第26話、反董卓連合の結成

文字数 6,638文字

 さて。――日も経て。

 曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。

 そこは河南の陳留(ちんりゅう)(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒(ほうじょう)であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働いている。


「どうかして下さい」

 曹操は、家に帰ると、事の次第をつぶさに告げて、幼児が母に菓子でもねだるような調子でせがんだ。


「――義兵の旗挙げをする決心です。誰がなんといっても、この決心はうごきません。そこで、父上にも、ひと肌ぬいでいただきたいんですが」

 と、いうのである。

 父の曹嵩(そうすう)も、

「ウーム……。偉いことをしでかして来おったな」


 と、呆れ顔に、(うめ)いてばかりいたが、元来、幼少から兄弟中でいちばん可愛がっている曹操のことなので、


「どうかしてくれって、どうすればよいのじゃ」
 と、叱言(こごと)も出なかった。
「軍費が要り用なんです」

「軍費といったら、わしの家のこればかしな財産では、いくらの兵も養えまいが」


「ですから、父上のお顔で、富豪(かねもち)を紹介して下さい。曹家は、財産こそないが、遠くは夏侯(かこう)氏の流れを汲み、漢の丞相曹参の末流です。この名門の名を利用して、富豪から金を出させて下さい」


「じゃあ、衛弘(えいこう)に話してみるさ」


「衛弘って誰ですか」


「河南でも一、二を争う財産家だ」


「じゃあ、父上が()んで、一日、酒宴を設けてくれませんか」


「おまえのいうことは、なんでも簡単だな」


「大きな仕事を手軽にやってのけるのが、大事を成す秘訣ですよ」


 父子(おやこ)は、日を定めて、衛弘をわが邸に招待した。

 衛弘は、曹操をながめて、


「都へ行っていたと聞いていたが、いつのまにか、よい青年になりましたな」


 などといった。

 曹操は、彼を待遇するに、あらゆる慇懃(いんぎん)を尽した。

 そして、話のはずんできた頃、胸中の大事を打明けて、援助を依頼してみた。

 もし嫌だといったら、生かしては帰さないという気を、胸にふくんでの真剣な膝づめ談判であったから、静かに頼むうちにも、曹操の眸は、(やいば)のように()げていたに違いなかった。

 ところが、衛弘は聞くとすぐ、


「よろしい。ご辺の忠義にめでて、ご援助しましょう。近ごろの天下の乱れを、わしも嘆いていたが、わしの器量にはないことだから、時勢の成行きを眺めていた折です。――いくらでも軍用金はご用立てしよう」

 と、承知してくれた。

 曹操は、よろこんだ。

「えっ、ではお引きうけ下さるか。しからば、私は早速、兵を集めにかかるが」


「おやんなさい。けれど、敗れるような(いくさ)はすべきではありませんぞ。充分、勝算を握った上で、大挙なさるがよい」


「軍費のほうさえ心配なければ、どんなことでもできます。河南をわが義兵をもって埋めてごらんに入れるから見ていて下さい」


 父の曹嵩には、幾つになっても、子は子供にしか見えなかった。曹操のあまりな豪語に、衛弘がすこし乗り過ぎているのじゃないかと、かえって(はた)で心配したほどだが、それから後、曹操のやることを見ていると、いよいよ不敵をきわめていた。

