第121話、器

文字数 5,404文字

 呉侯の妹、劉備の夫人は、やがて呉の都へ帰った。

 孫権はすぐ妹に(ただ)した。


「周善はどうしたか」


「途中、江の上で、張飛や趙雲に(はば)められ、斬殺されました」


「なぜ、そなたは、阿斗(あと)を抱いてこなかったのだ」


「その阿斗も、()り上げられてしまったのです……それよりは、母君のご病気はどうなんです。すぐ母君へ会わせて下さい」


「会うがよい、母公の後宮(こうきゅう)へ行って」


「ではまだ……ご容体は」


「至極、お達者だ」


「えっ。お達者ですって」


「女は女同士で語れ」


 いぶかる妹を、(にべ)もなく後宮へ追い立て、孫権はすぐ政閣へ歩を移して、群臣に宣言した。


「予の妹は、劉備の留守に、その家臣どもから追われ、今日、呉へ立ち帰った。かくなる上は、呉と荊州とは、事実上、なんらの縁故もないことになった。即時、大軍を起して、荊州を収め、多年の懸案を一挙に解決してしまおうと思う。それについて、策あらば申し立てよ」


 すると、議事の半ばに、江北の諜報(ちょうほう)がとどいて、


「曹操四十万の大軍を催し、赤壁の仇を報ぜんと、刻々、南下して参る由」と、あった。

 俄然、軍議は緊張を呈した。

 ところへまた、内務吏から、

「重臣の張紘(ちょうこう)、先頃から病中にありましたが、今朝、息をひきとるにあたり、遺言の一書を、わが君へと、(したた)め終って果てました」

「なに、張紘が死んだ」


 折も折である。呉の建業以来の功臣。孫権は涙しながらその遺書を見た。

 張紘の遺書には縷々(るる)として、生涯の君恩の大を謝してあった。そして、自分は日頃から、呉の都府は、もっと中央に地の利を占めなければならぬと考え、諸州にわたって地理を按じていたが、秣陵(まつりょう)南京(ナンキン)附近)の山川こそ実にそれに適している。万世の業礎(ぎょうそ)を固められようとするなら、ぜひ遷都(せんと)を実現されるように。これこそいま終りに臨んでなす最後のご恩報じの一言であると結んであった。


「忠義なものである。この忠良な臣の遺言をなんで反古(ほご)にしてよいものではない」


 孫権は、一方には、刻々迫る戦機を見ながら、一面直ちに、その居府を、建業(江蘇省(こうそしょう)・南京)へ(うつ)した。

 かくてその地には、白頭城が築かれ、旧府の市民もみな移ってきた。

 また、呂蒙(りょもう)の意見を容れて、濡須(じゅしゅ)安徽省(あんきしょう)巣湖(そうこ)長江(ちょうこう)の中間)の水流の口から一帯にかけて、(つつみ)を築いた。これに使役される人夫は日々数万人、呉の国力の(さかん)なることは、こうした土木建築にも遺憾なくあらわれた。

 もちろんこれは、やがて来るべきものに対する国防の一端である。来るべきもの、それは曹操の南下だ。

 曹操はそれよりもずっと早くから宿望の南征と呉への報復にもっぱら軍備の拡充を計っていた。

 すでに四十万の大編制は、

「いつでも」と、いう態勢を整えたので、いよいよ許都を発しようとすると、長史董昭(とうしょう)(おも)ねって彼にこうすすめた。

「およそ古来から、臣として、丞相のような大功をあげられた御方は、これを歴史に見ても、求めることはできません。周公も呂望(りょぼう)も、比較にはならないでしょう。乱世に立って、群盗乱臣を平らげ、風に(くしけず)り雨に(ゆあ)みし給うなど、三十余年、万民のために、また漢朝のために、身をくだかれて来たことは、ひとしく天人ともに知るところです。今はよろしく、魏公(ぎこう)の位に登って、九錫(きゅうしゃく)を加え、その威容功徳を、天下に見せ示すべきでありましょう」

 どんな英傑でも、年齢(とし)と境遇の推移とともに、人間のもつ平凡な弱点へひとしく落ちてしまうのは是非ないものとみえる。

 むかし青年時代、まだ宮門の一警手にすぎなかった頃の曹操は、胸いっぱいの志は燃えていても、地位は低く、身は貧しく、たまたま、同輩の者が、上官に()びたり甘言につとめて、立身を計るのを見ると、(何たるさもしい男だろう)と、その心事を(あわれ)み、また部下の甘言をうけて、人の()びを喜ぶ上官にはなおさら、侮蔑(ぶべつ)を感じ、その愚をわらい、その(へい)唾棄(だき)したものであった。

 実に、かつての曹操は、そういう颯爽たる気概をもった青年だった。

 ところが、近来の彼はどうだろう。赤壁の役の前、観月の船上でも、うたた自己の老齢をかぞえていたが、老来まったく青春時代の逆境に(うそぶ)いた姿はなく、ともすれば、耳に甘い近側のことばにうごく傾向がある。

