第142話、矢傷と油断

文字数 9,426文字

 雨はやんでも、洪水は容易に減水を示さなかった。龐徳が奮戦した岬には、その後、一基の墳墓が建てられた。彼の忠死をあわれんで関羽が造らせたものだという。

 一方、その地方の大洪水は、当然、樊川にもつづいて、樊城の石垣は没し、壁は水びたしの有様となった。籠城久しきにわたって、疲れぬいていた城中の士気はいやが上にうろたえて、

「天、なんぞこの城にかくも(むご)きか」

 と、ただ自然を恨み、明日を(はかな)み、まるで戦意を喪失してしまった。

 けれど、ただ一つの僥倖(ぎょうこう)は、この洪水のために、関羽側の包囲陣も、いきおい遠く退いて、それぞれ高地に陣変えしなければならなくなったことで、ために実際の攻防戦は休止のすがたに立ち到った。

 その間に、城将の多くは、首将の曹仁をかこんで、評議の末、

「今はもう餓死か落城かの二途しかありません。むしろこの隙に夜中ひそかに舟を降ろし、城をすてて何処へなりとも一時御身を隠さるるが賢明かと思います」

 と勧め、曹仁もその気になって、脱出の用意をしかけていた。

()がいないことを!」
 と、それを知って憤慨したのは満寵(まんちょう)である。
「この洪水は、長雨の山水が(かさ)んだものゆえ、急にはひかぬにせよ、半月も待てば必ずもとにかえる、情報によれば、許昌(きょしょう)地方もこの水害に(おか)され、飢民は暴徒と化し、百姓は騒ぎ乱れ、事情は刻々険悪な状態にあると承る。――しかも関羽の軍が、その鎮定におもむかず、乱にまかせているのは、もし軍を割いて、それへ向えば、たちまちこの樊城(はんじょう)から後を追撃されるであろうと、大事をとって動かずにいるのです」

 そう説明して、彼はまた曹仁のために、この際、処すべき道をあきらかにした。


「いやしくも将軍は魏王の御舎弟。そのあなたという者のうごきは魏全体に大きな影響をもちましょう。ここは孤城を守り通すべきです。もしこの城を捨て給わば、関羽にとっては思うつぼで、たちまち、黄河以南の地は、荊州の軍馬で平定されてしまうにちがいない。しかる時は、なんの(かんばせ)あって、魏王にまみえ、故国の人々にお会いなされますか」

 満寵のことばは、曹仁の(もう)をひらくに充分であった。彼は正直に自己の考えちがいを謝し、


「もし貴殿の教えがなければ、おそらく自分は大事を誤ったろう」


 と、それまでの敗戦主義を城中から一掃するため、諸将をあつめて訓示した。


「正直にいう。自分は一時のまちがった考えにいま恥じておる。国家の厚恩をうけ、一城の守りを任ぜられ、かかる一期の時となって、城を捨てて(のが)れんなどという気持をふとでも起したのは慚愧にたえない。ご辺たちもまた同様である。もし今日以後も、城を出て一命を助からんなどと思う者があれば、かくの如く処罰するからさよう心得るがいい」

 曹仁は剣を抜いて、日頃自分の乗用していた白馬を両断にして、水中へ斬り捨てた。諸将はみな顔色を失って、

「かならず、城と運命を共にし、生命(いのち)のあらんかぎり防ぎ戦ってごらんに入れる」

 と、異口同音に誓った。

 果たしてその日頃から、徐々に水はひいてきた。城兵は生気をとりもどし、壁を(つくろ)い、石垣を修築し、さらに新しい防塁を加えて、弩弓(どきゅう)をならべ、

「いざ、来れ」

 と、大いに士気を()げた。

 二十日足らずののちに、洪水はまったく乾いた。関羽は、于禁(うきん)を生捕り、龐徳(ほうとく)(ちゅう)し、魏の急援七軍の大半以上を、ことごとく魚鼈(ぎょべつ)の餌として、勢い八荒に震い、彼の名は、泣く子も黙るという(ことわざ)のとおり天下にひびいた。

