第33話、袁紹の策略、趙雲登場

文字数 8,207文字

 その後。

 ――焦土の洛陽(らくよう)に止まるも是非なしと、諸侯の兵も、ぞくぞく本国へ帰った。

 袁紹(えんしょう)も、兵馬をまとめて一時、河内郡(かだいぐん)河南省(かなんしょう)懐慶(かいけい))へ移ったが、大兵を擁していることとて、立ちどころに、兵糧に窮してしまった。

「兵の給食も、極力、節約を計っていますが、このぶんでゆくと、今に乱暴を始め出して、民家へ掠奪に(はし)るかもしれません。さすれば将軍の兵馬は、たちまち土匪(どひ)と変じます。昨日の義軍の総帥もまた、土匪の頭目と人民から見られてしまうでしょう」


 兵糧方の部将は、それを憂いて幾たびも、袁紹へ、対策を促した。

 袁紹も、今は、見栄を張っていられなくなったので、


「では、冀州(きしゅう)河北省(かほくしょう)・中南部)の太守韓馥(かんふく)に、事情を告げて、兵糧の(もと)を借りにやろう」


 と、書状を書きかけた。

 すると、逢紀(ほうき)という侍大将のひとりが、そっと、進言した。


大鵬(たいほう)は天地に縦横すべしです。なんで区々たる窮策を告げて、人の(たすけ)などおたのみになるのでござるか」


「逢紀か。いや、ほかに策があれば、なにも韓馥などに借米はしたくないが、なにか汝に名案があるのか」


「ありますとも。冀州は富饒(ふじょう)の地で、粮米(ろうまい)といわず金銀五穀の豊富な地です。よろしく、この国土を奪取して、将来の地盤となさるべきではありますまいか」


「それはもとより望むところだが、どういう計をもってこれを()るか」


「ひそかに北平(ほくへい)(河北省・満城附近)の太守公孫瓚(こうそんさん)へ使いを派し、冀州を()って、これを()け奪りにしようではないか。――そういってやるのです」


「むム」

「必ずや、公孫瓚も食指をうごかすでしょう。そうきたら、将軍はまた、一方韓馥へも内通して、力とならんといっておやりなさい。臆病者の韓馥は、きっと将軍にすがります。――その後の仕事は(たなごころ)にありというものでしょう」


 袁紹は歓んで直ちに、逢紀の献策を、実行に移した。

 冀州の(ぼく)、韓馥は、袁紹から書面を受けて、何事かとひらいてみると、

(北平の公孫瓚、ひそかに大兵を催し、貴国に攻め入らんとしておる。兵備、怠り給うな)

 という忠言だった。

 調べてみると、事実、公孫瓚は兵を集めていた。

 もちろん、その袁紹が、公孫瓚を使嗾(しそう)しているなどとは知らないので、韓馥は大いに驚いて、群臣と共に、どうしたものかと、評議にかけた。


 

「この忠言をしてくれた袁紹は、先に十八ヵ国の軍にのぞんで総帥(そうすい)たる人。また、智勇衆望も高い名門の人物。よろしくこの人のお力を頼んで、慇懃(いんぎん)、冀州へお迎えあるがしかるべきでございましょう。――袁紹お味方と聞えなば、公孫瓚たりといえども、よも手出しはできますまい」

