第33話、袁紹の策略、趙雲登場
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その後。
――焦土の
「兵の給食も、極力、節約を計っていますが、このぶんでゆくと、今に乱暴を始め出して、民家へ掠奪に
兵糧方の部将は、それを憂いて幾たびも、袁紹へ、対策を促した。
袁紹も、今は、見栄を張っていられなくなったので、
と、書状を書きかけた。
すると、
「必ずや、公孫瓚も食指をうごかすでしょう。そうきたら、将軍はまた、一方韓馥へも内通して、力とならんといっておやりなさい。臆病者の韓馥は、きっと将軍にすがります。――その後の仕事は
袁紹は歓んで直ちに、逢紀の献策を、実行に移した。
冀州の
(北平の公孫瓚、ひそかに大兵を催し、貴国に攻め入らんとしておる。兵備、怠り給うな)
という忠言だった。
調べてみると、事実、公孫瓚は兵を集めていた。
もちろん、その袁紹が、公孫瓚を
群臣の重なる者は、みなその意見だった。
韓馥も、また、「それはよからん」と、同意した。
ひとり長史
けれど、彼の直言は、用いられなかった。評定は
耿武も遂に、用いられないことを知って、
と、即日、官をすてて姿をかくした。
けれど、彼は忠烈な士であったから、みすみす主家の亡ぶのを見るに忍びず、日を待って、袁紹が冀州へ迎えられる機会をうかがっていた。
袁紹はやがて、韓馥の迎えによって、堂々と、国内の街道へ兵馬を進めてきた。――忠臣耿武は、その日を剣を握って、道の辺の木陰に待ちかまえていた。
すでに袁紹の列は目の前にさしかかった。
耿武は、剣を躍らせて、
と、さけんで、やにわに、袁紹の馬前へ近づきかけた。
「
侍臣たちは、立騒いで防ぎ止めた。大将
と、一喝して斬りさげた。
耿武は、天を睨んで、
と云いざま、剣を、袁紹のすがたへ向って投げた。
剣は、袁紹を貫かずに、
袁紹は、無事に冀州へ入った。太守
袁紹は、城府に居すわると、
と、太守韓馥を、
韓馥は、
と、悔いたが、時すでに遅しであった。彼は日夜、
一方。
北平の
と、答えた。
公孫越は満足して、帰路についたが、途中、森林のうちから
それと聞えたので、公孫瓚の怒りは、いうまでもないこと。一族みな、血をすすって、袁紹の首を引っさげずに、なんで、再び郷土の民にまみえんや――とばかり
橋を挟んで、冀州の大兵も、ひしめき防いだ。中に袁紹の本陣らしい
公孫瓚は、橋上に馬をすすませて、大音に、
大将袁紹の命に、橋上へ馬を飛ばして来るなり、
槍を合わせて、公孫瓚も
――これは
と思うと、公孫瓚は、橋東の味方のうちへ、馬を打って逃げこんでしまった。
「
「やれ」
公孫瓚は、
すると後ろで、
またも文醜の声がした。
公孫瓚は、手の弓矢もかなぐり捨てて、生きた心地もなく、馬の尻を打った。馬はあまりに駆けたため、岩につまずいて、前脚を折ってしまった。
当然、彼は落馬した。
文醜はすぐ眼の前へ来た。
観念の眼をふさぎながら、剣を抜いて起きあがろうとした時、何者かが、上の崖から飛下りた。その壮漢は、文醜の前へ立ちふさがるなり、物もいわず槍を合わせて猛戦し始めたので、「天の扶け」とばかり公孫瓚は、その間に、山の方へ這い上がって、からくも危うい一命を拾った。
文醜もついに断念して、引っ返したとのことに、公孫瓚は、兵を集めて、さて、
と、部将に問うて、各隊を調べさせた。
やがて、その人物は、公孫瓚の前にあらわれた。しかし、味方の隊にいた者ではなく、まったくただの旅人だということが知れた。
公孫瓚の問いに、
眉濃く、眼光は大に、見るからに堂々たる偉丈夫だった。
公孫瓚のことばに、趙雲は、
と、約した。
公孫瓚は、それに気を得て、次の日、ふたたび
公孫瓚が、白い馬をたくさん持っていることは、先年、
対岸にある袁紹は、河ごしに、小手をかざして、敵陣をながめながら云った。
「はっ」