 時に、次男の関興(かんこう)が、荊州からきたので、関羽は、諸将のてがらと戦況をつぶさに書いて、

「これを漢中王におとどけせよ」


 と、使いを命じて、成都へやった。


 樊城(はんじょう)の完全占領も時の問題とされている一歩手前で、関羽軍の内部には、微妙な変化が起っていた。

 ()の本国から急援として派した七軍を粉砕し、一方、樊城城下に迫ってその余命を全く制しながら、あともう一押しという間際へきて、何となく、それまでの関羽軍らしい破竹の如き勢いも出足が(にぶ)ったような観がある。

 この理由を知っているのは、関平そのほか、ごく少数の幕僚だけだった。

 今も、その関平や王甫(おうほ)などの諸将が、(ひたい)をあつめて、

「……何にしても、全軍の死命に(かか)わること、なおざりには致しておけぬ」

「一時の無念は忍んでも、ひとたび軍を荊州へかえし、万全を期して、出直すことがよいと考えられるが」

「……どうも困ったことではある」

 沈痛にささやき交わしていた。

 ところへ一名の参謀があわただしく営の奥房から走ってきて、

「羽大将軍のお下知である。――明日暁天より総攻撃を開始して、是が非でも、あすのうちに、樊城を占領せん。自身出馬する。各陣へ旨を伝え、怠りあるなかれ――との仰せです」

 と、伝えてきた。

「えっ、総攻撃を始めて、戦場へ立たれると?」

 人々は愕然(がくぜん)と顔見合わせ、それは一大事であるといわぬばかりに、一同して営中の奥まった一房へ出向き、

「今日はご気分いかがですか」

 と、恐る恐る帳中を伺った。

 関羽は席に坐していた。骨たかく顔いろもすぐれず、眼のくぼに青ぐろい疲れがうかがわれるが、音声は常と少しも変ることなく、

「おう、大したことはない。打ち揃って、何事か」


「只今、お下知は承りましたが、皆の者は、ご病体を案じ、もうしばし、ご養生の上になされてはと、お諫めに出た次第です」


「ははは。わしの矢瘡(やきず)を案じてか。――案ずるなかれ。これしきの瘡に何で、関羽が屈するものか。あすは陣頭に馬をすすめ、樊城を一揉みに踏みつぶさずにはおかん」


 王甫(おうほ)は膝を進めて、


「お元気を拝して、一同、意を強ういたしますが、いかなる英傑でも、病には勝てません。先頃からご容態を拝察するに、朝暮(ちょうぼ)のお食慾もなく、日々お顔のいろも冴えず、わけてご睡眠中のお(うめ)きを聞くと、よほどなご苦痛にあらずやと恐察いたしておりまする。なにとぞ、蜀にとって唯一無二なるお身でもあり、かたがた、将来の大計のため、ここはひとたび荊州へお引き揚げあって、充分なるご加養をしていただきたいと存ずるのであります。……いま大将軍の御身に万一のことでもあっては、ただに荊州一軍ばかりでなく、蜀全体の重大なる損失ともなることですから」

 黙然と聞いていた関羽は、やおら座をあらためて、王甫のことばを抑えた。


「王甫王甫。また関平も、そのほかの者も、無用な時を費やし、また無用な心をつかわなくてもよい。わが生命はすでに蜀へささげてあるものだ。武人の一命は常に天これを知るのみ。樊城(はんじょう)一つを攻めあぐねて荊州へ引き揚げたりと聞いては以後、関羽の武名はともあれ、蜀の国威にかかわる。――一()(きず)など何かあらん。戦場に立てば十矢百矢も浴びるではないか。黙って、わしの下知に(ふく)せ」

 人々は、一言もなく、そこを退がったが、憂いはなお深い。その夜、関羽はまた、大熱を発し、終夜、痛み苦しんだ。龐徳(ほうとく)に射られた左の(ひじ)(きず)である。あの(やじり)に、死んだ龐徳の一念がこもっているかのようだった。

