第55話、典韋死す

文字数 9,396文字

 長安に威を振っていたもとの董相国(とうしょうこく)の一門で張済(ちょうさい)という敗亡の将がある。

 先頃から董一族の残党をかりあつめて、

 王城復古

 打倒曹閥(そうばつ)

 の旗幟(きし)をひるがえし、許都へ攻めのぼろうと企てていた一軍は、その張済の(おい)にあたる張繍(ちょうしゅう)という人物を中心としていた。

 張繍は諸州の敗残兵を一手に寄せて、追々と勢威を加え、また、謀士賈詡(かく)を参謀とし、荊州(けいしゅう)の太守劉表(りゅうひょう)と軍事同盟をむすんで、宛城(えんじょう)を根拠としていた。

 それを知った曹操は、

「捨ておけまい」

 進んで討とうと肚をきめた。

 けれど彼の気がかりは、徐州の呂布であった。

「もし自分が張繍を攻めて、戦が長びけば、呂布は必ず、その隙に乗じて、劉備を襲うであろう。劉備を亡ぼした勢いを駆って、さらに許都の留守を襲撃されたらたまらない――」
 その憂いがあるので、曹操がなお出陣をためらっていると、荀彧(じゅんいく)は、
「その儀なれば、何も思案には及びますまい」
 と、至極、簡単にいった。
「そうかなあ。余人は恐るるに足らんが、呂布だけは目の離せない曲者(くせもの)と予は思うが」

「ですから、(くみ)(やす)しということもできましょう」


「利を喰わすか」


「そうです。慾望には目のくらむ(おとこ)ですから、この際、彼の官位を昇せ、恩賞を贈って、劉備と和睦せよと仰っしゃってごらんなさい」

「そうか」


 曹操は、膝を打った。

 すぐ奉車都尉(ほうしゃとい)王則(おうそく)を正式の使者として、徐州へ下し、その由を伝えると、呂布は思わぬ恩賞の沙汰に感激して、一も二もなく曹操の旨に従ってしまった。

 そこで曹操は、

「今は、後顧の憂いもない」

 と、大軍を催して、夏侯惇(かこうじゅん)を先鋒として、宛城(えんじょう)へ進発した。

 淯水(いくすい)(河南省・南陽附近)のあたり一帯に、十五万の大兵は、霞のように陣を布いた。――時、すでに春()けて建安二年の五月、柳塘(りゅうとう)の緑は嫋々(じょうじょう)と垂れ、淯水の流れは(ぬる)やかに、桃の花びらがいっぱい浮いていた。

 張繍(ちょうしゅう)は、音に聞く曹操が自らこの大軍をひきいて来たので、色を失って、参謀の賈詡(かく)に相談した。

「どうだろう、勝ち目はあるか」

「だめです。曹操が全力をあげて、攻勢に出てきては」


「では、どうしたらいいか」


「降服あるのみです」


 さすがに賈詡は目先がきいている。張繍にすすめて、一戦にも及ばぬうち降旗を立てて自身、使いとなって、曹操の陣へおもむいた。

 降服に来た使者だが、賈詡の態度ははなはだ立派であった。のみならず弁舌すずやかに、張繍のために、()のよいように談判に努めたので、曹操は、賈詡の人品にひとかたならず惚れこんでしまった。

