第24話、曹操、董卓の暗殺を試みる

文字数 10,918文字

 その後。

 九月朔日(ついたち)のことである。

 董卓は、帝を嘉徳殿に請じて、その日、文武の百官に、

 ――今日出仕せぬ者は、斬首に処せん。

 という布告を発した。そして殿上に抜剣して、玉座をもしり目に、

李儒(りじゅ)、宣文を読め」

 と股肱(ここう)の彼にいいつけた。


 李儒は、はっと答えるなり、用意の宣言文をひらいて、

策文(さくもん)っ――」


 と高らかに読み始めた。


孝霊皇帝

眉寿(ビジュ)(サイワイ)(キワ)メズ

早ク臣子ヲ棄給(ステタマ)

皇帝()ケツイデ

海内側望ス

而シテ天資軽佻(ケイチョウ)

威儀ツツシマズシテ慢惰(マンダ)

凶徳スデニアラワレ

神器ヲ(ソコナ)(ハズカ)シメ宗廟ケガル

太后(タイコウ)マタ(オシ)エニ母儀ナク

政治(マツリゴト)(スベ)テ荒乱

衆論ココニ起ル大革(タイカク)ノ道


 李儒は、さらに声を大にして読みつづけていた。

 百官の(おもて)は色を失い、玉座の帝はおおのき(ふる)え、嘉徳殿上(せき)として墓場のようになってしまった。

 すると突然、


「ああ、ああ……」


 と、嗚咽(おえつ)して泣く声が流れた。帝の側にいた何太后(かたいこう)であった。

 太后は涙にむせぶの余り、ついに椅子から坐りくずれ、帝のすそにすがりついて、


「誰がなんといっても、あなたは漢の皇帝です。うごいてはいけませんよ。玉座から降ってはなりませんよ」


 と、いった。

 董卓は、剣を片手に、


「今、李儒が読み上げた通り、帝は闇愚(あんぐ)にして威儀なく、太后は教えにくらく母儀の(けん)がない。――依って今日より、現帝を弘農王(こうのうおう)とし、何太后は永安宮に押しこめ、代るに陳留王(ちんりゅうおう)をもって、われらの皇帝として奉戴(ほうたい)する」

 いいながら、帝を玉座から引き降ろして、その璽綬(じじゅ)を解き、北面して臣下の列の中へ無理に立たせた。

 そして、泣き狂う何太后をも、即座にその后衣(こうい)()いで、平衣(へいい)とさせ、後列へしりぞけたので、群臣も思わず眼をおおうた。

 時に。

 ただ一人、大音をあげて、


「待てっ逆臣っ。汝董卓、そも誰から大権をうけて、天を(あざむ)き、聖明の天子を、()いてひそかに廃せんとするか。――()かず! 汝と共に刺しちがえて死のう」


 いうや否、群臣のうちから騒ぎだして、董卓を目がけて短剣を突きかけてきた者があった。

 尚書(しょうしょ)丁管(ていかん)という若い純真な宮内官であった。

 董卓は、おどろいて身をかわしながら、醜い声をあげて救けを呼んだ。

 刹那――


「うぬっ、何するかっ」


 横から跳びついた李儒(りじゅ)が、抜打ちに丁管の首を斬った。同時に、警護の者の刃もいちどに丁管の五体に集まり、殿上はこの若い一義人の鮮血で彩られた。

 ここに。

 董卓は遂にその目的を達し、陳留王を立てて天子の位につけ奉り、百官もまた彼の暴威に怖れて、万歳を唱和した。

 そして、新しき皇帝を献帝(けんてい)と申上げることになった。

 だが、献帝はまだ年少である。何事も董卓の意のままだった。

 即位の式がすむと、董卓は自分を相国(しょうこく)に封じ、楊彪(ようひょう)を司徒とし、黄琬(こうえん)を太尉に、荀爽(じゅんそう)を司空に、韓馥(かんふく)冀州(きしゅう)の牧に、張資(ちょうし)を南陽の太守に――といったように、地方官の任命も輦下(れんか)の朝臣の登用も、みな自分の腹心をもって当て、自分は相国として、宮中にも(くつ)をはき、剣を()いて、その肥大した体躯をそらしてわが物顔に殿上に横行していた。

 同時に。

 年号も初平(しょへい)元年と改められた。


 まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の何太后(かたいこう)と共に、永安宮の幽居に深く閉じこめられたまま、春をむなしく、月にも花にも、ただ悲しみを誘わるるばかりだった。

 董卓(とうたく)は、そこの衛兵に、

「監視を怠るな」と厳命しておいた。

 見張りの衛兵は、春の日永(ひなが)を、あくびしていたが、ふと幽楼(ゆうろう)の上から、哀しげな(うた)の声が聞えてきたので、聞くともなく耳を澄ましていると、


春は来ぬ

けむる若草に風が吹き

双燕は飛ぶ

ながむれば都の水

遠く一すじ青し

碧雲(へきうん)深きところ

これみなわが旧宮殿

堤上(ていじょう)、義人はなきや

忠と義とによって

誰か、晴らさん

わが心中の怨みを――

 衛兵は、聞くと、その詩を覚え書きにかいて、


相国(しょうこく)。廃帝の弘農王が、こんな詩を作って歌っていました」


 と、密告した。董卓は、それを見ると、


李儒(りじゅ)はいないか」


 と呼び立てた。そして、その詩を李儒に示して、


「これを見ろ、幽宮におりながら、こんな悲歌を作っている。生かしておいては必ずや後の害になろう。何太后も廃帝も、おまえの処分にまかせる。殺して来い」
 と、いいつけた。
「承知しました」