 群臣の重なる者は、みなその意見だった。

 韓馥も、また、「それはよからん」と、同意した。

 ひとり長史耿武(こうぶ)は、憤然と、その非をあげて(いさ)めた。

 けれど、彼の直言は、用いられなかった。評定は紛論(ふんろん)におちいり、耿武の力説を正しとして、席を蹴って去る者三十人に及んだ。

 耿武も遂に、用いられないことを知って、


「やんぬる(かな)!」

 と、即日、官をすてて姿をかくした。

 けれど、彼は忠烈な士であったから、みすみす主家の亡ぶのを見るに忍びず、日を待って、袁紹が冀州へ迎えられる機会をうかがっていた。

 袁紹はやがて、韓馥の迎えによって、堂々と、国内の街道へ兵馬を進めてきた。――忠臣耿武は、その日を剣を握って、道の辺の木陰に待ちかまえていた。

 耿武(こうぶ)は、身を挺して、袁紹(えんしょう)を途上に刺し殺し、そして君国の危殆(きたい)を救う覚悟だった。

 すでに袁紹の列は目の前にさしかかった。

 耿武は、剣を躍らせて、


「汝、この国に入るなかれ」


 と、さけんで、やにわに、袁紹の馬前へ近づきかけた。


狼藉者(ろうぜきもの)っ」


 侍臣たちは、立騒いで防ぎ止めた。大将顔良(がんりょう)は、


「無礼者っ」

 と、一喝して斬りさげた。

 耿武は、天を睨んで、

「無念」

 と云いざま、剣を、袁紹のすがたへ向って投げた。

 剣は、袁紹を貫かずに、彼方(かなた)の楊柳の幹へ突刺さった。

 袁紹は、無事に冀州へ入った。太守韓馥(かんふく)以下、群臣万兵、城頭に旌旗(せいき)を掲げて、彼を国の大賓として出迎えた。

 袁紹は、城府に居すわると、

「まず、(まつり)を正すことが、国の強大を計る一歩である」


 と、太守韓馥を、奮武(ふんぶ)将軍に封じて、(てい)よく、自身が藩政を執り、もっぱら人気取りの政治を布いて、田豊(でんほう)沮授(そじゅ)逢紀(ほうき)などという自己の腹心を、それぞれ重要な地位へつかせたので、韓馥の存在というものはまったく薄らいでしまった。

 韓馥は、(ほぞ)を噛んで、


「ああ、われ過てり。――今にして初めて、耿武の忠諫(ちゅうかん)が思いあたる」

 と、悔いたが、時すでに遅しであった。彼は日夜、懊悩煩悶(おうのうはんもん)したあげく、終に陳留(ちんりゅう)(はし)って、そこの太守張邈(ちょうばく)(もと)へ身を寄せてしまった。


 一方。

 北平の公孫瓚(こうそんさん)は、「かねての密約」と、これも袁紹の前言を信じて、兵を進めて来たが、冀州(きしゅう)はもう袁紹の()に落ちているので、弟の公孫越を使者として、


「約定のごとく、冀州は二分して、一半の領土を当方へ譲られたい」
 と、申込むと、袁紹は、
「よろしい。しかし、国を分つことは重大な問題だから、公孫瓚自身参られるがよい。必ず、約束を履行するであろう」

 と、答えた。

 公孫越は満足して、帰路についたが、途中、森林のうちから雨霰(あめあられ)の如き矢攻めに遭って、無残にも、立往生のまま射殺されてしまった。

 それと聞えたので、公孫瓚の怒りは、いうまでもないこと。一族みな、血をすすって、袁紹の首を引っさげずに、なんで、再び郷土の民にまみえんや――とばかり盤河(ばんが)の橋畔まで押して来た。

 橋を挟んで、冀州の大兵も、ひしめき防いだ。中に袁紹の本陣らしい幡旗(はんき)がひるがえって見える。

 公孫瓚は、橋上に馬をすすませて、大音に、

「不義、破廉恥(はれんち)、云いようもなき人非人(ひとでなし)の袁紹、いずこにあるぞ。――恥を知らば()でよ」


「何を」
 と、袁紹も、馬を躍らせて来て、盤河橋を踏まえ、
「韓馥は、身不才なればとて、この袁紹に、国を譲って、閑地へ後退いたしたのだ。――破廉恥とは、汝のことである。他国の境へ、狂兵を駆り催してきて、なにを(かす)()らんとする気か」

「だまれっ袁紹。先つ頃は、共に洛陽に入り、汝を忠義の盟主と奉じたが、今思えば、天下の人へも恥かしい。狼心狗行(ろうしんくこう)曲者(くせもの)めが、なんの面目(めんぼく)あって、太陽の下に、いけ図々(ずうずう)しくも、戯れ言を吐きちらすか」


「おのれよくも雑言を。――誰かある、彼奴(きゃつ)生擒(いけど)って、あの舌の根を抜き取れ」
「私が」
「頼んだぞ。文醜」

 文醜(ぶんしゅう)は、袁紹の旗下(きか)で豪勇第一といわれている男である。

 身丈(みのたけ)七尺をこえ、(おもて)は丸く浅黒かった。

 大将袁紹の命に、橋上へ馬を飛ばして来るなり、公孫瓚(こうそんさん)へ馳け向って戦を(いど)んで来た。


「下郎、推参(すいさん)

 槍を合わせて、公孫瓚も(ひる)まず争ったが、とうてい、文醜の敵ではなかった。

 ――これは(かな)わじ。

 と思うと、公孫瓚は、橋東の味方のうちへ、馬を打って逃げこんでしまった。


「汚し」
と文醜は、敵の中軍へ割って入り、どこまでも、追撃を思い止まらなかった。

(さえぎ)れ」

「やれ」

と、大将の危機と見て、公孫瓚の旗下、侍大将など、幾人となく、彼に当り、また幾重となく、文醜をつつんだが、みな蹴ちらされて、死屍累々(ししるいるい)の惨状を呈した。