「どうだな、君は、張繍の所を去って、予に仕える気はないか」


「身にあまる面目ですが、張繍もよく私の言を用いてくれますから、棄てるにしのびません」


「以前は、誰に仕えていたのかね」


李傕(りかく)に随身していました。しかしこれは私一代の過ちで、そのため、共に汚名を着たり、天下の憎まれ者になりましたから、なおさら、自重しております」


 宛城の内外は、戦火をまぬかれて、平和のための外交がすすめられていた。

 曹操は、宛城に入って、城中の一郭に起居していたが、或る夜のこと、張繍らと共に、酒宴に更けて、自分の寝殿に帰って来たが、ふと左右をかえりみて、

「はてな? この城中に妓女(ぎじょ)がいるな。胡弓(こきゅう)の音がするぞ」

 と、耳をすました。

 彼の身のまわりの役は、遠征の陣中なので、甥の曹安民(そうあんみん)が勤めていた。

「安民。おまえにも聞えるだろう。――あの胡弓の音が」
「はい、ゆうべも、夜もすがら、(かな)しげに()いていたようでした」

「誰だ? いったい、あの胡弓を弾いている主は」


妓女(ぎじょ)ではありません」


「おまえは、知っているのか」


「ひそかに、垣間見(かいまみ)ました」


「怪しからんやつだ」


 曹操は、戯れながら、苦笑してなお訊ねた。


「美人か、醜女か」


「美人でしたよ」


 安民は、大真面目である。


「そうか、……美人か……」
 と、曹操は、酒の香をほッと吐いて、春の夜らしい溜息をついた。

「おい。連れて来い」


「え。……誰をですか」


「知れたことを訊くな。あの胡弓を(かな)でている女をだ」


「……ところが、あいにくと、あの美女は、未亡人だそうです。張繍(ちょうしゅう)の叔父、張済(ちょうさい)が死んだので、この城へ引きとって張繍が世話をしているのだとか聞きました」


「未亡人でも構わん。おまえは口をきいたことがあるのだろう。これへ誘ってこい」


奥郭(おくぐるわ)の深園にいるお方、どうして、私などが近づけましょう。言葉を交わしたことなどありません」


「では――」
 と、曹操はいよいよ語気に熱をおびて、いいつけた。
「兵、五十人を率いて、曹操の命なりと告げて、中門を通り、張済の後家に、(ただ)すことあれば、すぐ参れと、(ともな)ってこい」
「はいっ」

 曹安民は、叔父の眼光に、嫌ともいえず、あわてて出て行ったが、しばらくすると、兵に囲ませて、一人の美人をつれて来た。

 帳外の燭は、ほのかに閣の廊に揺れていた。

 曹操は、佩剣を立てて、柄頭(つかがしら)のうえに、両手をかさねたままじっと立っていた。

「召しつれました」

「大儀だった。おまえ達はみな退がってよろしい」


 曹安民以下、兵たちの跫音(あしおと)は、彼方の衛舎へ遠ざかって行く。――そして後には、悄然たるひとりの麗人の影だけがそこに取り残されていた。


「夫人、もっと前へおすすみなさい。予が曹操だ」
「…………」
 彼女は、ちらと眸をあげた。

 蘭花に似た(まぶた)は、ふかい睫毛(まつげ)をふせておののきながら曹操の心を疑っている。

「お名まえは。姓は?」
「亡き張済の妻で……鄒氏(すうし)といいまする」

 かすかに、彼女は答えた。


「予を、知っているか」


丞相(じょうしょう)のお名まえは、かねてから伺っておりますが、お目にかかるのは……」


「胡弓をお弾きになっておられたようだな。胡弓がおすきか」


「いいえ、べつに」


「では何で」

「あまりのさびしさに」


「おさびしいか。おお、秘園の孤禽(こきん)は、さびしさびしと啼くか。――時に夫人、予の遠征軍が、この城をも焼かず、張繍の降参をも聞き届けたのは、いかなる心か知っておられるか」


「…………」


 曹操は、五歩ばかりずかずかと歩いて、いきなり夫人の肩に手をかけた。


「……お分りか。夫人」


 夫人は、肩をすくめた。

 曹操は、その熱い耳へ、唇をよせて、


「あなたへ恩を売るわけではないが、予の胸一つで張繍一族を亡ぼすも生かすも自由だということは、お分りだろう。……さすれば、予がなんのために、そんな寛大な処置をとったか。……夫人」


 幅広い胸のなかに、がくりと、人形のような細い(うなじ)を折って仰向いた夫人は、曹操の火のような眸に会って、麻酔にかかったようにひきつけられた。


「予の熱情を、御身はなんと思う。……(みだ)らと思うか」


「い……いいえ」


「うれしいと思うか」


 たたみかけられて、夫人の鄒氏(すうし)はわなわなふるえた。蝋涙(ろうるい)のようなものが頬を白く流れる。――曹操は、唇をかみ、つよい眸をその(おもて)(きっ)とすえて、