 李儒はもとより暴獣の爪のような男だ。すぐ十人ばかりの屈強な兵を連れて、永安宮へ馳せつけた。


「どこにおるか、王は」

 彼はずかずか楼上へ登って行った。折ふし弘農王と何太后とは、楼の上で春の憂いに沈んでおられ、突然、李儒のすがたを見たのでぎょっとした様子だった。

 李儒は笑って、


「なにもびっくりなさる事はありません。この春日を慰め奉れ、と相国から酒をお贈り申しにきたのです。これは延寿酒といって、百歳の(よわい)を延ぶる美酒です。さあ一(さん)おあがりなさい」

 携えてきた一壺の酒を取り出して杯を()いると、太后は、眉をひそめて、


「それは毒酒であろう」

 と、涙をたたえた。


相国(しょうこく)がわたし達へ、延寿酒を贈られるわけはない。李儒、これが毒酒でないなら、そなたがまず先に飲んでお見せなさい」
 といった。

「飲まぬと。――それならば、この二品をお受けなさるか」


 と、練絹(ねりぎぬ)の縄と短刀とを、突きつけた。


「……おお。我に死ねとか」

「いずれでも好きなほうを選ぶがよい」


 李儒は冷然と毒づいた。



「国賊! 匹夫(ひっぷ)! おまえ達の滅亡も、決して長い先ではありませぬぞ。――ああ兄の何進(かしん)が愚かなため、こんな獣どもを都へ呼び入れてしまったのだ」


 (ののし)り狂うのを、李儒はやかましいとばかり、その襟がみをつかみ寄せて、高楼の欄から投げ落してしまった。


 董卓は美酒を飲みながら、李儒の吉左右(きっそう)を待っていた。

 やがて李儒は、(ほう)を血まみれに汚して戻ってきたが、いきなり提げていた二つの首を突きだして、


「ご命令通り致してきました」

 弘農王の首と、何太后の首であった。

 二つとも首は眼をふさいでいたが、その眼がかっと開いて、今にも飛びつきそうに、董卓には見えた。

 さすがに眉をひそめて、


「そんな物、見せんでもいい。城外へ埋めてしまえ」


 それから彼は、日夜、大酒をあおって、禁中の宮内官といい、後宮の女官といい、気に入らぬ者は立ちどころに殺し、夜は天子の(しょう)に横たわって春眠をむさぼった。


 或る日。

 彼は陽城を出て、四頭立ての馬車(ろしゃ)に美人を大勢のせ、酔うた彼は、馭者(ぎょしゃ)の真似をしながら、城外の梅林の花ざかりを逍遥していた。

 ところが、ちょうど村社の祭日だったので、なにも知らない農民の男女が晴れ着を飾って帰ってきた。

 董相国(とうしょうこく)は、それを見かけ、


「農民のくせに、この晴日を、田へも出ずに、着飾って歩くなど、不届きな怠け者だ。天下の百姓の見せしめに召捕えろ」

 と、馬車の上で、急に怒りだした。

 突然、相国の従兵に追われて、若い男女は悲鳴をあげて逃げ散った。そのうち逃げ遅れた者を兵が(らっ)して来ると、

牛裂(うしざ)きにしろ」

 と、相国は威猛高(いたけだか)に命じた。

 手脚に縄を縛りつけて、二頭の奔牛(ほんぎゅう)にしばりつけ、東西へ向けて鞭打つのである。手脚を裂かれた人間の血は、梅園の大地を(くれない)に汚した。

「いや、花見よりも、よほど面白かった」

 馬車は黄昏(たそがれ)に陽城へ向って帰還しかけた。

 するとある(ちまた)の角から、

「逆賊ッ」と、(おめ)いて、不意に馬車へ飛びついて来た(おとこ)がある。

 美姫たちは、悲鳴をあげ、馬は狂い合って、(はし)なくも、大混乱をよび起した。


「何するか、下司(げす)っ」

 肥大な体躯の持主である董卓は、身うごきは敏速を欠くが、力はおそろしく強かった。

 精悍(せいかん)な刺客の男は、馬車へ足を踏みかけて、短剣を引抜き、相国の大きな腹を目がけて勢いよく突ッかけて行ったのであったが、董卓にその剣を叩き落され、しっかと、腕をつかまれてしまったので、どうすることもできなかった。

曲者(しれもの)め。誰に頼まれた」
「残念だ」
「名を申せ」
「…………」
「誰か、叛逆を企む奴らの与党だろう。さあ、誰に頼まれたか」
 すると、苦しげに、刺客はさけんだ。

「叛逆とは、臣下が君にそむくことだ。おれは貴様などの臣下であった覚えはない。――おれは朝廷の臣、越騎校尉の伍俘(ごふ)だっ」


「斬れッ、こいつを」
 馬車から蹴落すとともに、董卓の武士たちは伍俘の全身に無数の刃と槍でつき殺した。

 都を落ちて、遠く渤海郡(ぼっかいぐん)(河北省)の太守に封じられた袁紹(えんしょう)はその後、洛陽の情勢を聞くにつけ、鬱勃(うつぼつ)としていたが、遂に矢も楯もたまらなくなって、在京の同志で三公の重職にある司徒王允(おういん)へ、ひそかに書を飛ばし、激越な辞句で奮起を促してきた。

 だが、王允は、その書簡を手にしてからも、日夜心で苦しむだけで、董卓を討つ計はなにも持たなかった。

 日々、朝廷に上がって、政務にたずさわっていても、王允(おういん)はそんなわけで、少しも勤めに気がのらなかった。心中ひとり怏々(おうおう)(もだ)えを抱いていた。

 ところがある日、董卓の息のかかった高官は誰も見えず、皆、前朝廷の旧臣ばかりが一室にいあわせたので、(これぞ、天の与え)とひそかによろこんで、急に座中へ向って誘いかけた。


