第65話、閑人の一書

文字数 4,610文字

 その後、劉備は徐州の城へはいった。しかし事の成行き上、また四囲の情勢も、彼に従来のようなあいまいな態度や卑屈は、もうゆるさなくなってきたのである。

 劉備の性格は、無理がきらいであった。何事にも無理な急ぎ方は望まない。

 曹操を排除することは望んでいたが、こんどのような事件を起こし、曹操の怒りに油をそそぐようなことは、劉備の望むところではなかった。だましだまし、自己の勢力を広げて曹操に対するつもりであった。


「曹操の気性として、かならず自身大軍をひきいて攻めてくるであろう。何をもって、自分は彼に抗し得ようか」

 彼は、正直に憂えた。


「ご心配は無用です」


 陳登(ちんとう)が彼にそういった。

 劉備はあやしんで、その理由を反問した。すると陳登は、


「この徐州の郊外に、ひとり詩画琴棋(しがきんき)をたのしんで、余生をすごしている高士(こうし)がおります。桓帝(かんてい)の御世宮廷の尚書を勤め、倉厨(そうちゅう)は富み、人品もよく……」
 と、まるで別なことを話し出した。

「陳登、其許(そこもと)はわれに何を説こうというのか」


「さればです。もしあなたが、今の憂いを払わんと思し召すなら、いちどその高士(こうし)鄭玄(ていげん)をお訪ねなされては如何かと?」

「書画琴棋の慰みなどは、劉備の心に何のひびきもない」


「彼は世外(せがい)の雅客ですが、あなたにまで、風月に遊べとおすすめ申すのではありません。――高士鄭玄(ていげん)と、河北の袁紹(えんしょう)とは共に宮中の顕官であった関係から三代の通家であります」

「……」


 劉備は、深い眼をすました。


「――いま曹操の威と力とを以てしても、なお彼が常に恐れはばかっている者は、河北の袁紹しかありません。河北四州の精兵百余万と、それを囲繞(いにょう)する文官、武将、謀士、また河北の天地の富や彼の門地など、抜くべからざる大勢力です。失礼ながらまだまだあなた如きは、そう彼の眼中にはないでしょう」

「……うム」


 劉備は苦笑した。――そうだ曹操の眼にはまだ自分などは――と、みずからほくそ笑まれたのである。


「親しく鄭玄(ていげん)にお会いあって、袁紹への手紙をひとつ書いておもらいなさい。鄭玄が書簡をかけば、袁紹はきっとあなたに好意を示しましょう。袁紹の合力さえあれば、曹操とて、恐れるに足りません」

「なるほど。……御身の深謀は珍重にあたいするが、成功はしまい」


「なぜですか」


「思うてもみよ。わしはすでに袁紹の弟、袁術をこの地に滅ぼしているではないか」
「ですから、そこを鄭玄(ていげん)にとりなしてもらうのです。ともかく、世外(せがい)の高士に、世俗の働きをさせるところが、この策の妙たるところなんです」
 遂に彼を案内として、劉備は、高士鄭玄の門をたたいた。鄭玄は快く会ってくれたのみならず、慇懃(いんぎん)、膝下にひざまずいて志をのべる劉備を見て、
「君のような仁者のために、計らずも世俗の用を久しぶりに論じるのは、老後の閑人にとって、むしろ時ならぬ快事じゃよ」

 と、さっそく筆をとって、細々と自分の意見をも加え、河北の袁紹へ宛て、一書をかいてくれた。


どうか小さな私怨などわすれて、劉備玄徳に協力を与えて欲しい。青史は昭々、万代滅せず、今日の時運は歴々、大義大道の人に向いている。この際、劉備玄徳を得るは、いよいよ袁家(えんけ)の大慶でもあることと信じ、自分も欣然この労をとった。



「これでよいかの」
 鄭玄は自分の文を詩のように吟誦(ぎんしょう)してから封をした。劉備は押しいただいて門を辞した。馬をめぐらして城に帰ると、すぐ部下の孫乾(そんけん)を河北へ使いに立てた。

