第61話、金鈚箭

文字数 7,685文字

 都へ還る大軍が、下邳(かひ)城を立ち出で、徐州へかえると、沿道の民は、ちまたに溢れて、曹操以下の将士へ、歓呼を送った。

 その中から、一群れの老民が道に拝跪(はいき)しながら進みでて、曹操の馬前に懇願(こんがん)した。

「どうか、劉備玄徳様を、太守として、この地におとどめ願います。呂布の悪政をのがれて、平和に耕田の業や商工の営みができますことは、無上のよろこびでございますが、劉備様がこの国を去るのではないかと、みなあのように悲しんでおりまするで」

 曹操は、馬上から答えた。

「案じるな。劉使(りゅうし)君は、莫大な功労があるので、予と共に都へ上って、天子へ拝謁(はいえつ)し、やがてまた、徐州へ帰って来るであろう」

 そう聞くと、沿道の民は、諸声(もろごえ)あげて、どっと歓び合った。

 ふかく民心の中に根をもっている劉備の信望に、曹操はふと(ねた)みに似たものを覚えながら、面には莞爾(かんじ)と笑みをたたえながら、

「劉使君。このような領民は、子のように可愛いだろうな。天子に拝をすまされたら、早く帰って、もとの如く徐州を平和に治めたまえ」

 と、振向いていった。


 ――日を経て。

 三軍は許都に凱旋した。

 曹操は、例によって、功ある武士に恩賞をわかち、都民には三日の祝祭を行わせた。朝門街角(がいかく)ともその数日は、挙げてよろこびの声に賑わった。

 劉備の旅舎は丞相府(じょうしょうふ)のひだりに定められた。特に一館を彼のために与えて、曹操は礼遇の意を示した。

 のみならず、翌日、朝服に改めて参内するにも、劉備を誘って、ひとつ車に乗って出かけた。

 市民は軒ごとに、香を()いて道を浄め、ふたりの車を拝跪した。

 そして、ひそかに、

「これはまた、異例なことだ」と、眼をみはった。

 禁中へ伺候すると、帝は、階下遠く地に拝伏している劉備に対し、特に昇殿をゆるされて、何かと、勅問のあって後、さらに、こう訊ねられた。

「其方の先祖は、そも、何地(いずち)の如何なるものであるか」


「……はい」


 劉備は、感泣のあまり、しばしは胸がつまって、うつ向いていた。――故郷楼桑村(ろうそうそん)茅屋(あばらや)に、(むしろ)を織って、老母と共に、貧しい日をしのいでいた一家の姿が、ふと熱い(まぶた)のうちに憶い出されたのであろう。

 帝は、彼の涙をながめて、怪しまれながら、ふたたび下問された。

「先祖のことを問うに、何故そちは涙ぐむのか」


「――さればにござります」


 劉備は襟を正し、謹んでそれに答えた。


「いま、御勅問に接し、おぼえず感傷のこころをうごかしました。――という仔細は、臣が祖先は中山靖王(ちゅうざんせいおう)後胤(こういん)、景帝の玄孫(げんそん)にあたり、劉雄(りゅうゆう)が孫、劉弘(りゅうこう)の子こそ、不肖劉備でありまする。中興の祖劉貞(りゅうてい)は、ひとたびは、涿県(たくけん)陸城亭侯(りくじょうていこう)に封ぜられましたが、家運つたなく、以後流落して、臣の代にいたりましては、さらに、祖先の名を辱めるのみであります。……それ故、身のふがいなさと、勅問のかたじけなさに思わず落涙を催した次第でありまする。みぐるしき態をおゆるし下しおかれますように」

 帝は、驚きの(まなこ)をみはって、


「では、わが漢室の一族ではないか」


 と、急に朝廷の系譜(けいふ)を取りよせられ、宗正(そうせい)卿をして、それを読み上げさせた。


(カン)景帝(ケイテイ)、十四子ヲ生ム。(スナワ)チ中山靖王(セイオウ)劉勝(リュウショウ)。――勝。陸城亭侯(リクジョウテイコウ)劉貞(リュウテイ)ヲ生ム。(テイ)沛侯(ハイコウ)劉昂(リュウコウ)ヲ生ム。(コウ)漳侯(ショウコウ)劉禄(リュウロク)ヲ生ム。(ロク)沂水侯(ギスイコウ)劉恋(リュウレン)ヲ生ム。(レン)欽陽侯(キンヨウコウ)劉英(リュウエイ)ヲ生ム。英……。