「おそろしい奴だ」


 公孫瓚は、(きも)を冷やして、潰走する味方とも離れて、ただ一騎、山間の道を逃げ走ってきた。

 すると後ろで、


生命(いのち)おしくば、馬を降りて、降伏しろ。今のうちなら、生命だけは助けてくれよう」


 またも文醜の声がした。

 公孫瓚は、手の弓矢もかなぐり捨てて、生きた心地もなく、馬の尻を打った。馬はあまりに駆けたため、岩につまずいて、前脚を折ってしまった。

 当然、彼は落馬した。

 文醜はすぐ眼の前へ来た。


「やられた!」


 観念の眼をふさぎながら、剣を抜いて起きあがろうとした時、何者かが、上の崖から飛下りた。その壮漢は、文醜の前へ立ちふさがるなり、物もいわず槍を合わせて猛戦し始めたので、「天の扶け」とばかり公孫瓚は、その間に、山の方へ這い上がって、からくも危うい一命を拾った。

 文醜もついに断念して、引っ返したとのことに、公孫瓚は、兵を集めて、さて、


「きょう不思議にも、自分の危ういところを助けてくれた者は、一体どこの何人(なんぴと)か」

 と、部将に問うて、各隊を調べさせた。

 やがて、その人物は、公孫瓚の前にあらわれた。しかし、味方の隊にいた者ではなく、まったくただの旅人だということが知れた。

「ご辺は、どこへ帰ろうとする旅人か」

 公孫瓚の問いに、


「それがしは、常山真定(じょうざんしんてい)河北省(かほくしょう)正定(せいてい)の附近)の生れゆえ、そこへ帰ろうとする者です。趙雲(ちょううん)(あざな)子龍(しりゅう)と云います」

 眉濃く、眼光は大に、見るからに堂々たる偉丈夫だった。

 趙雲(ちょううん)は、つい先頃まで、袁紹の幕下にいたが、だんだんと袁紹のすることを見ているに、将来長く仕える主君でないと考えられてきたので、いっそ故郷へ帰ろうと思いここまで来たところだとも云い足した。


「そうか。この公孫瓚、とても、智仁兼備(ちじんけんび)の人間ではないが、ご辺に仕える気があるなら、力を合わせて、共に戦ってくれぬだろうか

 公孫瓚のことばに、趙雲は、


「ともかく、止まって、微力を尽してみましょう」

 と、約した。

 公孫瓚は、それに気を得て、次の日、ふたたび盤河(ばんが)の畔に立ち、北国産の白馬二千頭を並べて、大いに陣勢を張った。

 公孫瓚が、白い馬をたくさん持っていることは、先年、蒙古(もうこ)との戦に、白馬一色の騎馬隊を編制して、北の胡族(えびす)を打破ったので、それ以来、彼の「白馬陣」といえば、天下に有名になっていた。

「やあ、なかなか偉観だな」

 対岸にある袁紹は、河ごしに、小手をかざして、敵陣をながめながら云った。


顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)


「はっ」


「ふたりは、左右ふた手にわかれて、両翼の備えをなせ。また、屈強の射手千余騎に、麹義(きくぎ)を大将として、射陣を布け」


「心得ました」


 命じておいて、袁紹は旗下一千余騎、弩弓手(どきゅうしゅ)五百、槍戟(そうげき)の歩兵八百余に、(はん)旒旗(りゅうき)大旆(たいはい)などまんまるになって中軍を固めた。

 大河をはさんで、戦機はようやく熟して来る。東岸の公孫瓚は、敵のうごきを見て、部下の大将厳綱(げんこう)を先手とし、(すい)の字を金線で()った紅の旗をたて、

「いでや」と、ばかり河畔へひたひたと寄りつめた。

 公孫瓚は、きのう自分の一命を救ってくれた趙雲子龍(ちょううんしりゅう)を非凡な人傑とは思っていたが、まだその心根を充分に信用しきれないので、厳綱(げんこう)を先手とし、子龍にはわずか兵五百をあずけて、後陣のほうへまわしておいた。

 両軍対陣のまま、(たつ)(こく)から()の刻の頃おいまで、ただひたひたと河波の音を聞くばかりで、戦端はひらかれなかった。

 公孫瓚(こうそんさん)は、味方をかえりみて、「果てしもない懸引き、思うに、敵の備えは虚勢とみえる。一息に()つぶして、盤河橋(ばんがきょう)をふみ渡れ」と、号令した。