「はっきりいえっ!」


 難攻の城を攻めるにも急激な彼は、恋愛にも持ち前の短気をあらわして武人らしく云い放った。

 すこし面倒くさくなったのである。


「おいっ、返辞をせんかっ」


 ゆすぶられた花は、露をふりこぼしてうつ向いた。そして唇のうちで、何かかすかに答えた。

 嫌とも、はいとも、曹操の耳には聞えていない。しかし曹操はその実、彼女の返辞などを気にしているのではない。


「何を泣く、さあ、涙を拭け」


 涙の残る鄒氏(すうし)の頬をなでた。
 今朝、賈詡(かく)のところへ、そっと告げ口にきた部下があった。
「軍師。お聞きですか」
「曹操のことだろう」
「そうです」

「急に、閣を引払って、城外の(とりで)へ移ったそうだな」


「そのことではありません」


「では、何事か」


「申すのは、ちとはばかりますが」


 と、小声を寄せて、鄒氏(すうし)と曹操との関係をはなした。

 賈詡(かく)は、その後で主君の張繍(ちょうしゅう)の座所へ出向いた。

 張繍も、それを聞いて、いやな顔をして、ふさいでいたが、いきなり鬱憤(うっぷん)を吐きだすようにいった。

「怪しからん! ――いかに(おご)り誇っているか知らんが、おれを(はずかし)めるにも程がある。おれはもう曹操などに屈してはいられないぞ」

「ごもっともです」


 賈詡は、張繍の怒っている問題にはふれないで、そっと答えた。


「……が、こういうことは、あまりお口にしないほうがよいでしょう。男女のことなどというものは論外ですからな」

「しかし、鄒氏も鄒氏だ……」


「まあ、胸をさすっておいで遊ばせ。その代りに、曹操へは、酬うべきものを酬うておやりになればよいでしょう」


 謀士賈詡は、何事か、侍臣を遠ざけて密語していた。

 すると次の日。

 城外に当る曹操の中軍へ、張繍がさりげなく訪ねてきて、


「どうも困りました。私を意気地ない城主と見限ったものか、城中の秩序がこのところゆるんでいるので、部下の兵が、勝手を振舞い、他国へ逃散(ちょうさん)する兵も多くて弱っておりますが」


 と、愚痴をこぼした。

 曹操は、彼の無智をあわれむように、打笑って、


「そんなことを取締るのは君、造作もないじゃないか。城外四門へ監視隊を備え、また、城の内外を、たえず督軍で見廻らせて、逃散の兵は、即座に、首を刎ねてしまえば、すぐやんでしまうだろう」


「そうも考えましたが、降服した私が、自分の兵とはいえ、貴軍へ無断で、配備をうごかしては……とその辺をはばかっておるものですから」


「つまらん遠慮をするね。君のほうは君の手で、びしびし軍律を正してくれなければ我軍としても困るよ」


 張繍は、心のうちで、「思うつぼ」と、歓んだが、さあらぬ顔して、城中へ帰ってくると、すぐその由を、賈詡に耳打ちした。

 賈詡はうなずいて、


「では、胡車児(こしゃじ)をこれへ、お呼び下さい。私からいいつけましょう」

 と、いった。

 城中第一の勇猛といわれる胡車児はやがて呼ばれて来た。毛髪は赤く、(わし)のような男である。力能く五百斤を負い、一日七百里(支那里)を馳けるという異人だった。

「胡車児。おまえは、曹操についている典韋(てんい)と戦って、勝てる自信があるか」


 賈詡が問うと、胡車児は、すこぶるあわてた顔いろで、顔を横にふった。


「世の中に誰も恐ろしい奴はありませんが、あいつには勝てそうもありません」


「しかし、典韋を除いてしまわなければ曹操は討てない」


「それなら、策があります。典韋は酒が好きですから、事によせて、彼を酔いつぶしてしまえば良いです」


「なるほど、典韋を酔いつぶして、彼の(ほこ)さえ奪っておけば、おまえにも彼を打殺すことができるだろう」
「造作もありません」

 胡車児は、大きな八重歯をむきだして笑った。



 本尊様と狛犬(こまいぬ)のように、常に、曹操のいる室外に立って、爛々(らんらん)と眼を光らしている忠実なる護衛者の典韋は、

「ああ、眠たい」


 閑なので、欠伸(あくび)をかみころしながら、司令部たる中軍の外に舞う白い蝶を見ていた。


「もう、夏が近いのに」

 と、無聊(ぶりょう)()んだ顔つきして、同じ所を、十歩あるいては十歩もどり、今度の遠征ではまだ一度も血にぬらさない手の戟を、あわれむ如くながめていた。

 かつて、曹操が兗州(えんしゅう)から起つに当って、四方の勇士を募った折、(げき)に応じて臣となった典韋は、その折の採用試験に、怪力を示して、曹操の口から、

(そちは、(いん)紂王(ちゅうおう)に従っていた悪来にも劣らぬ者だ)

