第120話、連れ去り
文字数 6,256文字
その後も、蜀の文武官は、劉璋に諫めること度々であった。
「劉備に二心はないかもしれません。しかし劉備の幕下は皆、この蜀に
劉璋は依然、うなずかない。
そういわれてはもう衆臣も二の句がない。唯ひたすら家臣結束して、荊州軍のうごきに警戒の眼を払っているだけだった。
かかるうちに国境の
「漢中の
劉璋はむしろ得意を感じたらしい。早速にこの由を劉備へ伝え、協力を乞うと、劉備はすこしも辞すところなく、直ちに、兵を率いて国境へ馳せ向った。
蜀の諸将はほっとした。
「いざ、この間に、蜀は自国の守りを鉄壁になし給え。内外、万全のご用意を」
と、劉璋へ再三再四、献言した。
劉璋も、あまりに諸臣が憂えるので、さらばと彼らの意にしたがい、即ち、蜀の名将
蜀境の戦乱は、まもなく、長江千里の南、呉へ聞えてきた。
孫権は、呉の重臣を一堂に集めて、こう穏やかでない顔して云った。
すると、議堂の
おどろいて、その人を見れば、これは孫権の母公の妹、呉夫人であった。
母公は
孫権は沈黙して、ただ老母のまえに、叱りをうけているだけだったために、評議は、一決せずに終ってしまった。
――今、荊州を収めなければまたいつの日機会があろうと、孫権は爪をかみながら、一室に沈吟していた。
張昭が、そっと来て彼の前にささやいた。
孫権は、はや、筆墨をよせて、妹に送る密書をしたため出した。
その日、孫権に召された周善は、張昭にも会って、
五百の兵はみな
やがて目的地の荊州に着く。
周善は
夫人は、寝耳に水の
兄孫権の手紙を読むうちに、もう
周善のことばを聞くと、劉備夫人は、いよいよ身をもんで、
と、泣き沈んだ。
ここぞと、周善は、
なにものも要らない気になった。ついに彼女は身支度した。周善は諸方の口を見張りながら、その間に早口に告げた。
「そうそう、
彼女の心はもう呉の空へ飛んでいる。なにをいわれても
ことし五歳の阿斗をふところに、夫人は、車にかくれて、城中から忍び出た。
呉以来、そば近く、かしずいている三十余人の侍女は、みな小剣を腰に
ざわめく
「待てっ。その船待てっ」
岸の暗がりに、馬のいななきやら剣槍のひびきが聞えた。
周善は
と、
江頭の人影は、刻々、多くなって、騒ぎ立っている。中にひとり目立っているのは、常山の
船の影を追いながら、
「のがすな。あの船を」と、十里も駆けた。
一漁村へかかった。
趙雲は馬をすてて、漁夫の一舟へ飛び乗り、
と、先に廻っていた。
呉の船は帆うなりをあげながら下ってきた。趙雲の小舟がそれへ近づこうとすると、船上の周善は、長い
と、必死の下知に声をからした。
趙雲は、槍をなげすてた。
腰なる
呉の兵は、彼の形相に怖れて、わっと逃げかくれる。趙雲はあたりを
と、鏡のような眼をいからせて
その声に、夫人のふところに眠っていた幼君の
夫人は、
夫人は、悲鳴をあげながら、侍女たちを振り向いて、
と、さけんだ。
だが、趙雲は苦もなく、夫人の膝から、
そしてさっと、船上を走って、
かかる間も、
弓と槍と
すると、いつのまにか近づいていた田舎町の河港の口から、十数艘の早舟の群れが扇なりに展開しながら近づいてきた。
近づくに従って、その早舟の群れからは、鼓の音や
趙雲は
この上は、幼君を
ところが、水中から声があって、
呼びかけると、一舟の中から、
と、下からも呼び返しながら、はやその張飛をはじめ、荊州の味方は、たちまち、八方から
張飛が船上へとび上がると、出合い頭に、周善が
と云ったとたんに、彼の一振した一丈八尺の
張飛の眼にふれたらさいご、その者の命はない。呉の兵は人の
殺伐するに仮借のない張飛は、歩むところに
すると一隅に、侍女たちに囲まれたまま、立ちすくんでいた劉備夫人のすがたがあった。
夫人は必死な気位を持って彼を見下ろそうとした。
しかし張飛のらんらんと燃える眼は、決して、夫人の眸を避けなかった。
やがて、彼がいう。
夫人は白くわなないた。
これには張飛も
張飛は、夫人の前へ戻って、
告げ終ると、
と、早舟へ跳び移った。
趙雲も
そしてその余の早舟十数艘を漕ぎ連れて、近くの
孔明は、仔細の報告を、そのまま詳しく書簡にしたため、すぐ蜀の
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