第119話、剣の舞
文字数 4,685文字
建安十六年冬十二月。ようやくにして劉備は蜀へ入った。国境にかかると、
と、道のかたわらに四千余騎が出迎えていた。将の名を問えば、
と、ことば短かにいう。
劉備は孟達の眼を見た。孟達も、眼をもって意中の会釈をした。
さきに法正がもたらした返辞によって、劉備が来援を承諾したと聞き、大守劉璋は無性に歓んでいたらしく、道々の地頭や守護人に布令て、あらゆる歓待をさせた。
そのうえ彼自身、成都を出て、涪城(四川省・重慶の東方)まで出迎えると、車馬、武具、幔幕など、ここを晴と準備していた。
「危険です。見ず知らずな国から来た五万の軍中へ、自らお出であるなどとは」
黄権がまた諫めた。
侍側にいた張松は、劉璋が口をあかないうちに、
「黄権。貴殿は何をもって、みだりに盟国の兵を疑い、主君の宗族を離間しようとするのか」
「そうだとも。劉備はわが宗族だ。故にはるばる、蜀の国難を扶けんと来てくれたのだ。ばか、ばかを申せっ」
「平常、恩禄を喰みながら、今日、主君のご恩に報いることができないとは何事か」
と、頭を地にぶつけ、面に血をながして、なお諫言した。
劉璋は、袂を振り払った。
城門から出ようとすると、また声をあげて、彼の車にとりすがった家臣がある。李恢という者で、泣かんばかり訴えた。
「むかしから、天子を諫める良臣七人あれば、天下失われず、諸侯に諫める善臣五人あれば、国みだるるも国失われず、主君を諫める忠僕三人あれば、その主、無道なりとも家失われずと聞き及びます。いま黄権の諫めをお用いなく、劉備を国にお入れあるは、求めて御身を滅ぼすようなものですっ」
「車を進めい。車の輪を離さぬならば、轢き殺してゆけ」
そこへまた、一人の下僕が、狂わしげに訴えてきた。泣き喚いていうのを聞けば、
「わたくの主人王累が、どうかしてわが君のお心をひるがえそうと、自分の身を縄でくくり、楡橋門の上から身をさかさまにして吊り下がりました。お願いです。どうか助けて下さいっ」
張松は、車を護る前後の人々にむかい、
「彼らはみな、忠義ぶったり、狂態を見せて、主君を脅かさんと企らんでいます。要するに本心は、漢中との戦端を避けて、一日でも安逸を偸んでいたい輩なんです。妻子愛妾の私情にもひかれているに違いありません」
そのうち楡橋門へかかった。仰ぐと、驚くべき決意を示した人間がひとり宙にぶら下がっている。さきに下僕が泣き狂って訴えていた王累だ。その王累にちがいない。
右手に剣を持ち左の手には諫めの文をつかんでいる。縄に吊られて、両足を天にし、首を地に垂れて、睨んでいた。
驚いて、車が停まると、王累はくわっと口を開いていった。
そして、諫言の文を、哭くが如く、訴うるが如く、また怒るが如く読みだした。もしお聞き入れなければ、この剣を以て、自らこの縄を切り、地に頭を砕いて死なんと怒鳴った。
劉璋は、さっき張松から、卑怯な家臣がみな自分を脅迫するのだと聞いていたので、
と一声叫んで、右手の剣を宙に振り、自ら縄を切って、地上の車の前に脳骨を打砕いてしまった。
扈従の人数三万、金銀兵糧を積んだ車千余輛、ついに成都を距ること三百六十里、涪城まで迎えに出た。
一方の劉備は、みちみち沿道の官民のさかんな歓迎をうけながら、すでに百里の近くまで来ていた。
と。その案内に立っている法正のところへ、張松から早馬で密書が来た。法正はそれをそっと龐統に見せて、
「この時をはずすなと、張松のほうから云ってよこしました。お抜かりないように」
と、諜しあわせた。
龐統も、大事を成すは、今にありと云って、
「その機に臨むまで、貴殿も部下のものに気取られるな」
と注意した。
かくて、涪城城内、劉璋と劉備との対面の日は来た。
両者の会見は、和気藹々たるものであった。
「世は、うつり変るとも、おたがい宗族の血はこうして世に存在し、また巡り会って、今日をよろこぶことができる。力をあわせて、ふたたび漢朝の栄えを見ることに兄弟ひとつになろうではありませんか」
と、かぎりなく歓んだ。
歓宴歓語、数刻に移って、劉備はあっさり帰った。彼のつれて来た五万の軍勢は、城外の涪江江畔においてあるからである。
劉備が帰ると、劉璋は左右のものへすぐ云った。
「どうだ。聞きしにも優る立派な人物ではないか。王累、黄権などは、人を見る明がなく、世の毀誉褒貶を信じて予を諫め、自ら死んだからいいようなものの、生きていたら予にあわせる顔もあるまい」
蜀中の文武の大将は、これを聞いて、なおさら案じた。鄧賢、張任、冷苞など、こもごもに出てはそれとなく、
「人は見かけに依らぬというたとえもあること。まして外柔なのは内剛なり。万一の変あるときは取返しがつきません」
と、用心を促したが、劉璋は笑って、
「そういちいち人を疑っていたら、人の中には住めまいが」
