(五)

文字数 1,313文字

 比較的暖かい冬営地といっても、少しでも風が吹こうものなら、刺すような寒気が容赦なく襲ってくる。しかし、仲間が休んでいるゲルの中で、石を叩いたり削ったりはできない。リョウはどうしようかと考えて、少し離れた家畜小屋を風除けにして、その陰で石刻をすることにした。
 日中であれば、毛皮を重ね着し、毛皮の帽子と毛糸の首巻を巻けば、何とか寒さはこらえられる。首巻は、余った毛でシメンが作ってくれたものだった。一心に石を彫っていると、そのうちに身体が温まってくるのさえ感じた。
 いくら仕事の少ない冬場とはいえ、リョウが石刻に使える時間は限られており、一日の空いた時間でできることは、三つか四つの漢字の、縁取りを彫るのがせいぜいだった。それができると、翌日には縁の中を彫って完成させる。祖父が教えてくれた、まっすぐに彫る技術や、微妙に弧を描きながら彫る技術が役に立っていると感じていた。

 リョウは冬の間、毎日毎日、家畜小屋の横で飽きることなく石刻を続けていた。石刻に疲れると、気分転換に、石鑿を近くの木に向かって投げつける。もともとこの石鑿は、石屋の武器として作られたものだった。
 そのうち、自分一人用の小屋があれば、吹雪の日にもその中で過ごせるのではないかと、風除けに使っていた木の板を使って、家畜小屋に沿って屋根をかけてみた。自分では良くできたと思ったのも束の間、激しい吹雪の翌朝に見に行くと、バラバラに吹き飛んでいた。
 奴隷仲間もそれを見て笑っていたのだが、その中の一人が見かねて、リョウの小屋作りを手伝ってくれることになった。父親に近いくらいの年齢の男で、名前を(こう)と言った。巧は、奴隷になる前は農作業の傍ら、大工仕事もしていたのだという。巧はリョウに教えた。
「ゲルにはゲルの作り方があるように、煉瓦(れんが)の家にも木の家にも、それぞれの作り方というものがある。木で作るなら、土台と柱と屋根をどうつなげるかが大事で、あとは壁でも床でもどうにでもなる。遊牧民は、地面に固定された家というものを嫌うので、いつまで経っても家を作れないが、おかげで俺は生きていられるんだよ」
 巧もまた張と同様に、唐の農村での厳しい生活から逃れ、戦のさなかに奴隷となったのだという。リョウは、王爺さんが言っていた「生き延びたいなら、人にはできないことを身に付けろ」という言葉を思い出し、巧にとっての大工仕事もまた、生きる力になっているのだろうと思った。

 巧のおかげで、リョウの小屋は、大概の吹雪には耐えられるような、しっかりしたものになり、今では、狭いながらもこちらの方がリョウの本居になっていた。
 そんなリョウの小屋を、奴隷仲間や突厥の子供たちが、からかい半分に覗きに来ることもあった。小さな小屋は一人分の広さしかないので、そんなときリョウは嫌な顔一つせずに、外に出て行き、彫り方を教えたり、あらかじめ作っておいた小さな石の彫刻をくれてやったりした。それは、羊や牛の彫刻だったり、小皿などの生活用品だったりしたが、石の彫刻がない時には、木の板に墨で馬や鷹の絵を描いてやった。子供たちは、その絵を、羊の焼き印に使う焼き(ごて)でなぞって、自分なりの焼き絵を作って喜んでいた。
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