 まず彼は、近郷の壮丁を狩り集め、白い二(りゅう)の旗を作って、一旒には「義」と大書し、一旒には「忠」と大きく書いて、


「われこそ、朝廷から密詔をうけて、この地に(くだ)った者である」


 と唱えだした。

 今でこそ、地方の一郷士に落ちぶれているが、なんといっても、曹家は名門である。嫡子の曹操もまた出色(しゅっしょく)の才人と、遠近に聞えている。

「密勅をうけて降ったものである――」


 という曹操の声に、まず近村の壮丁や不遇な郷士が動かされ、集まった。


「陳宮、こんな雑兵じゃ仕方がないが、もっと有力な諸州の刺史(しし)、太守などが集まるだろうか」


 時々、彼は陳宮へ計った。

 陳宮は献策した。


「忠義を旗に書いて待っているだけでは駄目です。もっと憂国の至情を吐露(とろ)なさい。鉄血、人を動かすものをぶっつけなさい」


「どうしたらいいか」

(げき)を飛ばすことです」


「おまえ、書いてくれ」


「はい」


 陳宮は、檄文を書いた。

 彼は、心の底から国を憂えている真の志士である。その文は、読む者をして奮起せしめずにおかないものであった。


「――ああ名文だ。これを読めば、おれでも兵を引っさげて馳せ参ずるな」


 曹操は感心して、すぐ檄を諸州諸郡へ飛ばした。

 英雄もただ英雄たるばかりでは何もできない。覇業を成す者は、常に三つのものに恵まれているという。

 天の時と、

 地の利と、

 人である。

 まさに、曹操の檄は、時を得ていた。

 日ならずして、彼の「忠」「義」の旗下には続々と英俊精猛が馳せ参じてきた。

「それがしは、衛国(えいこく)の生れ、楽進(がくしん)(あざな)文謙(ぶんけん)と申す者ですが、願わくば、逆賊董卓(とうたく)を、ともに討たんと存じ、麾下(きか)に馳せ参って候」
 と、名乗る者や、

「――自分らは沛国譙郡(はいこくしょうぐん)の、夏侯惇(かこうじゅん)夏侯淵(かこうえん)という兄弟の者ですが、手兵三千をつれてきました」


 と、いう頼もしい者が現れてきたりした。

 もっとも、その兄弟は、曹家がまだ譙郡にいた頃、曹家に養われて、養子となっていた者である。そのほか毎日、軍簿に到着をしるす者は、枚挙(まいきょ)にいとまがないくらいであった。

 山陽鉅鹿(きょろく)の人で李典(りてん)(あざな)曼成(まんせい)という者だの――徐州の刺史(しし)陶謙(とうけん)だの――西涼(せいりょう)太守(たいしゅ)馬騰(ばとう)だの、北平(ほくへい)太守の公孫瓚(こうそんさん)だの――北海の太守孔融(こうゆう)なんどという大物が、おのおの何千、何万騎という軍を引いて、呼応して来た。

 彼の帷幕(いばく)にはまた、曹仁、曹洪のふたりの兄弟も参じた。

 一方、それらの兵に対して、曹操は、衛弘から充分の軍費をひき出して、武器糧食の充実にかかっていた。

「あのように、軍資金が豊富なところを見ると、彼の(げき)は、空文でない。ほんとに朝廷の密詔を賜わっているのかも知れん」


 形勢を見ていた者までが、その隆々たる軍備の急速と大規模なのを見て、

「一日遅れては、一日の損がある――」といわんばかり、争って、東西から来り投じた。

(河南の地を兵で埋めてみせん)

 と、いつか衛弘にいった言葉は、今や空なる豪語ではなくなったのである。

 従って、富豪衛弘も、投財を惜しまなかった。いや、彼以外の富豪までが、みな乞わずして、

「どうか、つかってくれ」と、金穀を運んできた。

 すでに曹操はもう、多くの将星を左右に(はべ)らせ、三軍の幕中に泰然とかまえていて、そういう富豪の献物が取次がれて来ても、


「あ、さようか。持って来たものなら取っておいてやれ」


 と、いうぐらいのもので、会ってやりもしなかった。



 さきに都を落ちて、反董卓(はんとうたく)の態度を明らかにし、中央から惑星視されていた渤海(ぼっかい)の太守袁紹(えんしょう)の手もとへも、曹操の(げき)がやがて届いてきた。


「曹操が旗をあげた。この檄に対して、なんと答えてやるか」


 袁紹は、腹心をあつめて、さっそく評議を開いた。

 彼の幕下には、壮気にみちた年頃の大将や、青年将校が多かった。

 田豊(でんほう)沮授(そじゅ)許収(きょしゅう)顔良(がんりょう)

 また――

 審配(しんぱい)郭図(かくと)文醜(ぶんしゅう)

 などという錚々(そうそう)たる人材もあった。


「誰か、一応、その檄文を読みあげてくれんか」

 とのことに、顔良が、


「しからば、てまえが」


 と、大きく読み出した。

  檄

操等(ソウラ)、謹ンデ、

大義ヲモッテ天下ニ告グ

董卓、天ヲ(アザム)キ地ヲ(クラ)マシ

君ヲ(シイ)シ、国ヲ亡ボス

宮禁、為ニ壊乱(カイラン)

狠戻(コンレイ)不仁、罪悪重積(ジュウセキ)

天子ノ密詔ヲ捧ゲテ

義兵ヲ大集シ

群凶(グンキョウ)剿滅(ソウメツ)セントス

願ワクバ仁義ノ(イクサ)(タズサ)

来ッテ忠烈ノ盟陣(メイジン)ニ会シ

上、王室ヲ(タス)