 総攻撃も、ために自然沙汰やみになった。

 王甫や関平は、諸方へ人を派して、

「名医はないか」と、(あまね)く求めさせた。

 するとここに風来の一旅医士が童子一名をつれ、小舟にのって、呉の国のほうから漂い着いた。沛国(はいこく)譙郡(しょうぐん)の人、華陀(かだ)という医者だった。



 江岸監視隊の一将が、華陀を連れて、関平の所へ来た。

「この旅医者は、呉の国から来たと申しますが、先頃より諸州へ医師をお求めになっておる折から、或いはお役に立つかも知れぬと存じて連れ参りましたが」

 関平はよろこんで、ともあれ自分の幕舎へ迎え、まず鄭重にたずねた。


「先生の尊名は?」


華陀(かだ)(あざな)元化(げんか)


「呉の大将周泰(しゅうたい)の傷を治したと聞く医者でおわすか」


「そうだ」

「先生は呉国の医たるに、蜀の将軍の手当てをしても、よろしいのですか」


「医に国境なし。ただ仁に仕えるのみです」


「おお、では早速、父の毒傷を()て下さい」


 華陀を伴って、彼は父の帳中へ行った。折しも関羽は馬良をあいてに()を囲んでいた。大熱のため口中は(かわ)いて(いばら)を含むがごとく、傷口は激痛して時々五体をふるわすほどだったが、豪毅な精神力はそれを抑えて、人には何気なく見えるほど平然と囲碁にまぎらわしているのだった。


「父上。呉の名医華陀(かだ)がはるばる見えました。ひとつ(きず)の治療を請われてはいかがですか」


「む。む。では、よろしくたのむ。馬良、こんどはわしの番か」


 衣服を(かたぬ)ぎながら、関羽は(きず)を病んでいる片臂(かたひじ)を医師の手にまかせ、なお右手では碁盤に石を打っていた。


「どうじゃ馬良。よい手であろうが」


「何の……その一石は、やがて馬良の好餌でしかありませんぞ」


 二人とも碁に熱中していて、華陀の顔すら振り向かない。――が華陀は、関羽のうしろへ寄って、肌着の袖口をめくりあげ、じっと臂の傷口を()ていた。

 侍側の諸臣はみな眼をみはった。瘡口はさながら()れた花梨(かりん)()ぐらいに(ふく)れあがっている。華陀は嘆息をもらした。


「これは烏頭(うず)という毒薬が(やじり)に塗ってあったためで、その猛毒はすでに骨髄にまで通っています。もう少し放っておかれたら片臂は廃物となさるしかなかったでしょう」


 関羽は初めて華陀の顔を振り向きながら、


「今のうちなら治る法があるか」

 と、たずねた。

 華陀は自信をもって、

「あることはありますが、ただ将軍が(おどろ)き給わんことを畏れます」


「ははは、医師の手に(なぶ)られるぐらいなことで愕きはせぬ。よいように療治してくれ」

 と、片臂を(まか)せたまま、ふたたび盤上の対局に余念なかった。

 華陀(かだ)は、薬嚢(やくのう)を寄せて、中から二つの鉄の(かん)を取り出した。一つの環を柱に打ち、一つの環に関羽の腕を入れて、縄をもって縛りつける準備をした。関羽は、()なことをするものかなといわぬばかりに、わが腕を見て、

「華陀とやら、どうするのか」

 と、訊いた。華陀は答えて、


「医刀をもって肉を裂き、(ひじ)の、烏頭(うず)の毒で腐蝕したところや変色した骨の部分をきれいに削り取るのです。おそらくこの手術で気を失わぬ病人はありません。いかに将軍でも必ず暴れ苦しむに違いありませんから、動かぬように、しばらくご辛抱をねがうわけで」
「何かと思えば、そんな用意か。大事ない、存分に療治してくれい」

 鉄環を()って、そのまま、手術を請うた。

 華陀は(きず)を切開しにかかった。下に置いた銀盆に血は満ち溢れ、華陀の両手もその刀もすべて血漿(けっしょう)にまみれた。その上、(ひじ)の骨を鋭利な刃ものでガリガリ削るのであった。関羽は依然として碁盤から眼を離さなかったが、まわりにいた関平や侍臣はみな真っ蒼になってしまい、中には座に耐えず面をそむけて立って行った者すらある。