 たちまち、飛箭(ひせん)は、敵の陣へ降りそそいだ。

 時分はよしと、東岸の兵は、厳綱を真っ先にして、橋をこえ、敵の先陣、麹義(きくぎ)の備えへどっと当って行った。

 鳴りをしずめていた麹義は、合図ののろしを打揚げて、顔良、文醜の両翼と力をあわせ、たちまち、彼を包囲して大将厳綱を斬って落し、その「帥」の字の旗を奪って、河中へ投げこんでしまった。

 公孫瓚は、焦心(いら)だって、


「退くなっ」

 と、自身、白馬を躍らして、防ぎ戦ったが、麹義の猛勢に当るべくもなかった。のみならず、顔良、文醜の二将が、「あれこそ、公孫瓚」と目をつけて、厳綱と同じように、ふくろづつみに巻いて来たので、公孫瓚は、歯がみをしながら、またも、崩れ立つ味方にまじって逃げ退()いた。


「戦は、勝ったぞ」

 と、袁紹は、すっかり得意になって、顔良、文醜、麹義などの奔突(ほんとつ)してゆく後ろから、自身も、盤河橋をこえて、敵軍の中を荒しまわっていた。

 さんざんなのは、公孫瓚の軍だった。一陣破れ、二陣(つい)え、中軍は四走し、まったく支離滅裂(しりめつれつ)にふみにじられてしまったが、ここに不可思議な一備えが、後詰にあって、林のごとく、動かず騒がず、(しん)としていた。

 その兵は、約五百ばかりで、主将はきのう身を寄せたばかりの客将、趙雲子龍その人であった。

 なんの気もなく、

「あれ踏みつぶせ」

 と、麹義は、手勢をひいて、その陣へかかったところ、突如、五百の兵は、あたかも蓮花(はちす)の開くように、さっと、陣形を(ひろ)げたかと見るまに、()に物を握るごとく、敵をつつんで、八方から射浴びせ突き殺し、あわてて馬を返そうとする麹義を見かけるなり、趙雲は、馬を飛ばして、馬上から一気に彼を槍で突き殺した。

 趙雲は、なおも進んで敵の文醜、顔良の二軍へぶつかって行った。にわかに、対岸へ退こうとしても、盤河橋の一筋しか退路はないので、河に墜ちて死ぬ兵は数知れなかった。

 深入りした味方が、趙雲のために粉砕されたとはまだ知らない――袁紹(えんしょう)であった。

 盤河橋をこえて、陣を進め、旗下三百余騎に射手百人を左右に備え立て、大将田豊(でんほう)と馬をならべて、


「どうだ田豊。――公孫瓚も口ほどのものでもなかったじゃないか」


「そうですな」

「白馬二千を並べたところは、天下の偉観であったが、ぶッつけてみると一たまりもない。旗を河へ捨て、大将の厳綱を打たれ、なんたる無能な将軍か。おれは今まで彼を少し買いかぶっておったよ」


 云っているところへ、俄雨のように、彼の身のまわりへ敵の矢が集まって来た。


「や、や、やっ」

 袁紹は、あわてて、


「何処にいる敵が射てくるのか」
 と、急に備えを退いて、楯囲(たてがこ)いの中へかけ込もうとすると、
「袁紹を討って取れ」

 とばかり、趙雲の手勢五百が、地から湧いたように、前後から攻めかかった。

 田豊は、防ぐに(いとま)もなく、あまりに迅速な敵の迫力にふるい恐れて、


「太守太守、ここにいては、流れ矢にあたるか、生擒(いけど)られるか、滅亡をまぬかれません。――あれなる盤河橋の崖の下まで退いて、しばらくお(ひそ)みあるがよいでしょう」


「武将ならば戦場で死ぬのは本望だ。物陰にかくれて流れ矢になどあたったらよい物笑い。なんぞ、この()に、生きるを望まん」

 と、叫び、真っ先に、決死の馬を敵中へ突き進ませ、

「死ねや、者ども」


 とばかり力闘したので、田豊もそれに従い、他の士卒もみな獅子奮迅して戦った。

 かかるところへ逃げ崩れて来た顔良、文醜の二将が、袁紹と合体して、ここを先途(せんど)としのぎを削ったので、さしも乱れた大勢を、ふたたび盛り返して、四囲の敵を追い、さらに勢いに乗って、公孫瓚(こうそんさん)の本陣まで打ち砕いた。


