「まずご諒解を仰ぎたい儀は、関羽将軍の死であります。呉はもとより蜀にたいし何のうらみもありません。荊州の問題も、さきに主人孫権の妹君を陛下の室にお娶わせしてからは、陛下の兵に依って治められるならば呉の領地も同じようなものだとまで、呉では超然とあきらめておりましたが、そこの守りたる関羽将軍には、呉の出先の呂蒙と事ごとに不和を醸し、平地に波瀾をまねいて、ついにあんな事に立ち到ってしまいました。実にこの事は主人孫権も、遺憾としておるところで、もし魏の圧迫さえなかったら、決して、関羽どのを討たすではなかったにと、その後も常に繰り返しているほどであります」