第11話、初陣
文字数 4,182文字
道々、風を慕って、日月の旗下に馳せ参じる者もあったりして、府城の大市へ着いた時は、義軍は総勢五百をかぞえられた。
眼をみはったのは、劉備や張飛の顔を見知っている市の民たちで、
「やあ、先に行く大将は、
「そのそばに、馬にのって威張って行くのは、よく
「なるほど。張だ、張だ」
「あの肉売りに、わしは酒代の貸しがあるんだが、弱ったなあ」
などと群集のあいだから嘆声をもらして、見送っている酒売りもあった。
幽州太守
大将劉備に会ってみるとまだ年も二十代の青年であるが、
なお、素姓を問えば、漢室の宗親にして、
と、劉焉はうなずくことしきりでなおさら、親しみを改め、左右の関、張両将をあわせて、心から
折ふし。
青州
関羽と、張飛は、それを知るとすぐ、劉備へ向って、
と、すすめた。
劉備は、
と、劉焉に会って、その旨を申し出ると劉焉もよろこんで、
劉備の軍五百余騎は、
時、この地方の雨期をすぎて、すでに初夏の緑草豊かであった。
合戦長きにわたらんか、賊は、地の利を得て、奇襲縦横にふるまい、諸州の
劉備は、そう考えていた。
二人へ、計ると、「それこそ、同意」と、すぐ五百余騎を、備え立て、山麓まぢかへ迫ってから、にわかに
賊は、山の中腹から、鉄弓を射、
と、呼ばわった。
すると、寄手の陣頭より、おうと答えて、劉備玄徳、白馬を緑野の中央へすすめて来た。
「
聞くと、
と、重さ八十斤と称する青龍刀をひッさげ、劉備へかかってきた。
劉備は、二、三度、剣をあわせた後、これは勝てないとばかり背を向けて、泥土をあげて、馬を後に走らせた。
しばらく走ったところ、丘の上で待ち構えていた張飛が、生い茂った草のあいだからあらわれ、
虚空に鳴る
賊の二将が打たれたので、残余の
――
と、武威をしめした。
大興山を後にして、一同はやがて幽州へ凱旋の
太守
ところへ。
青州の城下(山東省済南の東・黄河口)から早馬が来て、
と、劉焉が、使いのもたらした
当地方ノ黄巾ノ
青州
と、あった。
劉備は、また進んで、
時はすでに夏だった。
青州の野についてみると、賊数万の軍は、すべて黄の旗と、
と、劉備も、先頃の初陣で、難なく勝った手ごころから、五百余騎の先鋒で、当ってみたが、敵は守りをかため、遠目から矢を盛んに放ち、近づけば歩兵の槍衾があった。
散々打ち負かされ、兵を消耗してしまい、退かざるを得なかった。
劉備は、関羽に相談した。
関羽は、
と一策を献じた。
劉備は、よく人の言を用いた。そこで、総大将の
まずは敵の糧道を断つことにした。
劉備達は、四百の兵で、敵の輜重隊を盛んに叩いた。黄巾族は盗賊の集まりのようなものである。数は多いが、糧道は細く、容易に断つことができた。
夜間はかがり火を多くたき、こちら側の援軍の数が多く見えるようにした。
飢えと数で締め上げ、弱ったところを、城内の兵と示し合わせ、挟み討ちにした。
賊軍は、乱れに乱れ、断ち割れるように逃げていった。
逃げる賊軍をここぞばかり追いかけ散らした。
劉備達は勝ちどきを上げ城に入った。
城主が深々と礼を言った。
人々は重く賞して、三日三晩は、夜も昼も、歓呼の楽器と万歳の声にみちあふれていた。
鄒靖は、軍を収めて、
と、幽州へ引揚げようとしていた。劉備玄徳は、鄒靖に向って、
と、心のうちをもらした。
そして、自分はこれから、広宗の征野へ、旧師の軍を援けにおもむくから、幽州の城下へ帰ったら、どうか、その旨を、悪しからず太守へお伝えねがいたいと、伝言を頼んだ。
もとより義軍であるから、鄒靖も引止めはしない。
余った兵糧と武具をいくつか渡し、鄒靖は幽州へ引き上げていった。
劉備は、義軍を募集し、減った兵を補充し、また五百人ほどの規模の兵を率いて、広宗に向かった。
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