 といわれ、以来、典韋と呼ばれたり、悪来とも呼ばれたりしてきた彼である。

 だが、その悪来典韋も、狛犬がわりに、戟を持って、この長日を立っているのは、いかにも気だるそうであった。

「こらっ、何処へゆく」

 ふと、ひとりの兵が、閣の廊をうかがって、近づいて来たので、典韋はさっそく、退屈しのぎに、呶鳴りつけた。

 兵は、膝をついて、彼を拝しながら、手紙を出した。


「あなたが、典韋様ですか」


「なんだ、おれに用か」


「はい、張繍様からのお使いです」


「なるほど、おれへ宛てた書状だが、はて、何の用だろう」


 ひらいてみると、長いご陣中の無聊をおなぐさめ申したく、粗樽(そそん)をもうけてお待ちしているから明夕(みょうせき)城中までお越し給わりたい――という招待状であった。


「……久しく美酒も飲まん」


 典韋は、心のなかで呟いた。翌日は、昼のうちだけ非番だし、行こうと決めて、


「よろしくお伝えしてくれ」

 と、約束して使いの兵を帰した。

 次の日、まだ日の暮れないうちから出向いて、二更の頃まで、典韋は城中で飲みつづけた。そしてほとんど、歩くのもおぼつかない程、泥酔して城外へもどって来た。

「主人のいいつけですから、私が中軍までお送りします。わたくしの肩におつかまり下さい」

 一人の兵が、介抱しながら、親切に体を(たす)けてくれる。見るときのう手紙を持って使いに来た兵である。


「おや、おまえか」


「ずいぶんご機嫌ですな」


「何しろ一斗は飲んだからな。どうだ、この腹は。あははは、腹中みな酒だよ」


「もっと飲めますか」


「もう飲めん。……おや、おれは随分、大漢(おおおとこ)のほうだが、貴様も大きいな。背がほとんど同じぐらいだ」


「あぶのうございます。そんなに私の首に捲きつくと、私も歩けません」


「貴様の顔は、すごいな。髯も髪の毛も、赤いじゃないか」


「そう顔を撫でてはいけません」


「なんだ、鬼みたいな(つら)をしながら」


「もうそこが閣ですよ」


「何、もう中軍か」


 さすがに、曹操の室の近くまで来ると、典韋は、ぴたとしてしまったが、まだ交代の時刻まで間があったので、自分の部屋へはいり込むなり前後不覚に眠ってしまった。
「お風邪をひくといけませんよ。……ではこれでお暇いたしますよ」
 送ってきた兵は、典韋の体をゆり動かしたが、典韋の鼾声(いびき)は高くなるばかりであった。
「……左様なら」
 胡車児(こしゃじ)は、後ずさりに、出て行った。その手には、典韋の(ほこ)を、いつのまにか奪りあげて持っていた。


 曹操はこよいも、鄒氏(すうし)と共に酒を酌みかわしていた。

 ふと、杯をおいて、

「なんだ、あの馬蹄の音は」と、怪しんで、すぐ侍臣を見せにやった。


 侍臣は、帰ってきて、

「張繍の隊が、逃亡兵を防ぐため、見廻りしているのでした」と、告げた。


「ああそうか」


 曹操は、疑わなかった。

 けれどまた、二更の頃、ふいに中軍の外で、吶喊(とっかん)の声がした。


「見てこい! 何事だ?」


 ふたたび侍臣は馳けて行った。そして帳外からこう復命した。

「何事でもありません。兵の粗相から馬糧を積んだ車に火がついたので、一同で消し止めているところです」


「失火か」


 すると、それから間もなく、窓の隙間に、ぱっと赤い火光が映じた。宵から泰然とかまえていた曹操も、ぎょッとして、窓を押し開いてみると、陣中いちめん黒煙(くろけむり)である。それにただ事ならぬ喊声(かんせい)と人影のうごきに、