 朗々と、わが代々の先祖の名が耳をうってくる。

 ――その末裔(すえ)の末裔に、今、我なるものが、ここにあるのかと思うと、劉備は体じゅうの血が自分のものでないように熱くなった。


 漢家代々の系譜に照らしてみると、劉備が、景帝の第七子の裔であることは明らかになった。

 つまり景帝の第七子中山靖王(ちゅうざんせいおう)(えい)は、地方官として朝廷を出、以後数代は地方の豪族として栄えていたが、諸国の治乱興亡のあいだに、いつか家門を失い、農民に流落して、劉備玄徳(りゅうげんとく)の両親の代には、とうとう沓売りや蓆織りを生業(なりわい)としてからくも露命をつなぐまでに落ちぶれ果てていたのであった。

世譜(せいふ)に依れば、正しく、朕の皇叔(こうしゅく)にあたることになる。――知らなかった。実に今日まで、夢にも知らなかった。朕に、劉備のごとき皇叔があろうとは」

 と、帝のおよろこびは一通りでない。御涙さえ流して、邂逅(かいこう)の情を繰返された。

 改めて、叔甥(おじおい)の名乗りをなし、帝は慇懃礼(いんぎんれい)をとって、劉備を便殿(べんでん)(しょう)じられた。そして曹操もまじえて酒宴を賜わった。

 帝はいつになく杯を重ねられ、龍顔は華やかに染められた。こういう御気色はめずらしいことと侍側の人々も思った。――知らず、劉備を見て、帝のお胸に、どんな灯が(とも)ったであろうか。

 ここ許昌(きょしょう)の都に、朝廷を定められて以来、本来ならば、王道の隆昌と漢家の復古を、万民と共に、祝福して、帝の御気色をうるわしくしなければならないのに、侍従の人々が見るところでは、さはなくて、帝にはむしろ怏々(おうおう)と何か常に楽しまぬご容子に察しられた。一日とて、憂暗(ゆうあん)なお(ひとみ)の清々と晴れていたことはない。

「それなのに、今日ばかりは、何という明るいご微笑だろう?」

 と侍従たちにも怪しまれるほど、その日の宴は、帝にも心からご愉快そうであった。

 帝の特旨に依って、劉備は、左将軍(さしょうぐん)宜城亭侯(ぎじょうていこう)に封ぜられた。

 また、それ以来、朝野の人々も、劉備をよぶのに「劉皇叔(りゅうこうしゅく)」と敬称した。

 ――が、ここに、当然、彼の擡頭(たいとう)をあまりよろこばない一部の気運も(かも)されてきた。

 それは、丞相府(じょうしょうふ)にあって、軍力政権ふたつながら把握している曹操が股肱(ここう)――荀彧(じゅんいく)などの諸大将だった。

「承れば、天子には、劉備を尊んで、叔父となされ、ご信任も並ならぬものがあるとか。……将来、丞相の大害となるを、ひそかにみな憂えていますが」

 と、或る時、荀彧(じゅんいく)劉曄(りゅうよう)が、そっと曹操に関心をうながすと、曹操は打ち笑って、


「予と劉備とは、兄弟もただならぬ間柄だ。なんで、予の害になろう」

 と、取合わなかった。


「いや、丞相のお心としてはそうでしょうが、つらつら劉備の人物を観るに、まことに、彼は一世の英雄にちがいありません。いつまで、丞相の下風(かふう)についているか知れたものではない。親しき仲にも、特に、用心がなくてはかないますまい」

