その余の大将も、続々入城する。

 城内はまだ(かなえ)のわくがごとき混乱を呈していた。

「呂将軍が捕われた」と伝わったので、城兵の狼狽は無理もなかった。去就(きょしゅう)に迷って殲滅の憂き目に会う者や、いち早く、武器を捨て、投降する者や、右往左往一瞬はさながら地獄の底だった。

 中にも。

 高順、張遼の二将は、変を知るとすぐ、部隊をまとめて、西の門から脱出を試みたが、洪水の泥流深く、進退極まって、ことごとく生虜(いけど)られた。

 また。――南門にいた陳宮は、「南門を、死場所に」と、防戦に努めていたが、曹操麾下(きか)の勇将徐晃(じょこう)に出会って、彼もまた、捕虜の一人となってしまった。

 こうして、さしもの下邳城(かひじょう)も、日没と共に、まったく曹操の掌中に収められ、一夜明けると、城頭楼門の東西には、曹軍の旗が満々と、曙光(しょこう)の空にひるがえっていた。

 曹操は、主閣白門楼(はくもんろう)の楼台に立って、即日、軍政を()き人民を安んじ、また、劉備を請じて、傍らに座を与え、

「いざ。降人を見よう」


 と、軍事裁判の法廷をひらいた。

 まず第一に、呂布が引立てられて来た。呂布は身長(みのたけ)七尺ゆたかな偉大漢なので、団々と、巨大な(まり)の如く縄をかけられたため、いかにも苦しげであった。

 白門楼下の石畳の上にひきすえられると、彼は、階上の曹操を見上げて、

「かくまで、辱めなくてもよかろう。曹操、おれの縄目を、もう少しゆるめるように、吏へ命じてくれ」

 と、いった。

 曹操は苦笑をたたえて、

「虎を縛るに、人情をかけてはおられまい。――しかし、口がきけないでも困る。武士ども、もうすこし手頸(てくび)の縄をゆるめてやれ」


 すると、主簿(しゅぼ)王必(おうひつ)があわてて、(さえぎ)った。


滅相(めっそう)もない。呂布の猛勇は尋常な者とはちがいます。滅多に憐愍(れんびん)をかけてはなりません」

 呂布は、はったと王必を()めつけて、


「おのれ、要らざる差し出口を」


 と、(きば)をむいて咬みつきそうな顔をした。

 そしてまた、眼を階下に並居る諸将に向けた。そこには魏続や侯成や宋憲など、きのうまで自分を主君とあがめていた者が、曹操の下に甘んじて居並んでいる。――呂布は、眼をいからして、その人々の顔を睨めまわし、

「汝らは、どの面さげて、この呂布に会えた義理か。わが恩を忘れたか」

 侯成は、あざ笑って、


「その愚痴は、日頃、将軍が愛されていた秘院の女房へおっしゃったらいいでしょう。われわれ武臣は、将軍から百杖の罰や苛酷な束縛は頂戴したおぼえはあるが、将軍の愛する婦女子ほどの恩遇もうけたためしはありません」

 呂布は、黙然と、うなだれてしまった。

 運命は皮肉を極む。時の経過に従って起るその皮肉な結果を、俳優自身も知らずに演じているのが、人生の舞台である。

 陳宮と曹操のあいだなども、その一例といえよう。そもそも、陳宮の今日の運命は、そのむかし、彼が中牟(ちゅうぼう)の県令として関門を守っていた時、捕えた曹操を救けたことから発足している。

 当時、曹操は、まだ白面の一志士であって、洛陽(らくよう)の中央政府の一小吏に過ぎなかったが、董卓(とうたく)を暗殺しようとして果たさず、都を脱出して、天下に身の置き所もなかったお尋ね者の境遇だった。

 それが、今は。

 かつての董卓をもしのぐ位置に登って大将軍(だいしょうぐん)曹丞相(そうじょうしょう)と敬われ、階下にひかれてきた敗将の陳宮を、冷然と見くだしているのであった。

「…………」


 陳宮は、立ったまま、じっと曹操の面を、しばらく見つめていた。

(――もし、曹操を、そのむかし中牟の関門で助けなどしなかったら、今日の俺も、こんな運命にはなるまいに)と、その眼は、過去の悔みと恨みを、ありありと語っていた。

「坐らぬかっ」

 縄尻を持った武士に腰を蹴られて、陳宮は折れるが如く身を崩した。

 曹操は、階の上から、冷ややかに見て、


「陳宮か。ご辺とは実に久しぶりの対面だ。その後は、(つつが)ないか」

「見た通りである。――恙なきや、との訊ねは、自己の優越感を満足させるために、此方を嘲弄(ちょうろう)することばと受取れる。相変らず、冷酷な小人ではある。(わら)うにたえぬことだ」