彼は自身いうが如き好人物であった。もし庶民のあいだに生れていたら、少くも家産はつぶし、人にものべつ欺されていたろうが、その代りに、
(彼はよい男だよ)と、愛されもしたろう。
けれど、蜀の主権者であり万民に臨む太守としては、ほとんど、その資格なきものといっていい。
劉備が帰るとすぐ龐統がたずねた。劉備は一言、
と、答えた。
劉備はだまって眼をしばたたいた。劉璋に対して愍然たるものを抱いているような眸である。
「主君。何のために、この山川の嶮しきをこえ、万里の遠くへ、将士をつれて来ました」
「明日、答礼の酒宴にことよせて劉璋をお招きなさい。決断が大事です。小さい情にとらわれているときではありません」
「成都に留守している張松も、疾く書簡をよこして、この期を失わず、事を計れと、内応の諜しあわせを云いよこしています。……あなたが蜀をお取りにならなければ、結局、この蜀は、漢中の張魯か、魏の曹操に奪られるものです。なにを今さら、お迷いになることがありましょうぞ」
と、口を極めて励ました。
もとより入蜀の目的はそれにある。劉備とて、ここに来て思い止ったわけではない。彼はただ自己の心の中の情念と闘っているだけだ。
建安十七年の春正月、こんどは彼が主人になって、劉璋を招待することにきめた。
「長夜の宴」とか「酒国長春」とかいうことばは、みな支那のものである。この民族の歴史ほど宴楽に始まって宴楽に終る歴史を編んできた民族は少ない。平時はもちろん戦争の中でも実に宴会する。別離歓迎、式典葬祭、権謀術策、生活兵法、ことごとく宴会の間と卓とによって行われる。
ことし壬辰の初春、さきに招かれた答礼として、こんどは劉備が席をもうけて太守劉璋を招待した宴会は、けだし西蜀開闢以来といってもよい盛大なものだった。
はるばる、荊州から携えてきた南壺の酒、襄陽の美肴に、蜀中の珍膳をととのえ、旗幡林立の中に、会場をいろどって、やがて臨席した劉璋以下、蜀の将軍文官たちに、心からなるもてなしを尽した。
やがて宴もたけなわに入った頃、龐統はちらと法正に眼くばせして外へ出た。
人なきところへ行って、ふたりは声をひそめ合っていた。
「うまく運んだようです。大事はすでに掌にありです」
「魏延にとくと申し含めておる。きっとうまくやるだろう」
「場内に血を見ると同時に、劉璋の兵が、外で騒ぎだすでしょう。そちらも手抜かりないようにたのみます」
ふたりはさり気ない顔して、元の席へ返っていた。
宴席は歓語笑声にみち、主賓劉璋の面にも満足そうな酔が赤くのぼっていた。
ときに、荊州の大将たちの席から、突如、魏延が立ち上がって、酔歩蹌踉と、宴の中ほどへ進み出で、
「せっかくの台臨を仰ぎながら、われわれ長途の軍旅にて、今日のもてなしに、恨むらくは音楽の饗応を欠いておる。依ってそれがし、剣の舞をなして、太守の一笑に供え奉る。――」
いうかと思えば、はや腰なる長剣を抜いて、舞いだしていた。
「あ、あぶない」
こはただ事の馳走に非ずと、劉璋の左右にあった文武の大将は、みな顔色を変えたが、咎める術もなかった。
すると、従事官張任という蜀の一将、やにわにまた、剣を抜いて、魏延のまえに躍り出で、
「古来、剣を舞わすには、かならず相手が立つと承る。武骨、不風流者ながら、君にならって、お相手をいたさん」
と、魏延の舞いに縺れて、共に舞い始めた。
閃々、たがいに白虹を描き、鏘々、共に鍔を震き鳴らす。――そして魏延の足が劉璋へ近づこうとすれば張任の眼と剣は、きっと、劉備へ向って、殺気をはしらせた。
(魏延よ。汝がもしわが主人に危害を加えるならば、われは直ちに汝の主人劉備を刺すぞ)
無言のうちに張任は舞いつつ魏延を牽制していた。
龐統は、それを眺めて、
と、この測らざる邪魔者に舌打ち鳴らしながら、かたわらにいた劉封へきっと眼くばせした。
心得たりと、劉封もすぐ身を起し、剣を抜いて、ふたりの間へ。
と、舞うて入る。
とたんに、ざわざわと、劉璋の周囲が一斉に立った。冷苞、劉璝、鄧賢などという幕将たち、手に手に剣を抜きつれて、
「いざ、舞わんか」
「それ舞わんか」
「舞わんか、舞わんか」
「いざ来れ」
と、満座ことごとく剣に満つるかと思われた。
劉備は愕いて、自分も、剣を抜いて、高く掲げ、
「無礼なり、魏延、劉封、ここは鴻門の会ではない。われら宗親の会同に、なんたる殺伐を演ずるか。退がれっ、退がれっ」
と叱った。
劉璋も、家臣の非礼を叱って、劉備と自分とは、同宗の骨肉、無用な猜疑をなすは、汝らこそ、兄弟の仲を裂くものであると、たしなめた。
しかし、この夜の宴は、失敗に似て、かえって成功だった。劉璋はいよいよ劉備に信頼の念を深めた。
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