 ようやく終ると、酒をもって洗い、糸をもって瘡口を縫う。華陀の額にもあぶら汗が浮いていた。



 手術をおえて退がると、華陀(かだ)はあらためて、次の日、関羽の容体を見舞いにきた。


「将軍。昨夜は如何でした」


「いや、ゆうべは熟睡した。今朝さめてみれば、痛みも忘れておる。御身は実に天下の名医だ」


「いや、てまえも随分今日まで、多くの患者に接しましたが、まだ将軍のような病人には出会ったことがありません。あなたは実に天下の名患者でいらっしゃる」


「ははは。名医と名患者か。それでは病根も陥落せずにおられまい。予後の養生はいかにしたらよいか」


「怒らないことですな。怒気(どき)を発するのは禁物です」


「かたじけない。よく守ろう」


 関羽は百金を包んで華陀に贈った。華陀は手にも取らない。


「大医は国を医し、仁医は人を医す。てまえには国を医するほどな神異もないので、せめて義人のお体でも癒してあげたいと、遥々これへ来たものです。金儲けに来たわけではありません」


 飄然とまた小舟に乗って、江上へ去ってしまった。


 その頃、魏王宮を中心とし、許都(きょと)鄴都(ぎょうと)の府は、異様な恐慌に(おのの)いていた。

 早馬、また早馬。それがみな樊川(はんせん)地方の敗戦を伝え、七軍の全滅、龐徳(ほうとく)の戦死、于禁(うきん)の投降などが、ひろく国中へ漏れたため、庶民まで上を下へと騒動して、はやくも関羽軍が攻め入るものとおびえ、逃散する百姓さえあった。

 魏王宮ではきょうもその事について大会議が開かれていた。この会議でも、関羽の名を恐れおびえた人々は、早くも魏王宮の遷都説まで叫んだが、司馬懿(しばい)仲達(ちゅうたつ)が立って、その不可を論じ、


「要するに、こんどの大敗は、魏軍が弱かったのではなく、洪水の力が関羽に味方したためといってよい。関羽の勢いがあまりに伸びるのを欲しないのは呉の孫権である。いま呉を説いて、関羽のうしろを突けといえば、孫権はかならず呼応するにちがいない」

 と、獅子吼(ししく)した。

 司馬懿仲達と共に、丞相府の主簿をしている蒋済(しょうさい)も云った。

「自分と于禁とは、友であったが、何ぞはからんこの()において、龐徳にすら劣ろうとは。いま仲達の申された策は金玉の言と思う。一刻も早く呉へ急使を派し、この大屈辱をわれらも一致して(ぬぐ)わねばならん」

 曹操は、ただ弁舌の士のみ()っても、或いは呉が動かないかも知れない。あくまで、難には魏が当る事実を示しておいて、しかる後に、呉を説こうといった。

 すなわちそのために、徐晃(じょこう)は大将に選ばれて、兵五万をさずけられ、急行軍して陽陵坡(ようりょうは)まで出陣した。

(呉が呼応するときまったら、すぐ関羽軍へ攻めかかれ)

 徐晃軍は、命をふくんでそこに待機し、満をじすの形をとっていた。

 魏の急使は、呉の主都、建業に着いて、いまや呉の向背(こうはい)こそ、天下の将来を左右するものと、あらゆる外交手段や裏面工作に訴えて、その吉左右(きっそう)を待っていた。

 建業城中の評議はなかなか一決しない。呉にとっても重大な岐路である。のみならず呉はひそかに先頃から魏の繁忙をうかがって、このときに江北の徐州を奪ってしまうべきでないかと考えていた所である。――が、曹操から内示してきた条件もなかなかいい。

(関羽を攻めて荊州を()らんか。魏の要求を突っぱねて、徐州を奪るべきか)

 そこに大きな迷いがある。

 ところへ、上流陸口(りっこう)の守備をしていた呂蒙(りょもう)が急に帰国して来た。時局の急を察し、一大献策のために帰ってきたと彼はいう。

 孫権は招いてすぐ訊ねた。


「汝。いかなる策があるというのか」


「さればです。いまこそわが呉は長江の天与を利し、荊州をとって、蜀魏の侵略に、永遠の国境を(ひら)いておかねばなりません。上流長江の嶮をもって境とし、強馬精兵を内に(たくわ)えてさえおけば、徐州のごときはいつでも奪れる機会がまたありましょう」