 はるばる徐州の使い孫乾が、書簡をたずさえて、河北の府に来れりというので、袁紹(えんしょう)は、日を期して謁見を与えた。

 孫乾は、まず劉備の親書を捧呈してから、

「願わくは、閣下の精練の兵武をもって、許都の曹賊(そうぞく)討平(とうへい)し、大きくは漢朝のため、小にはわが主劉備のため、この際、平常のご抱負をのべ、奮勇一番、ご蹶起(けっき)あらんことを」

 と、再拝低頭、(おそ)れ慎んで云いながらも、相手の腹中にはいって懇願した。

 袁紹は一笑した。

「何かと思えば、虫のよい劉備の頼み。彼は先頃、わが弟の袁術を殺したではないか。いずれ弟の仇を思い知らしてやろうとは考えていたが、彼に助力を与えんなどとは、思ってみたこともない。何を戸惑うてこの袁紹に……。あははは、使者にくる者もくる者。仮面(めん)でもつけて参ったか」
「閣下。そのお恨みは、曹操にこそ向けられるべきです。何事につけ廟堂(びょうどう)の奸賊は、朝命をもって、みだりに命じ、そむけば違勅の罪を鳴らそうというのであります。わが主劉備のごときも、まったく心なく淮南(わいなん)(えき)にさし向けられ、しかも功は問わず、非のみ責める曹操の非道に、遂に、堪忍をやぶって、今日わたくしを遠く使いせしめるに至ったものでございます。何とぞご賢慮をもって、這般(しゃはん)のいきさつを深くご洞察ねがわしゅうぞんじます」
「おそらくそれは真実の言だろう。曹操なる者は、元来がそうした奸才に()けた人間だ。配するにお人よしの劉備ときては、さもある筈。しかし劉備は、一面、実直で信義に篤く、自然人望に富むという取柄(とりえ)もあるから、彼が心から悔いているなら救うてやらぬこともないが、一応、評議のうえ返答に及ぶであろう。数日、駅館にて休息しておるがよい」
「何分のおはからいを待ちおりまする。――ついては、べつにこの一通は、日ごろ主人劉備を、子のごとく愛され、また、無二の信頼をおかけ下されている高士(こうし)鄭玄(ていげん)より特に託されて参ったご書面にございまする。後にて、ご一見くだしおかれますように」

 と、その日は退がった。

 後で、鄭玄の手紙を見てから、袁紹のこころは大いにうごいた。元々、彼としては、北支四州に満足はしていない。進んで中原に出で、曹操の勢力を一掃するの機会を常にうかがっているのである。弟の恨みよりも、劉備を麾下(きか)に加えておいたほうが、将来の利であると考え直してきたのだった。

 つぎの日。

 台閣の講堂に諸大将は参集していた。

「曹操征伐の出軍、今を可とするか、今は非とするか」

 について、議論は白熱し、謀士、軍師、諸大将、或いは一族、側近の者など、是非二派にわかれて、舌戦果てしもなかった。

 河北随一の英傑といわれ、見識高明のきこえある田豊(でんぽう)は、


「ここ年々の合戦つづきに、倉廩(そうりん)の貯えも、富めりとはいえないし、百姓の賦役(ふえき)も、まだ少しも軽くはなっておらない。まず、国内の(うれ)いを()やし、辺境の兵馬を強め、河川には船を造らせ、武具糧草をつみ蓄えて、おもむろに機を待てば、かならず三年のうちに、自然、許都の内より内訌(ないこう)(きざ)しがあらわれよう。それまでは、朝廷に(みつ)ぎをささげ、農政に務め、民を安んじ、ひたすら国力を養っておくべきである」

 と、述べた。

 すると一名、すぐ起って、

「今のお説は、甚だしくわが意にかなわん。河北四州の精猛に、主公のご威武をいただき、何すれば、曹操ごときを、さまで怖れたもうか。兵法にいう、十囲五攻、すべて一歩の機と。今日のような変動の激しい時勢に、三年もじっと受身でいたらひとりでに国が富み栄えるなどとは、痴者の夢よりもまだ愚かしい。機なしとせば十年も機なし。活眼電瞬、今こそ、中原に出る絶好の(とき)ではないか」
 と、大声で(ばく)したてた。誰かとみれば、魏郡(ぎぐん)の生れで、審配(しんぱい)(あざな)正南(せいなん)という大将だった。
 すると、また一名、
「いやいや、そのお説は、耳には勇ましく聞えるが、一国の浮沈を賭けて、自己の驕慢(きょうまん)を満足させようとするようなもの。いわば大きな賭博を打つにも異ならぬ暴挙である」

