第65話、閑人の一書
文字数 4,610文字
その後、劉備は徐州の城へはいった。しかし事の成行き上、また四囲の情勢も、彼に従来のようなあいまいな態度や卑屈は、もうゆるさなくなってきたのである。
劉備の性格は、無理がきらいであった。何事にも無理な急ぎ方は望まない。
曹操を排除することは望んでいたが、こんどのような事件を起こし、曹操の怒りに油をそそぐようなことは、劉備の望むところではなかった。だましだまし、自己の勢力を広げて曹操に対するつもりであった。
彼は、正直に憂えた。
劉備はあやしんで、その理由を反問した。すると陳登は、
劉備は、深い眼をすました。
劉備は苦笑した。――そうだ曹操の眼にはまだ自分などは――と、みずからほくそ笑まれたのである。
と、さっそく筆をとって、細々と自分の意見をも加え、河北の袁紹へ宛て、一書をかいてくれた。
どうか小さな私怨などわすれて、劉備玄徳に協力を与えて欲しい。青史は昭々、万代滅せず、今日の時運は歴々、大義大道の人に向いている。この際、劉備玄徳を得るは、いよいよ
はるばる徐州の使い孫乾が、書簡をたずさえて、河北の府に来れりというので、
孫乾は、まず劉備の親書を捧呈してから、
と、再拝低頭、
袁紹は一笑した。
と、その日は退がった。
後で、鄭玄の手紙を見てから、袁紹のこころは大いにうごいた。元々、彼としては、北支四州に満足はしていない。進んで中原に出で、曹操の勢力を一掃するの機会を常にうかがっているのである。弟の恨みよりも、劉備を
つぎの日。
台閣の講堂に諸大将は参集していた。
について、議論は白熱し、謀士、軍師、諸大将、或いは一族、側近の者など、是非二派にわかれて、舌戦果てしもなかった。
河北随一の英傑といわれ、見識高明のきこえある
と、述べた。
すると一名、すぐ起って、
と起ち上がって、審配の言に、反対した大将がある。
諸人、これを見れば、広平の人、
沮授はいう。
審配は、奮然とまた起って、
審配は、満座へ向って、哄笑を発しながら、
と、云いながら、側にいる
大将郭図は、日ごろから
案の定、郭図は次に起立して、
遂に、袁紹も意をきめて、一方の出軍説を採ることになった。
「このうえは是非もない」と、黙々、議堂から溢れて、やがて出征の命を待った。
許都へ! 中原へ!
十万の大軍は編制された。
審配、
騎馬兵二万、歩兵八万、そのほかおびただしい
河北の地に、空もおおうばかりな兵塵のあがり出した頃、劉備の使い
と、鞭を高く、徐州へさして、急ぎ帰っていた。
ふところには「援助の儀承諾」の旨を直書した袁紹の返簡を持っている。
時に、用いかた如何に依っては、閑人の一書といえども、馬鹿にできない働きをする。高士鄭玄の一便は、かくて、河北の兵十万を、曹操へ向わしめたのであった。
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