「実は、今日は、此方の誕生日なのじゃが、どうでしょう、竹裏館(ちくりかん)別業(べつぎょう)のほうへ、諸卿お揃いで()()げてくれませんか」

「ぜひ伺って、公の寿(ことぶき)を祝しましょう」


 誰も、差支えをいわなかった。

 董卓系の人間をのぞいて、水入らずに話したい気持が、期せずして、誰にも鬱していたからであった。

 別業の竹裏館へ、王允は先へ帰ってひそかに宴席の支度をしていた。やがて宵から忍びやかに前朝廷の公卿たちが集まった。

 時を得ぬ不遇な人々の密会なので、初めからなんとなく、座中はしめっぽい。その上にまた、酒のすすみだした頃、王允は、冷たい杯を見入って、ほろりと涙をこぼした。

 見とがめた客の一人が、


「王公。せっかく、およろこびの誕生の宴だというのに、なんで落涙されるのですか」といった。

 王允は、長大息をして、

「されば、自分の福寿も、今日の有様では、祝う気持にもなれんのじゃ。――不肖、前朝以来、三公の一座を占め、(まつりごと)を預かりながら、董卓の勢いはどうすることもできんのじゃ。耳に万民の怨嗟(えんさ)を聞き、眼に漢室の衰亡を見ながら、なんでわが寿筵(じゅえん)に酔えようか」

 といって、指で(まぶた)を拭った。

 聞くと一座の者も皆、


「ああ――」と、大息して、「こんな世に生れ合わせなければよかった。昔、漢の高祖三尺の剣をひっさげて白蛇を斬り、天下を鎮め給うてより王統ここに四百年、なんぞはからん、この末世に生れ合わせようとは」

「まったく、われわれの運も悪いものだ。こんな時勢に巡り合ったのは」

「――というて、少し大きな声でもして、董卓やその一類の誹謗(ひぼう)をなせば、この首の無事は(たも)てないし」


 などと、涙やら愚痴やらこぼして(しょく)もめいるばかりであったが、その時、末座のほうから突然、


「はッはははは」

 笑う者があった。公卿たちは、びっくりして、末席を振返った。見るとそこに若年の一朝臣が、独りで杯をあげ、白面に紅潮をみなぎらせて、人々が泣いたり愚痴るのを、さっきからおかしげに眺めていた。

 王允は、その無礼をとがめ、

「誰かと思えば、そちは校尉曹操(そうそう)ではないか。なんで笑うか」


 すると、曹操はなお笑って、


「いや、すみません。しかしこれが笑わずにおられましょうか。朝廷の諸大臣たる方々が、夜は泣いて暁に至り、昼は悲しんで暮れに及び、寄るとさわると泣いてばかりいらっしゃる。これでは天下万民もみな泣き暮しになるわけですな。おまけに、誕生祝いというのに、わさわさ集まって、また泣き上戸の泣き競べとは――。わはははは。失礼ですが、どうもおかしくって、笑いが止まりませんよ。あははは、あははは」


「やかましいっ。汝はそもそも、相国曹参(そうさん)後胤(こういん)で、四百年来、代々漢室の大恩をうけて来ながら、今の朝廷の有様が、悲しくないのか。われわれの憂いが、そんなにおかしいのか。返答によってはゆるさんぞ」


「これは意外なお怒りを――」
 と、曹操はやや真面目に改まって、
「それがしとて何も理のないことを笑ったわけではありません。時の大臣(おとど)ともあろう方々が、女童(おんなわらべ)の如く、日夜めそめそ悲嘆しておらるるのみで何もしない。――そんな意気地なしなら、時勢を嘆いたりなどせずに、美人の腰掛けになって胡弓でも聴きながら感涙を流していたらよかろうに――と思ったのでつい笑ってしまった次第です」

 と臆面もなくいった。

 曹操の皮肉に王允(おういん)をはじめ公卿たちもむっと色をなして、座は白け渡った。

 王允は酒席後、曹操をひっそりと自室に呼んだ。


「あれだけの大豪語、何か考えがあるのでは」


 曹操を問いただした。


「なくてどうしましょう」


 毅然として彼は眉をあげ、


「不才ながら小生におまかしあれば、董卓が首を斬って、洛陽の門に()けてごらんに入れん」


 と明言した。

 王允は、彼の自信ありげな言葉に喜色をあらわし、


「曹校尉、もし今の言に偽りがないならば、まことに天が義人を地上にくだして、万民の苦しみを助け給うものだ。そも、君にいかなる計やある。願わくば聞かしてもらいたいが」


「されば、それがしが常に董卓に近づいて、表面、()びへつらって仕えているのは、何を隠そう、隙もあれば彼をひと思いに刺し殺そうと内心誓っているからです」


「えっ。……では君には()くよりそこまでの決心を持っていたのか」


「さもなくて、何の大笑大言を諸卿に呈しましょう」


「ああ、天下になおこの義人あったか」


 王允は感じいった。

 すると曹操は、

「時に、王公に小生から、一つのご無心がありますが」

「何か、遠慮なくいうてみい」


「ほかではありませんが、王家には昔より七宝をちりばめた稀代の名刀が伝来されておる由、常々、承っておりますが、董卓を刺すために、願わくばその名刀を、小生にお貸し下さいませんか。ただのなまくらとあっては、さすがに董卓も憐れです。せめて名のある刀でとどめを刺してやりたいと思います」


「それは、目的さえ必ず仕遂げてくれるならば……」
「その儀は、きっとやりのけて見せます。董卓も近頃では、それがしを信頼して、まったく腹心の者同様にみていますから、近づいて一断に斬殺することは、なんの造作もありません」
「うム。それさえ首尾よく参るものなら、天下の大幸というべきだ。家宝の名刀一つをそのために惜しもうや」