 劉曄(りゅうよう)も切に注意した。

 曹操は、なお、度量の大を示すように、笑い消して、


()きもまた、交わること三十年。(あし)きもまた、交わること三十年。好友悪友も、根元は、わが心の持ちかたにあろう」

 と、意にかける風もなかった。

 そして彼と劉備との交わりは、日をおうほど親密の度を加え、朝に出るにも車を共にし、宴楽するにも、常に席を一つにしていた。

 一日。

 相府の一閣に、程昱(ていいく)が来て、曹操とふたりきりで、密談していた。

 程昱は、野心勃々(ぼつぼつ)たる彼が腹心のひとりである。しきりに天下の事を論じたあげく、

「丞相。もはや今日は、なすべきことをなす時ではありませんか。何故、猶予(ゆうよ)しおられるのですか」

 と、なじった。

 曹操は、そら(うそぶ)いて、

「なすこととは?」
 と、わざと反問した。
覇道(はどう)の改革を決行することです。――王道の政治(まつり)すたれてもはや久しく、天下はみだれ民心は飽いています。覇道独裁の強権がしかれることを世間は待望していると思います」

 程昱のいう裏には、明らかに朝廷無視の叛意がふくまれている。――が、曹操は、それを否定もせず、たしなめもしなかった。


「まだ、早い」


 といっただけである。

 程昱がかさねて、


「しかし、今、呂布も亡んで、天下は震動しています。雄略胆才(ゆうりゃくたんさい)もみな去就に迷い、紛乱昏迷(ふんらんこんめい)の実情です。この際、丞相が断乎(だんこ)として、覇道を行えば……」
 と、なお云いかけると、曹操は細い鳳眼(ほうがん)をかっとひらいて、
「めったなことを口外するな、朝廷にはまだまだ股肱(ここう)の旧臣も多い。機も熟さぬうち事を行えば自ら害を招くような結果を見よう」
 けれど曹操の胸に、すでにこの時、人臣の野望以上のものが、芽を(きざ)していたことは争えぬ事実だった。――彼は、程昱に口をつぐませて、自分もしばらく沈思していたが、やがて血色の()めた面をあげ、常の如き細い眸に野心をひそめながらつぶやいた。
「そうだ。ここ久しく戦に忙しく、狩猟に出たこともない。天子を許田(きょでん)(かり)に請じて、ひとつ諸人の向背(こうはい)を試してみよう」
 急に、彼は思い立った。――即ち犬や鷹の用意をして、兵を城外に調え、自身宮中に入って、帝へ奏上した。
「許田へ行幸(みゆき)あって、親しく臣らと共に狩猟をなされては如何ですか。清澄な好日つづきで、野外の大気もひとしおですが」

 帝は、お顔を振って、


(かり)へ出よとか。田猟は聖人の楽しみとせぬところ。朕も、それ故に、猟は好まぬ」
「いや、聖人は猟をしないかもしれませんが、いにしえの帝王は、春は肥馬強兵(ひばきょうへい)()、夏は耕苗(こうびょう)を巡視し、秋は湖船をうかべ、冬は狩猟し、四時郊外に出て、民土の風に親しみ、かつは武威を宮外に示したものです。おそれながら、常々、深宮にのみ御座(ぎょざ)あっては、陛下のご健康もいかがかと、臣らもひそかに案じられてなりません。――かたがた、天下はなはだ多事の折でもあり、陛下のみならず公卿たちも、(まれ)には、大気に触れ、心身を鍛え、宏濶(こうかつ)な気を養うことが刻下の急務かと考えられますが」
 帝は、拒むお言葉を知らなかった。曹操の実力と強い性格とは、形や言葉でなく、何とはなしに帝を威圧していた。
「……では、いつか行こう」
 お気のすすまない容子(ようす)ながら、帝は、行幸を約束された。何ぞ知らん、すでに兵車の用意は先にできていたのである。帝は、曹操の我意に、人知れず、眉をふるわせられたが、ぜひなく、
「さらば、劉皇叔(りゅうこうしゅく)も、供して参れ」

 と、にわかに(みことのり)して、御手(みて)彫弓(ちょうきゅう)金鈚箭(きんひせん)をたずさえ、逍遥馬(しょうようば)に召されて宮門を出られた。

 今朝方から、曹操の兵が城外におびただしく、禁門の出入りも何となく常と違うので、早くから衛府に詰めていた劉備は、それと見るや、自身、逍遥馬の口輪をとって、帝のお供に従った。