典韋(てんい)っ、典韋!」

 と呼びたてた。

 いつになく、典韋も来ない。

「――さては」

 と、彼はあわてて鎧甲(よろいかぶと)を身につけた。

 一方の典韋は、宵から大鼾(おおいびき)で眠っていたが、鼻をつく煙の異臭に、がばとはね起きてみると、時すでに遅し、――(とりで)の四方には火の手が上がっている。

 すさまじい喊殺(かんさつ)の声、打鳴らす鼓の響き。張繍(ちょうしゅう)の寝返りとはすぐ分った。

「しまった! (ほこ)がない」


 さしもの典韋もうろたえた。

 しかも暑いので、半裸体で寝ていたので、具足をつけるひまもなかった。

 ――がそのまま彼は外へ躍りだした。

「典韋だ! 悪来(あくらい)だ!」

 敵の歩卒は、逃げだした。

 その一人の腰刀を奪い、典韋は、滅茶苦茶に斬りこんだ。

 (とりで)の門の一つは、彼ひとりの手で奪回した。しかしまたたちまち、長槍を持った騎兵の一群が、歩卒に代って突進して来た。

 典韋は、騎士歩卒など、二十余人の敵を斬った。刀が折れると、槍を奪い、槍がササラのようになると、それも捨てて左右の手に敵兵二人をひッさげ、縦横にふり廻して暴れまわった。

 こうなると、敵もあえて近づかなかった。遠巻きにして、矢を射はじめた。半裸体の典韋に矢は仮借(かしゃく)なく注ぎかけた。

 それでも典韋は、寨門(さいもん)を死守して、仁王のごとく突っ立っていた。しかし余り動かないので恐々(こわごわ)と近づいてみると、五体に毛矢(けや)を負って、まるで毛虫のようになった典韋は、天を睨んで立ったまま、いつの間にか死んでいた。

 かかる間に、曹操は、

(むな)しくこんな所で死すべからず――」


 とばかり、馬の背にとび乗って、一散に逃げだした。

 よほど機敏に逃げたとみえ、敵も味方も知らなかった。ただ甥の曹安民(そうあんみん)ただ一人だけが裸足で後からついて行った。

 しかし、曹操逃げたり! とは直ぐ知れ渡って、敵の騎馬隊は、彼を追いまくった。追いかけながら、ぴゅんぴゅんと矢を放った。

 曹操の乗っている馬には三本の矢が立った。曹操の左の(ひじ)にも、一(せん)突き通った。

 徒歩の安民は、逃げきれず、大勢の敵の手にかかって、なぶり殺しに討たれてしまう。

 曹操は、傷負(ておい)の馬に鞭うちながら、ざんぶと、淯水(いくすい)の河波へ躍りこんだが、彼方の岸へあがろうとした途端に、また一矢、闇を切ってきた(やじり)に、馬の眼を射ぬかれて、どうと、地を打って倒れてしまった。


 淯水の流れは暗い。もし昼間であったら紅に染まっていたろう。

 曹操も満身血しお、馬も血みどろであった。しかも馬はすでに再び起たない。

 逃げまどう味方の兵も、ほとんどこの河へ来て討たれた様子である。

 曹操は、身一つで、ようやく岸へ這いあがった。

 すると闇の中から、

「父上ではありませんか」

 と、曹昂(そうこう)の声がした。

 曹昂は、彼の長子である。

 一群の武士と共に、彼も九死に一生を得て、逃げ落ちてきたのであった。

「これへお乗りください」

 曹昂は、鞍をおりて、自分の馬を父へすすめた。


「いい所で会った」


 曹操はうれしさにすぐ跳び乗って馳けだしたが、百歩とも駈けないうちに、曹昂は、敵の乱箭(らんせん)にあたってしまった。


「わたくしに構わないでお落ち下さい」
 そう言い残して死んだ。
 曹操は、自分の拳で自分の頭を打って悔いた。
「俺は、なんて愚かなことを、――ああ、ゆるせよ曹昂」