 と、王允はすぐ家臣に命じて、秘蔵の七宝剣を取りだし、手ずからそれを曹操に授け、かつ云った。


「しかし、もし仕損じて、事(あらわ)れたら一大事だぞ、充分心して(おこな)えよ」


「乞う、(やす)んじて下さい」


 曹操は剣を受け、颯爽として帰途についた。七宝の利剣は燦として夜光の珠の帯の如く、彼の腰間にかがやいていた。


 曹操(そうそう)はまだ若い人だ。にわかに、彼の存在は近ごろ大きなものとなったが、その年歯風采(ねんしふうさい)はなお、白面の一青年でしかない。

 年二十で、初めて洛陽の北都尉に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中紛乱、時局多事の中を、よく失脚もせず、いよいよその地歩を()めて、新旧勢力の大官中に伍し、いつのまにか若年ながら錚々(そうそう)たる朝臣の一員となっているところ、早くも凡物でない圭角(けいかく)は現れていた。

 竹裏館の秘密会で、王允(おういん)もいったとおり、彼の家柄は、元来名門であって、高祖覇業を立てて以来の――漢の丞相(じょうしょう)曹参(そうさん)末孫(ばっそん)だといわれている。

 生れは沛国(安徽省・毫県)の産であるが、その父曹嵩(そうすう)は、宮内官たりし職を辞して、早くから野に下り、今では陳留(ちんりゅう)(河南省・開封の東南)に住んでいて、老齢だがなお健在であった。

 その父曹嵩も、


「この子は鳳眼(ほうがん)だ」

 といって、幼少の時から、大勢の子のうちでも、特に曹操を可愛がっていた。

 鳳眼というのは鳳凰(ほうおう)の眼のように細くてしかも光があるという意味であった。

 少年の頃になると、色は白く、髪は漆黒(しっこく)で、丹唇明眸(たんしんめいぼう)、中肉の美少年ではあり、しかも学舎の教師も、里人も、「(こわ)いようなお()だ」と、その鬼才に怖れた。

 二十歳まで、これという職業にもつかず、家産はあるし、名門の子であり、人の憎みも多いかわり、一面任侠の(ふう)もあるので、


「気の()いた人だ」

 とか、また、

「曹操は話せるよ。いざという時は頼みになるからね」

 と、彼を取り巻く一種の人気といったようなものもあった。

 そういう中でも、橋玄(きょうげん)は、むしろ彼の縦横な策略の才を()なりとして、

「今に、天下は乱れるだろう。一朝、乱麻となったが最後、これを収拾するのは、よほどな人物でなければできん。或いは後に、天下を安んずべき人間は、ああいったふうな(おとこ)かも知れんな」


 と、真面目にいったこともある。

 その橋玄が、ある折、曹操へ向っていった。


「君は、まだ無名だが、僕は君を有為の青年と見ているのだ。折があったら、許子将(きょししょう)という人と交わるがいい」


「子将とは、どんな人物かね」

 曹操が問うと、


「非常に人物の鑑識に()けている。学者でもあるし」


「つまり人相()だね」


「あんないい加減なものじゃない。もっと炯眼(けいがん)な人物批評家だよ」


「おもしろい。一度訪ねてみよう」


 曹操は、その許子将を訪れた。座中、弟子や客らしいのが大勢いた。曹操は名乗って、彼の忌憚(きたん)ない「曹操評」を聞かしてもらおうと思ったが、子将は、冷たい眼で一(べん)したのみで、(いや)しんでろくに答えてくれない。


「ふふん……」

 曹操も、持前の皮肉がつい鼻先へ出て、こう揶揄(やゆ)した。


「――先生、池の魚は毎度()ておいでらしいが、まだ大海の巨鯨は、この部屋で鑑たことがありませんね」


 すると、許子将は、学究らしい薄べったくて、黒ずんだ唇から、歯をあらわして、


「小僧、何をいう! お前なんぞは、治世の能臣、乱世の姦雄(かんゆう)だ」


 と、初めて答えた。

 聞くと、曹操は、


「乱世の姦雄だと。――結構だ」

 彼は、満足して去った。

 それから。

 二十歳で、初めて北都尉(ほくとい)の職についた。

 任は皇宮の警吏である。彼は就任早々、(おきて)を厳守し、犯す者は高官でも、ビシビシ罰した。時めく十常侍の蹇碩(けんせき)の身寄りの者でも、禁を破って、夜、帯刀で禁門の附近を歩いていたというので、曹操に棒で殴りつけられたことがあったりした程である。


「あの弱冠(じゃっかん)の警吏は、きまりを犯すと仮借(かしゃく)しないぞ」


 彼の名はかえって高まった。

 わずかな間に、騎都尉に昇進し、そして黄巾賊の乱が地方に起ると共に、征討軍に編入され、潁川(えいせん)その他の地方に転戦して、いつも紅の旗、紅の鞍、紅の鎧という人目立つ備え立てで征野を疾駆していたことは、かつて、張梁、張宝の賊軍を潁川(えいせん)の草原に火攻めにした折、――そこで行き会った劉備玄徳(りゅうげんとく)とその旗下(きか)の関羽、張飛たちも、

(そも、何者?)