 関羽、張飛、その余の面々も、弓をたばさみ、(ほこ)を擁し、劉備と共に、扈従(こじゅう)の列に加わった。

 御猟(みかり)の供は十万余騎と(とな)えられた。騎馬歩卒などの大列は、蜿蜒(えんえん)、宮門から洛内をつらぬき、群星地を流れ、彩雲(さいうん)()をめぐって、街々には貴賤老幼が、()されるばかりに蝟集(いしゅう)していた。

「あれが、劉皇叔(りゅうこうしゅく)よ」

 などと、警蹕(けいひつ)のあいだにも、ささやく声が流れる。

 この日。

 曹操は、「爪黄飛電(そうこうひでん)」と名づける名馬にまたがって、狩装束(かりしょうぞく)も華やかに、ひたと天子のお側に寄り添っていた。

 その曹操が前後には、彼の股肱(ここう)とする大将旗下がおのおの武器をたずさえ、豪歩簇擁(ごうほぞくよう)、尺地もあまさぬばかり続いて行くので、朝廷の公卿百官は、帝の側近くに従うこともできなかった。はるか後ろのほうから甚だ手持ち不沙汰な顔を揃えて歩いていた。

 かくて御料の猟場(かりば)に着くと、許田(きょでん)二百余里(支那里)のあいだを、十万の勢子(せこ)でかこみ、天子は、彫弓(ちょうきゅう)金鈚箭(きんひせん)を御手に、駒を野に立てられ、劉備をかえりみて(のたも)うた。

「劉皇叔よ。今日の(かり)を、(ちん)のなぐさみと思うな。朕は、皇叔が楽しんでくれれば共にうれしかろう」

 劉備は、恐懼(きょうく)して、


「おそれ多いことを」


 と、馬上ながら、鞍の前輪に顔のつくばかり、拝伏した。

 ところへ、勢子の喊声(かんせい)におわれて、一匹の兎が、草の波を跳び越えてきた。

 帝は、眼ばやく、


「獲物ぞ。あれ射てとれ」


 と、早口にいわれた。


「はっ」


 と、劉備は馬をとばして、逃げる兎と、併行しながら、弓に矢をつがえてぴゅっんと放した。

 白兎は、矢を負って、草の根にころがった。帝は、その日、朝門を出御ある折から、始終、ふさぎがちであった御眉を、初めてひらいて、


「見事」


 と、劉備の手ぎわを賞し、


 と堤のほうへ、先に駒をすすめて行かれた。

 すると、一叢(ひとむら)荊棘(けいきょく)の中から、不意にまた、一頭の鹿が躍りだした。帝は手の彫弓(ちょうきゅう)金鈚箭(きんひせん)をつがえて、はッしと射られたが、矢は鹿の角をかすめて()れた。

「彼方の丘を巡ろうか。劉皇叔、朕がそばを離れないでくれよ」

 と堤のほうへ、先に駒をすすめて行かれた。

 すると、一叢(ひとむら)荊棘(けいきょく)の中から、不意にまた、一頭の鹿が躍りだした。帝は手の彫弓(ちょうきゅう)金鈚箭(きんひせん)をつがえて、はッしと射られたが、矢は鹿の角をかすめて()れた。

「あな惜しや」

 二度、三度まで、矢をつづけられたが、あたらなかった。

 鹿は、堤から下へ逃げて行ったが、勢子の声におどろいて、また跳ね上がってきた。

「曹操、曹操っ。それ射止めよ」


 帝が()きこんで叫ばれると、曹操はつと馳け寄って、帝の御手から弓矢を取り、それをつがえながら爪黄馬(そうこうば)を走らすかと見る間に、ぶんと弦鳴(つるな)りさせて射放った。

 金鈚箭(きんひせん)は飛んで鹿の背に深く刺さり、鹿は()を負ったまま百間ばかり(はし)って倒れた。

 公卿百官を始め、下、将校歩卒にいたるまで、金鈚箭の立った獲物を見て、いずれも、帝の射給うたものとばかり思いこんで、異口同音に万歳を唱えた。

 万歳万歳の声は、山野を圧して、しばし鳴りも止まないでいると、そこへ曹操が馬を飛ばしてきて、

「射たるは、我なり!」


 と、帝の御前に立ちふさがった。

 そして彫弓(ちょうきゅう)金鈚箭(きんひせん)を諸手にさしあげ、群臣の万歳を、あたかも自身に受けるような態度を取った。

 はっと、諸人みな色を失い興をさましてしまったが、特に、劉備のうしろにいた関羽の如きは、眼を張り、眉をあげて、曹操のほうをくわっとにらめつけていた。

 その時、関羽は、

(人もなげな曹操の振舞い。帝をないがしろにするにも程がある!)