「小人とは、そちの如き者をいう。理智の小さな眼の(あな)からばかり人間を観るので、予の如き大きな人物を見損うのだ。――そのために、遂に、こういうことになったが何よりの実証ではないか」
「いや、たとい今日、かかる(はじ)をうけても、心根の正しくない汝についているよりは、ましだった。奸雄(かんゆう)曹操ごとき者を見捨てたのは、自身、以て先見の明を誇るところで、寸毫(すんごう)、後悔などはしておらん」
「予を、不義の人物といいながら、しからばなぜ、呂布のような、暴逆の臣を(たす)けて、その禄を()んできたか。君は、すこぶる愛嬌のある口頭正義派の旗持ちとみえる。口先だけの正義家で衣食の道はべつだというまことにご都合のいい主義だ。いや笑止笑止」
「いかにも呂布は暗愚で粗暴の大将にちがいない。しかし彼には汝よりも多分に善性がある。正直さがある。すくなくも、汝のごとく、酷薄(こくはく)詐言(いつわり)が多く、自己の才謀に慢じて、遂には、上をも犯すような奸雄では絶対にない」
「ははは。理窟はどうにでもつく。だが、今日の事実をどう思うか。縄目にかけられた敗軍の将の感想を訊きたいものだが」
「勝敗は、時の運だ。ただ、そこに在る人が、それがしの言を用いなかったために、この憂き目を見たに過ぎない」
 と、傍にうつ向いたままである呂布のすがたを、顔で指して、
「さもなければ、やわか、汝ごときに敗れ去る陳宮ではない」

 と、傲然(ごうぜん)、云い放った。

 曹操は、苦笑して、

「時に、ご辺は今、自分の身をどうしようと思うか」


 と、訊ねた。

 陳宮は、さすがに、さっと顔いろに、感情をうごかして、

「ただ、死あるのみ。早く首を打ち給え」
「なるほど、臣として忠ならず、子として孝ならず、死以外に、(みち)はあるまい。しかしご辺には老母や妻子がある筈。――いかにするつもりか」

 そういわれると、陳宮はにわかにうつ向いて、さんさんと落涙した。

 やがて、陳宮は、面をあげた。

「思うても、是非ないこと、何も思わぬ。いかようともなし給え」

「…………」


 曹操は、何とかして、陳宮を助けたいと思っていた。

 ――というよりは、殺すに忍びなかったのである。

 留恋(りゅうれん)の私情と、裁く者の法人的な意思とが今、しきりと彼の心のうちで闘っていた。――陳宮はその顔いろを察して、

「無用な問いはもう止め給え。願わくは、速やかに軍法にてらして、陳宮に誅刀(ちゅうとう)を加えられよ。――これ以上、生くるは(はじ)のみだ」

 云い捨てて、決然とそこから起ち上がった。そして、階下の一方にうずくまっている捕虜(とりこ)の呂布へ、冷然と一(べん)を与えると、自身、白門楼の長い石段を降って、――下なる首の座に坐った。

 その後ろ姿に、


「ああ――」


 と、曹操は、階上の廊に立ち上がって、しきりと涙をながしていた。諸人もみな伸び上がって、白門楼下の刑場を見まもった。

 陳宮は、死の(むしろ)にすわって、黙然と首をのべていたが、ふと、薄曇りの空を啼き渡る二、三羽の(こう)の影に面をあげて、静かに、刑吏の戟を振り向き、

「もう、よろしいか」

 と、あべこべに促した。

 一閃の刑刀は下った。

 頸骨(けいこつ)(かっ)と鳴って、噴血の下、首は四尺も飛んだ。

 曹操は、さっと酒の醒めたように、

「次は、呂布の番だ。呂布を成敗しろ!」
 と命を下した。すると呂布は急に、大声でわめきだした。
「丞相、曹丞相。もう閣下の患とする呂布はかくの如く、降伏して、除かれているではないか。この上は、われを助けて、騎将とし、天下の事に用いれば、四方を定める力ともなろうに。――ああ、なんで無用に、殺そうとするか。助け給え。呂布はすでに、心から服している」

 曹操は、横を向いて、


劉備(りゅうび)どの。彼の哀訴を、聞き届けてやったものだろうか、それとも、断罪にしたものだろうか」

 と、小声で訊いた。

 劉備は、


「見るに堪えません」
 と、首を振った。
兎耳児(うさぎみみ)の悪人め。いつか俺が、轅門(えんもん)の戟を射て助けた恩を忘れたかっ」

 と、睨みつけた。


「刑吏ども。早その首を(しめ)てしまえ」


 曹操の一令に、執行の役人たちは、縄を持って、呂布のそばへ寄った。呂布は暴れて、容易に彼らの手にかからなかったが、遂に、遮二無二抑えつけられたまま、その場で縊殺(いさつ)されてしまった。

 張遼(ちょうりょう)にも、当然、斬られる番が迫ってきたが、劉備は、突如立って、

「彼は、まだ若く、下邳城中(かひじょうちゅう)、ただ一人の心正しき者です。願わくは、ゆるしたまえ」

 と曹操を拝した。

 曹操は、劉備の乞いをいれて、彼を助命したが、張遼は辱じて、自ら剣を()って死のうとした。

「こんな(けが)らわしい場所で、犬死する奴があるか」


 と、彼の剣を奪って止めたのは、関羽だった。

 曹操は、平定の事終ると、陳宮の老母と妻子を探し求め、(いくさ)を収めて、許都(きょと)へ還った。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

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