第26話、反董卓連合の結成
文字数 6,638文字
さて。――日も経て。
曹操はようやく父のいる郷土まで行き着いた。
そこは河南の
曹操は、家に帰ると、事の次第をつぶさに告げて、幼児が母に菓子でもねだるような調子でせがんだ。
と、いうのである。
父の
と、呆れ顔に、
衛弘は、曹操をながめて、
などといった。
曹操は、彼を待遇するに、あらゆる
そして、話のはずんできた頃、胸中の大事を打明けて、援助を依頼してみた。
もし嫌だといったら、生かしては帰さないという気を、胸にふくんでの真剣な膝づめ談判であったから、静かに頼むうちにも、曹操の眸は、
ところが、衛弘は聞くとすぐ、
と、承知してくれた。
曹操は、よろこんだ。
父の曹嵩には、幾つになっても、子は子供にしか見えなかった。曹操のあまりな豪語に、衛弘がすこし乗り過ぎているのじゃないかと、かえって
まず彼は、近郷の壮丁を狩り集め、白い二
と唱えだした。
今でこそ、地方の一郷士に落ちぶれているが、なんといっても、曹家は名門である。嫡子の曹操もまた
という曹操の声に、まず近村の壮丁や不遇な郷士が動かされ、集まった。
時々、彼は陳宮へ計った。
陳宮は献策した。
陳宮は、檄文を書いた。
彼は、心の底から国を憂えている真の志士である。その文は、読む者をして奮起せしめずにおかないものであった。
曹操は感心して、すぐ檄を諸州諸郡へ飛ばした。
英雄もただ英雄たるばかりでは何もできない。覇業を成す者は、常に三つのものに恵まれているという。
天の時と、
地の利と、
人である。
まさに、曹操の檄は、時を得ていた。
日ならずして、彼の「忠」「義」の旗下には続々と英俊精猛が馳せ参じてきた。
と、いう頼もしい者が現れてきたりした。
もっとも、その兄弟は、曹家がまだ譙郡にいた頃、曹家に養われて、養子となっていた者である。そのほか毎日、軍簿に到着をしるす者は、
山陽
彼の
一方、それらの兵に対して、曹操は、衛弘から充分の軍費をひき出して、武器糧食の充実にかかっていた。
「あのように、軍資金が豊富なところを見ると、彼の
形勢を見ていた者までが、その隆々たる軍備の急速と大規模なのを見て、
「一日遅れては、一日の損がある――」といわんばかり、争って、東西から来り投じた。
(河南の地を兵で埋めてみせん)
と、いつか衛弘にいった言葉は、今や空なる豪語ではなくなったのである。
従って、富豪衛弘も、投財を惜しまなかった。いや、彼以外の富豪までが、みな乞わずして、
「どうか、つかってくれ」と、金穀を運んできた。
すでに曹操はもう、多くの将星を左右に
と、いうぐらいのもので、会ってやりもしなかった。
さきに都を落ちて、
袁紹は、腹心をあつめて、さっそく評議を開いた。
彼の幕下には、壮気にみちた年頃の大将や、青年将校が多かった。
また――
などという
とのことに、顔良が、
檄
大義ヲモッテ天下ニ告グ
董卓、天ヲ
君ヲ
宮禁、為ニ
今
天子ノ密詔ヲ捧ゲテ
義兵ヲ大集シ
願ワクバ仁義ノ
来ッテ忠烈ノ
上、王室ヲ
下、
檄文到ランノ日
ソレ速ヤカニ奉行サルベシ
幕将は、口を揃えていった。
袁紹も遂に肚をきめた。
評定の一決を見ると、さすがに名門の出であるし、多年の人望もあるので、兵三万余騎を立ちどころに備え、夜を日についで、河南の陳留へ馳せのぼった。
来てみると、その
まず――
第一
第二鎮
第三鎮
予州の刺史
第四鎮
第五鎮
第六鎮
陳留の太守
第七鎮
東郡の太守
そのほか、済北の
「自分も参加してよかった」
ここへ来て、その実状を見てから、袁紹も心からそう思った。時勢の急なるのに、今さら驚いたのである。
第一鎮から第十七鎮までの将軍はみな、一万以上の手勢を率いて参集してきた一方の雄なのである。
その中にはまた、どんな豪強や英俊がひそんでいるかも知れなかった。
わけて、第十六鎮の部隊には、時を待っていた
北平の太守で奮武将軍の
と、大声をあげて、公孫瓉の馬を止めた者がある。
「何者か?」と、旗本たちが振りかえると、かたわらの草原を黄なる旗がざわざわと
「や? 何処の武士どもか」と、疑っている間に、それへ現れた三騎の武人は、家来の兵三百人ばかりと共に公孫瓉の馬前にひざまずいて、
と、いった。
公孫瓉は、初めのうち、さてはこの辺の郷士かとながめていたが、そういう三名の中に、一名だけ、どこかで見覚えのある気がしたので、思いよりのまま試みに、
玄徳も、関羽も、恩を謝して誓った。そして再拝しながら起ちかけると、張飛は、
「
そして自身もわざと、中軍より後の列に加わり共に曹操の大計画に参加したのであった。
かくて――
曹操の計画は、今やまったく確立したといってよい。
布陣、作戦すべて成った。
会合の諸侯十八ヵ国。兵力数十万。第一鎮より第十七鎮まで備えならべた陣地は、二百余里につづくと称せられた。
吉日を
と、旗挙げの式を執り行った。
その式場で、諸将から、
「然るべし」
「そうあるべしだ」と異口同音の希望に、
「では、誰をか、首将とするべきか?」
となると、人々はみな譲り合って、さすがに、われこそとあつかましく自己推薦をする者もない。
で結局、曹操が、
と袁紹は謙遜して、再三辞退したが、それは他の諸将に対する一片の儀礼である。遂に推されて、
と、型の如く承諾した。
次の日。
式場に三重の壇を築き、五方に旗を立てて、
香を焚いて、祭壇に、拝天の礼を行うと、諸将大兵みな涙をながし、
「時は来た」
「天下の
「日ならずして、洛陽の逆軍を、必ず地上から一掃せん」
と、歯をくいしばり、腕を
袁紹はまた、諸将の礼をうけてから、
と、命令の第一言を発した。
と、雷のような声をもって、三軍はそれに応えた。
袁紹は、第二の命として、
それにも、人々は、支持の声を送った。
すると、声に応じて、
と、旗指し物を上げて名乗った者がある。長沙の太守
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