 呂蒙は作戦上にも、なお固く必勝の信念を抱いているらしく陳じた。

 呂蒙(りょもう)の発言は、会議の方針を導くに充分な力があった。なぜならば、彼の守備している任地の陸口(りっこう)(漢口上流)は、魏、蜀、呉三国の利害が交叉している重要な地域だ。彼はその現地防衛司令の重任にあるのみでなく智慮才謀にかけても断然、呉では一流級の人物である。

「大策の決った上は、現地のことすべて汝の思慮にまかす。適宜(てきぎ)に対処せよ」


 孫権は後でいった。すなわちこの間に呉の対魏問題も、時局方針も一決したものとみられる。

 呂蒙は再び速船(はやぶね)で現地の陸口へ帰った。そしてすぐ荊州方面へ隠密を放って探ってみると、意外な備えのあることが発見された。

 ――というのは、沿岸二十里おき三十里おきの要所要所に、烽火台(のろしだい)が築かれてあり、ひとたび呉との境に変があれば、瞬時にその「つなぎ烽火」は荊州本城へ急を告げて、応援の融通や防禦網の完備にも、整然たる法があって、水も洩らさぬ仕組になっているとある。

 予想外な関羽の要心なので、呂蒙はそれを探り知ると、ひどく舌打ち鳴らして、

「これはいかん」

 と、その日から仮病(けびょう)をつかい始め、宿痾(しゅくあ)の再発に悩んで近頃引き籠り中と、味方にまで深く偽っていた。

 動くべき筈の陸口の兵が、依然うごかずにいるのみか、呂蒙が病にかかって一切人に顔も見せないでいる――という噂に、建業にある孫権も甚だしく心配した。

「この重大時局に?」
 と、焦躁のあまり、呉郡の陸遜(りくそん)を見て、

「火急、陸口へ赴いて、呂蒙の容体を見てこい」


 と、いいつけた。陸遜は命をうけると、


「ご心配には及びません。おそらく呂蒙の病は仮病でしょう」


 と、云って出た。彼はすでに呂蒙の心を読みぬいていたのである。

 が、陸口に着いてみると、呂蒙はほんとに病閣を閉じていた。陣中、寂として、将士も憂いに沈んでいる。

 陸遜は、呂蒙に会うと、にやにや笑いながら云った。


「将軍。もう病床からお起きなさい。ご病気は、それがしが直ぐ癒してあげようぞ」


「遜君。ご辺は病人をからかいに来たのか」


「いや君命に依って、閣下を診察にきたのだ。それがし不才なりといえども、先頃、将軍が建業に来られた時に、すでに胸中を察しておった。以後、現地に帰るとすぐ、呉侯のご期待を裏切って、急にご病気になったのは、思うに、荊州の防衛が全然将軍の予想に反していたためではありませんか」


 呂蒙はむくむくと起き出して、急にあたりを見まわした。


「陸遜。静かに云い給え。帳外にたれか聞いておるといかん」


「大丈夫。衛兵も退けてある。荊州の関羽は一方で樊城と戦いながらも、呉との境には、寸毫(すんごう)油断していない。むしろ平時より防衛の兵力を強めていましょう。そしてすでに諸所の烽火台の工も完成しておりましょう。蒙閣下の病はまさにそこにあると存ずるが、私の診断は誤っていましたか」
「うーむ……。さすがは炯眼(けいがん)、恐れ入った。実はその通りだ」

「では、いよいよ大病なりと称して、ふたりで建業へ帰ろうではありませんか。私が病人を迎えにきたという恰好になるのでちょうどよい」


「そして? それから?」


「すでに閣下の胸三寸にもおありでしょうが、要するに、関羽が油断しないのは、陸口の堺に、あなたのような呉でも随一といわれる将軍が虎視眈々(こしたんたん)と控えておるからです。仮病をとなえて、閣下が職を退き、名もない将を交代させて、ひたすら荊州の鼻息を恐れるが如き様子を見せれば、関羽の心もいよいよ(おご)って、遂にはここの兵を樊城のほうへ廻すにちがいありません。――呉の大進出はまさにその時ではありませんかな」


