第24話、曹操、董卓の暗殺を試みる
文字数 10,918文字
その後。
九月
董卓は、帝を嘉徳殿に請じて、その日、文武の百官に、
――今日出仕せぬ者は、斬首に処せん。
という布告を発した。そして殿上に抜剣して、玉座をもしり目に、
「
と
と高らかに読み始めた。
孝霊皇帝
早ク臣子ヲ
皇帝
海内側望ス
而シテ天資
威儀ツツシマズシテ
凶徳スデニアラワレ
神器ヲ
衆論ココニ起ル
李儒は、さらに声を大にして読みつづけていた。
百官の
すると突然、
と、
太后は涙にむせぶの余り、ついに椅子から坐りくずれ、帝のすそにすがりついて、
と、いった。
董卓は、剣を片手に、
いいながら、帝を玉座から引き降ろして、その
そして、泣き狂う何太后をも、即座にその
時に。
ただ一人、大音をあげて、
いうや否、群臣のうちから騒ぎだして、董卓を目がけて短剣を突きかけてきた者があった。
董卓は、おどろいて身をかわしながら、醜い声をあげて救けを呼んだ。
刹那――
横から跳びついた
ここに。
董卓は遂にその目的を達し、陳留王を立てて天子の位につけ奉り、百官もまた彼の暴威に怖れて、万歳を唱和した。
そして、新しき皇帝を
だが、献帝はまだ年少である。何事も董卓の意のままだった。
即位の式がすむと、董卓は自分を
同時に。
年号も
まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の
「監視を怠るな」と厳命しておいた。
見張りの衛兵は、春の
春は来ぬ
けむる若草に風が吹き
双燕は飛ぶ
ながむれば都の水
遠く一すじ青し
これみなわが旧宮殿
忠と義とによって
誰か、晴らさん
わが心中の怨みを――
衛兵は、聞くと、その詩を覚え書きにかいて、
「
と、密告した。董卓は、それを見ると、
と呼び立てた。そして、その詩を李儒に示して、
李儒はもとより暴獣の爪のような男だ。すぐ十人ばかりの屈強な兵を連れて、永安宮へ馳せつけた。
彼はずかずか楼上へ登って行った。折ふし弘農王と何太后とは、楼の上で春の憂いに沈んでおられ、突然、李儒のすがたを見たのでぎょっとした様子だった。
李儒は笑って、
携えてきた一壺の酒を取り出して杯を
と、涙をたたえた。
と、
李儒は冷然と毒づいた。
董卓は美酒を飲みながら、李儒の
やがて李儒は、
弘農王の首と、何太后の首であった。
二つとも首は眼をふさいでいたが、その眼がかっと開いて、今にも飛びつきそうに、董卓には見えた。
さすがに眉をひそめて、
それから彼は、日夜、大酒をあおって、禁中の宮内官といい、後宮の女官といい、気に入らぬ者は立ちどころに殺し、夜は天子の
或る日。
彼は陽城を出て、四頭立ての
ところが、ちょうど村社の祭日だったので、なにも知らない農民の男女が晴れ着を飾って帰ってきた。
と、馬車の上で、急に怒りだした。
突然、相国の従兵に追われて、若い男女は悲鳴をあげて逃げ散った。そのうち逃げ遅れた者を兵が
と、相国は
手脚に縄を縛りつけて、二頭の
馬車は
するとある
「逆賊ッ」と、
美姫たちは、悲鳴をあげ、馬は狂い合って、
肥大な体躯の持主である董卓は、身うごきは敏速を欠くが、力はおそろしく強かった。
都を落ちて、遠く
だが、王允は、その書簡を手にしてからも、日夜心で苦しむだけで、董卓を討つ計はなにも持たなかった。
日々、朝廷に上がって、政務にたずさわっていても、
ところがある日、董卓の息のかかった高官は誰も見えず、皆、前朝廷の旧臣ばかりが一室にいあわせたので、(これぞ、天の与え)とひそかによろこんで、急に座中へ向って誘いかけた。
「ぜひ伺って、公の
誰も、差支えをいわなかった。
董卓系の人間をのぞいて、水入らずに話したい気持が、期せずして、誰にも鬱していたからであった。
別業の竹裏館へ、王允は先へ帰ってひそかに宴席の支度をしていた。やがて宵から忍びやかに前朝廷の公卿たちが集まった。
時を得ぬ不遇な人々の密会なので、初めからなんとなく、座中はしめっぽい。その上にまた、酒のすすみだした頃、王允は、冷たい杯を見入って、ほろりと涙をこぼした。
見とがめた客の一人が、
「王公。せっかく、およろこびの誕生の宴だというのに、なんで落涙されるのですか」といった。
王允は、長大息をして、
といって、指で
聞くと一座の者も皆、
「ああ――」と、大息して、「こんな世に生れ合わせなければよかった。昔、漢の高祖三尺の剣をひっさげて白蛇を斬り、天下を鎮め給うてより王統ここに四百年、なんぞはからん、この末世に生れ合わせようとは」
「まったく、われわれの運も悪いものだ。こんな時勢に巡り合ったのは」
「――というて、少し大きな声でもして、董卓やその一類の
などと、涙やら愚痴やらこぼして
笑う者があった。公卿たちは、びっくりして、末席を振返った。見るとそこに若年の一朝臣が、独りで杯をあげ、白面に紅潮をみなぎらせて、人々が泣いたり愚痴るのを、さっきからおかしげに眺めていた。
王允は、その無礼をとがめ、
すると、曹操はなお笑って、