 と、目を見はったことのあるとおりである。

 そうした人となりの驍騎(ぎょうき)校尉曹操であった。

 王允(おういん)の家に伝わる七宝の名刀を譲りうけて、董卓(とうしょうこく)を刺すと誓って帰った曹操は、その夜、剣を抱いて床に横たわり、果たしてどんな夢を描いていたろうか。




 その翌日である。

 曹操は、いつものように丞相府(じょうしょうふ)へ出仕した。


「董相国はどちらにおいでか」

 と、小役人に訊ねると、


「ただ今、小閣へ入られて、書院でご休息になっている」


 とのことなので、彼は直ちにそこへ行って、挨拶をした。董卓は、床の上に身を投げだして、茶をのんでいる様子。側には、(きっ)と、呂布(りょふ)が侍立していた。


「出仕が遅いじゃないか」


 曹操の顔を見るや否や、董卓はそういって咎めた。

 実際、陽はすでに三竿(さんかん)、丞相府の各庁でも、みなひと仕事すまして(ひる)の休息をしている時分だった。


「恐れいります。なにぶん、私の持ち馬は痩せおとろえた老馬で道が遅いものですから」


「良い馬を持たぬのか」


「はい。薄給の身ですから、良馬は望んでもなかなか(あがな)えません」


「呂布」
 と、董卓は振り向いて、

「わしの(うまや)から、どれか手ごろなのを一頭選んできて、曹操につかわせ」


「はっ」


 呂布は、閣の外へ出て行った。

 曹操は、彼が去ったので、

 ――しめた!

 と、心は躍りはやったが、董卓とても、武勇はあり大力の持主である。


(仕損じては――)

 となお、大事をとって、彼の(すき)をうかがっていると、董卓はひどく肥満しているので、少し長くその体を床に正していると、すぐくたびれてしまうらしい。

 ごろりと、背を向けて、床の上へ横になった。


(今だ! 天の与え)

 曹操は、心にさけびながら、七宝剣の柄に手をかけ、さっと刃を抜いた。

 すると、名刀の光鋩(こうぼう)が、董卓の側なる壁の鏡に、陽炎(かげろう)の如くピカリと映った。

 むくりと、起き上がって、


「曹操、今の光は何だ?」

 と、鋭い眼をそそいだ。

 曹操は、刃を納めるいとまもなく、ぎょッとしたが、さあらぬ顔して、


「はっ、近頃それがしが、稀代の名刀を手に入れましたので、お気に召したら、献上したいと思って、()いて参りました。尊覧に入れる前に、そっと拭っておりましたので、その光鋩が室にみちたのでございましょう」


 と騒ぐ色もなく、剣を差出した。


「ふウむ。……どれ見せい」


 手に取って見ているところへ、呂布が戻ってきた。

 董卓は、気に入ったらしく、


「なるほど、名剣だ。どうだこの刀は」


 と、呂布へ見せた。

 曹操は、すかさず、


(さや)はこれです。七宝の篏飾(かんしょく)、なんと見事ではありませんか」


 と、呂布のほうへ、鞘をも渡した。

 呂布は無言のまま、(やいば)を鞘におさめて手に預かった。そして、


「馬を見給え」
と促すと、曹操は、

「はっ、有難く拝領いたします」


 と、急いで庭上へ出て、呂布がひいて来た駿馬の(たてがみ)をなでながら、


「あ。これは逸物(いちもつ)らしい。願わくば相国の御前(おんまえ)で、ひと当て試し乗りに乗ってみたいものですな」


 という言葉に、董卓もつい、図に乗せられて、


「よかろう。試してみい」


 とゆるすと、曹操はハッとばかり鞍へ飛び移り、にわかにひと鞭あてるや否や、丞相府の門外へ馳けだして、それなり帰ってこなかった。


「まだ戻らんか」


 董卓は、不審を起して、


「試し乗りだといいながら、いったい何処まで馳けて行ったのだ――曹操のやつは」


 と、何度も呟いた。



「相国、彼はおそらく、もう此処に帰りますまい」


「どうして?」

「最前、あなたへ名刀を献じた時の挙動からして、どうも()に落ちない点があります」


「ム。あの時の彼奴の素振りは、わしも少し変だと思ったが」


「お馬を賜わり、これ幸いと、風を喰らって逃げ去ったのかも知れませんぞ」


「――とすれば、捨ておけん曲者(くせもの)だが。李儒(りじゅ)を呼べ。とにかく、李儒を!」


 と、急に甲高くいって、巨きな躯を牀からおろした。

 李儒は来て、つぶさに仔細を聞くと、


「それは、しまったことをした。(ひょう)(おり)から出したも同じです。彼の妻子は都の外にありますから、相国のお命を狙っていたに違いありません」


「憎ッくい奴め。李儒、どうしたものだろう」


「一刻も早く、お召しといって、彼の住居へ人をやってごらんなさい。二心なければ参りましょうが、おそらくもうその家にもおりますまい」


 念のためと、直ちに、使い番の兵六、七騎をやってみたが、果たして李儒の言葉どおりであった。

 そしてなお、使い番から告げることには――


「つい今しがた、その曹操は、黄毛の駿馬にまたがって、飛ぶが如く東門を乗打ちして行ったので、番兵がまた馬でそれを追いかけ、ようやく城外へ出る関門でとらえて詰問したところ、曹操がいうには――我は相国の急命を帯びて、にわかに使いに立つなり。汝ら、我をはばめて大事の急用を遅滞さすからには、後に董相国よりいかなるお咎めがあらんも知れぬぞ――とのことなので、誰も疑う者なく、曹操はそのまま(むち)を上げて関門を越え、行方のほども相知れぬ由にござります」


 とのことであった。
「おのれ」
 と、董卓は、怒気のみなぎった顔に、朱をそそいで云った。

「小才のきく奴と、日頃、恩をほどこして、目をかけてやった予の寵愛につけ上がり、あまつさえ予の与えた馬でにげおった、八ツ裂きにしても飽きたらん匹夫だ。李儒っ――」


「はっ」


「彼の人相服装を画かせ、諸国へ写しを配布して、厳重に布令をまわせ」


「承知しました」


「もし、曹操を生擒(いけど)ってきた者あらば、万戸侯(ばんここう)に封じ、その首を丞相府に献じくる者には、千金の賞を与えるであろうと」


「すぐ手配しましょう」


 李儒が退がりかけると、


「待て。それから」
と早口に、董卓はなお、言葉をつけ加えた。

「この細工は、思うに、白面郎の曹操一人だけの仕事ではなかろう。きっとほかにも、同謀の与類があるに相違ない。曹操への手配や追手にばかり気を取られずに一方、都下の与類を(しらみ)つぶしに詮議して、引っ捕えたら拷問にかけろ」