 陸遜(りくそん)は呂蒙より十幾歳も年下だった。当時まだ呉郡の一地方におかれ、その名声は低く、地位は佐官級ぐらいに止まっていた。

 だが彼の才幹は呉侯も日頃から愛していたところだし、呂蒙はなおさら深く観てその将来に嘱目(しょくもく)していた。

 ふたりは同船して、ふたたび呉の建業へ帰り、呉侯孫権にまみえて、荊州の実状を詳しく告げた。あわせて呂蒙は、自分の仮病は敵方に対する当面の一(ぼう)に過ぎない旨を語って、主君に心を(わずら)わせたことを詫びた。

「この機会に、陸口の守りには、ぜひ誰か別人をご任命ください。それがしがおっては、関羽は防禦の手をゆるめません」

「その方の(はかりごと)とあれば、今そちが病を(とな)えて職を退くには至極よいが、しかし、陸口は呉にとって重要な地。ご辺をおいて、ほかに一体誰を任命したらよいか」


「陸遜がよろしいでしょう。彼をおいて適任はないかと思います」
「陸遜を? ……」
 と孫権は面に難色を示しながら、

「むかし周瑜(しゅうゆ)は呉の第一の要害は陸口なりとして、守備の大将に魯粛(ろしゅく)をえらび、その魯粛は、ご辺を推薦した。こんどはその三代に当る守将であるから、もうすこし人望才徳、機略遠謀兼ね備わった人物をそちも推挙すべきであろう」


「ですから、それを兼備したものが、陸遜であると私は申し上げます。ただ陸遜に足らないものは地位、名声、年齢などでありますが、彼の名がまだ内外に知られていないことがむしろ好条件というべきで、陸遜以上に有能の聞えある大将が代って行ったのでは、関羽を(あざむ)くことはできません」


 呉侯と彼のあいだにそんな内輪ばなしがあってから間もなく、陸遜は一躍、(へん)将軍右都督(うととく)に昇った。そしてすぐ陸口への赴任を発令されたので誰よりも当人が驚いてしまった。


若輩不才(じゃくはいふさい)の私。到底、蒙閣下のあとをうけて、そんな大任には耐え得ません。おそらく職に(そむ)いて、尊命を汚しましょう。どうかほかの先輩にお命じ下さい」


 陸遜はいくたびも辞したが、孫権は聴許せず、馬一頭、錦二段、酒肴を贈って、


「はや()け」

 と、餞別(はなむけ)した。

 ぜひなく陸遜は任へ着いた。任地へ到ると彼はすぐ礼物に書簡をのせて、関羽の陣へ使いを立て、

(以後よろしく)と、新任の挨拶を申し送った。

 使者を前において、関羽はたいへん笑った。――呂蒙(りょもう)病んで、いま、黄口(こうこう)の小児に陸口を守らしむ、時なるかな。

 以後荊州の守りは安し。祝着祝着、と独り悦に入りながらしきりに笑っていたというのである。帰ってきた使者の口からそのときの模様をそう聞いて、陸遜もまた、同じように、

「祝着祝着。それでよし」

 と、かぎりなく歓んだ。

 その後、陸遜は、わざと軍務を怠り、ひたすらじっと関羽の動静をうかがっていると果たして、関羽はようやく(ひじ)の矢瘡も癒えてくると共に、不落樊城(はんじょう)の占領に意をそそぎ始め、先頃から目立たぬように、陸口方面の兵力をさいて、樊城のほうへぼつぼつ動かし出した様子である。

「時到る」

 と、陸遜はその由を、すぐ建業へ急報した。

 孫権はまた、その報を手にするや、時を移さず呂蒙を招いて、

「機は熟した。陸遜と協力して、荊州を攻め取れ。すぐ発向せい」

 と命じ、後陣の副将として、自身の弟、孫晧(そんこう)を特に添えてやった。

 三万の精兵は、一夜のうちに、八十余艘の速船(はやぶね)や軍船に乗りこんだ。参軍の諸将には、韓当(かんとう)蒋欽(しょうきん)朱然(しゅぜん)潘璋(はんしょう)、周泰、徐盛、丁奉(ていほう)など名だたる猛者(もさ)のみ(えら)ばれた。

 そのうち十艘ほどは、商船仕立てに装い、商人(てい)に変装した者ばかりが、山なす商品を上に積んで、高々と帆を張りつらね、半日ほど先に江をさかのぼって行った。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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