「いや、すみません。しかしこれが笑わずにおられましょうか。朝廷の諸大臣たる方々が、夜は泣いて暁に至り、昼は悲しんで暮れに及び、寄るとさわると泣いてばかりいらっしゃる。これでは天下万民もみな泣き暮しになるわけですな。おまけに、誕生祝いというのに、わさわさ集まって、また泣き上戸の泣き競べとは――。わはははは。失礼ですが、どうもおかしくって、笑いが止まりませんよ。あははは、あははは」
と臆面もなくいった。
曹操の皮肉に
王允は酒席後、曹操をひっそりと自室に呼んだ。
曹操を問いただした。
毅然として彼は眉をあげ、
と明言した。
王允は、彼の自信ありげな言葉に喜色をあらわし、
王允は感じいった。
すると曹操は、
「ほかではありませんが、王家には昔より七宝をちりばめた稀代の名刀が伝来されておる由、常々、承っておりますが、董卓を刺すために、願わくばその名刀を、小生にお貸し下さいませんか。ただのなまくらとあっては、さすがに董卓も憐れです。せめて名のある刀でとどめを刺してやりたいと思います」
と、王允はすぐ家臣に命じて、秘蔵の七宝剣を取りだし、手ずからそれを曹操に授け、かつ云った。
曹操は剣を受け、颯爽として帰途についた。七宝の利剣は燦として夜光の珠の帯の如く、彼の腰間にかがやいていた。
年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中紛乱、時局多事の中を、よく失脚もせず、いよいよその地歩を
竹裏館の秘密会で、
生れは沛国(安徽省・毫県)の産であるが、その父
その父曹嵩も、
といって、幼少の時から、大勢の子のうちでも、特に曹操を可愛がっていた。
鳳眼というのは
少年の頃になると、色は白く、髪は
二十歳まで、これという職業にもつかず、家産はあるし、名門の子であり、人の憎みも多いかわり、一面任侠の
「気の
とか、また、
「曹操は話せるよ。いざという時は頼みになるからね」
と、彼を取り巻く一種の人気といったようなものもあった。
そういう中でも、
と、真面目にいったこともある。
その橋玄が、ある折、曹操へ向っていった。
曹操が問うと、
曹操は、その許子将を訪れた。座中、弟子や客らしいのが大勢いた。曹操は名乗って、彼の
曹操も、持前の皮肉がつい鼻先へ出て、こう
すると、許子将は、学究らしい薄べったくて、黒ずんだ唇から、歯をあらわして、
と、初めて答えた。
聞くと、曹操は、
彼は、満足して去った。
それから。
二十歳で、初めて
任は皇宮の警吏である。彼は就任早々、
「あの
彼の名はかえって高まった。
わずかな間に、騎都尉に昇進し、そして黄巾賊の乱が地方に起ると共に、征討軍に編入され、
(そも、何者?)
と、目を見はったことのあるとおりである。
そうした人となりの
その翌日である。
曹操は、いつものように
と、小役人に訊ねると、
「ただ今、小閣へ入られて、書院でご休息になっている」
とのことなので、彼は直ちにそこへ行って、挨拶をした。董卓は、床の上に身を投げだして、茶をのんでいる様子。側には、
曹操の顔を見るや否や、董卓はそういって咎めた。
実際、陽はすでに
呂布は、閣の外へ出て行った。
曹操は、彼が去ったので、
――しめた!
と、心は躍りはやったが、董卓とても、武勇はあり大力の持主である。
となお、大事をとって、彼の
ごろりと、背を向けて、床の上へ横になった。
曹操は、心にさけびながら、七宝剣の柄に手をかけ、さっと刃を抜いた。
すると、名刀の
むくりと、起き上がって、
と、鋭い眼をそそいだ。
曹操は、刃を納めるいとまもなく、ぎょッとしたが、さあらぬ顔して、
と騒ぐ色もなく、剣を差出した。
手に取って見ているところへ、呂布が戻ってきた。
董卓は、気に入ったらしく、
と、呂布へ見せた。
曹操は、すかさず、
と、呂布のほうへ、鞘をも渡した。
呂布は無言のまま、
と、急いで庭上へ出て、呂布がひいて来た駿馬の
という言葉に、董卓もつい、図に乗せられて、
とゆるすと、曹操はハッとばかり鞍へ飛び移り、にわかにひと鞭あてるや否や、丞相府の門外へ馳けだして、それなり帰ってこなかった。
董卓は、不審を起して、
と、何度も呟いた。
と、急に甲高くいって、巨きな躯を牀からおろした。
李儒は来て、つぶさに仔細を聞くと、
念のためと、直ちに、使い番の兵六、七騎をやってみたが、果たして李儒の言葉どおりであった。
そしてなお、使い番から告げることには――
「つい今しがた、その曹操は、黄毛の駿馬にまたがって、飛ぶが如く東門を乗打ちして行ったので、番兵がまた馬でそれを追いかけ、ようやく城外へ出る関門でとらえて詰問したところ、曹操がいうには――我は相国の急命を帯びて、にわかに使いに立つなり。汝ら、我をはばめて大事の急用を遅滞さすからには、後に董相国よりいかなるお咎めがあらんも知れぬぞ――とのことなので、誰も疑う者なく、曹操はそのまま
李儒が退がりかけると、
「この細工は、思うに、白面郎の曹操一人だけの仕事ではなかろう。きっとほかにも、同謀の与類があるに相違ない。曹操への手配や追手にばかり気を取られずに一方、都下の与類を
李儒は大股に去って、
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