第149話、二人の皇帝

文字数 5,562文字

 ()では、その年の建安二十五年を、延康(えんこう)元年と改めた。

 また夏の六月には、魏王曹丕(そうひ)の巡遊が実現された。亡父曹操の郷里、(はい)譙県(しょうけん)を訪れて、先祖の(はか)を祭らんと沙汰し、供には文武の百官を伴い、護衛には精兵三十万を従えた。

 沿道の官民は、道を()いて儀仗の列にひれ伏した。わけて郷里の譙県では、道ばたに出て酒を献じ、餅を供え、

「高祖が(はい)の郷里にお帰りになった例もあるが、それでもこんなに盛んではなかったろう」

 と、祝し合った。

 が、曹丕の滞留はひどく短く、墓祭(ぼさい)がすむ途端に帰ってしまったので、郷人たちは何か張り合い抜けがした。老夏侯惇(ろうかこうじゅん)が危篤という報を受けたためであったが、曹丕が帰国したときは、すでに大将軍夏侯惇は死んでいた。

 曹丕(そうひ)は、東門に孝を掛けて、この父以来の功臣を、礼厚く葬った。

「凶事はつづくというが、正月以来この半歳は、どうも葬祭ばかりしておるようだ」


 曹丕もつぶやいたが、臣下も少し気に病んでいたところが、八月以降は、ふしぎな吉事ばかりが続いた。

石邑(せきゆう)県の田舎へ鳳凰(ほうおう)が舞い降りたそうです。改元の年に、大吉瑞(だいきちずい)だと騒いで、県民の代表がお祝いにきました」

 侍者が、こう取次いで曹丕をよろこばせたと思うと、幾日か経って、

臨淄(りんし)麒麟(きりん)があらわれた由で、市民は(おり)に麒麟を入れて城門へ献上したそうです」

 するとまた、秋の末頃、鄴郡(ぎょうぐん)の一地方に、黄龍が出現したと、誰からともなく云い伝えられ、ある者は見たといい、ある者は見ないといい、やかましい取り沙汰だった。

 おかしいことには、その噂と同時に、魏の譜代(ふだい)の面々が、日々、閣内に集まって、

「いま、上天吉祥(きっしょう)を垂る。これは魏が漢に代って、天下を治めよ、という啓示にほかならぬものである。よろしく魏王にすすめ、漢帝に説き奉らせて受禅(じゅぜん)の大革を行うべきである」

 と、勝手な理窟をつけて、しかも帝位を魏に奪う大陰謀を、公然と議していたのである。

 侍中の劉廙(りゅうい)辛毘(しんび)劉曄(りゅうよう)、尚書令の桓楷(かんかい)陳矯(ちんきょう)、陳群などを主として、宗徒の文武官四十数名は、ついに連署の決議文をたずさえて、重臣の大尉賈詡(かく)、相国の華歆(かきん)、御史大夫王朗の三名を説きまわった。

「いや、諸員の思うところは、かねてわれらも心していたところである。先君武王のご遺言もあること、おそらく魏王におかれてもご異存はあるまい」

 三重臣のことばも、符節を合わせたように一致していた。麒麟の出現も、鳳凰の舞も、この口ぶりからうかがうと、遠い地方に現れたのではなく、どうやらこれら重臣たちの額と額の間から出たものらしく思われる。

 が、瓢箪(ひょうたん)から馬が出ようと、閣議室から黄龍が出現しようと、支那においては不思議でない。民衆もまた奇蹟を好む。鳳凰などというものはないという説よりも、それは有るのだという説のほうをもっぱら支持する通有性をもっている。朝廷を仰ぐにも、帝位についての観念も、この大陸の民は黄龍鳳凰を考えるのと同じぐらいなものしか抱いていなかった。それのはっきりしている上層中流の人士でもかつての自国の歴史に(ちょう)して、その時代時代に適応した解釈を下し、自分たちの人為をすべて天象や瑞兆(ずいちょう)のせいにして、いわゆる機運を(かも)し、工作を運ぶという風であった。

 王朗、華歆(かきん)、中郎将李伏(りふく)、太史丞許芝(きょし)などという魏臣はついに許都の内殿へ伺佐(しさ)して、

「畏れ多いことですが、もう漢朝の運気は尽きています。御位を魏王に(ゆず)り給うて、天命におしたがいあらんことを」

 と、伏奏した。いや、(かむり)をつらねて、帝の闕下(けっか)に迫ったというべきであろう。



 献帝はまだ御齢(おんよわい)三十九歳であった。九歳の時董卓(とうたく)に擁立されて、万乗の御位について以来、戦火乱箭(らんせん)の中に幾たびか遷都し、荊棘(けいきょく)の道に飢えをすら味わい、やがて許昌に都して、ようやく後漢の朝廟に無事の日は来ても、曹操の専横はやまず、魏臣の無礼、朝臣の逼塞(ひっそく)(ちょう)はあってなきが如きものだった。