「心得ました」
命じておいて、袁紹は旗下一千余騎、
大河をはさんで、戦機はようやく熟して来る。東岸の公孫瓚は、敵のうごきを見て、部下の大将
「いでや」と、ばかり河畔へひたひたと寄りつめた。
公孫瓚は、きのう自分の一命を救ってくれた
両軍対陣のまま、
たちまち、
時分はよしと、東岸の兵は、厳綱を真っ先にして、橋をこえ、敵の先陣、
鳴りをしずめていた麹義は、合図ののろしを打揚げて、顔良、文醜の両翼と力をあわせ、たちまち、彼を包囲して大将厳綱を斬って落し、その「帥」の字の旗を奪って、河中へ投げこんでしまった。
公孫瓚は、
と、自身、白馬を躍らして、防ぎ戦ったが、麹義の猛勢に当るべくもなかった。のみならず、顔良、文醜の二将が、「あれこそ、公孫瓚」と目をつけて、厳綱と同じように、ふくろづつみに巻いて来たので、公孫瓚は、歯がみをしながら、またも、崩れ立つ味方にまじって逃げ
と、袁紹は、すっかり得意になって、顔良、文醜、麹義などの
さんざんなのは、公孫瓚の軍だった。一陣破れ、二陣
その兵は、約五百ばかりで、主将はきのう身を寄せたばかりの客将、趙雲子龍その人であった。
なんの気もなく、
と、麹義は、手勢をひいて、その陣へかかったところ、突如、五百の兵は、あたかも
趙雲は、なおも進んで敵の文醜、顔良の二軍へぶつかって行った。にわかに、対岸へ退こうとしても、盤河橋の一筋しか退路はないので、河に墜ちて死ぬ兵は数知れなかった。
深入りした味方が、趙雲のために粉砕されたとはまだ知らない――
盤河橋をこえて、陣を進め、旗下三百余騎に射手百人を左右に備え立て、大将
云っているところへ、俄雨のように、彼の身のまわりへ敵の矢が集まって来た。
袁紹は、あわてて、
とばかり、趙雲の手勢五百が、地から湧いたように、前後から攻めかかった。
田豊は、防ぐに
と、叫び、真っ先に、決死の馬を敵中へ突き進ませ、
とばかり力闘したので、田豊もそれに従い、他の士卒もみな獅子奮迅して戦った。
かかるところへ逃げ崩れて来た顔良、文醜の二将が、袁紹と合体して、ここを
趙雲の働きによって、味方の旗色は優勢と――公孫瓚の本陣では、ほっと一息していたところへ、怒濤のように、袁紹を真っ先として、田豊、顔良、文醜などが一斉に突入して来たので、公孫瓚は、馬をとばして、逃げるしか策を知らなかった。
いつのまにか、盤河の畔は、みな袁紹軍の兵旗に満ち、
彼は生きたそらもなかった。
二里――三里――無我夢中で逃げ走った。
袁紹は勢いに乗じて急追撃に移ったが、五里余りも来たかと思うと、突如、
と、名乗る後から、
と、関羽、張飛など、平原から夜を日に次いで駆けつけて来し
袁紹は、仰天して、
と、われがちに逃げ戻り、人馬互いに踏み合って、後には、折れた旗、刀の鞘、
闘い終って。
公孫瓚は、劉備玄徳を、陣に呼び迎え、
と、
趙雲はすぐ来て、
と、いった。
公孫瓚は、
「彼だ」と、玄徳へ紹介して、きょうの激戦で目ざましい働きをした趙雲の用兵の上手さや、その人がらを、口を極めてたたえた。
趙雲は、大いに
と、謙遜した。
と、姓名を告げると、趙雲は、非常に驚いて、
と、機縁をよろこんで、
と、辞を低うして、
玄徳も、
二人は、相見た一瞬に、十年の知己のような感じを持った。
玄徳は、ひそかに、
と、心中に頼もしく思い、趙雲子龍も同じように、
と、心から尊敬を抱いた。
玄徳も、趙雲も、ふたりともに客分といったような格で、公孫瓚にとっては、その点、すこし淋しい気もしたが、しかし、二人を引合わせて、彼も共にうれしい気がした。
玄徳には、後日の賞を約し、趙雲には自分の愛馬――
趙雲は、拝領の白馬にまたがって、わが陣地へ帰って行ったが、意中に強く印象づけられたものは、公孫瓚の恩賞ではなく、玄徳の風貌だった。
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