 と起ち上がって、審配の言に、反対した大将がある。

 諸人、これを見れば、広平の人、沮授(そじゅ)であった。

 沮授はいう。

「義兵は勝ち、驕兵はかならず(やぶ)る。誰も知る戦の原則である。――曹操はいま許昌(きょしょう)にあって、天下を制しているが、(めい)はみな帝の御名を以てし、士卒は精練、彼自身は、機変妙勝の胆略を蔵している。故に、彼の出す法令には、誰も拒むことができない。しかるに――」

「待たれい」


 審配は、奮然とまた起って、


沮授(そじゅ)どのには、曹操を讃美して、われらの説は、驕兵の沙汰といわるるのか」

「そうである!」


「何っ」


「敵を知らずして、敵に勝つことはできませんぞ」


「知るにあらず、尊公のはただ怖れるのだ」


「然り、自分は、曹操を怖れます。彼を、先に滅んだ公孫瓉(こうそんさん)ごときものと同一視されると、とんだことになりますぞ」


「あははは」


 審配は、満座へ向って、哄笑を発しながら、


「えらい恐曹病者もいるものだ。恐曹患者と議論は無益だ」


 と、云いながら、側にいる郭図(かくと)の顔を見た。

 大将郭図は、日ごろから沮授(そじゅ)と仲が悪いので、彼こそ自分の説を支持するだろうと思ったからである。

 案の定、郭図は次に起立して、

「いま曹操を討つのを、誰が無名のいくさと(そし)りましょうぞ。武王の(ちゅう)を討ち、越王(えつおう)の呉を仆す、すべて時あって、変に応じたものです。いたずらに安泰をねがって、世のうごきを拱手傍観(きょうしゅぼうかん)していた国で、百年の基礎をさだめた例がありましょうか。――しかも、賢士鄭玄(ていげん)さえ、遠く書をわが君に送って、劉備をたすけ、共に曹操を討つこそ、実に今日をおいてはあるべからずと云ってきているではありませんか。わが君には、何故のご猶予ですか。()く無益な紛論をやめて、即刻、ご出兵の命こそ、臣ら一同の待つものでございます」
 と、郭図のことばは、その内容は浅いが、音吐朗々、態度が堂々としているので、一時、紛々の衆議を、声なくしてしまった。
「そうだ。鄭玄は一世の賢士である。彼が、この袁紹のために、わざわざ悪いことをすすめてくるはずはない」

 遂に、袁紹も意をきめて、一方の出軍説を採ることになった。郭図(かくと)、審配などの強硬派は、凱歌をあげて退出し、反対した田豊や沮授(そじゅ)の輩も、

「このうえは是非もない」と、黙々、議堂から溢れて、やがて出征の命を待った。

 許都へ! 中原へ!

 十万の大軍は編制された。

 審配、逢紀(ほうき)のふたりを総大将に。田豊、荀諶(じゅんじん)許攸(きょゆう)を参軍の謀士に。また顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)の二雄を先鋒の両翼に。

 騎馬兵二万、歩兵八万、そのほかおびただしい輜重(しちょう)や機械化兵団まで備わっていた。

 河北の地に、空もおおうばかりな兵塵のあがり出した頃、劉備の使い孫乾(そんけん)は、

「得たり! わが君のご武運はまだつきない」


 と、鞭を高く、徐州へさして、急ぎ帰っていた。

 ふところには「援助の儀承諾」の旨を直書した袁紹の返簡を持っている。

 時に、用いかた如何に依っては、閑人の一書といえども、馬鹿にできない働きをする。高士鄭玄の一便は、かくて、河北の兵十万を、曹操へ向わしめたのであった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色