 およそ天の恵福の薄かったことは、東漢の歴代中でも、この献帝ほどの方は少ないであろう。そのご生涯は数奇(すうき)にして薄幸そのものであったというほかはない。

 しかも今また、魏の臣下から、臣下としてとうてい口にもすべきでないことを()いられたのである。お胸のうちこそどんなであったろうか。

 帝ももとより、そのようなことを、即座に承諾になるわけはないが、それにあらがえる力も無く。僭位(せんい)は行われた。

 曹丕は、八(ばん)の大礼という儀式の後、台にのぼって玉璽をうけ、帝は大小の旧朝臣を従えて、御涙をかくしながら階下に(くだ)られた。

 天地の諸声をあざむく奏楽が同時に耳を(ろう)すばかり沸きあがった。万歳の声は雲をふるわした。その夕方、大きな(ひょう)が石のごとく降った。

 曹丕、すなわち魏帝は、

「以後国名を大魏(たいぎ)と号す」


 と宣し、また年号も、黄初元年とあらためた。

 故曹操にはまた「太祖(たいそ)武徳皇帝」と(おくりな)された。

 ここにお気のどくなのは献帝である。魏帝の使いは仮借なく居を訪れて、

今上(きんじょう)の仁慈、汝をころすに忍び給わず、封じて山陽公となす。即日、山陽に(おもむ)き、ふたたび都へ入るなかれ」

 という刻薄な沙汰をつたえた。公はわずかな旧臣を伴って、一頭の驢馬(ろば)に召され、悄然として、冬空の田舎へ落ちて行かれた。



 曹丕が大魏皇帝の位についたと伝え聞いて、蜀の成都にあって劉備は、


「何たることだ!」

 と、悲憤して、日夜、世の(さか)しまを痛恨していた。

 都を()われた献帝は、その翌年、地方で薨去せられたという沙汰も聞えた。劉備はさらに嘆き悲しんで、陰ながら祭をなし、孝愍(こうびん)皇帝と(おくりな)し奉って、深く()に籠ったまま政務も見ない日が多かった。すべてを孔明に任せきって、近頃は飲食もまことにすすまない容子(ようす)だった。

「困ったものではある」


 内外の経策から蜀の前途にたいする憂いまで、孔明の胸には案じても案じきれないほどな問題が積っていた。

 だが劉備は六十一。彼はまだ四十一の若さであった。加うるに隠忍よく耐える人である。百(ニン)自ラ(ウレ)イナシ、としていた。彼は彼みずから、



(こういう生れ性なのだ)
 と、苦労の中に独りなぐさめているふうだった。


 後漢の朝廷が亡んだ翌年の三月頃である。襄陽の張嘉(ちょうか)という一漁翁(ぎょおう)が、

「夜、襄江(じょうこう)で網をかけておりましたところ、一道の光とともに、河底からこんなものが揚がりましたので」と、遥々、その品を、蜀へたずさえてきて、孔明に献じた。

 黄金の印章であった。

 金色(こんじき)燦爛(さんらん)として、印面には、八字の篆文(てんぶん)(こく)してある。すなわちこう読まれた。

 受命于天(めいをてんにうけて) 既寿永昌(きじゅえいしょう)

 孔明はひと目見るやたいへん驚いて、

「これこそ、ほんとうの伝国の玉璽(ぎょくじ)である。洛陽(らくよう)大乱のみぎり、漢家から持ち出されて、久しく行方知れずになっていると聞いておるあの宝章にちがいない。曹丕に伝わったものは、そのため、仮に朝廷で作られた後の物に相違なかろう」


 彼は、太傅(たいふ)許靖(きょせい)や、光禄大夫譙周(しょうしゅう)などを、にわかにあつめて、故典事例を調べさせた。人々は伝え聞いて、

「それこそ、漢朝の宗親たるわが君が、進んで漢の正統を継ぐべきであると、天の啓示されたものにちがいない」と云い(はや)し、また何事につけ天象(てんしょう)を例にひく者たちは、

「そういえば近頃、成都の西北の天に、毎夜のごとく、瑞気(ずいき)ある光芒(こうぼう)が立ち昇っている」

 と、説いたりした。

 ある日、彼は諸臣とともに、漢中王の室へ伺候して、


「今こそ、皇帝の御位について、漢朝の正閏(せいじゅん)を正し、祖廟(そびょう)の霊をなぐさめ、またもって、万民を安んずべき時でありましょう」


 と、帝立の議をすすめた。

 劉備は、(おどろ)いて、


「そちたちは、予をして、末代までの不忠不義の人とするつもりか」

 と、ひどく怒った。

 孔明は、襟を正して、

逆子(ぎゃくし)曹丕(そうひ)と、わが君とを、同一視するものではございません。彼の如き弑逆(しぎゃく)の大罪を、いったい誰がよく()らしますか。景帝のご嫡流たるあなた様以外にはないではございませんか」