 と、口にこそ発しなかったが、怒りは心頭に燃えて、胸中の激血はやみようもなかったのである。

 無意識に、彼の手は、剣へかかっていた。劉備は、はっとしたように、身を移して、関羽の前に立ちふさがった。そして手をうしろに動かし、眼をもって、関羽の怒りをなだめた。

 ふと、曹操の眸が、劉備のほうへうごいた。劉備は咄嗟に、笑みをふくんでその眼に応えながら、

「いや、お見事でした。丞相の神射(しんしゃ)には、おそらく及ぶ者はありますまい」

「はははは」


 曹操は高く打笑って、


「お褒めにあずかって面はゆい。予は武人だが、弓矢の技などは元来得手としないところだ。予の長技は、むしろ三軍を手足の如くうごかし、治にあっては億民を生に安からしめるにある。――さるを(はし)る鹿をもただ一矢で(たお)したのは、これ、天子の洪福(こうふく)というべきか」

 と、功を天子の威徳(いとく)に帰しながら、暗に自己の大なることを自分の口から演舌した。

 それのみか、曹操は、忘れたように、帝の彫弓(ちょうきゅう)金鈚箭(きんひせん)手挟(たばさ)んだまま、天子に返し奉ろうともしなかった。

 猟が終ると、野外に火を()き、その日、獲たところの鳥獣の肉を(あぶ)って、臣下一統に酒を賜わったが、何となく公卿百官のあいだには、白けた空気がただよって、そこに一抹の暗影を感じないわけにはゆかなかった。

 やがて、帝には還御となった。

 劉備も洛中に帰った。その後、彼は一夜ひそかに、関羽を呼んで、


「いつぞやの御猟(みかり)の節、何故、曹操に対して、剣に手をかけ、あのような(まな)ざしを向けたか。誰も気づかぬ様子であったからよいが、近頃、其方にも似合わぬ矯激(きょうげき)な沙汰ではないか」

 と、戒めた。

 関羽は、頭を垂れて、神妙に叱りをうけていたが、静かに面をあげて、

「ではわが君には、曹操のあの折の態度に、何の感じもお抱きになりませんでしたか」
「そんなことはない」
「私はむしろ、わが君が、何で私を制止されたか、お心を疑うほどです。この許昌(きょしょう)の都に親しく留まって以来、眼にふれ耳に聞えるものは、ことごとく曹操の暴戻(ぼうれい)なる武権の誇示(こじ)でないものはありません。彼は決して、王道をまもる武臣の長者とはいえぬ者です。覇気横溢(はきおういつ)のまま覇道(はどう)を行おうとする奸雄(かんゆう)です。その野心をはや露骨にして、公卿百官を始め、十万の将士を前に、(かみ)(おか)し奉り、上を立ちふさいで、自身が臣下の万歳をうけるなどという思い上がった態を見ては、余人(よじん)は知らず、関羽は黙止しておられません。……たとえ如何ようなお咎めをうけるとも、関羽には忍び(がと)うて、この身がふるえます」

「もっともなことだ……」


 劉備は、うなずいた。幾たびも同感のうなずきを見せた。


「――だが関羽。もしあの折、かりにそちが目的を仕遂げたところで、彼には十万の兵と無数の大将がひかえている。われらも共に許田の土と化さねばなるまい。そしてまたまた大乱のうちから、次の曹操が現われたら何にもならないではないか。あの場では、曹操は何かを試しているように見えた。我が力のなさに情けなくも思うが、ここは耐えて、夢、ことばの端にも、そんな激色を現わしてはならぬ」


 諄々(じゅんじゅん)と説かれて、関羽はかえすことばもなかった。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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