下、黎民(レイミン)ヲ救ワレヨ

檄文到ランノ日

ソレ速ヤカニ奉行サルベシ


「これこそ、我々が待っていた天の声である。地上の輿論(よろん)である。太守、何を迷うことがありましょう。よろしく曹操と力を(あわ)すべき(とき)です」

 幕将は、口を揃えていった。


「――だが」
 と、袁紹は、なお少し、ためらっている風だった。
「曹操が、密詔をうけるわけはないがなあ? ……」

「よいではありませんか。たとえ密詔をうけていても、いなくても。その為すことさえ、正しければ」


「それもそうだ」

 袁紹も遂に肚をきめた。

 評定の一決を見ると、さすがに名門の出であるし、多年の人望もあるので、兵三万余騎を立ちどころに備え、夜を日についで、河南の陳留へ馳せのぼった。

 来てみると、その(さかん)なのに袁紹も驚いた。軍簿の到着に筆をとりながら、(おも)なる味方だけを拾ってみると、その陣容は大したものであった。

 まず――

 第一(ちん)として、後将軍南陽の太守袁術(えんじゅつ)(あざな)は公路を筆頭に、

 第二鎮

 冀州(きしゅう)刺史(しし)韓馥(かんふく)

 第三鎮

 予州の刺史孔伷(こうちゅう)

 第四鎮

 兗州(えんしゅう)の刺史劉岱(りゅうたい)

 第五鎮

 河内郡(かだいぐん)の太守王匡(おうきょう)

 第六鎮

 陳留の太守張貌(ちょうぼう)

 第七鎮

 東郡の太守喬瑁(きょうぼう)

 そのほか、済北の(しょう)鮑信(ほうしん)(あざな)允誠(いんせい)とか、西涼の馬騰(ばとう)とか、北平の公孫瓉(こうそんさん)とか、宇内の名将猛士の名は雲の如くで、袁紹の兵は到着順とあって、第十七鎮に配せられた。

「自分も参加してよかった」

 ここへ来て、その実状を見てから、袁紹も心からそう思った。時勢の急なるのに、今さら驚いたのである。


 第一鎮から第十七鎮までの将軍はみな、一万以上の手勢を率いて参集してきた一方の雄なのである。

 その中にはまた、どんな豪強や英俊がひそんでいるかも知れなかった。

 わけて、第十六鎮の部隊には、時を待っていた深淵(しんえん)蛟龍(こうりょう)がいた。

 北平の太守で奮武将軍の公孫瓉(こうそんさん)がその十六鎮の軍であったが、(げき)に応じて、北平から一万五千余騎をひっさげて南下してくる途中、冀州の平原県(山東省・津滬(しんこ)線平原)のあたりまで来かかると、


「しばらくっ、しばらくっ!」

 と、大声をあげて、公孫瓉の馬を止めた者がある。

「何者か?」と、旗本たちが振りかえると、かたわらの草原を黄なる旗がざわざわと(ひるがえ)りつつ、此方へ近づいてくるのが見える。

「や? 何処の武士どもか」と、疑っている間に、それへ現れた三騎の武人は、家来の兵三百人ばかりと共に公孫瓉の馬前にひざまずいて、

「将軍、願わくば、われらを、大義の軍に入れて給え。不肖ながら犬馬の労を惜しまず、討賊の先陣に立って、尽忠の誠を、戦場の働きに見せ示さんと、これにてご通過を待ちうけていた者でござります

 と、いった。

 公孫瓉は、初めのうち、さてはこの辺の郷士かとながめていたが、そういう三名の中に、一名だけ、どこかで見覚えのある気がしたので、思いよりのまま試みに、

「もしや貴公は、劉備玄徳(りゅうびげんとく)どのには非ざるか」
 と、訊ねてみると、
「そうです。ご記憶でしたか、自分は劉備玄徳です」
 との答え。
「おう、さてはやはり――」
 と、驚いて、
「黄巾の乱後、お会いしたことがあるが、その後、ご辺にはいかなる官職につかれておらるるか」

