第97話、蒋幹の暗躍
文字数 14,326文字
――こうした南方の情勢一変と、孔明の身辺に一抹の凶雲がまつわって来つつある間に、一方、
彼は、毎日のように、
と、江南の雲に安からぬ眸を
ところへ、近頃、遠く物見に
「呉はいよいよ魏軍へ向って開戦しました。数千の兵船が、
劉備はその報告の半ばまで聞かないうちに、もう脈々たる血のいろを面にあらわし、
と歓び勇んだ。
元来、劉備は、よほどなことがあっても、そう
だが、この時は、よほど内心うれしかったようである。すぐ夏口の城楼に、臣下をあつめて、
安心して、劉備は彼をやった。糜竺はかしこまって、直ちに、一帆の用船に、
呉陣の岸について、番の隊将に旨をつたえ、すぐ本営に行って
と、周瑜は快く品々をうけ、また使い糜竺をもてなしはしたが、
と、どこかよそよそしく、孔明のうわさなどには、一切ふれてこなかった。
翌日、また次の日と、会談は両三回に及んだが、
と、いった。
糜竺は、畏まって、
と約して帰った。
魯粛はそのあとで、
と、周瑜の意中をいぶかって訊ねた。すると、周瑜は、
と、平然と答えた。
孔明を除き、劉備を亡き者にしてしまうことが、呉の将来のためであると、周瑜はかたく信じているらしいのである。その点、魯粛の考えとは非常に
と、口をにごす程度で、あえて、強い反対もしなかった。
一方、夏口にある劉備は、帰ってきた糜竺の口から委細を聞いて、
と、船の準備をいいつけた。
関羽をはじめ諸臣はその軽挙を危ぶんで、
と、諫めたが、劉備は、
といってきかない。
趙雲、張飛は、留守を命ぜられ、関羽だけが供をして行った。
一船の随員わずか二十余名、ほどなく呉の中軍地域に着いた。
江岸の部隊からすぐこの由が本陣の周瑜に通達された。――来たか! というような顔色で、周瑜は番兵にたずねた。
「従者は二十人ぐらいです」
周瑜は笑って、
と、胸中でつぶやいていた。
ほどなく、劉備の一行は、江岸の兵に案内されて、中軍の営門を通ってきた。周瑜は出て、
劉備が、まずいうと、
と、型のごとく、酒宴にうつり、重礼厚遇、至らざるなしであった。
その日まで、孔明は何も知らなかったが、ふと、江岸の兵から、今日のお客は、夏口の劉皇叔であると聞いて、
と、
本来、この席へ招かれていいわけであるが、孔明には、劉備が来たことすら、聞かされていないのである。
以て、周瑜の心に、何がひそんでいるか、察することができる。
――が、劉備は、いかにも心やすげに、周瑜と話しているふうだった。
――ただ、その
と、少し安心して、そっと屋外へ出ると、
よもや、孔明がついこの席の外にたたずんでいるとも知らない劉備は、周瑜との雑談の末、軍事に及び、ようやく話も打ち解けてきたので、そばにいた
と、いってみた。
すると、周瑜がすぐ返事を
と、すぐ話をわきへそらし、ふたたび、曹軍を討つ軍略や手配などを、しきりに重ねて云い出した。
関羽は、主君の
と、うまく席を立つ機をつかんで別れた。
余りにあざやかに立たれてしまったので、周瑜もいささかまごついた形だった。実は、劉備を酔わせ、関羽にも追々酒をすすめて、この堂中を出ぬまに、
それを、つい、うまく座をはずされてしまったので、合図するいとますらなく、周瑜も倉皇と、
馬に乗って、本陣を去ると、劉備は、関羽以下二十余人の従者を具して、飛ぶが如く、江岸まで急いできた。
――と、水辺の楊柳の蔭から手をあげて、
と、呼ぶ人がある。
見れば、懐かしや、孔明ではないか。劉備は馬の背から飛び降りて、
と、駈け寄り、相抱いて、互いの無事をよろこんだ。
孔明は、その歓びを止めて、
と、孔明は、主君を船へせきたてると、自分も
孔明に別れて、船へ移ると、劉備はすぐ満帆を張らせて、江をさかのぼって行った。
進むこと五十里ほど、彼方に一群の船団が江上に陣をなしている。近づいて見れば、自分の安否を気づかって迎えにきた張飛と船手の者どもだった。
一同は、無事を祝しながら、主君の船を囲んで、夏口へ引揚げた。
劉備の立ち帰った後――呉の陣中では、周瑜が、掌中の珠を落したような顔をしていた。
魯粛は、意地わるく、わざと彼にこういった。
周瑜は自分の不機嫌を、どうしようもない――といったように、