「はっ、その辺も、抜かりなく急速に手を廻しましょう」

 李儒は大股に去って、捕囚庁(ほしゅうちょう)吏人(やくにん)を呼びあつめ、物々しい活動の指令を発していった。


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登場人物紹介

劉備玄徳

劉備玄徳

ひげ

劉備玄徳

劉備玄徳

諸葛孔明《しょかつこうめい》

張飛

張飛

髭あり

張飛

関羽

関羽


関平《かんぺい》

関羽の養子

趙雲

趙雲

張雲

黄忠《こうちゅう》

魏延《ぎえん》

馬超

厳顔《げんがん》

劉璋配下から劉備配下

龐統《ほうとう》

糜竺《びじく》

陶謙配下

後劉備の配下

糜芳《びほう》

糜竺《びじく》の弟

孫乾《そんけん》

陶謙配下

後劉備の配下

陳珪《ちんけい》

陳登の父親

陳登《ちんとう》

陶謙の配下から劉備の配下へ、

曹豹《そうひょう》

劉備の配下だったが、酒に酔った張飛に殴られ裏切る

周倉《しゅうそう》

もと黄巾の張宝《ちょうほう》の配下

関羽に仕える

劉辟《りゅうへき》

簡雍《かんよう》

劉備の配下

馬良《ばりょう》

劉備の配下

伊籍《いせき》

法正

劉璋配下

のち劉備配下

劉封

劉備の養子

孟達

劉璋配下

のち劉備配下

商人

宿屋の主人

馬元義

甘洪

李朱氾

黄巾族

老僧

芙蓉

芙蓉

糜夫人《びふじん》

甘夫人


劉備の母

劉備の母

役人


劉焉

幽州太守

張世平

商人

義軍

部下

黄巾族

程遠志

鄒靖

青州太守タイシュ龔景キョウケイ

盧植

朱雋

曹操

曹操

やけど

曹操

曹操


若い頃の曹操

曹丕《そうひ》

曹丕《そうひ》

曹嵩

曹操の父

曹洪


曹洪


曹徳

曹操の弟

曹仁

曹純

曹洪の弟

司馬懿《しばい》仲達《ちゅうたつ》

曹操配下


楽進

楽進

夏侯惇

夏侯惇《かこうじゅん》

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

夏侯惇

曹操の配下

左目を曹性に射られる。

韓浩《かんこう》

曹操配下

夏侯淵

夏侯淵《かこうえん》

典韋《てんい》

曹操の配下

悪来と言うあだ名で呼ばれる

劉曄《りゅうよう》

曹操配下

李典

曹操の配下

荀彧《じゅんいく》

曹操の配下

荀攸《じゅんゆう》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

許褚《きょちょ》

曹操の配下

徐晃《じょこう》

楊奉の配下、後曹操に仕える

史渙《しかん》

徐晃《じょこう》の部下

満寵《まんちょう》

曹操の配下

郭嘉《かくか》

曹操の配下

曹安民《そうあんみん》

曹操の甥

曹昂《そうこう》

曹操の長男

于禁《うきん》

曹操の配下

王垢《おうこう》

曹操の配下、糧米総官

程昱《ていいく》

曹操の配下

呂虔《りょけん》

曹操の配下

王必《おうひつ》

曹操の配下

車冑《しゃちゅう》

曹操の配下、一時的に徐州の太守

孔融《こうゆう》

曹操配下

劉岱《りゅうたい》

曹操配下

王忠《おうちゅう》

曹操配下

張遼

呂布の配下から曹操の配下へ

張遼

蒋幹《しょうかん》

曹操配下、周瑜と学友

張郃《ちょうこう》

袁紹の配下

賈詡

賈詡《かく》

董卓

李儒

董卓の懐刀

李粛

呂布を裏切らせる

華雄

胡軫

周毖

李傕

李別《りべつ》

李傕の甥

楊奉

李傕の配下、反乱を企むが失敗し逃走

韓暹《かんせん》

宋果《そうか》

李傕の配下、反乱を企むが失敗

郭汜《かくし》

郭汜夫人

樊稠《はんちゅう》

張済

張繍《ちょうしゅう》

張済《ちょうさい》の甥

胡車児《こしゃじ》

張繍《ちょうしゅう》配下

楊彪

董卓の長安遷都に反対

楊彪《ようひょう》の妻

黄琬

董卓の長安遷都に反対

荀爽

董卓の長安遷都に反対

伍瓊

董卓の長安遷都に反対

趙岑

長安までの殿軍を指揮

徐栄

張温

張宝

孫堅

呉郡富春(浙江省・富陽市)の出で、孫子の子孫

孫静

孫堅の弟

孫策

孫堅の長男

孫権《そんけん》

孫権

孫権

孫堅の次男

朱治《しゅち》

孫堅の配下

呂範《りょはん》

袁術の配下、孫策に力を貸し配下になる

周瑜《しゅうゆ》

孫策の配下

周瑜《しゅうゆ》

周瑜

張紘

孫策の配下

二張の一人

張昭

孫策の配下

二張の一人

蒋欽《しょうきん》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

湖賊だったが孫策の配下へ

周泰《しゅうたい》

孫権を守って傷を負った

陳武《ちんぶ》

孫策の部下

太史慈《たいしじ》

劉繇《りゅうよう》配下、後、孫策配下


元代

孫策の配下

祖茂