 彼は、夜どおし逃げ走った。

 二日ほど経つと、ようやく、彼の無事を知って、離散した諸将や残兵も集まって来た。

 折も折、そこへまた、

于禁(うきん)が謀叛を起して、青州の軍馬を殺した」といって、青州の兵らが訴えてきた。

 青州は味方の股肱(ここう)夏侯惇(かこうじゅん)の所領であり、于禁も味方の一将である。

「わが足もとの混乱を見て、乱を企むとは、憎んでも余りある奴」


 と、曹操は激怒して、直ちに于禁の陣へ、急兵をさし向けた。

 于禁も、先頃から張繍攻めの一翼として、陣地を備えていたが、曹操が自分へ兵をさし向けたと聞くと、慌てもせず、


塹壕(ざんごう)を掘って、いよいよ備えを固めろ」

 と、命令した。

 彼の臣は日頃の于禁にも似あわぬことと、彼を諫めた。

「これはまったく青州の兵が、丞相に讒言(ざんげん)をしたからです。それに対して、抵抗しては、ほんとの叛逆行為になりましょう。使いを立てて明らかに事情を陳弁なされてはいかがですか」

「いや、そんな間はない」


 于禁は陣を動かさなかった。

 その後、張繍の軍勢も、ここへ殺到した。しかし于禁の陣だけは一糸みだれず戦ったので、よくそれを防ぎ、遂に撃退してしまった。

 その後で、于禁は、自身で曹操をたずねた。そして青州の兵が訴え出た件は、まったく事実とあべこべで、彼らが、混乱に乗じて、掠奪をし始めたので、味方ながらそれを討ち()らしたのを恨みに思い、虚言を構えて、自分を陥さんとしたものであると、明瞭に云い開きを立てた。

「それならばなぜ、予が向けた兵に、反抗したか」
 と、曹操が詰問すると、

「――されば、身の罪を弁疏(いいわけ)するのは、身ひとつを守る私事です。そんな一身の安危になど気をとられていたら、敵の張繍に対する備えはどうなりますか。仲間の誤解などは後から解けばよいと思ったからです」


 と、于禁は明晰(めいせき)に答えた。

 曹操はその間、じっと于禁の面を正視していたが、于禁の明快な申し立てを聞き終ると、

「いや、よく分った。予が君に抱いていた疑いは一掃した」


 と、于禁へ手をさしのべ、力をこめて云った。


「よく君は、公私を分別して、混乱に惑わず、自己一身の誹謗(ひぼう)を度外視して、味方の防塁を守り、しかも敵の急迫を退けてくれた。――真に、君のごとき者こそ、名将というのだろう」


 と、口を極めて賞讃し、特にその功として、益寿亭侯(えきじゅていこう)に封じ、当座の賞としては、黄金の器物一(そえ)をさずけた。

 また。

 于禁を(そし)って訴えた青州の兵はそれぞれ処罰し、その主将たる夏侯惇(かこうじゅん)には、

「部下の取締り不行届きである」

 との理由で、譴責(けんせき)を加えた。

 曹操は今度の遠征で、人間的な半面では、大きな失敗を喫したが、一たん三軍の総帥に立ち返って、武人たるの本領に復せば、このように賞罰明らかで、いやしくも軍紀の振粛をわすれなかった。

 賞罰のことも片づくと、彼はまた、祭壇をもうけて、戦没者の霊を弔った。

 その折、曹操は、全軍の礼拝に先だって、香華の壇にすすみ、涙をたたえて、

「典韋。わが拝をうけよ」

 と、いった。

 そして、瞑目(めいもく)久しゅうして、なお去りやらず、三軍の将士へ向って、

「こんどの戦で、予は、長子の曹昂(そうこう)と、愛甥(あいせい)の曹安民とを亡くした。予は、痛ましく思う。……それに加え、日常、予に忠勤を励んだ悪来の典韋を死なせてしまった。――典韋すでに亡しと思うと、予は泣くまいとしても、どうしても泣かずにはおられない」

 と、流涕(りゅうてい)しながらいった。

 粛として、彼の涙をながめていた将士は、みな感動した。

 もし曹操の為に死ねたら幸福だというような気がした。

 何せよ、曹操は、惨敗した。

 しかし味方の心を緊め直したことにおいては、その失敗も(つぐな)って余りがあった。

 逆境を転じて、その逆境をさえ、前進の一歩に加えて行く。――そういうこつを彼は知っていた。

 故あるかな。

 過去をふりむいて見ても、曹操の勢力は、逆境のたびに、躍進してきた。

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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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