 彼もいつか、むかしは侮蔑(ぶべつ)し、唾棄(だき)し、またその愚を笑った上官の地位になっていた。しかも、今の彼たるや人臣の栄爵を極め、その最高にある身だけに、その巧言令色(こうげんれいしょく)にたいする歓びも受けいれかたも、とうてい、宮門警手の一上官などの比ではない。

 いま重臣董昭(とうしょう)から、

(この際、魏公の位に登って九錫を加えられては如何ですか)

 と、すすめられると、曹操はなにをはばかる考えもなくすぐに、

(そうだ、なぜ自分は、今まで九錫を持たなかったろう)


 と、すぐその気になって、朝廷にそのゆるしを求めた。もちろんその意のままになる。彼は以後、魏公と称し、出るも入るも、九錫の儀仗に護られる身となった。


 それを知った荀彧(じゅんいく)はかなしんだ。以前の曹操とは次第に変ってくるのを冷静に彼のそばで眺めていたのは、彼よりは年下のこの荀彧という忠良な一忠臣だった。


「丞相。すこしあなたも、お年をお召しになり過ぎはしませんか」

「なぜだ」


「愚に返ったところがお見うけされます」


「予が九錫の礼を持ったことをいうのか」


 勃然(ぼつぜん)と、曹操は、色をうごかした。荀彧は、静かに、


「そうです。功いよいよ高きほど、ご自身は、退謙(たいけん)をお示しあるべきです。しからずんば、せっかく、三十余年、旗に漢室への忠誠をかざし、口に万民のためと称しながら、結局、あなたご自身の慾望に過ぎなかったということになりましょう。弱冠、生死の迷妄(めいもう)を捨て、百戦苦闘、今日を築いてきながら、その精神と節操を、門の飾りや往来の見得などと取替えるなどは、実につまらぬ人生の落ちではありませんか」

 涙をふくんで(いさ)めると、曹操はぷいと席を去って、


「おい、董昭(とうしょう)をよべ」

 と、近侍へいいつけながら、大歩して去ってしまった。

 以来、荀彧は、病と称して、自邸にひき籠ってしまった。建安十七年冬十月、いよいよ南下の大軍は都を出ることになったが、彼はなお、曹操から呼びに来ても、

「このたびはお供できません」


 と、参加を辞した。

 荀彧のもとへ使者が来た。

魏公(ぎこう)からのお見舞いである」

 食物を入れる器だった。

 見ると、器の上には、

「曹操(ミズカ)ラ之ヲ(フウ)ス」
 という紙がかけてある。あとで開いてみると、器の中には何も入っていなかった。

「お気持は分った。……ああ」


 荀彧(じゅんいく)は、その夜、自ら毒をのんで死んだ。



 すでに南征の大軍は、水陸から続々と呉へ下っていた。

 途中、曹操へ、都から知らせがあった。

「荀彧が毒をのみました」



「……自害したか」


 曹操は瞼をとじた。ほろ苦い眉をひそめて。

 しばらく黙っていたが、やがて、


「荀彧は、ちょうど五十歳だったな。不愍なことをした、敬侯(けいこう)(おくりな)してやれ」


 それきり何もいわなかった。多少、悔ゆる色がないでもない。

 日をかさねて、行軍は安徽省(あんきしょう)に入り、濡須(じゅしゅ)の堤を前にして、二百余里にわたる陣を()いた。


「まず、敵の大勢を見よう」


 曹操は、山へ登った。そして遥かに、呉の陣を見わたすと、長江の支流は百(ちょう)のように曠野(こうや)を縦横にうねり、その一つの大きな江には数百艘の兵船が望まれる。

 敵はその辺りを中枢(ちゅうすう)として水陸に充満していた。船櫓(せんろ)の鳴るところ旗ひらめき、剣槍のかがやくところ士馬の(こえ)(ふる)い、草木もこぞって、国を防ぐために(おのの)いているかと思われた。

「ああさすがに呉は南方の強国だ。この士気では油断はできぬ。汝らも努めてふたたび赤壁の不覚をくりかえすなよ」

 左右の大将を戒めながら彼が山を降りかけた時である。

 山の麓近くの江から忽然(こつぜん)喊声(かんせい)が起った。いつのまにか附近の蘆荻(ろてき)の陰から無数の小艇があらわれ、呉の精猛が煙のように堤をこえて突貫して来る。まさに、魏の中軍へいきなり(くさび)を打ちこんできたかたちだ。