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

程普

孫堅の配下

韓当

孫堅の配下

黄蓋

孫堅の部下

黄蓋《こうがい》

桓楷《かんかい》

孫堅の部下


魯粛《ろしゅく》

孫権配下

諸葛瑾《しょかつきん》

諸葛孔明《しょかつこうめい》の兄

孫権の配下


呂蒙《りょもう》

孫権配下

虞翻《ぐほん》

王朗の配下、後、孫策の配下

甘寧《かんねい》

劉表の元にいたが、重く用いられず、孫権の元へ

甘寧《かんねい》

凌統《りょうとう》

凌統《りょうとう》

孫権配下


陸遜《りくそん》

孫権配下

張均

督郵

霊帝

劉恢

何進

何后

潘隠

何進に通じている禁門の武官

袁紹

袁紹

劉《りゅう》夫人

袁譚《えんたん》

袁紹の嫡男

袁尚《えんしょう》

袁紹の三男

高幹

袁紹の甥

顔良

顔良

文醜

兪渉

逢紀

冀州を狙い策をねる。

麹義

田豊

審配

袁紹の配下

沮授《そじゅ》

袁紹配下

郭図《かくと》

袁紹配下


高覧《こうらん》

袁紹の配下

淳于瓊《じゅんうけい》

袁紹の配下

酒が好き

袁術

袁胤《えんいん》

袁術の甥

紀霊《きれい》

袁術の配下

荀正

袁術の配下

楊大将《ようたいしょう》

袁術の配下

韓胤《かんいん》

袁術の配下

閻象《えんしょう》

袁術配下

韓馥

冀州の牧

耿武

袁紹を国に迎え入れることを反対した人物。

鄭泰

張譲

陳留王

董卓により献帝となる。

献帝

献帝

伏皇后《ふくこうごう》

伏完《ふくかん》

伏皇后の父

楊琦《ようき》

侍中郎《じちゅうろう》

皇甫酈《こうほれき》

董昭《とうしょう》

董貴妃

献帝の妻、董昭の娘

王子服《おうじふく》

董承《とうじょう》の親友

馬騰《ばとう》

西涼の太守

崔毅

閔貢

鮑信

鮑忠

丁原

呂布


呂布

呂布

呂布

厳氏

呂布の正妻

陳宮

高順

呂布の配下

郝萌《かくほう》

呂布配下

曹性

呂布の配下

夏侯惇の目を射った人

宋憲

呂布の配下

侯成《こうせい》

呂布の配下


魏続《ぎぞく》

呂布の配下

王允

貂蝉《ちょうせん》

孫瑞《そんずい》

王允の仲間、董卓の暗殺を謀る

皇甫嵩《こうほすう》

丁管

越騎校尉の伍俘

橋玄

許子将

呂伯奢

衛弘

公孫瓉

北平の太守

公孫越

王匡

方悦

劉表

蔡夫人

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

劉琦《りゅうき》

劉表の長男

蒯良

劉表配下

蒯越《かいえつ》

劉表配下、蒯良の弟

黄祖

劉表配下

黄祖

陳生

劉表配下

張虎

劉表配下


蔡瑁《さいぼう》

劉表配下

呂公《りょこう》

劉表の配下

韓嵩《かんすう》

劉表の配下

牛輔

金を持って逃げようとして胡赤児《こせきじ》に殺される

胡赤児《こせきじ》

牛輔を殺し金を奪い、呂布に降伏するも呂布に殺される。

韓遂《かんすい》

并州《へいしゅう》の刺史《しし》

西涼の太守|馬騰《ばとう》と共に長安をせめる。

陶謙《とうけん》

徐州《じょしゅう》の太守

張闓《ちょうがい》

元黄巾族の陶謙の配下

何曼《かまん》

截天夜叉《せってんやしゃ》

黄巾の残党

何儀《かぎ》

黄巾の残党

田氏

濮陽《ぼくよう》の富豪

劉繇《りゅうよう》

楊州の刺史

張英

劉繇《りゅうよう》の配下


王朗《おうろう》

厳白虎《げんぱくこ》

東呉《とうご》の徳王《とくおう》と称す

厳与《げんよ》

厳白虎の弟

華陀《かだ》

医者

鄒氏《すうし》

未亡人

徐璆《じょきゅう》

袁術の甥、袁胤《えんいん》をとらえ、玉璽を曹操に送った

鄭玄《ていげん》

禰衡《ねいこう》

吉平

医者

慶童《けいどう》

董承の元で働く奴隷

陳震《ちんしん》

袁紹配下

龔都《きょうと》

郭常《かくじょう》

郭常《かくじょう》の、のら息子

裴元紹《はいげんしょう》

黄巾の残党

関定《かんてい》

許攸《きょゆう》

袁紹の配下であったが、曹操の配下へ

辛評《しんひょう》

辛毘《しんび》の兄

辛毘《しんび》

辛評《しんひょう》の弟

袁譚《えんたん》の配下、後、曹操の配下

呂曠《りょこう》

呂翔《りょしょう》の兄

呂翔《りょしょう》

呂曠《りょこう》の弟


李孚《りふ》

袁尚配下

王修

田疇《でんちゅう》

元袁紹の部下

公孫康《こうそんこう》

文聘《ぶんぺい》

劉表配下

王威

劉表配下

司馬徽《しばき》

道号を水鏡《すいきょう》先生

徐庶《じょしょ》

単福と名乗る

劉泌《りゅうひつ》

徐庶の母

崔州平《さいしゅうへい》

孔明の友人

諸葛均《しょかつきん》

石広元《せきこうげん》

孟公威《もうこうい》

媯覧《ぎらん》

戴員《たいいん》

孫翊《そんよく》

徐氏《じょし》

辺洪