「始終、関羽が劉備のうしろに立って、此方が杯へやる手にも、眼を離さず睨んでおる。下手をすれば、劉備を殺さないうちに、こっちが関羽に殺されるだろう。何にしても、あんな猛犬が番についていたんでは、手が出せんさ」
噛んで吐き出すような返事であった。魯粛はむしろ呉のために、彼の計画の失敗したことを歓んでいた。
この事あってからまだ幾日も経たないうちのことである。
「魏の曹操から書簡をたずさえて、江岸まで使者の船が来ましたが?」とのしらせに、
と、周瑜は、帷幕にあって、それを待っていた。
やがて、取次ぎの大将の手から、うやうやしく彼の前へ一書が捧げられた。書簡は皮革をもって封じられ、まぎれもない曹操の親書ではあった。
――けれど周瑜は、一読するや否、面に激色をあらわして、
と、まず武士に云いつけ、書簡を引き裂いて、立ち上がった。
魯粛が、驚いて、
と、訊くと、周瑜は、足もとへ破り捨てた書簡の断片を、足でさしながら罵った。
云いすてて帳外へ濶歩して行った。周瑜は、そこへ使者を引き出させて、何か大声で罵っていたが、たちまち
と、供の者を追い返した。
そして、直ちに、
と、水、陸軍へわたって号令した。
果たせるかな曹操は、使者の首を持って逃げ帰ってきた随員の口々から、
と、いいつけた。
江上は風もなく、四更の波も静かだった。時、建安十三年十一月。
夜は白みかけたが、濃霧のために水路の視野もさえぎられて、魏の
「おうっ、敵の船だっ」
「かかれっ」
突如として、魏の兵船は、押太鼓を打ち鳴らしながら、白波をあげて、呉船の陣列を割ってきた。
時に、呉の旗艦らしい一艘の
と、まず船楼に懸け並べた
曹軍の都督
すると、遠くで、
罵るやいな、甘寧は自身、
数箇の石弾は、うなりを立てて飛んで行ったが、その一弾が、蔡薫の
まだ
靄はようやくはれて、両軍数千の船は、陣々入り乱れながらも、一艘もあまさず見ることができる。真赤に昇り出ずる陽と反対に、大江の水は逆巻き、咬みあう黒波白浪、さけびあう疾風飛沫、物すさまじい
蔡瑁を乗せている旗艦を中心として、一隊の縦隊船列は、深く呉軍の中へ進んで行ったが、これは水戦にくらい魏軍の主力を、巧みに呉の甘寧が、味方の包囲形のうちに誘い入れたものであった。
頃を計ると――
たちまち、左岸から韓当の一船隊、右岸から
ずたずたに帆は破れ、船は傾き、魏の船団は一つ一つ崩れだした。船上いっぱい、
「それっ、あれへ」
と、呉の船は、その鋭角を、敵の横腹へぶつけて、たちまち
こうして、主力が叩かれたため、後陣の船は、まったく個々にわかれて、岸へ乗りあげてしまうもあるし、
甘寧は、
そのたくさんな戦死者は、ほとんど魏の将士であった――かくとその日の戦況を耳にした曹操の顔色には、すこぶる穏やかならぬものがあった。
敗戦の責任を問われるものと察して、
曹操は、厳として云った。
「過ぎ去った愚痴を聞いたり、また過去の不覚を
意外にも、寛大な云い渡しに、蔡瑁は感泣してこういった。
それは曹操も感じていることだった。しかし、この問題は、兵の素質と、長日月の訓練にあることなので、急場には如何ともすることができないのである。
こういうことばの裏には、曹操自身にも、水上戦には深い自信のないことがうかがえるのである。両都督の責めを間わず、罪をゆるして励ましたのも、一面、それに代るべき水軍の智嚢がなかったからであるといえないこともない。
いずれにせよ蔡瑁、張允のふたりは、ほっとして、軍の再整備にかかった。まず北岸の要地に、あらゆる要塞設備を施し、水上には四十二座の水門と、
その規模の大なることは、さすがに魏の現勢力を遺憾なく誇示するものだったが、夜に入ればなおさら壮観であった。約三百余里にわたる要塞の水陸には
南岸の陣にある呉の周瑜は、怪しんで或る時、
魯粛が、さらに、くわしく説明すると、周瑜はこのところ
と称して、一夜、周瑜はひそかに一船に乗りこみ、魯粛、
もちろん危険な敵地へ入るわけなので、船楼には、二十
星は暗く、夜は更けている。
船は、石の
水軍の法にくわしい
と、舌を巻いて驚いた。
魯粛は、
と、いった。
周瑜は、舌打ちして、
語りながら、なお船楼の
――と、早くも、魏の監視船から、このことは、曹操の耳に急達されていた。何の猶予やあらんである。それ