 趙雲の働きによって、味方の旗色は優勢と――公孫瓚の本陣では、ほっと一息していたところへ、怒濤のように、袁紹を真っ先として、田豊、顔良、文醜などが一斉に突入して来たので、公孫瓚は、馬をとばして、逃げるしか策を知らなかった。

 いつのまにか、盤河の畔は、みな袁紹軍の兵旗に満ち、()を鳴らし、(とき)をあげて、公孫瓚の逃げ路を、八方からふさいだ。

 彼は生きたそらもなかった。

 二里――三里――無我夢中で逃げ走った。

 袁紹は勢いに乗じて急追撃に移ったが、五里余りも来たかと思うと、突如、山峡(やまかい)の間から、一(ぴょう)の軍馬が打って出て、


「待ちうけたり袁紹。われは平原の劉備玄徳(りゅうげんとく)――」


 と、名乗る後から、


「速やかに降参せよ」


「死を取るや、降伏を選ぶや」


 と、関羽、張飛など、平原から夜を日に次いで駆けつけて来し(ともがら)が、兵を率いて一度に(おめ)きかかって来た。

 袁紹は、仰天して、


「すわや、例の玄徳か」

 と、われがちに逃げ戻り、人馬互いに踏み合って、後には、折れた旗、刀の鞘、(かぶと)、槍など、道に満ち散っていた。


 闘い終って。

 公孫瓚は、劉備玄徳を、陣に呼び迎え、

「きょうの危機に、一命を拾い得たのは、まったくご辺のお蔭であった」


 と、深く謝して、また、
「先にも、自分の危ういところを、折よく救ってくれた一偉丈夫がある。ご辺とはきっと心も合うだろう」

 と、趙雲(ちょううん)を迎えにやった。

 趙雲はすぐ来て、

「何か御用ですか」

と、いった。

 公孫瓚は、

「彼だ」と、玄徳へ紹介して、きょうの激戦で目ざましい働きをした趙雲の用兵の上手さや、その人がらを、口を極めてたたえた。

 趙雲は、大いに羞恥(はじら)って、

「太守、それがしを召しおいて、知らぬ人の前なのに、そうおからかいになるものではありません。穴でもあらば、隠れたくなります」

 と、謙遜した。

 星眸濶面(せいぼうかつめん)の見るからに威容堂々たる偉丈夫にも、童心のような羞恥(はじらい)のあるのをながめて、玄徳は思わずほほ笑んだ。


「こちらが、劉備玄徳といって、きょう平原から馳けつけて、自分を(たす)けてくれた恩人だ。以前から(よし)みを持って、お互いに扶け合ってきた友人ではあるが」


 と、姓名を告げると、趙雲は、非常に驚いて、


「では、かねがね噂に聞いていた関羽、張飛の二豪傑を義弟(おとうと)に持っておられる劉備玄徳と仰せられるのはあなたでありましたか。――これは計らずも、よい折に」


 と、機縁をよろこんで、


「それがしは、常山真定(じょうざんしんてい)の生れで、趙雲(ちょううん)(あざな)子龍(しりゅう)ともうす者。仔細あって公太守の陣中にとどまり、微功を立てましたが、まだ若輩の武骨者にすぎません。どうぞ将来、よろしくご指導ください」


 と、辞を低うして、慇懃(いんぎん)なあいさつをした。

 玄徳も、


「いや、ご丁寧に、恐縮なごあいさつです。自分とてもまだ飄々(ひょうひょう)たる風雲の一槍夫(そうふ)。一片の丹心あるほかは、半国の土地も持たない若年者です。私のほうからこそ、よろしくご好誼をねがいます」


 二人は、相見た一瞬に、十年の知己のような感じを持った。

 玄徳は、ひそかに、


(これはよい人物らしい。尋常(よのつね)の武骨ではない)


 と、心中に頼もしく思い、趙雲子龍も同じように、


(まだ若いようだが、かねて噂に聞いていた以上だ。この劉備玄徳という人こそ、将来ある人傑ではあるまいか。――主君と仰ぐならば、このような人をこそ)


 と、心から尊敬を抱いた。

 玄徳も、趙雲も、ふたりともに客分といったような格で、公孫瓚にとっては、その点、すこし淋しい気もしたが、しかし、二人を引合わせて、彼も共にうれしい気がした。

 玄徳には、後日の賞を約し、趙雲には自分の愛馬――銀毛雪白(ぎんもうせっぱく)な一頭を与えて、またの戦いに、協力を励まして別れた。

 趙雲は、拝領の白馬にまたがって、わが陣地へ帰って行ったが、意中に強く印象づけられたものは、公孫瓚の恩賞ではなく、玄徳の風貌だった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色