退()くな。奇襲の敵は少数ときまっている」


 曹操は、山を降りると、敢然、陣頭に出て乱れ立つ味方をととのえた。

 すると彼方の堤の上に、青羅(せいら)傘蓋(さんがい)をかざし、星の如き群将に守られていた呉侯孫権が曹操を認めると、馬をとばして馳けてきた。


「赤壁の亡将、まだ生命をぬすんでいたか」


 その声に、曹操は振り向いた。

 碧眼(へきがん)紫髯(しぜん)、胴長く、脚短く、しかも南人特有な精悍(せいかん)の気満々たる孫権。槍をふるって、石弾の如く突いてきた。


「何者だっ」

 わざと曹操は大喝した。自分よりはるかに若い孫権と、剣槍をもって闘う気はない。威だけを示して逃げようとした。


「逃ぐるなかれ。魏賊」


 と、その気を察して、孫権の左右から、韓当(かんとう)周泰(しゅうたい)のふたりが分れて、曹操のうしろへ迫った。

 危地に陥ったかと曹操の身が困難に見えたとき、彼の味方もまた、鼓を鳴らして、孫権のうしろを突きくずし、乱軍の(そう)を呈しかけた(しお)に、魏の許褚(きょちょ)は、刀を舞わして周泰、韓当を退け、辛くも曹操を救い出して、中軍へ帰った。

 この晩、いちど退いたかとみえた呉軍が夜半(よなか)にまた、四面の野や小屋に火をはなって、夜襲して来た。

 遠征の疲労にあった魏の兵は、不覚にも不意をくって、呉の勢に馳け破られ、おびただしい死者をすてて総軍五十里ほど陣を退くのやむなきに立ち至った。


「われながら、まずい(いくさ)


 曹操は悶々(もんもん)、自己を責めた。幾日かを空しく守りながら陣小屋の内にかくれて、じっと軍書にばかり眼をさらしていた。

 なにか、天来の妙計を、それから求めようとしている悶えがわかる。跫音(あしおと)をしのばせて、そっと入ってきた程昱(ていいく)が、


「丞相。おつかれではありませぬか」
 と、声ひくく慰めた。
「……おお、程昱か。呉の堅陣に対して打つ手がない。初手(しょて)の戦も、彼の攻勢に、味方はようやく防いだのみだ」
「そもそも。このたびのご出陣は遷延(せんえん)また遷延をかさね、ちと遅すぎました。ゆえに呉は国防に全力を()し、その期間に濡須(じゅしゅ)の堤まで築いてしまった程です。()かず、一度引揚げて、ふたたびご出征を図られてはどうですか」

 その晩、曹操は、ふしぎな夢を見た。焔々(えんえん)たる日輪が雲を捲いて、空中から大江の波間に落ちたとみて眼がさめたのである。



 翌建安十八年、正月となっても、はかばかしい戦況の展開はなく、二月に入ると、毎日、ひどい大雨がつづいて、戦争どころでなくなってしまった。

 人類がこの地上で遭遇した大雨の記録を破ったろうと思われるほどな雨量だった。日夜大雨はやまず、陣小屋も馬つなぎも、ことごとく流され、曹操の中軍すら、(いかだ)を組んで、遥かな北方の山上へ移って行ったような有様だった。

 次には当然、食糧難が起ってきた。兵はうらみを含み郷愁を思う。

 諸将の意見もまちまちだった。硬論を主張するものは、陽春の候もやがて近し、死馬を喰って頑張っても、その時を待って一戦を決せずんば、遥かに南下した(かい)もないという。

 こういう状態の中へ、呉侯孫権から一書が来た。文に(いわ)く。

予モ君モ共ニ漢朝ノ臣タリ、マタ民ヲ(ヤス)ンズルヲ以テ徳トシ任トスル武門ノ棟梁(トウリョウ)デハナイカ。仁者相争ウヲ(ワラ)ッテカ天ハ洪々(コウコウ)ノ春水ヲ(ミナギ)ラシ、君ノ帰洛ヲ促シテイル。賢慮セヨ君、再ビ赤壁ノ愚ヲ繰返スコトナキヲ。

建安十八年春二月呉侯孫権書。


 ふと、書簡の裏を見ると、


貴殿不死(ソッカシナズンバ)

孤不得安(ワレヤスキヲエズ)


 と、書いてある。

 曹操は苦笑して、次の日、


「帰ろう」

 あっさりと、引揚げを命令した。

 呉軍も、それを見て、みな秣陵(まつりょう)の建業(南京)へ帰った。

 孫権はすっかり自信を得て、


「曹操すら恐れて帰った。いま劉備は蜀境に動いている。この時をおかず荊州へ進もうではないか」

 と、群臣に(はか)った。

 宿老の張昭は、いつも若い孫権に歯止めの役割をしていたが、このときも次のようにいった。

(しょく)劉璋(りゅうしょう)へ、一書をおつかわしあって、劉備は呉へ後詰(ごづめ)を頼んできている。必ずや蜀を横奪(おうだつ)する考えにちがいない、とまず劉璋を疑わせ、また漢中の張魯(ちょうろ)へも、物資軍需の援助を云いやり、しばらく劉備を苦しませて、後おもむろに荊州を取るのが一番の良策でしょう」
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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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