けれど、
すると、侍列の中から、
と、いった者がある。
人々は、その大言に驚いて、誰かとみると、帳下の
と、彼のため一夕、
蒋幹は、わざと、
「われは周都督の旧友である。なつかしさのあまり訪れて来た。――と称する高士風のお人が今、岸へ上がってきましたが?」
と、聞いて、周瑜は、からからと笑った。
彼は、その間に、諸大将へ計りごとをささやいて、
と、蒋幹を待っていた。
やがて蒋幹は、それへ案内されてきて、眼をみはった。いや面喰らったといったほうが実際に近い。華やかな錦衣をまとい、
蒋幹は、拝を終ると、特に、親しみを示そうとした。
周瑜も、意識的にくだけた調子で、
と、相手の顔色が変ったのを見ながら、すぐ自分で自分のことばを打消した。
と、わざと
と、共に
堂上堂下に集まった諸将はみな錦繍の袖をかさね、卓上には金銀の
主客、席につくと、
と、客を紹介したはいいが、変な云いまわしをして、いよいよ蒋幹の心を寒からしめた。
のみならず、諸大将の中から、
と、命じた。
太史慈は、剣をうけて、席の一方に立っていた。蒋幹はまるで針の
周瑜は、杯をとって、
と、快飲し始めた。
満座、酒に沸いて、興もようやくたけなわであった。
周瑜は、蒋幹と
そして、以前の席へ、戻って来たが、その
と、大笑した。
蒋幹の体はあきらかにふるえていた。酔もさめて顔は土気いろになっている。周瑜はまた、宴の帳内へ彼を
と、杯を強い、さらに諸大将にも促して、後から後からと杯をすすめさせた。
杯攻めに会っている蒋幹の困り顔をながめながら、周瑜はまた、
そういうと、彼は剣を抜いて、珠と散る燭の光を、一閃また一閃、打ち振りながら舞い出した。
大丈夫
功名
王業
四海
天下泰平
吾
周瑜は剣を振ってかつ歌いかつ舞い、諸将は唱和して、また拍手歓呼し、夜は更けるとも、興の尽くるを知らなかった。
――と同時に、周瑜は、衣も脱がず帯も解かず、泥酔狼藉、
と、蒋幹は幾度かゆり起してみたが、覚めればこそ、いびきを増すばかりで、房中もたちまち酒蔵のような匂いに蒸れた。
ただただ
夜はすでに四更に近い。陣中を
蒋幹はむくと身を起した。卓上に多くの書類や書簡が取り散らかっている。下にこぼれ落ちている五、六通を拾ってそっと見ると、みな陣中往来の機密文書である。
怪しく手がふるえた。――蒋幹の眼は細かに動いて、幾たびも、
愕然、彼の顔色を変えさせた一片の文字がある。見おぼえのあるような手蹟と思って、ひらいてみると、果たして、それは曹操の幕下で日常顔を見ている
それがしら、一旦、曹に降るは、仕禄を図るに非ず、みな時の勢いに迫らるるのみ。今すでに北軍を
今し、南風に託し、一便の
ふいに周瑜が寝返りを打った。蒋幹はあわてて
――すると、帳外の
周瑜は、やっと起き上がった。そして蒋幹のほうを見て、
などと訊ねている。
腹心の大将が、それは閣下のご友人とかいう蒋幹です、と答えると、非常に愕いた様子で、
と、急に、相手の声をたしなめながら、帳の外へ出て行った。
二人は、かなり長い間、何か立ち話をしているようであったが、時々、張允とか、蔡瑁とかいう名が、会話のうちに聞えてきた。
そのうちにまた、べつな声で、北国
男はこの陣中の者ではない。江北から来た密使と見える。
と、先刻、拾った書簡を思いあわせて、蒋幹は身の毛をよだてた。さても、油断のならぬことよ、心もおどおどして、もう空寝入りしているのも気が気ではない。
やがてのこと――密使の男と、ひとりの大将は、用談がすんだとみえて、跫音ひそかに立ち去った。周瑜もすぐ寝室へもどってきた。そして今度は、
蒋幹はわざと大きく伸びをしながらそう呟いてみた。周瑜は眼を覚まさない。しめたと、厠へ立つふりをして、内房から飛び出した。外はまだ暁闇、わずかに
陣屋の
「誰だっ?」
番兵に見咎められて、一喝を浴びた。蒋幹はぎょっとしたが、強いて横柄に構えながら、
と、肩を高くして振向いた。
番兵らはあわてて敬礼した。蒋幹は悠々と背を向けたが、番兵たちの眼から離れると、風の如く駈け出して、江岸の小舟へ飛び乗った。
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