「でも、ひとたび臣下の群れに落ちた涿郡(たくぐん)の一村夫である。普天の(もと)率土(そっと)(ひん)。まだ一つの王徳も施さないうちに、たとえ後漢の朝は亡んだにせよ、予がそのあとを襲ったら、やはり曹丕のような悪名をうけるであろう。ふたたび云うな。予にはそんな望みはない」

 どうしても劉備はききいれないのであった。

 孔明は黙然と退出した。

 そして、そのことから後、病と称して、政議の席にも、一切、顔を出さなくなった。


「よほど、重態のようか」


 劉備は心配しだした。ついに耐え難く思ったものか、一日、彼はみずから孔明の邸を訪うて、その病を親しく見舞った。

 孔明は恐懼(きょうく)して病褥(びょうじょく)を出、清衣(せいい)して、劉備を迎えた。彼の病室へ入ってくるなり劉備はあわてて云った。

「横臥しておればよいに、無理をして病を重くしては、せっかく見舞いにきたのが、かえって悪いことになる。軍師、遠慮せずに、横になっておれ」


「もったいないことです。君侯御自ら臣下の家へお越し給わるさえ恐懼にたえませんのに、みぐるしい病人の枕頭へ親しくお見舞いくださるとは、何と申してよいかわかりません」


「すこし痩せたのう。食餌(しょくじ)はどうか」


「余りすすみませぬ」


「いったいどういう病か」


「心の(わずら)いです。肉体には病はないつもりです」


「心の病とは」


「ただご賢察ねがうほかありません」


「軍師。先頃の進言を予が拒んだので、それが煩いの(もと)じゃと申すのか」


「さればです。臣、草廬(そうろ)を出てよりはや十余年、菲才(ひさい)を以て君に仕え、いま巴蜀(はしょく)を取ってようやく理想の一端は実現されたかの感があります。しかしなおここに万代の基礎をたてて、さらに、この鴻業(こうぎょう)、この耀(かがや)きを、不朽ならしめんとするに当って、如何なる思召しやら、あなた様にはこの()に至って、世の俗論をおそれ、一身の名分にばかりこだわり、ついに天下の大宗たるお志もないようであります。一世の紛乱の暗黒を()(ひら)き、万代にわたる泰平の基をたつるは、天に選ばれた人のみがよく為しとげることで、志さえ立てれば誰でも為し能うものではありません。――不肖(ふしょう)(りょう)が廬を出てあなた様に仕えたのは全くその人こそあなた様をおいてはほかにないと信じたからでした。またあなた様におかれても当年の大志は明らかに百世万民のために赫々(かっかく)と燃えるような意気を確かにお持ちでした。……しかるに、ああ、ついに劉皇叔ともあるお方も、老いては小成に安んじて、一身の無事のみが、ただ(ねが)うところになるものかと、あれこれ思うものですから、臣の病も日々重くなるものとみえまする」

 孔明のことばは沈痛を極めた。また彼のことばには裏にも表にも微塵(みじん)の私心私慾はなかった。劉備は服せざるをえなかった。

 元来、彼は非常に名分を尊ぶ人である。世の毀誉褒貶(きよほうへん)を気にする性であった。それだけにこの問題については、当初から孔明の意見にも容易に従う色は見せなかったが、周囲の事態形勢、また蜀中の内部的なうごきも、遂に、劉備の逡巡(しゅんじゅん)を今はゆるさなかった。

「よくわかった。予の思慮はまだ余りに小乗的であったようだ。予がこのまま黙っていたら、かえって、魏の曹丕(そうひ)の即位を認めているように天下の人が思うかも知れない。軍師の病が癒ったらかならず進言を容れるであろう」


 劉備はそう約して帰った。

 数日のうちに、孔明はもう明るい眉を蜀営の政務所に見せていた。太傅(たいふ)許靖(きょせい)、安漢将軍糜竺(びじく)青衣侯(せいいこう)尚挙(しょうきょ)、陽泉侯劉豹(りゅうひょう)、治中従事楊洪(ようこう)、昭文博士伊籍(いせき)、学士尹黙(いんもく)、そのほかのおびただしい文武官は毎日のように会議して大典の典礼故実を調べたり、即位式の運びについて、議をかさねていた。

 建安二十六年の四月。成都は、成都が開けて以来の盛事に賑わった。大礼台は武担(ぶたん)の南に築かれ、鸞駕(らんが)は宮門を出、満地を埋むるごとき軍隊と、星のごとく(めぐ)る文武官の万歳を唱える中に、劉備は玉璽(ぎょくじ)をうけ、ここに蜀の皇帝たる旨を天下に宣したのであった。

 拝舞(はいぶ)の礼終って、直ちに、

(章武元年となす)

 という改元のことも発布され、また国は、

大蜀(たいしょく)と号す)

 と定められた。

 大魏に大魏皇帝立ち、大蜀に大蜀皇帝が立ったのである。天に二(じつ)なしという千古の鉄則はここにやぶれた。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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