「お恥かしいことですが、碌々として、何の功も出世もなく、片田舎の県令をやっていました」


「貴公のような人物を、こんな片田舎に埋めておくなどとは、もったいないことだ。――してまた、お連れの二人はいかなる人物か」


「これは、自分の義弟たちです」


「ほ、ご令弟か」


「ひとりは関羽、また次にひかえておる者は、張飛と申しまする」


「いずれも頼もしげなる大丈夫を可惜(あたら)、朽ちさせておいたことよな。――よろしい、ご辺らも同じ志ならば、わが軍中に従って、共々お働きあるがよい」


「では、おゆるし下さるか」

「願うてもないことだ」


「必ず逆臣董卓(とうたく)を殺して、朝廟を清めます」


 玄徳も、関羽も、恩を謝して誓った。そして再拝しながら起ちかけると、張飛は、


彼奴(きやつ)が黄巾賊の討伐に南下していた頃、潁川(えいせん)の陣営で、おれが董卓を殺そうとしたのに、兄貴たちが止めたものだから、今日こんなことになってしまった。――あの折、おれに董卓を殺させてくれれば、今の乱は、起らなかったのによう」


「張飛。何を無用なたわ(ごと)をいっているか。早々、軍の後方につくがよい」


 と、少し笑いながら、叱った。

 そして自身もわざと、中軍より後の列に加わり共に曹操の大計画に参加したのであった。



 かくて――

 曹操の計画は、今やまったく確立したといってよい。

 布陣、作戦すべて成った。

 会合の諸侯十八ヵ国。兵力数十万。第一鎮より第十七鎮まで備えならべた陣地は、二百余里につづくと称せられた。

 吉日を(ぼく)して、曹操は、壇を築き、牛を斬り馬を(ほふ)って祭り、


「われらここに起つ!」

 と、旗挙げの式を執り行った。

 その式場で、諸将から、


「今、義兵を興し、逆賊を討たんとする。よろしく三軍の盟主を立て、総軍の首将といただいて、われら命をうくべし」
と、いう発議が出た。

「然るべし」

「そうあるべしだ」と異口同音の希望に、

「では、誰をか、首将とするべきか?」


 となると、人々はみな譲り合って、さすがに、われこそとあつかましく自己推薦をする者もない。

 で結局、曹操が、


袁紹(えんしょう)殿はどうであろう」


 と、指名した。

「袁紹殿は元来、漢の名将の後胤(こういん)であるのみでなく、父祖四代にわたって、三公の重職に昇り、門下にはまた、四方に良い吏人(やくにん)が多い。その名望地位から見ても、袁紹殿こそ盟主として恥かしくない人物ではあるまいか」


 彼のことばに、

「いや、自分は到底、その(うつわ)ではない」


 と袁紹は謙遜して、再三辞退したが、それは他の諸将に対する一片の儀礼である。遂に推されて、


「では」

 と、型の如く承諾した。

 次の日。

 式場に三重の壇を築き、五方に旗を立てて、白旄(はくぼう)黄鉞(こうえつ)兵符(へいふ)印綬(いんじゅ)などを捧持する諸将の整列する中を、袁紹は衣冠をととのえ、剣を()いて壇にのぼり、


「赤誠の大盟ここになる。誓って、漢室の不幸をかえし、天下億民の塗炭(とたん)を救わん。――不肖袁紹、衆望に推されて、指揮の大任をうく。皇天后土、祖宗の明霊よ、仰ぎねがわくば、これを(かん)せよ」


 香を焚いて、祭壇に、拝天の礼を行うと、諸将大兵みな涙をながし、


「時は来た」

「天下の黎明(れいめい)は来た」

「日ならずして、洛陽の逆軍を、必ず地上から一掃せん」


 と、歯をくいしばり、腕を()し、また、慷慨(こうがい)の気を新たにして、式終るや、万歳の声しばし止まず、ために、天雲も(ひら)けるばかりであった。

 袁紹はまた、諸将の礼をうけてから、


「われ今、菲才(ひさい)をもって、首将の座に推さる。かかる上は、功ある者は賞し、罪ある者は必ず罰せん。諸公、また部下に示すに、厳をもってのぞまれよ。つつしんで怠り給うなかれ」


 と、命令の第一言を発した。


「万歳っ。万歳っ」

 と、雷のような声をもって、三軍はそれに応えた。

 袁紹は、第二の命として、

「わが弟の袁術(えんじゅつ)は、いささか経理の才がある。袁術をもって、今日より兵糧の奉行とし、諸将の陣に、兵站(へいたん)の輸送と潤沢(じゅんたく)を計らしめる」


 それにも、人々は、支持の声を送った。


「――次いで、直ちに我軍は、北上の途にのぼるであろう。誰か先陣を承って、汜水関(しすいかん)の関門を攻めやぶる者はないか」

 すると、声に応じて、


「われ()かん」


 と、旗指し物を上げて名乗った者がある。長沙の太守孫堅(そんけん)であった。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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