陳就《ちんじゅ》

郄慮《げきりょ》

劉琮《りゅうそう》

劉表次男

李珪《りけい》

王粲《おうさん》

宋忠

淳于導《じゅんうどう》

曹仁《そうじん》の旗下《きか》

晏明

曹操配下

鍾縉《しょうしん》、鍾紳《しょうしん》

兄弟

夏侯覇《かこうは》

歩隲《ほしつ》

孫権配下

薛綜《せっそう》

孫権配下

厳畯《げんしゅん》

孫権配下


陸績《りくせき》

孫権の配下

程秉《ていへい》

孫権の配下

顧雍《こよう》

孫権配下

丁奉《ていほう》

孫権配下

徐盛《じょせい》

孫権配下

闞沢《かんたく》

孫権配下

蔡薫《さいくん》

蔡和《さいか》

蔡瑁の甥

蔡仲《さいちゅう》

蔡瑁の甥

毛玠《もうかい》

曹操配下

焦触《しょうしょく》

曹操配下

張南《ちょうなん》

曹操配下

馬延《ばえん》

曹操配下

張顗《ちょうぎ》

曹操配下

牛金《ぎゅうきん》

曹操配下


陳矯《ちんきょう》

曹操配下

劉度《りゅうど》

零陵の太守

劉延《りゅうえん》

劉度《りゅうど》の嫡子《ちゃくし》

邢道栄《けいどうえい》

劉度《りゅうど》配下

趙範《ちょうはん》

鮑龍《ほうりゅう》

陳応《ちんおう》

金旋《きんせん》

武陵城太守

鞏志《きょうし》

韓玄《かんげん》

長沙の太守

宋謙《そうけん》

孫権の配下

戈定《かてい》

戈定《かてい》の弟

張遼の馬飼《うまかい》

喬国老《きょうこくろう》

二喬の父

呉夫人

馬騰

献帝

韓遂《かんすい》

黄奎

曹操の配下


李春香《りしゅんこう》

黄奎《こうけい》の姪

陳群《ちんぐん》

曹操の配下

龐徳《ほうとく》

馬岱《ばたい》

鍾繇《しょうよう》

曹操配下

鍾進《しょうしん》

鍾繇《しょうよう》の弟

曹操配下

丁斐《ていひ》

夢梅《むばい》

許褚

楊秋

侯選

李湛

楊阜《ようふ》

張魯《ちょうろ》

張衛《ちょうえい》

閻圃《えんほ》

劉璋《りゅうしょう》

張松《ちょうしょう》

劉璋配下

黄権《こうけん》

劉璋配下

のち劉備配下

王累《おうるい》

王累《おうるい》

李恢《りかい》

劉璋配下

のち劉備配下

鄧賢《とうけん》

劉璋配下

張任《ちょうじん》

劉璋配下

周善

孫権配下


呉妹君《ごまいくん》

董昭《とうしょう》

曹操配下

楊懐《ようかい》

劉璋配下

高沛《こうはい》

劉璋配下

劉巴《りゅうは》

劉璋配下

劉璝《りゅうかい》

劉璋配下

張粛《ちょうしゅく》

張松の兄


冷苞

劉璋配下

呉懿《ごい》

劉璋の舅

彭義《ほうぎ》

鄭度《ていど》

劉璋配下

韋康《いこう》

姜叙《きょうじょ》

夏侯淵《かこうえん》

趙昂《ちょうこう》

楊柏《ようはく》

張魯配下

楊松

楊柏《ようはく》の兄

張魯配下

費観《ひかん》

劉璋配下

穆順《ぼくじゅん》

楊昂《ようこう》

楊任

崔琰《さいえん》

曹操配下


雷同

郭淮《かくわい》

曹操配下

霍峻《かくしゅん》

劉備配下

夏侯尚《かこうしょう》

曹操配下

夏侯徳

曹操配下

夏侯尚《かこうしょう》の兄

陳式《ちんしき》

劉備配下

杜襲《としゅう》

曹操配下

慕容烈《ぼようれつ》

曹操配下

焦炳《しょうへい》

曹操配下

張翼

劉備配下

王平

曹操配下であったが、劉備配下へ。

曹彰《そうしょう》

楊修《ようしゅう》

曹操配下

夏侯惇

費詩《ひし》

劉備配下

王甫《おうほ》

劉備配下

呂常《りょじょう》

曹操配下

董衡《とうこう》

曹操配下

李氏《りし》

龐徳の妻

成何《せいか》

曹操配下

蒋済《しょうさい》

曹操配下

傅士仁《ふしじん》

劉備配下

徐商

曹操配下


廖化

劉備配下

趙累《ちょうるい》

劉備配下

朱然《しゅぜん》

孫権配下


潘璋

孫権配下

左咸《さかん》

孫権配下

馬忠

孫権配下

許靖《きょせい》

劉備配下

華歆《かきん》

曹操配下

呉押獄《ごおうごく》

典獄

司馬孚《しばふ》

司馬懿《しばい》の弟

賈逵《かき》


曹植


卞氏《べんし》

申耽《しんたん》

孟達の部下

范疆《はんきょう》

張飛の配下

張達

張飛の配下


関興《かんこう》

関羽の息子

張苞《ちょうほう》

張飛の息子

趙咨《ちょうし》

孫権配下

邢貞《けいてい》

孫桓《そんかん》

孫権の甥

呉班

張飛の配下

崔禹《さいう》

孫権配下

張南

劉備配下

淳于丹《じゅんうたん》

孫権配下

馮習

劉備配下


丁奉

孫権配下

傅彤《ふとう》

劉備配下

程畿《ていき》

劉備配下

趙融《ちょうゆう》

劉備配下

朱桓《しゅかん》

孫権配下


常雕《じょうちょう》

曹丕配下

吉川英治


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